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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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自己啓発への脅迫

 誰だって不安なしには乗り越えられない就職活動の開始時期に,脅迫的に“自己啓発”を迫り,「自分探し」を突きつける。これが就職活動本のベストセラーの正体だと思うと,馬鹿馬鹿しいが,それでも疑いもせずにこれに従って自己啓発し,人格改造することで内定を勝ちうる人間が多いのだろうということも,容易に想像できる。また,理不尽にも疑問を感じず,馬鹿正直に信じる人間の方が,企業にとってはいい人材に違いないのも現実と言えるだろう。
 一方で,これを馬鹿正直に信じられない学生が,就職にますます嫌気がさし,長い自分探しの旅に出かけてしまうというのも容易に想像がつく。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.124
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就職活動が旅になってしまう

 前出の久木元は,若者たちの「やりたいこと」が見つからない理由にも触れている。
 若者にとっての「やりたいこと」というものは,社会経験や他人とのコミュニケーションの中から見出していくものではなく,「本人の内部にのみ存在し,本人だけが発見しうる」ものだからなのだという。
 これはどういうことなのだろうか。通常,学校が学生に就職の手助けをする際に行うことは,学校に来ている求人票を提示したり,OBを紹介したりといったものだろう。学校と企業の間で一定数の人員を送り込む「斡旋」も,今は数は激減したが,なくなったわけではない(これは主に高校の場合)。しかし,現代の若者にとっての「やりたいこと」は,就職課に張り出された求人票の中から選び取るものではなく,自分の内面から発見するものなのだという意識が強く存在するのだ。
 つまり,この論に従えば,就職活動=自分の内面を知る旅=「自分探しの旅」ということになってしまう。それでは「やりたいこと」を見つけることは,非常に困難な作業となり,ますます仕事から遠ざかってしまうのである。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.114-115

目的さえあれば

 しかし,世間のフリーターが増えることを快く思っていない層との最大の食い違いは,この辺にある。快く思わない人たちは,学校を卒業しても就職しない若者たちに対して違和感を持っているが,実際にフリーターになっている若者たちは,「目的」さえあればいいと考えているのだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.111-112

リクルートの手のひら

 さて,フリーターという言葉が世間に登場したのはバブル経済の最中である,1987年のこと。当時の就職事情は大卒,高卒ともに売り手市場。卒業したら会社に就職するのがまだ当たり前という時代だった。「フリーター」という言葉は元々アルバイトで生計を立てている若者の間で使われていた言葉だったようだが,それに目を付けたのはアルバイト雑誌『フロム・エー』を出版していたリクルートだ。表向きにフリーターという言葉が使われたのは,1987年に公開された横山博人監督の映画『フリーター』だ。この映画はリクルートの出資により制作されたものだ。映画がヒットし,フリーターという働き方が若者の憧れになれば,アルバイトの求人誌という市場は大きくなる。そういう抜け目のないところはさすがリクルート。この国の労働観はある意味,リクルートの手のひらの中で転がされてきた。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.86

努力放棄

 厳しい言い方をすれば,自分を変えるために何か具体的な努力をしようとは考えずに,環境を変えることで自分を変えようという彼らの心性こそが本書のテーマである「自分探しの旅」だ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.62

ポジティブ・シンキング

 セミナーを行うことで得られる効果は,自己啓発本などと同じで“ポジティブ・シンキング”である。本を読むよりも,強烈な体験を経て刷り込ませた方が,より強いポジティブ・シンキングが身につくというのは想像に難くない。一時期,企業の多くが自己啓発セミナーを取り入れていたのは,一種の通過儀礼と言っていいだろう。
 バンジージャンプは,元々バヌアツで通過儀礼の儀式として行われていたものだった。バンジージャンプのように,あえて荒っぽいことを課して,社会へ迎え入れるための儀式が通過儀礼だ。自己啓発セミナーは,人格を改造し,若者たちが元々持っていた甘えた部分をなくし,どこにでも躊躇なく飛び込んでいける営業マンを育てるためには最適な通過儀礼だったのだ。
 しかし,現在では自己啓発セミナーを利用する企業はほとんどなくなった。それは,自己啓発セミナーの反社会的な部分に対しての批判の声が高まったからだ。自己啓発セミナーが批判の対象へと変わっていったのは1990年頃。セミナーへの潜入記が刊行され,テレビなどのマスメディアでもその実態が伝えられるようになると,セミナーの手法がマインドコントロールや人格改造そのものであるとして問題視されるようになる。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.58-59

