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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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文化の所産

 実際のところ,論理に基づく真に明示的な推論はおそらく,進化によって得られるものではないのだろう。人間が形式論理を操るという意味において合理的であると言えるとするなら,それは私たちに生まれつきそのような能力が備わっているからではなく,私たちが推論規則を学べる(いったん学べばその真偽を認識できる)ほどに賢明であるからに過ぎない。正常な人間はすべて言語を獲得するが,形式論理を使って信念を形成し,あるいは信念を検討する能力は,進化というより文化の所産であるように思われる。進化によって可能にはなるが,必ず保証されているわけでもなさそうなのである。形式的な推論があると仮定しての話だが,それは主として文字を持つ文化に見受けられ,文字を持たない文化で見つけることは難しい。ロシアの心理学者アレクサンドル・ルリアは,1930年代末に中央アジアの山岳地帯に赴き,原住民に次のような三段論法をどう思うかと尋ねた。「シベリアのある町では,クマはみんな白い。あなたの隣人がその町でクマを見つけた。そのクマは何色か」。答えた人はまるで理解を示さなかった。典型的な答えはこうだ。「なんで私に分かる?どうして先生そいつに直接訊かないんだい?」20世紀にさらに行われた研究によってこの結果は再確認された。無文字社会の人びとはおおむね,三段論法に関する質問に対して理解できない様子だった。このことからは,こうした社会の人びとが形式論理を学べないということは言えない——一般的には,少なくとも子どもなら可能だ——が,抽象的な論理の獲得が言語習得のような自然で自動的な現象でないことは言える。したがって,逆にこうも言えることになる——信念について推論するための道具である形式論理は,進化によって獲得されるのと同時に学習によって身につけるものであり,(人間は生まれつき理性的であるという考えを信奉する人が考えるように)生得の能力ではないのである。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.93-94
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「何でも喜んで信じる」

 生物に信念の汚染,確証バイアス,動機づけられた推論といった傾向をすべて兼ね備えさせてやれば,そう,ほとんど何でも喜んで信じ込む種が生まれる。歴史を振り返れば,人間は,(それを否定する証拠にもかかわらず)平らな地球,幽霊,魔女,占星術,動物の霊,自分を鞭打つことや瀉血の効用などを信じてきた。幸いなことに,これらの信念の多くは現在では消滅しているが,一部の人はいまだに額に汗して貯めた金を霊能者のお告げや降霊会につぎ込む。私自身,はしごの下を歩くのを躊躇うこともあることを白状しておこう(訳注 はしごの下を歩くと死ぬという古い言い伝えがある)。政治に目を向ければ,2003年のイラク侵攻の18ヵ月後,ジョージ・W・ブッシュに1票を投じた人びとの58パーセントは,イラクに大量破壊兵器があるとまだ信じていた。これを否定する証拠があったにもかかわらず,である。
 そして,ブッシュ本人の逸話がある。彼は全知全能の神と個人的に直に話をすることができると信じていると伝えられている。そのこと自体は選挙に当選するためには有利に働いた。アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチセンターが2007年2月に発表した調査によると,アメリカ人の63パーセントは神を信じない人物には投票しないと答えたという。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.85

動機づけられた推論

 自分が信じないものより信じたいもの(信じようという動機づけがなされているもの)をやすやすと認める傾向は,「動機づけられた推論」として知られる。確証バイアスの逆パターンとも言える。確証バイアスが自分の信念に一致するデータに無意識のうちに目が行く傾向であるのに対し,「動機づけられた推論」は,自分が信じる考えより信じない考えのほうに目くじらを立ててチェックを入れる,逆の傾向だ。クンダが行った実験を見てみよう。彼は男女半々の被験者にカフェインが女性によくないとする記事を読んでもらった。私たちの信念——そして推論過程——は動機づけの有無によって汚染されるという考えどおり,カフェイン入りの飲み物をたくさん飲む女性は,そうした飲み物をそれほど飲まない女性に比べて,記事に強い疑念を示した。その一方で,自分にはかかわりがないと感じた男性には,そうした傾向は見られなかった。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.83

