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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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化学合成香料

 今日,天然素材を原料とする香水はわずか10%に過ぎず,残りの90%は化学合成香料を使用している。驚いたことに,「それは別に悪いことじゃない」とエレーナは言った。合成香料と純粋な天然香料とで品質にちがいはないのかと尋ねると,彼はこう答えた。
 「私は天然素材と化学合成素材とは同レベルのものだと考えている。どちらも香りを構成していくための材料だよ」
 化学合成香料が最初につくられたのは1853年だ,とエレーナは私に教えてくれた。アーモンドの刺激臭を発するアルデヒドベンゼンだ。19世紀後半に入ると,香水には多くの化学合成香料が使用された。1879年に発売されたゲランの有名なジッキーにも合成香料が使われている。1920年までに,化学者は今日利用されている合成原料の80%をつくりだしていた。

ダナ・トーマス 実川元子(訳) (2009). 堕落する高級ブランド 講談社 pp. 161
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収益重視へ

 過去30年間,高級ブランドにおける最大の変化は,収益のみを重視するようになったことだ。かつて高級ブランドがまだ家族経営だったころ,オーナーは「収益を上げること」以上に,「最高品質の製品を生産すること」を目標にしていた。しかし大物実業家たちが高級ブランドを仕切るようになると,ブランドの目標は「高級ブランド教団」と私が名づけた現象を消費者たちの間に引き起こした。
 今日では高級ブランドはベースボール・カードのように収集され,芸術作品のように飾られ,偶像のようにあがめられるものとなっている。アルノーをはじめとする大物実業家たちは,ブランドの焦点を製品そのものより,製品が象徴するものへ変えた。そして,それを達成するためにブランドの歴史を強調し,注目の若手デザイナーを雇って時代の先端を感じさせるセクシーなファッションに替え,名称を簡略化してブランド名を消費者の脳裏に刻みつけ(クリスチャン・ディオールはディオールに,バーバリーは最後の「ス」をとった),ハンドバッグからビキニまでロゴをあらゆるところにつけまくり,メディアを総動員して広告を打ち,アルノーが好んで言うような,ブランドの「時代を超越した魅力」を打ち出していった。

ダナ・トーマス 実川元子(訳) (2009). 堕落する高級ブランド 講談社 pp. 44-45

LVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)

 ルイ・ヴィトンは,フランスの大物実業家ベルナール・アルノーが指揮をとるLVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)という名称の複合企業の基幹ブランドである。2005年,LVMHにはモエ・エ・シャンドン,ジヴァンシー,タグ・ホイヤーなど50以上のブランドがあり,従業員数は5万9000人,総計1700店舗を展開し,売上高は181億ドル,純益は35億ドルにのぼる。基幹ブランド,ルイ・ヴィトンの年間売上高は推計37億2000万ドル,グループ全体のほぼ5分の1を占める。
 ヴィトンは高級ブランド業界におけるマクドナルドだ。業界を先頭切って引っ張るリーダー的企業であり,莫大な売上げを誇り,世界各地の集客力のある観光地のほぼすべてに出店していて——たいていマクドナルドがすぐ近くにある——LVのロゴは黄色いMの文字と同じくらい高い認知度を誇る。
 「高級ブランドはあらゆる年齢層,人種,地域を超えて普及しています」とはLVMH経営陣の1人,ダニエル・ピエットが1997年に『フォーブス』に語った言葉だ。「我々は高級ブランド市場の照準を,富裕層に限定することなく,はるかに大規模に拡大したのです」

