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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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選択のとき

 自分のことを少し振り返ってほしい。何か選択をするとき,あなたが真っ先に考えるのは,自分が何を求めているのか,何があれば自分は幸せになるのか,ということだろうか?それとも,自分だけでなく周りの人たちにとっても,何がベストかを考えるだろうか?この一見単純な問題が,国の内外を問わず,すべての文化や個人の大きな違いの中心に潜んでいる。もちろん他人のことをまったく顧みないほど自己中心的な人はまずいないし,自分の必要や欲求にまったく頓着しないほど無私無欲な人もいない。だがこうした極端な例を除いても,それでもまだ大きな違いが存在する。わたしたちがこの両極間のどこに位置するかは,文化的背景と,わたしたちが与えられている選択の仕方に関するスクリプト,つまり一連の行動プログラムによって決まるのだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.54-55
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)
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制限と希望

 結果は驚くべきものだった。原理主義に分類された宗教の信徒は,他の分類に比べて,宗教により大きな希望を求め,逆境により楽観的に向き合い,鬱病にかかっている割合も低かったのだ。実際,悲観主義と落ち込みの度合いが最も高かったのは,ユニテリアンの信徒,特に無神論者だった。これだけ多くのきまりごとがあっても,人々は意欲を失わず,かえってそのせいで力を与えられているように思われた。かれらは選択の自由を制限されていたにもかかわらず,「自分の人生を自分で決めている」といった意識を持っていたのだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.51-52
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

ホワイトホール研究

 ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのマイケル・マーモット教授が,数十年にわたって指揮している研究プロジェクト,ホワイトホール研究は,選択の自由度に対する認識が,健康に大きな影響をおよぼすことを,強力に実証する。この研究では1967年以来,イギリスの20歳から64歳の公務員男性1万人あまりを追跡調査して,さまざまな職業階層に属する公務員の健康状態を比較している。この結果,「モーレツ上司が心臓発作を起こして45歳でポックリ逝く」といった型にはまったイメージと,まったく正反対の結果が出たのである。収入の高い仕事ほどプレッシャーが大きいにもかかわらず,冠状動脈性心臓病で死亡する確率は,最も低い職業階層の公務員(ドアマンなど)が,最も高い階層の公務員の3倍も高かったのだ。
 これは1つには,低位層の公務員が高位層に比べて,喫煙率や肥満率が高く,定期的に運動する習慣がなかったせいでもある。だが喫煙,肥満,運動習慣の違いを考慮に入れても,最下層の公務員が心臓病で死ぬ確率は,まだ最上層の2倍も高かった。最も地位が高い人は収入も高く,自分の生活を思い通りにコントロールしやすいからという見方もできるが,それだけでは低位層の公務員の方が健康状態が悪いことを説明できない。社会的な基準からすれば裕福な部類に入る,2番目に高い階層の公務員(医師,弁護士,その他の専門職など)でさえ,上司に比べれば,健康リスクが著しく高かったのだ。
 そこで分かったことだが,そのような結果をもたらした主な理由は,職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが,直接的に相関していたことにあった。上役はもちろん収入が高かったが,それより大事なことに,自分自身や部下の仕事の采配を握っていた。企業の最高経営責任者にとって,会社の利益責任を負うことは,たしかに大きなストレスになるが,それよりもその部下の,何枚あるかわからないメモをページ順に並べるといった仕事の方が,ずっとストレスが高かったのだ。仕事上の裁量の度合いが小さければ小さいほど,勤務時間中の血圧は高かった。さらに言えば,在宅中の血圧と,仕事に対する自己決定権の度合いとの間に,関係は認められなかった。つまりこのことは,勤務時間中の血圧の急上昇を引き起こした原因が,自分で仕事の内容を決められないことにあることを,はっきり示していた。仕事に対する裁量権がほとんどない人たちは,背中のコリや腰痛を訴えることが多かったほか,一般に病欠が多く,精神疾患率が高かった。これらは飼育動物によく見られる常同症の人間版であり,その結果,かれらの生活の質は著しく低下したのだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.33-34
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

