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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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家事労働者の国際比較

 正確な統計数字を入手するのは困難だが,ILO(国際労働機関)のデータによると,ブラジルでは労働力の7〜8%が,エジプトでは9%が,家事労働で賃金を得ている者だという。富裕国でのこの数字を見ると,ドイツは0.7%,アメリカは0.6%,イングランドおよびウェールズは0.3%,ノルウェーは0.05%,スウェーデンにいたっては0.005%(ドイツとノルウェーは2000年代の,それ以外は1990年代の数字)。したがって,ブラジルにはアメリカの12,3倍の,エジプトにはスゥエーデンの1800倍の,家事労働を専門とする労働者がいることになる。だから,多くのアメリカ人が「南米では誰もがメイドを雇っている」と考えても,別に驚くべきことではない。
 興味深いのは,富裕国の過去のこの数字——労働力全体に占める家事労働者の比率——は,現在の発展途上国のそれとほぼ同じだという事実だ。アメリカでは,1870年に「雇われて賃金を得ていた者」の約8%が,家事労働者だった。ドイツでも,この数字は1890年代までは8%ほどで,以後急速に減少しはじめる。地主階級の力のせいで“召使い文化”が他国よりも長く残ったイングランドおよびウェールズでは,この比率はさらに高く,1850年代から1920年までのあいだの労働力全体に占める家事労働者のパーセンテージは10〜14%だった。
 実際,1930年代までのアガサ・クリスティの小説を読めば,召使いら家事労働者を雇っているのは,鍵のかかった図書館で殺された新聞王だけでなく,金に困っている中流階級の未婚婦人までもが,たとえ1人とはいえメイドを雇っていることに気づくはずだ。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.60-61
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神話からの脱却

 市場に任せさえすれば,誰もがその人の価値に見合った正しく公平な賃金をもらえる,という一般に広く受け入れられている説は,神話でしかない。まずは,この神話を脱却し,「市場は政治的なものであり,個人的な生産性は実は社会システムに支えられたものである」ということを理解しなければならない。そうして初めて,わたしたちはより公正な社会をつくりあげることができるのだ。それは,報酬を決めるさいに,個人的な才能や努力だけでなく,何世代にもわたって積み上げられてきた集団的遺産をも,きちんと考慮する社会である。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.57

株主の特徴

 不幸なことに,株主は会社の法的所有者であるにもかかわらず,会社に関与するさまざまの利害関係者のなかでは,会社の長期的発展を最も気にしないですむ立場にある人々なのだ。要するに彼らは,会社とのかかわりを最も簡単に断つことができる人々なのである。儲からないことにいつまでもかかわらない知恵さえあれば,すこし損をするとしても,株を売るだけでゲームから抜けることができるのだ。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.44

株式会社

 16世紀のヨーロッパで有限責任会社はジョイントストック・カンパニー(株式会社)と呼ばれていた。この形態が考案される前は,事業者は起業にあたってすべてを失うリスクを負わなかればならなかった。すべてというのは文字通りすべてであり,個人財産だけでなく(無限責任というのは,事業に失敗した事業者はすべての個人財産を売って負債を返済しなければいけないということ),個人の自由もそこに含まれた(負債を返済できない場合は,<債務者監獄>に入れられた)。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.34

政治的営為

 市場の境界はあいまいで客観的な方法では決められないとわかると,経済学は物理や化学のような科学ではなくて政治的営為であることに気づかざるをえない。自由市場主義の経済学者たちは,市場の正しい境界は科学的に決定できると人々に信じさせたいのだろうが,それは間違っている。研究対象の境界を科学的に決定することができないなら,その学問は科学ではない。
 となると,新たな規制に反対するのは「ある人々からどれほど不当だと思われようと,現状を変えるべきではない」と言うのと同じことになる。そして,既存の規制を廃止すべきだと主張するのは「市場の範囲を拡大すべきだ」と言うのと同じことであり,それはとりもなおさず「金のある者にその領域でより大きな力を与えるべきだ」と言うのと同じことになる。市場というのは「金こそ力」の世界なのだから。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.30-31

