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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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寿命の伸びの差

 現代の研究によって次のような事実が確認されている。結婚が当事者にとってよいことなのは確かだが,その恩恵は男女によって異なるのだ。結婚する予定の男女1万組を無作為に選び,数年にわたる追跡調査によってどちらがいつ死んだかを突き止められるとしてみよう。すると,結婚生活によって男性の寿命は7年延び,女性の寿命は2年延びることが統計分析からわかる。ほとんどの医療よりも大きな恩恵があるのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.112-113
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)
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出会いの変化

 パートナーと出会う場所や状況は,過去100年にわたって変化してきた。それを示す最高のデータが,フランスで実施されたある調査に含まれている。人が配偶者と出会う場としては,ナイトクラブ,パーティ,学校,職場,休暇旅行先,家族の集まり,あるいは単純に「近所」などが考えられる。調査に携わった研究員たちは,こうしたさまざまな場所を視野に入れつつ出会いの場の変遷を跡づけた。たとえば,1914年から1960年のあいだを見ると,15〜20%の人が将来の配偶者に近所で出会ったと回答している。ところが,1984年までにこの比率は3%に低下している。現代化と都市化の結果,社会的な絆が地理的制約を受けることが少なくなったためだ。
 インターネットの発展とともに,地理的条件の重要性はさらに低くなっている。2006年には,アメリカの成人インターネット・ユーザーの9人に1人,合計すると約1600万人が,出会い系サイトをはじめとするオンラインサイト(たとえばマッチ・ドットコム,イーハーモニー・ドットコムなど,無数にある)を利用して,出会いの相手を探していると回答している。ある体系的な全国調査によれば,こうした「オンライン・デート相手探し」を利用した人の43%,つまり約700万人が,オンラインで出会った相手と現実のデートにこぎつけ,17%,つまり約300万人が長期的な関係に入るか結婚するかしたという。一方,結婚していたり,長期的で親密な交際相手がいたりするインターネット・ユーザーの約3%が,オンラインでパートナーと出会ったと報告している。この数字は今後数年にわたって増えていることだろう。隣の女の子の時代は去った。かつてのような地理的制約から解放された(オンラインとオフラインの)社会的ネットワークを通じて,パートナーと出会う機会がますます増えていくのである。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.91-92
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

ネットワーク上で見つける

 人びとがどんなふうにパートナーに出会うかを示す体系的データを見てみよう。「健康と社会生活に関する全国調査」は,あまり適切ではないが「シカゴ・セックス調査」としても知られる。1992年に全国の18歳から59歳までの3432忍をサンプルに,アメリカにおける恋愛行動と性行動を網羅的かつ正確に説明したものだ。そこには,パートナーの選択,性行為,心理的特性,保健対策などに関する詳細なデータが含まれている。さらに,きわめて珍しい種類のデータもある。つまり,現在のセックス・パートナーとどこでどのように出会ったか示すものだ。次の表は,さまざまな関係のカップルを誰がとりもったかを示している。
 この表に示されている紹介者は,必ずしもパートナーにするつもりで2人を引き合わせたわけではない。それでもこうした結果が出ているのだ。調査対象となった人々の約68%が,知り合いの紹介で配偶者に巡り合っている。一方,「自力」で配偶者と出会った人は32%に」すぎない。一夜限りのつきあいのような短期のセックス・パートナーであっても,53%は誰かに紹介してもらっている。見知らぬ者同士が偶然出会うこともあるし,ときには他人の援助なしにパートナーが見つかることもあるだろう。だが大半の人びとは,友人の友人をはじめ,ゆるやかにつながった人びととの出会いを通じて配偶者やセックス・パートナーを見つけているのだ。


ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.87-88
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