選択

 わたしたちが「選択」と呼んでいるものは,自分自身や,自分の置かれた環境を,自分の力で変える能力のことだ。選択するためには,まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。例の実験のラットが,披露が募るなか,これといって逃れる方法もないのに泳ぎ続けたのは,必死の努力を通じて手に入れた(と信じていた)自由を,前に味わったからこそだ。これに対して,自分の置かれた状況を自分でコントロールする能力を完全に奪われたイヌは,自分の無力さを思い知った。後にコントロールを取り戻しても,イヌの態度が変わらなかったのは,コントロールが取り戻されたことを認識できなかったからだ。その結果,イヌたちは事実上,無力なままだった。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.23-24
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

商売の背景

 つまり歌舞伎町の特色として,ビルのオーナーと店舗経営者の分離が挙げられる。戦後発足した歌舞伎町で土地を持った者のほとんどは早い時期に所有地にビルを建て,テナントの継続・維持を不動産屋に任せ,自らはより高級な住宅地に移転し,ビルのテナント料で食う道を選んだ。彼らが関心を払うのはビルに空室が出ないことだけで,テナントがどんな商売をしようと,自分に火の粉が降りかからないかぎり関係がない。所有と経営の分離が荒っぽい商売を許し,テナント料をつり上げ,歌舞伎町を危険な街にしたともいえる。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.157-158

探検

 歌舞伎町でぼったくり被害に遭うのは「何か面白いことはないか」と期待している客に限られる。単に飲むだけでなく,それ以上にいいこと,ただか安くセックスできることを望んでいる。セックスしたければソープランドに行けばよさそうなものだが,最初から決まり事のセックスには乗り気でない。料金一定,システム一定を外れて変則を求めたい。変則を望むことがすなわち「探検」である。
 そのせいか歌舞伎町では若手の社会人やニート,学生,生徒が客の主流になる。総じて男女とも財布の中身は潤沢でなく,感覚的に不良度の高い客が多いといえるかもしれない。
 歌舞伎町にはこうした意味での「探検」の対象となり得るイメージがある。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.148

戦後の恐れ

 敗戦後,日本人の多くは米占領軍ばかりか,中国人や朝鮮人に対しても恐れや怯えや反感を抱いていた。中国人は一夜にして「戦勝国民」となったし,台湾人や朝鮮人(当時は「第三国人」と呼んだ)の多くは日本植民地主義のくびきを脱して精神的にも解放され,敗戦日本をあたかも治外法権の地と観じた。彼らの暴力と横車を規制できるのはGHQだけであり,日本警察はほとんど無力だった。日本人の中で暴力的にわずかに対抗できるのは戦前からのヤクザ,帰還兵や学生崩れから成る愚連隊,総じて暴力団に限られていた。
 まして日本国民は1923年(大正12年)9月発生の関東大震災の際,「朝鮮人が暴徒化,井戸に毒を入れ,放火して回っている」というデマや新聞記事を信じ,数百人から数千人と推計される朝鮮人を虐殺した歴史を持つ。朝鮮人が報復のため,敗戦の混乱に乗じ,日本人に同様の残虐行為を仕返すと予期したとしても不思議はなかった。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.115

新宿のはじまり

 新宿は甲州街道の宿駅である内藤新宿に始まる。徳川家康が江戸に入り,徳川幕府を開いたのは1603年(慶長8年)のことだが,翌年,日本橋を起点に東海道,中山道,日光街道,奥州街道,甲州街道の五街道を定めた。このうち甲州街道は日本橋——呉服橋——外堀通り——麹町——四谷大木戸のルートで府内を抜け,高井戸——府中——小仏——大月——勝沼から甲府に入る。甲府からはさらに韮崎——蔦木——上諏訪——下諏訪と延び,下諏訪で中山道に合する。
 1606年(慶長11年)に江戸城建設用の資材運搬路として青梅街道が定められたが,甲州街道との分岐点は内藤大和守の屋敷の前辺りだった。甲州街道の最初の宿駅は高井戸であり,日本橋から約16キロと距離が長かったこともあり,1698年(元禄11年)に新しい宿場として内藤新宿の開設が認められた。
 内藤新宿は次第に江戸の外側に隣接する遊里になっていった。享保の改革期,内藤新宿は一時廃されたが,1772年(明和9年)に再開され,飯盛り女(売春を行う)の数は150人と定められた(東海道の品川宿は500人)。旅籠屋,茶屋の数はそれぞれ数十軒だったが,年々増え,現在の地下鉄新宿御苑前駅辺りを中心に,新宿通りの両側には繁華な歓楽街が形成されていった。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.84-85

