読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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性格は人の行動を決定します。そして,決定され実行される行動に問題があれば,その積み重ねが問題を大きくしていきます。この場合の行動は,ものの見方や感じ方,それに考え方など人の営みのすべてを指します。そして,その性格の基盤が自律的自尊感情なのです。
山崎勝之 (2017). 自尊感情革命:なぜ,学校や社会は「自尊感情」がそんなに好きなのか? 福村出版 pp. 136
とはいえ,この本でも直接お話ししておきたいことがあります。それは,子どもは本来,みずから正しい方向に伸びていく力があるということです。自己成就力といってもよいでしょう。子どもが間違った行動に出ている場合は,この力が一時的に発揮できないように覆いがかぶさっているような状況です。そのような状況で,子どもの手をとり「こっちにおいで」と引っ張るような教育はやめましょう。一時的に行動の修正ができても,子どもは何も変わりません。子どもみずからが考え,正しい方向に歩む力が出るように働きかけをします。
そのためには,子どもの話をよく聞くという傾聴や,子どもの正しい動きのかけらが出るのを辛抱強く待ってそれを認めていく姿勢が大切です。それに,子どもとよく話をして先生も子どもも納得できる決定をすることも大切になります。自律的自尊感情が欠如し,攻撃的になったり依存・消極的になっても,小学生はまだまだ軌道修正する力があり,学校の先生はその手助けをしたいものです。
山崎勝之 (2017). 自尊感情革命:なぜ,学校や社会は「自尊感情」がそんなに好きなのか? 福村出版 pp. 134
ここで意地の悪い言い方をしよう。神童は頭のよさを金儲けに使えるようにするため,ビジネススクールで経営に関する知識,技術,ネットワークを身につける。成功者は億万長者の道を歩む。頭のよさは個人が幸福を追究するための利益獲得に向けられる。豪邸に住み,リゾート地にいくつも別荘を持ち,夜な夜な美女と遊び回る。ビジネススクールはそれに手を貸すことになる。そもそもMBAはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが,大学の役割を考えると腑に落ちない。大学には人材育成によって社会を発展させなければならないという責務がある。個人の利益追求ばかりを教えていいのだろうか。頭のよさをすこしでも社会貢献に向けさせるような教育をすることこそ,大学の役割であり,それでこそきわめて高い公共性を持ち得ると,わたしは思う。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 295-296
中学受験,大学受験での「栄光」はいくつになっても誇るべき勲章と,思っているエリートたちはいる。若かりし頃の頭のよさが証明されることに無常の喜びを感じる人たちだ。反対に,身近なところに,中学受験や大学受験で自分がとった成績を上回る人が現れるとショックを受ける人もいる。頭のよさは,そのまま自尊心につながってしまうだろう。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 229-230
神童は大人になって,神童であり続けたことを誇りに思う。そんな人がたまに見られる。まわりから見ればいやみこの上ないが,神童本人にすればアイデンティティーを認めてもらいたいところだろう。
子どものころ,あたまがよかったことについて,成人になってからも自慢する。とくに聞かれるわけでもないのに,「勉強しないでいつも満点だった」「まわりから神童と呼ばれた」などと話す。その地域で一番の進学校に通っていたことを,突然,脈絡もなく話す人もいる。きっと誇り高いことだろう。本人は自分のプロフィールをたんたんと話しているつもりである。だが,その言い方がちょっとでも自慢っぽく聞こえてしまうと,「自分の頭のよさを自慢している」と顰蹙を買いかねない。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 228-229
だが,年をとるほど,無邪気な東大信仰が現れてしまう。同僚や記者に最終学歴を聞きまくっていたことがある。宮澤の「何年卒ですか」というのは,東京大学法学部を前提とした話で,相手が他大学であると知れば「ふ~ん,そうですか」と小バカにする態度を示してしまう。本人はそのつもりはないが,不愉快な思いをした人は少なくない。もともと,勉強ができる,知識を十分に兼ね備えていることを鼻にかける傾向があったので,なおさらだった。まわりを気遣える頭のよさは不十分だった。神童はこんなところで評価を下げてしまう。政治家としての経歴に水をさしてしまい,もったいない。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 169
わかりやすく説明しよう。大学教員の道を歩む場合,大学院修士課程2年,博士課程3年を経るのが一般的である。しかし,東京大学法学部では「天才」「秀才」ぶりを示した学生は,修士,博士課程で学ぶというプロセスを免除されている。大学から「今さら教えることは何もないほど,頭がよい」というお墨付きをもらうわけだ。大学院に5年も通わせるのはもったいない,早く学者の世界に入れてあげようという,神童に対する一種の英才教育である。
だが,そのウラにはもう1つ理由があった。神童の青田買いである。
東京大学法学部の優秀な学生は,国家公務員総合職試験に軽々と受かってしまい,中でも財務省(大蔵省)採用者には試験成績5位以内が集まる。また,司法試験にも上位の成績で合格する。
