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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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大量のフロイト

 祖母の家を解体してみたところ,床下から大量のフロイトが出てきた。
 問い返されると思うのであらかじめ繰り返しておけば,発見されたのはフロイトで,しかも大量に出現した。フロイトという名の何か他のものでしたなんて言い逃れることはしない。フロイトという姓のフロイトであって,名をジグムント。
 強面だ。

円城塔 (2010). Self-Reference ENGINE 早川書房 p.152 (文庫版)
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検証不可能なもの

科学ってのは実証主義だろ、と先輩は言う。
「でもな、人間には実証できないものの方が多いかもしれない。例えば、見届けるのに千年の時間がかかるような実験があったとして、その実験結果は予測することしか出来ない。実証は無理だ」
亀にやって貰うしかないなと言って先輩は笑う。僕は、笑わずに聞く。
「十万年に一回起きる自然現象は、観測出来ないぜ。きっちり十万年目に、正確に、必ず同じように起きる現象であっても、そりゃ人類にとっては今のところたった一回二回のことなんだし、偶然ということになるだろう。一万年だって大差ないぜ。一万年に一度起きる現象だって、あるかもしれないだろ」

京極夏彦 (2012). 幽談 メディアファクトリー pp.189

想像力?

「金星人やら蟹座系宇宙人やら、何でもいいんだけどさ、そういうのがな、俺達と同じ姿形で、同じ言葉喋って、飯喰って糞して寝てるという発想のどこに想像力が働いてんだよ。そんなアホ臭いことを考えて、それが想像力だとか言われると、何か幻滅するよな」
特撮に出て来る宇宙人も、SFの宇宙人も、形は変だけどそこは一緒なんだよと、先輩はなぜか悔しそうに言った。

京極夏彦 (2012). 幽談 メディアファクトリー pp.188

矛盾や不一致

 ここまで見てきたように,ジェームズの中には矛盾や不一致が多くある。ジェームズはその場その場で別のことを言っており,しかもそれをそのままにしているのである。「自分自身を説得することに熱中して,かれは,かれ自身の矛盾をお構いなしに,つぎつぎにこれらの解決を承認した」(Allport, 1943)。しかしながら,これらの矛盾には積極的な意味がある。オールポートは,ジェームズ自身も自分が体系的でないことを十分に承知していたと述べ,「人をあざむく見せかけの正確さに対して私が抱いている強い嫌悪のために,故意にそのままにしておいたのです」というジェームズの手紙を引用している。その背後には,両極端を避けてその中央の道を選ぼうとする彼の気質があるのかもしれない。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.179

ジェームズと心霊研究

 さて,『心理学原理』以後のジェームズと心理学を考えるうえでもう1つ検討しなければならないのは,心霊研究をめぐる問題である。ジェームズがハーヴァード大学の心理学実験室をミュンスターベルクに委ねたのは「精神病理学と心霊研究に集中するため」だという解釈があるくらいである。
 もちろん,ジェームズは決して素朴に心霊研究を信じて擁護していたわけではない。彼はあくまで科学者としての視点で心霊現象を研究したのであって,心霊現象と呼ばれるものを頭から間違いであると決めつけるのでもなく,逆に盲目的に信じ込むのでもなく,「科学的な方法で検証し」,「科学の囲いの中に持ち込もうとした」のである。たとえば,『心理学要論』の「知覚」の章に,偽の霊媒が執り行なう「詐欺まがいの『降霊術の会』を研究すれば,知覚の心理にとっては最も貴重な資料を提供するだろう」とあるように,心霊現象を冷静な目で見ていた。一方で,「自我」の章では,自我の異常な変化として,異常妄想や転換的自我と並んで霊媒と憑依が取り上げられており,「このような恍惚現象のまじめな研究が,心理学にとって最も必要なことの1つであることを私は確信しており,また私の個人的告白が,読者の1人でも2人でもよいから,自称『科学者』が通常開拓することを拒んでいる領域に導き入れることができるかも知れないと考える」と述べている。また,「自然科学としての心理学」では,「近年心理学に入って来た新生命の殆ど全部が,生物学者,医者,心霊学研究者から来ている」と,すでに心霊研究が心理学に貢献しているとする。ジェームズは,このような心霊研究の研究が人間性の理解に役立つと期待していたのである。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.161-162

