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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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子どもの自制心

 残念ながら,子供の自制心を高める方法がわかっていると自身を持って言うことはできないが,研究によっていくつか手掛かりは得られている。出来に関係なく自分に報酬を与える大人を見た子供は,自分にもそうすることが多いことがわかっている。出来のよかったときにだけ自分に報酬を与える大人を見ると,子供もそうする。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 235
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)
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科学と工学

 日本人は技術者としては優れているが科学では立ち後れている,という決まり文句を聞いたことがあるだろう。これは単なるステレオタイプではない。日本人の優れた光学技術は,アメリカ産業界にとって脅威だ。工学を教えている私の同僚や,技術者を雇っている友人に言わせれば,アジア系アメリカ人のほうが人口あたりの技術者の割合が多いだけでなく,平均でヨーロッパ系アメリカ人より優れた技術者を輩出しているという。
 しかし,1990年代の10年間にアメリカ在住の44人が科学分野のノーベル賞を受賞したが,そのだ大部分はアメリカ人で,日本人はわずか1人だった。資金の違いだけによるものではない。ここ25年間で日本は基礎研究に,アメリカより約38パーセント多くの予算をつぎ込んできた。1990年代に5人のノーベル賞受賞者を輩出したドイツの2倍だ。中国や韓国は相対的に貧しく,最近まで発展途上国だったので,これらの国の人たちが基礎研究でどれだけ成功するかはまだ判断できない。しかし,科学における生産性への道に立ちふさがる障害物として,包括的に考えたがる相互協調的な人々に共通して当てはまるかもしれない事柄を,いくつか指摘できる。
 第1に,東西の社会的違いとして,科学における西洋の進歩に有利に働くようなものがいくつかある。日本では,多くの面で西洋よりも階層的に組織されていて,また年長者を立てることに大きな価値が置かれているため,年老いて生産性を失った科学者により多くの研究資金が流れる。
 私が考えるところでは,西洋のように,1人ひとりの成果に報いて個人の野心を尊重することが,科学では望ましい。研究室に何時間も詰めていることは,科学者の家族にとっては必ずしもふさわしくないが,個人的名声や栄光には欠かせない。西洋では,討論は当然のことで,科学活動には欠かせないと見なされているが,東洋のほとんどでは無礼だと考えられている。ある日本人科学者が最近,友人同士のアメリカ人科学者が人々の前で激しく言い争っているのを見て,仰天したと言っている。「私はワシントンのカーネギー財団で働いていて,親友同士の2名の著名な科学者を知っている。しかし2人は研究になると,学術雑誌上でも激しい論争を戦わせる。アメリカでは起こることだが,日本では決して起こらない」

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 212-213
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

論理過剰

 最後に,アメリカ人は,古代ギリシア人と同じ「論理過剰」な態度のせいで,推論の間違いを犯すことがある。私と共同研究者が示したように,アメリカ人は,同じ本当らしい命題でも,あまり本当らしくない別の命題と矛盾していない場合より,矛盾している場合のほうが,真であると判断することが多い。つまり,2つの命題が明らかに矛盾していれば,より本当らしいほうが真で,より本当らしくないほうが偽に違いないと決めつける。アジア人は逆に,本当らしくない命題について,もっと本当らしい命題と矛盾しない場合よりも,矛盾する場合のほうが,真であると判断することが多い。相反する命題の両方に真理を見つけようとするためだ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 210
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

西洋と東洋

 社会的慣習や思考習慣はなかなか変わらないもので,現代における東洋と西洋の社会的,認知的な違いは,古代とほとんど変わっていない。したがって,西洋人のほうが規則,分類,論理を重視し,東洋人のほうが関係性や弁証法的推論を重視すると考えられる。実際に私は共同研究者たちと,それが正しいことを発見した。
 東洋人と西洋人に,うし,ニワトリ,草といった3つの単語を示し,このうち調和する2つはどれかと尋ねたところ,まったく違う答が返ってきた。アメリカ人は,どちらも動物だから,つまり生物学的に同じ分類だからと,ウシとニワトリを選ぶことが多かった。しかしアジア人は関係性に注目し,ウシは草を食べるので,ウシと草が合うと答えることが多かった。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 209
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

