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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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件数が

 東京が美食都市であることは,ミシュランの星の数だけでなく,飲食店そのものの数からも窺える。都市にある飲食店の数は,パリが1万3000件,ニューヨークが2万5000件であるのに対し,東京は16万件に上る。

竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.38
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指紋と遺伝

 ゴルトンもまた,精神病院の医師の協力を得て,「最悪の白痴者たち(the worst idiots)」から多数の指紋を採取したが,「それらのいずれにも特筆すべき違いは見られなかった」。人種による違いについても,ゴルトンは「大きな期待」を抱いていたが,その期待は裏切られることになる。彼はウェールズ人,ユダヤ人,黒人,バスク人などから指紋を採取して慎重に調査したものの,「それらのいずれかに特有のパターンは見られない」と言わざるを得なかった。遺伝の研究に関しても目覚ましい成果を上げるには至らず,それが結局ゴルトンを指紋から遠ざけることになったのは,すでに見たとおりである。双子の間ですら(模様に似た特徴は見られるにせよ)異なると言われる指紋は,「万人不動」であるからこそ価値を持つのであり,このような指紋を遺伝の研究,すなわち親と子の間の共通の特性を見出そうとする研究に用いるのは,そもそも矛盾することだった。サイモン・A・コールの指摘するように,「すべての指紋は唯一無二なので,ある指紋が他の指紋からの遺伝であると判断するのは,容易なことではなかった」のである。やがて指紋の科学的研究は身元確認の分野に特化し,生物学においても遺伝はもっぱら遺伝子の問題となり始めたために,指紋を用いた遺伝や種差の研究は,コールによれば1920年代までにはマイナーなものとなっていく。古畑種基(1891-1975)を中心に20世紀半ばまで指紋による遺伝研究が続けられた日本は,例外的な例だと言えるのかもしれない。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.165-166

ゴルトンの興味は

 現場指紋に無頓着であったのはむしろ,指紋法の父とでも言うべき,ゴルトンの方だった。「手の圧力がガラスや金属のつるつるした表面に潜在的なイメージを残すことは良く知られている」。ゴルトンが1892年の著作『指紋』において現場指紋に言及するのは,フランスのルネ・フォルジョ(Rene Forgeot, 1865-1916)による潜在指紋の浮かび上がらせ方を紹介しながらこのように述べた前後の,わずか1頁強のことにすぎない。指紋の遺伝については,丸々1章を割いて,20頁以上にわたって詳述されているのとは対照的である。翌年彼は『不鮮明な指紋の解読』と題した小冊子を刊行するが,そこにおいて検討されているのも,過去に採取された不鮮明な指紋の解読の仕方であって,犯罪現場などに偶然残された指紋が問題とされていたわけではなかった。指紋の分類法について論じた1895年の『指紋論』を最後に,指紋についての積極的な発言を行なわなくなったゴルトンは,結局のところ現場指紋の問題に一度も本格的に取り組むことはなかったのである。ゴルトンにとって指紋とはあくまで,犯罪記録を分類するための指標であるか,さもなければ種や遺伝の研究をするための手掛かりであり,後者の利用法に可能性が乏しいことが分かると,指紋の研究はゴルトンにとって「片手間(spare time)」に行なうべきものにすぎなくなってしまう。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.141-142

現場で

 犯人が現場に指紋を残すことはあっても,計測値を残していくことはあり得ない。分類法としては死紋と互角に渡り合えるはずだった人体測定法も,現場指紋に対しては自らの負けを認めざるを得なかった。この欠点を補おうと,アルフォンスの弟ジョルジュ・ベルティヨンは,犯罪者が現場に残した衣服から,その犯罪者の身体のサイズを推測する方法についての医学博士論文を仕上げ,1892年に刊行する。しかし殺人犯が「殺した人間の服を着て,自分の服は近くに隠したり,死体に着せたりする」というようなケースが,ジョルジュの言うように「しばしば」発生するとは考え難く,結局のところはこの研究も,美しき兄弟愛を物語るエピソードの域を出るものではなかった。指紋法とベルティヨン法のどちらを導入すべきか検討していた国々にとって,現場指紋の価値は,その決定に少なからぬ影響を与えたはずである。日本においても平沼騏一郎は,1908年の指紋法導入の直前に行なった「累犯発見の方法に就いて」と題する講演において,指紋法が累犯者の発見以外にも「尚ほ大なる効用がある」としながら,強盗が現場に残したコップなどから採取した指紋から犯人を特定するといいう活用法を紹介している。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.130-131

