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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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DDTとマラリア

 マラリアの撲滅が低開発国で失敗したのは,薬剤散布だけではうまくいかなかったからだ。薬剤散布とともに,栄養状態の改善,蚊の繁殖場所の除去,教育,健康管理を進めると効果があった。このことは,イタリアやオーストラリアのような先進国でマラリア撲滅に成功し,サハラ以南のアフリカでうまくいかなかった理由を説明している。どんな公衆衛生プランでもほぼ同じことだが,人々の協力と理解が必要なのだった。
 マラリア撲滅計画で使われた中心的な方法は室内残留性噴霧で,殺虫剤が室内の壁や天井に残ることで効果を発揮するものだった。つまり,住民は壁を洗ったり,塗装したり,漆喰を塗り直したりする必要がない。しかし,この点はマラリアの問題以外で公衆衛生について受けるたいていの指示と勝手が違うので,よく理解できない人が多かった。汚れたままの家に住めと言われているようで気に入らないという人もいた。しかし,マラリア根絶が部分的にしか成功しなかった最も重要な理由は,蚊が耐性を獲得しつつあったことだ。米国でのDDT使用のピークは,禁止措置の13年前にあたる1959年だった。しだいに使用量が減ったのは,すでに効きにくくなり始めていたからだ。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.178-179
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カーソンはヒトラー以上???

 時代は一気に2007年に移る。インターネットに,レイチェル・カーソンはヒトラー以上の大量殺人者だという主張があふれている。カーソンはナチスよりも多くの人々を殺した,カーソンの手は血にまみれていると,故人を非難する発言がある。なぜだろうか。『沈黙の春』によってDDTが禁止され,おかげで何百万ものアフリカ人がマラリアで死んだというのだ。これまでの章に出てきて,タバコを擁護し地球温暖化という現実を疑った企業競争研究所(CEI)が,今度は「レイチェルは間違っていた」と主張している。「1人の人物が間違った警告を発したために,世界中で何百万もの人々がマラリアで苦しみ,しばしば命を落としている」と,彼らのウェブサイトは主張する。「その人物とはレイチェル・カーソンだ」と。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.164-165

温暖化の両論併記

 2004年に本書の著者の1人は,地球温暖化が存在し人間の活動が原因であることについて,科学者たちの間に意見の一致があり,1990年代半ばからずっとそうだったことを示した。それでもこの時期,マスメディアは地球温暖化とその原因について,大きな議論があるかのように扱っていた。偶然ながら同じ2004年に発表された別の研究は,1988年から2002年にかけての地球温暖化に関するメディアの報道を分析していた。マックス・ボイコフとジュールズ・ボイコフによるこの研究で,気候科学者の大多数の見解と,地球温暖化否定派の主張に同等の時間を割いている「バランスのとれた」記事は,メディア報道の53パーセント近くを占めることが明らかになった。気候科学者の多数を占める正しい立場を提示する記事は35パーセントあったが,残りは否定派にスペースを与えていた。こうした「バランスのとれた」報道は一種の「情報の偏り」であり,理想的なバランスを追及するとジャーナリストは,本来受けるに値する以上の信憑性を少数意見に与えてしまうことになる,というのがこの論文の結論だ。
 科学の現状と主要なマスコミの科学の提示の仕方がこのように食い違っていることは,政府が地球温暖化に対して何もしないでいることの助けになった。1988年にガス・スペスは,実際に行動しようという勢いがあると思っていた。ところが1990年代半ばになると,この政策の勢いは衰えてしまった。雲散霧消したのだ。1997年7月,京都議定書が採択される3ヵ月前に,米国の上院議員ロバート・バードとチャールズ・ヘーゲルは,議定書の採択を阻止する決議を行なった。バードとヘーゲルの決議は97対0で上院を通過した。科学的には,地球温暖化は確定した事実だった。しかし政治的には葬られてしまった。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.161-162