賃金差

 もちろん,話がこじれてしまうのは「低賃金」や「非人間的な労働環境」を定義する客観的基準がないからだ。経済発展レベルや生活水準は国によってたいへんな違いがあるので,当然ながら,アメリカの飢餓賃金は中国ではかなりよい賃金(中国の平均賃金はアメリカのそれの10%)になるし,イオンドでは大金(インドの平均賃金はアメリカの2%)になる。アメリカでも昔は,労働者は非人間的な環境で極端な長時間労働を強いられたのだから,フェア・トレードを求める人々のほとんどは,祖父たちが製造した品物は買えないことになる。20世紀の初頭まで,アメリカでも週平均労働時間は60時間ほどだったのだ。当時(正確には1905年)アメリカの最高裁は,パン職人の労働時間を1日10時間以下に制限したニューヨーク州法を,「望むだけ働く自由を奪う」という理由で憲法違反と断じた。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.26-27

マシン語レベル

 再帰的な予想プロセスは,一瞬で行われる決断の根拠となるには時間がかかりすぎるように思えるかもしれない。過去の選択を見直して,自分の行動性向について内心で読み取り,それが将来についてどういう予測結果をもたらすかを予測し,現在の希望を改訂する——そして場合によってはこの改訂結果を組み込むべくプロセスをさらに繰り返す——これはすさまじく時間を喰うように思える。でもこのプロセスはもちろん,言語化されるレベルで起こるわけではない。そうでなければ,もっと口で説明できるはずだから。これはまちがいなく,心の速攻レベルで起きている。「口では説明できない」けれど,でも知っているあのレベルだ。もし心がコンピュータなら,これは「機械語」のレベルとも言うべきものだろう。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.198

意志は再帰的プロセス

 伝統的な想定に基づくと,最大化する行為者はどれもただの計算機であり処理装置にしか思えない。でも異時点間の交渉モデルだと,意志は再帰的なプロセスだ。こう考えると,原理的な予測不可能性と,決断プロセスへの自己関与の両方が解決する。当人は,自分が将来何をするか自分でも絶対確実にはわかっていないので,現在の選択を精一杯の予測に基づいて行う。でもこの選択自体が予測に影響してくるので,行動を行う前に予測し直し,それが変われば選択もそれに応じて変わる。回復中のアル中は,飲酒に抵抗できるという期待を抱く。でもこの期待には自分でも驚くほどがっかりさせられてしまい,それに気づいた時点でこのアル中は自分の期待に対する自信を少し失う。もし期待が自分のアルコール渇望に対抗できる水準以下に下がったら,その失望は自己成就的な予言となりかねない。だが,この見通しそれ自体が,選好される以前の時点で恐ろしく感じられたら,この人はアルコールへの渇望が強くなりすぎる前に,他のインセンティブを探してそれに対抗しようとするだろう。それにより酒を飲まないという予測も強まり,等々——これがすべて,実際に酒を手にする前に起こる。この人の選択は,万物が厳密な因果律の連鎖に従っているという意味ではまちがいなく事前に決まっている。でもその選択を直接的に左右するのは,各種の要素の相互作用だ。そのそれぞれは事前に十分わかっていても,それらが再帰的に作用しあうために結果は予想がつかなくなる。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.196-197

異時点間の交渉

 ここでもやはり,異時点間の交渉がこのギャップを埋められるのではないか。実は,決定論と自由意志との論争は,報酬vs.認知論争の一例らしい。これは異時点間の交渉という理由づけがないために決着がつかなかったのだ。自由意志の論争で欠けている一片は,再帰的な自己予想プロセスであり,そのために自分自身の心も確実には予測できなくなっているのだ。
 この予測不可能性は,しばしば自由意志の核心にあるとされていた。たとえばウィリアム・ジェイムズの有名な例では,自分の決断が自由であると特徴づけるのは,自分の行動がどうなるか——たとえば帰宅するときにオックスフォード通りを通るかディヴィニティ通りを通るか——が事前にはわからないことだった。でも,自由意志の支持者のほとんどは,自由な選択は外部の決定要因からは原理的に予測し得ないものでなくてはならない,と主張するだろう。予測できるけれどまだ知られていないだけの選択は,自由ではないと述べるだろう。この主張はまちがいなく,選択が外部から知り得るなら,他人がそれを知ることもできる——邪悪な天才や全能の神,あるいは完成された科学や心理学ならそれを知り得てしまう,という気味の悪い含意からきている。決定論を排除するもう一つの理由は,その選択が原理的にであれ事前に知り得るなら,そこには自分何も関わっていないことになるからだ。再帰的な自己予測理論は,こうした反論に答えねばならない。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.194-195

