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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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重要なこと

 北海道や東北では昔,雪のない時期にとれた野菜を漬物として保存し,冬に食べていた。保存する過程でビタミン類などの多くが失われ,塩分摂取量は増え,多くの人々が高血圧や胃がんなどに苦しんだ。栄養価の高いトマトをはじめとする生鮮野菜を年間通してふんだんに食べる生活が実現して,日本人は健康になった。健康面を考えると,地元産や旬だけにこだわらず,さまざまな農産物を運んできて食べることもまた,重要なのだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.14
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保護者へ

 有効な手立ては見つからないものの,キャリアセンターが就職活動生の親との連携を求めているのは事実である。現状は保護者に対する「お願い」という形で,HPなどを通じ助力を仰いでいる。
 お願いの1つは,過干渉にならないでくれ,決めつけ押しつけは慎んでくれ,というものだ。時代がまるで違うのに,ご自身が大学生だった頃のやり方でいいのだと思って疑わない親御さんは意外といるので,わざわざ当然のことを言わせてもらうのである。
 2つ目は,望ましい接し方のアドバイス。子供の話の聞き役に回り,なるべく子供を否定せず,他の子供と比べず,とにかくその子と向き合ってくれ,というようなことだ。キャリアカウンセラーの基本姿勢を親に求めている。
 3つ目は,親御さんが子供の就職状況をつかんでおいてください,とのお願い。キャリアセンターが就職状況を確認したくても,学生と連絡がつかないことがけっこうある。そんなとき,お世話になりますというわけだ。
 他にもいろいろお願いしたいことはあるのだが,全就職活動生の親に共通して言うべきは少なく,教育機関としてどう接していいのかは難しい。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.228-229

手首

 キャリアセンターの仕事は基本的に待ちの姿勢である。学生が機嫌をそこねて来なくなってしまったら,対処のしようがなくて困る。怒鳴れない最大の理由がそれだ。
 が,もっと恐れている理由もある。リストカットされたら大変だからだ。
 これは比喩ではない。誤解を恐れずに言うと,「この子,少し様子がヘンだな」と感じたとき,私は反射的に学生の手首をちら見している。例外とは片づけられない確率で痕がついているものだ。
 痕を見つけたら,言葉遣いにより慎重を期する。間違っても質問魔にはならない。しばらくは聞き役,うなずき役に徹する。それ以上の何かをしてあげられると勘違いしてはならない。しかし,どんな事情があるにせよ,自分の進路を考えたいと思っていることは事実だ。それには,私もちゃんとした姿勢で向き合わなければならない。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.178

縁故を嫌う

 いまの就職活動生は縁故採用を嫌う。縁故採用というのは,血縁つながりだけでなく,それこそ何らかの縁で自分を気に入ってくれた大人の推薦による採用も含まれる。
 なぜ縁故採用がNGなのか。
 理由は前述の指輪と少しにており,仲間がみんな就活で苦労しているのに自分だけ脇道を通って内定を取るのは不正みたいな感じがする,というものだ。ある種の正義感が過敏に働くのだ。
 就職活動中に縁故の話が転がりこんできて,「どうしたらいいでしょう」とキャリアセンターまで相談しに来る学生はちょくちょくいる。不正とは違うことを説明しても,「入ってから苦労しますよね」「あとあと嫌な思いをするんじゃないか」と妙に悩む。
 理解に苦しむのは,自分の能力が引き寄せた縁故で悩む学生である。たとえば,アルバイトで接客したお客さんが,「いい子だな」と思って人事に働きかけた。このパターンで悩む学生は多い。ゴルフ場で受付をしていて,その働きぶりが気に入った経営者から声をかけられた。そんなラッキーケースでも悩む。個別相談で泣いてしまう。
 バイト姿が評価されたのだから自慢してもいいくらいなのに,そう思わない,そう思えない。困った意味でマジメ,普通じゃない事態に腰が引ける。そんな大学生が男女を問わずかなりいる。
 縁故を「コネ」と読んで,そこに黒っぽいイメージを重ねてきた世間のほうにも問題があるのかもしれない。「あの子はコネだから」「そうだと思ったよ」という職場での会話の中に,プラスの要素は見つけづらい。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.174-175

残酷なセリフ

 他,キャリアセンターの職員も言いがちな面接関係のセリフをふたつ。
 「会って数秒で人はわかる」
 だったら,面接じゃなくて,顔見せで十分では。キャリアセンター曰く「わかるから,身だしなみは大切にしましょう」。えっ,内面は外見でごまかせるってこと?
 「最終的に,面接は相性です」
 昔は,「お見合いのようなものです」と言っていた。ま,事実そういう面はあるし,なにより落ちたときの学生の慰めになった。でも,20回,30回と連続して「相性」で断られるのが当たり前の時代においては,自分の性格に難があるかのごとく聞こえる残酷なセリフだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.145-146

