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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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レベル差

 余計な話だが,TVのクイズ番組の問題は,国語と社会は中学や高校レベルで出題されるのに,算数や理科(特に物理分野)になると,とたんに小学校レベルになる。あれはいったいどうしてなのだろう,と常々不思議に感じている。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.101
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科学ですべてが…

 しかし,科学を目の敵のように言う人もいる。「科学ですべてが説明できるのか?そんなふうに思っているのは科学者の傲りだ」と。それは違う。科学者は,すべてが説明できることを願っているけれど,すべてがまだ説明できていないことを誰よりも知っている。どの範囲までがまあまあの精度で予測できるのかを知っているだけだ。しかし,科学で予測できないことが,ほかのもので予測できるわけではない。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.85

科学と非科学の境界

 では,科学と非科学の境界はどこにあるのだろう?
 実は,ここが科学の一番大事な部分,まさにキモといえるところなのである。
 答をごく簡単にいえば,科学とは「誰にでも再現ができるもの」である。また,この誰にでも再現できるというステップを踏むシステムこそが「科学的」という意味だ。
 ある現象が観察されたとしよう。最初にそれを観察した人間が,それをみんなに報告する。そして,ほかの人たちにもその現象を観察してもらうのである。その結果,同じ現象をみんなが確かめられたとき,はじめてその現象が科学的に「確からしいもの」だと見なされる。どんなに偉い科学者であっても,一人で主張しているうちは「正しい」わけではない。逆に,名もない素人が見つけたものでも,それを他者が認めれば科学的に注目され,もっと多数が確認すれば,科学的に正しいものとなる。
 このように,科学というのは民主主義に類似した仕組みで成り立っている。この成り立ちだけを広義に「科学」と呼んでも良いくらいだ。なにも,数学や物理などのいわゆる理系の対象には限らない。たとえば,人間科学,社会科学といった分野も現にある。そこでは,人間や社会を対象として,「他者による再現性」を基に,科学的な考察がなされているのである。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.75-76

感想だけ

 TVの報道番組に専門家(たとえば科学者)が呼ばれて,司会者が質問をすることがある。「先生,これはどういうことなのでしょうか?」と解説を求めるのだが,それに対して専門家が丁寧に答えても,司会者はまったく内容を聞いていない。話がまだ途中なのに次の質問をしたり,今説明があったばかりのことをまた尋ねたり,という場面があまりにも多い。
 そして,最後には,こんなふうにきくのだ。「先生は,この事態についてどう思われますか?」と。いくら専門家であっても,その人がどう思っているのか,ということは聞いてもしかたがない。専門的な見地からデータを示し,それを評価しつつ説明することが専門家の価値である。その専門家が「残念です」とか「少し光が見えてきました」と個人的感想を述べても,そんなものに意味はない。しかし結局は,この最後の「感想」だけを受け取る人が大多数だし,番組もその言葉を欲しがっているのである。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.58

どう感じるかばかり

 数字というのは,それがどもくらいのものなのかを伝えることができる最もわかりやすい指標だ。ところが,多くの人は数字を拒絶してしまい,「その数字を人間(みんな)がどう感じるのか」ということを知りたがる。水道管が破裂した事故を報道するTVでは,何リットルの水が流出した,という数字を伝えればわかるところを,周囲の人たちにインタビューをして,どれくらい凄かったのか,ということを語らせようとする。そういう「人々の印象」を伝えることが,「正しい情報」だと考えているようにさえ思える。マスコミの報道を見ていると,この「印象」「主観」情報の比率がどんどん高くなっているのではないかと感じる。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.55

わからなくても点が取れること

 わからない子にわからせるのが教育である。しかし,今の教育は,「わからなくても点が取れる」ことに重心があるように思えるのだ。たとえば,算数などでは,「つるかめ算」とか「旅人算」といった「名称のある手法」を前面に出し,理解ではなく,機械的に答を導けるように「訓練」する。それで,本当に数を扱う能力,未知のものを求める力を育てることにつながるだろうか?

