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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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視線感知

 見られているという感覚は,誰もが体験したことのある,ありふれたスーパーセンスの一例だ。実を言えば,あまりによくあるため,見えない視線を感知するのは人間が普通に備えている能力だと思われていたりする。人並み以上に分別があるはずの教育を受けた大人でも,そんな能力が本当にあるなら,超自然現象だということに気付いてさえいないことが多い。だからこそ,発達期に自然発生し,やがて常識と受け止められるようになる超自然現象信奉の一例として,この見えないものにみられているという感覚を詳しく検討してみる価値がある。これは大人が子どもに教えるような通念ではないのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.329
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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心臓は汚染されるか

 私も最近,健康な学生たちを対象として,この種の考えについて調べてみた。20人の顔写真を用意して,外見的な魅力と知性,それに,自分が心不全で死にかけている場合のドナー候補としての好ましさを評定させたのである。まず,これだけの選考基準でドナー候補たちの顔写真をランク付けさせた。次いで,写真の半数は殺人犯で,残りはボランティアとして活動している人々であることを明かしてから,改めて,魅力,知性,ドナーとしての好ましさを評価し直させた。はたして,殺人犯のランクはすべての評価項目で低下したが,もろに影響があった評価項目はドナー候補としての好ましさだった。学生たちは殺人犯の邪悪さを,筋組織でできたただのポンプにすぎない心臓に蓄積されて伝染しうる,実体のある属性と考えたようだ。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.278
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

不快極まりない番組

 1998年2月,イギリスのテレビ局,チャンネル4が放映したテレビ・シリーズ『テレビ・ディナー』のある回を観ていた視聴者たちは,愕然とした。視聴率さえ取れるなら何でもありというテレビの風潮の最も不快な例のひとつと言えそうなこの番組に出演したのは,愛嬌があって憎めない有名人シェフ,ヒュー・ファーンリー・ウィティングストールである。娘インディ・モー・クレブス(生命エネルギー回路の御仁とは赤の他人である)の誕生日を家族とゲストで祝いたいというロージー・クリアのために,特別素敵な創作料理を提供しようというわけだ。ファーンリー・ウィティングストールはクリア婦人の胎盤をフライにし,パテを作って,フォカッチャに載せて供した。夫のグストールはクリア婦人の胎盤を17回もお代わりしたが,ゲストたちはそれほど夢中にはなれなかったようだ。これを観ていた視聴者たちは,トイレへ,電話へと走った。チャンネル4には抗議が殺到したうえに,イギリス放送基準委員会から「多くの人々にとって不快極まりないと思われる番組」と,きついお叱りをちょうだいした。一般の人々がそれほど動転したのはなぜか?何がそんなにまずかった?なぜ,道徳的に衝撃を受けたのか?数年後,自分のウェブサイト『リバー・コテージ』に掲載したインタビューで,ファーンリー・ウィティングストールは問題の原因を社会のスーパーセンスにあったと見ている。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.263
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

共感呪術の信奉

 そうした化粧品を使用する根拠はほぼ例外なく,共感呪術の信奉にある。胎盤や用水など,生命力と関連のある原料から作られている製品がごろごろしている。中国の悪名高いカプセル入り漢方薬タイ・バオ(Tai Bao)は中絶されたヒト胎児を原料にしているそうだが,市販されているカプセル入り漢方薬の大半にも粉末にした人間の胎盤が使われているらしい。原料が人間,動物のいずれに由来しているにせよ,これらの若返りの薬の宣伝文句は,軟膏を塗るか,カプセルを飲めば,老化を止められる,遅らせられる,あるいは,若返ることさえできるとうたっている。実を言えば,こうした製品に,皮膚から吸収できる有効成分を含有しているものはほとんどない。それなら直接体内に取り込めばよいと考えるわけだが,そうした養分はどれもこれも,天然の胃酸によって分解されてしまう。実のところ,ホメオパシーのレメディ同様,多くの化粧品には有効成分と言えるものは何も含まれていないので,規制当局を煩わせる手間も省けているのだ。それでもなお,たいていの人は若さのエッセンスを吸収できると信じて疑わない。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.262-263
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

