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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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特別はナルシシズム

 自分を特別だと思うのはナルシシズムである。自尊心でも自信でもないし,子供に育んでやるべきものでもない。ナルシシズムと自信は違う。子供には,算数がよくできるねとか,がんばれば算数ができるようになるよと言ってやればよく,おまえは「特別だから」と言う必要はない。自分は特別だと思って悦に入るのもいいが,人と一緒に働き,行列に並び,高速道路で割り込まれる現実の世の中では,挫折するだけだ。ニコールが言ったように人を尊重するようになることもまずない。自分を特別だと思っている人は規則に従わなくてもいいだろうと考える。それは人から見れば不公平ということだ。私たちは5歳の子供に無理やりバスケットボールをやらせて,うまくできないことを思い知らせてやれとか,綴り方の勉強をしている娘をできが悪いと叱ったりしろと言っているのではない。「特別」だとわざとらしく褒めるのではなく,学ぶ楽しさや努力は報われることを教えてやるほうがいいと言いたいのである。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.229-230
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)
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変わった名前

 親から名前を授かるのは,目立とう,個性豊かであろう,人とは違うところを見せようとする人生最初の行為である。個性重視がアメリカ人の生き方として広がりはじめたのは,つい最近のことだ。少し前なら,風変わりな名前はいじめられる心配があり,みなと同じ普通の名前のほうがよいとされていた。現在は個性的で目立つのがよいと考えられるようになっている(実際のところ,1990年代にカリフォルニア州で生まれた子供の223人が「ユニーク」と名づけられた。そのうえ,綴りを普通のものとは変えてさらに個性を強調している親もいた)。「カムクワット(金柑)って名前なら聞いたことないわ」とばかりにそう名づける親も出てきそうな勢いだ(この傾向は,ありふれた名前とそうでない名前が社会保障局などのウェブサイトで一目でわかるようになるずっと前からあった)。普通と違う綴りも流行している。マイケルやケヴィンも,Michael,Kevinではなく,Mychal,Kevynと綴ってもいいのではないかというわけだ。ジャスミンは女の子の名前としてよくあるものだが,綴りが少なくとも10通りはある。「いまや子供に名前をつけるのは,商品のネーミングを考えるような感覚だ。人と同じになりたくないという強い欲求が国中に渦巻いている」と『ベイビー・ネーム・ウィサード』の著者ローラ・ワッテンバーグは述べている。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.218
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

自尊心を高めようとして失敗する

 多くの人は「自尊心」をもとうとして,自己陶酔的な虚栄に陥ってしまう。小麦色の肌に見せたがるせいだろうが,15歳から34歳までの女性の皮膚がんの発生率がこの10年で20パーセント高くなった。それでも日焼けするのはなぜなのかと聞いてみれば,みな18歳のジャッキー・ハリスと同じように答える。「自分のことをいいなって思えるの。いまは,皮膚がんのことなんか考えていないわ」。整形手術を受けた理由に,多くの人が「自尊心」などのかたちを変えた自己賛美を挙げる(ただし,アメリカの文化で自尊心としてまかり通っているもののほとんどは,実際にはナルシシズムである)。こうした世界観をもつかぎり,自己賛美には皮膚がんや術後の合併症の危険を冒すだけの価値がある。アレックス・クチンスキーが書いているとおり,美容整形手術のリアリティ番組では「自尊心という言葉がマントラのように繰り返される」。ある男性の首のたるみ除去とまぶたの手術をした理由を,「もっと自信をもちたいんだ」と説明した。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.182
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

家の面積

 全米住宅建設者協会のデータによると,ここ35年で1世帯あたりの人数は減少したが,家の面積は66パーセントも増加した。さらに,大きい家が新築される数も飛躍的に増加した。2400平方フィート[約220平米]を超える住宅の数は,1970年とくらべて4倍になった。現在では新築住宅のほぼ半数が2400平方フィート以上だ。この傾向を強めたのは,家族が個々に用を足せるだけの部屋数がほしいという気持ちである。浴室が1つしかない住宅の割合は,1970年の52パーセントから5パーセントにまで減少している。逆に,浴室が3つ以上ある家は1970年にはほとんどなかったのに,現在は全体の25パーセントをやや上まわる。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.159
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

メルアドとナルシシズム

 Eメールアドレスでさえ,目立ちたがりのナルシシストの小道具になる。ある調査によると,ナルシシストは人から見ると「大仰」で「卑猥な」アドレスを選ぶ傾向がある。そのためEメールアドレスからその人がナルシシストかどうかが判断できた。自分に酔っている人は,Eメールを送るたびに自分のすごさを吹聴することになる。研究者らが述べているとおり,「thefascinatingking@gmx.net(すてきなキング)というアドレスのもち主をナルシシストではないかと推測するのは妥当だろう」

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.136-137
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

◯◯したい?