一致する証拠へ

 もちろん,何かを十分に吟味するということは,それに賛成と反対の両方の立場から論理的に検討することを意味する。しかし,意識して他の選択肢——自然と頭に浮かぶものではない——を検討するのでもない限り,私たちは正しいとされる説と矛盾する証拠よりは,一致する証拠を思い出すものである。自分の信念と矛盾しない情報のほうが鮮明に思い出されるため,たとえその信念が誤っていたとしても捨て去ることは非常に難しくなる。
 むろん,同じことが科学者にも当てはまる。科学の目的はバランスよく証拠に取り組むことであるが,科学者とて人の子である。どうしても自分の説を裏づける証拠に目が行く。過去の科学文献を何でもいいから読んでみると,天才ばかりがいたわけではなく,現代の視点から見ると奇人としか思えぬような人物も多い。地球が平らであると信じていた人しかり,錬金術師しかりである。歴史はそのような虚構を信じた科学者には優しくない。しかし真の現実主義者なら,文脈依存記憶にこれほど支配された種であれば,こうしたことは大いにあり得ると考えるであろう。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.81

ジョストによれば

 危機感が大きければ大きいほど,私たちは見慣れたものにしがみつく。家庭料理が食べたくなるときのことを考えてみるといい。ほかの条件が同じであれば,危機感にさらされている人は自分が属する集団,大義,価値観に普段にも増してこだわる。実験によると,人びとに自分の死について考えるように促すと(「あなたが実際に死んだとき自分はどうなると思うか,できるだけ具体的に書いてください」というふうに),自分と宗教や人種を同じくする人にはいつもより優しくなるが,外部の人に対してはより否定的になる。死の恐怖に直面すると,政治的あるいは宗教的信念も極端になる。自分のいずれは死ぬと意識させられた愛国的アメリカ人は,星条旗をふるいの代用に使うことに対して「対照群の愛国的なアメリカ人に比べて」より高い抵抗感を示した。自分の死について考えるように促された敬虔なキリスト教徒は,十字架をハンマーとして使うことに対してより強い反感を示した(慈善団体のみなさんは,覚えておくといい。私たちは自分の死について考えさせられた後は財布の紐を緩めがちになるのだ)。別の研究では,危機的な状況下では,人はマイノリティー集団に対してより否定的になるとわかった。不思議なことに,このことはマジョリティーの人びとだけでなく,マイノリティーの人びと自身についても当てはまる。
 さらに言えば,人を自己の利益を大きく損なうような政策に賛同させる,あるいは少なくとも承認させることも可能だ。心理学者であるジョン・ジョストの弁によれば,「封建主義,十字軍,奴隷制,共産主義,アパルトヘイト,タリバンのもとで生きた人びとの多くは,自国の体制は不完全だが,道徳的には認められるものであり,[ときには]他の選択肢よりもよいとすら信じていた」。要するに,心の汚染はきわめて深刻な問題なのである。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.75-76

周辺情報による影響

 アンカリングは心理学関連の文献ではかなり話題になったが,人の信念や判断がときとして無関係な周りの情報によって汚染される唯一の例ではない。もう1つ別の例を考えてみよう。この実験では,被験者は上下の歯でペンを軽くくわえ,唇に触れさせないようにと指示される。すると口をすぼめた別の被験者より漫画を楽しいと評価した。どうしてなのだろう。鏡に向かって次のことを試してみると答えのヒントが得られるかもしれない。歯でペンを軽くくわえ,唇に触れさせないようにしてみよう。さて,鏡の中のあなたの唇の形を見てほしい。唇の両端が笑っているように上がっているのがわかるだろう。文脈に依存する記憶の力によって,唇の両端が上がっていると,反射的に楽しくなると了解できる。
 同様の実験では,被験者は利き手ではない方の手(右利きの人の場合は左手)を使って,有名人の名前を“好き,嫌い,どちらでもない”に分類して書くように指示された。この間,次にどちらかのことを同時にするように求められた。(1)利き手を手のひらを下にむけてテーブルの表面に押しつける。(2)利き手を手の平を上に向けてテーブルの裏面に押しつける。手の平を上に向けた被験者は,嫌いな人より好きな人の名前をたくさん書いた。一方で,手の平を下に向けた被験者は,嫌いな人の名前をたくさん書いた。なぜだろう?手の平を上に向けた人は腕を曲げた肯定的な姿勢,すなわち心理学で言う接近/回避行動の「接近」にあたる姿勢を取っており,手の平を下に向けた人は腕を伸長した「回避」の姿勢を取っているからである。各種のデータは,こうした微妙な違いでさえ,私たちの記憶,ひいては信念を日常的に変えていることを示している。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.72