ナッツアレルギー恐怖

 アメリカで現在見られるナッツアレルギーへの強迫観念は,格好の例かもしれない。完全な「ナッツフリー」を宣言している学校の数は,誰に聞いても増えているという。ナッツそのものやピーナッツバターなどの食品はもちろん,自家製の焼き菓子や原料の詳細が明示されていない食品も,孔内への持ち込みが禁じられているのだ。校門には掲示が出され,汚染物質の危険から生徒を守るため,門を入る前に手を洗うよう来訪者に呼びかけている。
 ナッツアレルギーのアメリカ人は推定で330万人。シーフードアレルギーとなるとさらに多く,690万人もいる。ところが,深刻な食物アレルギー反応で入院するのは,総計で年間2000人にすぎない(全国の入院患者数は3000万人以上にのぼるというのに)。さらに,食物アレルギーによる毎年の死亡者は,大人と子供を合わせてせいぜい150人といったところだ。ハチに刺されて死ぬ人が年間50人,雷に打たれて死ぬ人が100人,自動車事故で死ぬ人が4万5000人もいるのとくらべてほしい。あるいは,スポーツ中に負った外傷性脳損傷で入院する子供が毎年1万人,溺れ死ぬ子供が2000人,銃による事故で死ぬ子供が1300人もいるのとくらべてほしい。それでも,スポーツをやめようという声は起きていない。食器棚のピーナッツバターは処分するのに,銃は処分しない親が数千人はいそうである。毎年,徒歩や自動車で学校に向かう途中に死ぬ子供のほうが,ナッツアレルギーで死ぬ子供よりも多いのは間違いない。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.66-67
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

集団心因性疾患(MPI)

 感情の状態が広く伝染していく現象は,数世紀にわたって報告されてきた。ブコバで突如起こったような笑いの伝染だけではない・感情が人から人へ広がり,多くの人に影響が及ぶ現象を,現在では集団心因性疾患(MPI)と呼んでいる。集団ヒステリーという史的で古めかしい表現はあまり使われない。MPIは明らかに社会的な現象であり,ほかの点では健康な人びとを心理的カスケードに巻き込んでしまう。群れのなかで1頭だけ驚くバッファローのように,1人が1つの感情的反応を示すと,ほかの大勢の人たちも同じことを感じて感情の集団暴走が起こるのだ。
 MPIには主に2つのタイプがある。純粋不安型の場合,さまざまな身体症状が出る。たとえば,腹痛,頭痛,失神,息切れ,吐き気,めまいなど。運動型の場合,狂乱状態での踊り,偽発作,そしてもちろん,笑いなどといった行為に取りつかれる。とはいえ,こうした行為の底には恐怖や不安の実感が潜んでいる。つまり,MPIの2つのタイプはともに同じ心理作用を土台としているのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.59
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

良い位置にあるから

 あなたが他の人より幸福だったり裕福だったり健康だったりするなら,ネットワーク上でたまたまきわめて有利な位置を占めているのかもしれない(たとえ自分自身の位置がわからなくても)。また,ネットワークの全体構造が大きな役割を果たしているとも考えられる(たとえ自分ではその構造をまったくコントロールできなくても)。さらに一部のケースでは,こうしたプロセスがネットワーク自体にフィードバックを返すこともある。多くの友人を持つ人は裕福になるかもしれず,そうなればさらに多くの友人を引き寄せる可能性があるのだ。こうした「豊かな者はますます豊かに」という力学が意味するのは,社会的ネットワークを通じて,私たちの社会に存在する2種類の不平等が劇的に拡大してもおかしくないということだ。つまり,状況的不平等(一部の人は社会経済的により良い状況にある)と位置的不平等(一部の人はネットワーク上でより良い位置を占めている)である。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.48
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

6次の隔たり,3次の影響

 もっとも,6次の隔たりを経てあらゆる人とつながっているからといって,それらの人びとすべてに影響を及ぼせるわけではない。社会的な距離が問題となるのだ。私たち自身の研究から,社会的ネットワークにおける影響の広がりは,いわば「3次の影響のルール」に従うことがわかっている。私たちのあらゆる言動は,さざ波を立てるようにネットワークを進んでいき,友人(1次),友人の友人(2次),さらに友人の友人の友人(3次)にまで影響を及ぼすケースが多い。だが,その影響力は徐々に弱まり,3次の隔たりの位置に存在する社会的な限界を超えると,目立った効果はなくなってしまう。同じように,私たちは3次以内の関係にある友人からは影響を受けるが,その先に連なる人びとからは影響を受けないのがふつうである。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.43
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

創発性

 この点について,私たちは,社会的ネットワークには創発性があるという言い方をしている。創発性とは,部分が相互に作用し合いつながり合うことによって,全体が獲得する新しい特質のことである。創発という考え方を理解するには,次のようなアナロジーが役に立つ。ケーキは,その材料のいずれとも違う味がする。また,それぞれの材料の味を平均しただけの味でもない。たとえば,小麦粉とタマゴの中間の味がするわけではない。そんなものよりもずっとおいしいのだ。ケーキの味は,その材用の味の単なる合計を超えたものである。人間の場合も同じように,社会的ネットワークを理解すれば,いかにして全体が部分の合計よりも大きくなるかが理解できるのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.41-42
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