学歴を気にする理由

 学校名が就職に関係するもう1つの理由は,社内における人事部の立場の問題だ。
 東大生や京大生を採って配属,それで育たなかったら「現場が悪い」と答える。だが,下位校の大学生を採って外してしまった場合,現場から人事が責められる。実はその社員に秘めた実力があって,現場にそれを引き出す教育力がなかったとしても。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.137

学歴フィルター

 ウワサの「学歴フィルター」については,企業がナビサイトで説明会参加者を大学名でふるいにかけることはできる。同じ企業の説明会に,東大生がアクセスするといつでも「空席あり」だが,下位校の大学生がアクセスすると「もう定員になりました」の表示に,といった具合に。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.136

固定化へ

 一次面接の部屋には,人事マンがいないこともざらだ。社内の各部署から若手や中堅社員を集めてきて,彼ら彼女らに選考を託すことが珍しくない。
 相手にする学生数が多すぎて,いちいち人事部の者が選考につきあっていたら仕事がまわらなくなる,という現実的な理由がある。また,若手社員に面接の場を経験させることで,人材育成の機会とし,入社時のフレッシュな思いを再認識させるといった戦略的な理由もある。
 が,一次面接における企業の狙いは,「現場の歳の近い社員が一緒に働きたいかどうか」を判断基準に人材を選別することである。
 現場の肌感覚を活かすのはいいが,焦っている企業が多いんだなあと思う。こうした一次面接でピンとこなかった応募者をばっさり落とした場合,貴社に欠けている資質を備えた人材を無視できない確率で取り損なっている可能性はないだろうか。
 各部署の業務に追われている面接官は,「こいつは我々のノリとは違う」「うちの空気には馴染めない」といった印象の学生を落とすはずだ。だとしたら,裏返すとそれは「類は友を呼ぶ」選考で,悪い意味での社風の固定化につながるのではないか。人材の多様性を確保し,ビジネス環境の変化に柔軟対処する組織論の反対だという気がするのである。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.109-110

就職ナビサイトの功罪

 就活ナビサイトは「一応」日本の就職活動生全員に,求人情報を公開している。
 以前は,特定のいくつかの大学にしか送らなかった求人票を,企業がナビサイトに求人情報として掲載することで,「誰もが」「どこの企業へも」採用選考にエントリーできるようになったわけである。
 結果,以前だったら,「うちの大学からは難しいだろう」と避けていた企業にも,新卒募集の応募をする学生がわんさかと出てきた。
 手書きのハガキで応募していたかつてより,パソコンを使ってエントリーする今のほうが心理的負荷は小さい。そんな些細な話も含めて応募の「自由化」が起こり,「知名度の高い社会」「身近なイメージの会社」の人気が沸騰したのだ。
 たいした志望動機がなくても,とりあえずエントリーする。とりあえずすることによって,学生は就職活動をしている気分になり,受かるはずもない企業へのエントリー数を増やし,どこかには受かるだろうと甘い幻想を抱く。
 いまや十単位の採用に万単位の人数の応募が来るケースも珍しくない。マスコミのような宝くじ的倍率の就職人気企業があちこちに存在する。
 事実上の学校指定制度に近かった,あるいは大学階層と企業階層が近似していた就職活動が,IT革命で下位校の学生でも有名企業の門を叩けるようになった。とも言えなくはない。実際,門を叩いて,その先のお屋敷に入ることになった例も,ごくごく稀にある。
 けれども,そうした「功」よりも,「罪」のほうがやっぱり目立つ。「機会の平等」以上に「現場の混乱」をもたらしたのが,ナビサイト主導の就職・採用活動なのだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.98-99

高就職率の秘密

 入試偏差値は40台なのに,就職率の良さを大いに誇っている大学というのも目立っている。あれはほとんどが規模の小さな理工系の大学だ。手間暇をかけて学生を育て,就職支援をできる体制を作っているのはたしかだけれども,少し気をつけたいのは理工系就職のイメージの強い有名メーカーなどに,文系枠で就職させている戦略があるということ。学生本人が納得していれば何の問題もないが,エンジニアになりたくて×××大に入ったが,結局は営業マンにさせられてしまいました,というパターンはありがちだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.88