日米の違い

 さて,日本の教科書では年を追うごとにジェームズへの言及が少なくなるのに対して,アメリカの教科書では多くなるという傾向は,心理学史に関する将を合わせた教科書全体でも見られる(表3-1)。日本では,1950年代と1960年代にはすべての教科書でジェームズが言及されていたが,2000年代には6割ほどになった。日本の一般心理学教科書とアメリカの教科書とでは分量面で相当の差があり,かなりコンパクトに記述しなければならない日本の教科書では,19世紀のジェームズにまでさかのぼって書くことは不可能であろう。逆にアメリカの教科書では,1950から60年代の教科書のうち2割ではアメリカ心理学の祖とされるジェームズへの言及がなかったが,1990年以降はすべての教科書で言及されるようになった。1990年の『心理学原理』100年を機に数多くの研究が発表されたことも関係あるだろう。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.68-69

参照先の違い

 日米で差が見られたキーワードとしては,「主我と客我」がある。日本の教科書では時折言及されるが,アメリカの教科書ではまったく言及されず,自我理論について触れる場合は,「自我の構成要素」(物質的自我,社会的自我,精神的自我)ばかりであった。この違いは,『心理学原理』と『心理学要論』の「自我」の章の記述の違いに一致する。『心理学要論』の自我の章は客我と主我の定義から始まるが,これは新たに追加された部分で,『心理学原理』には出てこない。このため,日本においてもごく初期(『心理学要論』出版前後)のジェームズ心理学の紹介では,アメリカの心理学教科書同様,自我の構成要素が取り上げられており,主我と客我は出てこない(元良, 1891; ゼームス氏自我論, 1893)。したがって,日本の心理学教科書で自我に関してジェームズに言及する場合,『心理学要論』が参照され,そのことが日米の心理学教科書におけるジェームズの自我理論に関する記述の違いに影響していると推測される。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.63-66.

昔のハーバード

 ところで,ハーヴァード大学といっても,当時は今のように制度化されておらず,そもそも入学試験すらなかった。入学以前の学歴も問われず,ある少年が18歳になっていて,指導を受けたいと思う教授の許可を得られれば入学することができた。在籍期間もさまざまで,18か月から30か月というのが普通であった。学位も,学生の準備が十分であると教授が認めれば,試験を受けて取得することができた。共通のカリキュラムもなく,ただ指導教授の指導を受けるだけであった。その後,1869年にジェームズの最初の師であるエリオットがハーヴァード大学の学長になり,カリキュラムを整備し,入試制度を作ったのである。自由選択科目を導入するなどしたエリオットは,学生から古典を奪った「今世紀最大の教育上の犯罪者」とまで呼ばれるほどの改革を行なった。彼は「伝統的なカレッジの在り方に根本的な変革を加え」,その影響は他のカレッジにまで及んだ(潮木, 1993)。後にジェームズは,エリオットに招聘されてハーヴァードで生理学を教えるようになるが,それはエリオットが導入した選択科目としてであった。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.13

ラーメン哲学本

 その前に“ラーメン哲学”本というジャンルについて記しておこう。ラーメンで成功した人々が書くのが,ラーメン哲学本である。成功哲学本とは,松下幸之助やスティーブ・ジョブズのような偉大な経営者の生い立ちや人生,ビジネスの哲学について書かれた本のジャンルを指すが,ラーメン哲学本とは,そのラーメン業界版である。ラーメン業界で成功した人々について,驚くほどたくさん本が出ている。すべて集めれば,書店の1つのコーナーを占めるくらいの数にはなるだろう。
 ラーメン哲学本には,ラーメン屋を開業する人のための,原価率,客単価,人件費,回転効率といった経営にまつわるノウハウが書かれていると思いきや,まったくそうではない。多くの本に書かれているのは,生い立ち(悪かった過去とか),ラーメンとの出会い,成功までの物語,ラーメンへのこだわり,弟子の扱いといったことである。大物になると,自叙伝だけでも複数冊刊行されている。
 例えば,ラーメン界最大の成功者の一人,「博多一風堂」の河原成美は,複数の自叙伝を書いている。その中では若き日の犯罪歴(強盗で服役)などを綴り,同時に,臨死体験や内観療法(心理療法の一種)体験についても書いている。
 自分の腕一本で勝負をしなくてはならない世界であり,成功できる人間はごく一握り。そんな,生き馬の目を抜く世界で生きる人間が,宗教やオカルト色の強い自己啓発的な成功哲学にはまるのは珍しいことではないが,他の飲食業に比べ,ラーメンはとりわけそういった傾向が強いようだ。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.242-243