利益の序列

 社会集団の構成員に序列ができるように,利益にも序列ができる。ただし人は利益の序列とは言わず,別の言い方をするだろう。たとえば習慣とか価値の上下関係とか。ラジオである番組がかかったらベッドから起きて,職場では雑誌を読まず,タバコは食事の後だけにするといった行動は,別にいちいちそうしなかった時の前例の影響を計算しなおした結果ではない。以前に起きた競合の結果をそのまま受け入れたからだ。なぜときかれたら,あれこれ「そうすべきだから」といった理屈や,そうしないとなんだか気持ち悪いから,という程度のことしか言えないだろう——だれも見ていなくても信号無視をしない人は,何か意識的な理由があってそうしているわけではない。でも,その気持ちの悪さを生み出したのは,最終的には異時点間の交渉なのだ。回復したアル中は,意識的には酒を飲みたいとは思わないかもしれない。でもその事実を決めたのは,やはり自分自身との暗黙の交渉の歴史だ。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.169-170

信念からルールへ

 同じように,人々は麻薬について,単に自分は手を出さないという明確なルールを作るのではなく,一度手を出したら抜けられなくなってしまうという信念を作り上げる。この信念は,次のようなプロセスで醸成されることが多い——ある権威が,抜けられなくなるというのは事実だと教える。ところが,それに反する証拠に出くわす。たとえばたまにドラッグを使っただけの元麻薬利用者についての統計とかだ。するとその人は,それを信用しなかったり,黙殺したりする。それはその反証の質が低いと思えたからではない。単にその証拠が扇動的な気がしたからだ。この信念は,もともとはありのままの生物学的事実に関する推測を述べたものでしかなかったのに,それが部分的に個人的ルールに変わったわけだが,でもやはり信念の形を取り続けている。それがルールに変わったかどうかだけ知りたければ,その反証を信じなかった理由が,それが事実として不正確だからか,それとも「麻薬に甘い」ように見えるからかを自問してみればいい。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.163

道徳状態

 道徳状態はしばしば,外的事実の認識に翻訳される。昔は,結婚しているかどうかは予防接種を受けているかどうかに等しい判断材料となっていた。結婚は実質的に物理的な事実であり,駆け落ちによって内密に行われたものであっても,人の内面を変えるものであって,あらゆる犠牲を払っても実現されるべきものだった。同じように,処女は非処女とは違う種類の人間だった。今日では,動物を食べることが道徳的にまちがっているという認識は,肉に対する嫌悪となってあらわれるし,中絶の問題は,胎児が「本当に」人かどうか,などという議論となる。すでによく知られている胎児の性質をもっと研究すると,その「事実」の白黒がつくとでもいうように。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.163

半々であること

 2人の人が利益を繰り返し山分けする場合,半々とか6対4とか9対1とかいろいろ分け方は可能だ。でも明確な一線は半々の一線となる。酒を控えたいなら,1日2杯とか3杯とか「酔いがまわるまで」とかいろいろな線の引き方はあるけれど,他から突出した一線とは,一滴たりとも口にしない,というものだ。もし食べる量を減らしたいなら,各種ダイエットからどれか選んで,そのダイエット方式の指示(Xカロリー以上は食べるな,Yという食物群からはXグラム以上は食べるな)をもっとはっきりしたものに変えて守りやすくできる(タンパク質だけ,液体だけ,果物だけ)。でも,まったく食事をしないのは不可能だから,本当に明確な一線は存在しない。アル中から立ち直る人に比べて過食症から立ち直る人が少ないのは,このせいかもしれない。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.144-145