ウェーブの法則

 単純な例の多くは,関係する個人の意志や認識を完全に無視し,人びとを「知性なき主体」として扱うと最も理解しやすい。スポーツイベントで見られるウェーブについて考えてみよう。この現象が初めて世界の注目を浴びたのは,1986年にメキシコで開催されたサッカーのワールドカップでのことだった。そもそもはラ・オーラ(スペイン語で「波」の意)と呼ばれていたこの現象は,一群の観客が次々に立ち上がっては腕を上げ,すばやく着席するというものだ。その効果は実に劇的である。普段は液体の表面に起こる波を研究している物理学者のグループがこの現象に興味を抱き,巨大なサッカー場で起こったラ・オーラのフィルムを集めて研究してみた。すると,こうした波は時計回りに伝わっていくのがふつうで,つねに「秒速20席」で進むことがわかった。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.40
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

きょうだいのIQ

 ノルウェー軍の数十万人の徴集兵を対象とする調査が示す単純な事例から,社交的な交際相手(この場合は兄弟)の数が人にどんな影響を及ぼすかがわかる。しばらく前から知られているように,最初に生まれた子供は2人目よりもIQのスコアが数ポイント高く,同じように2人目は3人目よりも少し高い。だが,こうした違いをもたらすのは,生まれつき決まっている生物学的な要因なのだろうか,それとも,あとから生じる社会的要因なのだろうか。これが,この研究領域における未解決の問題の1つだった。ノルウェー兵の調査からわかったのは,家族の規模や構成といった社会的ネットワークの単純な特徴が,こうした違いの原因だということだった。第二子の幼少時に上の子供が亡くなると,第二子のIQは上昇し,第一子と同じくらいになる。第三子の幼少時に上の子どものどちらかが亡くなると,第三子のIQは第二子と同じくらいになる。上の子供がともに亡くなると,第三子のIQは第一子と同じくらいになるのだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.34
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

元論文: Kristensen, P., & Bjerkedal, T. (2007). Explaining the relation between birth order and intelligence. Science, 316, 1717.

ネットワークの構造

 ネットワークの形状は,構造あるいはトポロジーとしても知られており,ネットワークの基本的な特性である。この形状はさまざまな視覚化,つまり表現できる。だが,ネットワークがどう視覚化されようと,形状を決めるつながりの実際のパターンは変化しない。そこで,床にばらまかれた500個一揃いのボタンを想像してみよう。ボタンをつなぎ合わせるのに使う2000本の糸があるとする。次に,2つのボタンを適当に選び,糸の両端に結びつけるものと想像してほしい。この後この作業を繰り返し,糸を使い切るまで行き当たりばったりにボタンのペアをつなげていく。最終的に,何本もの糸に結ばれたボタンもできれば,たまたま一度も選ばれず,ほかのボタンとはつながっていないボタンもできるだろう。ことによると,いくつかのグループ同士がつながっているものの,ほかのグループからは独立しているという場合もあるだろう。これらのグループは——つながりを持たない1つのボタンだけからなるものを含め——ネットワークの構成要素と呼ばれる。私たちがネットワークを説明する際,最大の構成要素だけを意味していることが多い(この例で言うと,最も多くのボタンからなる構成要素)。
 一つの構成要素のなかから一つのボタンを選び,床からつまみ上げれば,直接・間接にそれとつながっているほかのボタンもすべて空中に持ち上がることになる。このボタンの塊を床の別の場所に落とせば,最初につまみ上げたときとは違って見えることだろう。だが,つながったボタンの塊を何度つまみ上げて落としても,トポロジー——ボタンのネットワークの根本的で本質的な特性——はまったく変わらない。各ボタンはほかの特定のボタンに対し,以前と同じ位置関係にある。ネットワークにおける位置は変わっていないのだ。視覚化ソフトはこれを2次元で表し,基本的なトポロジーを明らかにしようとする。そのために,最も複雑なつながりを持つボタンを中心に,最もつながりの少ないボタンを端に配置するわけだ。まるで,こんがらがったクリスマスツリー用の豆電球をほどこうとしているようなものである。からまりあった巻きひげのように引き伸ばせる部分もあれば,床の上で何度ひっくり返しても中心にありつづける,つながり合った豆電球の束もあるからだ。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.27-28
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

