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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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マンネリは必要

 だからよくマンネリと言われたけど,僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。
 お客さんにすれば,「多分こうするよ,ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑いと,「意表を突かれた,そう来たか」とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと,お客さんも見ていて疲れてしまうだろう。
 今の若い芸人は意表をつく笑いの方が多いようだけど,僕は新しいことにプラスしてお客さんが期待している通りの笑いも必要だと思う。
 「待ってました」とか「おなじみ」という笑いをバカにしちゃいけない。
 それにマンネリになるまでやり続けられるというのは,実はすごいことだ。今は歌でもなんでもマンネリまでいかないうちに終わっちゃう。マンネリはやっぱりひとつの宝だ。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.57-58
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楽しそうだから

 今思うと,あのころの僕はただ無我夢中で,なんでも一生懸命やろうとして力が入り過ぎていたのだ。後になってわかったことだけど,本当はその逆で,楽しく遊んでるように見せるのがお客さんを笑わせるコツだ。
 「こいつら本当に楽しそうにやってるな」って思うから,お客さんは笑う。
 やってる方に余裕がなくて一生懸命さが伝わってしまううちは,がんばってる気持ちがわかる分だけ,見ていても笑えない。それは今だからよくわかる。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.54

多すぎる幹部

 では,日本型雇用の最大の悪癖とは何か?
 言うまでもない。「働かない熟年」「名ばかり管理職」だろう。
 それはなぜ生まれるか?
 欧米企業でも日本の官僚でも,「幹部候補」は非常に少ない。そして,入り口で猛烈な選抜が行われる。そうした「少数厳選」なら全員が管理職になったとしても,ポスト不足にはならない。対して,採用者全員が幹部候補で非幹部がいない日本の場合,人数が多すぎて明らかに管理職ポストが不足してしまう。
 とすると,彼らに昇進を約束するなら,「部下なし課長」=専任職課長という意味のわからない仕組みを作らざるを得ない。そうして,管理職とは名ばかりの熟年社員が社内に多数存在するようになる……。
 日本の「総合職制度」の問題がわかっただろうか?
 要約すれば,それは,「全員幹部候補」であること。そして,入り口で「少数厳選採用」となっていないこと。この2つに端を発し,出口では,「名ばかり管理職を生み出す」ことに行き着く。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.241-242

みな幹部候補

 では,日本の総合職と欧米の社員の違いは何か?
 にわか論者が語らない決定的な違いがここにある。
 日本の総合職は「幹部候補」,という点なのだ。この点,お気づきだろうか?
 欧米の場合,幹部候補と非幹部候補に分かれている。ものすごく粗っぽく言えば,出世できる人とできない人に分かれているわけだ。フランスなら,この幹部候補を「カードル」と呼び,アメリカやドイツなどでは,近年,「LP(リーダーシッププログラム)と呼んでいたりする。
 大手有名企業でこのワクに入るためには,超上位校を優秀な成績(GPAの指定等ある)で卒業し,法律やメーケティング,会計など将来企業経営に資する知識を十二分に蓄えていることが条件となる。
 これはある面,常識的な慣行ともいえる。かくいう日本でも,公務員の世界では,一種試験を合格した「キャリア」と,それ以外の「ノンキャリ」に分かれ,出世するのはキャリアのみ,というしきたりがある。軍隊ならどこの国でも,士官学校出身者の幹部候補と徴兵・志願組の兵卒とで出世に大きな差が出る。そして,欧米系のエリートも,日本のキャリア官僚も士官学校の将官も,相当難易度の高い試験を課され,入り口で選抜されている。そう,日本の[総合職」を除けば,おおよそ「幹部候補」といわれる人たちには,ほぼ同様な仕組みが,かなり広く浸透していると言えるだろう。
 逆に考えると,日本の企業社会が,あまりにも異質なことが理解できるだろうか?現在,大学さえ出ていれば,タテマエ上は大学偏差値も大学での専攻も大学での成績も,まったく何も問われずに,企業に採用される。そして,その採用者は,全員が「幹部候補」となっている。小学生が考えても,「そんなにたくさん幹部って必要なのか?」と疑問が湧くだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.238-239