本質を貶める

 人々を“ゴミ”や“害虫”呼ばわりすることは,その人間性を否定するばかりでなく,彼らを本質的に異なる者,汚れた者として扱う口実を他の者たちにも与えることになる。ツチ族の子どもが人間であることをやめて,ゴキブリになったのでもなければ,どうして隣人であるフツ族がツチ族の子どもをナタで惨殺するなどということがあり得よう?私たちが他者を受け入れようと,遠ざけようと,本質主義は私たちの行為に物理的な理由をつけて正当化する。社会的な動機による集団のための行為であるにせよ,行為者自身,自分のしていることは正しいと感じているのだ。この惨状はどこから生まれてくるのか?私たちはそれをどのようにして他者と結びつけているのだろう?
 答えは子どもたちの内で育つ本質主義と,汚染は拡散するという観念の芽生えにあると思う。そうした考えがやがて,本質を備えているはずの生き物,それも特に他の人間に対する私たちの反応のしかたを方向付けていくことは明白だ。本質を伝播可能なものと捉えれば,自分は孤立した存在ではなく,超自然的なつながりを信じることによって互いに結びついていると思える部族の一員だと考えられる。他人を,自分とは本質的に異なる存在となる属性を備えた人々と見なすようになる。こういう考え方から見るに,本質的な属性の中には,特に伝播しやすいものがあるようだ。私たちが他人に認める本質的な属性には,若さやエネルギー,美しさ,気質,強さがある。性的嗜好さえも,本質的な属性だ。しかも,これらの属性は,他の属性より伝播しやすいと考えがちだ。ここで言う他の属性は,たとえば髪の色やチェスの腕前,政治的信念であるが,どれもかなり不安定で,時とともに変化する可能性があるため,本質的ではない属性とみなされることが多い。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

何だか気持ちが悪い

 世間一般の平均的な人は,哲学や遺伝学の講座とは無縁だが,それでも,種間交雑が行われるようになるかもしれないと聞けば愕然とする。これは本質主義のためである。本質主義こそ,私たちが生物界を多様な集団に分類するうえで基盤としている考え方であるからだ。私たちは,同じカテゴリーに属するものは,その集団への帰属を定義する目に見えない属性を共有していると,直感的に考える。たとえば,犬はすべて,犬をイヌ科の動物ならしめる“犬らしさ”という本質を備えているし,猫は皆,犬とは異なる,猫をネコの仲間の一員とならしめる“ネコらしさ”という本質を有していると思っている。魚の遺伝子をマウスやジャガイモに組み込んだ科学者の話を耳にすると,眉をひそめる。とにかく,まっとうなこととは思えない。自然ではないからだ。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.231
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

生命の理解

 それでは,子どもたちはいつ,どこから,生物学の知識を仕入れるのだろう?ハーバード大学の心理学者スーザン・ケアリーが主張するところによると,子どもたちは生物の理を理解するまでには比較的長い時を要する。鳥と飛行機,犬と猫を選り分けられるとはいえ,その類の分類は単純なパターンを発見しているにすぎず,生物学を深く理解していなくてもできることだそうだ。生物について理解するには,生命とは生存している状態であること,それには目に見えないプロセスが伴うことを正しく認識しなければならない。ケアリーの推定によると,生きているとはどういうことかを子どもたちが理解し始めるのは,6歳ないし7歳になってからである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.221
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

世界を分類する

 生来,世界を理解しようとする私たちは,存在すると信じるありとあらゆるカテゴリーに世界を分類する。自然界に構造を探し,自然物をさまざまの集団にまとめる。そうすることで,ある集団の構成員は,別の集団のそれと比較すると,大部分の特徴を同じくしていると認識するのである。ところが,自然界の分類を進めていくうちに,どのカテゴリーにもしっくり納まらない構成員がいることに気付く。不浄な動物と奇形を持つ人間は自然物の秩序を犯すものだ。そして,その秩序は,私たちが発達期にある子どものうちに,直感的生物学の一環として築き上げるものなのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.220
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

