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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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クスリ

 ぼくはクスリには好意的だ。
 ぼくが旧制中学3〜4年生のころ,試験の時期になると,町の薬局へ覚醒剤を買いにいった。当時は覚醒剤とはいわず大日本製薬の商品名『ヒロポン』がもっとも一般的だったが,60錠ぐらいはいったビン入りをどこの薬局でも売っていて,未成年者がどうのといった面倒なことは一切なかった。眠気醒ましになる以外,飲んだからといって,何の不都合も起きなかった。
 次にこのクスリと対面したのは軍隊でであった。
 夜間に飛行機に乗るときに支給された。
 どぎつい緑色の地にいまの五百円玉大の赤い丸のはいったデザインで『日の丸丸』と呼ばれていた。特攻攻撃のときなど,このクスリを飲んで,景気をつけて飛び立って行ったそうだが,軍需工場などでも,生産性をあげるため,工員に配給して長時間労働をさせたという。
 この軍需物資が,敗戦で大量にあまった。
 そのため,のこった分は売ってもよいということになったが,製薬会社は錠剤ではなく,注射用のアンプルで売りだした。
 一説では軍が保有していたアンプルが,一斉に放出されたともいわれている。
 終戦直後,食べるものも着るものも,あらゆるものが不足していたが,アンプルにはいったビタミン剤だけは,どこででも安く手にはいった。
 そのため,自分用の注射器を持ち歩くのが流行になっていて,ひとと会っているときなどでも,
 「ちょっと失礼」
 と,ビタミン剤をいまのサプリメントのように手軽に注射したのだが,これが覚醒剤を大流行させる土壌になった。
 大日本製薬の売り出した商品名がヒロポン,武田製薬がゼドリン,参天製薬がホスピタン,富山化学がネオアゴチンと,各社が競って売りだし,ぼくは富山化学のネオアゴチンがからだに合ったように思ったが,錠剤とちがって,注射は初めて打ったときの爽快感が異常に素晴らしかった。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.93-94
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昨日のことのように

 だが,ぼくは戦争をして,負けてよかったと思っている。
 ぼくの幼年時代から少年時代にかけて,警察,憲兵(陸軍のポリス),全国の中学校からうえの学校にかならず配属されていた陸軍将校などの威張り具合。
 ぼくの中学の配属将校は20代半ばの中尉だったが,校長以上の権限を持っていた。
 そのうえ,学校で教えられることのなかに潜んでいるたくさんの嘘(歴史がその代表だった)に対する疑問を口にすると“非国民”呼ばわりされる不自由さなど,時代の重苦しさに直感的な理不尽さを感じていたからだ。
 敗戦の日,1945年8月15日,ぼくは水戸の航空通信師団本部で迎えたが,真っ青に腫れあがった快晴で,真夏の太陽が焼けるように照りつけていた。
 敗戦で権力が崩壊した戦後の数年,生活は苦しかったが,あの自由な爽快さは忘れることができない。
 敗戦の日の澄んだ青空が六十数年すぎたいまも,昨日のことのように思いだされる。

木谷恭介 (2011). 死にたい老人 幻冬舎 pp.47-48

リスク預けっぱなし

 サラリーマンとは,ジャンボジェットの乗客のように,リスクをとっていないのではなく,実はほかの人にリスクを預けっぱなしで管理されている存在なのである。つまり,自分でリスクを管理することができない状態にあるということなのだ。
 大学を出て新卒で会社に入り,定年の60歳まで働いたとすると38年間を会社で過ごすことになる。しかし近年,会社の「寿命」はどんどん短くなっている。平均すると30年ぐらいで「会社の一生」は終わるようになっている。人間の平均寿命は80歳を超える。だからこそ,ひとつの会社に自分の人生をすべて委託するのは非常に高リスクなのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.230-231

投資と投機

 なぜ日本人は,投資に対しての理解が浅いのか。
 その理由のひとつはおそらく,「投資」と「投機」の区別がないことが考えられる。
 「投機」とは要するに,利殖のみを目的に,一攫千金を狙って行う賭け事だ。得する人間が1人いれば,損する人間がその何倍もいる。つまりは大勢の損が,少数の得に移転するだけの,ゼロサムゲームである。本質的にはパチンコや競馬,競輪と変わることがないギャンブルだ。
 それに対して「投資」は,畑に種を蒔いて芽が出て,やがては収穫をもたらしてくれるように,ゼロからプラスを生み出す行為である。投資がうまくいった場合,誰かが損をするということもなく,関係したみなにとってプラスとなる点が,投機とは本質的に異なる。また投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して,投資は本質的に長期的なリターンを求めるところも大きな違いだ。
 しかしそのような投資の本質について理解している人は,日本にはほとんどいない。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.210-211