総合職という特殊さ

 では,日本と欧米の本当の違いとは何か。実は,それが「総合職(幹部候補)」という仕組みに帰結する,と私は考えている。ここでも,皮相的に「日本はジェネラリストとして,クルクルいろいろな仕事を経験することが違う」というのは間違いだ。総合職制度を敷く日本とはいえ,経理も営業も人事も総務もなんてかたちで,多職務をなべて経験する人などまずあり得ない。一般的には,自分の専門とする領域を持ち,それと関係する周辺職務にたまに行っては,また元に戻る。こんな,「主+副」というのが日本型総合職である。営業を主にして,時折,内勤管理職に行ってまた戻ったり,同じ営業でも他事業部に行って戻ったり,といった感じで。だから,たいていの社員は,「“営業畑”とか“経理畑”とか“水産(事業部)畑”」という言葉で呼ばれる。
 では,こんなスタイルの就労を行うのは,欧米ではあり得ないのか?
 職務契約概念が強い欧米では,確かに1つの部門で仕事を完結する人が多い。たとえば経理配属者が営業に行くことは少なく(営業内でも事業部が異なる部署への異動はやはり少ない),その場合は,社内公募や自己申告を経て,契約の洗い替えを行う,などの手順を踏まなければならない。必然,部門間異動は少なくなる。ただし,部門内ではそれなりに異動がある。たとえば,経理部門でも,その中にある財務会計から管理会計,IRなどいくつかのグループを経験するのは普通のこと。
 とすると,この部分でも言われるほど欧米と日本の差は大きくない。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.237-238

大学で学ぶこと

 私は大学で学ぶアカデミズムにも2つの種類があると考えている。
 1つは,学者になるための勉強だ。とにかく1つのテーマを突き詰めて,徹底的な専門性を身につけていく。これは「普通の人」が社会で使える可能性は低いが,社会全体の文明レベルを上げるために,「図抜けた優秀者」が取り組む高度に専門的な勉強だ。
 もう1つは,物事を考える能力を学ぶことだ。たとえば,1つの命題が正しいのかどうかを判断するためにはどのような事例を集めればいいのか,どのような角度から検証すればいいのか,といったことを勉強する。こうした「本当の意味で物を考える力」は社会に出ても使える。営業するにも,企画を考えるにも,必要なデータを集めてきて,それを読み取り,相手の理解度を予測したうえでわかりやすく説明するといった力は必要である。流行の言葉でいえば,これが「リベラルアーツ」となるだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.203-204

文系は

 実は,大学の文系学部の専門教育は,そのまま直接社会で役立つ可能性はほとんどないという事実。ここをはっきりさせておきたい。それも,日本だけではなく,これは世界共通の話だということも。
 なぜか,欧米では「大学の専門と職業がきれいに繋がっている」という幻想が,世の中には広く浸透している。そうした幻想が,「日本のように総合職という奇異な雇用慣行を持つからいけないのだ。きちんと採用時点で何の仕事をするか明確にわかる職種別採用なら,大学の専攻と企業での仕事が繋がる」と訳知り顔で語る識者を生み出してしまう。
 しかし,この話を欧米の人事・雇用関係者に語れば,こんな風に鼻で笑われることになるだろう。
 「アメリカでも,文系の大学を卒業した場合,一番多くの人が就く職業は,営業ですよ。この仕事は,大学のどの専攻と結びつくのですか?総務(アドミニストレーション)や人事(HR)の仕事はどうですか?これも専攻など関係ないでしょう。アメリカの場合は,大学卒業後に,製造や販売の仕事に就く人も多々います。彼らももちろん専攻など関係ありません。経理やシステム開発でさえ,経営学部や情報工学を卒業しなくてもなれますよ」
 そう,こと文系学部に限れば,圧倒的多数の人間は,どこの国でも専攻と関係ない仕事に就いている。ホンの少数の,たとえば法務とか金融とか会計とかマーケティングなどのスペシャリストのみ,専攻と近い就職が可能となる。それも,超上位校を優秀な成績で卒業した人のみ。
 こんな当たり前の現実を忘れて,幻想が一人歩きしてしまう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.195-197

