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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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なぜ否定できないか

 科学がそれほど目覚しい功績を挙げているなら,科学的観点からして当然な超自然現象を否定する見解を,たいていの人が無視するのはなぜだろう?超自然現象信奉には根拠がないという科学者の言葉に,一般大衆が耳を傾けないのはなぜか?ここで,超自然現象信奉には総じてふたつの形があるという事実に注目していただこう。宗教的な超自然現象信奉(神,天使,悪魔,生まれ変わり,天国,地獄など)と非宗教的な超自然現象信奉(テレパシー,透視能力,ESP)である。宗教はおしなべて超自然現象信奉を基盤としているが,超自然現象信奉のほうは宗教に根差しているとは限らない。宗教と科学と超自然現象の相違に関連しては実に強硬なロビー活動や議論も展開されていることを考えると,これは重大な違いである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.86-87
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)
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嫌悪の文化差

 嫌悪はおもしろい。なぜなら,人間の排泄物や腐敗した遺体といった特定のものに対しては,誰もが嘔吐反応を示すからだ。ここにも学習が入り込む余地がある。他人が気持ち悪いと言うと,気持が悪いように思えてくる物や行動があるのだ。食物の好みや個人の衛生意識,性行為が文化によって多様であるのがその証拠である。欧米の基準では口に合わないはずの昆虫やは虫類がアジアの料理に食材として使われているのは有名な話だ。それほどには知られていないが,コピ・ルアクという飲料がある。インドネシア産の希少なグルメ・コーヒーだが,その原料となるのが,東南アジア全土に分布し,樹上生活を送っている暗褐色のネコ科の動物,ジャコウネコの消化管を未消化で通り抜けたコーヒー豆なのである。コピ・ルアクの最大の輸出先は日本で,500グラムあたり最高600ドルほどで販売されており,世界で最も高価な“ウンチ・コーヒー”となっている。痰の例をとってみようか。他人のねっとりした黄色い粘液ほど気持ち悪いものは,そうはない。2008年北京オリンピックの準備が進む中,北京市当局は,公衆の面前で痰を吐いたり手鼻をかんだりという,中国では当たり前になっているが欧米人にとっては吐き気を催す習慣を禁止しようとした。皮肉なことに,ハンカチで鼻をかんで,汚れたハンカチをそのままポケットに突っ込むという欧米人の習慣を目にすると,多くの日本人はおえっとなるらしい。鼻汁を持ち歩くなど気色悪いと考えるのだ。欧米人にしても,鼻汁以外の排泄物をポケットに入れっぱなしにするとなれば,同じように思うことだろう。動物との性行為について考えてみてもよい。たいていの人はそうだろうが,私も,コロンビア北部の町,サン・アンテロではロバとの性交が容認されていると知るまでは,獣姦は世界共通のタブーだと思っていた。この町では,思春期の少年たちにこの習慣を推奨している。それどころか,獣姦を祝う祭りまであって,とりわけ魅力的なロバはカツラをつけられ,メークまでされて,町を練り歩くのだ(私としては,最後に挙げたこの例については,手の込んだデマであってくれればといまだに思っている)。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.67-68
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

迷信を信じる事で

 迷信的な儀式を陰で操っている思い込みは超自然現象信奉かもしれないが,ひとつ,興味深い点がある。迷信的儀式の効果で,不確実性に起因するストレスが確かに減少するのだ。験担ぎの儀式はコントロール感を生む。まあ,そこまではいかないにしろ,実際にコントロールできていなくても,コントロールできると信じる気持ちをもたらす。コントロールの錯覚は,危害に対する免疫を生み出す実に強力なメカニズムだ。とりわけ,危害が予測不能である場合の効果のほどは絶大である。私たちはランダムに考えるのが苦手なうえに,前触れもなくひどい目に遭うのを嫌う。早く済んで欲しい,できるならすぐにでも片付けてしまいたいと,ひたすら願う。私は少年時代をスコットランドで過ごしたのだが,校庭でケンカをして“ムチ打ち”の罰を受けることになり,校長室の外に座って待っていたことがあるのを覚えている。思えば,外国訛りのせいで,浮いた存在になっていたのだろう。あの年頃になるともうブギーマンなど怖がらないので,体罰こそ最良の抑止力と考えられていたのだ。ムチは手のひらを叩くように特別設計された,野蛮な革ベルトだった——今では禁止されている習慣である。しかし,耐え難かったのは,ムチで打たれる痛みではなく,むしろ待つことと無力感だった。自分の置かれた状況をコントロールできなかったからである。電気ショックを使う痛覚閾値,つまり痛みに耐えうる限界に関する研究では,いつでもこの処罰をやめてもらえると思っている者は,それができないと思っている者に比べて,はるかに強い電気ショックに耐えられることが分かっている。何かをすること,あるいは,何かをできると信じることで,不快なことが耐えやすくなる。行動を封じられること自体が心理的苦痛なのである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.51-52
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