革命的リーダーは

 いろいろな経営者の自叙伝を読むと,人格的に優れており「なるほど,この人のもとで働きたい」と思うようなすばらしい人物像が描かれているが,はっきり言ってそのほとんどは,編集者とライターと広報担当者が合作した「虚像」にすぎない。
 実際のところ革命的なことを成し遂げるリーダーの多くは,ある種の人格破綻者であるか,あるいは新興宗教の教祖のような自己愛の塊である。そして,そうした強烈なリーダーが率いるからこそ,組織は成功するのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.203

狂気の人

 学校では「みんなの上に立つ人はすばらしい人」と習うが,現実の歴史では,そういう「すばらしい人」が,人の上に立ってなにか大きなことをなしたことはほとんどない。
 日本人の多くは,謙虚ですばらしい人格を持ったリーダーを好むが,そういう人は実際にはリーダーにはなれないのである。歴史に名を残すレベルの企業を作ったようなリーダーというのは,みなある種の「狂気の人」であることが多いのだ。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.197

イノベーション

 もともと「イノベーション」とは,オーストリア出身の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが作った言葉である。彼は起業家の生み出す絶え間ないイノベーションが経済を変動させ,資本主義を進歩させていくと主張した。
 日本ではよく「技術革新」と訳されるが,実は「新結合」という言葉がいちばんこの言葉の本質を捉えた訳語だと私は考えている。既存のものを,今までとは違う組み合わせ方で提示すること。それがイノベーションの本質だ。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.183

リテールに走る理由

 個人を相手に金融商品を売る会社にとって,いちばんあありがたい顧客となるのは,「自分の頭で物事を考えない」人々だ。そしていつの時代もそうした人々はたくさんいる。つまり,個人を相手に商売するときは,「人数がたくさんいて,なおかつ情報弱者のターゲット層」のほうが効率が良いのである。だから,ホールセール(機関投資家や企業相手の大口取引)の金融業で設けられなくなってきた会社は,みなリテール(個人向けの小口の金融ビジネス)に進出しているのだ。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.158

差異・ストーリー

 全産業の「コモディティ化」が進む世の中で,唯一の富を生み出す時代のキーワードは,「差異」である。「差異」とは,デザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言いかえてもいい。わずかな「差異」がとてつもない違いを生む時代となったのだ。マーケターとは,「差異」=「ストーリー」を生み出し,あるいは発見して,もっとも適切な市場を選んで商売を売る戦略を考えられる人間だといえる。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.129

ブラック化のパターン

 中小企業でブラック化するパターンに多いのは「カン違いカリスマ社長が君臨し,イエスマンだけが役員に残り,社員はみな奴隷」という構図だ。特色のない町工場などは,会社の主力商品自体が大企業に買い叩かれるコモディティ商品であるため,それでも会社が無理矢理利益を出そうとすると,給料を下げて従業員を搾取するしかなくなってしまう。だから,奴隷状態でも甘んじて働く社員しか残らない。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.100

CMは要注意

 最近ではケータイのソーシャルゲームのコマーシャルを見ない日はないが,「大量の広告を打っている企業は要注意」という法則もあてはまる。市場の天井が見えつつあるソーシャルゲーム業界にあえて就職するのは賢い選択とは言えないことが分かるだろう。
 さらに言えば「現在絶好調な会社」に就職することは,言葉を変えると,「数年後にはほぼ間違いなく輝きを失っている会社」に就職することとほとんど同義である。それはこの15年のIT業界を振り返ってみてもよく分かる。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.98

成功する思考法

 「ブームとなってから投資すると,死ぬ」というのが投資の鉄則だ。誰も投資など考えられない,焼け野原のようになっているときに投資して,誰よりも早く実った果実を回収し,「まだまだ儲かる」と普通の人が思い始めるタイミングでさっと身を引く。
 これが,成功する投資家に共通する思考法だ。世界でもっとも長期にわたって成功している投資家一族,ロスチャイルド家も,この考え方で莫大な資産を築いてきた。「地面に死体が転がっているような不景気なときに投資をし,まだ早すぎるというタイミングで売り抜けろ」というのがルールなのである。えげつないといえばえげつないが,投資というシビアなゲームに臨む姿勢については,我々も学ぶべき点が多々あるだろう。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.86-87

