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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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想像を絶するほどの親密感

 こうしたセミナーは,人間関係が希薄になればなるほど浸透してゆく。密室に200人もの人間が3,4日間閉じ込められ,互いに黙ったまま眼を見つめ合う。誰にも言えない欲望や秘密を告白し,目の前の相手を幼い頃の母親と錯覚し,そして気がつくと見知らぬ人を抱き締めている。想像を絶するほどの親密感が芽生え,閉ざされた部屋から解放された瞬間,一斉に躁状態になる。見るものすべてが輝く。道行く人にむかって次々に声をかけたくなる。間もなく,悩める「子ネズミ」を救済すべく,友人や知人を秘密の部屋へ導いてゆく。「善意」という名の暴力をもって……。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.168
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単に現実逃避

 催眠療法を望む人々にも,大きな問題がある。献花セラピーと呼ばれるゲシュタルト療法のような心理療法では,日本人特有の甘えが許されず,自己の問題と厳しく対峙しなければならない。ところが,催眠療法は受け身の姿勢でよいため,きわめて依存的な姿勢で治療に臨む者が目立つ。たとえば夫婦間がうまくゆかないないのは,過去生のカルマにあると考え,現実の問題と向き合おうとしなかったり,催眠から眼が醒めれば,生まれ変わると勘違いしている人たちが少なくなかった。それでは,単なる現実逃避にすぎず,霊能者のもとを訪れる行為と何ら変わらない。彼らは,初めから自分で判断することを放棄し,既成の権威などに価値判断を委ねる。そのため,権威を騙る治療者にたやすく騙されてしまう。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.164

計算!

 私には,その感覚がよくわかった。ある催眠療法の専門家から退行催眠をかけてもらったとき,普段の状態とまったく変わらなかったからである。地下室の階段を降りて,前世の扉を開ける暗示をかけられてゆくと,たしかにある映像が浮かんできた。といっても,それはセラピストに気を使って記憶と想像力を駆使した結果で,自然に浮かび上がったわけではなかった。
 「あなたは暗示にかかりやすい」
 と,セラピストが満足そうに誘導してくれたので,私は,仕事熱心な彼に向かって「催眠に入っていない」とは言い出せなかったのである。そのため,過去に遡ってゆく暗示をかけられて,質問を受けるたびに苦労した。
 「今の年号は?将軍は誰ですか?」
 とセラピストから質問されると,日本史の口頭試問を受けるような気分に陥っていた。まさか図書館に行って調べてくると言うわけにもいかず,困ってしまった。まるでクイズ番組に出演して,答えられずに恥をかいているような気分だった。私は,一代前の前世が死ぬ場面のことを問われたとき,年号や年齢に関して致命的な計算ミスを犯した。私の前世だったはずの人物は,何と私が中学生まで生きていることになってしまったのである。


福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.161

メジャーになった

 かつて退行催眠や前世療法は,一部の人々にしか支持されていなかった。きわめてマイナーな世界であった。そのため,自己超越セミナーのように,セミナー形式にして参加者を募らなければ,利益を出すことは難しかった。ところが,90年代に入ると,全米でベストセラーになった『前世療法』の影響で,退行催眠を掲げた心理療法家が眼につくようになった。その要因の1つに,いわゆるニューエイジ系のセミナー会社が催眠療法士のコースを開設したことがあげられる。ワン・ネットワークという会社では,95年にヒプノセラピスト(催眠療法士)養成スクールを開設した。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.154-155

60万人

 「世の中には,簡単に騙されてしまう人間が,少なくとも60万人はいるんですよ。同じ手口の悪徳商法でも,社名が変わっただけで,何度でも騙されてしまう。実は,そういう被害者の名簿が高額で取引されているんです」
 60万人の人間が簡単に騙される。そう喧伝することも名簿業者の“手口”なのかもしれない。60万という人数に根拠があるとすれば,このセミナーを受ける人々は,まちがいなくその中に含まれることだろう。もしかすると,自己超越成功セミナーの受講者名簿は,業者の間でも高値で取引されているのかもしれない。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.115

社員教育!