スポーツ選手の験担ぎ

 スポーツ選手の験担ぎは有名だ。験担ぎの始まりは,たいてい,誰でも持っているような何でもない習慣なのだが,それが重大な結果(試合に勝つのもそのひとつだ)と結びつくと,人生を乗っ取ってしまいかねない。手の込んだ験担ぎをすることでは誰にも負けないというか,とにかくバカ正直なまでに公然と験担ぎをしていたのは,一流テニス・プレイヤーのエレナ・ドキッチだろう。第1に,彼女はコートの白いラインを踏まなかった(ジョン・マッケンローと同じだ)。審判の左側に座りたがった。ファースト・サーブの前には5回,セカンド・サーブの前には2回,ボールをついた。相手のサーブを待つ間に,自分の右手にふっと息を吹きかけた。ボール・ボーイ,ボール・ガールは,彼女にボールを渡す時は,アンダースローで投げなければならなかった。ドローシートは一度に一通り目を通したら二度と見ないと決めていた。極めつけは,スポーツ雑学コレクターにお勧めのネタ。彼女はトーナメントの間中,同じウェアを着続けた。臭っ!

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.47-48
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

原因はいっぱいある

 超自然現象の信奉者に言わせれば,超自然現象の例はいくらでもあるし,納得できるものばかりなのに,まるで取り合おうとしないのは現実から目を背ける行為だ,ということになる。しかし,超自然現象の例は,本当にそれほどたくさんあるのだろうか?最大の問題のひとつは,私たちが摩訶不思議な事柄の発生確率の推定をとにかく苦手にしていることにある。飛行機墜落事故による死亡といった実にまれな事象の確率は,とかく過大に評価する。その一方で,実際にはよくある事象の確率は過小評価しがちだ。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.30
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

もっともらしさ

 超自然現象に対する信奉がこれほど幅を利かせている理由は,そのもっともらしさにありそうだ。超自然現象がもっともらしく思えるのは,私たちが信じたいと思っていること,あり得ると既に確信していることと符合するからである。しかも,人生の薬味になる奇妙で不可思議な出来事もすべて,超自然現象と考えれば説明がつく。どんな考えや思い込みでも広まることは広まるだろうが,人の心に根を下ろし,納得させることができるのは,私たちが可能と考えていることと共鳴するものに限られる。これが本当に肝心な点なのだが,しばしば見落とされている。私たちはさまざまな考えを受け入れもはねつけもするが,その根拠について考えるのはまれであるからだ。受け入れの条件は,私たちが既に理解していることと一致する考えであること,そうでなければ,つじつまが合わないからである。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.37-38
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

最低限の結果の平等

 両親が読み書きもできなかったり,長時間働かなければならなかったりすれば,子供たちは誰にも宿題を見てもらえない。中産階級の子供ならたぶん両親に見てもらえるだろうし,金持ちの子供なら家庭教師に見てもらえるだろう。そのうえ貧困層の子供たちは,弟や妹の面倒を見たりヤギの世話をしなければならなかったりして,宿題をする時間さえないこともある。
 そういうことなら,わたしたちは実際に行動を起こして,すべての子供が最低限の食事ができ,必要な医療をうけられ,宿題を見てもらえるような状況をつくらないといけない。社会政策でできることもたくさんあり,実際にそうしている国もある。たとえば,無料の給食,ワクチン接種,身体検査,教師や学校が雇った教官による放課後の宿題指導などが実施されている。ただ,家庭でやらなければならないこともたくさんある。学校には限られたことしかできない。
 ということはつまり,貧しい家庭の子供にもフェアなチャンスを与えるという理想に少しでも近づこうとするなら,両親の所得についても最低限の「結果の平等」を実現する必要があるということだ。そうしないと,いくら授業料や給食やワクチン接種などを無料化しても,子供にとって真の機会均等がなされたことにはならない。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.291