焦点を絞ることによる錯覚

 人の注意を特定の情報に向けさせることでその人をたやすく操作できるというのが,「焦点を絞ることによる錯覚」と呼ばれる現象だ。ある単純だが示唆に富む研究では,大学生が2つの質問に答えるように指示された。その質問とは,「あなたは人生一般にどのくらい満足していますか」と「先月何度デートしましたか」だった。一方の学生グループは,この順番で質問された。もう一方の学生グループは順序を入れ替えた形で質問を受けた。つまり,2番目の質問が先で,1番目の質問が後だった。幸せに関する質問を先に訊かれたグループでは,2つの質問に対する学生の答えにほとんど相関は見られず,あまりデートしていなくとも幸せだと答えた学生もいれば,頻繁にデートしていても悲しい思いをしていると答えた学生もいた。ところが,質問の順番を反対にすると,学生の注意は恋愛に集中した。突然,恋愛と幸福を切り離して考えられなくなったのである。頻繁にデートしている学生は幸せと感じ,あまりデートしていない学生は不幸せと感じた。違いは一目瞭然だ。デートの質問を先にされた学生の判断は,デートの頻度と強い相関を示した(幸福感の質問を先にされた学生の場合はそうではなかった)。この結果にあなたは驚かないかもしれない。が,じつは驚くべきなのだ。というのも,このことは私たちの思い込みや信念が,本当はひどく何かの影響を受けやすいことを如実に示しているからである。私たちの自己評価すら,その時点で何に心の焦点が合わさっているかに影響されるのだ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.67-68

いいかげんな

 討議や評価,あるいは内省の対象となるような,明確に表現された信念を持つ能力は,言語と同様に進化によって比較的最近に得られたものである。この能力はヒトには普遍的に見られるが,他の大半の種では珍しいか,まったく存在しない。そして,比較的最近に獲得されたものゆえ,欠陥の除去が十分に行われていることはまずあり得ないと考えていい。「絶対的な真理」を見つけて符号化する客観的な機械とは違って,ヒトが何かを信じる能力は行きあたりばったりで,進化のつけた爪跡も生々しく,情動や気分,欲望,目的,単純な利己主義に染まっていて,前章で紹介した記憶の奇癖の影響を驚くほど受けやすい。さらに言えば,私たちはきわめて騙されやすい生き物だが,それは巧妙なデザインの結果そうなったというよりは,どうやら進化が手軽な解決策を採ったからであるらしい。以上をまとめると,私たちのものを信じる能力を支えるシステムは強力ではあるけれども,迷信や他からの働きかけ,欺瞞に対して脆弱にできている。これはけっして看過できない状況である。私たちがものを信じること,あるいはそういった信念を評価するために欠陥のある神経系に頼らざるを得ないという事情によって,家庭内の反目や宗教戦争,果ては戦争までが引き起こされ得るからだ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.62-63

最適化されたトレードオフ

 結論として,私たちの推論能力が,迅速とはいえ信頼性の低い文脈依存記憶に頼っている現状は,最適化されたトレードオフとは言いがたい。しかし歴史とはとかくそうしたものだ。脳の中にある推論のための回路が,歪曲された記憶で我慢せざるを得ないのは,進化がそれしか与えてくれなかったからだ。ヒトに固有の複雑な思考に適した,真に信頼できる記憶を得るには,進化は最初からやり直さねばならないだろう。そして,進化がいかに強力でエレガントなものであろうとも,そればかりはできない相談なのである。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.60

