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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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過去の大学生とは違う

 「大学生にここまでする必要があるのか」と驚く方も多いかもしれませんが,それは現場を知らない,もしくは「ユニバーサル・アクセス時代」をまだ受け入れていない方の感想です。いまの大学生は,もうオトナがイメージするかつての「大学生」ではありません。
 単に教科試験の点数が低いという問題ではなく,学ぶ能力,学ぶ姿勢が,すでに過去の大学生と違うのです。「大学生にもなれば,手取り足取り勉強を教えられる立場ではない。必要なことを自分で学ぶのだ」といった大学生像は,もう通用しません。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.89-90
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20点で合格

 センター試験は,60点(100点満点換算)が平均になるように調整されているのですが,なかには20点台で合格を出す大学もあります。
 すべてマークシート方式の択一問題ですから,科目によっては問題を読まずに全問,同じ数字を塗りつぶしても20〜30点はとれるかもしれません。「20点台」という点数は,それくらい衝撃的な数字です。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.87

今の大学教育

 明るくコミュニケーションをとりながら,グループで研究を進め,大きな声でハキハキと自分の考えや研究成果をプレゼンする。これが,いまの大学教育が向かっている一つの方向です。企業の就職面接や,社会人基礎力で示されている「理想的なビジネスパーソン」像そのものです。 

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.63

AO入試

 AO入試は,ともすると「一般入試のための大変な受験勉強をしなくても入学できる」という,楽な印象を高校生に与えます。そこに目をつけ,「学力はなくても,やる気さえあれば入学してください」とAO入試をアピールする大学が増えてきているのです。
 実際には,一般入試の難関校はAO入試でも難関ですし,AO入試で楽に入れるような大学は,一般入試でも楽に入れてしまいます。考えてみれば当たり前です。ひどい定員割れを起こしているような大学は,一般入試でどんなに低い点をとった受験生でも合格を出すでしょう。

倉部史記 (2011). 文学部がなくなる日 主婦の友社 pp.37

ブレイン・ストーミングの錯覚

 ブレイン・ストーミングは,時間の使い方としては非生産的だ。人は集団のなかにいるときよりも,自分独りの時のほうが新しいアイデアを思いつくものだ。心理学では,「集団による生産性の錯覚」と言われる。各種の調査結果を比較したところ,22の調査のうち,集団のほうが生産性が低いとする調査が実に18にのぼった。身に覚えがあると思うが,他人の仕事を信頼し過ぎて,「ただ乗り」する人が多過ぎるのだ。それでも意外なことに,集団での議論は高く評価されがちだ。個人で考えるよりも,集団でのブレイン・ストーミングのほうがより良い成果が生まれると答えた割合は8割にのぼる。
 この認識の誤りの一因は,自己欺瞞にある。集団になると,たいてい自分以外の誰かが発言してくれる。このため重圧は感じない。目新しいことを言わなくても,自分を愚かだとは思わない。議論が続いているので,集団としての発見に携わっていると錯覚する。わたしが発見していなくても,ほかの誰かがしている。何か良いことが起きているのは間違いない。だからこそ,全員でこうやって集まっているのだ。チームの一員であること,それも勝利チームの一員であることに,人は居心地の良さを感じる。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.175-176

誘拐犯と保険会社の相互関係

 メキシコでは,誘拐犯と保険会社が取引する仕組みが確立している。犯人と保険会社が話し合い,人質と身代金の交換が行われる。両者は何度も取引をした実績があり,相互の「信頼関係」があるので,誘拐した事実を知らせるために,人質の耳を削ぎ落して送る必要がない。誘拐犯のほとんどが,保険に入っている人質を好むのは意外ではない。保険が,誘拐犯のインセンティブになっているのだ。人質が保険に入っているほうが,取引がスムーズに進むし,誰もがプロフェッショナルとしての行動をとる。少なくとも行動が予測できるからだ(卑劣な行動を取り,市場を荒らす,ならず者もいる)。要するに,保険会社は,犯人が信用できる約束をするための手助けをしているわけだ。身代金を払えば人質を生きて開放してくれる犯人,取引が可能な犯人に,保険会社がお墨付きを与える。誘拐犯にとって保険会社は一種の業界団体であり,事業の向上を助けてくれる存在だ。掟を知らない,ならず者に保険会社はカネは渡さない。いわば誘拐ビジネスを「規制」しているわけだが,このことで多くの事件を誘発し,罪を増やしているのもまた事実だ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.231-232