 食べものにも同じことが言える。夕食に何が食べたいかと2歳の子供にたずねれば,「クッキー」と答えが返ってくるかもしれない。だから,夕食にふさわしいものに限定した選択肢を2つか3つあたえよう。同じように,3歳児に「もう寝る?」と聞けば,大抵は「まだ」と答えるに決まっている。ここでも選択肢をしぼるのがよい。ジーンは3歳の姪に試してみた。「アレックス,もう寝る?それとも5分経ってからがいい?」。アレックスは少し考えて,「5分経ってから」と答えた。5分が過ぎ,「さあアレックス,5分経ったわよ。寝る時間ね」とジーンは言った。たったこれだけのことが効果抜群とはうれしい驚きだったが,アレックスは「うん」と言って素直にベッドに入ったのだ。もしここでアレックスが言うことを聞かなくても,こちらが折れてはいけない。ぐずって我を通した子供は,親の言うとおりにしなくてもよいと思ってしまう。
 子供に「◯◯したい?」とむやみに聞くのはやめよう。親はよくこう聞くが,実際には子供に選ぶ余地がない場合が多い。ジーンはあるとき空港で,父親が3歳くらいの子供に「飛行機に乗りたい?」と聞いているのを見かけた。乗りたがろうが乗りたくなかろうが,たぶんその子は飛行機に乗ることになるのだ。たとえどちらか選べたとしても,そう聞くことで子供に権限をあたえてしまう。もし親が子供を公園へ連れて行こうと決めたなら,「公園へ行きたい?」と幼い子供に聞くのではなく,親が子供の気持ちを判断する。子供は自分がどうしたいかを,おそらく正しく理解していないだろう。これからすることが気に入るかどうかを予測するのは,大人にも難しいことだ。だから,「公園へ行くわよ」と言おう。ただし,「いいわね?」とうっかりつけ足してしまわないように。子供が望んでいないことを無理強いしているのではないかと心配する必要はない。本当に行きたくなければ本人の意志表示があるはずだ。ただし,これも本人が言い出す前に親のほうから機会をあたえてはいけない。子供が行きたくないと言った時点で,子供の意志を尊重するかどうかを親が決める。もしその子を除く家族全員が公園へ行きたければ,みなで公園へ行くことにするだろう。行きたくないと言った子供も,いつも自分の思いどおりになるわけではないことがわかる。そして,ときにはほかの人のために譲るのが大切だと知り,友だちづきあいや人づきあいがうまくなるだろう。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.103-104
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

子育てとナルシシズム

 子育てに関するある調査は,子供をもてはやす子育てとナルシシズムとの関連を明らかにした。子供が何をしても褒めてやり,注意したりたしなめたりすることはめったにしない親である。子供がスポーツの大会に参加するだけでトロフィーをもらえる時代の子育てを,「褒めすぎ」と言う以上に的確に言い表すことはできないだろう。ほとんどの親はそれが子供のためになると思っている。褒めてやれば自尊心が高くなり,ひいては成功につながると信じている。また,褒めれば成績が上がる,褒めれば褒めるほど能力が伸びると思い込んでいる。さらに,子供にやる気を起こさせるには,恥ずかしい思いをさせるよりも褒めるのが一番だと思っている。屈辱感もやる気を起こす原動力になるが,気分のよいものではない。
 何がよくできたとか,行儀よくしていたというときに子どもを褒めるのはよい。事実,悪いことをしたときに罰をあたえるよりも効果的である。だが,この数十年のアメリカは様子が違ってきた。ほんのちょっとしたことができただけで,ときにはうまくできなかったときでさえも,子供を褒めそやすのだ。本当は駄目なのに自分をすばらしいと思うのはナルシシズムへの近道なのだが,多くの親と教師はそれを自尊心と呼び換えて日々子供を励ましている。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.95
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