本質主義

 古代ギリシャの哲学者のように,子どもたちもまた,生き物は自らを独自の生き物ならしめる特別な何かを内に宿していると推測している。生き物とは何かを定義する本質が存在し,物に生命を与える生気エネルギーが存在し,すべてが力によって結ばれていると思っている。それぞれに異なってはいるが相関しているこれらの考え方を,哲学では“本質主義”,“生気論”,そして,“ホーリズム(全体論)”と呼ぶ。ひとつひとつの考え方に絞ってみれば,いずれも私たちが科学によって生物について知り得ているところに極めて近い。どれでもよいから現代生物学の教科書をめくってみれば,こうした信念が実際,科学的に妥当なものだと分かる。たとえば,DNAはアイデンティティと独自性を生み出す生物学的メカニズムであるが,これは本質主義の核心にほかならない。あらゆる生細胞内ではグレブス回路(訳注:クエン酸回路のこと)と呼ばれる化学反応が起きていて,これがかなりの量のエネルギーを算出する。これこそ,細胞の生命を維持する重要な生命力である。[ホーリズム,すなわち]共生の理論は,生物系の相互関連性に関する研究である。生物系のつながりについては,進化論,共生生物学,さらに新しいところでは,ジェームズ・ラヴロックの生態学“ガイア”理論が取り上げている。人は——ついでに言うなら微生物も——皆,独りでは生きられない,すべてを複合系の不可欠な要素として理解しなければならない,という理論である。たいていの人はこうしたさまざまな発見や理論を知らずにいるが,DNAやクレブス回路,共生が科学の主流となるはるか以前から,人間はそれらの存在をいつの間にか直感によって,本質主義,生気論,ホーリズムとして受け止めていたのだ。しかし,そうした直感的な推論が,スーパーセンスの根幹にもなる。なぜなら,私たちは,科学的に証明されていることを超越した,本質的で,生命にかかわる,相互につながりを持った属性が世界で作用していると推測するからである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.216-217
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

手品が分かるか

 ロシアの心理学者ユージン・サボツキーは,単純な手品を使って幼児が魔術的思考をしていることを明らかにした。箱の中に切手を1枚入れて,彼ならではの訛りの強いロシア語でブツブツと呪文をつぶやき,箱を開けると2枚に切れた切手が現れる,という手品である。幼児たちは,破れた切手は元の切手と同じで,このロシア人が呪文で真っ二つにしたのだと信じた。年長の9歳児や大人たちは,切手をすり替えたに違いない,小さい子どもはだまされやすいからと言った。だが,大人はそれほど世の中のことに確信を持っているのだあろうか?この茶番は全部トリックだと思いながらも,サボツキーの箱にパスポートや自動車の免許証を入れるのは嫌がったのだから。万が一と思うと,リスクを冒せなかったのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.167
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

子どもの分類

 子どもたちは生まれつき,世界をさまざまな種類のものに分類する。分類の境界線をどこに引けばよいかよく分からなかったり,ある領域の属性を誤って別の領域のものと判断してしまったりすると,超自然的な思考を持つようになる。たとえば,おもちゃ(物理的属性)は夜になると動き出して(生物学的属性),感情(心理的属性)も持つようになると子どもが考えているなら,これは物事の自然な秩序に反することだ。思考が人の心から心へと伝わると思っているなら,思考とは何か,どこから生まれてくるのかを誤解している。幼い心で分類したカテゴリーの属性が一緒くたになってしまうと,超自然的な思考につながるのだ。動くうえに感情もある無生物ときたらマジックだ。人の心から心へと伝わる思考は別名,テレパシーという。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.161-162
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

手品に感心するのは

 うまい手品を嫌いな人はいない。なぜか?誰も魔法を信じていないからだ。物が空中で消えてなくなると私たちが本気で信じていたら,奇術師が造り出す錯覚に仰天してなどいられない。マジックがうまくいくのは,私たちが世界について信じていることの裏をかくからである。マジックを観ると,私たちはびっくりして目を見張り,とまどいながらも拍手喝采して,もう一度観たいと思う。赤ちゃんたちにしても,ある程度は同じだ。一斉に拍手を贈ってアンコールと叫ぶことはできなくても,奇術師のトリックが生み出す不思議な結果を普段よりも長く凝視する。このあり得ない結果を凝視している時間を測って,考えられる結果を見ている時間と比較するだけで事足りるのだ。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.151
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