旧ソ連の暮らしやすさ

 旧ソ連は,ある面では,驚くほど暮らしやすかった。何かうまくいかないことがあると,自分以外に攻めるべきモノや人があったからだ。諸悪の根源は共産党だ。チェスの選手ですら,共産党を悪者にした。選手権や試合は「党のお気に入り」に捧げられていると信じられていたからだ。言うまでもないが,こうした考え方の弊害として,国民の多くが,政治的抑圧を受け入れ,歓迎しさえするようになった。
 能力主義を標榜する資本主義経済では,業績が悪かったとき,同じ言い訳はしない。うまくいかなかったときには,良くも悪くも,競争相手より劣っていたのだと思うように仕向けられている。自分のためになる物語を強化するには,自分を欺くに越したことはない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.171-172

雑用の制限

 もっと平凡なことも改善できる。雑用の回数は,大いに制限すべきだ。少なくとも,雑用をこなして,偽りの達成感にひたっていてはいけない。何かと雑用に追われているのは,怒った顧客に電話をかけるとか,論文を仕上げるとか,屋根の修理をするといった面倒な仕事をやりたくないためだったりする。何かをやり遂げたという偽りの満足感にひたるとき,雑用ほど危険なものはない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.171

専門家の欺き

 専門家もまた自分自身を欺いている。大学教授にアンケートをとったところ,自分は平均より仕事ができると答えた割合は94パーセントにのぼった。社会学者198人を対象に,自分にどの程度の影響力があるかを尋ねたところ,最低でもひとつの専門科目で上位10人に入ると答えた割合が半数を占めた。引退後も自分の論文を読んでもらえると思うと答えた割合も半数以上にのぼった。ところが,同じ回答者が,比較的権威があるとされる全米社会学会の歴代の会長をほとんど知らなかった。専門家として永遠に記憶されるとの期待が,年齢が上がるにつれて現実的になっていくという証拠はない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.162

自分は目利き

 真実を見極める力が自分よりいくらか上だと思える人がいたなら,常にその人の意見を受け入れ,自分の代弁者になってもらえばいいと思うのだが,そうはならない。知能指数や学歴,専門性,職業の地位が明らかに自分より高い人から自分とは違う意見を聞いても,敬意を払おうとする人はほとんどいない。
 敬意を払う場合でも,自分は「尊敬すべき相手を見つけ出す大の目利き」だと考える。また,わたしの伯父ほど政治をよく知っている人間はいないと主張する。自分自身を自慢できないときには,すばらしい人とのつながりという栄誉を求めようとするわけだ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.161-162

夫婦間の自己強化

 心理学者は,現実にはありえないほど配偶者や結婚生活を好意的に評価することを「夫婦間の自己強化」と呼んでいる。例えば,人に聞かれると,「夫(や妻)はわたしを怒らせることがない」とか「夫(や妻)と喧嘩した記憶がない」と答える夫婦は多いだろう。以前は,こんな答えをするのは新婚ほやほやの夫婦だけだと考えられていたが,結婚生活40年以上の熟年夫婦も同じくらいポジティブだ。こうした夫婦は,幸せな結婚を長続きさせる確率が高かった。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.159

嘘つきの特徴

 嘘つきに対する一般的なイメージは,正しいとは言えない。嘘つきはしゃべるときに目をそらすわけではないし,目を合わせられないわけでもない。一般的な嘘つきのイメージの裏をかこうと,必要以上に目を見て話す人たちもいる。これも一般の通念に反するが,異常なほど鼻の頭をさわったり,咳払いしたりする嘘つきも見あたらない。
 嘘つきに追跡可能な身体的特徴があるとすれば,話すときに腕や手,指の動きが少なくなる,ということだ。まばたきも少なくなる。スピーチでは,真実を話している人に比べて,淀みなくしゃべり,文法的な間違いも少ない。ふつうなら,前に戻って,「話し忘れたこと」を話したり,「間違ったこと」を訂正したりするものだが,それも少ない。嘘つきは,脳の大部分を嘘をつくために使っていて,集中力を持続するため,無意識のうちにほかの機能を遮断している。
 嘘つきは,間違いを犯さないように最新の注意を払う。嘘つきに見られるのが怖いのか,辻褄が合わなくなって突っ込まれるのが怖いからだ。一般人は,こうした重圧がないので,つっかえたり,言い淀んだりする。だが,嘘つきは筋書き通りにしゃべる。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で,詐欺について研究しているベラ・ディパウロは,「嘘つきの話は,よくでき過ぎている」と語る。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.147