象徴

 世界の多くの人々にとってアメリカのファストフードチェーンは豊かさや革新の象徴であり,「よい生活」というイメージと結びついている。でも批判的な立場を取る人の目には,この同じファストフードチェーンがアメリカの肥大化したライフスタイルの象徴と映り,アメリカによる世界の文化的支配の現れとみなされている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.132

ポテトの量

 じゃがいもはアメリカで最も消費量の多い野菜で,その多くは油で揚げて食べられる。子どもが消費する野菜のほぼ4分の1がポテトチップスやフライドポテトで占められ,ティーンエイジャーになるとこれが3分の1まで増える。栄養学者は,ファストフード店のポテトにはたいへんな量のコレステロール(牛脂で揚げた場合)や総脂肪,飽和脂肪酸,トランス脂肪酸,塩分が含まれていると指摘。ポテトをたくさん食べる子どもやティーンエイジャーに大きな悪影響を及ぼしているのは,いうまでもない。
 ファストフード店で販売されるポテトの1人前の量は,過去50年の間に徐々に増えている。マクドナルドでははじめは2オンス(57グラム)の「Lサイズ」のみ扱っていた。現在は「Sサイズ」が2オンスで,「Lサイズ」は何年も前から6オンス(170グラム)になっている。そして,8オンス(227グラム)の「スーパーサイズ」まで発売された。だが,モーガン・スーパーロックがドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』を製作し,続いて『食べるな危険!!』(角川書店)を出版するに至って,この販売は打ち切られた。他のファストフード店の中には今も8オンスのポテトを扱っているところがある[マクドナルド社のホームページ(英語版)では,現在,Sサイズは71グラム,Lサイズは154グラム。日本マクドナルドのホームページではSが74グラム,Lが170グラム]。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.96-97

フライドポテト

 ハンバーガーのサイドメニューも長年の間に変化している。フライドポテトはハンバーグのつけ合わせによく使われていた。その流れで,ハンバーガーにもフライドポテトを添えるのが標準になった。19世紀のアメリカでは,ラードでポテトを揚げていた。ポテトの形や大きさがどの店でもほぼ同じになったのは1870年代のことだ。薄切りの丸いポテトをパリパリになるまで揚げたものを,アメリカでは「サラトガチップス」,あるいは「ポテトチップス」と呼んだ。中がしっとりした棒状のものは「フレンチフライドポテト」。それが縮まって1918年には「フレンチフライ」になっていた。イギリスでは別の名前がついた。長い棒状のポテトが「チップス」,薄くてパリパリのポテトが「クリスプス」だ。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.92

浸透

 20世紀末には,アメリカ人労働者の8人に1人がマクドナルドで働いた経験があった。アメリカ人の96%が少なくとも1度はマクドナルドに行ったことがあるという調査結果も出ている。ここで食事をするアメリカ人は1日に2200万人(推定)。マクドナルドは効率性を追求してビジネスを成功させた企業の象徴であり,世界の大衆文化の中でしっかりと根をはっている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.70

効率化

 ファストフード業は安い労働力の上に成り立っている。そこでマクドナルドをはじめとするファストフードチェーンは賃金を抑えるために故意に組合をつくらせないようにしてきた。最低賃金や給付金を引き上げようとする動きがみられると,いつも反対するように議員に働きかけた。離職率の高さも問題で,年間300%近くという店まであった。これはひとつには賃金が低いからで,パートタイムの場合,給付金や残業手当がもらえず,長く勤めても昇給しないことも離職につながっていた。マクドナルドが急成長していた1950年代,60年代には,ほかでは働き口のない若年労働者がいくらでもいた。ベビーブームの世代が成長すると,マクドナルドはこの若者たちを好んで雇った。若い子は簡単に言いくるめることができて管理しやすいからだ。やがて若者の人口が減り始めたころ,マクドナルドは従来とは異なる人たちを雇うことになった。雇用における差別を禁じる連邦法ができたこと,よい従業員を雇う必要があったことから,女性を採用し始めたのだ。アメリカにやってきてまもない移民や高齢者,マクドナルドは自動化をさらに進め,レジには仕事を簡単にこなせるタッチ画面式の機械を導入した。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.63