両論併記の問題

 本書の主役たちがどんな理屈や正当化を持ち出すかはともかく,われわれの物語にはもう1つの重要な要素がある。それは,どうしてマスメディアの多くが——それも『ワシントン・タイムズ』のような一見して右派の新聞と分かるものだけでなく,主流の媒体も含めて——彼らと共謀するようになり,こうした問題を科学論争として取り上げる必要を感じたかということだ。ジャーナリストたちは否定派の専門家から,同等の地位——同等の時間,同等のニュースのスペース——を認めるよう,常に圧力をかけられていた。『タイム』誌の環境問題の記者だったユージン・リンデンは,『変化の風』(Winds of Change)という著書の中でこう述べている。「メディアで働く人々は,科学上の控えめな態度を科学の不誠実さとみなし,自分たちの反対意見が報告書に盛り込まれないと編集者に怒りの手紙を送りつけるような専門家たちに追い回されるようになっていた」。明らかに編集者たちはこの圧力に屈し,米国における気候についての報道は,そのために懐疑派や否定派の側に偏向するようになった。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.160

ピアレビュー

 科学雑誌はすべての論文をピアレビューにかける。普通は3人の専門家にコメントを依頼する。査読の意見が大きく割れた場合,編集者はさらに査読者を追加でき,自分の判断も加えることができる。論文執者が査読者の指摘した誤りを修正し,問題点を手直しするというプロセスは2,3回繰り返されることが多い。それでも合格しなければ,その論文は掲載拒否となり,執筆者はまた1から書き直すか,それほど評価の高くない別の雑誌に投稿を試みるかする。カンファレンスはあまり厳格でないことが多く,カンファレンスに発表された論文が一般に真剣に受け止められないのはそのためだ。査読方式をとっている雑誌に発表されない限り,学問の世界で昇進や終身在職権の検討材料にはならない(ときとして産業界は,自らカンファレンスを主催して論文集を発行するというもっともらしい便法を利用する)。また,査読者は本当の専門家でなければならない。その研究に使われた方法と論文の主張していることを判断できるだけの知識が必要だ。そして査読者は,審査される論文の執筆者と——個人的であろうと職業上であろうと——近い関係にあってはならない。こうした基準に合う査読者を見つけるために,編集者はかなりの時間を費やす。これはすべて無償で行なわれ,科学者たちは共同体の制度の一部として論文の審査を行なっている。誰もがほかの人たちの論文を審査することが期待されているが,それは彼らの論文もまた,ほかの人たちによって審査されるという了解があるからだ。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.51

悪い科学,弱い科学

 「悪い科学」は見れば分かる,と科学者たちは自信を持っている。それは明らかに欺瞞に満ちた科学だ。データが捏造されたり,ごまかされたり,操作されたりしている。都合のいいデータだけを採用して一部のデータを故意に放っておくとか,データをとったり分析したりした手順が読者に理解できないようになっているとかいうのは「悪い科学」だ。それは検証不可能な主張だったり,あまりにも少ないサンプルに基づく主張だったり,得られた証拠から引き出せない主張だったりする。また,ある立場を支持する者が不十分なデータや一貫しないデータに基づいて結論に飛びついている場合も,「悪い」科学か,少なくとも「弱い」科学だ(第4章で見たように,アメリカ科学振興協会(AAAS)のシャーウッド・ローランドは総裁演説で,ディキシー・リー・レイ,フレッド・サイツ,フレッド・シンガーが「悪い科学」に基づいてオゾン層破壊を疑ったことを明らかにした。彼らは明らかに間違った主張をし,広く手に入る公表された証拠を無視していた)。しかし,こうした科学の基準は原理的には明白かもしれないが,実際の場面でいつ適用すべきかということは,その時々で判断するしかない。そのために科学者はピアレビューを使う。ピアレビューというものは魅力的な話題になるはずもないが,これを理解するのはきわめて重要だ。なぜなら,これこそ科学を科学たらしめているものだからだ。それで初めて,科学は単なる意見の一形式ではなくなる。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.49-50

