忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

親密な関係が困難

 自己愛人間は,自分が征服したものを周囲にうらやましがらせようとするが,彼ら自身が愛の対象を激しくねたんでいることに気がつかない。彼らは本質的に競争心が強く,自分を魅了した相手の素晴らしさが,やがて彼らの心のなかに劣等感を生む。自分の賞賛の渇望を満たすはずの相手が脅威になりはじめると,自分を支えるために相手をおとしめなければならなくなる。相手の素晴らしさは彼らの価値を損なうものでもあり,破壊されなければならない。羨望が侮辱を,侮辱が破壊を生み,完璧を求める自己愛人現は憤懣と虚しさにまみれる。
 彼らにとって,恥と同じくねたみも耐えがたく卑しい感情だ。そこでねたみを他者に押しつけて追い払う。投影という巧みな心の働きにより,ねたまれた側がねたみをもつ側に転換され,投影した側は世間ばかりか自分の目にも賞賛される存在であり続ける。同じメカニズムを用いて,彼らは破壊したいという衝動を相手に移しかえ,現実あるいは想像上のねたみに怯える。この歪曲のせいで親密な関係が築けない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.161
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)
PR

役立つか貶めるか

 彼らにとって役に立つ人間は2種類しかいない。彼らの自尊心をふくらませてくれる人間と,彼らがおとしめることのできる人間だ。彼らの自尊心をふくらませる人間は,彼らを賞賛するか,自分自身の特別な資質を共有させて彼らがその威光に浴せるようにする。おとしめられる人間は,彼らが投影によって「恥を投げおろす」か比較によって優越感に浸るのを許す。愛の対象はしばしばその両方の役目を担う。あなたが自己愛人間に夢中なら,たえず相手をほめちぎるいっぽうで,つねに相手からけなされることを覚悟しよう。彼らはあなたの愛よりもそちらに関心が高い。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.159
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛と薬物

 自己愛人間も薬物に頼る人間も,自分の欲求を満たす人物にたいして全能の支配感をもちたがるが,なかなか他者を信用できない。どちらも短気ですぐに結果を求めたがり,他者を利用して請求に満足を得たがる。ところが薬物を利用すれば,精神的な努力なしに欲求が満たせる。彼らは自分の本当の能力を危険にさらす緊張や苦痛や挫折に耐えられず,じっさいの自分の能力にたいする不安を薬物で鎮めようとする。自己愛人間も「真の自己」が起動できず,非現実の世界に生きている。依存症の人間は薬物によって,自分を慰めてくれたものを自分がコントロールしていると感じられた,自己愛人間の乳幼児期の心理状態に戻ることができる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.144
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

思春期の自己中心性

 彼らがもっぱら自分に関心を向け,自分の考えや感情や体験が個性的で,自分が現実よりはるかに重要だと思いこむのはごくふつうのことだ。つねに想像上の観客の前で演技をしているようなもので,思春期には他者の(とくに自分にたいする)考えを推測する傾向が強くなり,その自己中心性ゆえに自分が本当だと思うことが現実だと思いこむ。
 青春期の自己中心性と演繹的推理は揮発性の混合物をつくり出し,全能感と誇大感の匂いの漂う二種類の幻想的な考えを生む。ひとつは,他者には危険でも自分はその危険を免れているという無敵神話,もうひとつは,自分が個性的で神秘的ですらあるという幻想の個人神話だ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.119
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

魅力的に映る

 それならなぜ,これほど多くの自己愛人間が会社の上層部を占めているのか。彼らが政治家,スポーツ界のスター,歌手や俳優として異彩を放ち,一流企業のトップとして忠実な社員の群れを率いるのはなぜか。女性が傲慢な男に夢中になり,男性が虚栄心の強い薄っぺらな女を崇拝するのはなぜか。
 彼らの魅力的な誘いに応じるのは,しぼんだ自己をふくらませたいというわたしたち自身の欲求のせいだ。自尊心が少々ぐらついているとき,人生に何か足りないものがあるとき,彼らは強力な矯正手段を差しだしてくれる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.98
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛の罠に陥るとき

