個人の記憶や概念をシンボルに置き換え,個人の脳の外に出すことにより,これを保存し,仲間で共有し,次世代に伝えていくことができる。シンボルを用いて知識を伝達すれば,現場での直接体験がなくても,多くのことを学べるようになる。よく考えてみれば,私達が用いている言語も,シンボルを用いる能力の上に成り立っている。もちろん,今あなたが目で追っている文字もそうである。私達の社会が文字を必要とするひど複雑化したのは,かなり後の時代のことであるが,私たちが話しているような複雑な言語は,シンボルの操作能力の進化とともに現れたというのが,最近の研究者たちの一般的な見方だ。そしてこの能力さえあれば,文字の利用はいつでも可能であったと考えられる——現代においても文字を使えない人々がいるが,それは教育の問題であることは,私たちの誰もが知っている——。つまり文字の発明自体は,知的能力の進化によるものではない。おそらくシンボルの操作能力の進化こそが,重要であったのである。
こう整理すると何となくわかってくると思うのだが,シンボルを自由に操る能力に基づいた知識伝達の力は,はかりしれない。現在に至る私たちの文化の爆発的な発展は,間違いなくこの能力に基づく高度な情報伝達によって下支えされた。
海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.67
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