関心の操作

 タイミングよく目を背ければ衝動に負けずにすむ場合は,明らかに存在する。問題は,短期の利益は長期の利益より関心の操作がうまい,ということだ。ある誘惑の存在を認識しないほうが長期的な利益には資するけれど,短期的な利益としては,その誘惑に負けた場合の長期的な影響についての情報を遮断したほうが得だ。長期の利益と短期の利益が競合するとき,関心操作は諸刃の剣となる。実はフロイトやその支持者たちが開発した心理療法の多くは,抑制(意識的にある思考を避けること),抑圧(無意識ではあるが,ある目標のためある思考を避けること),否認(ある思考の持つ意味合いを避けること)といった手段を自分が使っていると患者に認識させるためのものだった。自分をだますことさえやめれば,人はあっさり理性的・合理的になれるのだ,とフロイトは考えた。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.116

自己観察

 読者のみなさん自身も,こうした競合を体験できるかもしれない。今度,歯に詰め物をするなどかなり痛い体験をするときに,局部麻酔なしでやってもらおう。自分の思考の流れと,すさまじい何も考えられないほどの痛み体験との間の競合がわかるし,刺激(つまり歯の研磨)が絶え間なく続けば続くほど,そちらに流されたい衝動がますます強くなるのもわかる。この観察で何が重要かというと,痛みというのも選択の市場において,快楽の機会と同じように支配権をめぐって努力しなくてはならないということだ。もちろん痛みを特徴づけるのは,だれもそれを欲しがらないということだが,でもそこには癖や中毒の持っている特徴と共通する部分がかなりある——癖や中毒というのは,基本的には求められないけれど,でも一時的には選好されるので問題を引き起こすような選択だが,痛みにもその特徴があるのだ。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.88-89

癖と中毒

 癖と中毒とでは,特徴づける選好期間にはっきりした境界の一線はない。満足しきった喫煙者が,タバコに火をつけてはもみ消す動作を繰り返すのは,選好期間の長さから見て中毒の範囲と癖の範囲との境界くらいだろう。自分のステロタイプ的な自己刺激症状をひたすら続ける知恵遅れも似たようなものだ。
 癖の例は重要だ。非常に嫌な事として体験されるものですら,報酬とその欠如の繰り返しだけで組み立てられるということを示すからだ。一時的選好の期間が短くなるにつれて,それは「自分自身の」ものだという主観的な性質,つまり精神分析家が「自我親和的」と呼んでいる性質を失うようだ。だがそれでいながら,それを選択するときにあなたがそこに参加しているのは明らかだ。別に掻いたり,口の中の傷をつついて悪化させたり,爪を噛んだりする必要はまったくない。そうしなくても肉体的に痛いわけじゃないし,我慢すればやがてその衝動自体がなくなる。それでもそうした活動は堅牢だ。こんな例があるなら,もっと短い期間しか続かない一時的選好がどんなものかを検討するのも有益だろう。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.84

癖の報酬性

 癖が報酬制を持つと言ったら,このことばの直感的な意味合いから逸脱気味になるかもしれない。だが,「報酬」ということばの最も基本的な意味——つまりそれに先立つ行動を繰り返したくなるのもすべてという意味——で考えれば,この種の行動を維持させるものには報酬性があると言わざるを得ない。実はこの一見不合理なパターンは,伝統的な報酬とそれを与えない期間とを繰り返せば動物にも引き起こせてしまう。
 行動実験で,ハトが一定量の穀物を得るのに必要なボタンつつきの回数をだんだん増やしてみよう。必要つつき回数が一定量を超えても,ハトたちはつつき続けるが,つつく機会そのものをなくすような選択肢があるとそっちを選んだ。さっき挙げた人間と同じように,そのハトはひたすらつつき続けるけれど,でも同時に,そのつつき行動を引き起こす刺激を避けようとする。この誘惑とその回避というプロセスなんかなくても,ハトたちとしては,必要なつつき回数が増えすぎて割に合わなくなった時点でつつくのをやめればすんだ話だ。同じように,サルをコカイン漬けにする実験でも,時にサルたちはコカインが手に入らなくなるような選択をする。でも,それが入手できるときには,がんばってそれを入手しようとする。
 散歩が好きだとしよう。散歩ルートには二種類ある。1つは3キロ,1つは4キロほどだ。でも3キロの道のほうには50メートルごとに,ちょっと道からそれたところに5円玉が置いてある。4キロの道のほうには何もない。5円玉を拾うのにいちいち道からそれてかがみ込むのが60回ほど繰り返されると,3キロ歩くのに1時間ほどかかって,その分の苦労とひきかえに1時間で300円ほど手に入る。4キロの道のほうも1時間かかる。よほど金に困っている人でもない限り,ほとんどの人は5円玉なしの道を歩きたがる——少なくとも何回か経験した後ではそっちを選ぶようになるだろう。もちろん,5円玉をいちいち拾わないぞと決心することもできるけれど,これには余計な努力が必要になる。この散歩の不愉快さは,ちょっとでも楽しい空想にふけりはじめたと思ったら5円玉が視界に入ってきて注意がそれることからくるのはまちがいない。5円玉が道の最初か最後に5メートル間隔でまとめて置かれていれば,不愉快さはかなり減るだろう。
 癖は,この5円玉を拾いたいという衝動と同じく,選択の市場の中でほかの衝動と競合する。そして癖が時には勝つということは,基本的な選択プロセス——報酬——が起こった証拠だ。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.81-82

