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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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中小企業は千差万別

 ここまでの話は2つの示唆を含んでいることに気づいてほしい。
 1つ目は,新卒を採用するような中小企業は,「零細・不安定・低待遇」とは少し異なるということ。2つ目は,大手企業のような粒ぞろいの一群と違って,中小企業は千差万別であり,平均値で見るのはまったく意味がない,ということ。利益率でも年齢別給与でもそうだったが,採用基準や勤務環境などでもすべてそうなのだ。
 たとえば,「最近は中小でも採用基準が上がり,なかなか入れない」という声を聞く。確かにそういう企業もある。そしてその逆,相変わらず誰でも採ってくれる企業もある。明らかに千差万別なのだ。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.55
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幻想の中で

 どうだろう。新卒一本という誤った常識がすっかり浸透してしまったが,日本の実情をもう一度整理しておこう。
●新卒でフリーターになっても,中小企業なら正社員雇用の間口は狭くはない。
●中小企業で働いた後に,実力さえあれば,第二新卒採用で大手に入れる。
 これくらい,日本の社会は新卒一括採用に対する安全弁が整ってはいる。
 ただ,これでも,もちろん全員が希望どおりの大企業に最終的に入社できるわけではない。
 やはり,実力・人物・運・相性などでうまく選考を潜り抜けた人のみが,希望の企業で就労できることになる。しかし,そのことをもって,時代がひどい,企業がひどい,世代間不公平だというのは的が外れているだろう。
 今の日本には,それなりに再チャレンジの仕組みがあり,少なくない若年者がそのレールに乗っている。ただ,再チャレンジもかなわず,結局,名も知れない中小企業で人生を終える人も確かに多い。しかし,若年層に限らず,日本の中高年,もしくは欧米諸国の人だって,多くが中小企業で働いている。それが現実なのだ。
 過去は良かった,外国ならもっと良い,というのは幻想だろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.49-50

突き進む日本

 要は,「若年中途採用」というパンドラの箱を開けなかったことで,超大手人気企業×新卒未経験者という組み合わせが奇跡的に続いてきた。そこに,昨今の「既卒3年=新卒扱い」策により,一穴が開けられる。そして,人気大手企業の採用が,「既卒無業者」ではなく,「既卒社会人」に流れ,学生とフリーターはさらに苦しくなっていく……。
 こうした慣行が人気大手企業に根付くと,中小やいぶし銀大手なども新卒採用に対する態度が変わり出す。なぜなら,「どうせ育てたところで,優秀な奴は,大手人気企業に引き抜かれていく」と考えるからだ。そこで,中小やいぶし銀大手が新卒採用を続けるにしても,インターンやアソシエイトという名の「非正規」が主流となり,また,入社後の教育活動にも力を入れなくなっていく。どこかで見た雇用慣習だとお気づきだろうか?
 そう,欧米の「苦しい若年雇用」そのものなのだ。ここから脱却するために,欧米諸国がどれほど施策を繰り出してきたか。職業教育制度や横断資格など,この矛盾のために作ったようなものなのだ。なのに,その欧米へと,スキップしながら,昨今の日本は進んでいる。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.28-29

新卒はますます不利に

 こう考えてくると,まったく新卒にこだわる必要がないことがわかる。むしろ,超大手人気企業が,新卒のみにこだわることの方が異常であるとわかるだろう。
 とすると,どうなるか?
 新卒固執は見直し,25歳まで採用はOKとする。超大手の人気企業が,何らかのきっかけでこの「欧米的」な慣行を一度取り入れれば,その後,この方式はスムーズに定着していく可能性が高い。
 これで,「新卒でなくてもOK」と胸を撫でおろす学生が増えるはずだが,その実,「新卒では入れない」「社会人経験者有利」という社会ができあがる。
 素の頭に戻って普通に考えてほしい。あなたが企業の人事担当なら,以下のどちらを採用するのか?
 ・大学レベルは同じ2人。人物的にも甲乙つけがたい。1人は,大学生。もう1人は,社会人経験者。しかも後者は,中小企業ながら同業での勤務経験があり,商品知識・顧客折衝などにも慣れている。
 もし,2人の年齢差が1〜2歳だったならば,企業は,未経験学生を採用するメリットなどあるのだろうか?ましてや2人が,同年齢の既卒フリーターと社会人経験者だったら?答えは言わずもがなだろう。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.22-23