 私は,ある社員教育トレーナーの言葉を思い出した。彼は新入社員の教育で3日間狭い部屋に閉じ込めて,一睡もさせなかった。すると,自然に集団催眠のような状態になり,面白いほど教育の効果が上がったという。
 「さらに,食事を摂らせないと,血糖値が下がって,思考力が劣ってくるから,受講者をマインド・コントロールする最高の条件が揃うわけです」

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.113

ドブに

 また,ある女子学生が授業に来なくなったので,心配して家に電話をしたら,母親が電話に出て「家には居ません」と。
 「アルバイトにでも行っているのですか?」
 「アルバイトはしていません」
 「では,どこに居るのですか?」
 「わかりません」
 先生,しばし絶句。「わかりません,って,それでいいんですか?」
 出席日数が不足気味,このままでは卒業にひびきますよと注意し警告を発しているにもかかわらず,結局,本人学校に現れず,仕方がないので再び電話を入れた。すると,くだんの母親,自分の監督不行き届きを棚に上げ,あろうことか,言うに事欠いて,「まったく,これではカネをドブに捨てたようなものです」と。
 先生,受話器を持つ手をワナワナと震わせ,学校は,俺は,ドブかよ!と思いながら,それでもなんとか冷静に対応したそうだ。ナンセンスマンガを見るよりも超面白く,超くだらない。でも,それが現状なのだ。

三浦衛 (2009). 出版は風まかせ—おとぼけ社長奮闘記— 春風社 pp.230-231

居たくない

 大学で教えていると,突然プイと立って教室を出て行こうとする学生がいるから,「きみ,ちょっと待ちなさい」と呼び止めた。
 「は!?」
 「どうしたの?」
 「居たくない」
 「居たくないって,きみ…居たくないから出て行くとしても,挨拶すべきじゃないのか。失礼しますとか何とか」
 「どうして?」
 「どうしてって,それが礼儀じゃないですか」
 「はあ。じゃあ,失礼します」
 先生の話を聞いているうちに,学生の馬鹿ヅラが目に浮かび,もらい怒りでこっちまで体が震えた。

三浦衛 (2009). 出版は風まかせ—おとぼけ社長奮闘記— 春風社 pp.229-230

初稿を見ればわかる

 初校で,どこに手を入れたのかを筆者が見れば,編集者としての力量は自ずとわかる。文章に手を入れたことで試されるのは,むしろ編集者のほうだ。真面目にやったから,で通るような甘い話ではない。

三浦衛 (2009). 出版は風まかせ—おとぼけ社長奮闘記— 春風社 pp.132

カッコばかり付けやがって

 こういう本を見ると,読む前から,「ああクズ本ね」と思うことにしている。頭があまり良くない。要するに,カッコばかり付けやがってとなる。
 だってそうでしょ。7つも8つもカッコを使い分けるってことはだよ,数学でもあるまいに,それぞれの意味を事前に理解したうえで,読んで判る者は読みなさいってことでしょ。わたしたちは外国の難しい学問をここまで解きほぐして紹介するのだから,あなたがたも努力してお勉強するのですよと,エラそな講釈を聞かされる気分になる。
 声を大にして言いたい。カッコばかり付けたがる学者は,論文でも何でも,ものを書くとき,「  」と『  』と(  )だけにしろと。その制約と自己規制だけでずいぶん違うんじゃなかろか。


三浦衛 (2009). 出版は風まかせ—おとぼけ社長奮闘記— 春風社 pp.92-93

心は量れません

 人の心は量れませんと老人は言った。
 「秤に掛けることも,物差しを当てることも出来ますまい。升でも汲めない。心の尺度は皆違いますから,心の中では針で刺した程の傷で死ぬ程痛がる者も居れば,袈裟懸けにざっくり斬られても我慢が出来る者も居る。だから見合っているかどうかは,他人には判りませんよ」