ヒマとヒモ

 ヤクザは「無職渡世」といわれるぐらいで,生産行動は何もしない。そのため自由になる時間,ヒマな時間がありあまるほどある。よってヤクザはヒマな時間の一部を女性のケアに当てることができる。女性に対してマメになれる。また経済的に女性に頼らざるを得ないから,自分はあなたを必要としていると真顔でいうことができる。「必要とする」と「愛している」を,女性が錯覚することは割に多いはずである。
 つまりヒマこそヒモになるための必須条件である。子分を持たず,ろくにシノギもないヤクザにはヒマがある。ヒマがあり,食う必要もあってヤクザは女と関係を結ぶ。だから女のヒモにはヤクザが多い,という三段論法がおそらく成立する。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.78-79

射精産業

 セックスという言葉は,男女の性交の意味で使われるのだろうが,客が男の場合にはより直接的に「射精産業」というべきかもしれない。性交(ホンバン)を頂点とするピラミッドがあるとして,歌舞伎町では性交の手前の射精や催淫的なムード,予備行為なども売り物になり,射精産業には何段階もの亜種的な業種がある。
 女性との性的会話を楽しむ,あるいは口説く(キャバクラやクラブなど),若い女性の陰部やオナニー姿などを見せる(覗き部屋,ノーパンしゃぶしゃぶなど),女性の乳や陰部を触らせる(ノーパンクラブやお触りバー),女性の手指などで射精をもたらす(ピンクサロンやセクキャバなど),同じく女性の手や体を使ったマッサージで射精させる(エステなど),女性をホテルに連れ出せる(台湾クラブや中国クラブ),ホテルに女性が来る(デルヘリなど),客の女性と直接交渉できる(出会い喫茶,ハプニング・バーなど),女性とセックスできる(ソープランド,街娼)など——歌舞伎町は性的な各種サービスに溢れている街である。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.70-71

三種

 警察はこれまで暴力団を博徒,テキ屋,青少年不良団(愚連隊)の三種に分類してきたが,このうちテキ屋が主導して新宿を再建し,戦後しばらくの間,新宿はテキ屋優先時代を現出した。
 テキ屋とはわかりやすくいえば,祭りや縁日などが開かれる社寺の境内や参道で屋台や露店を出して商売する人たちである。博徒はばくち打ちを意味するが,現状は博徒,テキ屋,青少年不良団すべてが「暴力団」であり,彼らは同じような組織,行動,業態を取り,発生的に分類することはほとんど意味がなくなった。麻雀でさえできない博徒もいれば,たこ焼きを焼いたこともないテキ屋もいる。
 しかし,あえて三分類を踏襲すれば,暴力団の今の主流は,山口組や稲川会など発生的に博徒とされる団体である(但しこれらの団体の傘下団体にはテキ屋も含まれる)。テキ屋は博徒に比べ下位に見られることが多いが,昭和三十年代後半まで歌舞伎町を含む新宿で幅をきかせていたのはテキ屋だった。博徒や青少年不良団はむしろ肩身狭く遊んでいた。
 敗戦後,全国の繁華街はほとんど焼け跡,闇市時代を経ている。闇市を仕切ったのは,当時「三国人」といわれた朝鮮半島や台湾の出身者,戦時労働者として強制連行されていた中国人のほか,復員したり,徴兵されていなかった戦前からのヤクザ,愚連隊化した帰還兵,体育会系の学生などだったから,多少ともヤクザ,暴力団は全国どこでも戦後の街の再スタートに関係している。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.40-41

快と暴力

 歓楽街が提供する歓楽は「快」のはずであり,間が悪いと街で出会うかもしれない暴力は「不快」である。快と不快,快楽と暴力は,ともに歓楽街が客に提供するサービスなのだろうか。
 店の用心棒が代金を払わない客や行儀の悪い客に振るう暴力を考えれば,暴力が一般客の快楽を準備し,保障しているといえるかもしれない。逆にボッタクリバーの従業員が客を袋叩きにして財布を奪い,店外に放り出すなら,店の営業と暴力は不可分であり,店が事前に客に約束したはずの快楽は単なる客寄せのトークに過ぎず,暴力被害あるのみとなろう。