中国とギリシア

 状況に注意を払うという東アジア人の特徴は,古代中国人にまで遡る。古代中国人は遠隔作用という概念を理解していて,そのため磁気や音響学の原理を理解し,潮汐の本当の原因を見出すことができた(ガリレオでさえ失敗した)。
 それに対してアリストテレスの物理学は,物の性質に完全に特化していた。アリストテレスの体系によれば,石が水に沈むのは石が重いという性質を持っているからで,木切れが水に浮かぶのは木切れが軽いという性質を持っているためだ。もちろん軽いとか重いといったことは,物体の性質ではなく,物体間の関係の性質だ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 207-208
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

アジアの文化

 しかし,アジア人が生まれ持った知能を最大限に活用できるさらに重要な理由は,家族から受け継いだ文化がそれを求めていることだ。中国文化の場合,学力を重視するという伝統は2000年以上前から存在している。一生懸命勉強して官僚試験に合格した賢い少年は,昇進して給料のよい政府高官になれる。それによって家族と出身の村に名誉と富がもたらされるので,家族や村人の希望や期待を背負った少年は勉強するようになる。西洋より2000年も前に中国では,勉強することで階級を上げられるという仕組みがあったのだ。
 したがって,アジア人家族のほうが子供の学力を上げさせられるのは,子供への影響力がアメリカ人家族より強いためと,学力を重視するよう選択したためだということになる。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 201-202
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

オーバーアチーブ?

 アジア人の出来を予想以上の成果(オーバーアチーブメント)と評するのは,恣意的な表現だ。アメリカにやってきてまだ1年で,子供を公立学校に通わせている韓国人の友人に,「アジア人の予想以上の成果」という言葉を使ってみた。すると,「『アジア人の予想以上の成果』というのはどういう意味だ?」と突っかかってきた。「『アメリカ人の予想以下の成果』と言うべきだ!」というのだ。
 この友人が娘の学校の終業式に出席したところ,宿題をすべてやった生徒が賞をもらっていたのに驚いたという。友人の娘はその賞をもらった2人のうちのひとりだった。友人に言わせると,宿題をやったから賞をあげるというのは,昼食を食べたから賞をあげるというくらいばかげているという。アジア人にとっては至極当然のことなのだ。この現象がアメリカ人の予想以下の成果の1つだ,と友人は言い張る。学力が高いのが本来の状態で,ほとんどのアメリカ人は多かれ少なかれ怠けていると考えるのも,まったく筋が通っている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp.
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

豊かにさせよ

 最後に,貧しい人を賢くしたければ,その人たちをもっと豊かにさせるのがよい方法かもしれない。スカンジナヴィア諸国は所得配分に関してアメリカよりはるかに平等主義で,最富裕層の子供と最貧困層の子供との学力差もそれに応じた程度になっている。社会的価値がある正当な仕事に対しては,家族を養うのに十分な給料を支払うべきだ。それは,最低賃金の引き上げ(最近の引き上げでも40年前の73パーセントにしか上がっていない),勤労所得控除,扶養控除によって一部実現できるだろう。その経済的コストのうち少なくとも一部——おそらくコスト以上——は,最貧層の生産性の向上,そして犯罪率や生活保護給付率の減少によって埋め合わせられるだろう。よいことをすれば,きっと自分にも返ってくるはずだ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 191
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