専門とは関係がない

 そう,理系と異なり文系の場合,おおよその仕事は世界どこでもあまり「大学の専門」とは関係がないのだ。専門が生きるのは,金融・マーケティング・法務などを専攻した人のうちさらに「上位学生のみ」というのが正解だろう。
 とすると,一般文系大学生はどうやって仕事を手に入れるのか?
 欧米でも「カードル」や「リーダーシッププログラム」(以下LP)という名の超エリート向けに,新卒幹部候補の未経験採用はしているが,これは日本では考えられないほど狭き門となる。上位大学の成績優秀者しか応募資格はない,と,入り口で言明されているからだ。だから日本のように,誰でも彼でも大手人気企業に応募する,ということはない。
 ではどんな就活があるのか?
 一般に,大手企業はLPやカードルのほかに,若年者に対して「エントリーレベル採用」という入り口を用意している。LPやカードルが職務未決定の日本型総合職に近い採用とすれば,こちらは,職務を決めたいわゆる欧米型採用となる。このワクは,比較的習熟度の低い若手に対して広げられた「職務限定採用」で新卒・社会人関係なく25歳くらいまでがそのターゲットとなっている。これが多くの識者やマスコミが称揚する「欧米の良い慣行」「日本が見習うべき手本」というものにあたる。
 さて,ではここに職務未経験の新卒者は採用されるか?欧米でも日本同様「将来性」や「人物」を見込んだポテンシャル採用はないわけではないので,少数は確かに採用されるだろう。年齢が関係ないので,院卒や既卒留学生などもそこに含まれる可能性はある。それがギャップ・イヤーなどとカッコいい言葉で呼ばれたりもする。
 しかし,現実は甘くない。やはり職務契約での採用だから,即戦力で仕事ができる人が優先される。だから採用者の大半は「社会人での同職経験者」となる。つまり,未経験学生は採用されにくい。
 となると,上位層でもなく,経験もない一般大学生はどうするのか?
 まずは,欧米でも離職率の高いブラック企業は新卒未経験採用を大量に行っている。こんな企業に入るのが1つ目の選択肢。2つ目は,アルバイトやインターンといった低給与・不安定な身分で1〜2年下働きをしながら腕を磨いて職を探す。これが2つ目の選択肢。
 とどのつまり,ブラック企業での正社員か,中小企業のインターンで何年か働いたのち,ようやく大手企業のエントリー採用にて職を見つけられる可能性があるが,それも日本同様,やはり狭き門である。そして,多くは無名企業にて正社員となっていく。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.17-19

一部だけの問題

 東大と京大で卒業生は毎年6000名,これに,北大・東北大・名古屋大・大阪大・九州大を合わせるともう1万9000名となる。一方私立では,早稲田と慶應の卒業生だけで毎年1万8000名。つまり,早慶旧帝大で卒業生総数は3万7000名。さらに,東工大・一橋・東京外語大・神戸大といった専門分野のトップ大学を加えると,年間卒業生は4万5000名に迫る。
 そう,超のつく難関大学の卒業生だけでも4万5000名もいる中で,人気企業の採用は平時で2万,多くて3万。難関大出身者でさえ,容易にこんな企業には入れていない。そんな企業群の「慣習」である新卒固執が,世間の常識となる異様さ。そして,マスコミがこの目立つ存在である「人気企業」×「難関大学生」にばかりスポットを当てた過誤。こんなボタンの掛け違いで,就職問題は解決とはほど遠い方向に動き出してしまった。大学は年間約55万人も卒業生を生み出す。そのうち就職希望者は45万人程度。そして就職できる人はアベレージで35万人。対して,たかだか採用ワク2万(卒業生比たった4%!)の人気企業の風習をいじったところで,大方の一般大学生にとっては何の問題解決にもならないはずなのに。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.15-16

脅迫状まで

 日本には,国際的に貢献できる独創的な研究もいくつかある。独立行政法人農業生物資源研究所は,1日に1合食べると花粉症を緩和できるという花粉症緩和米を開発した。東京大学大学院農学生命科学研究科は,鉄吸収力の強い組換え稲の開発研究を続けている。世界の土地の約3割は,土壌の石灰岩が多くアルカリ性が強いために鉄が土壌にしっかりと結合してしまい,植物が鉄欠乏となり育ちにくい。しかし,この組換えイネを開発してこうした地域でも生産できるようになれば,諸外国の食料生産に貢献できる。
 現状では,こうした研究も反対運動にさらされ,周辺には影響を及ぼさない隔離圃場試験を行っていても研究者に脅迫状まで来る始末。リスクを把握し制御して大きなベネフィットを得るために,研究と活発な議論が必要だ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.196