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.48

数字を知る

 つまりは,数字をまず知り,それを評価することが大事だ。数字ほど,具体的なものはない。「10メートルの津波が来る」という情報がもたらされたとき,「それは具体的にどれくらい危険なのですか?基準を超えていますか?どれだけの被害が予想されますか?」といった質問をするよりも,今自分がいる場所と,自分の体力と,周囲の状況から,それが「自分にとって危険か安全か」を判断することが,貴方を救うだろう。つまり,それが「科学」なのである。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.45

データとメソッド

 学科で教わることは,以上のように2種類ある。きっちりと分かれるものではないけれど,大別すると,「データ(情報)」と「メソッド(方法)」だ。
 前者では,データを正しく自分にインプットし,それが必要なときに的確に取り出せる能力が求められる。これはたとえるならば,自分の頭脳という倉庫に,沢山の材料をストックし,それらをきちんと整理している状態を目指している。材料の名前や性質などの「知識」と,それらを関連づける「整理」が要求される。
 これに対して,後者は,それらの材料を用いて加工する「方法」を覚えることになる。算数や数学というのは,一言でいえば「方法」なのである。
 実は,国語も,算数と同じように「方法」を学ぶべき分野だと思われる。つまり,イメージを言語にし,思考を文章として組み立てる「方法」が,国語で習得すべき基本的な能力だろう。しかし,今の国語教育は,テストに出しやすく,採点がしやすい問題に囚われているため,子供のうちに論理性を学ぶような機会がない。そもそも,国語を教える先生が文章の達人ではない,という問題が大きいだろう。漢字が書けるとか,読めるとか,そういった手法の前段階の瑣末な知識のインプットに終始している。算数でいうと,数字の書き順とか,読み方を繰り返し習っているレベルだ。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.35-36

自分は向かない

 このように,理系の人の多くは,単に「ものを覚える」という勉強が面倒だと感じているだけだろう。だから,文系の学科を「不得意」とは自覚せず,「やる気になれば,いつでもできるもの」と考えているのである。
 したがって,文系の人が「理系の人間は変わっている」と思っているほど,理系の人は「文系の人は変わっている」とは考えない。文系と理系を意識するのも,文系の人のほうが多いはずだ。
 その証拠に,理系の中にしばらくいると,ここでもまた,理数科目の不得意を感じる場面があって,「自分は文系なのかな」と意識する人が現れてくる。僕の観測では,たとえば工学部の学生の半分以上が,これを感じることがあるみたいだ。高校生までは数学や物理ができたから,なんとなく理系の学科へ進んだけれど,もしかして自分は不向きなのでは,と将来に不安を抱き,相談に来る学生がとても多い。
 ちょっとわからなくなると,「自分は向かない」と処理してしまう。これは,諦めが良いというのか,あっさりしているというのか,どうも日本人の傾向なのかな,と思えてしまう。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.31-32

イヌどうしの接触

 日本の飼い主を見ていて残念に思うのは,イヌどうしの接触をすぐにセーブしようとすることです。イヌがせっかくあいさつしようとしているのに,おたがいを引き離してしまうのです。イヌのシグナルを見逃しているのです。ただ,これはすでに述べたように,日本には真っ当で「ない」イヌが多いということに,もちろん深くかかわっています。
 しかし私が見ていて,「このイヌたちなら大丈夫なのに,どうして?」という場面も目立つのです。自身を持っていないのは,イヌよりもむしろ飼い主のほうなのです。臆病なイヌの問題より,臆病な飼い主の問題のほうが深刻かもしれない——と考えさせられることもあります。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.197-198

鎖につなぐこと

 日本の一般の家庭では,イヌをつなぐということに無頓着すぎるのではないか,と思います。2mにも満たないような鎖に長時間つながれているイヌを目にすることがありますが,このようなことは改めるべきです。
 ドイツでは,イヌの住環境についての適切な配慮が法律で定められています。イヌをつなぐことをあまり是としないドイツですが,犬保護法とでも言うべき『Tierschutz-Hundeverordnung』には,「鎖の付け根は固定せずに,最低でも6m以上のレールに取り付けて,すべりを良くすること」「鎖の長さは横方向に最低でも5m動けるようにすること」「イヌが自由に小屋に出入りでき,横たわったり方向を変えたりすることができること」と明記されています。日本とドイツでは住環境がちがいますが,一つの目安として参考にするといいでしょう。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.196-197

イヌの3タイプ

 牧草地のイヌたちと遊んでいると,かれらがボールを見失うことがあります。草むらの中にボールが紛れ込むのです。その際,同じゴールデン・レトリーバーでも,イヌたちの反応には個体差があります。大まかにいえば,探す,探さない,のどちらかです。そのようすを観察していると,同じ「探さない」でも,2つのタイプにわかれます。
 もうボールがなくなったかのように,すぐにあきらめる。あるいは,草むらの手前で立ち止まって,他のイヌのようすを眺める。つまり,「探す」タイプを入れて,合計3タイプにわかれるのです。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.103

犬を飼う時の心構え

 イヌを飼おうと思うなら,まず次のことを自問してください。

●イヌと暮らすだけのスペースがあるか?
●散歩に連れ出す時間があるか?
●イヌを生涯の伴侶とするだけの経済力があるか?
●イヌと遊ぶモチベーションを持っているか?
●イヌの病気を予防するために努力できるか?