大学での伸び

 ヘアンシュタインとマレーが示したように,高校で黒人の能力が白人ほどは上がらないのは間違いない。差の開き方はあまりに大きく,不安にさせるほどだ。黒人のAFQTのスコアは,高校入学時には白人より標準偏差の5分の3足らず低いだけだが,高校修了時にはほぼ1標準偏差分低くなる。
 心理学者のジョエル・マイアーソンらは,大学でも黒人は同じように厄介な後れを示すかどうか見極めることにした。能力差が時とともに強く表れてくるという理論にもとづけば,大学でのIQの伸びは黒人のほうが白人より小さく,高校のときよりさらに差が開くと考えられる。
 しかしマイアーソンらは,それとまったく逆の現象を見出した。最終的に大学を卒業することになる黒人生徒の高校修了時の学力は,同じく大学を卒業する白人生徒より1標準偏差分以上低かった。しかし大学生活のあいだ,白人学生のIQがほとんど上がらなかったのに対し,黒人学生のIQはかなりの勢いで上がっていき,最終的な平均IQは白人の平均より標準偏差の0.40倍強低いだけとなっていた。大学教育におけるこの伸びの差はかなり大きい。
 なぜ大学では黒人の方が伸びるのか?というより,なぜ高校ではほとんど伸びないのか?最も明らかな理由が,黒人は白人より悪い高校へ進むということ。もう1つの理由が,白人と同じように振る舞うなという圧力に抵抗するのが,大学より高校でのほうが難しいことだ(大学でも圧力があったとして)。
 あと1つ考えられる理由として,黒人生徒のなかでも,直面している社会環境によってテストの出来や動機づけが大きく違ってくることが,ステレオタイプ脅威に関する研究によって示されている。
 たとえばスティールとアロンソンの実験調査によれば,テストを脅威と感じる方法——知的能力をあからさまに詮索されることで,知的に劣っているという黒人のステレオタイプに当てはまるようなスコアを出さないか心配になるような方法——とは違うやり方でおこなった場合,黒人生徒の出来が著しくよくなることが示されている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 184-185
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

ドゥエックの研究

 キャロル・ドゥエックらは,ほとんどをマイノリティーが占める中学生の集団を対象に,能力に関する考え方を調べ,「人は一定量の知能を持っていて,それを大きく変えることはできない」,あるいは「自分の賢さは必ず大きく変えられる」といった言葉を信じるかどかを尋ねた。予想どおり,能力は勉強遺憾だと考える生徒のほうが,能力は遺伝子によって決まると考える生徒より成績が良かった。
 続いてドゥエックらは,マイノリティーの貧しい中学生たちに,知能は大きく変えることができ,懸命に勉強することで伸ばせると納得させようとした。この介入の主眼は,学習によって新たな神経結合をつくることで脳に変化を起こし,そのへんかのプロセスに生徒たちを関わらせることだった。ドゥエックの報告によれば,頑健な男子中学生のなかにも,自分の知能は自分でかなり制御できると聞かされて泣き出した生徒がいたという。
 そして教師曰く,この介入を受けた生徒は,より真剣に勉強し,統制群の生徒よりよい成績を取ったという。この介入は,知能は懸命に勉強するかどうかで決まると元から考えていた子供に対してよりも,知能は遺伝子の問題だと信じていた子供に対してのほうがより有効だった。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 180
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

3歳までの回数

 第5章で紹介したハートとリズレーによるカンザス州の家族の調査では,どの集団においても,親が子供に温かく接するか罰を与えるかについて,極めて大きな違いがあった。前に述べられたように,専門職の子供は1回叱られるごとに6回励まされ,労働者階級の親の子供は1回叱られるごとに2回励まされる。しかし,生活補助を受けている黒人の親の子供は,1回励まされるたびに2回叱られる。専門職の白人の子供は3歳になるまでに,励ましの言葉を50万回,気落ちする言葉を8万回聞く。一方,生活補助を受けている黒人の母親の子供は,3歳になるまでに,励ましの言葉を約7万5000回,叱る言葉を20万回聞く。
 さまざまな理由から見て,こうした違いは認知発達に極めて重要な影響を及ぼすと考えられる。そして,このように子供を気落ちさせるという黒人の育児の特徴は,少なくとも1980年代には,中流階級の黒人の親にもある程度当てはまっていたことがわかっている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 145-146
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