ゴルトンの指紋研究

 この1888年の講演以来,指紋への関心を深めたゴルトンは,自らの運営するサウス・ケンジントンの人体測定研究所において,指紋のサンプルの収集を始める。1890年までにおよそ2500人から指紋の提供を受けたゴルトンは,試行錯誤を重ねた結果,「容易に認識できるいくつかの差異」に基づいて分類するのが,もっとも実用的なやり方であるとの結論に至る。こうしてゴルトンは,すべての指紋を「弓状紋(arches)」「蹄状紋(loops)」「渦状紋(whorls)」のいずれかに分類する方法を提案する。今日においても指紋の分類の基本であり続けているこの3分類をゴルトンが着想するにあたっては,1823年の論文において指紋を9つに分類していた,チェコの生理学者プルキンエ(Jan Evangelista Purkyne, 1787-1869)の見解に負うところが大きかったと考えられる。
 だがゴルトンはこの3分類法を,人体測定法に代わる身元確認の手段とするつもりはなく,むしろベルティヨン法の補助手段とすることを考えていたようである。1888年の講演でゴルトンが指摘したように,ベルティヨン法による分類では犯罪記録の集合に十分なばらつきが得られないとするなら,そこに指紋による分類を付け加えれば,身元の確認はより一層容易になるだろう。「A.ベルティヨンのそれのような手法の実際的な有効性は,指紋を考慮に入れることによって,さらに高まる余地があるのである」。しかしそれは逆に言えば,すべての犯罪記録を分類するためには,指紋だけでは不十分であるということを,ゴルトン自身も認めていたということでもある。1892年にゴルトンは,指紋を専門的に扱った世界初の書物となる『指紋(Finger Prints)』を刊行するが,この記念すべき書物においてもゴルトンは,ベルティヨン法が約2万人の集合にまで対処できるのに対し,指紋法が対処できるのはおよそ500人であるとするなど,控え目な態度を守っている。その上でゴルトンは,ベルティヨン法に指紋を組み合わせれば,2万×500すなわち1000万の集合にも対処できるようになるとして,指紋法を人体測定法の補助として用いるべきであるとする主張を,再び繰り返すのだ。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.119-120

特記事項で

 人体測定法が,あくまでカードや写真を分類するためのシステムであったことには,注意が必要である。つまり計測値によって到達できるのは,目当ての1枚を含むであろう複数枚のカードの集合までであり,たとえその集合がわずか数枚のカードにすぎないとしても,測定値だけでは,そのうちの1枚を特定することはできないのだ。ベルティヨンのシステムにおいて,最終的に身元を特定するのは,傷跡やほくろなどの場所や形を記した注記である。たとえば1884年7月31日に逮捕されたアシーユ・Dが,前年10月に逮捕されたエドゥアールと同一人物であることを,最終的に証明したのは,「右手親指載せ,斜め右向きに走った1.5センチの直線の傷跡」のような,計7ヶ所の特記事項だった。人体測定法による身元確認は,計測値によって対象を絞り込み,特記事項によって特定するという,二段階の工程を経る必要があるのである。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.112

分類指標としての身体

そもそも人体測定法は,分類の指標として優れているとは言えないのではないか。このような根本的な疑問をイギリスから投げかけてきたのが,フランシス・ゴールトン(Francis Galton, 1822-1911)だった。1888年5月,王立科学研究所において「人の身元確認と特徴記述」と題する講演を行なったゴルトンは,ベルティヨンによる人体測定法の原理を説明しながら,人体のサイズに基づく分類では,十分なばらつきが得られないと指摘する。たとえば足の大きい人間は,手の指も長いことが多いだろう。したがって足の大きさに関して,「大」「中」「小」の3分類のうちの「大」に分類された者の多くは,指の長さについても「大」に分類されることになり,計測箇所を増やしたとしても,結局は一部の分類ばかりに偏りが出ることになってしまう。つまり「身体の計測値は,相互に依存しすぎている」のである。では計測値以外に,個人を特定するのに適した特徴は存在するのだろうか。「微妙な点」にこそ,そうした特徴があるのだとするゴルトンが,「おそらくもっとも美しく,特徴的」だとして紹介するのが,「手のひらや足の裏に,きわめて複雑に,しかし規則的な秩序で並んでいる(中略)小さな溝」,すなわち指紋に他ならなかった。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.117-118