遺伝子組換えに対する不安

 日本の大きな問題は,市民の遺伝子組換えに対する科学的な理解が進んでいない,ということだ。内閣府が08年に中学校・高校の教員を対象に意識調査を行っている。基礎知識を確認するため,たとえば「遺伝子組み換え作物には昆虫を殺す毒素を作るものがあり,これを昆虫が食べると死んでしまうが,人間が食べても害はない」という内容の正誤を問うている。この内容は正しいのだが,正解率はわずか21.8%だった。アンケートに答えた教員の75%が授業で遺伝子組換えに関連した授業の経験があるにもかかわらず,である。正しい情報が市民に浸透していないことがうかがえる。
 その結果,遺伝子組換え食品に対する市民の不安は強い。食品安全委員会が09年に実施した食品安全モニター調査でも,「非常に不安」「ある程度不安」とする回答が64.6%に上った。こうした市民感情を受けて,いくつかの自治体が栽培規制をかけている。遺伝子組み換え作物を栽培する前に自治体に届け出て審査を受けることを義務づけたり,一般作物と一定の隔離距離をとるように定めたりするなどしている。安全性への懸念からではなく,市民の「安心」を担保しようとする姿勢が目立つ。
 実際には冒頭で説明したように,組み換え作物の開発企業は,わざわざ反対感情が強い日本で,すぐに種子を売ろうとは思っていない。日本の農業市場は極めて小さく,開発企業にとって困難なリスクコミュニケーションを遂行しながら種子を売る価値などない。


松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.193-194

どこにもリスクが

 遺伝子組み換え食品に限らず,食品の安全性を確認するのは,実は非常に難しい。多くの人は,動物に食べさせて問題がないか確認すればいい,と考えるが,これが難しいのだ。まず,栄養成分としてパーフェクトの食品はなく,化学物質の毒性評価試験のように大量投与試験をすると,毒性が表れる前に栄養の偏りによる影響が出てしまう。
 また,私たちが日常食べている食品も実は,毒性成分を含んでいる。トマトにはアルカロイド類が比較的多く,これもたくさん食べれば体に害になるし,ヒジキには無機ヒ素が多く,英国などは食べるのを禁じているほどだ。ジャガイモの芽や皮にあることで有名なソラニン・チャコニンは,可食部にも少しだが含まれている。多種類の発がん物質も,野菜など多くの食品が含有している。
 しかも,毒性成分の多くは未知のもの。そして,栽培方法や気候変動などによっても,その毒性成分の数や量,質は変わる。さらに,作物は個体差も非常に大きい。
 結局,遺伝子組換え作物にしても非組み換え作物にしても,リスクがある。その比較を動物に食べさせ行っても,差が出たときにそれが組換え技術由来のものなのか,栽培方法や作物の個体差などほかのファクターによるものなのか,区別するのは困難である。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.179-181

リサイクルのリスクは?

 安全だけを追求していくなら,必要のないものは焼却処分してしまうのがもっともいい。しかし,資源の上手な利用,環境保全を考えると,安全追求はほどほど,資源の再利用,リサイクルもほどほどでバランスをとっていく,というやり方に行き着く。
 逆に言うと,リサイクルをするのなら,潜在的なリスクがあることを社会が共通認識として持ち,リスクをどこまで許容するか,という議論しておく必要がある。とりわけ,生き物が絡むリサイクルは難しい。生物の細胞中には,どのような性質を持つかまだ突き止められていないタンパク質や遺伝子がごまんとある。異常プリオンのような致死的なタンパク質,第二のBSEが今後,さらに明らかになる可能性が絶対にないとは言えない。生物の世界はまだ分からないことだらけである。
 また,病原性微生物も環境中に数多く存在する。リサイクルの管理に問題があれば,病原性微生物が一気に増殖し,毒性物質を産生したりもする。生き物のリサイクルはある意味,何が起きているか,何が含まれているか分からないブラックボックスである。
 しかし,日本ではリサイクルのリスクが議論となることは少ない。マスメディアも取り上げない。リサイクルは,「もったいない」を解決する手段として賛美され,それ以上の議論には進展しいない。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.164-165