子供の欲求優先

 今日ほど子供の欲求が最優先されている時代はない。親は,自分では答えられないほど幼い子供が相手でも,始終子供におうかがいを立てる(「夕食は何を食べたい?」「おばあちゃんとお話ししたい?」「公園に行きたい?」)あるとき飛行機のなかで,就学前くらいの男の子が楽しそうにDVDを見ていた。母親が自分のヘッドフォンをつなぐと,その子はヘッドフォンを取り上げて「ダメ,ママは見ちゃいけないの」とわめいた。そのときの母親の対応は呆気にとられるようなものだった。3歳の子供に「ごめんなさいね」と言ったのだ。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.89-90
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

自尊心ムーブメント

 犯人は3つの社会現象のようだ。ナルシシズムを刺激した第1の犯人は,自尊心のムーブメントだった。初めの動機は悪くない——どんなときも自分に満足していられたら,どんなにすばらしいだろう?そして,その後押しをしたのが,心理学者ナサニエル・ブランデンが1969年に発表した第1作『自信を育てる心理学——「自己評価」入門』だった。ブランデンは,自己愛はきわめて重要だと明言した。「人間にとってこれ以上大切な価値判断はない——心理的な発達と動機づけにおいて,何よりも決定的な要素である……自尊心は人間の思考プロセス,感情,欲求,価値観,目標に深く働きかける性質がある。人間の振る舞いの鍵になる唯一にして最も重要な要素なのである」。これまで見てきたとおり,この主張には正しいところがほとんどない。だが,当時は自尊心に関する研究がはじまったばかりで,そのころの知識からすればブランデンの言うことにも一理あった。問題は,自尊心がそれほど重要でないことが研究からわかっても,文化を見直してそのシナリオを修正しようとする者がいなかったことだ。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.77
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

自尊心と学業成績

 アメリカ国内でも,アジア系アメリカ人は自尊心が最低グループだが,学業成績は最も高い。「自尊心が目立って低い」グループがじつは成績が最もよく,先の論説の言葉を借りれば,「潜在的な能力を」非常によく「発揮している」。
 アメリカで自尊心が高いことがよいこととして子供たちにさかんに奨励されたこの30年に,高校生の学業成績は向上していない。全米学力調査によると,17歳の数学の点数は304点から307点とわずかに上がったものの,読解力の点数は285点のまま横這いだった。つまり,学業成績の向上はせいぜい1パーセントに満たないのである。一方,成績評価は同時期に大きく上がった。評価がAもしくはほぼつねにAだと答えた生徒は1976年に18パーセントだったが,2006年には33パーセントになり,Aと自己申告する生徒が83パーセントも増加した。この30年で,実際の学力は1パーセント以下しか伸びていないにもかかわらず,成績評価Aは83パーセントも増えたのである。どうやらアメリカ文化は,成功そのものではなく成功の幻想を煽る作戦でいくことにしたらしい。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.62
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

なんでも知っているよ

 ナルシシストは,自分はなんでも知っていると思いたがる。これを心理学者は「オーバークレーミング」と呼ぶ。「なんでも知っている」という友人に「ビリー・ストレイホーンのジャズを聴いたことはある?」とか,「パウル・クレーの絵を知っている?」「ベルサイユ条約が調印されたのはいつか知っている?」とたずねると,「もちろん」と答える。そこで次はこんなふうに聞いてみたくなるかもしれない。「ミルトン・シラスのジャズを聴いたことはある?」「ジョン・コーマットの絵を知っている?」「モンティチェロ条約が調印されたのはいつか知っている?」。じつを言うとこれらはどれも実在しないのに,その友人は「もちろん」と答えるのだ。これがオーバークレーミングである。ある調査では150問中30問が嘘の問いだったが,知ったかぶりでは誰もナルシシストにかなわなかった。頭がよすぎて存在しないことまで知っているのだろう。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.57
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ナルシシズムと自己価値