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

このBlogには現在,2600エントリーあまりの記事があります。
このページですが…

1. 気になるページをマークしながら(たいていパージの端を折る)読む。
2. 折り目のあるページから気になるところを,データベースソフトに入力する。
3. 気が向いたときにデータベースソフトからBlogのエントリーにコピーし,記事を予約。
4. 毎日定時に更新される

おおよそこういった作業で更新されています。
現在のところ,今後1年以上分の記事が予約され,更新されるのを待っています。
では引き続き,どうぞよろしくお願い申し上げます。

本当の敵は

 「若者かわいそう」論者にあえて言いたい。
 本当の敵は誰か?
 それは,高齢貧困者ではない。高齢の中流世帯とて,決して「逃げ切り」とはいえないから敵とはいえない。
 明らかに特をした層,それは高齢者で高学歴で大企業(もしくは運良くその後大企業化する新興企業)に就職して,あとは,エスカレーター式にぬくぬくと出世していった,一部のエリート層,それが戦うべき相手だろう。
 彼らは世代の利益など決して代表してはいない。経営がシビアになった超大手企業が年金基金を解散したり,企業年金を減額しようと決議するたびに,高額年金受給者の彼らが猛反対を繰り返す。経営再建中のJALで起きた企業年金減額決議のための一騒動などその最たるものだろう。ただでさえ裕福で,その上に手厚い企業年金までもらっている層が,「財産権の侵害」だと自己の権利を主張する様。さらには後期高齢者医療でも,彼ら高額所得者たちが並み以上の負担をすべきところ,貧困者も含めた一律負担という形での決着。同世代意識などより,自分たちの既得権を守ることに血道を上げる。
 彼らに対する攻撃であれば,私は何の擁護もしない。いや加担したいくらいだ。城繁幸氏の「若者は3年〜」シリーズで,大企業の熟年層の実像が過激に描写されているが,00年前後までの大企業の実像は,まさにあそこに書かれた通り,といえることが多かった。
 
海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.187-188

昔と同じでは

 そもそも,どうしてこんなミスマッチが起きるのか。それこそ,現代日本特有というか,脱工業化社会共通の現象でもある。その昔,建設・製造業中心の時代は,仕事内容も非常に見えやすかった。何をいつまでに組み立てるか,それが基本で,そのスキルをつけて手順を間違えなければ,誰でもある程度は仕事をこなすことができたからだ。こうした仕事は,不況ならば労働時間は短縮し,好景気だと残業が増える,というところもわかりやすかっただろう。だから,外からも仕事の内容が推測でき,なるべく自分に合う仕事を選ぶことが可能だった。
 ところが,ホワイトカラー系の仕事が中心の現在となると,営業などがその最たるものだが,仕事に正解はなく,十人十色のやり方となる。仕事量は,好景気にはもちろん多いが,不況期でも「お客を見つける」ために忙しくもなる。もう,外から見てどんな仕事でどれくらい忙しいのか,など見当がつかない。
 さらに,大企業での採用なら,各社のブランドイメージで,会社の社風やカラーなども何となくわかるが,中小企業だとそれさえわからない状態となる。
 製造・建設などの第二次産業から,第三次産業が中心となることと,大卒者の雇用の中小企業シェアが上がることで,これだけ就労環境は変わってしまった。だから,正社員になれない(ならない)人たちが生まれていくのだろう。
 この状況の解決は,「企業に採用を増やせと号令をかけること」や「若者に教育訓練を施すこと」といった,第二次産業中心時代の施策では埋まらないはずだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.172-173