ラーメンとオウム

 ラーメンを利用したプロパガンダの目的が,東京へのオリンピックの招致であるというのはただ単に滑稽な話に過ぎない。だが,ラーメンの人気がそれ以外のものと結びつくこともある。例えば,新興宗教である。
 1990年代に存在した「うまかろう安かろう亭」は,オウム真理教(当時)が活動資金集めのために経営していたフランチャイズのラーメンチェーンである。当時のラーメンブームに乗り,オウムとの関係を隠して都内を中心に約10店舗まで拡大していた。
 1995年3月。地下鉄サリン事件という未曾有の大規模無差別テロ事件が発生し,まもなくしてそれがオウム真理教の犯行であることが周知の事実になった。その頃には「うまかろう安かろう亭」が,オウム真理教と関係があり,店員がオウム信者であることも周知の事実となっていた。こうした状況に店側も開き直り,オウム真理教のテーマ曲などを流すようになり,当時“オウマー”と呼ばれた,オウム真理教の悪趣味を笑うような“ウォッチャー”たちが冷やかしで店に訪れたりしていたものだった。
 このラーメンチェーンを運営していたのは「マハーポーシャ」という南青山に本拠を置くパソコン販売を本業としたオウム真理教の関連企業だった。「マハーポーシャ」のパソコンショップは秋葉原などに店舗を持ち,台湾製の安い部品などを使った激安パソコンを販売していた。店員は「うまかろう安かろう亭」同様,オウム信者たちでありサリンプラントのあった山梨県の上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれた施設で商品のパソコンの組み立てが行われていたという。
 オウム真理教は,原始仏教をベースに,ヨガ,超常体験,オカルト,反権力,そしてアニメなどのサブカルチャーの要素を教団の活動の中身に取り込んでいった。そして,そんな旧来の宗教とは違った要素を持つ教団の在り方に興味を抱いた多くの若者を取り込んでいったのだ。オウム真理教が,若い信者を使っての信者・資金集めの手段として,パソコンの組み立て販売とラーメン屋の経営を選んだのも,こうした若者世代取り込みのための戦略だったのだろう。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.227-228

1990年代から

 すでに述べたように,黒や紺色のTシャツに手書き文字で店名が描かれ,頭にはタオルかバンダナというのが,いまどきのラーメン屋の店員のファッションである。多くの店には,手書きの相田みつを風ヘタウマ文字で,意気込み溢れた人生訓——<ラーメンポエム>——が書かれている。そんな現代のラーメン屋の原点は,1990年代後半から急速に定着していく。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.214-215

作務衣系ラーメン店

 こうした“作務衣系”がラーメン屋を代表するスタイルとして完全定着を果たすのは,1990年代末のことだ。そしてそのイメージは,おそらくは陶芸家に代表される日本の伝統工芸職人の出で立ちを厳選としている。第2章では,生産技術で勝るアメリカに,“職人の匠”だけで戦争を挑み大敗を喫した日本が,戦後はものづくりで復興を遂げた経緯を述べただが,90年代のラーメンの世界は,再びものづくりのロールモデルとして“職人の匠”を重視する伝統職人を選んだのである。
 ここで一応,触れておくが,実際の陶芸家は作務衣を着ない。少なくとも,人間国宝クラスの陶芸家が着ている写真などを見た記憶はない。作務衣と陶芸の間にはなんの関係もないからだ。そもそも作務衣は,禅宗の僧侶が日常的な業務=作務のときに着る作業着であるが,いまどきの作務衣とされている着物は,それとも違い,戦後に甚平とモンペをミックスしたものである。歴史はきわめて浅く,日本の伝統ともまったく関係がない。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.208-209