 私たち著者の複数世代にわたるナルシシズムの研究が2007年から2008年にメディアに取り上げられたとき,ナルシシズムは激化する競争社会のなかで必要なものなのだという意見が多く聞かれた。これもまた,アメリカ文化において自己価値とナルシシズムの区別がつけられておらず,出世のためなら何をしても許されるとの感覚が強まっていることの表れである。ミシガン大学の学生はインターネットでこんな意見を寄せてきた。「この調査をしている人は私たちほど日々競争にさらされなかったのだ。成功するには自信をもち,自分のことを中心に考えなくてはならない。だから私たちの世代が以前よりも多少『私(ミー)』にとらわれているようでも,それは私たちのせいではない」。サンディエゴ州立大学3年生のカミーユ・クラスビーは同校の学生新聞『デイリー・アズテク』紙にこう書いた。「いまの大学生は昔よりもプレッシャーやストレスが大きい。困難を乗り越えるには,自分を信じるにかぎる。自分を特別だと感じるのは意欲の表われであり,すばらしいことだ」。また,『ニューヨーク・タイムズ』紙に投稿したアトランタ出身の27歳のローレンもこう言う。「自信をもち,自分を信じることは,公私にわたって成功するための基本条件ではないだろうか。もしそれでナルシシストだと言われるのなら,自分がナルシシストであること,さらには成功者であることを誇りに思う」

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.54-55
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

自己愛性人格障害の症状経験

 本書の出版と同時期に,過去最大規模の自己愛性人格障害調査の結果が発表された。アメリカ国立衛生研究所は,全米から選んだサンプル3万5000人あまりを対象に自己愛性人格障害の症状がこれまでに現れたことがあるかどうかを質問した(症状についてのみ質問し,障害の名称は伏せた)。その結果,アメリカ人の6.2パーセント,つまり16人に1人に自己愛性人格障害に罹患した経験があることがわかった。さらに驚いたことに,65歳以上の人では3.2パーセントだったのに対し,20代は9.4パーセント(若い男性はなんと11.5パーセント)が自己愛性人格障害を経験していた。つまり20代は約10人に1人,65歳以上では30人に1人ということになる。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.47
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

引用者注:Stinton, F. S. et al. (2008). Prevalence, correlates, disability, and comorbidity of DSM-IV Narcissistic Personality Disorder: Results from the Wave 2 National Epidemic Survey on Alcohol and Related Conditions. Journal of Clinical Psychiatry, 69, 1033-1045.

過剰なほど

 ナルシシズムを内心の不安を隠す盾とみなすのには大きな問題がある。ナルシシズムを治すにはもっと自己を賛美すればよいと考える人が多いからだ。ナルシシズムは自己賛美では治らない。「自尊心がもっと高ければ,マイケルはあんなに人をないがしろにしないだろう」と思うかもしれないが,マイケルは本当は自分が相手よりもすぐれていて,自分のことのほうが大事だと思っているから人をないがしろにするのだ。自尊心が高いほど,とくにそれがナルシシズムにまでなってしまうと,問題はこじれるのである。だから学校でのいじめの問題の取り組みでは,自尊心を高めさせようとするときに,ナルシシズムを助長しないよう細心の注意を払う必要がある。いじめっ子に必要なのは他者を尊重する気持ちである。自分のことはすでに過剰なほど尊重している。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.39
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ナルシシズムの誤解

 ナルシシズムに関する多くの情報は,ナルシシストは本当は自尊心が低いという誤解がもとになっている。あるインターネットのサイトには,ナルシシストは「本当は自尊心が低く,不安に苛まれている。ナルシシストが何においても完璧な人間だという誇大な自己像をつくり出すのは,この不安感ゆえである」と書かれている。『ニューヨーク・タイムズ』紙の掲示板には,「ナルシシストに対応するには,『自我』の大きさが自尊心の高さに反比例することを覚えておくとよい。ナルシシストは心の奥深くでは非常に不安を感じ,自分に満足していない。このような問題から人はナルシシストになっていくのだ」という書き込みもあった。多くの人が,不安感がナルシシズムと自信の決定的な違いだと考えている。しかしこの考え方は,矛盾し合う2つの事柄を同時に認めるようなものだ。自分を褒めてよい気分になっても,不安を感じないかぎり,ナルシシズムではないということなのだから。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.36
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