自己啓発とマルチ商法

 そんな自己啓発セミナーが本格的に日本に入ってきたのは1977年のことだ。その第1号と呼ばれるライフダイナミックス社は,マルチ商法のディストリビューター(販売員)育成のためにロバート・ホワイトが設立した会社である。
 つまり,自己啓発セミナーはマルチ商法とともに日本に輸入されてきたのだ。
 その自己啓発セミナーがもっとも普及したのは1980年代後半のことだろう。このバブル時代には企業が新人研修として自己啓発セミナーを活用した。もしくは,企業が独自にそれに似た手法で新人研修を行うケースもあった。
 自己啓発セミナーで行われるのは,基本的には自己探求の強制だ。大勢の前で自分の欠点を徹底的に語らせたり,1対1で互いを褒めたりけなしたりを延々繰り返させる。そういった作業を2日も3日も不眠不休で行わせ,最終的には個人を限界ギリギリに追い込む。そこで,最後にはそれまで鬼のようだったインストラクターが優しい言葉をかけ,セミナーから解放する。参加者は皆ぼろぼろと涙を流して泣き,感動体験を得るのだという。本書の冒頭で須藤元気の著作の「気づき」という言葉を取り上げたが,自己啓発セミナーのプログラムでもっとも強調されるのが「気づき」であり,自己啓発セミナーを「気づきのセミナー」と呼ぶ場合もある。須藤元気が使う「気づき」とはこのことだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.57-58

ガンダムとニュー・エイジ

 いわゆる『機動戦士ガンダム』における戦争とは,宇宙移民であるジオン公国(サイド3)と,地球に住み続けるエリート(地球連邦)の間の独立を巡るものだった。宇宙移民たちの中には,主人公でガンダムのパイロットであるアムロのように新しい環境で目覚めた特殊な能力を持つ「ニュータイプ」が生まれており,旧来の世界とは違う価値観が芽生えつつある。この物語は敵方の特殊な能力を持つ少女ララァがインド系として描かれていることも含め,ニューエイジの影響が強い。「世界は新しい時代を迎え,自分たちの潜在能力を覚醒させなくてはならない」というのは,まさに『機動戦士ガンダム』の世界設定そのものだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.55

自己啓発セミナー

 自己啓発セミナーは,第二次世界大戦後にアメリカで開発されたリーダー養成のための研修の方式であるセンシティビティ・トレーニング(ST)と,1970年代以降に生まれたニューエイジ思想が結びついたものと言われている。
 ニューエイジとは日本ではほぼ精神世界という言葉で輸入され,昨今はそれもスピリチュアルという言葉に置き換わった。スピリチュアルとは美輪明宏や江原啓之などが喧伝する,オーラや前世や霊などの存在全般を指す「霊的な,精神的な」といったような意味の言葉だ。とはいえ,厳密にはニューエイジ=スピリチュアルではない。ここではニューエイジについて少し掘り下げてみたい。
 1960年代にアメリカで盛り上がったフラワームーブメントの主人公だったヒッピーたちが,その後どこに行ってしまったのかという話から始めよう。ヒッピーとはこの時代に髪を伸ばし,ジーンズをはき,ベトナム戦争に反対し,愛と平和と芸術と自由を愛し,ロックやフォークなどを生み出した若者たちの総称である。彼らのメンタリティの根本には西洋近代主義,消費社会,物質文明への疑問があり,その代わりに東洋思想やネイティブアメリカンといった対極にある思想を積極的に取り入れている。
 また,世界は2000年続いた魚座の時代から新しい水瓶座(エイジ・オブ・アクエリアス)の時代に移行するという,占星術の影響も受けている。『ザ・ヘアー』というミュージカルの曲『エイジ・オブ・アクエリアス』は,まさにこのニューエイジ(新しい時代)をテーマにしたものだ。ヒッピーたちは,この新しい時代を迎え,自分たちの潜在能力を覚醒させなくてはならないということも信じていた。
 1969年に開催されたフリーコンサートのウッドストックも,LDSをはじめとしたサイケデリックなドラッグも,こうした新しい時代の到来を謳歌するヒッピーたちの儀式だったと言っていい。
 しかし,そんな世界の変革を信じていたヒッピーたちも,1970年代になると熱が冷めたのか,みな家庭や社会へと戻っていった。しかし,彼らが持っていたヒッピーの思想は消えたわけではなく,彼らが社会に溶け込んだように,その思想も自分たちの社会にうまく適応させる形で持ち込んだのだ。
 それらは具体的にはエコロジー運動,瞑想,ヨガ,アロマテラピー,ドルフィンスイミング,オーガニック健康食,菜食主義,チャネリング,ある種のダイエット,パーソナルコンピュータといったものへと変化した。ここで挙げたようなものがニューエイジと呼ばれるようになり,日本においても1970年代末から精神世界として流行するようになる。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.53-54