現代日本の構造

 この構造がわかるだろうか?
 まずは各種運動体が,社会的問題を指摘する。この中では,問題に注目を集めるため,確信犯的に事大的な論陣を張ることがまま見受けられる。ただこれは,私はある面仕方ないと考える。なぜなら,そうしないことには問題が社会に認知されないからだ。
 ここから先。マスコミがこれに飛びつく。そこで,まったく資料検証がなされずに,こんな大げさな数字が一般人の目にさらされることになる。こうして,社会的認知が広まり始めたところに,「これは次の儲け口だ」と指揮者という名の“にわか論者”が飛びつく。結果,本格的なムーブメントとなり,政治や立法にまで伝播する。
 その動きに,水を差す気などさらさらなく,「火よ燃え盛れ」と傍観するお役所の人たち。しばらくすれば,彼らだけが1人,焼け太りをするという構図。
 その昔は,お役所がとんでもなく甘い「経済効果」をもとに,道路や箱ものをつくって,それを識者や運動家が批判した。今はその逆で,運動家が発した問題に,識者が火を付け,結果,とんでもなく大きな「社会的予算」が作られる。
 そして,問題はまったくわけのわからない方向へと悪化していく。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.121-122

予算が増えるから

 日本の官僚はそれほどバカではない。明らかにこうした数字が間違いということを知っている。たとえば,「若年非正規率は高いが,その実態は学生バイトが大半」ということが,総務省統計局の労働力調査を見るとすぐにわかるのだ。
 そこにある「雇用形態別就労者数」では,01年の詳細集計より,非正規のうち「学生」という欄ができている。この前年に玄田有史氏の一連の著作により若年非正規の問題に注目が集まり始めたため,「うち学生バイト数」という項目を作ったのだろう。そして,この項目ができていることから見ても,官公庁は「若年非正規に占める学生バイト」の多さを知っている。
 同様に,世帯別年収については,厚生労働省が「国民生活基礎調査」で詳しく調べている。このデータでは,高齢世帯の平均所得が240万円,4割が年収200万円未満とも記載されている。ワーキングプア論の原典,民間給与の実態調査の個票は,扶養家族か否か,家族専従員かどうか,は一目でわかる構造だ。
 要は,お役所の人たちは,こんな「都市伝説」がかなり大げさに作られた虚像だということをすべてわかっている。なのに,あえて反論しない。
 その理由を一言で言おう。こうした「都市伝説」により,予算がガッポガッポ増えていくから。私にはそうとしか思えないのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.119-120

データでは

 たとえば,「格差の主因は非正規雇用」というOECDの訳知り顔レポート(06年)により,これも定着した感がある「貧困=非正規」という構図だが,年間所得200万円未満世帯の構成比では,高齢者が5割であり,次に多いのが約2割の失業者,その次が正社員での低所得者,さらに自営業者と続き,非正規世帯はたった7%弱。
 若年(15〜24歳)層の2人に1人が非正規社員とこれも声高に叫ばれるが,中身を精査すれば,248万人いる若年非正規のうち,115万人は学生バイトでこれを除けば,非正規数は半減する。
 最近の新しいところでは,「若者が内向きになったから海外留学が4割も減っている」という妄言もこの類だろう。97年に4万6000人いた留学生が,現在は2万7000人と4割減!が彼らの挙げる数字だが,この数字は全部「アメリカへの留学生数」。近年では中国やアジアへの留学生が増えているので,全世界への留学生は97年当時6万2000名だったものが,現在6万7000名と1割程度増えている。この間に,留学適齢期と言われる18〜29歳の人口は27%も減っているにも関わらず,だ。確かに留学生総数の方も,05年以降は減少傾向にある。ただ,この減少幅も約15%であり,前述の「留学適齢人口」の減少で説明できる範囲に留まる。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.118-119