人体測定から身元判定

 1888年までにはフランスのみならずアメリカでも導入が始まっていたという,ベルティヨンの人体測定法が,どのような仕組みで累犯者の身元を特定するのかを,彼自身の説明によりながら,簡単に振り返っておくことにしよう。問題なのは犯罪の記録を記したカードが,アルファベット順に分類されているため,名前がわからなければ記録に到達できないということだった。そこで仮にパリの警察に保存されている1万枚の写真付きカードを,アルファベット順ではなく,人体測定法によって分類することにする。これらのカードから女性や子供の分を除くと,6万枚の成人男性のカードが残る。この6万枚の全体集合は,まず被写体の身長にしたがって,「大」「中」「小」の3つのカテゴリーに分類される。このときベルティヨンは,統計学者アドルフ・ケトレの知見などによりつつ,これらの3集合が正規分布の法則によりほぼ均等に3等分されるとする。したがって分割後にできるのは,およそ2万のカードからなる3つの集合である。
 続いてこれらの2万枚のカードを,それぞれ今度は頭骨の長さ(額から後頭部までの直線距離)によって,再び「大」「中」「小」に3等分すると,各集合は約6000のカードからなる部分集合へと分割される。それをさらに頭骨の幅,中指の長さ,足の大きさ,というふうに,項目を増やしてその都度3等分していけば,やがて全体はごく少数のカードからなる多数の集合へと分割されるというわけである。このようなやり方ですでにカードを分類された人間が,しばらくして再び逮捕されたとする。たとえこの人物が名前を偽ったとしても,再び身長や頭骨などを計測して,対応する集合の中を探してみれば,以前の逮捕時に作成されたカードと写真を,比較的容易に見つけだすことができるという理屈である。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.111-112

名乗らぬ身体

 19世紀フランスの警察は,自らの名を名乗らない身体の存在に悩まされ続けていた。それは前章で見たような,モルグに陳列された身元不明の遺体たちだけの問題ではなかった。身柄を拘束された容疑者が名を明かすのを拒めば,警察にとっては,物を言わぬ死体と事情はほとんど変わらなかった。パリの拘置所や刑務所は,そのような身元を偽る犯罪者たちの巣窟と化していたと言っても過言ではないだろう。警察はこうした状況に対処するために,「羊」と呼ばれる密偵を刑務所に送り込むこともあった。服役囚に扮した警察官の「羊」が,他の囚人仲間たちと親交を深めることにより,彼らの化けの皮を剥がして,本当の身元を突き詰めてやろうという算段であった。しかしこうした警察の苦肉の策も,「警戒心が強く,疑り深い」犯罪のプロたちの前では,さしたる成果を上げることができなかったようである。化けの皮を剥がされるのはむしろ「羊」たちの方であり,密偵が紛れ込んでいるとの情報が,早々と囚人たちの間で共有されてしまう始末だった。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.92

死者の表情

 遺体を生きた姿に近づけるのは,身元の確認をより確実に行うためである。ゴスの指摘するように,死者の表情は,時として「故人を知る者でもそれが誰であるのかを言うのを難しくして」しまう。確かにモルグにおいては,身元の判明する割合の高さが誇られる一方で,赤の他人の遺体が家族や知人だと誤認されるケースは後を絶たなかった。防腐処理を施されて公開された1840年のラ・ヴィレットの少年の遺体には,当初から複数の情報が寄せられる。なかでも少年を自分の息子だと認めた40歳前後の女性の場合は,親類や近隣の者もこの女性の証言を追認したため,真相は解明されたかに思われたものの,やがてそれも「すでに曖昧な記憶」による思い込みでしかなかったことが判明する。蝋型の製作された1876年のバラバラ殺人事件においても,モルグには連日のように身元にカンスル情報が寄せられ,日によっては10件近くにも達したが,そのすべてが「腐敗による死者の表情の変化に起因する」他人の空似だった。同様に他人の空似により,モルグの死体のなかに,子供のようにかわいがっていた甥っ子の姿を認める農夫や,5年間行方知れずだった夫の遺体を見つけたと思い込む女性のエピソードを伝えるエルネスト・シェルビュリエは,こうした勘違いが笑いごとで済むうちはよいものの,仮に誰かを死んだことにするために意図的に仕組まれたとしたら,事は極めて甚大であると指摘する。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.54-55