TVに合う現実

 テレビというメディアの存在,そのビジネスによって,現実が書き換えられていく。これはラーメンに限らず,1990年代以降,さまざまなところで起きている現象である。その代表がスポーツイベントである。東京オリンピックの時代から,人気のテレビコンテンツの一角だったバレーボールは,日本チームが世界で勝てなくなっていった90年代を機に,大きくテレビコンテンツとしての最適化が図られていく。
 まずは,ルールがテレビ的な理由で改正される。ラリーポイント制の導入により,試合時間が短縮されたのだ。会場では,日本チームを応援するDJが投入され,マイクを使ったワンサイドだけを応援するかけ声が響く。そして,開催地は,サッカーのワールドカップのように毎回変わるのではなく,毎回,日本開催となった。これは,国際バレーボール連盟が決めたことである。もはや,バレーボールは日本のテレビ局が独占するスポーツになっている。数字の取れる日本戦は,ゴールデンタームに放送され,強豪国同士が当たる準決勝や決勝は,深夜にでも放送があればいいほうといった具合である。スポーツにおける公平性は価値を失い,商業的な価値が優先されるようになったのだ。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.201-202

CMとラーメン

 多くのラーメン本の著者,麺文化の研究者が,「ラーメン」の語源の推理を試みているが,実は語源に定説はない。しかし,それまで「支那そば」「中華そば」と呼ばれることが多かったこの麺料理の一般名称が,「ラーメン」に切り替わり定着したのは,「チキンラーメン」のテレビCMによる影響だった。このことはすでに異論なき定説として定着している。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.96

コーンフレークと終末思想

 日本でもおなじみのケロッグ社のコーンフレークの誕生は,終末論的な新興宗教と結びついている。コーンフレークの生みの親の1人,ジョン・ハーベイ・ケロッグ博士は,セブンスデー・アドベンティスト派伝道教会が運営する健康改善療養所の所長を務めていた。この療養所とは,富裕層(この療養所には,ヘンリー・フォードI世もいた)向けの食餌療養による健康法を提供するという目的のものだった。ケロッグ博士が力を入れていた研究は,禁欲をよしとするこの一派の宗教的な理想を目指し,性欲を抑制するための食品を科学的に開発しようというものである。
 ケロッグ博士は,女性にはそもそも性的感情はないと理解しており,男性が持つ性欲も,食品によって後天的にもたらされると思っていたようだ。ケロッグ博士には妻がいたが,生涯にわたり一切の性交渉を持たなかった。そして,博士は,自分はそのことにより妻に感謝されていると勘違いすらしていた。
 ケロッグ博士には弟がいた。弟のウィリアムは,兄の推薦で,この療養所で事務長を務めていた。兄のケロッグ博士は,穀物をパリパリのフレークに加工する研究を行っていた。全粒食品は性欲抑制に効果があるとして,療養所のメニューとして研究を始めたのがきっかけだった。
 1906年,水に浸した全粒のとうもろこしを焼き上げることで,美味しく食べられるコーンフレークの開発に成功したケロッグ博士は,経営の才能のある弟と一緒にケロッグ社を創設する。だが,このコーンフレークの商品化の段階に至って,2人は決裂してしまう。商品をヒットさせるために,コーンフレークに砂糖をまぶしたことが,兄のケロッグ博士の逆鱗に触れたのである。なぜなら,砂糖は性欲を促進すると博士は考えていたからだ。
 だが,弟は兄の反対を押し切ってコーンフレークを商品化した。ケロッグ社のコーンフレークは大ヒットし,弟はすぐさま大規模な工場をつくり,量産体制を整えた。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.89-91

茹でたじゃがいもよりまし

 ハーシーは,ミルク入りチョコレートの大量生産を,フォードがベルトコンベアーを自動車工場に導入するよりも早くに工場に導入した。こうした量産化の技術をもって,第二次世界大戦時には,軍からの要請を受け,兵食用の携帯食料としてのチョコレートを大量に生産している。兵食用のチョコレートは,あくまで非常食として高温に耐えられることが要求され,日常的に食べたくなるようなものではなく,味に関してはむしろ美味しくないことが要求された。軍の要求したレベルは,「茹でたジャガイモよりややましな程度」だったという。
 戦後の日本の子どもたちが進駐軍の兵隊たちに「ギブ・ミー・チョコレート」とねだった話は有名だが,戦争末期につくられた軍用チョコレートは,味の面などに改良が加えられており,一般向けのお菓子のチョコレートに近い味だったようだ。「茹でたジャガイモよりややましな程度」ではなかったのだ。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.88

