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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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憑依と脳

 最近の神経科学分野で,憑依に関する興味深い研究がある。ペンシルバニア大学医学部の研究者が2006年に出版した,「異言」[学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操る超自然的な現象]と呼ばれる宗教的な経験を体験した人々の試験調査結果である。もともとは,これは憑依状態を医学的に解明するのを目的とした研究だった。しかし研究者はすぐに,ある期間内に十分な数の憑依者を探し出し,研究室に連れてくるよう説得するのは不可能だということに気がついた。ゲイザー・ブラットがかつて指摘したように,憑依されている人々は恐慌状態にあって,「治癒は望むが,研究は望んでいない」のである。
 ペンシルバニア大学の研究者たちは,代わりにいくらか類似した経験である異言を研究することにした。SPECT(単光子放出コンピュータ断層撮影)画像を使用し,威厳を話しているときと讃美歌を歌っているときに撮影された脳の画像を比較した。すると異言を話しているときには,人は憑依されているときのように,自分自身を統制,支配できていると感じていないのがわかった。今回の研究の主任研究員で,ペンシルバニア大学の放射線科と精神科の教授であり,宗教学の教授でもあるアンドリュー・ニューバーグ博士は「前頭葉は,我々が自分を統制していると感じる働きの手助けをしている脳の一部ですが,異言を話しているときは前頭葉に血液の流れが少なく,活動が不活性化していることがわかりました」と言う。被験者が讃美歌を歌っているときには,画像に変化は認められなかった。ここに見られる脳の活動のちがいは,異言を話す人々の訴えを裏づけているようである。「<自分が乗っ取られている>という感覚を起こしているのは,神か悪魔か,それとも脳の他の部分かはわかりません」とニューバーグ博士は述べている。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.131-132
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ウィジャボード

 その後何年もかけて,メリーランド事例について詳しい事情が明らかになってきた。どうやら発端はウィジャボードらしい。現在市販されているようなウィジャボードを世に広めたウィリアム・フルド自身も,これが霊的作用で動くとは信じていなかった。フルドは特許申請書に「質問が発せられると,コマが競技者の不随意筋の動きあるいは他の作用の結果により,テーブルの上で動きはじめる」と書いている。ローランドの事例では,人々は「他の作用」が悪魔そのものだったと信じたわけである。超心理学研究所のスタッフは,なるべくウィジャボードを使わないように勧告してきた。ウィジャボードに夢中になっている使用者からの手紙を受け取ったときに,スタッフのひとりは「そういう流行ものから得られる情報は,信ずべきものではありません。ちょうど悪夢と同じように,無意識が生み出しているものなのです。あなた様の健康のためにもウィジャボードを破棄し,すべて忘れてしまわれることをお勧めします」と返答している。2001年にウィジャボード使用者調査に回答した人のうち3分の2は,ボードで好ましくない体験をしたと答えている。悪意のある恐ろしいものと遭遇するとも言われているのだ(にも関わらず,これは今でも人気商品である)。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.124

なんでもあり

 憑依にも,ポルターガイストのように性的側面が認められることがある。超心理学者が,ポルターガイスト現象の原因として仮説を立てた「抑圧された不安」,あるいは「性的衝動」に対して,独身の誓いを立てているカトリックの聖職者たちが過剰反応を起こして,少年たちをベッドに縛りつけているのかもしれない。『エリザベス朝の英国における悪魔憑き(Demon Passession in Elizabethan England)』でキャスリーン・R・サンズは,「憑きもの落としと悪魔祓いの物質的・心理的傾向に,しばしば性的な解釈に結びつきやすいものがあることは明らかである」と述べている。彼女はさらに,「張り形を自分で,またお互いに使いあうことは,悪魔憑きの証拠とされていた」という修道女の事例を引く。メリーランド事例のローランドは,何度も何度も卑猥な言葉を使い,性的な動作について口にしていたが,そうした話の登場人物には聖職者と修道女に加えて聖母マリアも含まれていた。ローランドは,自分とその部屋にいる聖職者の男性器について叫び,全員の面前でマスターベーションをして,ベッドの上でわけありげに身をよじった。彼の体には様々な言葉に加え,彼の男性器の方向を指す矢印があらわれたという。非難すべきものは悪魔なので,もう何でもありなのだ。善良な人々には耐え難い光景である。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.120-121