黒人,アイルランド人

 当時の都市の自由有色人が今日の都市の黒人のイメージとどれほどかけ離れていたか,それを知るために,1800年のワシントンDCに住んでいた500人の自由黒人とその子孫について見てみよう。黒人は1807年に独自の学校を設立し,1862年に公立学校への入学が認められるまで黒人の子供はそこに通っていた。また1870年には初の黒人高校も設立された。それから20世紀半ばまで,この高校に通った生徒の4分の3が大学に進学していたが,この割合は今日の白人の平均よりも高い。
 1900年代前半,ワシントンDC全体を対象とした学力テストでは,この高校の生徒のスコアはどの白人高校の生徒よりも高かった。IQテストが実施されるようになると,この高校の生徒は全国平均より高いスコアを出した。卒業生のなかには,初の黒人将校,初の黒人閣僚,南北戦争後の連邦再建以来初の黒人上院議員,そして血漿の発見者まで含まれている。
 北部では,自由有色人が完全に平等な市民になれない運命にあるといったようなことはなかった。当初はアイルランド系より有利な立場にあった。北部の黒人が地位を下げたのは,南部で多くの黒人が奴隷にされ,19世紀後半から,読み書きのできない貧しい黒人が北部の都市に数多く移住してきたためだった。
 奴隷制度によって南部の黒人が置かれた状況は,アイルランド人の母国での状況と似ていた。いずれの集団でも,働いたところで報われないというゆゆしき事実があって,そもそも熱心に働くことに文化的価値がなかった。奴隷が働いても所有者の得にしかならず,アイルランド人が働いてもイギリス人の不在地主の得にしかならなかった。アイルランド人の住む小屋——掘っ立て小屋と言ったほうがぴったりするだろう——でさえ地主の持ち物で,家を直しても所有者の利益になるだけだからと,修繕する気にもほとんどならなかった。
 アイルランド人の生態環境もまた,アイルランド人が伝統的に仕事を嫌うもう1つの直接的理由となった。アイルランドの土壌を最も生産的に利用する方法はジャガイモの栽培だったが,それには1年に数週間働くだけでよかった。19世紀中頃に初めてアメリカ大陸へやってきた大勢のアイルランド人には,定職に就くという習慣がなかった。無精者という評判が拭われるまでには,1世紀以上かかった。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 133-134
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

IQ差の縮小

 最後に,黒人の環境は白人の環境より急速によくなっていると考えられるので,黒人と白人の差は過去より現在のほうが小さいはずだ。実際,12歳における黒人と白人のIQの差は,ここ30年間で15ポイントから9.5ポイントにまで縮まっている。ここ30年間は,黒人にとって以前に比べさまざまな面で望ましい期間だった。全米教育進度評価(NAEP)の長期傾向調査における黒人の伸びも,同程度の値を示している。読解と算数の伸びは白人では中程度だが,黒人では著しい。NAEPにおける差の縮小は,ディケンズとフリンがIQテストに見出した5.5ポイント分とほぼ一致している。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 125-126
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

黒人のIQ

 実際,現在の黒人のIQは,1950年の白人のIQより高い。もし黒人のIQ遺伝子が白人のものより劣っているとしたら,そのようなことは起こりえない。現在の黒人の置かれている環境が1950年の白人の置かれていた環境よりはるかにIQの向上に役立っていたと考えられなくもないが,そのように主張しようとする人が多くいるとは思えない。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 125
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

労働者階級の場合

 労働者階級の子供も読んだことについて質問されるが,本の内容と外の世界を結びつけることにはあまり努力が払われない。本にアヒルの子の絵が出ていれば,母親は子供に池で見たアヒルを覚えているか尋ねるだろうが,そのとき,本に出ている黄色いふわふわしたアヒルの子と池にいたおとなのアヒルとの関係は説明しないかもしれない。3歳頃を過ぎると,読み手との会話のやりとりは奨励されず,解説や質問は邪魔だと見なされる。(フィラデルフィアでおこなわれたある研究で,社会階級による読み書き能力の差を端的に表している事実とその原因が示されている。成人のほとんどが大学教育を受けている地域では,書店に並んでいる児童書の数は子供100人あたり1300冊だった。一方,ブルーカラーのアイルランド人や東ヨーロッパ人の地域では,子供100人あたりわずか30冊だった。社会階級による読み書き能力の差をこれほどまでありのままに示した数値は,他にほとんどないだろう。)