ニューソート

 実は,成功哲学とマーフィーの法則はまったく同じ思想から派生したものだ。それは「ニューソート」と呼ばれる19世紀に生まれた運動で,クィンビーという心理療法のカウンセラーが「悪い信念が病気を生む」といったことを説教する治療を始めたものが元になっている。
 「ニューソート」は,元々キリスト教が母体になっているものの,霊的な存在や宇宙意思の存在などを認める傾向が強く,従来の伝統的教会からは異端視されている。このニューソート運動が「ポジティブ・シンキング」という言葉を通して普及し,書籍の形で広められたのがナポレオン・ヒルやカーネギーの「成功哲学本」なのだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.41

自分探し

 「自分探し」という言葉は,かつてはネガティブなニュアンスを持って使われることの多い言葉だったはずだ。三十路を間近に控えたOLが突然,海外留学やワーキングホリデーに出かけてしまうようなケースを揶揄して使われていた言葉だ。
 もしくは,大人になるのを先延ばしする「モラトリアム人間」(小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』)といったようなかつての流行語とも近いニュアンスがあった。それが昨今では,「自己実現」や「自分らしさ」などの言葉の流行とともに,前向きな若者の行為として受け入れられているという側面もある。つまりは,世間も[自分探し」に対して,高低・否定の視線がない混ぜになった状態と言っていいだろう。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.16-17

二種類の自分探し

 そして,その「自分探し」にも,大きく分けると2通りのものがあると思う。
 1つは,外向きな「自分探し」だ。海外へふらっと自分を見つめ直しに,1人で旅に出てしまうような行為が代表的だ。若者がバックパックを背負ってアジアを貧乏旅行することや,最近だと「外こもり」なども一類型だろう。もう少し身近な例で言えば,海外まで行かずとも国内でメッセージ性の強い団体にコミットメントするような具体的な行動を伴うものである。
 もう1つは,やや内向きな「自分探し」である。就職活動中の学生が,自分がやりたいこととは何か?自分は何に向いているのか?などとこれまでは考えもしなかったことを考え出し,自問自答しながら自己啓発系の書籍を読み漁ってみたり,スピリチュアルに感心を持つようなケースが典型である。やりたいことが見つからず,フリーターとなって自分の将来をあれこれ考えるといった場合の自分探しもこちらのパターンだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.4