シグナリング

 経済学でいう「シグナリング」とは,コストのかかる行動を選択することによってメッセージを伝えることを指す。バレンタインデーに妻に花を買うのは,シグナルを送っているのであって,真冬に妻が花を欲しがっていると本気で思っているわけではない。しまり屋のみなさんに,これを言うのは憚られるが,シグナリングはどれだけコストをかけたかがすべてだ。立派なダイヤの指輪なら,花束よりも効き目があるだろう。口先だけで済むアドバイスは,たとえそれがどれほど貴重であっても,同じ効果はあげられない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.114

時間という試練

 要するに,コンテクスト(文脈)が重要なわけだが,そこから言えるのは,芸術においての時の試練の結果を予想するのは難しい,ということだ。いまは新鮮な映像も,20年後にはつまらなくなっているかもしれない。現代人にとってフランス印象派の色彩は,不調和なわけでも衝撃的なわけでもなく,保守的できれいなだけが取り柄だ。レッド・ツェッペリンを聴いたら,ジーン・ヴィンセントなど,ハード・ロックのうちにも入らない。スティーヴン・スピルバーグの「ジュラシック・パーク」の恐竜は,映画が公開された当初は,特殊効果で多くの観客を楽しませたが,いまとなっては,予算不足の東欧のコンピュータ・ゲームかと思える。
 逆に,時を経て力をもつ映像や音楽もある。マイルス・デイビスの晩年のアルバムは,フュージョンとファンクをごちゃまぜにしたような音楽で,当時のジャズ評論家には理解されなかった。なぜバップや絹のように滑らかなトランペットの音を捨てて,雑音にしか聞こえない音楽に走ったのか,というわけだ。ところがいまでは,ジャングル,トランス,ラップ,環境音楽の先駆けともてはやされている。19世紀のアメリカの画家,ウィンスロー・ホーマーは,その時代に軽くみられていたが,現代に生きるわれわれは,人権問題の繊細な描写や,人間の尊厳に対するこだわりに感銘を受ける。
 こうした点から,美術館の作品の見方に関する具体的な教訓が導き出せる。ひとつの作品は繰り返し見るべきだが,ほかの作品を見た後でそうするべきだ。ある美術館をより深く理解しようと思うなら,関連のある作品が所蔵されているほかの美術館にも足を運ぶ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.82-83

文化を楽しめるか

 要するに,文化を楽しめるかどうかは,カネの問題ではない。正式な教育の問題でもない。学のある人間は,とかく高尚な文化から「多くのものを得よう」とするが,教育を受けていないからといって,作品を味わえないわけではないし,学べないわけでもない。現代社会では,高校や大学,大学院に進学することと,知性や忍耐といった文化の鑑賞眼を養う資質には相関性がある。だが,常にそうだったわけではない。ベートーベンの演奏に耳を傾けた聴衆のなかにも,ルネサンス期のフィレンツェにも博士号をもっている人間はいなかった。修士号すらなかった。それでも,当時の多くの人々は,大いなる知性と情熱で芸術を愛した。哲学者のジョージ・サンタヤナによれば,歴史的にみると古代ギリシャ人の教育程度は低いという。それでも文化という観点では,大きな仕事をやってのけたのだ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.71

あたりまえだと

 人が類型化を好む理由については数多くの学説があるが,わたしは共通する要因をひとつ発見した。他人も自分と同じような選択肢で考えていると思い込むのだ。他人の「利害」は,自分の「利害」とはかけ離れているのがふつうなのだが。クウェートの外交官に言わせれば,「駐車券で自分が得をするために,アメリカの制度を利用している」わけではない。「できが悪く不必要で,不適切な法律は自分の判断で無視する」という当たり前の行為をしているにすぎない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.31-32