いつ起きたか

 さらにもう1つ,ヒトの記憶に備わった別の奇癖について考えてみよう。出来事の内容に関する私たちの記憶の詳細さに比べて,それがいつ起きたかに関する記憶はいかにも貧弱である。コンピュータやビデオテープは出来事を秒単位(特定の映画を記録した日時や特定のファイルを変更した日時)まで特定できるが,私たちは何かが起きた年がわかればまだましなほうである。何ヵ月もメディアをにぎわしたニュースですらそうだ。私と同世代の人なら数年前に,2人のオリンピックスケーターにかかわる,いささか低俗なある事件に心を奪われたはずだ。一方のスケーターの元夫がチンピラを雇い入れ,もう一方のスケーターの膝を打ち据えさせた。メダルを奪われないためだった。こうした事件はメディアの格好の餌食で,ほぼ6ヵ月にわたってメディアはこの話題でもちきりだった。ところが現在,平均的な記憶力を持った人にこの事件がいつ起きたかを尋ねたら,その年号を思い出すのすら難しいだろう。何月かに至っては論外だ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.51

ヒトの場合は

 大半の種にとっては,たいていの場合,物事の詳細まで覚えずとも,あらましを覚えていれば用は足りる。ビーバーなら,ダムのつくり方を知っていなければならないが,個々の枝がどこにあるかまで覚える必要はない。進化し続ける大半の種にとって,文脈に依存する方式の記憶の仕組みを持つことの利益とその代償は,うまく釣り合いが取れていた。大筋を速く覚える一方で,細部はゆっくりと覚える。これで問題が生じないのなら,それで良かったのだ。
 しかし,ヒトの場合は,それではすまされない。社会や状況の変化によって,時に私たちには父祖には要求されなかったような精度が求められる。法廷では,誰かが罪を犯したと判明するだけでは不十分だ。どの人がその罪を犯したのかを明らかにせねばならない。ところが,それは平均的な人の記憶力を越えている。しかし,DNA鑑定が出現する最近まで,証人による証言は絶対的な証拠とされていた。いかにも正直そうな証人が自信たっぷりに証言すると,陪審は証人が真実を述べていると判断する。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.44-45

郵便番号記憶と文脈依存記憶

 コンピュータの記憶がうまく機能するのは,プログラマが「大きな地図」に従って情報を保持するからだ。それぞれの情報には,コンピュータのデータバンク内で「アドレス」と呼ばれる特定の位置が割り当てられる。この方式を「郵便番号記憶」と呼ぼう。ある情報を検索するには,コンピュータは該当するアドレスにアクセスするだけでいい(64メガバイトのメモリカードは,およそ6400万個のアドレスを持ち,各アドレスは8ビットから成る「ワード」を1個保存する)。
 郵便番号記憶は簡単であると同時に強力でもある。正しく使えば,コンピュータはいかなる情報をもほぼ完璧に保存できる。またプログラマはどの情報でも簡単に更新できる。友人が旧姓のレイチェル・Kに戻ったら,再びレイチェル・Cと呼ぶことはない。郵便番号記憶が,現代コンピュータのほぼすべてのカギを握ると言っても過言ではないだろう。
 しかし残念なことに,人間ではそううまく事は運ばない。郵便番号記憶があれば重宝したはずだが,進化が山脈の中で正しい頂きを見つけることはなかった。人間は特定の情報がどこにしまわれているかについて,(「脳の中」というきわめて曖昧なレベルより先では)ほとんど何も知らない。私たちの記憶はコンピュータとはまったく別の論理に従って進化してきた。
 人間は郵便番号記憶に代わるものとして,「文脈依存記憶」と呼ばれるものを持つ。探しているものの手がかりを与える文脈をキューとして用い,欲しい情報を探し出すのである。たとえて言うと,何か思い出すたびに,自分にこう言っているような具合だ。「あのう,すみません,脳さん。悪いんだけど,英米戦争(訳注 1812年から14年12月にかけてアメリカとイギリスおよびその植民地間に勃発した戦争)に関する記憶が必要なんだ……該当するものが何かないかな?」脳はこうした問いに答えて,正しい情報を遅滞なくきちんと取り出してみせることも多い。たとえば,私が映画の『E.T.』や『シンドラーのリスト』を監督した人物の名前を尋ねたら,きっとあなたは即座に答えられるのではないだろうか。その情報が脳のどこにしまってあったかは皆目見当がつかないにしても。一般に,私達はいくつものキューを駆使して必要な情報を脳から取り出す。うまくいけば,記憶は細部に至るまで蘇る。この点に関して言えば,「記憶にアクセスする」という行動は,呼吸と同じで,ごく自然になされることだ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.35-36