東京大学法学部教授にとっては,教え子の中で最も優秀な学生がほしい。しかし,飛び抜けた秀才は大蔵省に取られてしまう。あるいは,法曹(裁判官,検事,弁護士)に流れかねない。そこで,助手採用によって20代で助教授,30大半ばで教授というライフプランを提示する。30代の官僚,法曹はその世界で第一人者になれるわけではない。その点,東京大学教授は若くして一国一城の主となる。
助手の任期は3年間で,それまでに論文を仕上げる。これを「学士助手」の「助手論文」という。修士論文でも博士論文でもないので,修士号,博士号の学位はもらえない。だが,論文が評価されれば,博士でなくても助教授,講師として任用される。満年齢で26歳の助教授が誕生する。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 128-129
『広辞苑』(岩波書店)の表紙には,いまでも「新村出編」と掲げられており,編者名がブランド力を持った感がある。初版は1955年。現在は2008年刊行の「第六版」まで版を重ねている。新村出は1967年に死去。彼が関わったのは初版までである。「第二版」「第三版」「第四版」は長男の新村猛を中心に編まれた。猛の長男の新村徹も関わっている。新村猛は1992年,徹のほうは不慮の事故で1984年に死去。『広辞苑』の「第五版」「第六版」において,新村家3代は関わっていない。それでも「新村出編」という名前を残しているのは,新村出が『広辞苑』の基本コンセプトを作ったこと,それを守り続けていくことを広く知らしめるためであろう。これは刑法学者の末弘厳太郎と似ている。なるほど,神童はこうして後世に伝えられていくものなのか。1980年代まで,新聞社や出版社で新人記者が原稿の中でひどくあやふやな言葉を用いると,デスクは「新村さんに聞きなさい」と突っ返すことがあった。「広辞苑で調べろ」という意味である。いまは,ネットで調べれば済んでしまうことが多くなったので,「新村さん」の出番は少なくなりつつある。さびしい話だ。神童さんと読みかえてもよかったのに。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 107-109
東京大学の歴史をひもとくと,「この学生が首席である」と公式に認定していた時代があった。
1899(明治32)年,東京帝国大学(東京大学の前身)は卒業式で学業成績優秀者を表彰する,「優等生の選定」制度をスタートさせている。式では天皇が成績優秀者に銀時計を授けている。当時,東京帝国大学は8学科構成となっており,毎年,全学科合わせて16~20人の学生が選ばれていた。1918(大正7)年,この制度は廃止されている。20年のあいだ,223人が銀時計をもらっている。学科別では,法学科88,経済学科9,文学科50,工学科77,理学科20,農学科24,医学科42。
天皇から直接銀時計を手渡される人たちはほんの一握りである。国が頭が良いことを天下に示された彼らは,東大銀時計組と呼ばれ,頭のよさについて,のちのちまで伝説的に語られることとなる。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 98
日本の戦後教育は何かと批判されてきた。大学入試に備えて,中学,高校までは教科書を詰め込み型授業で教える。記憶力重視型で想像力を育ませることはできない。金太郎飴のような優等生ばかり。そして田中,天野,山中の3人は,わたしとほぼ同世代である。1979年に導入される共通一次試験を前に暗記型と批判された。ついでに言えば,無責任,無関心,無気力とボロクソ言われた世代である。
だが,1950年代後半生まれの研究者がしっかり成果を出してしまった。こうなると形成は逆転してしまう。戦後の詰め込み教育が,神童を伸ばして,頭のよさを醸成させ,ノーベル賞クラスのすぐれた発見ができる基礎となったという肯定的な見方が成り立った。
これには,ゆとり教育からの揺り戻し,学力低下への政策的対応という,大きな「援軍」があったことも大きい。
神童は,国の教育政策によって,都合良く理解されるものだ。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 83-84
MENSA JAPANが神童集団として,ほんとうに「知性才能」を「人類の向上に役立」たせているならばいい。だが,寡聞にして聞かない。アピールが足りないのだろうか。「知性才能」同士の親睦会であるのならばそれでいいし,MENSA JAPANの会員であることを自慢したければ,どうぞ勝手におやりなさい,といったところだ。むずかしいのは,どんな形でも「知性才能」をひけらかすことになり,それに対して支持が得られにくいことだ。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 65-66
スポンジに水が吸い込まれるように知識が吸い込まれるように知識が蓄えられていく。理IIIに興味を示さない。また,学校で一番になりたいという名誉欲もそれほど持っていない。ライバルという発想もない。自分が好きな勉強を,自分で計画を立てて,自分が思うように進めて,最高の結果を出してしまう。勉強法などマニュアルには縁がなく,極端な話,教師が教えなくても教科書があれば理解してしまう。大学院博士課程に進むような専門書を持って質問に来るとか。そんな生徒に聞かれても教師はお手上げでしょう。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 42
小学校高学年は年齢で言えば,10代に入る時期となる。個人差はあるものの自我に目覚め,精神的に成長する段階である。小学校低学年でも教室で班などのグループ活動を行うなかでリーダーシップをとれる子供が現れ,高学年になるとそれが顕著に示される。小学生でも指導力,統率力を意識するようになる。