自然な流れ

 BSE感染牛の国内発生が明らかになった01年当時,「牛に共食いをさせたからだ」という批判が盛んに行われた。01年9月30日の参議院農林水産委員会では,ある議員が次のように発言している。「これはイギリスで肉骨粉が原因だということになっているんでしょうけれども,基本的にいわゆる牛というのは,何万年,何十万年か何億年か知りませんけれども,発生して以来,草食動物で来たわけですね。それに,あるとき,人間の都合で,味がいいからといって瞬間的に,瞬間的といいますか,歴史の長さからいったら本当に瞬間的ですよね,そこで肉食動物,それも共食いをさせようというような状況なわけですよね。これは自然の摂理からいって,変なことを言いますけれども,合うわけがないと思うんですね」。こうした共食い批判は,テレビやマスメディアでも,たびたび展開された。
 だが,それは後付の理屈に過ぎないのではないか?食肉処理をした後の骨や皮,脂肪などを目の前にして,「捨てるのも大変だし,これを上手に使えないか」と考えるのは,当然の発想だったはずだ。
 昔も,皮や脂肪など使えるものは切り取って使っただろうが,20世紀に入って有機溶媒の利用など科学技術の画期的な進歩に伴い,利用できる割合はより多くなった。さらに時代が進んで,作業する人や環境に大きな影響を及ぼし危険でもある有機溶媒をできるだけ使わないようにしたい,と考えたのも当たり前。さらに,そうやって得た“資源”をより有効に利用したいと考え,家畜の中でもっとも高価な牛の飼料にまでしてしまうのも,自然な流れだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.162

人工的は嫌

 保存料,特に安全性が高いとされているソルビン酸の使用量は,他国では年々増加しているという。なのに,日本では保存料無添加がもてはやされる。適正に使われれば安全だと認められているものを忌避し,電気屋化石燃料を大量に消費して冷蔵庫管理をし,早めに捨てる日本人。「なんとなく,人工的なものはいや」という気分の判断,科学的な思考の欠如は,こんなところでも資源の無駄遣いを招いている。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.155-156

そこは引き受けない?

 有機農業は最近,市民から生き物を大切にするとして高く評価されている。市民が,田んぼの生き物を調査するイベントなども開かれ,田んぼが多様な生物を育む場所として歓迎されている。
 しかし,そこで評価されるのは,クモがいてトンボが飛びカエルが鳴きメダカがいる「人に都合の良い自然」である。市民は,クモやトンボが蘇ったと喜ぶけれど,イネに大きなダメージを与えるウンカやカビ,人の健康を損なうかもしれない病原性微生物まで,自然として引き受けようと思っているわけではない。
 実際には,生き物の「選別」は難しい,自然は非常に厳しいものであり,人に都合の良い生き物を蘇らせれば,人に害をもたらすものもまた,蘇る。
 昔,一部の地方の水田や用水路には罹った人が死にも至る日本住血吸虫がいた。用水路がコンクリートで三方を固められ農薬が使われて,中間宿主であるミヤイリガイが生息できなくなり,日本住血吸虫も1976年を最後に報告されなくなった。コンクリートで固められた用水路も農薬も,最近ではとても評判が悪いが,こうした効果もあったのだ。その結果,どこの地域でも子どもたちが水田や水路に入って田植えを経験したり生き物調査もできるようになった。
 だが,ミヤイリガイがまったくいなくなったわけではなく,一部地域には生息している。もしフィリピンや中国の日本住血吸虫が人や生物の移動により入ってきたら,この深刻な感染症が復活する恐れもある。あるいは,温暖化によってマラリアやデング熱を媒介する蚊が日本でも生息するようになり,田んぼが蚊の温床になる可能性もある。
 多様な生物を育む場は,こうしたリスクも秘めている。そのことを,市民は理解しているのだろうか?