 これらの項目にすべてYESと答えられる人だけに,イヌと暮らす資格があるのです。YESと答えられたあなたが純血種を求めるのなら,まずは犬種を決めましょう。その犬種がつくり出された歴史や初期の用途をよく調べましょう。外見の好みだけで犬種を決めてはいけません。あなたのライフスタイルに合ったイヌを探してください。特に,その犬種の必要運動量をつかむようにしてください,と,(まともな)しつけ本にはこう書いてあるかもしれません。しかし,「犬種」の前に関心を向けるべきことがあります。イヌそのものについてです。まずはイヌの生態や基本的な習性について学ぶべきです。それを抜きにして,前にあげた「自問」はありません。
 さて,犬種を決めたら,あなた自身が直に,ブリーダーの施設に出向くようにしましょう。もし子イヌから育てる覚悟があるのなら,次のことを実践してください。
 子イヌとその育ての親,飼育環境を自分の目で見て,ブリーダーからその理念と方針を聞きましょう。血糖や遺伝性の病気を考慮し,ブリーダーを見極めてください。あなたがその労を惜しむのなら,イヌといっしょに暮らすのはあきらめるべきです。
 もしあなたが,生後間もない子イヌのぬくもりを求めるのなら,その子イヌの飼い主候補になりましょう。候補になって,たとえば,毎週ブリーダーの施設に通うという選択肢もあります。
 生後3ヵ月以上,親きょうだいといっしょにすごし,2回の混合ワクチンが終了している子イヌを入手します(混合ワクチンは2回でじゅうぶん。3回目をおこなえば,しかし獣医師のふところはあたたかくなるでしょう)。
 以上を実行すれば,ほとんどの場合,家庭に迎えてからの「しつけ」もスムーズにいきます。運が良ければ,「しつけ」がほとんど必要ないくらいの,すばらしい子イヌに出会えることでしょう。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.94-96

イヌの脳機能

 2010年,オーストラリアの科学者たちは,MRI(磁気共鳴映像法)を用いて,イヌの脳を分析しました。すると,新しい発見があったといいます。グレーハウンド,イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル,オーストラリアン・キャトル・ドッグ,秋田犬,ジャック・ラッセル・テリア,シー・ズーなど10犬種の脳を解析したところ,パグのような丸い形の頭の場合,通常より脳が前方にあり,嗅覚の情報処理に関わる部分がきわめて低い位置に下がっていることがわかったというのです。
 この発見は,イヌが嗅覚で感じとる世界が頭の形によって大きく異なるかもしれない,ということを示唆しています。検査にあたったニューサウスウェールズ大学の研究者によれば,イヌの頭の形に伴うこうした組織的変化は,脳機能の点でもちがってくる可能性があるということです。この点については,今後の解明が必要だと思います。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.86

見た目と能力

 ウィーン大学の動物遺伝学研究所は,62頭のジャーマン・ロングヘアード・ポインターの体質調査を行ないました。すると,「外見的美しさ」と「性能」は負の相関関係にあることがわかったということです。
 ドッグショーで優秀な成績を修めるようなポインターは,現場で働く能力が低い傾向があると報告されています。たとえば,気まぐれな行動をとる,狩猟意欲がない,銃声におびえるなどです。同研究所は,ブリーディング・スタンダード(犬種標準)にこだわりすぎるあまり,近親交配を繰り返すブリーディングのあり方を見直すべきだと主張しました。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.85

社会化の3対象

 イヌはまず,自分がイヌであることを知る必要があります。イヌは自分が所属する社会の中で,イヌとしてどうふるまえべきかを学ばなければなりません。その最初の学びの場は,同じときに生まれたきょうだいとの接触です。子イヌたちは遊びを通してコミュニケーションの方法を身につけていくのです。
 また同時に,人間と接することで,人間社会の中でどうふるまうべきかを学ぶ必要があります。それだけではありません。ネコや(地域と環境によっては)馬,牛,羊などの家畜ともうまくやっていけるようになることが,人間から期待されます。伴侶動物としてのイヌは,この3つの対象に対して,社会化されなければならないのです。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.69