身体の欠陥

 進化が生んだもう1つのよく知られたクルージは,男性の体の少々プライベートな部位に見受けられる。精巣(睾丸)から尿道へ至る輸精管が,必要とされるよりずっと長いのである。まず体の前側に延び,ぐるりと旋回して180度方向転換し,ペニスへ戻ってくる。節約を旨とするデザイナーであれば,材料を切り詰める(または輸送効率を上げる)ために精巣を直接ペニスにつなげるはずだ。そうすれば管の長さは短くてすむ。ところが,進化は既存の構造にものを継ぎ足していくので,全体としてちぐはぐな体になってしまった。ある科学者によれば,「[人間の]体は欠陥だらけだ……鼻孔の上には無用の突起があり,大三臼歯(親知らず)があるおかげで虫歯になりやすく,足はうずき……背骨はすぐに悲鳴を上げ,毛に覆われていない柔肌は切り傷,咬み傷,多くの場合は日焼けにさらされている。走るのは苦手で,人間より小さいチンパンジーのおよそ3分の1の強靭さしかない」
 こうした,ヒトに固有な周知の欠陥に加え,広く動物と共有する,数十にも及ぶ欠陥がある。たとえば,DNA鎖がほどけてDNAが複製される複雑な過程がある(このDNA鎖の振る舞いが1個の細胞が2個になる過程のカギを握る)。このときDNAポリメラーゼの一方の分子は実に無駄なくその仕事を成し遂げるが,他方はまともな技術者なら頭を抱えそうな,行ったり来たりを繰り返すぎくしゃくとした仕事ぶりを見せる。
 自然がクルージをつくるのは,その所産が完璧かエレガントかを自然は気にも留めないからである。有用でさえあれば,それは生き残って数を増やす。役に立たなければ,死に絶える。よい結果を生む遺伝子は繁殖し,それができない遺伝子は滅びる。ただそれだけのことなのである。問題は美ではなく適合性なのだ。

ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.14-15

IQテスト

 しかし,IQテストは,成果を予測するという意味においては役に立つ。もともと,IQテストは子どもたちが学校でどれくらい勉強での成果を上げるかを予測するために開発され,その点においては見事に役割を果たしている。また,他の多くの疑問に対しても,中程度〜高度な予測力を発揮する。たとえば,職場での業績,健康,事故死のリスク,収入,アルツハイマー病にかかる可能性のようにあまり明白ではない個人の特徴についてなどだ。私たちの立場をはっきりさせるために,ここで強調しておきたいと思う。私たちはIQスコアには何らかの予測力があると考えているが,それはけっして何もかもがIQによって決まるという意味ではない。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.257-258