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 112
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

中流階級の子育て

 中流階級の親は労働者階級の親に比べ,子供に本を読んでやることが多い。中流階級の家には,子ども向けの本がたくさんある。頭を支えてもらって本を見られるようになる生後6ヵ月には,本を読んでもらうようになる。中流階級の親は,単に喜ばせるためだけではなく,本の内容と外の世界を結びつけられるように読んでやる。本に書いてあることを採り上げ,それを日常生活や世の中の物や出来事と結びつけようと,意識的に努力する。(「ビリーは黒い犬を飼っています。黒い犬を飼っている人を知ってる?」「あれは小鳥。小鳥のことをどの本で読んだっけ?小鳥は何を食べるんだっけ?」)親はまた,読んだことを分析するよう促す。(「次に何が起こる?この人は何をしたいの?どうしてそうしたいの?」)
 中流階級の子供はかなり幼いうちから,本について質問をしてもらい,それに答える方法を身につける。親は子供に,物の属性を尋ね,属性に応じて物を分類する方法を教える。(私があるとき飛行機に乗ったところ,3歳の子供とその父親の後ろの席になった。父親は絵本を手に取り,子供に,いろいろなものが長いか短いかを質問した。「ジェイソン,違うよ。パジャマは長いんだ」)中流階級の親は,何であるかを尋ねる質問をして(「あれは何?」「ボビーは何をやろうとした?」),続いてなぜかを質問し(「なぜボビーはそれをやったんだろうか?」),その後で評価をさせる(「どっちの兵隊が好き?」「なぜソッチのほうが好き?」)。また,本に何が書かれていたかを語らせ,それをきっかけに話をつくらせたりもする。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 110-111
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

IQの伸びの意味

 以上のことから,IQの伸びについてどんなことが言えるのか?

 1.学校は明らかに人を賢くする。学校で知識や問題解決のスキルを学べば,IQのスコアが上がる。IQについて見れば,学校での1年間は年齢2年分に相当する。
 2.IQを測るうえで使われるいくつかの課題を遂行する能力は,時代とともに高まっている。人々が教育を多く受けるようになり,IQのスコアを上げるような種類のスキルへと教育がシフトしていき,大衆文化のなかにも知的興味をそそる面があることを考えれば,それは当然の結果だろう。
 3.IQの伸びのうち一部(理解下位検査や類似下位検査など)は,日常の問題を処理するための知能が実際に伸びていることをはっきりと示している。
 4.IQの伸びの一部は,学力を向上させ,抽象化,論理,その場での推論が関係する課題——産業や科学で直面するたぐいの課題——を解決する能力を伸ばすという点で,極めて重要だ。そのような流動性知能の伸びを測るテストとしては,WISCの積木模様,組み合わせ,絵画配列,絵画完成の各下位検査,およびレーヴン漸進的マトリックスがある。
 5.これらの流動性知能の伸びは,日常の実践的な推論課題を遂行する能力にはたいして寄与しないだろう。
 6.一部のIQ研究者がいまだに主張しているように,レーヴンマトリックスのような動作性,流動性知能のテストが文化と無関係だというのは,IQが伸びていることから考えると明らかに正しくない。このような流動性知能課題には,結晶性知能課題よりさらに文化が染み込んでいる。むしろこれらのテストの伸びを見ると,文化と無関係な知能の指標というものが存在するかどうか疑わしい。
 7.学校教育によってIQのスコアが伸びるのと同じく,社会が重視するスキル——日常生活と,科学や産業など専門的な活動の両方において——が時代とともに伸びていることから考えて,人々は重要な方向へと実際に賢くなれるのだと言える。
 8.最後に,チャールズ・マレーによる2つの極めて悲観的な主張に対して,反論できる証拠がある。マレーによれば,教育が完璧であってもIQ分布の下半分の人々を大きく変えることはできないという。しかし60年間で,下半分の人々の平均IQは1標準偏差分以上伸びており,また,昔からIQの基準として使われているレーヴン斬新的マトリックスの出来も,標準偏差の2倍以上伸びている。マレーはまた,IQの高い人は低い人より少ししか子供を産まないので,母集団の平均知能は下がっていくはずだと言っている。だが証拠によれば,実際にはその逆である。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp.71-72
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