溝口 敦 (2009). 歌舞伎町・ヤバさの真相 文藝春秋 pp.38

高校の評価=進学

 高校では,偏差値の高い難関校,特に国公立大学や一部の有名私大にどれだけの合格者を出すかが,進路指導の最優先課題になっています。偏差値×合格者数という掛け算の考え方が優先され,生徒一人ひとりの希望がどのようにかなえられ,入学した大学での経験が生徒の未来にどのように結びつくかといった観点は,後回しにされてしまいがちです。「この大学にどうしても行きたい!」と本人が強く望んでいても,高校の先生がそれに反対する。本人の志望とは関係なしに,国公立大学の受験を促したり,AO入試に必要な書類を用意してくれなかったりする。これは私が,大学の入試担当者から聞いた実際の話です。その担当者は,「学校の先生に反対されていて……私,どうしたらいいんでしょうか」と半泣き顔で訴える高校生の姿を見て,高校の「進路指導」に憤りを覚えたとのことです。
 実のところ,高校教員の方々も非常に気の毒です。というのも高校関係者はいま,中学の教員や保護者から,「名門大学に,何人進学させたか」という軸だけで評価されているからです。そうでなければ,誰だって前述したような「指導」はしたくないでしょう。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.161-162

多忙な教員

 日本の高校教員はとにかく多忙です。それは,調査結果で「教員の時間不足」と回答した教員が62パーセントもいたことからもわかります。例えば都立校の教員は,冬休みの間に300通もの調査書を手書きで作成していたりします。進路指導に使える時間はかなり限られています。授業やその準備,生活指導,学校行事などイベントの準備・運営,そのほか多種多様な雑務に追われながら,毎年のように増え続ける大学情報のすべてを把握し,担当する高校生全員に対してアドバイスをしていく。これは,ほとんど不可能なのではないかと思います。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.153

AO入試推薦の敬遠

 AO入試や推薦入試が,高校の教員に敬遠される背景には,大きく以下のような理由があります。
 第1に,指導が面倒くさい,または指導できない。つまり,志望理由書の書き方やプレゼンの指導には手間がかかるし,そもそも指導できる教員が少ないという事情です。
 第2に,クラスの和(?)を乱す。つまり,早々と合格した生徒が,その後,進学に向けてがんばっているクラス全体の雰囲気を乱す。別の言い方をすれば,合格した生徒を,教員が勉強させられない。
 第3に,進学実績が増えない。つまり,一般入試なら複数校の合格を出してくれる生徒が,たった1〜2校で受験を終えてしまい,高校にとって損失になる。
 これらは,実際に高校の関係者からよく聞く話です。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.143-144

高校の合格実績を伸ばすため

 入試の変化に関連して,本質的な問題とは別に,関係者の予期しなかった問題も起こっています。AO入試や推薦入試を受験したくても受験できない,受験することを許されない高校生がいるのです。
 評定平均が足りないとか,大学が求める選択科目を履修していないとか,そういった,条件を満たしていない生徒のことではありません。むしろ逆。評定平均もバッチリで,模試などでも高得点をたたき出す。そんな成績優秀な生徒たち,高校で「特進コース」や「難関大学進学クラス」といったクラスに在籍している生徒たちです。
 学校によって事情はまったく異なるので一般化はできないのですが,こういった進学クラスの生徒に,AO入試や推薦入試(公募制,指定校制など)への出願を禁じる高校というのが,実は少なからず存在しているのです。
 特に指定校推薦枠への制限は顕著だと聞きます。あるいは,推薦への出願は認めつつ,「でもその代わり,必ずセンター試験を受けなさい」とか「一般試験も受けなさい」などと指導するケースです。
 理由は明らかで,高校の「合格実績」を伸ばすためです。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.142-143

入試の予測的妥当性

 一般入試の問題は,基本的にその大学の教員が作問しています。入学後に落ちこぼれず,授業についていけるかどうかを測るために,必要となる学力を試験で問う。これが,入試の目的だと思います。
 だとしたら,理想的な入試問題というのは,「受験時に高得点を取った学生ほど,卒業時に,4年間の授業で好成績を残している」問題だということになります。もちろん,入学後に各自がどのような成長を果たすかは完全にはわかりませんが,おおむね受験時の成績が,入学後の成績に比例するような問題が作れたら,試験としては理想的でしょう。
 もっと言えば,こうした観点がないまま入試問題が作られているとしたら,それは何かがおかしいのです。なにしろ一斉に入試問題を解かせて,点数が高い順に合格を出しているのですから。「点数が高い者ほど,よりわが大学で学ぶ資質がある」ということでなければ,学力測定ツールとしての,一般入試の存在意義は揺らいでしまいます。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.136-137