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.138-139

自然世界の農薬

 化学物質が遺伝子を変異させるかどうかを確認する有名な試験,「エイムズ試験」を考案したことで有名なB.N.エイムズ博士は,「食品中に含まれる農薬効果を持つ物質の99.99%はナチュラル」という論文を1990年に発表したことで知られている。植物は発がん物質など毒性のある物質を数多く自ら作り出し,それらが食品中には含まれており,人工的な農薬使用による残留は0.01%でしかない,という主張だ。論文ではキャベツに含まれる発がん物質などを解説している。
 農薬をあまり使わない有機農産物は,病害虫の食害などストレスを受けており,農薬を使い病害虫などを防いでいる慣行栽培に比べて,より多くの二次代謝産物を作り出している可能性がある。どんな種類の物質がどのくらいの量を生産しているのか,詳細に調べないと,良い健康影響をもたらすのか,あるいは悪影響となるのか,わからない。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.125-126

トレードオフに気づかない

 私は,除草剤散布1回よりも,草刈り機で2回,3回と除草する方が環境への影響が大きいのではないか,と考える。リンゴ農家が使うタイプの除草剤は,哺乳動物や虫などに対する毒性は極めて低い。蒸気圧も低く揮散しにくく,容易に分解する。除草剤散布の周辺環境への影響は,実際には考えにくい。
 もちろん,除草剤の生産や果樹園までの輸送,散布にも化石燃料が必要でCo2を排出する。機械除草に何リットルの経由が必要かも調査して比較しなければ結論は出せない。だが,現実には「農薬の使用は環境に悪い」という前提で,生産者は機械による除草を行い,労働量の増加,人件費増に喘いでいる。こうして作ったリンゴも,普通の栽培のリンゴに比べてわずかに高い程度の価格でしか売れない。
 同様の例は各地にある。ある自治体は「除草剤を使わず環境に良い稲作を」と農家に機械除草を奨励している。大型機械を動かして除草するときのエネルギー消費は,まったく念頭になく,環境影響にトレードオフが生じていることに気づかぬまま,この自治体は除草剤を使わない稲作に補助金を出している。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.103-104

感覚に左右される

 消費者の過度な新鮮志向は,「食の安全」を求める意識とも重なり合っている。たとえば,小麦粉とあんこで作る饅頭は,衛生的な工場で生産し,包装時には空気を抜き微生物が入らないようにして,脱酸素剤と一緒に包装すれば,現在の技術なら3〜4か月は軽く日持ちするし,味もそれほど大きく変化しない。
 だが,菓子メーカーは賞味期限を3か月とは表示できないという。なぜならば,科学技術の進歩を知らない消費者には,饅頭が3か月もそのまま日持ちするという事実が信じられない。なにか,体に悪いものが入っているに違いない,保存料を入れているのに表示していないのだろう,などと疑う。そうした疑い,苦情を避けるために,菓子メーカーは賞味期限を20日間に設定して販売しているのだ。その結果,消費者はまったく問題のない饅頭を「賞味期限が過ぎたから」という理由で捨てている。
 賞味期限を早めて表示するという行為は,一部の菓子メーカーが売れなかった菓子の賞味期限を張り替えて再度売る「偽装表示」のような問題にもつながった。そもそも,最初に表示した賞味期限が短すぎるため,表示を張り替えて賞味期限を延長しても,品質には支障が出ないことが多い。そのため,一部の菓子メーカーが偽装してしまい,07年に相次いで発覚した。
 食品製造や流通は,消費者の「感覚」に大きく左右される。消費者の欲望とそれに応える食品関係者が,食品ロスを膨らましている。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.94

ゴミ捨て場にしないで

 私には,今も忘れられない言葉がある。食品リサイクルが脚光を浴び,「環境に良いこと」としてマスメディアで盛んに取り上げられていた2000年夏,ある有機農家から言われた。「リサイクルという美名の下に,農地をごみ捨て場にしないでほしい」。食べ残しや売れ残りの弁当などから作られた堆肥や飼料を,生産者は諸手を上げて歓迎しているわけではないと言うのだ。
 堆肥は原料によって含まれる養分の割合が大きく変わるが,日々の食べ残しや売れ残りは,原材料がまちまちで養分の割合が安定しない。フライや調理くずの油かすが多く入ると油分が分解されずにそのまま残って,植物の生育を阻害してしまう。魚のあらには水銀など重金属が多く含まれている場合もある。食べ残しが原料だと,スプーンやタバコの吸い殻,医薬品など異物が混じる可能性も否定できない。故意に毒性物質を食べ残しに混ぜる「犯罪リスク」も想定しうる。つまり,生産者にとって把握できない要素が極めて多くなってしまうことが問題なのだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.86