教皇よりもカトリック

 南米では「(誰々は)教皇よりもカトリック」という表現がよく使われる。そしてこれは,宗教的・経済的・社会的原則をその本家本元である国よりも厳格に適用しようとする思想的後発国をも意味する。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.282

高等教育への圧力

 さて,最近,高等教育が大事だという風潮が高まるにつれ,大学を増やす余裕のある多数の高所得層・中の上(アッパーミドル)所得層で,高等教育を求める不健全な力が強く働くようになってしまった(すでに紹介した数字が示すように,スイスはまだこの力に侵されていない)。大学入学者の割合が“臨界点”を超えるや,まともな職につくためには大学へ行かなければならないという状況が生じる。たとえば大学出が人口の70%という社会では,大学を出ていなければ「自分は能力ヒエラルキーの最下位3分の1に属している」と暗に宣言していることになり,それは就職活動にとって有利なこととは言えない。だから人々は,仕事には絶対に必要にならないことを学んで“時間を浪費する”とわかっていながら,大学に行くのである。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.252-253

大学進学率

 スイスは世界で最も工業化が進んだ数少ない最富裕国のひとつだが,驚くべきことに,富裕国のなかでは大学入学率が最も低いのだ。実は群を抜いて低い。1990年代前半まで,スイスの大学入学率は他の富裕国の平均の3分の1ほどしかなかった。1996年になってもまだ,OECD諸国の平均の半分以下だった(16%vs.34%)。ただ,それ以降は,ユネスコのデータによると,かなり上がっていき,2007年には47%にまでなる。しかしスイスの大学入学率はいまなお富裕国中最低であり,フィンランド(94%),アメリカ(82%),デンマーク(80%)といった最効率の国々と比べるとはるかに低い。また,興味深いことに,韓国(96%),ギリシャ(91%),リトアニア(76%),アルゼンチン(68%)といった,スイスよりはだいぶ貧しい国々と比べても,かなり低い。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.251

起業家はどちらが多い?

 しかし,発展途上国の出身者や,そこでしばらく暮らしたことがある者なら,そうした国々には起業家があふれてかえっていることを知っている。貧しい国々の通りでは,考えうるあらゆるものを売る老若男女がいる。むろん子供の売り子もいる。彼らはわたしたちが買えると思ったことがないものまで売っている。たとえば貧しい国の多くで売られているもののなかには,アメリカ大使館でのビザ申請の行列の順番(売り手はプロの並び屋),路上駐車の見張り(車を破損されないように),特定の街角での屋台設置権(売り手はたぶん腐敗した地元警察のボス),物乞いをする場所(売り手は地元の暴力団)なんてものまである。こうしたものはみな,人間の創意工夫,起業家精神が産み出した産物だ。
 これとは対照的に,富める国に住む人々の大半は,そもそも起業家になれるような状況にない。大半の者が会社員で,なかには数万人の従業員を雇っている者も,きわめて特殊な専門的職業についている者もいる。自分で事業を立ち上げて「ボスになる」ことを夢見たり,その夢を軽く口にしたりする者もいないわけではないが,それを実行に移す者はほとんどいない。難しいし,リスクをともなうからだ。したがって,富裕国のほとんどの人は,自分のではなく他人の起業家精神による創意工夫の上に乗っかって仕事をしているにすぎない。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.215-216