ダナ・トーマス 実川元子(訳) (2009). 堕落する高級ブランド 講談社 pp. 23

記事の水増し

 あの時,記事が差し替わって,大きな扱いになった理由は,今回のネットの事件があった少し前に,韓国の俳優がインターネットの誹謗中傷を苦に相次いで自殺してしまったことにあった。
 新聞社の編集長は,日本でもありえる深刻な問題だと考え,急遽,予定していた記事を変更し,社会面のトップで扱うように指示を出したらしい。担当した記者は警察から教えてもらった情報では記事が足りない。中傷された側,中傷した側に事件の詳細を聞きに行く時間もない。
 一人前の味噌汁の材料しかないのに,突然上司に,百人分用意しろと指示された記者。
 当事者だからわかることだが,水増し分の情報はネット上の匿名の書き込みをそのまま記事にしたのだと思う。
 あの新聞記事で二次被害が生じ,殺害予告も出てしまったが,悪いことばかりではなかった。
 マスコミ各社がこの事件を大きく取り上げたことで,闇サイト,有害サイトの犯罪を重視していた警察の上層部が,名前を書き込まれれば誰でも簡単に殺人犯にされてしまうインターネット上の現状を認識してくれ,誹謗中傷,脅迫に対する取り締まりを強化するよう各警察署にお達しが回ったらしい。
 それならよかった。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.236-237

犯人の特徴

 摘発を受けた人物らに対し,O警部補が「スマイリーキクチこと菊池聡は殺人事件とは無関係で,インターネットの書き込みは事実無根である」と伝えると,ほとんどの人が「ネットに洗脳された」「ネットに騙された」「本に騙された」と供述して,「悪いのは嘘の情報を垂れ流した人だ」と他人に責任をなすりつける。
 最終的に「仕事のストレス」「人間関係の悩み」「離婚をして辛かった」「私生活がうまくいかず,ムシャクシャしてやった」と被害者意識にすり替わってしまう。
 聴取した時の状況をO警部補から聞いているうちに,わけがわからなくなってきたが,摘発を受けた18名の共通点だけは分かった。

 他人の言葉に責任を押しつける。
 自分の言葉には責任を持たない。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.156-157

3つの欠如

 誰でも簡単に理解できることが“悪い噂はおもしろい”という興味が加わるだけで,判断力を鈍らせてしまう。
 殺人犯,事件をネタにした,という確たる証拠は何一つない。
 中傷や脅迫を執拗に繰り返した集団は「情報の仕分け」「考える力」「情報発信者を疑う能力」,この3つが欠如しているように感じる。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.156

そう甘くはない

 芸能界にはさまざまな人がいる。芸能活動中,または引退後に殺人事件を起こしてしまった人だっている。でも,過去に日本中を震撼させた凶悪事件の犯人が平然として活動できるほど,芸能界は甘い世界じゃない。マスコミや地元の人間の中にも犯人の顔を知っている人もいるだろう。凶悪事件の犯人だったという過去が発覚すれば,どんな騒ぎになるか想像がつく。
 すべてを偽装しても忌わしい過去は消せない。人前に出るどころか,人目につかない場所で隠れるように暮らすしかできないと思う。
 本に載っている犯人が実在するなら,週刊誌やゴシップ雑誌,ネットがこぞって騒ぎ立てるはずなのに消息を追う者は誰もいない。
 理由は単純,著者と出版社を信用していないからだろう。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.155

怒り

 この話を聞いた時,目を閉じたまま考えた。
 物事に順序があるのと同じく【怒り】にも順序がある。人間は怒りやストレスを感じると胃が刺激される。胃が活発になり腹が立ち上がるような感覚から【腹が立つ】。怒りが収まらず,腹が立ち上がったままの状態が続き,肺を圧迫するような息苦しさから【ムカムカする】【ムカつく】。怒りが収まらず動悸が激しくなり,心臓に集中した血流が頭部まで押し上げて興奮した状態が【頭に血がのぼった】【頭にきた】。それでも,怒りが我慢できず,歯を食いしばるような怒涛が脳の細かい血管を膨らまし,破裂しそうになった表現から【キレそう】【キレる】。最後に細かい血管が破裂したぐらいの状況まで憤激し【キレた】になる。

 腹が立った程度で「殺す」と書くなら,ムカついたら何をするつもりだったのか。それは警察での取り調べ中,涙を流しながら,「きくち,殺す」は正義感だと主張した女性にしかわからない。
 たった数時間,パソコンを閲覧しただけで真実も確かめず,罵倒も中傷もせず,いきなり「きくち,殺す」と投稿した派遣社員の29歳の女性。
 この感覚に言葉も出なかった。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.150