ユダヤ人

 ユダヤ人の卓越した知能は衝撃的である。先ほど述べたように,アシュケナージ系ユダヤ人科学者の数は並はずれて多い。著名な科学者の中でアシュケナージ系ユダヤ人が占める割合は,合衆国とヨーロッパで彼らの人口比率を考慮した予想よりも10倍も高いことになる。過去2世代において,彼らはすべての科学関連のノーベル賞の4分の1以上を獲得したが,彼らの数は世界人口の600分の1にも満たないのである。彼らは米国人口の3パーセント未満にしかすぎないのに,その期間のアメリカ人に授与された科学関連のノーベル賞の27パーセント,そしてチューリング賞(毎年,計算機学会[ACM]によって与えられる賞)の25パーセントを彼らが獲得している。また,20世紀の世界チェスチャンピオンの半数はアシュケナージ系ユダヤ人である。アメリカのユダヤ人は他の領域でも多くの第一人者を輩出している。たとえば,ビジネスにおいては,最高経営責任者の約5分の1,学問ではアイビーリーグの学生の約22パーセントを彼らが占めている。こうした統計は広範な分野における知能の高さを示しているが,私たちは科学と数学の業績を判断の基準とする。科学や数学における評価のほうが,ほかの分野の評価よりも客観的だと考えられるからだ。科学と数学での重要な発見の定義については,人々の意見は一致しているが,芸術や文学における業績を評価する,それと類似した客観的基準はない。たとえば,フロイト派の理論は,心理学における画期的な成果なのか,それとも「ペット・ロック」(1970年代にアメリカで,ペットに見立てた石が売り出されたところ,大ヒットした)と同じ,ばかげた一時的流行なのか?私たちにはその答えはわからないが(とはいえ,強い疑いをもっているが),答えを見つけるための客観的な方法はない。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.234-235

感染症で

 アメリカ先住民が感染症に弱かったために,歴史はどんどん形づくられていった。西インド諸島へのスペイン人による最初の植民地化の試みは,実際,そのせいで危険にさらされることさえあった。タイノ族とアラワク族の人口が急激に減少したため(1530年までに,ほとんどが死に絶えた),スペイン人は労働力を確保できなくなったのだった。カリブの島々の住人は,アメリカ本土の先住民よりもっと孤立していて,病気から隔絶されていたので,抵抗力がさらに低かった。
 ピルグリム・ファーザーズがアメリカ本土に入植したとき,その土地にはほとんど人が住んでいなかった。その3年前に何らかの疫病(おそらく天然痘)によって先住民部族の大部分が死に絶えていたからだ。スクワント(ピルグリム・ファーザーズに生き抜くすべを教えた先住民)は,その部族のわずかな生存者のひとりであったらしい。また,のちにニューイングランドに入植した新教徒たちも,アメリカ先住民のあいだで病気が大流行して壊滅状態に陥ったことによって助けられたし,ジェームズタウン(イギリス人にとって最初のアメリカ入植地)の安全が脅かされずにすんだのも,伝染病のせいで地元部族の力が弱まったからだ。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.200-201

パターン

 最近の自然選択で促進された社会的なパターンを見つけ出す方法はふたつある。もっともわかりやすいのは,時間が経つにつれて頻度が変化したパターンを探すことである。もっとも顕著な例は,歴史上のある時点まで(あるいはごく最近まで),非常に珍しいか,まったく知られていなかったパターンである。もっとも,多くの場合,古代文明については豊富な情報が得られていないんど得,これを探しだすのは難しいだろう。たとえば,インダス文明には二院制議会,独立した司法,成文憲法があったのではないかと考えられているが,彼らの文字を読むことができないのだから,どうしてそうだと言いきれるのか?もうひとつの方法は,空間と時間を交換してみることである。すなわち,農民として生きたことがない,あるいは,農業を営んできた期間が,ヨーロッパ人,東アジア人,および中東の人々よりかなり短い現代の人々を観察するのである。そして,どのような社会的パターンや制度(もしあれば)が,そうした人々の集団では栄えていないかを調べる。この方法は,古代文明について考察するよりももっと議論を呼ぶかもしれないが,最近の歴史については少なくともよく記録が残されているという利点がある。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.150-151

