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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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スプラッシュ・マウンテンのストーリー

 1989年7月19日にディズニーランドにオープンして以来,「スプラッシュ・マウンテン」は,「ビッグサンダー・マウンテン」と並んで人気が高いアトラクションです。ライドが滝を急降下し,最後には大きな水しぶきをあげ,ゲストはびしょ濡れになりながらも歓喜の声を挙げます。
 しかし,このアトラクションのストーリーとなると,日本人は,よほどアメリカ文学と映画に詳しくないかぎり,思い浮かべることができないでしょう。
 実際,このアトラクションではゲストは最後にライドごとイバラの茂みに落ちて水を撥ね散らし(スプラッシュ)ますが,なぜイバラの茂みにスプラッシュするのか,なぜ,ウサギ,カメ,クマ,カエル,キツネが出てくるのか,なぜクマが縄でぶらさげられているのか,なぜウサギがキツネに縄で縛られているのか,なぜウサギが「笑う場所」のことをいっているのか,天井に蜂の巣がたくさんついているのか,そもそも「スプラッシュ・マウンテン」のモデルはなんなのか,知っている日本人はまずいないでしょう。
 ということは,日本人が気に入っているのは,最後に乗り物の丸太が45度の角度で滝を落ちていってスプラッシュするスリルだけだということです。これは「スリル・ライド」としてだけ楽しんでいるということで,とても残念です。
 ところがアメリカ人にとっては,ディズニーランドで,これほどストーリー性豊かなライドはありません。このライドは『南部の唄』というディズニー映画をテーマとしているのですが,この映画もアメリカ人によく知られたあるストーリーに基づいているのです。
 それは,ジョエル・チャンドラー・ハリスという人が書いた『リーマスおじさんのお話』です。これはほかのものと一緒に9冊シリーズになっています。動物を擬人化して教訓的な内容を語るのでアメリカのイソップ物語と呼ばれます。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.164-165
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ビッグサンダーマウンテン

 「ビッグサンダー・マウンテン」の基本的モデルは,アリゾナ州とユタ州にまたがって広がるモニュメント・ヴァレーです。アメリカの西部劇では,よく草がところどころ生えた広大な砂漠の向こうに岩山がそびえている景色がでてきますが,その多くはこのモニュメントです。西部劇はもちろんのこと,『未知との遭遇』や『フォレスト・ガンプ』など現代を舞台にした映画にもしばしば出てきます。
 アメリカ的景色としてアメリカ人のあいだに定着していながら,どことなく神秘的で,この世ならぬところがあって,いろいろいわくや伝説がありそうに感じるからです。なにせ,ナバホと呼ばれるネイティヴアメリカンの部族の聖地なのですから。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.153-154

モノレール

 こんにちモノレールは新しい乗り物でも,珍しい乗り物でもありません。日本でもいくつかの都市で走っています。このため,私たちはディズニーランドのモノレールに乗ってもそれだけで心を動かすということはありません。ただの乗り物というだけです。
 しかし,ウォルトが1959年6月14日にモノレールをディズニーランドに導入したときにはかなり先進的な乗り物でした。同じ日にオープンした「サブマリン・ヴォヤッジ」の原子力潜水艦と同じくらい先進的だったといってもいいほどです。ディズニーの宣伝文句によると,この当時「毎日運転されているものとしては西半球で最初のもの」だったそうです。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.131

鉄道へのこだわり

 このようにウォルトはオリジナル・ディズニーランドを作るにあたって鉄道の存在に徹底的にこだわりました。鉄道が交通の主役だったころの古きよきアメリカを再現し,そのなかで開拓時代の蒸気機関車を走らせたい。そのノスタルジアのなかで,おじいさんから自分にいたるまでの時代をもう一度追体験したい。それがこのテーマパークで彼がしたかったことなのです。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.75-76

開拓時代のイメージ

 ウォルトがこのテーマパークを計画したとき,彼の頭の中にあったのは,彼および彼と同時代のアメリカ人が,開拓時代を中心とするアメリカの象徴的シーンを機関車に乗ってめぐっていき,それによって過去を「生き直し」,明日に向かっていく気力を取り戻す機会にしたいということでした。
 だからこそディズニーランドには,パークを一周する鉄道があるのです。パークへの入り口こそこの駅の横にありますが,パーク全体の構造としては,ディズニーランドは入り口のそばのこの駅を基点とする円になっているといえます。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.34-35