理解テストの伸び

 結晶性知能に関する他の下位検査のうち,ここ何十年かで有意な伸びを見せているのが,理解テストだ。人が本当に賢くなったという主張を立てるのに最も頼りになるのが,このテストだと思う。驚くことに,いまの子供は,使っていないときに電気を消さなければならないのはなぜなのかを理解できるし,もう少し大きくなれば,なぜ税金を納めなければならないかも理解できる。スコアの伸びは極めて有意で,1世代30年あたり標準偏差の3分の1に相当する。
 この伸びは何によるものだと考えるべきなのか?本当のところはわからないが,テレビが大きく関係しているのではないかと考えられる。子供は,<セサミストリート>のような教育番組や完全な娯楽番組を見て,世の中の仕組みについて多く学べるからだ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 67
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

得点変化の意味

 それでは,55年間にレーヴンが標準偏差の2倍,WISC動作性テストが標準偏差分伸びたというのは,本当に知能が大きく変化したことを物語っているのだろうか?そうではないだろう。確かに,ある種の流動性知能を支えるスキルは大きく変化したが,そうした課題からかけ離れた領域における問題解決のスキルは影響を受けていないだろう。現段階で,そうしたスキルがどれほどの範囲に及んでいるかまではわかっていない。
 断言しておくが,レーヴンマトリックスが文化と無関係なIQテストだという主張は,いまやまったく通用しない。このテストを使って,西洋型の学校教育をほとんど受けていない,読み書きのできないアマゾン部族やアフリカ人と,教育が行き届きコンピュータが普及した複雑な文化のなかで生きているアメリカ人,スゥエーデン人,スペイン人とを比較しても,以前には意味があったかもしれないが,いまや学問の世界では相手にされない。
 しかしだからといって,1つの文化のなかで,賢い人がそれほど賢くない人とレーヴンテストで同じ出来を示すということにはならない。賢い人は当然,いまでも2世代前でも出来がよい。それは,いまも昔もレーヴンのスコアによって学問的能力や職業上の成功をある程度予測できるからだ。そして,数学教育やコンピュータの普及などの文化的な変化によって,レーヴンなどの流動体知能テストは誰にとっても簡単になってきている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 64-65
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

SESの問題

 養子の話を切り上げる前に,指摘しておきたいことがある。強い遺伝論者は,遺伝子が最も重要で環境はあまり重要でないという主張の根拠としてよく,養父母のIQと養子のIQとの相関よりも実の親のIQと子供のIQとの相関のほうが一般的にずっと高いという事実を,引き合いに出している。遺伝論者の考えによれば,養家の環境の違いによってIQが変わらないのだから,養子が置かれる環境はその子供の知能にほとんど影響を及ぼさないという。
 この結論が誤解にもとづいていることはもうおわかりだろう。養家の環境はほとんどがかなり似ていて,おもに健全な中流階級あるいは上層中流階級の家族からなっている。SESの低い養家でも,育児法では高い水準にあって,高いIQが期待できる。養家内の変動が相対的に小さいので,養父母のIQと養子のIQとの相関が極めて高くなるとは考えにくい。IQを左右するような面に関して養父母の環境に大きな違いはなく,違いが小さければ相関は大きくなりえない。
 それに対し,養家の環境とSESの低い一般的な環境との違いは大きく,それがIQの大きな違いを生む。したがって,養父母のIQと養子のIQとの相関が相対的に低いというのは単なる数字のトリックで,養家が養子のIQに大きな影響を及ぼすという事実とは1つも矛盾しない。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 44-45
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

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