中学高校になるとクラスや部活動において,大所帯をみごとに引っ張ったり,まとめたりする能力を持った生徒が現れる。10大半ばから後半になると,頭のよさが学業成績だけではかれるものではないことがわかる。
神童という称号はこのあたりから消える。いつまで経っても童ではない。「優秀」「頭がよい」「できる人」ということばに置き換えられていく。
小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 39
つまり。この実験結果を見るかぎりでは,高信頼者のほうが実は他人が本当は信頼できるのかどうかに対してセンシティブで,その人に何か問題がありそうだと思うと,すぐに評価を変える柔軟性を持っているということになります。つまり,単なる「お人好し」どことか,高信頼者はシビアな観察者であるというわけです。
山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.153-154
さて,このように見てくると日本が安心社会から信頼社会に変わるためには,まずは「人を見たら泥棒と思え」と考える傾向から脱却し,「渡る世間に鬼はない」と考え,他者を信用していくことが必要だということが分かってくるわけですが,しかし,読者の中にはこうした結論に対して,異論を唱える方もきっとおられるのではないでしょうか。
すなわち,「他人を信用しなさい」というのは道徳論としてはなるほど大切な話であるかもしれないが,世の中は「信じる者は救われる」というほど簡単なものではない。他者を気やすく信じた結果,もし相手に裏切られて酷い目にあったら,どう責任を取ってくれるのか!――というわけです。
山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.136
では,集団主義社会のメリットとは何か――それは社会のシステムが「安心」を保証してくれるということに他なりません。
この「安心社会」のメカニズムがあるおかげで,日本人は相手から裏切られる心配をすることなく,経済活動に専心できた。だからこそ,他の国よりもずっとパフォーマンスのいい経営を行うことが可能になったというわけなのです。
山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.112
人々の結びつきの強い集団主義社会では,メンバーがおたがいを監視し,何かあったときに制裁を加えるメカニズムがしっかりと社会の中に作られています。つまり,このメカニズムこそがメンバーたちに「安心」を保証しているのであって,個々のメンバーは他の仲間たちを「信頼」しているわけではないということなのです。
いや,もっと言えば,こうした社会においてはそもそも同じ社会の中で暮らしている相手を信頼するかどうか,考える必要すらありません。
山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.104
こうした研究者たちの出したデータが利用できるのとおなじように,彼らの行動そのものもひとつの例として役に立つ。もしコミュニティ内―あるいは国内―で苦しんでいる子供たちがいるならば,何かできることがあるはずだ。それが研究者らの仕事の大前提だった。子供たちへの援助をどう届けるのが最善か,知るべきことはまだたくさんある。研究者たちがおこなっている仕事を私たち自身も引きつぎ,広げる必要がある。自分で何かしら手を打つ必要があることは,すでにわかっているのだから。
ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 152
では,生徒に粘り強い行動をさせるにはどうしたらいいのか?ファリントンが調査から引き出した結論によれば,「学業のための粘り強さ」の背後にあるカギは,「学業のためのマインドセット(心のありよう)」,つまり子どもたちそれぞれの姿勢や自己認識である。ファリントンは生徒のマインドセットに関する大量の研究から,カギとなる四つの信念を抽出した。生徒たちの教室でのがんばりに最も大きく貢献する信念である。
(1)私はこの学校に所属している。
(2)私の能力は努力によって伸びる。
(3)私はこれを成功させることができる。
(4)この勉強は私にとって価値がある。
生徒たちが授業中にこの信念を持っていられれば,そこで出くわす課題や失敗を乗り越えられる。この信念がなければ,最初の困難がちらりと見えたところであきらめてしまうかもしれない。
ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 109
ファリントンの答えは「学業のための粘り強さ」だ。生産的な「学業のための行動」を長いあいだ維持できる性質である。ファリントンの主張によれば,「学業のための粘り強さ」を持った生徒が他の生徒とちがうのは,失敗からすぐ立ち直る力を持っている点だ。何回かテストで失敗しても,教室で懸命に勉強することをやめない。複雑な課題に悩んだり,混乱したときも,ただあきらめるより,問題を解くための新しい方法を探す。ファリントンのいう「学業のための粘り強さ」には,グリットや自制心や,楽しみを先送りにする力のような非認知能力が含まれる。しかしそうした性格上の特質とちがって,生徒の「学業のための粘り強さ」は状況に大きく左右される,とファリントンは書く。10年生のときに学校でがんばってやり通した生徒が,11年生ではやり通せないかもしれない。数学の授業はがんばれても,歴史の授業は駄目かもしれない。火曜日にはがんばれても,水曜日はだめかもしれない。
ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 107-108