いくらかけたか

 オリジナル・ディズニーランドがオープンしたとき,アトラクションの数は22でした。ウォルトがこの世を去ったときには,その数は倍以上の48になっていました。
 もっと驚くのは,それにかけたお金です。オリジナル・ディズニーランドは建設するのに1955年当時のお金でだいたい1700万ドルかかっています。この時期1000万ドルあれば,日本と韓国全土にテレビ放送のネットワークを建設することができたのですから大変な大金だといえます。
 それにとどまらず,ウォルトは開園後もアトラクションを増設したり,改造したりしています。そのためにかかった費用は,10年間で3600万ドルにのぼりました。建設費の2倍以上を建設後にパークを充実させたり,改善させたりするためにかけたことになります。
 これはこの当時のこの業界の常識を超えているだけでなく,現在の常識さえ超えています。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.15

アメリカの遊園地

 ウォルトは,ディズニーランドを作ったとき,それがのちに日本やフランスや香港に作られるなどと思ってもみませんでした。実は,彼は,生前に日本からディズニーランドを作りたいという申し出があったとき,反対したのです。その理由は,外国人(アメリカ人から見て)が,アメリカ人と同じようなストーリーをつむぐことはむずかしいからというものです。とくに,日本人のように,ヨーロッパではなくアジアにあって,文化も伝統もまったく違う場合,むずかしさは大きくなります。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.10

PT盲信

 ところで,ポジティブシンキングを盲信してしまうと,ついつい自分の都合のいいようにものごとを解釈したり,表面的で安易な自己肯定をしてしまいがちになります。
 しかし,先にあげた例のように,いずれもそれなりの実績や自信があってこそ,ポジティブシンキングはうまく機能するものです。ですから,そのような土台もないところでやみくもにポジティブシンキングを使っても上手くいきっこありません。
 実績からくる本物の自信というものは,自分の弱さやダメさを嫌と言うほど経験しながら培われるものです。自己の強い土台をつくるには,がむしゃらなポジティブシンキングは必要ありません。むしろ,自分の負の部分,暗かったり,弱かったりする部分をしっかりと見つめるネガティブシンキングのほうが重要な役割を果たします。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.122

変化

 自然というのは,絶えず変化するものです。人の心も自然と同じです。明るくなったり,暗くなったり,笑ったり,泣いたり,怒ったり,絶えず変化するものです。
 その変化を自然と受け入れることが,心にとってはもっとも負荷がかからないのです。
 しかし,ポジティブシンキングが強いと,心のプラス面だけを受け入れてマイナスの面は否定したり排除しようとする不自然な動きになってしまいます。
 その不自然さは心が辛い時や悲しい状態にある時には大きな負担となります。
 そんな時に無理にポジティブシンキングをしようとすると,かえって苦しくなってウツ気分に陥ったり,ウツ病やウツもどきにかかっている時にはいっそう深いウツ症状をまねいたりするのです。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.98

多様化のなかの窮屈

 ではなぜ,価値観の種類が増えることで世間のフレームは広がらないのでしょうか。広がるどころか窮屈な感じになっているのはなぜでしょうか。
 これは価値観の多様化によって,逆に大きな力のある価値観に皆が自分のよりどころを求めるということではないでしょうか。要するに世間の価値観はかえって画一化してきているということではないでしょうか。
 つまり,わかりやすい喩えで言うと,こういうことなのだと思います。モノを買う時に選択肢が多いと,人気商品を選んでしまうことがままあります。すなわち人気があるということは,品質や性能に間違いはないだろうという保証になるわけです。
 これと同じことが世間にたくさんある価値観を選ぶ際にも起きているのだと思います。あまりにも選択肢が多いので,自分で考えることができないし面倒だ。それにおかしな価値観を選んで人生に間違いがあったら嫌だ。だから保険になるようなメジャーな価値観や常識を選ぼうとなるわけです。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.38-39