ビジネスマンは職人

 要は,ビジネスマンとは,各業界に細分化された「職人」でしかないということなのだ。これを「ビジネスマン」と一言で括るから汎用性が広く思えて,勘違いをしてしまう。
 職人の世界を想定すれば,誰もこんな勘違いはしないだろう。たとえば,「器職人」という分類に入るからといって,陶磁器職人が漆器職人へとなりかわることなど,不可能だと皆わかっている。もう少し細かく言えば,同じ陶磁器職人でも,磁器から陶器に移るのは難しい。これと同じ。銀行も商社もメーカーも高度な職人であり,熟練に15年はかかる。それを40歳近くになってから宗旨変えすることなど難しい。
 つまり,スペシャリティを磨いたからといって,自由に次から次へと会社を選べるなどということは(40歳近くにもなれば)ほとんどあり得ないことなのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.105

転職する層

 では,転職率の高いジョブホッパーとはどんな存在なのか。これが,世の中の人の理解と少々異なる。
 確かに,即戦力のハイパーな経営層・技術者なども少なからず存在する。ただ,経営層の場合,最低でもバイスプレジデント(事業部長程度)でないと,右から左へとスカウトされて転職することは難しい。技術者と名のつく人たちでも,30代後半以降だと,一部の金融業やIT系のプロジェクトリーダーなどを除くと,右から左への転職はやはり厳しくなる。とりわけ,日本の課長に相当するミドルマネージャークラスでは,同業・同職・同規模という縛りの中でしか,転職可能性は少ない。これが現実なのだ。
 つまり,ほんの一部のハイパーゾーンのみ,会社に頼らず自由に転職を繰り返す権利を有する。
 これとは別に,世間の人の常識とは異なる転職層が存在する。
 それは,「比較的難易度の高くないエントリーレベルの仕事(=熟練がそれほど必要ない仕事)」をしている人たちなのだ。販売やサービス関連の仕事,もしくは営業でも個人訪問型のセールスや,商品や値段の決まったカタログ販売の延長であるパッケージセールス(自動車や保険など),IT系ならプログラマーやWebデザイナーといった人たち。彼らの転職率は驚くほど高い。
 会社に頼らず自由に生きていこうと思ったら,よほどのピンになるか,それとも比較的エントリーレベルに近い仕事をし続けるか。要は,この2つの選択肢になる。
 転職率こそ違え,日本でもこの法則は成り立っている。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.101-102

長期雇用が守られる欧米

 実は,欧米では慣行と法制,両方で長期雇用者が守られているのだ。よく知られているのが,「セニョーリティ(先任権)」=勤続年数の長い人ほど解雇対象とならない,という仕組み。労使協定で広まった「ブルーカラー時代の遺物」とも言われるが,現在では,法律として確立されている国もある。年齢差別と相反しないよう,わざわざ注釈をつけて法制化するオランダのような国さえある。
 そしてもう1つが,年齢差別禁止法の存在。老齢を理由に解雇することが難しくなっているのだ。アメリカでは,こんな笑い話さえある。
 「ある日,業績の苦しくなった経営者が,何気なく部下たちの顔を見た。すると,黒人のサムがこんな声を上げた。『私をクビにしたら,人種差別で訴えますよ』。次に,一児の母であるアンに目をやると,彼女は金切り声で叫んだ。『働く母親をクビにしたら,どんな訴訟が待っているか』。困った経営者は,50代のジミーをにらむ。彼はすぐに身構えた。『肉体労働でもないのに,年齢を理由にクビを宣告できますかね』。最後に経営者は,ジョージに照準を当てた。20代で白人のジョージは,追い詰められて,とんでもないことをカミングアウトした。『僕はゲイだ。個人の性向で解雇したら差別だ!』」
 この話からもわかるだろう。がんじがらめになった差別排除法制により,結局,欧米で解雇の対象になりやすいのは,若年層なのだと。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.95-96