機能していますか

 アメリカでは,学生を集める責任を負っているのはアドミッションズ・オフィスです。入学生の量と質を確保できなければ,それは彼らの責任です。
 一方,教員は,アドミッションズ・オフィスが集めた学生を預かるわけですから,入学させた学生が十分な成果を出せなければ,「せっかく全国から一流の学生を集めたのに,十分な教育成果が上げられていないじゃないか。教員は何をやっているのだ」と,アドミッションズ・オフィスから批判されます。お互いに,お互いの仕事を監視し合う体制です。
 もちろん,教員とアドミッションズ・オフィスは連携していて,「いま,こういう教育が必要になってきているから,今後はこうした意欲や能力のある学生を集めてほしい」とか,「最近の入学希望者には,こうした経験が不足してきているようだ。教育サイドで,こうした点を補ってくれないか」などのやりとりをしています。
 「あなたに合格を出すが,その代わり入学後にこの講義を履修し,一定以上の成績を修めることが条件です」という「条件付き入学」をアドミッションズ・オフィスが出すこともあります。ここからもわかるとおり,彼らは単なる入試事務の担当者ではなく,教育を扱うプロフェッショナルなのです。
 日本でもアメリカにならい,入試課の名称を「◯◯大学アドミッションズ・オフィス」などに変更する例が見られますが,ほとんどの大学では,実情は以前と変わらぬ「入学試験付帯業務実行課」です。
 そして責任の所在も,相変わらずあいまいです。受験生が集まらなかったという理由で責任を問われた入試課長や理事長を,私は知りません。また,入学した学生の学力を向上させられなかったという理由で,教務担当の責任者や教員がマイナス評価を受けたという話も,聞いたことがありません。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.127-128

アドミッションズ・オフィスの役割

 アメリカの大学のアドミッションズ・オフィスは,学生募集のすべてを扱う専門部署です。その大学のミッションに沿って,必要な学生を集める。これが彼らの任務です。
 どんな学生を,どういう戦略で,どのように集めるか。その計画から実施までをとりしきるプロフェッショナル・チームです。だから,志望者を試験で選抜するだけでなく,大学によっては全米を飛び回り,有望な学生をスカウトしてくる権限を持っているスタッフもいます。優秀な学生を集められなければ,責任を追及されるからです。
 大学の規模にもよりますが,アメリカの大学教員は,日本の教員ほど,学生募集にタッチしません。入試問題が必要になったときにそれを作ったり,面接を担当したりすることはありますが,基本的には「アドミッションズ・オフィスに依頼されたから,彼らの意図に応えられるような問題を作った」というスタンスです。
 アメリカの大学で「学生募集」と「教育」とが分業化されていることには,大きな意味があります。それぞれの業務に緊張感と責任を持たせるため,そして,それぞれの業務について高い水準の仕事をさせるためです。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.126-127

もう半分終わっている

 毎年1月,センター試験当日になると,テレビなどがその様子を報じます。会場からレポーターが「いよいよ受験シーズンがはじまります。受験生の皆さんにとっては,今日からが勝負です」といった型どおりのコメントを出します。
 しかし,これは真実ではありません。というのも,センター試験を迎える頃には,半数を超える生徒の進学先が決定しているからです。
 2010年度の大学入試の結果,私立大学に入学した学生のうち,一般入試で入学したのは48.1パーセント。なんと半分もいません。残りの内訳を見ると,付属高校からの内部進学や指定校推薦などを含む「推薦入試」での入学が40.9パーセント。そしてAO入試が10.5パーセントです。これに帰国子女試験での進学者などがわずかに加わります。
 国公立大学を含めても,一般入試での大学進学者は55.2パーセントに過ぎません。AO・推薦入試に挑戦した後,一般入試に取り組み,そちらで進学先を決める受験生もいますので,少なくとも受験生の半数近くは,何らかの形でAO・推薦入試を体験しているというのが実態です。
 この事実は,あまり一般に知られていません。ですから,高校生やその保護者の方々にご説明すると驚かれます。それどころかメディアの方でも,「受験は冬から」と思われている方が少なくないようです。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.124-125

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