エクソシスト

 ただし霊による憑依とされる場合は,事情が異なってくる。被害者の身体を乗っ取った悪魔やその手下がすることは,被害者の健康と幸福に対する宣戦布告である。シュルツ牧師がラインに手紙を書いたとき,メリーランドの当事者一家は,問題の原因は単なるポルターガイストではないとして,ローランドを悪魔祓いのためにセントルイスのイエズス会に連れて行っていた[悪魔祓いをするのはカトリック教会の神父のみ]。ほとんどのポルターガイスト事例に共通する特徴のひとつは,それが短期間で終わることだ。不可解な現象はたいていものの数カ月で消え去り,関係者の見解は,現実は,想像派,悪戯派に分かれるが,現象が再発しないため結論は出ずに終わるのが通例である。もちろんメリーランドの少年の家族は,その現象が短期間で終わるなどとは思わなかった。しばらくして新聞がこの話を記事にし,ウィリアム・ピーター・ブラッティという大学生がそれを読むことになる。ブラッティはその記事から着想を得てベストセラーとなる小説『エクソシスト』を書き,映画化されて全世界で大ヒットした。ブラッティは子どもの年齢,性別と他の詳細を変えているのだが,ライン宛に書かれたシュルツ牧師の手紙の内容を見れば,思いあたるところがある人は多いはずだ。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.113-114

「それ」

 人間には死後の世界があり,見えない存在が我らとともにあるという物語は好まれる。別世界の住人について夢想したり希望を抱いたりし,さらに苦しいときには「それ」に祈ることもある。人々が考える「それ」はけっして自分を欺く悪霊でもないし,自分を地獄に落とす悪魔でもない。しかし自宅や家族の周囲でポルターガイスト現象が起こりはじめたら,誰かの悪戯であってほしいと思う以上のことはできない。なかでも一番起こってほしくない,もっとも恐ろしい出来事は憑依である。憑依への対抗手段は悪魔祓い(エクソシズム)だが,度を越した悪魔祓いは死につながることもある。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.111

議論の果てに

 1940年までに研究所は100万回近い試験を実施し(それをテレパシーと呼ぶか否かは別としても),どう見ても普通ではない結果を出してみせた。実験が適切に設計され,きちんと管理されて実施されたとする。そのうえで彼らの出した結論を否定すれば,同様の統計学的手法,たとえば何百万もの人々が使っている薬の安全性を保証するために製薬会社が用いている手法の結果を否定することにもなる。デューク大学の科学者たちは,実験の管理とデザインに対する批判にすべて対応したうえで,彼らがテレパシーと呼ぶ効果について有効な証拠を収集することに成功したのだ。
 この結果を受理できなかった心理学者たちに残された道は「彼らはまちがいを犯したにちがいない」と言い続けることだけだった。こうした批判者たちは統計学を最低限しか理解していなかったので,まず統計を攻撃の的とした。しかし追試の多くが失敗したのは,ラインの実験の100分の1,1000分の1,ときには1万分の1しか実施しなかったからなのだ。そして1937年の末には,,統計学者たちはもう議論は十分だと考えるようになる。
 1937年12月,数理統計研究所の所長バートン・H・キャンプ博士が,超心理学研究所の研究結果の統計面について声明を発表した。「ライン博士の研究は,ふたつの側面からなっている。実験と統計である。実験面については,数学者は当然ながら何も申しあげることはない。しかし統計面について言えば,近年の数学研究は,実験が適切になされたと仮定した場合,その統計的分析は有効であるとの結論に達している。ライン博士の研究が的確に批判されるとすれば,それは数学的背景に関連しない部分であるべきだ」