都市に住むこと

 通常,勝者は,平均より高い繁殖率をもつと前に述べたが,重要な例外があった。現在でもそうだが,昔の支配者が誤りを犯したり,運が悪かったり,実際に自分のやっていることがよくわかっていなかったりしたことはよくあった。ノルマン人の英国征服のように,時として支配者が戦争に負けて,外部の民族に国をのっとられることもあった。また,バラ戦争のように,身内の殺し合いに少々熱心になりすぎることもあった。そして,しばしば,支配階級が生殖適応度という意味において,悪い選択をすることもよくあった。もっとも一般的な誤りは都市に住むことだったに違いない。たいていは感染症のために,ほとんどと言っていいほど都市人口は落ち込んだ。「人口の落ち込み」とは,都市の住人が差し引きゼロになるだけの数の子どもを育てることができない場合をいう。近代医療と土木工学が発達する以前の昔の都市は,周辺の田舎から移り住む人々の流れによってのみ,人口を維持できた。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.135-136

王の遺伝子

 いったん支配階級ができあがると,支配階級の生殖における優位性が発動した。これがもっとも根本的な階級闘争,すなわち生存競争である,しかし,これは歴史家にほとんど見過ごされてきたし,そういった意味では,当事者たちも気づいていなかった。これはさまざまな形を取りうる。たったひとりの男性の系統がとてつもなく有利になる場合もある——王になるのはすばらしいことだ!アイルランドの男性人口の8パーセントで驚くほど共通性のある型のY染色体が見つかっている。そのY染色体は,アイルランドとの密接なつながりが知られているスコットランド地域と,アイルランドから国外へ出た移住者のあいだでもかなりよく見られる。世界中で,200万〜300万人の男性がこの染色体をもっており,そしてどうやらこの染色体は九虜人のニール(西暦400年頃のアイルランドの王)の直系男性の印であるようだ。1609年までの1200年間,彼の子孫はアイルランドで権力を維持し続けた。
 もっとも壮観な例は,ジンギスカンである。約800年前に,ジンギスカンと彼の子孫は北京からダマスカスまでの土地をすべて征服した。ジンギスカンは楽しみ方を知っていた。たとえば,彼の至高の喜びとはこうだ。「敵を壊滅させるには,彼らをわれの前に引き立て,彼らの財産を没収し,愛する者の悲しみを目の当たりにさせ,彼らの妻と娘を抱くがよい!」なかでも最後の項目がとくに気に入っていたようすで,彼と息子たち,およびその子孫(ゴールデン・ファミリー)は,数百年間アジアの大部分を支配し,全土でハーレムをつくった。そうすることで彼らは,あらゆる遺伝学的影響のなかで最大のインパクトを与えた。今日,中央アジアの約1600万人の男性が彼の直系であることが,独特のY染色体をもっていることによって示されている。たったひとりの男性が違いをもたらすことはありうるのである。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.133-134

農業→階級社会

 農業がはじまる前,国家は存在しなかった。狩猟採集民の大部分は平等主義のアナーキストだ。彼らには,長もボスもいなかったし,ボスになりたがる人間をあまり相手にしなかった。ブッシュマンは今日でも,トップに立ちたがる者を笑いとばす。私たちは彼らから学ぶべきなのかもしれない。
 しかし,農民には長がいる。農業には領土が不可欠だからだ。穀物をつくる農民は食物を貯蔵するので,彼らは盗む価値のあるものをもつことになる。狩猟採集民にはなかったことだ。支配階級,すなわち,他人の生産的仕事を生活の糧にしている者たちが登場するようになるのは,農業社会が生まれてからだ。なぜなら,農業社会ではそういう者たちが存在できるからである。興味深いことに,ヤムイモなどを栽培している民族の中には,支配階級が成長しにくい場合があるようだ。そうした根菜は掘り上げてしまうとすぐに腐ってしまうので,盗みの対象となりにくいためだ。さらに,非常に強大な初期国家ではしばしば,「市民」が収税吏から逃れるのを難しくする天然の障壁があった。エジプトはその最たるもので,非常に肥よくな土地は居住不可能な砂漠に囲まれていたのである。

グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.132

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