「〜すべき」

 とくに「〜すべき」思考は,日本社会の自由気ままな風潮とは逆行してますます強くなってきているように思えます。
 なぜそうなるのでしょう?その背景となるものには,「世間」というものが考えられます。日本人にとって世間は空気のような存在でありながら,その思考や行動の方向を決定づける大きな役割を果たしています。日本人はなにか行動をする時,世間の目を絶えず意識します。
 世間の常識や価値観と照らし合わせてみて自分がどう見られるかがひじょうに重要なのです。自分の行動が世間の枠から外れるようなおかしなものでないかをとても気にするのです。
 つまり,世間は日本人にとって思考や行動の大きな基準となっているわけです。特定の宗教を持たない多くの日本人にとって世間は宗教のようなものと言えるかもしれません。
 世間はこのように存在しているため,日本人はその枠に収まるような思考と行動をとる習性を傾向的に持っています。そこで生まれるのが,こんなふうに考えるべき,こんなふうに行動をするべきだという,「〜すべき」思考ではないでしょうか。「〜すべき」思考の背景にはこうした世間の存在が確固としてあると思います。

植木理恵 (2010). ウツになりたいという病 集英社 pp.34-35

「自由にしろ」

 先日,私は地元の小学生のサッカーの試合を眺めていた。コーチは,グラウンドの外から子供達に向かって「早めにパスしろ」「右に動け」等,ずっと大声で叫んでいる。大人から細かく指示が出てきて,それに従わないと怒られるのだから,試合をやっている子供達も,自分で考えようとする意識がなくなってくる。
 ところが,試合の最後の方で,コーチは子供達に「もういい。お前達の自由にしろ。自分で考えて何とかしろ」と怒鳴った。「自由にしろ」と言われても,子供達は「自分達が何をしたいのか」とは考えない。「コーチが自分達に何をさせたいのか」ということを必死に考えている。その挙句,ますます自分の意志で動けなくなってしまう。「自分達で考えろ」「自由にしろ」と言いながら,いつまでたっても子供は自分の意志をもつようにはならない。サッカーに限らず,他のスポーツや習い事でも,大人が子供に接する態度に似たような傾向が見られる。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.153

独り占め

 社員が生み出す価値を,将来見込めるものも含めて,会社が独り占めしようとするから,「起業家を育成しても無駄」という話になる。しかし,起業するぐらいの人材を育てられない会社は,「組織の中でしか通用しない社員を多く抱え込む状態」になっているということでもある。こうなると,その会社は「管理するけど無責任」という傾向が出てきたり,「顧客よりも組織を重視する」傾向が出てきたりして,衰弱していくのである。
 新ビジネスを展開する起業家が輩出した会社では,その下の社員も,起業を目指して新しいことに積極的に挑戦する雰囲気が出てくる。それは,既存事業の活性化にも大きな効果をもたらす。起業家を育成することは,会社にとっても大きなメリットがあることなのだ。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.132

主体的選択

 このように考えると,今,私達が主体的に選択しなければならないことは,自分自身のキャリアであり,生き方に他ならないということになる。「他にできることがないからとりあえず今の仕事を続ける」という消去法で選択するのではなく,「これをしたいからやる」という,自分の意志による主体的なキャリアの選択をしていかなければならない。このような自分の意志を強く主張する人が増えないと日本のビジネスは盛り上がらず,このまま多くの企業がズルズルと落ち込んでいくだけになってしまう。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.110