手詰まり

 ラインは研究者としての仕事をはじめたとき,霊媒ミナ・クランドンについての報告で,「通常の行為やトリックでは説明できず,また解釈に矛盾もないとほぼ確実に言えるようでなければ,それは科学ではないし,心霊現象について何かを知ることもけっしてできないだろう」と書いた。
 ラインは人生の終わりにこの言葉を思い出しただろうか?
 多くの人々がライン夫妻の研究を,彼自身の言葉と同じように結論づけている。モーリー・バーンスタインは,「デューク大学のJ.B.ライン博士のような科学者は,人間の心が5枚のカードのうち1枚を正しくあてることができるかということを証明するためだけに,超心理学でこれだけの年月を費やしたわけではない」と述べている。しかしラインの研究が,やがてすべてを変えるだろうと予想したものがいたにも関わらず,彼の研究は長いあいだ無視されてきた。ゲイザー・プラットと他の人々は,かつて「これからは超心理学の時代だ。科学の冷笑による試練の時代は去ったのだ」と時期尚早の勝利宣言をしたものだが,実のところ,超心理学は敗北したのだ。

 4分の3世紀前,デューク大学の科学者たちは無名の力の存在を繰り返し証明し,それを「超感覚的知覚(ESP)」と呼ぶことにした。それから現在まで,科学はその存在について確信を持って否定することも,もっともな別の説明をすることもできないでいる。残念ながら,超心理学分野自体も「それ」にはっきりとした光を投げかけることができなかった。
 手詰まりである。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.294-295

科学は解明するか

 ラインは「人間はその本質のなかに,自己理解に用いることができるどんなツールを有しているのか,今ほどその知識が必要とされているときはないだろう」と述べた。
 超心理学は発達した。それは死者との間を取りもつための研究ではなく,「人間の本質のなかに隠された,ESPに代表されるような人格の知られざる側面」を考える学問なのだ。ラインは今後の展望についての発表を,荘厳な言葉で締めくくった。
 「科学は時間と空間の観点で,コンピュータと分子の観点で,銀河と素粒子の観点で,未知なる世界の探求において大きな成功をおさめ,ようやく人間の心へと至り,これを解明できるようになったのである」
 しかしこの時点で,科学がラインらの成果をまだ受け入れていないことには言及しなかった。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.281-282

大好き

 科学が進歩して様々な現象を解明していくほど,人々は科学で説明できないものの存在を信じたくなる。長期にわたるギャラップ社の定期世論調査では,超自然現象を信じる人の割合が年々増加していることを示している。
 1978年のギャラップ調査では,「幽霊を信じる」と答えているのは回答者の11パーセント弱にすぎなかったが,しかし2005年の調査では,32パーセントまで跳ねあがっている。さらに多くの人(42パーセント)が悪魔の存在を信じている。懐疑的な超常現象調査組織CSICOP(超常現象の科学的調査のための委員会,現在はCSI)のホームページでは,当時の代表ポール・カーツが,この世論調査の結果に不安を覚えるとコメントしている。「心情的に回答しており,頭を使って考えたうえでの結果ではない」と,CSICOPの主任研究員はつけ加えている。
 そう,私たちはよくできた怪談や幽霊の話が大好きだ。ずっと昔の話まで,古い歴史をさかのぼれる。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.251-252