京極夏彦 (2009). 前巷説百物語 角川書店 pp.358

在ることにする

 「言う前にねェだろ」
 この世には神も仏もない。又市はその点に関しては疑ったことがない。身に染みている。
 在りません,と堂庵も言った。
 「でも,在ることにする。例えば,儒者は親を敬う。親の親は更に敬う。親の親の親然り。親の親の親のそのまた親は——」
 「居ねえだろ。死んでるよ。俺なんざ親が居ねェや」
 「はい,死んでます。居ませんな。つまり,親を敬う心は,敷衍すれば先祖を敬う心となる。でも,先祖はもう居ない——ない訳ですな。ないものを敬うことは,これ難しいことだ。でもね,この先祖を敬う気持ちというのが,まあ大概簡単に言ってしまえば,国を造り家を栄えさせる基本になる。生きて行く礎となる」

京極夏彦 (2009). 前巷説百物語 角川書店 pp.340

バカみたいな単純化

 「そうだろうよ。敵味方なんて言葉は,莫迦な侍の言葉だぞ。苦呶いようだが戦いは莫迦のやることだ。敵と戦う,世間と戦う,どれもこれも詭弁だ。いいかな,勝負なんてのはな,モノゴトを莫迦みたいに単純化しないとつけられぬものであろうが。違うか」
 違わない。
 白黒明瞭しているものなど,世の中にはない。

京極夏彦 (2009). 前巷説百物語 角川書店 pp.122

ネッシーのアナグラム

 博物学者のサー・ピーター・スコットは,ネス湖の恐竜,ネッシーの存在を信じて疑わない。実際,その信念が高じて,彼はネッシーに「ネシテラス・ロンボプテリクス(Nessiteras rhombopteryx)」というギリシャ語名をつけ,その名前を広げようとしたくらいだ。この名前はサー・ピーターと水中写真家のロバート・ラインズが1975年12月に考えだしたもので,おおざっぱに翻訳すると「ダイヤモンド型のヒレを持つ,ネス湖の恐竜」とでもなるだろうか。ところが,この名前を発表したとたん,ロンドンの新聞に,ネシテラス・ロンボプテリクスという名前は「サー・ピーター・Sによるでっちあげ竜(Monster Hoax by Sir Peter S)」のアナグラム(訳注 文字の並べ替え)だ,と指摘されてしまった。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.292

株価予測トリック

 株価変動は,予測がむずかしいことで知られている。株の売買に熱くなると,あっという間に一文無しになりかねないため,ある株式ブローカーが,人間わざとは思えない能力を発揮して市況をつかんでみせたところ,彼の株価予測はひっぱりだこになった。これを単なる運や偶然のせいだと言えるだろうか。それとも何っか別の力が働いたのだろうか?
 じつを言うと,今回の場合,偶然などではなかった……もっとも,超常的な力や超自然の力が働いたわけではない。この男は株式ニューズレターを発行していたのだが,「私は最新のデータベースを使い,業界内部の事情通から情報提供を受け,高度な計量経済学モデルを駆使して株価予測をしています」と謳ったニューズレターを64000人に送っていたのだ。そのうち32000人分には,来週,ある銘柄の株価が上がると書き,残りの32000人分には下がると書いた。
 翌週の株価がどう動こうと,彼はニューズレターの第2弾を送る——ただし,彼の予測が「当たった」32000人余りの人たちだけに。そのうち16000人分で次の週の株価上昇を予測し,残りの16000人分では株価下落を予測する。実際の株価変動がどうだろうと,16000人にとっては,彼の株価予測が2週連続で当たったことになる。そのやり方を続けるのだ。この手を使って彼は,自分の株価予測は必ず当たる,という幻想を作りだすことができた。
 彼の目的は,ニューズレターの送り先を,6週連続で予測が(偶然)当たった1000人ほどに圧縮することだった。今後も「お告げ」のご利益にあずかろうと,この人たちなら喜んで,彼の要求通りに1000ドル払うはずだ。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.268-269