愛国マーケティング

 2010年11月に発売された三洋電機のホームベーカリーの「GOPAN」は,米からパンをつくることができる製品であり,発売以降ずっと品薄状態で,1年経ってもいまだ入手困難が続く大ヒット商品だ。この商品を購入して満足したユーザーたちは,単に米からつくったパンの美味しさだけに満足しているわけではない。三洋電機に寄せられた商品の購買理由や反響の多くが,食料自給率,米の消費拡大に貢献したいからといった感情からくる購入だったという。つまり,「GOPAN」のヒットは愛国の感情とワンセットなのである。実際,これを発売した三洋電機も,商品の性能やコストを訴求するだけではなく,「自給率」「米消費」など,商品が持つ社会的役割を積極的に広報してきた。
 「GOPAN」のヒットを後押ししたのは,日本人が共有する食料自給率低下への危機感という感情なのだ。愛国マーケティングとでも言ったところだろうか。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.47

絶滅寸前

 かつて日本で,スパゲティの定番といえばナポリタンかミートソースだった。昨今では事情は変わり,ナポリタンもミートソースも定番ではなくなった。現代で定番と言えば,ペペロンチーノやボンゴレだろうか。また,スパゲティという呼び名も,元来はある特定の形状の麺を指す名称であり,スパゲティの呼び名から,徐々にパスタという麺全体を指す語が使われるようになっていく。その移行期は,1980年代末のバブル経済期から,90年代前半にかけてのことである。
 フレンチに比べて,カジュアルで値段もリーズナブルなレストランとして,イタリアンが急増したのもバブル経済崩壊後のことである。そうしたイタリア料理のお店(当時“イタ飯屋”と呼ばれた)には,ミートソースやナポリタンという名称の料理はメニューに存在しない。前者はボロネーゼと呼び変えられ,後者にあたる料理は存在しない。いまでもナポリタンが残っているのは,学生街の喫茶店や,街の洋食屋さん,軽食を出すスナックなどである。ただし,これらの店も時代の変化とともに減りつつある。スパゲティナポリタンは絶滅寸前の料理なのだ。

速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.27

ゴーマン・レポート

 「ゴーマン・レポート」とは,カリフォルニア州立大学元教授,J.ゴーマン氏が作った大学ランキングのことである。最新の1998年版ではアメリカを除く総合ランキングで東京大は48位,法学分野で38位とある。しかし,その根拠がさっぱりわからない。教員や学生の質,財務状態,図書館の質などに基づくランキングと著者は記すが,評価基準や得点の算出方法が明示されていない。なんら合理性がなく,トンデモ本と断言していい。
 だが,情けないことに「ゴーマン・レポート」は国からも信頼され,日本の「産業育成」「教育重点化」の格好の資料となっている。東大48位について,経済産業省は自ら作成した「今後の技術革新新システムの重要課題」(04年)で引用し,文部科学省も国会の質疑で「謙虚にそういう点は受けとめる必要がある」と答えている(03年)。
 外国からの評価ならばトンデモ本まで気にしてしまう,日本の悪いクセである。

小林哲夫 (2007). ニッポンの大学 講談社 p.17

後悔と自責

 後悔と自責は,2つの心の働きから生じるものです。
 ひとつは,故人の死に責任がなくても,死の原因を“過度に”または“誤って”自分のせいにする心の働きによって生じます。
 死という衝撃的な出来事に出くわすと,私たちは,「なぜ死んだのか?」「どうして死ななければならなかったのか?」と疑問をもち,その原因を探ろうとします。原因を見つけて,衝撃的な出来事を心に納めようとするのです。原因を探るのと同時に,その原因の責任が誰かにあるはずだと“犯人探し”をします。事故死の遺族が,原因の究明を求めたり,加害者の責任を追及することは当然の行為ですが,その“犯人”が自分自身であると思うとき,「自分があれをしていれば(していなければ),あれは起こらなかったのに」と後悔が生じるのです。

相川 充 (2003). 愛する人の死,そして癒されるまで:妻に先立たれた心理学者の“悲嘆”と“癒し” 大和出版 pp.57

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