ナルシシズム

 今日,フロイトなどの著作から,神話のナルキッソスの名がナルシシズムという人格特性を表わすのに使われている。ナルシシズムの主な特徴は,自分を非常に肯定的かつ過大にとらえることだ。ナルシシズム傾向の強い人,すなわち「ナルシシスト」は,社会的地位,容姿,知性,創造性の点で自分が人よりもすぐれていると思っている。ところが,事実はそうではない。客観的に見れば,ナルシシストはほかの人となんら変わりはない。それにもかかわらず,本人は自分が本質的に優秀だと信じている。自分は特別で,特権があって,肩を並べられる者のない人間だと思っているのだ。一方で,やさしさや思いやりに欠け,人と誠実に交わろうとしない。そこがたんに自尊心の高い人との大きな違いだ。自尊心が強くてもナルシシストでない人は人間関係を大切にするが,ナルシシストはそうではない。結果として非常に偏った人格になる。現実離れした誇大な自己像を描き,他者と深くかかわろうとしない人間なのである。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.27
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

特別な存在

 最近の文化的風潮で最も流行っているのは,子供に向かって彼らは特別だと言ってやることである。Tシャツやステッカー,車のシートにまで,「わたしは特別」と書かれている。あるときキースが娘の通う幼稚園の週間予定を見てみたところ,3歳児のクラスで毎朝「わたしは特別,わたしは特別,わたしを見て」と歌うことになっていた。キースはそんな歌よりも,「パパの言うことをきくと約束します,服を着せてくれるときにパパの顔を蹴るのをやめます」と歌うほうがいいと提案した。しかし先生が言うには,「わたしは特別」の歌は幼稚園の全国指導要綱に載っているのだという。そこでキースが子供たちはもう充分に自分をすばらしいと思っているし,自分を「特別」だと思う気持ちはナルシシズムにつながりかねないと説明すると,先生はようやくよくない歌だと納得してくれた。もちろん,一粒の雨くらいで濡れはしないように,歌一つで子供の手のつけられないナルシシストになるわけではない。だが,大雨ならずぶ濡れになってしまう。「特別」という言葉を子供に雨あられと浴びせれば,悪い影響をあたえかねないのだ。そして今日の文化は,子供も大人もずぶ濡れにするだけのナルシシズムの雨を降らせている。

ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.24
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)

無防備

 京都御所は設計の段階から,敵が攻めてくることなど一切考慮されていない。まったく無防備な御所に住みつづけた天皇も,まさか誰かが攻め込んでくるなど想像もされなかったことだろう。民衆の蜂起に怯えるような事態も起きたことがない。それは,京都御所の前身である平城京や藤原京,それ以前の都に置かれた天皇の御所もすべて同じであった。
 もしほんとうに天皇を暗殺しようと思ったら,薄くて高くもない塀1枚を越えれば,御殿は障子と襖で区切られているだけなので,あとは紙2枚程度で玉体(天皇の身体)まで辿り着けてしまう。それにもかかわらず誰も御所を攻めなかったのは,天皇を殺そうとする者がいなかったからである。国内で戦争が起きることはあっても,それは武家の権力闘争のための戦争であり,王朝を倒すための戦争はこれまで一度も起きたことがない。
 もっとも,天皇や皇族が攻撃の対象となり,また皇居の周辺で戦闘が行われた例はある。だが,それらは壬申の乱や保元の乱など皇位をめぐる皇室内の抗争や,承久の変など天皇が倒幕のために挙兵をした例,また蛤御門の変など君側の奸を打ち払うとの大義に基づいたものに限られ,王朝を倒すためのものではない。

竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.184-185

和製漢語

 政治,政策,市場,経済,理論,社会主義,指導,人民,共和国などはいずれも日本人が作った和製漢語である。すなわち,中国の国名である「中華人民共和国」は,「中華」を除くと,すべて和製ということになる。ただし,中国人が違和感なく和製漢語を受け入れたのは,明治期の日本の有識者たちが,中国古来の正しい造語法および構成方法を守って優れた漢語を作ったからである。

竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.111

箸文化

 しかも,現在日常の食事に箸を使っている国々の範囲は,中国,朝鮮半島,日本,ベトナムに限られるが,そのなかで箸のみで食事が完結する食事作法は日本だけのものである。たとえば朝鮮半島では飯と汁物はスプーンで食べるものであって,箸はおかずをつまむ程度でしか用いられない。また中国とベトナムでは,箸とスプーンを併用する。日本食は箸のみで食することを基本とし,現在の箸食文化圏のなかで,最も箸を重視していることが分かるだろう。もし箸食文化が中国から渡ってきたものなら,中国には日本よりも豊かな箸文化が残っていなければ辻褄が合わない。

竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.75-76

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