トリクルダウン理論の結果

 要するに,80年代以降わたしたちは,「金持ちがより多くの富を創出して,他のどんな方法よりもパイを大きくしてくれる」と信じて,彼らにより大きなパイの分け前を与えてきたのだ。で,金持ちの分け前はたしかに大きくなった。ところが彼らが実際にやったことは,パイが大きくなるスピードをゆるめるということだった。
 問題はつまり,投資家に所得を集中させたところで,当の投資家が投資を増やさなければ,成長の加速はないということ。スターリンがゴスプラン(国家計画委員会)に所得を集中させた場合は,少なくともそれは確実に投資に向けられたはずだ。だが資本主義経済にはそのような仕掛けはない。だから実際には,80年代以降,所得格差が拡大したにもかかわらず,すべてのG7(アメリカ,日本,ドイツ,イギリス,イタリア,フランス,カナダ)および大半の発展途上国で,投資の対GDP比率は下落した。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.198

19世紀のリベラル

 19世紀のリベラルは,蓄財ひいては経済発展の鍵は禁欲だと考えていたのである。富を築くつもりなら,労働して報酬を得ても,すぐさま楽しんで散財してしまうのではなく,それを貯めて投資へ振り向ける必要がある,というわけだ。そうした世界観では,貧者は禁欲できる性分ではないので貧しい。したがって,貧者に投票権を与えれば,彼らは富者に税金を課すことによって,投資ではなく,自分たちの消費を最大化しようとする。これで貧者は短期的には消費を多少増やすことができるかもしれないが,長期的には投資を減らし,ひいては成長を鈍らせ,暮らし向きをむしろ悪くしてしまう。と,彼らは考えていたのである。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.193

生産性

 ではなぜ,工業製品の相対価格は落ちているのだろうか?それは製造業のほうがサービス業よりも生産性をより速く向上させられるからだ。製造業部門の生産量のほうがサービス部門のそれよりも速く伸びるので,サービスにたいする製造品の相対価格は落ちるのである。生産性を高めるのは,機械化や化学的方法の使用がずっと容易な製造業のほうがサービス業よりも楽ということ。サービスではその性格上,多くの場合,生産物の品質を落とさずに生産性の工場をはかるのは本質的に難しい。
 生産性を高めれば生産物そのものが破壊されてしまう,という場合もある。たとえば弦楽四重奏団がテンポを速めて27分の作品を9分で演奏したら,生産性は3倍になったと言えるだろうか?

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.138

サービス産業の欠点

 発展途上国の生産性向上能力は限られているため,サービスを経済成長の原動力にするのは難しい。それにサービスは貿易品になりにくいので,サービスに依存する経済は輸出能力が低くなる。輸出能力が低くなれば,海外から先進技術を買う力は弱まり,その結果,経済成長のスピードも落ちる。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.131-132