よくある失敗

 卒業したての学生が起業するときに,いちばんよくある失敗は,「コモディティ会社」を作ってしまうことだ。
 たとえば文系の学生が,自分が家庭教師のアルバイトをしているからと,家庭教師派遣の派遣会社を作ったり,理系の学生がプログラミングができるからといって,ゲームやシステムの開発会社を作るのが,その典型的なパターンである。
 すでに家庭教師の業界も,ソフトの開発会社も,産業としては古い。現在では多くの会社が乱立し,過当競争が起きている。学生ベンチャーがその業界に新規参入し,たまたまある時期成功したとしても,それは学生の労働力が社会人に比べれば圧倒的に安くすみ,またヒマであるがゆえに仕事が速いといった理由で,一時的に競争力があったにすぎない。
 そういう経緯で起業した会社が,10年ほど経って社員の平均年齢が三十数歳となり,体力で勝負することができなくなると,ただの「高学歴ワーキングプア」集団の会社になってしまう。実際にそのような例を私は数多く見てきた。
 だからこそ学生は,卒業後すぐに起業するのではなく,一度就職して,社会の仕組みを理解したうえで,コモディティ化から抜け出すための出口(エグジット)を考えながら仕事をしなければいけない。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.74-75

技術革新の副作用

 働く人々,とくに正社員ではなく派遣社員などの非正規雇用で働く人たちからは,資本主義や資本家を糾弾する声が日増しに高まっており,最近の国会でも,製造業への派遣を原則的に禁止する,ということが決まった。
 しかし私はそのニュースを見て,「本質からずれているのではないか」と感じていた。
 なぜなら,労働者の賃金が下がったのは,産業界が「派遣」という働き方を導入したのが本質的な原因ではなく,「技術革新が進んだこと」が本当の理由だからだ。
 自動車産業に代表される工場のラインがオートメーション化され,コモディティ化した労働者がそこに入っても,高品質の製品が作れるようになったことが,賃金下落の本当の原因なのである。
 今政府がとろうとしている政策は,世間の人たちのウケを狙った小手先の改革にすぎず,賃金下落の本質を捉えていない。メーカーへの派遣が法律で禁止されれば,メーカーは次に,その仕事を外注に出し,請負先の企業がやはり低賃金で人を雇ってモノを作らせるだけだ。
 つまり賃金下落も,産業の発達段階の問題でしかないのである。産業の成熟化が進み,熟練労働者が必要なくなれば,新自由主義といった思想とは関係なく,労働者は必然的に買い叩かれる存在となってしまうのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.64-65

逃れる方法

 それでは,どうすればそのようなコモディティ化の潮流から,逃れることができるのだろうか。それには縷々述べてきたように,人より勉強するとか,スキルや資格を身につけるといった努力は意味をなさない。
 答えは,「スペシャリティ(specialty)」になることだ。
 スペシャリティとは,専門性,特殊性,特色などを意味する英単語だが,要するに「他の人には代えられない,唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない,唯一の物」のことである。概念としてコモディティの正反対といえる。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.39

スペック評価

 コモディティとは前述したように,「スペックが明確に数字や言葉で定義できるもの」という意味である。ここの商品の性能自体が高いか低いか,品質が優れているかどうかは,関係がない。
 人間の採用においても同じことだ。学歴が博士課程の人を募集するのであれば「博士」というスペックで,もしくは六大学以上の学歴でTOEICが900点以上というスペックで募集をかける。そうすると,そこに集まった人は「みな同じ」価値しかない。そこで付加価値が生まれることはないのだ。
 業務マニュアルが存在し,「このとおりに作業できる人であれば誰でも良い」という仕事であれば,経営者側にとっての関心は「給料をどれだけ安くできるか」という問題になる。
 こうして,いかに人を買い叩くか,という競争がグローバル市場で行われ,ホワイトカラーの労働力そのものがコモディティ化してしまった。そのため,今の社会は構造的に「高学歴ワーキングプア」を生み出す仕組みになっているのである。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.36

コモディティ化

 さて,ここで声を大にしてお伝えしたいことは,「コモディティ化するのは商品だけではない」ということだ。「コモディティ化」は部品だけの世界の話ではない。労働市場における人材の評価においても,同じことが起きているのである。
 これまでの「人材マーケット」では,資格やTOEICの点数といった,客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。
 だがそうした数値は,極端にいえば工業製品のスペックと何ら変わりがない。同じ数値であれば,企業側は安く使えるほうを採用するに決まっている。先ほどの外資系企業の採用の話でいえば,「TOEIC900点以上」ならば誰でも同じ,という話なのである。
 だからコモディティ化した人材市場でも,応募者の間で「どれだけ安い給料で働けるか」という給料の値下げ競争が始まる。
 つまり資格やTOEICの点数で自分を差別化しようとする限り,コモディティ化した人材になることは避けられず,最終的には「安いことが売り」の人材になるしかないのだ。