日本の疫学調査

 平山雄は当時,東京にある国立がんセンター研究所の疫学部長だった。1981年に平山は,喫煙者の夫を持つ日本の女性の肺がんによる死亡率が,非喫煙者の夫を持つ女性に比べてずっと高いことを明らかにした。この研究は長期にわたる大がかりなもので,29の地域で非喫煙者である妻9万1540人を14年間にわたって追跡調査し,明確な用量反応曲線を示した。夫の喫煙量が多いほど,妻が肺がんで亡くなる率も高くなっていた。夫に飲酒癖があっても妻には影響がなく,子宮頸がんのようにタバコの煙の影響を受けるとは思えない病気についても,夫の喫煙は影響を与えていなかった。この研究はまさに疫学研究のあるべき姿を示すもので,あるものが影響を与えていることを立証し,それ以外の原因は関わりがないことを明らかにしていた。また,なぜ喫煙しないのに肺ガンにかかる女性がたくさんいるのか,という長年の難問の説明にもなっていた。平山の研究は第一級の科学であり,画期的な内容だったと現在では考えられている。
 タバコ産業はこの発見を厳しく批判した。彼らは対抗する研究をしかけて平山の評判を落とそうとコンサルタントを雇った。コンサルタントの1人はネイサン・マンテル——知名度の高い生物統計学者——で,平山が重大な統計上の誤りを犯していると主張した。タバコ協会は,議論の「両側」を提示すべきだとメディアを納得させつつ,マンテルの研究を広めていった。主要な新聞は彼らの手の中で踊らされ,「非喫煙者のはつがんりすくについて科学者が反論」,「非喫煙者のリスク,新たな研究で矛盾する結果も」といった見出しの記事を掲載した。そして業界は,これらの見出しを目立たせた全面広告を主要な新聞に掲載した。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(下) 楽工社 pp.19-20

成功例

 環境問題に関する規制は科学に基づくものであるべきだとすれば,オゾンの問題は成功例ということになる。複雑な仕組みを解明するには時間がかかったが,米国政府や科学に関する国際的な機関の支援を得て,科学者はそれを達成した。科学に基づいて規制がかけられ,研究の進展に応じて調整が加えられた。しかし,それと並行して,科学に挑戦する試みも絶えなかった。産業界の人間やその他の懐疑論者はオゾン層の破壊が現実だということを疑い,もし実際に起きているとしても重大なことではない,火山が原因だ,などと主張した。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.243

オゾン層の観測

 観測衛星は,19世紀の地質学者が岩石を,生物学者がチョウを集めたのと同じような仕方で単にデータを「収集」するのではない。衛星は信号を検知して処理する。観測にかかわる電子技術とコンピュータ・ソフトウェアは非常に複雑で,ときには誤りも生じるため,「悪い」データをスクリーニングして取り除くことも手続きの中に含まれている。今回はそこに問題があった。観測データを処理するソフトウェアには,特定のレベル——180ドブソン単位——より低い値はオゾン濃度として現実的でなく,おそらく悪いデータであると見なし,フラグを立てるコードが含まれていた。成層圏でそこまで低い濃度は観測されたことがなく,既存の理論に基づくモデルでも生じ得ないことから,これは合理的な選択のように思われた。南極のオゾン濃度データの一部が180以下になったとき,それはエラーとみなされてしまった。計測器の科学チームは10月の南極上空にエラーが集中している地図を持っていたが,計器の故障だろうと考えて無視していた。彼らは装置を信用しすぎないという健全な態度のせいで,重大なデータを見逃してしまったのだった。
 データを再度チェックしたストラースキーは,オゾンの減少した領域が南極全体を覆っているのを発見した。「オゾンホール」の誕生だ。それは計器の故障ではなく,実際に起きている現象だった。衛星によって検出されていたのに,予想を超えていたのだった。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.233-234