ニュースのシステム

 ニュースというのは,極めて特殊な例を日常に持ち込むシステムである。滅多に起こらないことが毎日起こるように錯覚させ,「恐ろしい世の中になった」と強調する傾向がある。昔は隠されていたこと,伝わってこなかった情報が,広い範囲から集められてくるだけのことだ。そして,そういった特殊な状況に対して,日常のありふれたもので解決しようとする。言葉でいえば,「心」「友」「愛」というようなものである。それが不足していたから事件が起きた,と暗に結論を示す。これを真に受ける人は少なくないだろう。そういう人は,自分にはそれらが足りないのではないか,と心配になり,必要以上にそれらを求めようとするかもしれない。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.109-110

賭け事の意味

 さらにもっとわからないのは,賭け事である。あれは技や能力ではない。ルーレットのように単なる偶然で勝ち負けが決まるものが多い。そういう状況で「勝つ」ことの価値は何か?それはもらえる金や物の価値だけである。それ以外にない。そして,それは「負け」た他者から奪ったものだ。奪うことが楽しいのだろうか?ちょっと考えてみると,馬鹿馬鹿しさが見えてくるのだが……。
 こういった勝ち負けの楽しさに明け暮れていると,人を負かさないと楽しめないようになる危険がある。つまり,「人の不幸が楽しい」という感覚になる。「あいつをぎゃふんと言わせてやりたい」「あいつの泣き顔が見たい」という歪んだ感情が育まれるだろう。これは,はっきりいって「貧しい」精神である。
 楽しさとは,けっしてそういうものではない。楽しさは,「他者」との比較から生まれるものではない。「自分」の中から湧き出るものだ。どうしても比較がしたいのならば,「他者」ではなく「自分」と比較しよう。昨日の自分よりも今日の自分は何が違うのか。去年の自分に,今年の自分は勝っているか。そういうふうに考える方が健全だ,と僕は思う。そして,「他者」と比較しない「自分」こそが確固たる揺らぎのない,つまり「ぶれない」自分であり,また,別の言葉でいえば「強い」し「美しい」という表現が相応しい「自分」だと思うのである。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.121-122

他者の排斥

 多少思考力のある人間ならば,他者の排斥によって自分を確立しようとしたとき,どうしても,「他者も自分を排斥しようとしているのでは」と思いついてしまうだろう。悪口を言う人ほど,「きっとみんなは自分の悪口を言っている」と怯える。子供のときにはそこまで想像が巡らなかったかもしれないが,大人になれば自然にそれくらいは想像してしまうのだ。してしまうから,それによって「自分」が不安定になる。
 これは,手法が致命的欠陥を持っている,というほかない。この方法では,自分を確立することはできないだろう。極度に自分に自信(あるいは幻想)があって,自分は神だとでも思わないかぎり無理である。常に他者の目を気にして,しだいに窮地に追い込まれる。酒に逃避するなど,別の逃げ道を見つける以外になくなる。ようするに,最後は考えないようにするしかない。考えない人間というのは,はたして人間か,と疑われる存在に行き着くだろう。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.98

やってみよう

 極意というものはなく,ただただ,試してみよう,やってみよう,ということである。子供の頃を思い出そう。好奇心を取り戻し,新しいものに興味を持ち,今まで見なかったものを見て,聞かなかったことを聞いて,行かなかったところへ足を運んでみる。新しいことをすれば,きっとなにか新しいものが見つかる。それだけでも少し楽しくなる。
 さらに,それについて考えてみよう。もっと自分にできることはないか,自分が望んでいるものは何だろうか,それを実現する方法はないのか,何をすれば近づけるだうろか,とどんどん考える。考えて考えて考えぬく。考えれば,なにか思いつく。間違っていても良い。試してみれば,間違っていることはわかるし,それがわかることも前進である。間違っていた,とわかったときの楽しさを知ることになるだろう。失敗して,大笑いできるはずだ。人が用意したコースならば腹が立つが,自分が決めた道ならば,絶対に腹は立たない。そういうふうに人間はできているのである。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.79-80

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