 言うのは簡単だが,行動に起こすのは難しい。自己愛人間にたいするわたしたちの反応はしばしば複雑で,否定的なものばかりとは限らない。ときには彼らの並外れた特性に惹かれ,その誇大感と全能感に巻きこまれて特別な気分を覚える。彼らの人生の一部となって充実感や刺激が味わえるならば,喜んで代償を払うか,代償があることさえ否認したくなる。だが自分を犠牲にして錯覚を追い求めても,結局は満たされず,傷つくだけだ。彼らの罠に陥るとき,わたしたちは自己を捨てているのだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.89
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛性パーソナリティ障害

 精神科の病棟やクリニックを訪れる者に七つの大罪の大半が認められると,「自己愛性パーソナリティ障害」と診断されるかもしれない。これは比較的まれな障害だ。米国精神医学会によれば,思い自己愛症状の基準を完全に満たす者は100人にひとりだ。
 だが,それよりはるかに多くの人がこれらの症状を示し,激しい苦痛を,本人にでなければまちがいなく,彼らが親しく接触する人たちにもたらしている。彼らの多くは精神衛生の専門家の目には留まらない。恥の意識に耐えられないため,自分の事故愛を認められず,他者を責める傾向にあるからだ。専門家の助けを求めるときも,抑うつや不安感,対人関係の悩み,職場のストレスで治療を受ける場合が多く,根本にある自己愛性パーソナリティ障害が治療対象となることはない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.57
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

本物の自尊心ではない

 自己愛人間が「自分には権利がある」というメッセージを伝えるとき,彼らが感じているのは自尊心ではない。彼らの特権意識は本物の自尊心とは別物だ。自尊心は,現実の功績や自分自身の理想に忠実なことから生まれる。尊重されて当然だが相手を敬う必要はないと思う者,努力もなしに報いを求める者,不快な出来事のない人生を期待する者は,自己の運命を方向づける能力を失っていく。彼らは本質的に受身の役割に甘んじ,外部に頼って幸せをつかもうとする。期待が実現しないと無力感に包まれる。特権意識を振りかざして,一歳児の幻想の世界に生きようとする。彼らが激怒するのも無理はない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.47
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

軽蔑,妬み

 他のだれかが自分にないものをもっているとき,優越感を確保したいという自己愛人間の欲求は邪魔される。無意識の深部に,自分の優位を脅かす他者の脅威があらわれ,心のなかの風船が割れる。「危険発生!危険発生!」警報が鳴り響く。「制圧せよ!」恥のざわめきを黙らせるために,彼らはどんな手段を選ぶだろうか。
 答えは軽蔑だ。たとえば「だれそれは自分で思っているほど大物じゃないね」などという。その人がじっさいには謙虚で,まわりを不快にさせたことなどないとしても関係ない——これは恥の投げおろしと同類の歪曲で,現実に何の根拠もないだろう。
 そしてそのあとに,相手の欠点をあげつらったかなり卑劣な内容のリストが続く。その目的は,たいてい無意識のうちに,他者をおとしめ,自分が相対的に優位な立場に復帰することにある。彼らが自分の中の感情に気づいたとしても(もちろん,つねに正当化されて),ねたみは断固,否認される。ねたみを認めれば自分の劣位を認めることになりかねず,自己愛人間にそれはありえない。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.38-39
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

敗北は屈辱

 自己愛人間にとって競争は優位性を確認する手段だが,彼らの多くは好都合な結果が期待できる競争にしか加わらない。敗北は激しい屈辱だ。彼らは大きな危険や努力もなしに自分が輝ける舞台を選ぼうとし,そこで成功すると,今度は完璧さを追求せずにいられない。その過程で他者からの賞賛を渇望する。自分をほめるよう要求するのは,たいてい優位性に自信がもてず,エネルギーの補給が必要なときだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.36
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