よくあるパターン

 詳細な報告の多くは,非常に専門的な雑誌(たいていのジャーナリストや議会スタッフが日常的に読んでいないもの)か,政府の報告書に発表された。スウェーデンの研究結果は,無理もないこととはいえ,ほとんどはスゥェーデン語で発表された。こうした専門的な部分での困難は,DDTの被害にもついてまわった。大部分は政府の報告書に書かれていたが,レイチェル・カーソンはそれをまとめて『沈黙の春』を書き上げた。経口避妊薬の危険性も同じことで,ほかの点では健康な若い女性に原因のよくわからない血栓ができる症例が,最初は眼科学の専門的な雑誌に掲載されたのだった。これは科学の特徴的なパターンだ。ある現象の証拠が最初は専門家向けの雑誌や報告書にばらばらに掲載されていて,やがて誰かが散らばった点を結びつけ始める。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.141-142

別の悪影響

 産業革命の時代のイングランドでは粒子状物質による汚染がひどく,死者も出ていた。1952年のロンドンの「グレート・スモッグ」はよく知られている。そこで汚染を緩和するために徹底した対策をとり,もっと高い煙突を使って汚染物質を拡散させるとともに,火力発電所には集塵装置(スクラバー)を設置した。ところが,その後の科学研究によって,大気汚染の原因になっていた塵が酸を中和する働きもしていたことが明らかになった。その塵を取り除いたことで,残った汚染物質の酸性度が高くなってしまった。また,粒子状物質はかなり早く地上に戻る傾向があった。そのため,高層煙突によって近隣の汚染は減少したが,広域の汚染は増加した。地元の煤煙が広域的な酸性雨に変化したのだ。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.140

テストできない

 また,SDIは実験ができない。セーガンが関わった宇宙計画では,実際にロケットが発射されたときにうまく機能することを確認するため,地上で慎重に実験を行なった。宇宙でのミッションの場合,チャンスは1度しかない。核戦争も同じで,2度目のチャンスはないが,SDIは地上で実験できない。衛星は軌道上に配備する必要があり,それをテストするためには多数のミサイルをわれわれ自身に向けて発射しなければならない。結局のところ,SDIの衛星はヨーロッパやアジアから北米に向けて発射されるミサイルを破壊するためのもので,その逆ではなかった。また,1基や2基のミサイルでは意味がない。ミサイル1基を完璧に撃破できるシステムも,10基とか,さらに1000基とかになればなおのこと,うまく防御できない可能性が高いからだ。SDIをまともにテストするには,米国が保有するミサイルのかなり多くを発射しなければならないだろう。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.94-95

SDI構想の問題

 セーガンは兵器の専門ではなかったが,レーガンの提案が映画『スター・ウォーズ』と同じような空想的なものだということは十分わかっていた。理由は単純だ。どのような兵器システムも——実のところ,テクノロジーを用いるどんなシステムも——完璧ではなく,核兵器に対する不完全な防御は価値がないという以上に有害だからだ。これは算数の問題でしかない。たとえ戦略防衛が90パーセント有効でも,10パーセントの弾頭はくぐり抜けてくることになる。ソ連は8000発を超える弾頭とそれを運搬する約2000基の弾道ミサイルを保有していたから,その10パーセントでも1つの国を破壊するのに十分すぎるほどの能力がある。しかし,米国の防衛力にどれほどの効果があるかをソ連が確実に知ることはできないから,確信を得たいがためにさらに多くの兵器を製造する誘引をSDIは提供する。SDIは軍備拡張競争を激化されはしても,歯止めをかけることはない。逆に,SDIは実際に機能するかもしれないとソ連が考えた場合,事態はさらに悪くなる。なぜなら,システムが構築される前に「先手を打って」攻撃したくなるかもしれず,SDIがそもそも防ごうとした最終戦争の引き金になってしまうおそれがあるからだ。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.94