専門家がいても解決できない

 近年,各地にドッグランが設営されるようになりました。イヌたちの交流の場が増えることは歓迎すべきですが,一方で,そこではイヌどうしのトラブルが頻発していると聞きます。その主な原因の一つは,まさに「すり込み」にあるのです。
 「おかしいな,前は他のイヌと仲良く遊んでいたのに,どうしてけんかするんだろう?」。イヌが1歳を過ぎた頃,こんなことを口にする飼い主がいます。その通りです。子イヌのときはうまくやれても,社会化されないまま成長すれば,間違いなく他のイヌとトラブルをおこすようになります。これには生態学的な根拠があるのです。
 おとなのイヌ(特に雄)は,子イヌにはすこぶる寛容です。これにはフェロモンが関与しています。子イヌの体に鼻をつけ,匂いを嗅いでみてください。ミルクをうすめたような独特の匂いがするはずです。子イヌ時代には,まだ成犬のような性フェロモンが分泌されていないので,このような匂いがするのです。しかし成熟期の時期を迎えると,一変します。
 イヌとしての適切なすり込みを終えたという“約束手形”を持っていないイヌは,イヌ仲間からすぐに見破られるのです。
 ボディーランゲージもごまかしようがありません。子イヌなら許された無礼なふるまいは,もう許されないのです。ちょっとしたことですぐけんかになってしまいます。
 だから仮に,ドッグランに,しつけインストラクターを配置するなどして,ソフト面の充実を図っても,問題の解決にはなりません。仕事が大変なだけです。体内のアドレナリンが急上昇し興奮したイヌのケンカを止めるのは,生やさしいことではありません。下手な止め方をすると,人間のほうが病院送りになります。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.67-68

離別とその後

 ここでは,その結論部分だけを紹介しておきます(『犬は「しつけ」で育てるな!』では,日齢で示したが,本書では解析結果に沿って週齢で表記する)。

 5週齢以内に親きょうだいから引き離されたイヌは,例外なく他のイヌをきょくたんにこわがる。震えだすか,逃げ惑う。性的関心もほとんど持たない(雌は交配がとても困難)。攻撃をしかけるイヌもいるが,これは恐怖感からくる防御的な攻撃と思われる。
 6週齢〜7週齢に親きょうだいから引き離されたイヌは,5週齢以内のイヌに比べれば,怖がりの程度は多少ゆるむ。個体によっては,他のイヌをほとんど恐れないものもいるが,これはイヌそのものに関心を示さないことを意味しているにすぎない。イヌ本来のあいさつ行動やボディーランゲージをきちんと表現できるわけではない。
 8週齢〜10週齢に親きょうだいから引き離されたイヌは,他のイヌと出合ってから,ある程度時間が経つと,いっしょに遊ぶようになる。
 12週齢に親きょうだいから引き離されたイヌは,他のイヌとほとんど問題なく遊べる。社交的な態度がとれる。
 16週齢に親きょうだいから引き離されたイヌは,初対面の相手にも,まるで以前からの顔見知りのようにふるまえる。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.62-63

幼齢犬が多い理由

 それにしても,捨てられる幼齢犬が全体の20%近くを占めているのは,なぜでしょう?この数字からは,一般の飼い主からの持ち込みだけでなく,イヌの繁殖や販売にかかわる業者が,遺伝性疾患などの病気で“商品価値がない”と判断した子イヌをかなり多く持ち込んでいる,ということが読みとれます。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.38

殺処分

 環境省によれば,2008年に,全国の自治体の動物管理センター(保健所)に引き取られたイヌの数は,成犬9万810頭,幼齢犬2万2678頭となっており,このうち返還・譲渡されたのは,3分の1に満たない3万2774頭で,8万2464頭が殺処分されています。
 引き取られたイヌのほとんどは,イヌの所有者によって持ち込まれたイヌです。「返還」というのは,何らかの事情で迷い犬になったのが飼い主のところに無事戻されたということで,「譲渡」というのは,新しい里親に引き取られたということです。
 譲渡先が見つからなければ,ふつう長くても1週間以内に殺処分されます。そのほとんどは,炭酸ガスによる窒息死です。安楽死にはほど遠く,イヌたちは恐れおののきながら,特に旧式のガス室の場合,少なくとも十数分間もがき苦しみながら死に至ります。なかには1度のガス噴射では絶命せず,断末魔のなかで痙攣しつづける犬もいるということです。

堀 明 (2011). 犬は「しつけ」でバカになる:動物行動学・認知科学から考える 光文社 pp.37-38

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