権力交渉

 代替報酬が別の時点で提供されるとき,それぞれは自分の利益を作り出す。1つの利益が他を追い払えるのは,他の報酬が支配的になるのを妨げるような持久力のあるコミットメントを残せる場合だけだ。ダイエット利益が何らかの手を使って,私がアイスクリームに近づかないよう手配できたら,アイスクリームの割引見通しはダイエットからの報酬の割引見通しを決して上回らなくなり,ダイエット利益は実質的に勝ったことになる。だが,アイスクリームの価値がダイエットの価値から飛び出すたびに,アイスクリーム利益は何日にもわたる我慢の成果を台無しにしかねない。究極的に人の選択を決めるのは,単純な好みではない。それは僅差の法案が実際に可決されるかどうかを決めるのが,その議会での単純な投票力だけではないのと同じことだ。どっちの場合にも,戦略こそがすべてなのだ。
 このプロセス——表現手法が限られているために必要となった権力交渉——こそが,人を統治する唯一のものらしい。哲学者や心理学者は「自己」という統治機関を持ち出したがる。この自己というやつは,自律的だったり,分裂したり,孤立したり,脆かったり,幾重にも縛られていたり等々ということになっているが,別にそれが本当に器官として存在する必要はない。人の各種報酬から生まれる,多数の行動傾向を統一に向けてうながす要因というのは,それらが実質的に同じ部屋に閉じ込められているのだ,という認識なのかもしれない。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.66-67

報酬の時期

 さらに,双曲割引を補正すべく各種の手口を学習したところで,それは一次的選好実験の障害にはならないことがわかった。原型的な代用報酬であるお金——なぜ「代用」かといえば,それは被験者たちが後で自分の欲しい物を買えるようにすることでしか影響を持たず,さらに代替案の計測と比較をうながすからだ——ですら,Dに応じて選好が変わる。同じ部屋にいる多数の人に,コンテストに入賞してすぐに換金できる100ドルの小切手と,保証つきだが3年間は現金化できない200ドルの小切手とどっちを選ぶか尋ねてみると,半数以上はすぐに100ドルもらうほうがいいと述べる。じゃあ6年後の100ドルと9年後の200ドルではどうかと尋ねると,ほとんど全員が200ドルを選ぶ。でも,後者は前者と同じ選択を6年手前で行ったに過ぎない。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.53

割引曲線の実験

 被験者の割引曲線が交差するかどうかを試す実験は簡単だ。被験者に,D時間後にもらえる小さな報酬と,そのD時点からさらに一定期間のL時間すぎた後にもらえる同種のもっと大きな報酬とでどっちがいいかを聞くだけだ。被験者は,選択を行った時点からD時間後に小さな報酬をもらうか,あるいはD+L時間後に大きな報酬をもらうことになる。選択肢の割引が伝統的な理論通りの指数曲線になっているなら,両者の曲線は幾何学的に合同で,各時点での比率は一定だ。一方,Dが大きいときには未来の大きな報酬を選ぶけれど,Dが小さくなったら小さい目先の報酬を選ぶということなら,その人の期間選好は,指数関数よりしなった割引曲線となっているはずだ。

ジョージ・エインズリー 山形浩生(訳) (2006). 誘惑される意志:人はなぜ自滅的行動をするのか NHK出版株式会社 pp.51-52

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