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.87-88

好戦的革命活動家

 学界に友人が少なく,その分野でまだ高い評価を得ていない立場ではけっしてしてはならないことを,ラインはことごとくしてしまっていた。さらに悪いことに『超感覚的知覚』は,定評のある学術系出版社からではなく,ボストン心霊研究学会から発行されていたのだ。とどめは,彼の確率の使い方に議論を呼ぶ点が多すぎて,心理学者,数学者,統計学者に,いわば何十年分もの議論の材料を提供してしまったことだった[使いかたが誤っていたのではなく,新しい分析法が多くの科学者になじみがなかったということ]。しかし学界での議論は,逆にラインを勢いづかせただけだった。「彼は正論を貫くタイプでした」と,ルイは夫について書いている。ラインは好戦的な改革活動家だったのだ。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.79

4つの研究領域

 ラインは研究所の目標を定め,以下,4つの主な研究領域を明らかにした。

 テレパシー —— 他人の心から情報を得る
 透視 —— 物体のような心以外のものから情報を得る
 予知 —— 未来を見る
 PK(念力) —— 心で物体を動かす

 人々の興味を集め,研究所に基金を提供してもらえるように,心霊現象などの奇妙な出来事を探求することも明らかにした。ただし「控えめに」である。「私は幽霊屋敷の研究家として有名になるのだけはごめんです」とラインはボルトンへの手紙に書いている。
 しかし幽霊やポルターガイスト,悪魔憑きを静かにさせておくことはできなかった。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.69-70

ユングとの交流

 まもなく,不思議な体験をした世界中の人々が,ラインのもとに手紙を送ってくるようになった。このころラインは,著名なスイス人精神科医カール・グスタフ・ユングと文通するようになっていたのだが,ユングは「魂が持つ時間と空間に関連する奇妙な性質にとても強い興味を持っている」と,そして何よりも「特定の精神活動において時空の概念が消滅すること」に興味があり,心霊研究にも期待していると書いてきた。他の書簡でユングは,数年前の出来事を語っている。彼は,若い霊媒と交霊会をひらくようになった。まもなく,ユング家の食器棚の中でナイフが爆発音とともに4つに切断された。そして数日後,テーブルがまた爆音とともにふたつに割れた。ユングは,これらの出来事は当時知り合った霊媒と何か関係があると信じていた。
 心理学者が,こんなにも簡単にESPを肯定してくれたのは初めてだった。しかもユングのような高名な学者である。しかしラインは,ユングに対して「我々は心についての仮説を『今のところ』何も持っていません。それがあれば,これらの事実を考察する際の手掛かりになるのですが」と認めざるを得なかった。ユングは励ますような返事を送ってきた。「これらの出来事は,単に現代の人類の頑固な脳では理解できないだけなのです。正気じゃない,あるいはイカサマだと捉えられる危険があります」
 そしてユングは,ラインがボルトン婦人に言い続けた,頭を低くしておく必要性について述べた。「私が見たところ,正常で健康でありながらそのようなものに興味を持つものは少数です。そして,このたぐいの問題について思考をめぐらせられるものはさらに少数です。私は今までの歳月における経験で確信を持つに至りました。難しいのはどのように語るかではないのです。どのように語らないかなのです」