効率低下・コスト負担増加

 ある会社では,電子メールの私的利用をなくすため,メールのチェックを徹底的に行っている。メールチェックのソフトを導入し,私的利用の疑いがあるメールは専門の社員が内容をチェックする。メールを私的に利用した場合は,本人に警告メールを入れ,それでも続いた場合は職場に報告して,上司が本人に注意をする。しかもメールの私的利用に関するレポートを作成して全職場に配布もしていた。
 社員は,メールの私的利用は悪いことだとわかっているものの,それを防止するためにここまで管理する必要はないと思っていた。会社が社員を信頼せず,常に社員の行動を監視しているような気がするからだ。
 会社のパソコンでは私的なメールの送受信ができないので,社員は自分の携帯電話のメールを利用するようになった。仕事中に席を離れ,休憩室やトイレで携帯メールのやりとりをする。席を離れるといっても数分のことだから,上司はいちいち注意できない。この会社では,結局,仕事中に私的なメールを送受信している状況は変わらず,席を離れる分だけ業務効率は落ちてしまった。会社に信頼されていないという意識から社員のモチベーションは低下し,メール監視のためのコスト負担も大きい。このようにマネジメントを強化することが,効率低下やコスト負担の増加等のビジネス面での問題を生じさせている。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.89-90

不祥事防止には

 不祥事を防ぐには,マニュアルを整備するとか,チェック体制を厳しくするなどのマネジメントを強化するのではなく,社員一人ひとりが顧客や市場の目を意識してビジネスに対する倫理観を持つようにすることこそが重要である。マネジメントを強化したところで,不祥事が発生した場合に「当社は厳格なマネジメントをしていました」という弁解ができるぐらいで,本当の不祥事防止策を講じたことにはならない。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.86

組織重視の症状

 以下のようなことが生じていれば,「顧客よりも組織を重視する」症状が出ている証拠である。

・「社会的にどうか」「顧客にどのような影響が及ぶか」ではなく,「自分達はどうなるのか」「組織内への影響はどうか」で物事を決めようとする。
・自分達のやっていることを社会的に意味があることにすりかえる。経営理念や会社方針,ビジョンにこだわり,それが現実の会社の姿や日常業務と乖離していく。
・社員の考え方が幼稚になる。ありきたりなこと,教科書的なこと,著名人がいったことを,あたかも自分の主張のように声高に発言する人が多くなる。
・顧客や社会の評価よりも,上司や社内の評価を重視する人が増える。
・「数字を達成しているのは社会に認められている証拠」という理屈がまかり通る。この理屈は間違ってはいないのだが,それが強く言われだして,顧客よりも数字を重視するようになると,会社は誤った方向に進む。営業力が強いといわれながらも消えていった会社の多くは,社内でもこのようなことが言われていた。
・「ゴマすり」をする人が増える。経営者や管理職が自分の保身ばかりを考えている。会社の中に派閥が見られる。
・社内の動きに悪い意味での「軽さ」が見られる。例えば組織改革や営業革新に関するプロジェクト・チームが乱立する。
・組織的に動くことが強要される。個人プレー的な動きをする者は,社外で認められても「チームワークがない」として社内で評価されない雰囲気がある。
・ビジネスよりもマネジメントが重視される。顧客に価値を提供することよりも,会社を続けることのほうが優先される。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.78-79

最大のリスク

 マネジメントでは,リスクを回避するために様々な管理を行う。管理が行き過ぎるとビジネスに支障が出てくることがあるのだが,その責任は誰もとろうとはしない。皮肉な話だが,最近では「リスク回避を行うマネジメント自体がビジネスにおける最大のリスク」と言える状態になっている。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.61

責任者不在

 最近のマネジメントは,あらゆることを制度やシステムによって管理しようとする。ところが,いざ問題が起こると,誰が責任をとるのかはっきりとしない。それぞれの人が,自分に責任が降りかからないように,制度やシステムを作って管理しているといってもよい。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.55

都合の良い話

 甘い見通しが立てられた場合,実は多くの人が「悪い方向にいきそうだ」と最初から気づいている。しかし,誰もそのことを指摘しようとはしない。都合のよいことばかりが並んだ見通しに対して,「こういう悪いことが起こる可能性もある」と指摘しようものなら,周囲の人から「そんな弱気なことでは何もできない」と臆病者扱いされてしまうからだ。臆病者扱いをされるのが嫌だから問題点を指摘せず,それどころか甘い見通しを後押しする側に回ってしまい,ますます都合のよい話が広がっていく。こうして都合のよい話はどんどんスケールが大きくなり,現実離れしていき,そして大きな過ちをもたらす。

深田和範 (2010). マネジメント信仰が会社を滅ぼす 新潮社 pp.44

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