時間があっても勉強しない

 前記のとおり,人気大手企業の内定は4月中旬までに出そろう。それらの会社に決まる秀才たちの就活は,4年の1学期早々に終わる。そんな,高偏差値でならすお勉強好きな秀才たちは,その後,待ってましたとばかりに,学業にいそしんでいるのか?
 彼らのその後は,いよいよ「学生生活最後の思い出作り」へと拍車をかけ,バイト・サークル・旅行・趣味・恋愛へと傾いていくのではないか?
 なぜ,こうした現実が見えずに,多くの識者は「就活さえなくなれば,学生は学業にいそしむ」という的外れな論説を展開するのだろう。
 そもそも,就活があろうがなかろうが,それが長引こうが早く終わろうが,昔から文科系の学部で,勉学に励む学生は少ない。これは今の学生に限ったことではない。
 就活解禁が10月1日だった30年前だって,8月30日だった20年前だって,6月1日だった15年前だって変わらない。とすると,最大の問題は,就職活動ではなく,大学のカリキュラムに魅力がないことなのではないか?
 大学のカリキュラム作りに問題がある中で,すべての責任を就職に押しかぶせても,結局,何も解決されない不幸をもっと多くの人に認識してもらいたい。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.90-91

相場の感覚は難しい

 いや,学生に限ったことではない。転職エージェントに相談にくる社会人とて,まったく同じ状況なのだ。転職エージェントにエントリーしてから転職が決定するまでには,大体,5か月ほどかかっている。そのうちの最初の2か月がまさに,「落ちて落ちて落ちまくる」ことにより,相場観が形成される時期に当たる。このときに,いくら「無理」「高望みはするな」「キャリア相応の企業を」とデータや心理的アプローチで説得を試みても,そのとおりに納得してくれる求職者は少なく,不合格を累々と積み上げることになる。
 もう少し詳しく書いておこう。一体,転職希望者たちがエージェントを通して転職を決めるまでに,どれくらいの不合格が生まれるか。その数は,不況期だと大体70本近くになる。好景気でも,決定1に対して,不合格は30本といった割合。そう,学生よりも社会を知り,企業のことも良くわかり,自分の実力さえわかっている社会人でさえ,こんな感じ。それも,熟練のキャリアアドバイザーが伴走しても,こうなのだ。
 市場相場に詳しくない駆け出しの大学付きキャリアカウンセラーが,学生らを説き伏せて,リードタイムを短くすることなど,可能性は0に等しいだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.78-79

時間がかかる理由

 現在は4月1日が採用解禁なのに,なぜ,半年もたった10月末以降に3割以上の学生が就職を決めているのか。
 この構造を説明しておこう。
 ほとんどの学生は,まずは人気企業を志望する。高校から大学を受験するときは,誰もが「東大・京大」を受験はしないのだが,こと就職となると,本当にほとんどの学生が名うての人気企業から応募していくのだ。
 学生たちの声を聞くと,「ペーパー試験の点数だけで判断される受験のようなシビアな世界ではなく,就職は“人間性”を見てもらえる世界だから,けっこう,自分も意外に高評価を受けて,いい企業に受かるかもしれない」,もしくは「どうせ落ちるかもしれないが,受験料がかかるわけでもないので,ダメもとでたくさん受けてみようか」といった声をよく聞く。
 現実的には,1月末から佳境となる会社説明会に「参加権をもらえない」学生や,説明会後の集団面接の結果,「もう呼ばれなくなる」学生も多く,その時点で「超大手は難しい」と薄々感じているのだが,まだ4月までは誰にも内定が出ていない状態だから,そういう企業が「無理」とはっきり思わないままに4月を迎えるのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.73-74

問題はどこに

 用は,世間受けがよくて学生もその親御さんも見栄を張れるような「主要企業」への就職者数は,5万〜10万人,全就職者の5人に1人程度。どんなに好景気でもその数は全体の3割に満たないような状況であり,その他の圧倒的多数(7〜8割)は,無名企業に就職している。
 そして,こうした無名企業と一般校の学生の間で,ミスマッチが起こり,最終的に10万人程度の未就職者が生まれる。この構造を前提に考えると,上位1割にも満たない超人気企業と有名校の組み合わせにおいて起きる「新卒偏重」問題は,騒いだ割に効果が少ない,ということがすぐにわかるだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.66-67

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