比較が必要

 多くの自己愛人間が世間に見せる表向きの人格(ペルソナ)は,しばしば優越感に満ちている。だが,傲慢な仮面の裏に潜んでいるのは,ふくらんだ自尊心でできたもろい風船で,ただ優秀なだけでは満たされず,非常に優秀なだけでもだめで,他者より優れていなければ何の価値もない。彼らにとって価値は絶対的なものでなく,つねに相対的な尺度で測られる。
 彼らの観点からすると,他人の株があがれば,自動的に自分の株がさがる。逆に,自信をなくしたときは,相手をけなし,おとしめれば,自尊心が取り戻せる。彼らが高飛車で批判的,完璧主義で権力欲が強いのも,そのためだ。欠点や恥の汚点からできるだけ遠ざかっていられる立場を確保したいのだ。人生の逆風によって風船が割れたときでも,他者が自分より劣っていると証明できれば自力で修復できる。ときにはそれが巧妙な方法で行なわれる。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.33-34
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

自己愛と恥

 自己愛人間にとって恥はあまりにも絶えがたい感情であるために,いっさい恥を感じずにすむ方法が生みだされてきた。心理学者のいう「回避された恥」だ。これによって,見た目には羞恥心がないか良心が欠けているように装われ,恥は回避されて否認や冷淡さ,非難,怒りの防壁の奥に隠れてしまう。彼らの内部には恥を処理する健全なメカニズムがないので,この不快な感情は自己を離れて外部に向けられる。「自分の責任」ではありえないのだ。

サンディ・ホチキス 江口泰子(訳) (2009). 結局,自分のことしか考えない人たち:自己愛人間とどうつきあえばいいのか 草思社 pp.25-26
(Hotchkiss, S. (2002). Why is it always about you? New York: Free Press.)

何をするかが大事

 私は数人のスーパーハッカーを知っているので,彼らが共通に持っているものは何かを考えてみた。彼らを特徴づけている資質は,おそらく,プログラミングを本当に愛しているということだ。普通のプログラマは生活のためにコードを書く。素晴らしいハッカーにとっては,コード書きは楽しみにのためにするもので,それに金を払ってくれるという人がいれば大いに喜ぶのだ。
 偉大なプログラマは金に関心がない,と言われることもある。これは必ずしも正確ではない。彼らが本当に関心があるのは確かに面白い仕事をするということだ。そして,十分に金を儲ければ,やりたい仕事がやれる。この理由から,ハッカーは大きな財をなすことに惹かれるんだ。でも,どうせ毎日出勤しなければならないのだとしたら,どれだけ給与をもらえるかよりは,そこで何をするかのほうがハッカーにとっては大事なことだ。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.227

ムダも増えていく

 これはプログラミング言語だけに起こっていることではない。一般的な歴史の流れだ。技術が進むにつれ,各世代はその前の世代だったらもったいないと思っていたようなことを平気でできるようになる。30年前の人は,私たちがこんなに気軽に長距離電話をかけるのに驚愕するだろう。100年前の人は,ボストンからニューヨークまで翌日配達便で荷物を送るのに,メンフィスを経由すると聞いてひっくり返るだろう。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.164

模倣と独自性

 気づかず模倣することは,ほぼ間違いなく悪いデザインをもたらす。どこから自分のアイディアが来たのか知らない場合,たぶんあなたは模倣者の模倣をしている。ラファエルは19世紀中ごろの美術界を席巻したため,その時代に画家を志した者のほとんどは彼を模倣していた。しかも模倣の模倣が何回も行なわれた。ラファエル前派が反発したのはラファエル自身の作品よりも,総いった風潮であった。
 志ある人は単なる模倣では満足しない。センスの成長の次の段階では意識的に独自性を出そうとする。
 最も偉大な作り手たちは,ある種の滅私状態に達するのではないかと私は思う。彼らは正しい答えを知りたいだけなのだ。そしてもし,答えの一部が誰かによって発見されていたのなら,それを利用しない手はない。誰かの仕事を借りても自分のビジョンは曇らないという十分な自信があるのだ。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.147