カモにされる親

 最新の研究の成果に煽られて,欧米では多くの親たちが我が子を,無限の思考能力と学習能力を備えたミニ天才とみなすようになった。今では,子どもに人生の最高のスタートを切らせてやりたいという親心につけ込んだ,幼児学習・教育の一大産業が花開いている。この親たちが考えている“人生の最高のスタート”とは,実は,我が子が隣の子どもより賢いと確かめることなのである。彼らが「ベイビー・アインシュタイン」や「ベイビー・バッハ」,「ベイビー・ダ・ヴィンチ」,「ベイビー・ヴァン・ゴッホ」,「ベイビー・ニュートン」,「ベイビー・シェイクスピア」といった商品を鵜の目鷹の目で探しているのを見るにつけ,親の期待が少々,非現実的なところまで高まっているように思えてならない。ちなみに,2007年に実施された幼児向けビデオとDVDに関する研究では言語発達障害との関連が報告されて,「ベイビー・アインシュタイン」の著作権を所有しているウォルト・ディズニー・カンパニーを激昂させた。
 子どもの将来の所得能力を向上させる商品を売りつけたい者にとっては,親はいいカモだ。脳の視覚野を刺激しようと,ベビー・ベッドの上に吊るす白黒のモービル(不要)を買い,多感覚入力によって眼と手の協調性を高めるために,中に鈴が入った口に入れても安全なおもちゃを買い(不要),集中力がアップするというモーツァルトの曲のカセットを買い(作り話),赤ちゃんに読み方を教えるフラッシュ・カードを買い(あり得ない),情報に飢えた赤ちゃんの脳を満足させるために,赤ちゃんが何時間もぶっ通しで眼を丸くして眺めるというDVDを買う(不要)。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.135-136
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

科学は感情的

 科学者にも感情はある。一般にはほとんど認識されていないが,科学は実に情熱的で感情的だ。こう言うと,科学者でない人々はたいていびっくりするのだが,正直なところ,考えや評判を批判された場合,不当な言いがかりだと本当に傷つくものである。と言うわけで,誰でもいいから,感情などないと言ってみるがいい。感情がなければ,誰も自分を人間とは思えないはずだ。一方,感情があるならば,それを理性で完全に抑えることは不可能なのだから,超自然現象を信じる可能性はある。私が言いたいのはそこだ。超自然現象信奉にどこまで振り回されるかは,人それぞれに異なる。たいていの人は超自然的な考え方を抑制できるのだが,結局のところ,超自然現象をどこかで信じつつ判断し行動するのは,人間の精神構造では当たり前のことなのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.127
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

予防接種にはならない

 最新の研究と言えば,2007年にアメリカの一流大学21校の学者1646人を対象として行われた調査で,その報告によると,面接調査した物理学者,化学者および生物学者のうち,神を信じていないと回答した者の割合は10人に4人にすぎなかったそうだ。言い換えれば,大半の科学者は,幾分なりとも態度を決めかねているか,信じているということになる。この学者たちが客観的で確かな証拠に基づいた主張を要求する,実に“厳格”な科学畑の人々であることを考えると,この結果は注目に値すると思える。これはいったい,何を意味するのだろうか?簡単に言ってしまえば,優れた科学教育を施しても,信仰を捨てさせるのは不可能ということだ。一般大衆の知的水準を全米科学アカデミーや王立協会の会員レベルまで高めれば信心を捨てさせられるなど,本気で思ってはいまい?科学教育は必要不可欠であるし,すべての子どもたちに役立つはずだが,宗教ウイルスの感染を防ぐ予防接種になってくれると勘違いしてはならないということである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.117
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