アメリカ紙幣の政治家たち

 1ドル札上の初代大統領ジョージ・ワシントンは,就任式では高品質のイギリスの衣服ではなくアメリカのもの(この日のためにコネチカット州で特別に織られたもの)を身につけると主張して譲らなかった。今日なら,こういうこだわりは政府調達の透明性にかんするWTOの協定に抵触することになるだろう。それに,ワシントンはハミルトンを財務長官に任命した本人であり,彼の経済政策にかんする考えをよく知っていた,ということも忘れてはいけない。ハミルトンは独立戦争ではワシントン総司令官の副官を務め,戦争後は彼の政治的盟友となった。
 5ドル札のエイブラハム・リンカーンが,南北戦争中に関税を最高レベルにまで引き上げた保護貿易主義者であったことはよく知られている。また,50ドル札に採用された,南北戦争の英雄から大統領になったユリシーズ・グラントは,自由貿易を強要するイギリスをものともせず,「200年以内にはアメリカも,あらゆる製品の保護をとりやめ,自由貿易を実行できるようになるだろう」と言い放った。
 ベンジャミン・フランクリンはハミルトンの幼稚産業保護論にはくみしなかったが,別の理由から高関税による保護の必要性を主張した。当時アメリカにはただ同然の土地が存在し,労働者はその気なら簡単に工場から逃げ出して農園を始めることができたので(労働者の多くが元農民であったため,これはただの脅しではなかった),アメリカの製造業者たちはヨーロッパの平均よりも4倍も高い賃金を支払わなければならなかった。
 そこでフランクリンは「アメリカの製造業はヨーロッパとの低賃金競争(いまなら“ソーシャル・ダンピング”)から保護されないと生き延びられない」と主張したのだ。この論理は,政治家になった億万長者ロス・ペローが,1992年の大統領選キャンペーンで北米の自由貿易協定(NAFTA)に反対するさいに用いた論理とまったく同じであるそしてこの論理は,アメリカの選挙民の18.9%に支持された。
 しかし,アメリカ自由市場資本主義の“守護聖人”たち,トーマス・ジェファソン(めったに見られない2ドル札に採用)とアンドリュー・ジャクソン(20ドル札に採用)なら,米財務長官の“テスト”に合格するだろう,とあなたは思うかもしれない。
 トーマス・ジェファソンはハミルトンの保護主義には反対だったかもしれない。だが,特許制度を支持したハミルトンとはちがい,特許権を目の敵にした。ジェファソンは,アイデアは「空気のようなもの」だから誰も所有してはいけない,と信じていたのだ。今日の自由市場主義者の大半が特許権など知的財産権の保護を重視している点を考えると,ジェファソンの見解は彼らにはまったくウケないにちがいない。
 では,「庶民」の味方で財政保守主義者(アメリカ史上初めて連邦政府債務を完済した)だったアンドリュー・ジャクソンはどうか?ジャクソン・ファンには申し訳ないが,彼にしても“テスト”に合格できないだろう。ジャクソン政権下では,工業製品にたいする平均関税は35〜40%もの高率だったのである。またジャクソンは悪名高き排外主義者だった。彼が1836年に半官半民の第2アメリカ合衆国銀行(連邦政府が株式の20%を所有)の認可を取り消したとき,外国人投資家(おもにイギリス人)の株式所有が「多すぎる」というのが大きな理由のひとつだった。
 「多すぎる」とはどのくらいだったかというと,わずか30%だった。もし今日,発展途上国の大統領が,アメリカ人が株式の30%を所有しているという理由で銀行の認可を取り消したら,米財務長官は怒り心頭に発することだろう。
 そういうことなのだ。毎日,何千万ものアメリカ人が,“ハミルトン”や“リンカーン”でタクシーに乗り,サンドイッチを買い,“ワシントン”でお釣りをもらって暮らしているというのに,「そうした崇敬される政治家たちはみな,保守・リベラルの別なくアメリカのメディアが何かにつけてこき下ろす,とんでもない保護主義者だった」という事実を知らない。ニューヨークの銀行家やシカゴの大学教授は,“ジャクソン”で《ウォールストリート・ジャーナル》紙を買い,ベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスの排外的愚行を批判する記事を読んで舌打ちするが,彼らはチャベスよりもジャクソンのほうがずっと排外的だったことに気づいていない。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.103-106

どこの国でしょう?

 あなたは経済アナリストで,2つの発展途上国の今後を分析しようとしている,としよう。つぎに2国のおもな特徴を列挙する。さて,あなたの分析は?

A国———10年前まで極端な保護主義をとり,工業製品への関税が平均で30%を軽く超えていた。最近,関税は引き下げられたが,眼に見えないものも含めて重要な貿易規制は残った。国境を越える資本の流れにも厳しい規制があり,銀行部門は国有で厳しい規制下にあり,外国による金融資産の所有にもさまざまな規制がある。国内で操業する外国企業は,地方政府による差別的な税や規制に不満をいだいている。選挙はなく,腐敗がはびこっている。財産権はあいまいで複雑。とくに知的財産権保護が甘く,著作権侵害の都となっている。おびただしい数の国有企業があり,その多くが莫大な損失を出しているにもかかわらず,助成金と政府から与えられた独占権によって支えられている。