一人の内に

 一人の個人が他人よりそんなに多くの富を生み出せることが原理的にあり得るとは信じ難いかもしれない。このミステリーの鍵は,最初の問いに戻ってみることだ。彼は,本当に私たちの100倍の価値があるのだろうか。バスケットボールチームは,彼らの選手の一人を,適当に選んだ100人の人々と交換したいと思うだろうか。スティーヴ・ジョブズを,適当に選んだ100人の人々からなる委員会と置き換えたら,アップルの次の製品はどうなるだろうか。こういうものごとは,線形には拡大しないんだ。CEOやプロのスポーツ選手は,普通の人々の,たかだか10倍くらいの技能や覚悟(その意味するところが何であれ)を持っているだけかもしれない。でも,それは一人の人間の中に凝縮されているということが,大きな違いとなるのだ。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.118

ベンチャー企業=蚊

 ベンチャー企業は蚊みたいなものだ。熊なら叩かれてもけろっとしているだろうし,蟹なら叩かれても硬い甲羅で身を守れるが,蚊はただひとつのことのためだけに作られている。刺すことだ。防御に対しては一切エネルギーが使われていない。種としては,蚊はたくさんいることが防御となっているが,それは一匹一匹の蚊にとってはあまり慰めにはならないだろう。
 ベンチャー企業は,蚊と同じように,オール・オア・ナッシングの立場に立つことが多い。そして最後の瞬間までどちらに転ぶかは分からないものだ。Viawebにも何度も危ない場面があった。私たちの軌跡はまるでサイン曲線のようなものだった。幸いにして曲線の頂点で買収されることができたが,本当にぎりぎりだったんだ。カリフォルニアにYahoo!を訪問して会社の買収の交渉をしていたのと並行して,私たちは会議室を借りて会社存続を賭けた次のラウンドの資本投下を確実にしてもらうよう投資家たちに掛け合っていたんだ。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.108

中断されること

 ベンチャー企業で得られる貴重なことのひとつは,中断されないことだ。職種によって,時間の単位は異なる。文章の校正係は,15分ごとに作業を中断しても,生産性にさして影響を与えないだろう。だが,ハッキングの時間単位はとても長い。問題のすべてを頭に収めるだけで1時間を要するかもしれない。そんな時に,あなたが書類を埋めるのを忘れたことを指摘する電話が来たりすると,その影響は計り知れない。
 ハッカーが質問をされて,スクリーンから目を離す時に恐ろしく不機嫌な目つきをしているのはこのためだ。ハッカーの頭の中では,巨大なトランプの家が崩れているんだ。
 中断されるかもしれないと感じるだけで,ハッカーは難しいプロジェクトを始めるのを遅らせる。ハッカーが夜遅くに仕事をしたがるのはそのせいだ。素晴らしいソフトウェアをブースで書くことが,深夜ででもなければほとんど不可能なのもまたそうだ。
 ベンチャー企業の大きな利点は,邪魔するような人がまだいないということだ。事務部はないから,書類の催促も電話もかかってこない。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.94 脚注

(引用者注:第6章脚注1。非常に共感できる内容である)

ストレッチ

 考えもできないようなことを考えようとすることは,それによって得られる考え以上の効用がある。それはちょうどストレッチ運動みたいなものだ。走る前によくストレッチしておけば,普通に走るよりもずっと違う体勢を容易に取ることができるだろう。他人が聞いたら身の毛がよだつようなあまりに常軌を逸したことを考えられるようになっていれば,常識の箱のほんの外側を散歩するくらいわけもない。そして人はそれを革新的だと言うだろう。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.50

共感と知性

 共感能力の欠如は知性と関連付けられることがある。時にはそう振る舞うことがひとつの流行とされることまである。でも,私は共感能力の欠如と知性の間には何の相関もないと思う。共感能力がなくても数学や自然科学で高い能力を発揮することはできるし,そういう分野にいる人は一般に聡明だから,知性が共感能力の欠如と関係あるかのように思われるのだろう。実際は,賢くもなく,共感するのもうまくない人だってたくさんいる。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.36

(引用者注:最後の文章は,無関連を示す例になっていない)

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]