家畜糞尿処理問題

 古くから土づくりのために堆肥の利用を推し進めてきた産地や有機農業産地で,長年の過剰使用がたたり野菜のNO3濃度や重金属濃度が高くなる例が最近目立っている。ブランドに傷がつくため公表されることはほとんどないが,農業関係者の公然の秘密である。
 さらに,畜産が盛んな地域の偏りも,家畜糞尿処理を難しくさせている。畜産は都会では「臭う」などと言われ嫌われ,多くが郊外へ移転した。さらに,コストを下げるための大規模化,多頭飼育が進み,北海道や南日本など一部の地域に集中し,糞尿も偏在して発生するようになった。一方,野菜や果物栽培は全国で行われている。畜産県で作られた堆肥を運んで有効利用できればよいが,堆肥は水分を比較的多く含み重くかさばり輸送費がかかるため,遠距離輸送は採算が合いにくい。
 その結果,農水省の統計上は「有効利用できる堆肥」となっていても,使われないまま放置されている堆肥が畜産県には大量にある。これらは雨に打たれ,養分の多くは地下水へと流出し,一部は二酸化炭素(Co2)やメタン(CH4),亜酸化窒素(N2O)などとして空気中へ消えている。
 畜産県では一時,糞尿を貯めて発行させメタンを発生させて発電を行い,エネルギー源として利用しようとする動きが起きた。だが,この方法では有機物に含まれるCをメタンに変えることは可能だが,Nなどほかの元素は未処理のまま残ってしまう。メタン発酵発電を夢のエネルギー源のように語り,あたかも家畜糞尿の問題がすべて解決するかのような報道まであったが,完全な誤解である。
 では,コストを無視して畜産県から対比を搬出し全国にばらまけばいいのか?その代わりに製造や運搬に化石燃料が必要になり二酸化炭素を大量排出するのでは,環境によいとは言い難い。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.80-81

隠れた問題

 残念ながら,多くの生産者や消費者がウソに気づいていない。その結果,奇妙な現象が起きている。たとえば,ある中国の団体が,地産地消活動の一環として,地元産のコメをレトルトパックのご飯にして売ることにした。だが,ご飯のレトルトパックは地元企業では作れないため,関東地方の企業にわざわざ地元の米を持ってゆき加工したそうだ。「地産地消」の名目で,コメが日本列島を大横断している。
 あるいは,「安全でエコな生活を」と,休日に都会から地方の直売所に車で乗り付ける消費者も目立つ。大型乗用車に乗っているのは1人か2人。買うのはごくわずかな野菜,というタイプだ。快適なドライブで,地方のよい空気を吸って気分がよいのは分かる。だが,近くのスーパーマーケットに歩いて行って買う方が,おそらくうんと環境にはやさしい。スーパーマーケットに並ぶ野菜は多くの場合,効率よく大量生産され,エネルギー効率のよい大型船や鉄道,大型トラックで運ばれているからだ。
 本当のことが伝えられず,消費者の「気分のエコ」の対象になっているのは,地産地消ばかりではない。減農薬や有機農業,食品リサイクルなど,褒めそやされるさまざまな事柄をじっくりと検討していくと,多くの問題が隠されていることに気付く。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.18-19

カドミウムが多い

 実際に,火山国日本は土壌中のカドミウム量が比較的多く,農産物のカドミウム含有割合も諸外国に比べれば全般に高い。特に,コメはカドミウムの平均濃度が0.06ppmだが,栽培されている地域によっては1ppmを超えるコメもできる。国は1ppmを超えるコメは焼却処分とし,0.4ppm以上1ppm未満は農家から買い上げて工業用のノリとして処理している。
 米国のコメの平均カドミウム濃度は0.01ppm,タイは0.02ppmなので,これらに比べると日本のコメはリスクが高い。国際基準を検討するFAO/WHO合同食品規格委員会(コーデックス委員会)では1998年,コメの上限許容値を0.2ppmに強化する案が浮上した。だが,これが決まって日本も従わざるをえなくなると,国産米の数%が食べられなくなってしまう。そこで,日本はさまざまな実験や調査の結果を提出し,日本国内で行っている0.4ppm未満を食用とする規制で,健康影響が発生していないことを主張した。議論の結果,コーデックス委員会は2006年,コメ上限許容値を0.4ppmとすることを決めた。
 皮肉なことだが,コメのカドミウム濃度が高くても,日本人が健康影響を心配せずにすむのは,コメを食べる量が減ったからだ。最近は「コメを食べて自給率を上げよう」という運動が盛んだが,日本人が再びコメを大量に食べるようになれば,カドミウムの摂取量は増え健康影響をもたらす可能性もあり,規制をより厳しくする必要が出てくるかもしれない。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.15-16

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