B国———貿易制作は,ここ数十年では文字通り世界一保護的なもので,工業製品への関税は平均で40〜55%にもなっている。国民の大半に選挙権はなく,選挙では買収などの不正が横行している。腐敗も蔓延し,正統は献金者に公職を売っている。開かれた競争によって政府に雇われた役人は,これまでのところひとりもいない。国家財政は危うく,国債デフォルト(債務不履行)におちいったこともあり,外国人投資家は不安をおぼえている。にもかかわらず,外国人投資家への厳しい規制がある。これはとくに銀行部門で顕著で,外国人が取締役になることは禁止され,外国人株主はこの国に居住していなければ議決権を行使することもできない。競争法(独占禁止法)がないので,カルテルなどによる独占が野放しになっている。知的財産権の保護は不完全で,とくに外国の著作権を保護しないという欠陥がある。

 両国とも,経済発展を阻害するとされているもの——露骨な保護貿易,外国人投資家への差別,財産権保護の不徹底,独占,民主主義の欠如,腐敗,能力主義の欠落など——に深くはまり込んでいる。どちらの国もとても発展できる状態ではない,というのがあなたの分析結果ではないだろうか。だが,もう一度よく考えていただきたい。
 A国はいまの中国である。これは言いあてられたかたもいただろう。だが,B国はアメリカ——今日の中国よりもやや貧しかった1880年頃のアメリカ——と言いあてられたかたが,果たして何人いるだろうか?

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.100-101

インフレ率

 1980年代以来,自由市場を信奉するエコノミストたちは「インフレは経済に悪いので,なんとしてもインフレ率を超低水準(理想的にはゼロ)に抑えて,経済を安定させないといけない」ということを他の人々にも信じ込ませようとしてきた。彼らが目標として推奨したインフレ率は1〜3%で,それはMIT(マサチューセッツ工科大学)の元経済学教授で,1994年から2001年までIMP(国際通貨基金)のチーフ・エコノミストを務めた,スタンレー・フィッシャーが考案したものだった。
 ところが,低いレベルのインフレが経済に悪いという証拠は,実はまったくないのだ。たとえば,自由市場経済学者たちがシカゴ大学,IMFといった機関でおこなった研究でも,8〜10%未満のインフレは経済成長率にまったく影響をおよぼさない,という結果が出ている。経済成長に影響をおよぼさないインフレ率を20%,いや40%まで高めた研究さえある。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.88-89

順法闘争

 従業員が法律や規則を厳格に守ることによって能率を下げ,生産量を抑えるという,いわゆる「順法闘争」も,人間のモチベーションの複雑さを明かす好例である。読者はあるいは,従業員が規則どおりに働いて,どうして雇い主を困らせることができるのかと,首をかしげるかもしれない。だが,この半ストライキは,生産量を30〜50%も減じてしまうのだ。どうしてそんなことになるかというと,雇用契約(規則)ですべてを具体的に決めるのは不可能であるからであり,したがって,すべての生産プロセスは従業員の善意に大きく頼っているからである。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.78

電報のインパクト

 1866年に大西洋横断電信サービスが始まるまでは,“池(ポンド)”(大西洋)の向こう岸までメッセージを送るのに3週間ほどかかっていた。船で大西洋を渡るのにそれだけかかっていたということだ。汽船(一般的になったのは1890年代)に乗って超特急で渡っても,2週間かかった(最短記録は8〜9日)。
 それが電報だと,300語のメッセージで送信時間は7〜8分。とてつもない通信時間の短縮が実現したわけだ。送信スピードはもっと速くなることさえあった。1961年12月4日付の《ニューヨーク・タイムズ》によると,7578語あったエイブラハム・リンカーンの一般教書演説を,ワシントンDCから全国各地へ送信するのに要した時間は,92分だった。毎分82語のスピードで送信したことになる。そのスピードなら,300語のメッセージを送るのに4分もかからない。それでも2週間が7分半になったのだから,通信時間は2500分の1に短縮されてしまったわけだ。
 インターネットによって,ファックスで10秒かかっていた300語のメッセージの送信時間が,2秒ほどにまで縮められたが,これは5分の1の短縮にすぎない。インターネットによる送信時間の短縮は,メッセージが長くなればなるほど大きくなる。たとえば,3万語の文書を送るとなると,ファックスなら16分(960秒)以上かかるのに,インターネットでは10秒(読み込む時間も入れて)ですむから,送信スピードは100倍近くになったと言える。しかし,電報が達成したのは2500倍だ!

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.66

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