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.68-69

ゼナーカード

 ラインはサマー・キャンプで,子どもたちと簡単なあてっこコンテストをすることからはじめた。ラインが数を書いたカードを手に持ち,子どもたちはそれをあてようとする。答えはあたりかはずれかである。秋の新学期になると,今度はデューク大学の心理学部の学生たちと同じような実験をした。ただし今回は,カードは封をした封筒に入れておいた。催眠状態になると被験者のESPが強化されるかどうかを見るための実験もした(当時はまだ催眠の可能性が注目を集めていたのだ)が,注目すべき結果は得られなかった。しかしひとつ明らかになったのは,普通のトランプを使うと,人々は無意識に自分が好きなマークや好みの数字を選ぶ傾向があるということだった。大学内には超心理学研究に適した学部はなかったが,とりあえず心理学部は研究を歓迎してくれていた。ラインがトランプカードと人の好みに関連する問題に直面したとき,この問題を解決したのも心理学者だった。ラインが心理学者カール・ゼナーに助けを求めると,ゼナーは新しいカードをデザインしてくれたのだ。カードは1組25枚で,5種類のカードが5枚ずつあり,それぞれ,円,四角,十字,波線,星が描かれていた。ぜナーが選んだ5種類の図形は,人々の好みが偏らないように選ばれていた。しかし,のちにゼナーはラインの研究にひと役買ったことを後悔し,これをゼナーカードと呼ぶのをやめさせようとする日が来る。だがこの時点では,ラインと心理学部の人々の関係は心の底から友好的で,カードの開発は進歩であり,マクドゥーガルはこのうえなく満足していた。その年の11月には,「わが同僚ラインは(霊との交信ではなく)透視としか呼べない結果を得つつある」と,西海岸のアプトン・シンクレアに手紙を書いている。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.42-43

超感覚的知覚

 しかし,どうやってこの考えを,敵対的な態度を示している科学者たちに提示すべきだろう?ラインは実験を組み立てはじめた。当時好まれていた用語は,感覚器を経由しない知覚という意味の Extra-Sensory Perception(超感覚的知覚),あるいはその頭文字をとったESPだった。「とりあえず今は『超感覚的知覚』を用いることにする。できるかぎり普通に聞こえるようにしたい」とラインは説明した。ラインは,科学者たちがテレパシーをすんなり受け入れるはずがないことを承知していた。そして少しでも抵抗なく受け入れてもらえるようにするために,心霊主義[spiritualismの訳語で,人の死後の霊魂の存在を信じる立場]やウィジャボード[こっくりさんのような占い板]などのあやしい匂いがしない,学術的な用語を使いたかった。心理学者は知覚の研究をよくおこなっているから,「知覚」という言葉を含む用語を使うことで,少しでも聞こえがよくなればと願った。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.41

グアノ

 グアノとは,海鳥の糞が堆積して化石化したもので,窒素質グアノと燐酸質グアノの二種類がある。前者は,降雨量の少ない乾燥地に堆積したもので,窒素分に富む。後者は,降雨量の多い高温地帯の珊瑚礁の上に堆積したもので,有機物の分解が進行して窒素が失われ,燐酸の割合が多くなったものである。また,燐酸質グアノは,長期的には風化して珊瑚礁などの石灰岩と結合し,グアノ質リン鉱石に変質する。もっとも,これらの区分は相対的なもので,明確に線引きができるわけではない。これらはいずれも良質なリン資源であり,特に窒素質グアノはそのまま良質な肥料となる。燐酸質グアノやグアノ質リン鉱石は,硫酸分解などの加工処理を行った上で,リン酸肥料として用いられる。
 16世紀にインカ帝国を征服したスペイン人は,ペルー沖の島々に海鳥の糞の山があり,ケチュア族がそれを「フアヌ」と呼んで,良質の肥料として用いていることを報告している。グアノ(guano)とは,この「フアヌ」(huanu)が転訛したものである。このペルー産グアノは,19世紀はじめ,ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトによって欧米に紹介された。1840年にペルー政府はグアノ資源を国有化し,欧米各国に売り込む。特にアメリカでは,大量の肥料を必要としたため,ペルーから莫大な量のグアノを輸入することになった。