理解困難な理由

 業界のキャンペーンが功を奏した理由の1つは,すべての喫煙者がガンに罹るわけではないということだ。実際,喫煙者の多くは肺ガンにならない。彼らは,慢性気管支炎,肺気腫,心臓病,脳卒中になるかもしれないし,口唇,子宮,肝臓,腎臓,膀胱,胃にガンができるかもしれない。白血病,流産,失明のおそれもある。喫煙習慣のある女性から生まれる子供は,そうでない女性の子供に比べて低出生体重であることがずっと多く,乳幼児突然死症候群の頻度も大きい。現在,喫煙が原因と分かっているか,おそらく原因だと考えられている病気は25種類あり,世界じゅうで500万人がそのために死亡し,そのうち半数は中年で命を落としていると,世界保健機構(WHO)は見ている。1990年代になると,喫煙は有害だと多くの米国人が知ったが,特定の病気と結びつけられない人が30パーセントにも上っていた。医師でさえタバコの害の全体像を把握していない人が多く,調査に回答した医師の4分の1近くは喫煙が有害であることをいまも疑わしく思っている。
 業界による疑念の売り込みがうまくいった理由の1つは,あることが原因だというとき,それが何を意味するかを,われわれの多くが本当はよく分かっていないことだ。「AがBの原因である」とき,AをすればBという結果になるとわれわれは考える。タバコがガンの原因なら,タバコを吸えばガンになるはずだと。しかし,生命はもっと複雑だ。科学においては,統計的に原因と言える場合がある。つまり,タバコを吸うとずっとガンに罹りやすくなるということだ。日常的な意味で,何事かを何かの原因と見ることもある——たとえば,「けんかの原因は嫉妬だった」というように。嫉妬は必ず喧嘩の原因になるわけではないが,そうなることは多い。喫煙者のすべてが死ぬわけではないが,半数くらいは喫煙のせいで死亡する。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.74-75

濁る水

 ときとして科学の水は,さらに研究を進めていくと濁ることがある。もっと複雑な状況やそれまで知られていなかった要因が掘り起こされるためだ。しかし,喫煙に関してはそうではなかった。1967年に新しい公衆衛生局長官が証拠を再検討したところ,結論はいっそう明確なものとなった。この報告書の冒頭には,2000件を超える研究が明確に指し示す3つの結果が書かれている。第1に,喫煙者は対応する非喫煙者に比べて短命で,病気がちであったこと。第2に,早く氏を迎えた喫煙者のかなりの割合が,もしタバコを吸っていなかったとすれば,もっと長く生きたはずであること。第3に,肺ガンによって早く死を迎えた人は,喫煙がなければ「実質的には誰も」それほど早く死ぬことはなかったはずであること。つまり,喫煙によって人々が死ぬ。それだけの単純な話だった。1964年以来,初期の報告書の結論に疑問を投げかけるような研究結果は得られていない。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.56

カートン入りのガン

 1953年12月15日は運命の日だった。その数カ月前,ニューヨーク市のスローン・ケタリング研究所の研究者たちが,マウスの皮膚にタバコのタールを塗るとガンが発生して死に至ることを実証していた。この研究は報道機関から大変な注目を浴びた。『ニューヨーク・タイムズ』と『ライフ』誌が取り上げたし,当時世界で最も広く読まれていた『リーダーズ・ダイジェスト』誌も「カートン入りのガン」という記事を掲載した。ジャーナリストや編集者はたぶん,研究論文の締めくくりに書かれた劇的な文章に動かされたのだろう。「関連する臨床データが喫煙とさまざまな種類のガンを関係づけていることを考えると,このような研究は急務だと思われる。それは発ガン物質に関するわれわれの知識を広げるだけでなく,ガン予防の実際的な側面を推進することにもつながるだろう」
 こうした発見が意外だったはずはない。ドイツの研究者たちは1930年代に,タバコの煙が肺ガンを引き起こすことを明らかにしていたし,ナチスの政府は禁煙キャンペーンを大々的に展開した。アドルフ・ヒトラーは自分のいる場所での喫煙を禁止した。しかし,ドイツの科学者の研究にはナチスへの連想がつきまとったことから,戦後は実際に抑圧されはしないまでもいくぶん無視された。こうした研究が最発見され,独立に確認されるまで,しばらく時間がかかった。しかしそれがいまや,ナチスではない米国の研究者たちがこの問題を「急務」と呼び,報道機関がニュースを流すようになっていた。「カートン入りのガン」はタバコ業界にとって,耐え難いスローガンだった。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.40-41

