疑いもなく,「鉛筆と紙による計算」もしくは内的な図式による計算は,課題解決の基本的方法に入れざるを得ない。しかし,直観像にたよらないこのような計算が,正しい解決の道をそらしたり,あるいは単純な解決方法を複雑で無駄の多いものにしてしまう,そのような課題が何と多くあるのだろうか。
一見すると単純に見えるつぎの課題,「1枚の煉瓦の重さは1キロと,あと煉瓦半分の重さだけある。1枚の煉瓦はどの位の重さか?」も,ある場合には何と難しくなってしまうのだろうか。数に注目した人は,きわめて容易に,信じられない答え——1.5キログラム——を出してくるのだ!このような形式的な答えに滑り落ちるという現象はシィーの場合,まったく無縁であった。いいや,彼の場合,このようなことは不可能でさえあるのだ。彼の「視覚的知力」による解決様式——このため,彼は常に対象をあつかい,常に数を直観・具体的な物と結びつけざるを得ないのであるが——形式的な解決は許されず,他の人々の場合に葛藤をひきおこした課題も,彼の場合には,このような葛藤によって生じる困難を経験することなく経過したのである。
A.R.ルリヤ 天野清(訳) 偉大な記憶力の物語:ある記憶術者の精神生活 岩波書店 pp.126-127
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