クラップの語源

 「クラップ(糞)」という語の語源については,学者同士でも酒場のうんちく好き同士でも,嫌というほど長い間,激論を闘わせてきた。そろそろはっきりさせたほうがいいだろう。
 「クラップ」という語はトマス・クラッパーの名前から生まれた,というのが通説である。クラッパーは19世紀のイギリスで大成功した便器業者で,水洗トイレを発明したのも彼だと言われている。「クラップ」とクラッパーとの関連は,純然たる偶然にすぎない。
 「クラップ」は,中期英語のcrappeまたはchaffに由来するらしい(オランダ語のcrappenとも関連があり,そこから細分化した可能性もある)。「クラップ」が,他の望ましくない残留物を指すのに使われるようになったのは,ここからだ。
 トマス・クラッパーが生まれる1836年にはすでに,この単語が定着していた。「クラップ」が初めて俗語辞典に登場したのは1846年で,彼はまだ10歳だ。いくら有能だといっても,トイレ業界の伝説的人物になるには幼すぎる。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.219

更に続き

 偶然はさらなる偶然を生み出すようである。
 クレイグ・ハミルトン・パーカーの祖父は,若きキャビンボーイ,リチャード・パーカーのいとこだった。クレイグは,自分の祖先の悲劇に続く一連の偶然をすべて記録に残した。
 「ポーの小説と実際の出来事が繋がっているのに初めて気づいたのは,いとこのナイジェル・パーカーだった。彼はそれをレポートにまとめ,アーサー・ケストラー氏に送った。そして,それは1974年5月5日のサンデー・タイムズ紙に載った」
 「ケストラーは,新聞記事のその後を追う『偶然の本質』(邦訳,蒼樹書房)の作者で,その彼がエディンバラ大学のジョン・ベロフに何げなくその話をし,そしてベロフがその日のうちに記事を書いた」
 「ナイジェルの父のキースは,リチャードの物語がラジオドラマで使えるネタだと考え,梗概を作りはじめた。その当時,彼は作家としての収入を補うために,マクミラン社が出版した本の論評を書いていたが,そもそも最初に郵便で送られてきた本が『ミニヨネット号の遭難』だった。数週間後,彼は別の論評を依頼された。それは小演劇のコレクションのひとつで,題名は『いかだ舟』。子どもたちのための喜劇だったので,不吉な要素はまったくなかった。ところが,表紙絵はその内容とはかけ離れていて,3人の男たちが若い少年を脅している絵だったんだ。しかも,『いかだ舟』の作者は,リチャード・パーカーという人物だった」
 「1993年の夏,私の両親はスペイン語学科の女子学生を下宿させていた。ある日の夕食の席で,父が彼女たちにリチャード・パーカーの話をしたんだ。うしろではテレビがついていた。みんなの会話が止まったのは,テレビのローカル番組がまったく同じ話を始めたときだ。しばらくして,父がその沈黙を破って,リチャードの話をするときは必ず奇妙な偶然が起こるんだ,と言った。それからエドガー・アラン・ポーにまつわる話を始めた」
 「すると,2人の女子学生が真っ青になった。『ねえ,ちょっと,私が今日買ったものを見て』とそのうちのひとりが言った。彼女はかばんからポーの小説を取り出した。『じつは私もなの』。もうひとりが言った。2人ともその日,別々にショッピングに出かけ,リチャード・パーカーの話が載ったまったく同じ本を買ってきていたのさ」

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.173-174

ミニヨネット号の悲劇と偶然

 1884年,17歳のリチャード・パーカーは家出して船に乗り,ミニヨネット号のキャビンボーイになった。乗組員は他に,船長のトーマス・ダドリー,航海士のエドウィン・スティーヴン,エドムンド・ブルックスがいた。船はサウサンプトンを出発し,オーストラリアに向かった。
 沖合3000キロの南太平洋上で,ミニヨネット号はハリケーンに襲われる。そして船は巨大な波にさらわれ沈没した。混乱の中,救命ボートに乗り込むのが精一杯だった彼らに,食糧や水を持ち出す余裕はなかった。持ち出せたのは,小さなカブラの缶詰が2缶だけだった。
 乗組員たちは,ほとんど飲まず食わずで19日間を過ごし,絶望的になっていった。そんななか,リチャード・パーカーが海水を飲んで錯乱状態に陥る。ダドリー船長は,乗組員が生き残るために,その食糧となって犠牲になる者をくじ引きで選ぼうと考えた。ブルックスは何があっても人を殺すのには反対した。スティーブンはどっちつかずの態度をとっていた。最終的に船長が,扶養家族もいない死にかけのキャビンボーイを殺す決断を下した。 
 乗組員たちは,眠っている少年に向かって祈りをささげた。ダドリーが彼の肩を揺さぶり,言った。「リチャード,その時が来た」。3人の船乗りはリチャードの遺体を食べて生きのび,35日後に1隻の船に救助される。船の名前が暗示的で,モンテスマ号といった。モンテスマはアステカの人食い王の名前である。
 その後に開かれた裁判は,ヴィクトリア女王次代の社会を騒がせ,イギリスの人食い事件としては最も多くの記録が残されることとなった。ダドリー,スティーブン,ブルックスの3名は,それぞれ6ヶ月の重労働を言い渡され,その後に国を出て行った。
 しかし,この物語はその最後に不思議な展開を見せる。そのおぞましい事件の半世紀前の1837年,エドガー・アラン・ポーは『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』を執筆している。この小説は,4人の遭難した乗組員が長い飢えに苦しんだ後,食糧となるべき人間をくじ引きで決めるという話である。
 小説では,キャビンボーイが短いワラを引き当てる。その名もリチャード・パーカーといった。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.171-172