私の科学者たち

 20年以上もの間,彼らは自分が論争に加わったどの問題についても,独自の科学研究をほとんど行なっていなかった。かつては卓越した研究者だった彼らも,われわれの物語の主題に手を染めるようになったときには,ほとんど他人の研究と評判を攻撃するばかりになっていた。実際,どの問題についても,彼らは科学者たちが合意していることとは反対側に立っていた。喫煙は——直接的にも間接的にも——確かに死をもたらす。大気汚染は酸性雨の原因になる。火山はオゾンホールの原因ではない。海面が上昇し,氷河が融けているのは,化石燃料の燃焼によって生み出される温室効果ガスが大気に及ぼす影響が増大した結果だ。しかし,マスコミは何年もの間,彼らを専門家として扱い,政治家は彼らの言い分に耳を傾け,何も行動を起こさないことを正当化するために彼らの主張を利用した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領[シニア]などはかつて,彼らを「私の科学者たち」と呼んだほどだ。現在の状況はいくらかましになっているが,彼らの意見や議論はいまでもインターネットやトークラジオ,さらには議員たちによって引用され続けている。

ナオミ・オレスケス,エリック・M・コンウェイ (2011). 世界を騙し続ける科学者たち(上) 楽工社 pp.29

J-POP

 この年,J-WAVEは在京のAM・FMを通して聴取率No.1を獲得。邦楽はほとんどかけない方針でしたが,局のイメージに合った曲のみ『J-POP』と呼んでかけていました。J-POPという言葉はJ-WAVEが起源です。

ホイチョイ・プロダクションズ 気まぐれコンセプト クロニクル 小学館 pp.236

教養主義の死

 わたしが教養主義の死を身近でつくづく感じさせられたのは,大学の授業で旧制高校の生活について触れ,教養主義についていくらかの説明をしたときのことである。ある学生が質問をした。「昔の学生はなぜそんなに難しい本を読まなければならないと思ったのか?それに,読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」,という率直な,いや率直すぎるともいえる質問に出会ったときである。
 わたしのほうは,旧制高校的教養主義をもういちどそのまま蘇らすべきなどという気持ちはないにしても,読書による人間形成というそんな時代があったこと,いまでも学生生活の一部分がそうであっても当たり前だ,と思っている古い世代である。「読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」というのは,そんなわたしのような世代にはやはり意表を突く質問としかいいようがなかった。しかし,それだけにあらためて教養主義の終焉を実感することになった。
 そうはいってもいまの学生が人間形成になんの関心もないというわけではないだろう。むろんかれらは,人間形成などという言葉をあからさまに使うわけではないが,キャンパス・ライフが生きていく術を学ぶ時間や空間と思っていることは疑いえないところである。しかし,いまや学生にとっては,ビデオも漫画もサークル活動も友人とのつきあいもファッションの知識もギャグのノリさえも重要である。読書はせいぜいそうした道具立てのなかのひとつにしかすぎないということであろう。あらためていまの学生の「教養」コンセプトを考えなければならないとおもうようになった。

竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.237-238

教養の脱価値化

 大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと,大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない,と。
 かつては教養主義の啓蒙的・進歩的機能が強いぶん,教養主義の(エリートのノン・エリートに対する)境界の維持と差異化の機能が目に見えにくかった。たとえ目にみえても自明で会議の対象とはならなかった。教養知が技術知と乖離し,同時に,啓蒙的・進歩的機能を果たさなくなることによって,こうした教養主義の隠れた部分,あるいは不純な部分が前景化したのである。
 マス高等教育の中の大学生にとっていまや教養主義は,その差異化機能だけが透けて見えてくる。あるいは,教養の多寡によって優劣がもたらされる教養の象徴的暴力機能が露呈してくる。いや大衆的サラリーマンが未来であるかれらにとって,教養の差異化機能や象徴的暴力さえ空々しいものになってしまった。

竹内 洋 (2003). 教養主義の没落 中央公論新社 pp.214

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