長谷川亮一 (2011). 地図から消えた島々:幻の日本領と南洋探検家たち 吉川弘文館 pp.87-88

クロノメータの重要性

 多くの航海者や海図作成者を困惑させ,海図上に数多くの混乱の種をばらまいてきた経度測定問題は,18世紀後半になって,ようやく解決を見る。17世紀はじめ,ガリレオ・ガリレイは,自らの発見した木星の衛星を利用して経度を測る方法を考案した。この木星法は,17世紀半ば,イタリア出身でフランスに帰化した天文学者ジョヴァンニ(ジャン)・カッシーニによって実用化され,地上の測量では大きな威力を発揮することになった。しかし木星法は,木星を観測できる時期が限られていることや,揺れる船上での観測が難しいことなどから,航海では使いものにならなかった。
 18世紀には,月と太陽や恒星との見かけの位置関係から経度を求める「月距法」が有望視されるようになった。この方法は実用に耐えるものであったが,正確な星図と月の運行表を用意しておく必要があり,しかも,つきが見えなければ測定できない,という欠点があった。
 イギリスの時計職人ジョン・ハリスンは,精密で持ち運び可能な機械式時計(クロノメータ)さえ作ることができれば経度問題は解決できる,と考えた。彼は,1735年にクロノメータ・ハリスン第1号(H1)を開発したのち,4半世紀もの歳月をかけてその改良に取り組み,ついに1759年,その最高傑作となったH4を完成させた。1761〜62年の実験で,H4は81日間の航海でわずか5秒(経度にして1分25秒)の誤差,という好成績を出している。ジェイムズ・クックは,第2回航海(1772〜75)でH4のレプリカを使用し,その優れた性能を讃えた。

長谷川亮一 (2011). 地図から消えた島々:幻の日本領と南洋探検家たち 吉川弘文館 pp.66-67

無主地・先占

 「無主地」とは,どの国家にも所属していない土地のことである。国際法では,このような土地に対しては,ある国家が他の国家に先んじて支配を及ぼすことによって,その国の領土に編入することが認められている。これを「先占」という。
 先占が成立するためには,まず,国家が領有宣言などによって公式に領有意思を表明し,さらに,その後も実効的占有を続ける必要がある。個人や私企業が領有を宣言したというだけでは,先占は成立しない。また,たとえ領有宣言を行ったとしても,その後に実効支配を続けなければ先占は成立しない。なお,無人島であっても,巡視を定期的に行うなどして領有意思を明確にしている場合は,先占は成立していると見なされる。また,領有意思を他国に通告する必要はないとされている。
 この理論は18世紀末に成立し,19世紀の帝国主義時代には,植民地を正当化するための論理として盛んに利用されることになった。無主地とは,あくまで「どの国家も領有していない土地」という意味であり,その土地が無人かどうかは無関係とされている。したがって,たとえ人間が住んでいようと,その人間たちが「国家」といえるほどの社会を構成していないと見なされる場合は,その土地は無主地と見なされることになったのである。

長谷川亮一 (2011). 地図から消えた島々:幻の日本領と南洋探検家たち 吉川弘文館 pp.18-20

田舎へ行けば

 すくなくとも,政治家や官僚になるひとは,田舎暮らしをしてほしい。
 文筆を生業にするひとも,ぜひ田舎で生活してほしい。
 二十数年まえ,ぼくが東京に住んでいたころ,日本全国にコンビニは4万軒,喫茶店は8万軒なのに,土建会社は28万社あるとか,いや,56万社だとか本で読み,何かの間違いではないかと思った。大須賀町に住んで,その疑問は氷解した。大須賀町には喫茶店が2件,コンビニも2件しかないのに,土建会社は13社あったからだ。これは大須賀町だけのことではない。日本全国ほとんどがそうだ。田舎へ行けば行くほどこの比率は高くなる。
 そして,袋井市のはずれにW杯でサッカー場をつくり,高速道路並みの道路を四通八達させたとき,土建会社が何よりも先に建てたのは“神社”であった。
 縁起をかつぐ神社,これを建てる費用も公費なのだ。
 工事の安全のために,かかせないから建てるのか。それとも,公費だから建て得だという慣習なのだろうか。
 もし後者だとすると,日本人は神仏まで商売のネタにしていることになる。前者だとすると,その民族に『死後の世界はない』などと説いても聞く耳を持ってもらえないだろう。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.207