霊の身元

 だがそもそも,霊はなぜ身元を特定される必要があるのだろうか。無名のままの霊たちが,交霊会においてラップ音を鳴り響かせたりテーブルを浮遊させたりするだけでは,何が不足だというのだろうか。仮に身元が特定できたとしても,その身元が,名前から衣服さらには指紋に至るまで,生前と同じでなければならないのはなぜなのか。死んだはずの存在が,生きていた頃と何ひとつ変わらない容姿や身なりで現れたとすれば,その存在は果たして本当に死んでいると言えるのだろうか。あるいはこの場合,死とはいったい何を意味するのであろうか。

橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.33

検査の応用

 この検査は,その意図から,先づ民族差の研究に資せらるべきである,次には医学上の診断に参考せられねばならない。又,裁判所に於ける個性調査,殊に少年裁判所に於いて利用せられねばならない。又,学校に於いては,異常児童の研究に於いて,訓練上の参考資料として,又,職業指導の資料として,産業上に於いては,従業者選択の資料として,十分に利用せられるべきものである。上記第六章に,私の試みの一端を,未完成のまま記載したのは,これらの応用の方面を示す意に他ならない。而してかくの如き応用が数多くなされて,私の上記の結果が是正せられることは,私の最も冀ふ所である。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.74-75

ダウネーの業績

 ダウネーは,ゼームズの,意思に就いて発動的と抑厭的とを分ちたる考へと,ダヴエンポートの気質を分ちて,運動性又は活動的と,非運動性又は非動的とした考とに據りて,行動の種々相に表はれる所から,(1)要求に応じて出て来る所の神経エネルギーの量,並に(2)このエネルギーの運動領域に働らく傾向によりて,気質の種々の型を定めることができるとなし,それに従って,運動性又は発動性と,非運動性又は抑厭性とを分ち,気質はこの両極端の間の種々の段階に分たれるとしてゐる。随って,行動又は衝動の,一般水準,抑止の程度,及び,衝動と抑止とが,一個性に於いて,函数的関係を保てるその様子を査定すべき,1組の方法を考案せば,以って,或る個人の智能その他の本能的行動が,如何に発動するかを示す所の指数となすことを得る。而して人格のかかる方面を検査する方法に特に「意志気質検査」と名づけた所以は,ここに気質とは内在的なる,生来性素質に関する名であって,それに意思といふ文字を冠するは,検査せらるべき特殊な素質の性質を示し,特に情緒と区別したものである。而して性格とは内在的なる生来性のものと,外来の獲得的なものと合成せる一組織を指す。故にこの意志気質検査は,性格検査の一種ではあるけれども,その全部ではない。而して以上の意味に於ける意思気質は,性格の内容を決定するものではないけれども,その形式を定めるものといふべきである。同様に,又,智能の高低を定むべきものではないけれども,それを如何に行使するかを定めるものである。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.2-3

意志気質検査

 たしかに,人間の持つ性格には,今日まで発達して来た,種々の智能検査の方法では,測ることのできない,廣い,しかも重要な方面がある。人格のかかる方面は,人間の生活のあらゆる方面に於いて,極めて重大な役割を演じているにも拘らず,その研究は中々捗らない。近頃所謂性格検査と名けられて,種々の方法によって,かかる方面の特性を掴まうとする試みがなされてある。就中,ダウネーの意志気質検査は,今の所,成功したものの一であって,他の種々の所謂智能検査の窺知し得ない方面を見るものである。