リスク認知

 オックスフォード大学のサイード・ビジネススクールが発表した論文によれば,人はふだんから交通事故で死ぬ危険を冒し,約100人にひとりの割合で(女性のほうが少ないが)死んでいるという。ならばそうした危険を半減させるエアバッグやバンパーなどオプションの安全装備に,私たちはいくらまでなら払うだろうか。1000ポンド?あるいは2000ポンドまでなら出すかもしれない。だが,死ぬ確率が同じ1パーセントの地雷原に入るのを承諾するには,いくら要求するだろうか。2000ポンド以上であることはほぼまちがいない,とその論文は指摘している。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.118

偶然の一致に興奮しすぎ?

 『数の本』の著者ウィリアム・ハーツトンは,偶然の一致に対して,人はあまりに興奮しすぎると考える。たとえば,ゴルファーが2人連続でホールインワンを出したという話を聞いても,ハーツトンは少しも感心したりはしなかった。だが,その2人のゴルファーは親戚ではないが,苗字が同じだった。これは驚くべきことではないのだろうか。
 いや,そんなことはない,とハーツトンは言う。「まず,ゴルファーの苗字が同じだったという小さな問題を片付けよう。トーナメントはウェールズで行なわれたが,2人の苗字であるエヴァンスという人はウェールズにはごまんといる」
 だが,2人のエヴァンス,リチャードとマークは立て続けに3番ホールでホールインワンを出した。こんなことが起こる確率はどれくらいなのだろう。
 ホールインワンを出す確率は,トップクラスのプロゴルファーで2780分の1,結構な腕前のアマチュアなら4万3000分の1くらいだろうとハーツトンは計算する。後者の場合,どのホールであれ,2人のゴルファーがティーショットで続けてホールインワンを出す確率は18億5000万分の1だと言う。
 これはもう十分に驚くべきことではないか?
 いや,そうでもない,とハーツトンは言う。「イギリスでは200万人のゴルファーが,平均して週に2回ラウンドしている。つまり,合計すると1年に2億ラウンド以上,36億ホールになる。そう考えれば,18億5000万回に1回の確率のショットだって,そうなさそうなことでもない」。実際,ハーツトンの計算が正しいなら,こういったことがイギリスのどこかで1年に1度くらいは起こるものと考えるべきなのだろう。
 このような話や統計から,2つのことがわかる,とハーツトンは言う。それは,私たちは正しく可能性を見極めるのが苦手だということと,楽観的な考え方に偏っていきがちだということである。「ホールインワンとか,ポーカーのロイヤルフラッシュとか,くじで大当たりするとかいった話を聞いてその気になると,私たちは運命の女神がほほえんでくれることを願いながら,無茶な願望を胸にゴルフのスゥイングの練習をしたり,勝つ見込みのない賭けに大事にとっておいたお金をつぎこんだりする。だが同時に,毎年50万人もの人がサッカーでけがをして病院送りとなり,毎日5人が車の運転中に死に,1日に90人がタバコのせいで命を落としてもいるのだ」

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.116-117

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