心と発見

 私たちはなぜ自然選択を誤解するのか,そして,キリスト教原理主義が根付いている環境ではなぜ天地創造説がこれほど幅を利かせているのか?答えは,私たちの心が生来,天地創造説びいきであるからだ。結局のところ,天地創造説を生み出したのは人間の心であるのに対し,自然選択による進化は発見された事実なのである。創世記が書かれていなくても,別の創世の物語が紡ぎだされていたに違いない。インカ人もエジプト人もアステカ人も皆,神秘的な創世神話を持っていた。消滅した文明にはことごとく創世神話があったらしい。どの文化にも創世の物語があるのは,人間にもともと,世界をパターン,目的,因果関係と結びつけて理解したがる傾向があるからだ。わたしたちの自然な心の設計図は,それぞれに異なるさまざまな動物と植物が地球上の生命を造り上げていると理解しているのに,進化は1から10までそれと矛盾する。目的も方向性もないくせに極めて多様な生命体を生み出せるとする理論など,私たちはもともと信じるようにはできていない。挙げ句の果てに,人間は皆,バナナの親戚だと信じろと言われては,たまらないではないか。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.113
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

(引用者注:この前のページで,「人間の遺伝子の98%がチンパンジーと同じだが,50%はバナナと同じだ」という話が出ている)

直感に反するダーウィン説

 ダーウィン説とはどういうものか,考えてみよう。まず,世界は常に変化しているということを受け入れねばならない。地球上の生物は生き延びるために,その世界の変化に適応する必要がある。適応が起こるのは,生物の各世代が前の世代から少しばかりランダムに変異した遺伝子構造を受け継ぎ,この変異が個体間のわずかな差を生むからである。つまり,繁殖競争が行われている環境の圧力にうまく対処できる能力を備えた個体とそうでない個体が出てくるわけだ。自然選択が起こるのは,選ばれた個体のほうが生き延びて,子孫に有利な遺伝子を伝えられる可能性が高いためである。時が,——それも,長い長い時が流れるうちに,自然の手によるこの段階的な選択プロセスが積み重なって,大きな変化や多様性へとつながる。
 かいつまんで言えば,これがダーウィンの進化論だ。この星の多様性について実に多くのことを説明する,単純かつ的確で説得力のある理論である。しかし,リチャード・ドーキンス自身が嘆いたように,人間の脳はどうも進化を誤解するように設計されているらしい。彼の言うとおりだろう。進化はいまいましいほど直感に反しているのだ。たとえば,生物の多様性にはいつでも簡単にパターンを見いだすことができる。ところが,私たちに動物を集団として捉えさせるそのプロセスが,集団であるはずの動物たちをそれぞれ別個の生き物とみなせと命じるのだ。人間の寿命は比較的短く,膨大な時の流れは体験できないため,進化が進む様子を観察することはできない。しかも,素人の身では,生物が変化してきた過程を見て取れる歴史的記録をひもとく贅沢など許されない。科学者ではない私たちが頼れるのは,生き物に関する直感だけだ。それなのに,進化はその直感に逆らっている。人間のように複雑なものから細菌などの単純なものに至るまで,生きとし生けるものすべてが原点を同じくしていることなど,どうしてあり得る?設計者なしで,どうして複雑な設計が生まれよう?進化は何とも理解しがたいプロセスだと思えるのは,ほかでもない,進化が心の設計図に合致しないからである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.108-109
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