殺人犯のでっち上げ

 インターネットの中で殺人犯を作り上げるのは簡単だ。
 匿名の書き込みだけで,証拠もなければ証人も姿を見せなくていい。
 中傷コメントを書き込む人間が必要とするのは,デマを流す者と,一緒に中傷する仲間。そして,中傷の対象が男性なら強姦の共犯者,女性なら殺人犯の恋人に仕立てあげる。殺人事件に取り憑かれ,百人衆の情報を狂信した連中は,対象が女性であっても容赦しない。
 ネットの中で犯人の一味に仕立てあげて欲を満たす。そこに一部の下衆なマスコミがくいついて私服を肥やす。どっちもどっちだ。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.138

どこまで情報が歪むか

 そして,中傷の書き込みの1つに「殺人事件の関係者は百人いる,その中の一人がスマイリー菊地」「強姦の共犯者,100人衆の一人,スマイリー鬼畜」とあるが,この「百人の関係者」は警察が発表した情報ではないことも説明してくれた。
 事件が発覚した当時,マスコミの過剰とも思える報道合戦が展開した。エスカレートした週刊誌などが,ありもしない内容を,まるで事実であるかのように伝えていたらしい。読者の興味を引きつけるためなのか,被害者までもデタラメな記事を書かれ,犠牲者となった遺族の方まで追いかけ回したという。犯罪被害者の人権やプライバシーに対する認識が低い時代だった。
 殺人事件に関わった「百人」というのも,加熱した報道合戦から出た情報のようだった。
 この真相は「捜査の過程で近所の人たちに聞き込みなどをした人数も入れれば,百人ぐらいになる」ということらしい。何でもかんでも「関係者」という表現をすれば極端な話,事件の当事者,操作した警察官,検察官,裁判官,弁護士までもが事件の関係者になりうる。一つの言葉で,これだけの誤差が生じることを教えてもらった。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.96

ここは消えない

 ネットの中傷を便所の落書きと揶揄する人もいる。確かにらくがきレベルの内容だが,便所の落書きは上からペンキを塗ればすぐ消える。でも,ネットの落書きを消すのは容易ではない。

スマイリーキクチ (2011). 突然,僕は殺人犯にされた:ネット中傷被害を受けた10年間 竹書房 pp.70

了見

 そしてもう1つ,必ず師匠を意識し,受け継いでいるものがあります。それはちょっとした台詞の言い回しや仕草かもしれないし,稽古の仕方や演出方法かもしれない。さらに言えば,落語への取り組み方,その姿勢なのかもしれません。
 5代目小さんは,よく「了見」という言葉を使っていました。噺の中の人物を演じきるには「その人物の了見になればいい」なんて言ってましたね。
 私はこの「了見」はすべてのことに通じると思うのです。もっと落語が上手くなりたい,なぜお客さんは自分の噺を理解してくれないのか——それは落語家本人の了見次第。そして,答えは自分で捜索して見つけるというのも,師匠のに教わったことです。私が祖父から伝えてもらったものはあまりに多く,大きかったことを,今さらながらに感じずにはいられません。


柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.145

笑わせるのは難しい

 しかし,実はそうではないのです。泣かせる人情話よりも,笑わせる滑稽噺のほうが遥かに難しい。よくできた人情話は物語としての泣かせどころがしっかり作られていますから,それなりに仕上がるのです。それに対して笑わせるのは簡単ではありません。笑わせることができないと落語家としての全体的な評価も下がると思います。

柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.104

完成への段階

 とはいえ,ギャグをふんだんに入れてウケればいいわけではない。これが落語の難しくもあり,奥深いところです。いくらギャグで笑いをとっても,本来の噺のテーマがお客さんに伝わらなければ意味がありません。そこでもう一度,噺を再構築することになります。つまり,落語とはこうした段階を踏んでいく芸なのです。

柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.79

了見と腕次第

 こうしてみると,落語の面白さとは何かも見えてきます。
 落語はただ物語を話せばいいわけではない。意味もなく客席を笑わせさえすればいいのでもない。話の本筋をちゃんと見つめ,どうすれば登場人物の魅力を引き出せるか,お客さんに伝えることができるかを考えて演じきる。それがあってこそ,見ている人は噺に入り込み,共感し,感情を揺さぶられる。そして,面白いと感じてくれる。
 噺を生かすも殺すも,落語家の了見と腕次第なのです。

柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.73

「リアル」よりも「らしさ」

 リアリティを追求すると何が起きるか?一例として,こんな話があります。
 ある落語家が,『船徳』を高座にかけたんです。噺の最後のほうに船に乗ってた男が川の中をジャブジャブと歩く場面があるのですが,彼は「川底にあったガラスで足を切っちゃった」って演出を入れたんですよ。実際に昔はそうしたことがよくあったからってことで。確かにそれはリアルかもしれないけれど,聞いているお客さんは不快でしょう。足を切って,血を流しながら「アイタタタタッ」なんてシーンは誰だって想像したくない。
 だから私は,「リアリティ」よりも「らしさ」のほうが大事じゃないかと思うのです。いかにも川に入ったらしい様子や,麩を開けたらしい仕草,子どもらしい動き……。すべてが現実に即していなくても,「なんとなく,それらしい」というニュアンスのほうが,聞く側にも共通認識が生まれるのではないかと。また,想像の余地も与えるはずです。同じ酒を飲む行為だって,人により違いはあるでしょう。それを「酒を飲むってのは,こういうこと。これがリアル」と言われたところで,万人に通じるとは限りません。

柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.65-66

ゴールはない

 とはいえ,この24本を「得意ネタ」や「十八番」と言うつもりはありません。それは落語家自身ではなく,お客さんが判断することだからです。お客さんに「この噺は花緑の十八番だね」と言われれば,素直にありがとうございますと答えはします。しかし,自ら得意ネタなどと考えてしまえば,そこで成長は止まってしまう。落語にはゴールなどないのです。より芸を深めるためには,まだまだこのネタは発展途上だと思うくらいでいいのです。

柳家花緑 (2008). 落語家はなぜ噺を忘れないのか 角川SSコミュニケーションズ pp.15

パンのための学問

 「学問の府」としてのドイツの大学を範としたといいながら,帝国大学は,そこでは蔑視されていた「パンのための学問」を志向する,その若者たちを入学させ,この時期最も高い社会的地位を与えられていた,官僚の世界へと送り出す役割を果たしていた。立身出世のための大学——それがこの時代の,そしてその後も長く社会に支配的な,帝国大学観に他ならなかった。

天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.236

教授陣

 文科大学の発足以降に任命された教授集団は,再任された木村と重野を含めて17名だが,こうした東京大学時代の整備の遅れを反映して,量・質ともに貧弱であることを免れなかった。17名のうち,東京大学卒業・文部省留学生というコースをたどって,文科大学に着任したのは,田中稲城(図書館学),井上哲次郎(哲学),坪井九馬三(史学),日高真実(教育学)の4名だけ,しかも田中と日高は,明治26年以前に他に転出している。それ以外の留学経験を持つ教授としては,神田乃武(英文学),元良勇次郎(心理学),中島力造(倫理学)がいるが,いずれも東京大学とは関係のない,私費留学による外国大学の学位取得者であった。

天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.221

東大文学部

 人材養成が遅れていたのは,文科大学も同様である。それは東京大学時代の文学部が,性格の曖昧な学部だったことと関係している。
 文学部の編成は,史学,哲学及政治学科と和漢文学科の2科で発足したが,前者は「史学科は,教授にその人を得る能は」ないという理由で,明治12年哲学政治学及理財学科と名称変更された。明治14年に哲学科が独立して3科編成となり,さらに18年には和文学科と漢文学科が分かれ,また政治学科と理財学科が法学部に移された。この間の卒業生35名の専攻を見ると,哲学1名,和漢文学3名を除いて,他はすべて政治学ないし理財学専攻であった。
 これに対して文学部時代に任命された教授8名のうち,外山正一を除く7名はすべて,和漢文学の担当者で占められており,政治学・理財学関係は,全面的に外国人教師に依存していたことがわかる。その外山が,留学帰りとはいうもののミシガン大学で何年か勉強しただけで,哲学,心理学,史学,社会学と何でも教えている。外国人教師もまた,政治学・理財学のほか哲学・倫理学まで担当した。ハーヴァード大学出身のアーネスト・フェノロサの例に見るように,特定の専門分野の研究者というのはほど遠く,リベラルアーツ・カレッジの教師に近かった。

天野郁夫 (2009). 大学の誕生(上) 中央公論新社 pp.219-220

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