大人は関与しなかった

 テレビのコメンテーターは,
 「昔はこわいオジサンがいて,子供たちが間違ったことをしていると,自分の子供でなくても注意したものだ」
 と,よくいうが,ぼくの記憶では正反対に思える。
 ぼくが子供のころ,仲間とよく喧嘩をしたが,そんなとき,親が口をだすと,いままで喧嘩をしていた子供たちが一緒になって,
 「子供の喧嘩に親が出る!」
 と,一斉に囃し立てたものだ。
 子供のトラブルは子供で解決する。それがルールになっていた。これは兄弟の場合もおなじで,ぼくは2歳違いの弟と,よく取っ組み合いの喧嘩をした。だが,祖母も母も,よほどのことがないかぎり,とめようともしなかった。
 からだがちいさく非力だったぼくは,弟に負かされ,悔しさのあまり,大の字に寝て,
 「殺せ!殺せ!」
 と,喚くしかない破目に追い込まれることが多かったが,祖母も母も見てみない振りをしていた。弟に負けるのが,ぼくにとっては屈辱だったが,親は一切,関与してくれない。屈辱をぼくは自分で処理するしかなかった。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.199-200

人によって違う

 「戦争体験を語り継ごう」「戦争体験を風化させるな」とよくいわれる。
 もちろん,結構なことだが,兵隊で軍隊にいったひとと,将校でいったひとでは,おなじ戦争体験でもまったく違う。天と地ほどの差があることに注意してほしい。すなわち,C級であるぼくのような立場のひととはまったく違う。A級のひとというのがあるのだ。
 まして,幼年学校から士官学校,陸軍大学へと進んだ職業軍人の場合は,軍隊も戦争も出世するための“土俵”のようなもので,ぼくの飛行兵としての経験とは,かなり異質なものだったはずだ。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.157-158

上級生は恐ろしい

 当時,上級生は恐ろしい存在であった。これは,小学校,中学校,高等学校を問わない。
 上級生イコールイジメ。
 「むかしもイジメはあったが,いまのように陰湿ではなかった」
 という人が多い。テレビのコメンテーターなど,ほとんど全員がそういっているが,あれはテレビ局にいわされているか,コメンテーターがむかしのことを忘れたのだろう。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.150-151

人生と言えるもの

 家族がいたとき,生活を維持することは,それなりに意義があった。だが,ひとりになったいま,生活を維持するために仕事をするのは,意味がないのではないか。
 ぼくの命を維持するため,命を振り絞って小説を書く。無駄なことをするために,無駄な努力をするようなものだ。
 それなら,最初から仕事などしなければいいのではないか。
 10年まえ,20年まえ,仕事と生活と楽しみが噛み合っていた。それらをひっくるめたものが『人生』で,迷いなどまったくなかった。
 80歳になると,人生といえるものがなくなってしまった。
 もうそろそろ,“お開き”にしたほうがいいのではないか。
 そう考えるようになった。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.143

エスカレート

 覚醒剤の困るところは,この爽快感が,初めて注射したときだけしか体験できないことで,二度目にはもう味わえなくなることだ。
 眠気は吹き飛ばしてくれるが,爽快感を味わうことができない。
 あの爽快感を味わいたいばかりに,最初は1ccだったのが2ccに,5ccに,さらには皮下注射ではなく,静脈注射へと際限なくエスカレートして行き,終戦から4〜5年経った昭和24年ごろは,馬に打つような太い注射器(20cc)で静脈注射をするのがめずらしくなくなった。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.95

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