嫌悪対象の形成

 この説に一理あることは,私自身の体験からも言える。私は幼年時代によく釣りをしたのだが,餌に使うウジ虫はどちらかというと苦手だった。モゾモゾとうごめく小さな体をつまみ上げて釣り針に刺す時のうっと吐き気がこみ上げてくる感覚は,今も忘れられない。気持の良いものではなかったが,それでもできないことはなかった。数年後,このウジ虫で大変な目に遭うことになる。10歳になっていた私は,同じ年頃の少年たちがよくやるように,古い廃屋に入り込んで宝探しをするのに凝っていた。ある廃屋で,暗い部屋から部屋へと忍び歩いていた時のことである。屋内には地震の後のように物が散乱していたので,がらくたや家具の残骸,の隙間に足の踏み場を探しながらそろそろと進んでいた。真っ暗な奥の部屋に入ると,かすかなざわめきというか,ブーンというような音が耳に飛び込んできたが,音の出所は分からない。そこで,小さなふわふわのクッションのように見える物の方へと足を踏み出した。実はそれが,死んだ猫の膨れあがった死体だったのだ。体重をかけてしまった足の下で,死体はライス・プディングを詰め込んだ風船のようにポンとはじけた。何が起きたのか理解できずにいるうちに,腐臭がパンチのように鼻先で炸裂して,喉に塊がこみ上げ,吐きそうになった。腐肉の悪臭が地球上でもっとも不快なもののひとつであることは誰もが認めるところだ。死体の肉をあさる獣やハエはいざ知らず,人間には生まれたときから刷り込まれている反応である。破れ窓から差し込んでいる一条の光を足にかざした時,私の目は,ウジが塊になってうごめいているスニーカーの惨状にくぎ付けになった。絶叫しながら日の光の中に転げ出て,結局は裸足で家に帰った。その日以来,私はウジ虫恐怖症である。ウジ虫を見かけるたびに,抑えがたい強烈な吐き気に襲われる。視聴者に一言の断りもなく,身をくねらせるウジ虫のショットを映画やドキュメンタリーに挿入して喜んでいるような映画監督には憎悪さえ覚える。ウジ虫たちが目指す究極の生き物であるハエについては,これを抹殺することに無上の喜びを感じる。カルマも仏教もくそ食らえだ。生まれ変わってハエになるくらいなら,叩きつぶされるほうがマシだと思っている。もうひとつ,間違っても私には,デザートにライス・プディングを出さないでほしい。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.102-103
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

クモ恐怖症

 恐怖症は,潜在的な脅威の源の実態からするとまったく大げさすぎる,不合理な恐怖と思い込みである。たとえば,イギリスには毒グモは生息していないのに,イギリス人が恐怖症の対象として真っ先に挙げるのが毒グモだ。大勢の奥様がた同様,キムもクモを家から追い出す役目を私に仰せつける。問答無用である。私たち夫婦には,やはり田舎暮らしをしている友人がいるのだが,彼女の場合,夫が不在の時は,わざわざ遠くの害虫駆除業者に金を払ってクモ退治に来てもらうそうだ。2005年,ロンドン動物学会が成人1000人を対象として調査を行ったところ,10人に8人がクモに対するいわれなき恐怖,クモ恐怖症を抱えていると回答した。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.100
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

科学・宗教・超自然現象

 ならば,信念全般はどうなのか?科学,宗教,超自然現象のいずれにも信念が関与している。科学者,聖職者,霊媒がそれぞれに信念を抱いているなら,正しいのは誰か?彼らが扱うのは揃って観測不可能なものであるのだが,足掛かりにする証拠の出所はそれぞれに異なっている。科学には科学的な実験手法と観察手法がある。超自然現象の根拠となるのは個人の体験と直感だ。宗教の基盤には文化,信仰告白(訳注:神に対する自分の信仰を公に宣言すること),そして個人的な体験がある。完璧な説明ではないが,三者の大きな相違をある程度把握できているはずだ。科学と宗教と超自然現象は普通,別物として扱われているが,この3つがひとつの同じ心の中でいかにして共存しているか,時には重複することもあるかという点を考える必要がある。私は,超自然現象を信じている信心深い科学者たちを知っている。彼らのことを考えると,信念を表す3つの円が重なったベン図(訳注:イギリスの数学者ジョン・ベンが考案した,全体集合を四角形で表し,その中に部分集合を円で示した図)が思い浮かぶ。自分はどれかひとつの円にきっちり収まっていると信じて疑わない人もいるが,たいていは3つの円すべてにまたがっている。信念体系として見ると,科学,宗教,超自然現象は柵できちんと仕切られているわけではなく,境界が不鮮明に融合しているため,必要とあれば,異なる信念体系から気に入ったところだけつまみ食いできるのだ。近年生じてきた信仰を巡る縄張り争いや緊張関係を理解しようとするなら,この点をしっかり認識しておくことが大切である。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.92-93
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

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