桐原葆見 (1930). 意志気質検査法とその規準 山越工作所 pp.1-2

ネガティブ感情の推進力

 失敗時には当然,ネガティブ感情が,成功時にはポジティブ感情が伴っていようが,この結果はネガティブ感情が生起する方がやる気は高まることを暗示していよう。それゆえ,ネガティブ感情の強さこそが次の推進力としての働きをすると考えられる。このことは,多くの人々が日常的には内心,感じていることと思われる。
 しかし,このようなネガティブ感情がやる気を引き出すことをこれまで心理学ではほとんどとりあげていない。品格のあるアカデミックな研究の世界で世俗的で品がない,悔しいとかリベンジという感情を扱いにくかったことがあるのかもしれない。しかし,だとすれば学問の世界で真実を追求してきたことにはならない。動機づけ研究にこのようなネガティブ感情を組み入れていくことは必須であると考えられる。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.106-107

外発的動機づけのよさ

 さらにいえば,これまで内発的動機づけは人間にとって望ましいものとだけ位置づけられてきたが果たしてそうであるか考えてみる必要がある。日本の教育はこの内発的動機づけを高める努力を続けてきたにもかかわらず,結果的にはむしろ学力低下ということが問題になっている。他が軽視されるという現象も生じているように思われる。すなわち「好きなことをする」「楽しいことをする」という志向は逆に,「嫌いなことはしない」「忍耐のいることはしない」という傾向を生み出しているのではないだろうか。
 したがって,内発的動機づけだけが望ましいという立場に立つのではなく,外発的動機づけのよさにも注目していく必要があろう。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.90-91

内発だけでなく

 動機づけ研究が内発的な動機づけだけに傾斜すれば人間生活の別の多くの時間での行動の説明が置き去りにされることになる。現在の我々の生活には昔ほど強く強制され制限される時間はないものの,緩やかなかたちで制限された時間は少なくないように思われる。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.90

研究指導のやる気

 大学院生の指導についての教員のやる気は,担当大学院生の掲載論文の数や博士号の取得数からかなり客観的評価ができる。もちろん,その時の指導性の意欲や能力にもよるが,長年見ていれば,教員の研究指導のやる気の濃淡ははっきりする。大学院生の立場を考え,早く就職させてやりたいというような温情的な先生は自分の研究を犠牲にしてでも指導をする。一方,指導教員として学位論文のレベルを特に高い基準に固執するために,指導をしないというわけではないが,学位をほとんど出さないという人もいる。さらに,研究者の独立心を重視する人は手助けをした学位はあまり意味がないと考え,自分からは積極的に指導しようとしない。
 研究指導のやる気は教員の研究のやる気がそのまま反映されるものでもない。プロ野球などで現役時代優れた選手だったからといって必ずしも優れた監督とは限らないというような話を聞いたことがあるが,指導力や指導のやる気にもそのような面があるのかもしれない。だが,いうまでもなく,多くの指導生に学位を出す教員が大学側からみればやる気のある立派な先生ではある。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.23

外見からは見えにくい

 我々が学生の頃,まだ,自分の講義ノートを授業時間中,淡々と読んでいくだけの先生がいて授業への興味が湧かなかったが,その先生たちは筆者などよりもっと授業へのやる気が低かったのだろうか。しかし,一方で講義ノートに書かれたことがそのまま本として出版されたという話も聞いた。だとすれば,その時,学制であった我々は最新の知見を授業で聞いていたことになり,それを講義すべく先生が精魂を傾けておられたことになる。淡々と読んでいくという表現のしかたとは逆に,新しい知見を教授していこうという授業に対する並々ならぬやる気があったのかもしれない。やる気は外見からは妥当性のある判断ができないことがある。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.18

動機づけの方向

 もっといえば,これまでの心理学研究で扱われてきたやる気の内容,あるいは対象は勉学,仕事といった社会的に見て望ましいものが多かったが,やる気は果たしてそのようなものだけに作用しているのだろうか。筆者は40年以上前,「達成動機と達成行動」という題目の修士論文の口述試験で,指導教授から「大泥棒は達成動機が弱いといえるか」と質問を受けたが,社会的に望ましくない事柄に向かう動機づけもまた確かに存在するように思われる。ホロコーストで何百万人もの人を死に至らしめたヒットラーは一般的な意味でやる気が低い人だとは考えにくい。

速水敏彦 (2012). 感情的動機づけ理論の展開:やる気の素顔 ナカニシヤ出版 pp.5

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