就職率算出方法

 就職率の計算式で気をつけたいのは分母である。本来ならば,就職率すなわち就職希望決定率の分母は,全卒業生数から「進学者」「留学者」と「就職を希望しない者」を引いた数とするのが適当だ(進学者には「就職できなかったので仕方なくそうした人」が,就職を希望しない者には「途中で心が折れて諦めた人」などが混じっているけれども)。
 が,それだけでは分母が大きくなってしまうからと,「進学不明者(心理未決者)」,状況不明者(回答未収)を外す。海外からの留学生は内定すれば分子にカウントするが,就職が決まらず(留学ビザが切れるため)母国へ帰る学生については,「帰国者」として処理され,就職希望者ではないとする。
 やりかたがひどすぎると思うのは。公務員再受験予定者などを外す計算法だ。在学中に公務員試験を受けた学生も「就職を希望した者」に他ならないはずで,受かった場合は華々しく大学入学案内やキャリアセンターのHPで紹介されるが,来年以降も受験するハメになった学生については分母から消される。資格試験を目指す者,進学や就職準備中の者も同様だ。
 なんだかんだのセコ技で分母を削り,分子は都合よく膨らます。大学によって細かな違いはあるものの,就職率の計算式はおおよそこうなっている。
 なぜ高等教育機関である大学が,こんな作業に精を出すのか?
 簡単に言ってしまえば,大学としての生き残り競争にさらされているからだ。潰れるわけがない大学であっても,同じ階層の他大より劣っていると見られたくないからだ。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.84-85

本末転倒

 就職のエントリーシートを1年生に書かせるという,勘違いセンセイの授業を拝見したことがある。将来の就職ではこんなふうに自分を見られるのだから充実した学生生活を過ごせよ,というメッセージの方法でやっているのなら理解できなくもない。
 しかし,そのセンセイの意図は違った。
 書類や面接で受かるには,自己PRがうまくできるようにサークルがんばれ,アルバイトがんばれ,「就職活動はネタが勝負だ」と寿司屋みたいなことを言ってしまう。
 これだと大学生活は企業採用に受かるために過ごす期間なのか,という話になる。エントリーシートを配られた1年生は,その紙をじっと見つめながら,「ああ,自分の大学の勉強って関係ないんだな」と受け取ってしまう。
 でも,彼ら彼女らはサークルやアルバイトをがんばるためだけに,大学に入学したわけじゃないのだ。大学の勉強があって,他もあって,そのトータルを大学生活として期待していた。なのに1年次の正規の授業内で,その期待の梯子を外されてしまう。
 だったら,そもそも大学なんかに進学しないで,4年間をアルバイトでがんばったほうがいいじゃないか,となる。まさに本末転倒な授業。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.46

能力主義

 3つ目の能力主義とは,たとえば先述した「コミュニケーション能力」の偏重だ。コミュ力を高めよ,と言われ始めて十年は経つ。が,どうやったら高められるのか,クリアに答えられる人の存在は寡聞にして存じあげない。眉ツバ系の自己啓発書の世界に行けば,いろんなメソッドがあふれかえっているらしいけど。
 コミュ力と並んで「社会人基礎力」も流行っている。2000年代の中頃に経済産業省が提唱した概念で,「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つを核とする。
 それぞれあったに越したことはない力だが,はてさてどうしたもんだろう。
 「努力」「気力」「忍耐力」「創造力」「団結力」など,昔から掲げられてきた「〜力」がある。新しい「〜力」は古臭くなってしまったこれらの力を組み合わせて,なにかあたらしい概念を生み出したつもりになっているだけでは?

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.43-44

態度主義授業

 態度主義は,やたらに細かいマナー講座をイメージしていただければいい。
 その際のお辞儀の仕方は何十度です,この場合のエレベーターではどこに立ちますか,メールと電話と手紙のどの方法で返事をすべきでしょう,といった事柄にこだわる。
 秘書検定の受検講座ならべつに構わないのだけれど,これで社会が学べたつもりになられたは困る。そもそもビジネスマナーは社会に出てから,それぞれの現場で覚えていく事柄ではないだろうか。現場ごとにマナーは違うのだし。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.43

心理主義授業

 心理主義というのは,「あなたらしさは何?」「やりたいことは何?」と,いわゆる自分探しに重きをおくタイプだ。大企業に就職すれば,誰もが幸せというわけではない。だから,1人ひとりの「価値観」にあった企業選びが大事だというわけである。
 VPI職業興味検査をはじめとする心理検査の結果を使い,学生個人と特定の職業を結びつけてみせたりする。VPI職業興味検査はハローワークでも用いるごく一般的な就職支援の手法だが,就職が目前に迫っているわけでもない大学定額年次にこれをやらせる。マインドマップを作らせたり,独自に編み出した心理テストを用いる人もいる。
 小ネタで使うぶんには構わないが,それらを中心に据えてくるから困りものだ。
 検査がはじきだした個々の価値観に基づいて進路を選べたらあなたは幸せですよね,というスタンスで授業を進める。これはその「価値観」の中に職業選択の正解があるという前提にしている点でヘンなのだ。
 大学生はまだ自分の外側の社会をほとんど知らない。その段階であたかも算術のように出た心理検査の結果を「正解」かのように伝えてしまうと,ますます自分の内側ばかりを見たがり,これから知るべき外の世界に目を向けなくなる。
 本物の心理学者や臨床心理士だったら,そんな危ういことを決してしない。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.42