電磁場と霊

 マイケル・パーシンガー博士は,カナダのローレンシアン大学に所属する認知神経科学者である。彼も幽霊が出ると言われる場所は「電磁波が活発でうるさい」ことが多いという事実に着目した。彼は幽霊が出ると言われる場所で計測されるものに近い値の,弱い電磁場を作り出すヘルメット[God Helmetと名づけられた]を開発した。そして実験では,このヘルメットを装着した人々は幻覚を見た。
 「ここで非常に重要な原理は,電磁場の時間的なパターンが幻覚を引き起こすことです」。パーシンガーと彼の共同研究者ドン・ヒルは,人々が霊的な何かを見たり,経験したことがないような大きな音を聞いたり,何かがいると感じたというような,超常現象を経験した現場の電磁波データを集めて研究している。
 パーシンガーは「そういった電磁場は常に存在するのですが,長くは続かないのです。短く一時的な現象で,記録を取るには忍耐と細心の注意を必要とします」と話す。
 パーシンガーとヒルがパターンを研究室で再現すると,ほとんどの被験者が何かの存在を感じたという。被験者はなるべく先入観を持たないように,自分たちは「リラックス」の研究に参加しているのだと聞かされている。しかし,ヘルメットをかぶったあと,
 「自分の左側に影を見ました……私の体の左側を誰かが触っていました……何かを見ました……霊です」というようなことを言った。
 存在を感じたと言ったひとりの女性は,
 「それがゆっくりと消えていくのを感じたとき,私は泣き出してしまいました」と言ったとのことだ。パーシンガーが発見したのは,脳の右半球が「優先的に刺激された」とき,経験はより恐ろしい感じを伴うということだった。
 また別の被験者は,
 「暗い不気味な力が,すぐ上方にぼんやりと浮かんでいた」
 「奇妙な匂い,恐怖感,その他古典的な幽霊の感じ……たとえば点滅する骸骨のイメージ」
 などと報告した。被験者の左側にあらわれた霊は恐ろしいと報告されたが,右にあらわれたものは死んだ親戚,天使,キリストだと思う人が多かった。
 パーシンガーは,若い夫婦が「幽霊が自分たちのベッドサイドを通っていく。息づかいも聞こえる」と訴えた家を調べたことがある。彼がそこで発見したのは,何度も繰り返される短期の電磁場パターンであり,「我々の実験と研究で,人の気配を感じさせるものと似たものでした」と報告している。
 また彼は,自分の左肩の上に赤ん坊の霊を見続けていた少女を調査したこともある。
 「彼女のベッドの上で直接計測してみると,我々が何かを感じさせるために実験室で使っているのとよく似た構造の電磁場が,パルス状に起こっていました」とパーシンガーは言う。
 「<幽霊が出る場所>などを含めて,自然界に存在するパターンは人間の脳内でも発生します。変性意識状態にあるときや,非痙攣性の複合的部分発作に近い状態にあるときです。これらは,なぜ他の人より幽霊を感じやすい人がいるのかを説明する助けになるかもしれません。側頭葉感受性(これは精神測定装置で測れますが)が高い個人は,こうした弱い電磁場にでも非常に強く反応するのです」
 これがパーシンガーの発見したことである。彼は,脳になんらかのダメージを受け,「自分は怪我をする前とはちがう人間になった」と主張するような人々は,見えないものの存在を感じるなど,超常現象を体験することが多いことも発見している。霊媒は側頭葉感受性が高いか,脳に損傷をもっているのかもしれない。ピーター・フルコスは「霊能力はハシゴから落ちてから目覚めた」と言っている。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.268-270

スターゲイト

 適切な時期がやってきたのは1970年代になってからだった。CIAが,ロシアには霊能スパイがいるという情報を掴み,このときは以前より確信を持ったらしく,1975年にスタンフォード国際研究所に5万ドルをわたして,のちに「遠隔透視」と呼ばれるようになったものを見つけ出すように命じたのだった。CIAは,実験を密かに,そして学術機関以外で実施することを望んでいた。
 最終的には,1978年に陸軍の霊能スパイ組織である<スターゲイト>が組織されることになり,1995年に終了するまで毎年,国会は予算を承認した。予算は結局2000万ドルにもなった。これは巨額の予算を投じたプログラムに見えるかもしれないが,スターゲイト計画の7年間の総予算は核兵器研究予算の2日分に等しい。また,1993年に心理学者サイボ・スハウテンは,100年間に超心理学に投資された資金を総計すると,一般の心理学研究費の2ヵ月分にしかならないということを指摘している。
 スターゲイト計画の初期メンバーのひとりであるマクモニーグルによれば,何年にもわたり,CIA,国防情報局,麻薬取締局,国家安全保障局,FBI,国家安全保障会議,国境警備隊,諜報部,ホワイトハウス,そして国防省のすべての情報局,沿岸警備隊までもが,スターゲイトの遠隔透視を利用していたという。
 しかし議会は1994年に,スターゲイト計画をCIAの管轄下に置くことを決議した。その後CIAは米国研究政策研究所(AIR)に,スターゲイト計画の有効性を検討するように依頼する。同研究所は,カリフォルニア大学のジェシカ・アッツ教授と,オレゴン大学のレイ・ハイマン教授のふたりに統計分析をさせた。
 ただ,CIAはアッツとハイマンのふたりにスターゲイト計画のすべてのデータを入手できるような,保安権限は与えていない。「(彼らは)20年間の成果とはとても呼べない数箱の資料をわたされて,検証するように言われただけでした。しかもその資料はCIAが自ら選んだものだったのです」とマクモニーグルは言う。アッツとハイマンは遠隔透視要因全員と話をすることもできずに,またスターゲイト計画に含まれていないそれ以前の遠隔透視研究を検証することもなく,報告書を作るように言われた。アッツは,スターゲイト計画は情報収集法として価値があると判断するに足る,重要な結果と証拠を見つけ出したのだが,ハイマンの答えは否だった。アッツはハイマンのコメントへの反論を書いたが,これは最終報告に掲載すらされなかった。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.246-247