瀧本哲史 (2011). 僕は君たちに武器を配りたい 講談社 pp.34-35

美も相対的

 政治,富,社会のしきたりなどと同様,美においてもあらゆるものは相対的である。私の身長は180センチ,普段の体重は67キロ。ロサンゼルスだったら私は太って見苦しく,おしゃれなブティックのどこを探しても体に合うブルージーンズは見つからないということになる。ビバリーヒルズにあるセレブ御用達のシックなセレクトショップ,フレッド・シーガルに立ち寄ったなら,ハドソンの「スーパーモデル]ブルージーンズのコーナーから,スエットパンツや伸び伸び素材ドレスのコーナーか靴売り場に丁重に追い払われてしまうだろう(いくら太っていてもたいていの靴ははけるのだ)。フレッド・シーガルで買い物をする女性のお尻の大きさは,小学1年生のときの私のお尻ほどしかない。でもこれがニューヨークになると,私は少々太めの部類だけれど許容範囲であり,当世風の飛び抜けて高い身長がそれを補ってくれる。一方,ウィスコンシンでは,私は親戚から,ちょっと背が低いうえに病的な断食ダイエット中だと思われている。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.266-267

太りすぎ

 胃のバイパス手術を受ける人の大部分は,スーパーモデルになりたいのではない。死にたくないから手術に踏み切るのだ。高い血圧を下げ,重すぎる体重を支える骨や関節を救うためだ。通りを歩きたい,バスで席に座りたい,飛行機にも乗りたい,糖尿病にはなりたくない,40歳,50歳の誕生日が過ぎても生きていたい。両親に先立ちたくはない。
 手術に危険がないわけではない。患者のおよそ10%は重い合併症になる。手術中,あるいは手術後に死亡する患者は0.1〜2%,生き残った患者も,消化管リークによる感染症,腹壁ヘルニア,代謝性骨疾患,貧血,骨粗鬆症,胆石,血液凝固,出欠,呼吸不全といった術後の合併症に苦しむ。手術を受けてからは栄養分をあまり吸収できない状態が一生続くので,体内に摂取できるわずかなカロリーには十分気を使う必要がある。バイパス手術を受けた患者の30%近くが栄養不足を原因とした骨粗鬆症,貧血,栄養不良になる。国立衛生研究所によると,10〜20%の患者が合併症の治療のため再度手術が必要になるという。
 こういった問題があるにしても,減量手段として胃のバイパス手術を受けようと考えるアメリカ人が今後も増えていくことは疑いの余地がない。アメリカ人のほぼ4分の1が太りすぎている。国中が太ったアメリカ人だらけだ。近年,ディズニーワールドでは構造技術者は乗り物の座席を広げることを余儀なくされている。でないと膨張しつつあるアメリカ人のお尻が入らないからだ。中西部のウォルマートでは10以上[訳注——日本の13号以上]のサイズが最もよく売れている。痩せていることが高く評価され,ウォーキングが日常生活の一部となっているニューヨークのような街も例外ではない。午後にアベニュー・オブ・ジ・アメリカズ(6番街)を見てみるがいい。余った肉で首に輪のできたサラリーマンの列が嫌でも目につく。会社のあるオフィスビルが禁煙になったため通りでタバコをふかしたり,食べ物の命令に従うだけの奴隷さながらにピザやカルツォーネを高く掲げてオフィスに戻ろうとしたりしているところだ。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.230-231

クレンズ

 ハリウッドやニューヨークでは葦のように細いボディが必須だ。だから女優の卵の多くは専属コーチの助言に従って,クレンブテロールというステロイドの服用を始めている。本来は馬の喘息治療薬で,略して「クレン」と呼ばれる。単なる短縮形だけれど,ある考え方に対する暗黙の了解を示してもいる。何も食べず,より小柄で,より細くなることで女の子はどういうわけか「浄化(クレンズ)」され,みんなよりも優秀で目立った,ちょっぴり輝きの増した存在になれる,という考え方である。このステロイドを数週間服用し続けると,サイズ2以下のいわゆるサンプルサイズの容姿が手に入る。するとこうしたミニセレブ専属のスタイリストは,彼女たちの服をデザイナーからただでもらうことができる。そう語るのは,カーメン・エレクトラやヴァージニア・マドセンといった女優のスタイリストを務めてきたアマンダ・レノである。だが同時にクレンは脳卒中や心臓発作のリスクを高め,持久力を失わせ,心筋を硬直させる。つまるところ,容姿はグンとアップするけれども,死ぬ確率もアップするというわけだ。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.176-177

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