キャリア教育の現状

 結局どこの大学でも,心理学,経済学,経営学といった隣接領域の教員を拝み倒したり,キャリアセンターの者が職員教員のような形で授業を受け持ったり。そして,それでも絶対的に教員数は足りず,相当数のコマを先述の「業者」の関係者とか,ブランド企業をリタイアした人事経験者とかに任せることになった。
 隣接領域の教員担当の場合には,単にキャリア教育の名がついた各専門の授業になりがちだ。元人事や元エリートビジネスマンの授業は。「社員時代の自慢話や偉そうな説教ばかり」と学生の不満が噴出しがちである。挙句の果てには,学生から「これが大学教育ですか?」と心配までされる始末である。
 私からすれば,まあ,どちらも予想できた話で,学生には「単位を落とさない程度に,適当にね」と小声でアドバイスするしかない。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.40

キャリアセンター職員がすること

 現に“やる気のある”キャリアセンター職員が,やっていることの基本形はこうだ。
 ここにひとつの求人がある。この求人はキミに合うよと学生を呼び出す。提出書類の作成を手伝い,面接のシミュレーションを行い,ムリヤリにでも受けさせる。内定ゲットまでひたすら伴走する。
 そんなベタベタの就職支援も,私は一部あっていいと思っている。
 大学としては就職実績となり,学生はフリーターにならずに済む。合理的な支援だ。
 ただし,就職支援の現場でそうするするとうまくいくケースなんてたいしてない。就職活動期に支援できることは限られている。本人次第である部分が大きい。
 だから低学年時のキャリア教育に力を入れましょう,となる。
 そして,呪文のように繰り返す。

沢田健太 (2011). 大学キャリアセンターのぶっちゃけ話:知的現場主義の就職活動 ソフトバンク クリエイティブ pp.33-34

イージーな変化

 潜在能力というものが,根拠なく信じられている状況への疑問があるだけだ。確かに潜在能力は誰にでもあるという考え方は証明もできない代わりに,否定だってできるものではない。
 しかし,別に努力して技術を磨いたり,知識を学んだりせずとも,イージーにその能力を引き出すことができると考える思考,もしくは海外旅行(外的環境の変化)であったり,自己啓発セミナーであったり,自らの「気づき」で開花すると考えるところまでいくと,それは突飛なことにしか思えなくなる。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.208

さまよえる良心

 これは現代においては「良いことをしたい」という志向が強い人ほど,「何が良いことなのか分からない」という状態に陥りやすいということを示している。「これは善行,これは悪行」と「父親のように断言する」麻原彰晃に引き寄せられたのがオウム真理教だった。
 それを踏まえると,現代の自分探しにまつわる事象の多くは,宮台が「さまよえる良心」と言った状況とあまり変わっていないことに気づかされる。
 その良心を牽引するのがかつては麻原という導師であり,オウムという宗教団体だった。それが,今は路上詩人のつくるNGOやPR会社のつくるCMに取って代わったのだ。この違いは,大きいのか小さいのかは分からない。環境運動や貧困撲滅運動がそのままテロにつながるような危険性があるなどとは思ってはいない。しかし,「さまよえる良心」という宮台のキーワードは,1995年の当時よりも現代の方がしっくりとくる言葉であるように感じられないだろうか。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.199-200

自分らしさの強要

 ここまで見てきたように,若者が仕事に「やりたいこと」「自分らしさ」を求めるというのは,若者の勝手な思い込みとは言えないものだ。社会全体が若者に「やりたいこと」「自分らしさ」を求める構造になっている。
 このような世界において若者が3年で辞めるのは,決して仕事がつらいという理由からではないのだ。やってみた仕事が「やりたいこと」ではなかった,もしくは「自分らしさ」が出ないと思うから若者はすぐに会社を辞めるようになったのだ。それは甘えではなく,価値観の変化だ。
 まじめに親や教師の言うことを聞いて実践しようという若者ほど,「自分らしさ」や「ほんとうの自分」について考えさせられることを余儀なくされ,社会から逸脱せざるを得ないのが現代なのだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.132

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