どんな知識を?

 ラインは霊媒や霊能者について複雑な感情を抱き続けていた。彼らが自分で言うような能力を持っている可能性は否定できないと信じていたが,現実社会の霊媒たちは問題の種だった。アルコール依存者が多く,性的にも乱れがちで,男性であれば同性愛者であることも多かった。ラインはゲイに対して友好的だったが,ちょっとついていけないと感じる世代に属してもいたのだ。ラインはアプトン・シンクレアへの手紙で,あまり霊媒を持ち上げないようにと助言したことがある。アプトンの妻メアリー・クレイグはこれに強く抗議した。「私たちにとってはマイナスであっても,支払う価値があるコストなのです。名声とは知識を広めるために使うものです」
 ラインは応戦して「どんな知識を広めているのです?」と書き送った。霊能者については,しっかりした情報がほとんどない状態だった。なぜなら,ほとんどの霊能者が研究室で検証されることを拒んでいたからである。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.213

見るより聴くことが多い

 1965年までにルイは正直でまともだと感じた8000通の手紙を集積した。その結果もっとも興味深い点は,人は幽霊を見るより聴くことが多いという,ごく単純な事実が浮かびあがってきたことである。
 <足音>,<死んだ母が呼ぶ声>,<戸が開き閉まる音>,<トントンというノック音やラップ音>。もし幽霊が幻覚であるなら,見えるよりも聴こえることが多く,この点に関してもルイは手紙を送ってくる人々に「あなただけではありませんから」と確信を持って答えることができた。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.146

超常現象ブーム

 時は1950年,説明できない奇妙な出来事の報道が増えていた。超常現象ブームがおこり,全国で「超心理学者」と自称する人々がペンとノートを持ってフィールドを駆けまわって調査を進めていた。彼らは調査報告を書いては研究所に送ってきたが,55歳で,今や誰もが超心理学の父と認める謹厳なJ.B.ライン博士には,人々の熱狂に冷や水を浴びせるような面があった。ラインは天水桶や生まれ変わり,UFOやその他,当時世間の人々の空想力を夢中にさせている奇妙な出来事には心を動かされなかった。それらはほとんど,でっちあげ事例,幻覚,希望的観測と断じられるのだ。ライン自身は,心霊研究を曖昧な世界から実験室に持ち込むことに生涯を費やした。しかし,若手の科学者たちは引っかかりを感じはじめていた。彼らはESPとPKの証拠を発見した。もし実験室内でそれが存在するなら,外の世界でも発見できることにならないだろうか?彼らは外に出て自分の目で確かめたいと考えていた。
 ESPプロジェクトをやめないというラインの決意は,研究者たちを事実上の停滞状態に追いこんでいた。証拠を見つけたとはいえ,まだESPについての仮説も立てられていなかったし,なにしろ1950年の時点で,1938年の実験データにもとづいた論稿を書いていたのだ。1938年,研究所はオハイオ州立病院の精神病患者50人のESPテストを実施しており,患者の診断名は妄想型早発性認知症から躁うつ病,神経衰弱症まで様々だったが,診断と能力のあいだに相関は見出せず,それどころか被験者でめざましい成果を上げたものもいなかった。ポルターガイストのような刺激的な研究対象があるときに,若手の研究者のうち何人が,12年前のESPテストの結果を再検証したいなどと思っただろうか?

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.135-136

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