バーガーキング

 1967年にバーガーキングは,中で食事のできる新しいタイプの店を開いた。これは,客は車内で食事,というマクドナルド方式の基本に反している。だが,1960年代には車の中で食べることがもう目新しさを失っていた。それに蒸し暑い日や冬の寒い日に車内で快適な食事などできない。店の中は年中温度の管理が行き届き,客は気持ちよく食べられる新バーガーキングを大歓迎した。これに対抗して,マクドナルドも1968年から店内に食事スペースを設けた。これはさらに,別の基本方針の見直しにもつながった。都会には出店しない。この方針を変え,その後マクドナルドは市街地に次々と店を出して成功を収めた。
 ウェンディーズ,ジャック・イン・ザ・ボックス,バーガーキングなどでは,ドライヴスルーも客に好評だった。マクドナルドは1975年からこれを取り入れている。現在,アメリカのファストフードチェーンの売上げは60%がテイクアウトとドライヴスルーで占められている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.60-62

確執

 クロックはマクドナルド兄弟とよく意見が対立した。兄弟は自分たちが考えだした建物のデザインや店の方式を変えないよう求めたが,クロックは別の考えを持っていた。結局,クロックが270万ドルでマクドナルドを買い取って,この問題は解決した。ただし条件つきで,兄弟はサンバーナディーノの店を引き続き経営することを認められ,既存のフランチャイズ店もある程度,保護されることになった。
 レイ・クロックとマクドナルド兄弟の間に特別な思いなどまったくない。クロックは兄弟の店の向かいに新しい店を構え,2人を廃業に追い込もうとした。そして兄弟の店が家事で焼けると,デスプレーンズの自分の店がマクドナルドの本当の1号店だと宣言。後にこれを博物館に変えた。だが,現存する最古の店はここではない。1953年に兄弟がフランチャイズ契約を結んだ最初の店のひとつがカリフォルニア州ダウニーに残っているのだ。今は少し現代風に変わっている。ここには小さな博物館があり,マクドナルドチェーンの初期の様子を伝えている。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.55-56

マクドナルドから

 マクドナルドのサンバーナディーノの店は賑わっていた。将来ファストフード店を開きたいと考えている人がやってきては,感心して帰っていった。そんな中にマシュー・バーンズとキース・G・クレイマーがいた。1952年にマクドナルドを訪れた2人は,翌年フロリダ州のジャクソンヴィルでインスタ—バーガーキングをオープン。後のバーガーキングだ。カリフォルニア州アナハイムのレストラン経営者カール・カーチャーもマクドナルドを見て,ファストフードチェーンの立ち上げを決めた。店はカールズ・ジュニアと名づけられた。サンバーナディーノのグレン・ベルはマクドナルドのやり方を研究し,ハンバーガーではなくメキシコ料理で似たような商売ができないかと考えた。そうしてタコ・ベルが生まれた。コンリンズ・フーズ・インターナショナル(現ワールドワイド・レストラン・コンセプツ)の会長だったジェイムズ・コリンズは店を見学してメモを取り,そのやり方にならってケンタッキーフライドチキンのフランチャイズ店を開いた。マクドナルドのクローンのような店がたくさん生まれ,1954年には多数のファストフード店がマクドナルド兄弟の考えだしたビジネスモデルを取り入れていた。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.52-53

マクドナルド!

 食の分野で新モデルを築いたのがモーリスとリチャードのマクドナルド兄弟だ。ニューハンプシャー州出身の2人は1930年にロサンゼルスに移り住み,小さな映画館を買った。でも経営はうまくいかず,なんとか生計を立てようと,1937年にオレンジジュースとホットドッグのスタンドを開いた。ロサンゼルス郊外のアーケーディアにあるサンタアニタパーク競馬場の近くだったが,意外にも商売は不振。商品をバーベキューとハンバーガーに変えても,売上げは伸びない。
 そこで2人は1940年にロサンゼルスから160キロメートルほど東の町サンバーナディーノに移り,マクドナルド兄弟のハンバーガー・バー・ドライヴインをオープンした。「カーホップ」と呼ばれる女性従業員が20人いて,注文を取り,食べものを運び,代金を受け取る。売上げの80%がハンバーガーで占められ,それに気づいた兄弟は,バーベキューをメニューから外した。バーベキューはいずれにせよ,準備に時間がかかりすぎる。

アンドルー・F・スミス (2011). ハンバーガーの歴史:世界中でなぜここまで愛されたのか? ブルース・インターアクションズ pp.47

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