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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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退行催眠の影響

 シベックら(1997b)は,参加者に5歳の年齢まで退行させ,少女の場合には人形と遊んでいるところ,少年の場合には男性的な玩具で遊んでいるところを暗示した。この研究で重要な側面は,それらの玩具が年齢退行の暗示のターゲットとなる時期の後の,2年もしくは3年までは公表されることがなかったことである。参加者の半数は催眠による年齢退行の教示を受けたが,他の半数は催眠の文脈で年齢退行の教示を受けなかった。興味深いことに,催眠を受けなかった者は誰一人として暗示による影響を受けなかった。対照的に,催眠を受けた参加者の20%が経験の記憶を現実であると評定し,退行された年齢で起こった出来事に確信を持った。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.188-189
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)
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暗示の受けやすさ

 非常に早い時期の記憶報告は,幼児期後期の報告と同じように,ささいな暗示の影響を受けやすい。リンら(Lynn et al., 1999)は,初期記憶を誘発するために異なった2つの語法を使用した。1つの語法は高い期待の事例であるが,参加者は「いつ初期の記憶を得たのかを教えてください」と伝えられた。もう1つの語法は低期待のケースで,参加者は「思い出せないならそれでも結構です」と伝えられた。高期待の語法は初期の記憶の報告を導いた。(出来事が報告された年齢は)高期待で平均2.48年,低期待で3.45年であり,ほぼ1年の差があった。4回の再生試行の終わりまでに,高期待条件の43%の参加者が2歳当時かそれ以前の記憶を報告し,低期待群の参加者では同様のことを20%が報告するという結果であった。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.185
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

初期の記憶は影響されやすい

 何らかの初期の記憶が特殊な意味を持つことはありえようが,そのような記憶は非常に影響を受けやすい。初期の記憶の報告を調べることで,2歳の幼児期健忘の閾を跨ぐような信じがたい記憶への,記憶回復技法の影響を検討することができる。ほとんどの成人の最初期の記憶は生後36か月から60か月にさかのぼる。事実,現在の記憶研究者たちは,24か月の月齢以前に起こった出来事の正確な記憶報告はきわめて稀であるとの見解で一致している(レビューとして,Malinoski et al., 1998を参照)。非常に早い時期の人生の出来事が想起できないというこの現象は,児童が情報を処理し,検索し,共有する方法に影響するような発達的変化に大きくかかわっている。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.184-185
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

心理療法のメタ分析

 スミスら(1980)は475編にもわたる膨大な心理療法成果研究を展望するメタ分析を行なった。そこでは1,766個にわたる効果量が計算され,数千の一覧表が作られ,データの要約が作られた。他の調査と違って,彼らの研究では効果量はすべて公表された研究から得たものに基づいていた。効果量についてのさまざまな分類図式と統計分析は,心理療法効能に関する多くの特定の問題にかかわるデータを供給することとなった。
 その結果,次のようないくつかの重要な結論が引き出された。

1.一般的には,さまざまな形式の心理療法が有効であるとみなせる。平均効果量は.85であった。このことは,心理療法を受けているクライエントが,心理療法を受けていない者の80%よりも改善したことを意味する。もしプラセボ治療と特定できないカウンセリング技法を除くと,効果量は.93に上昇する。心理療法におけるこのような効果は,医学と教育における高額で長期間の介入の効果に匹敵する。
2.理論的オリエンテーション(たとえば精神分析的心理療法,学習理論に基づく心理療法,認知論的心理療法,来談者中心療法)が異なっていても,モダリティ(言葉,行動,あるいは表現)が異なっていても,改善の程度には違いがなく,どのような改善がみられるかということでも違いがない。効果量の単純な無統制比較では,催眠療法,系統的脱感作,認知療法,認知行動療法が最も効力があることを示唆している。しかしこの優位は,クライエントのタイプと効果測定のタイプを考慮に入れた統制比較を行うと消失する。うつ病や単一恐怖といったような障害を持ったクライエントが治療対象となると,オリエンテーションやモダリティにかかわらず,心理療法が最も効果を発揮した。
3.短期介入と長期介入,個人療法と集団療法,そして熟練心理療法士と未熟心理療法士のいずれかの対比においても,類似した効果量が得られた。
4.次に述べる上記の結論についての信頼性の程度をいさあか低くする。すなわち,心理療法の効果は,一般的には,2年後には低くなってしまう。平均効果量は.50にまで落ち込み,何と数パーセント(約9%)の心理療法では効果が現実的にはネガティブになる。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.131-132
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

解離性同一性障害の分布

 解離性同一性障害の症例の分布は臨床家間で驚くほど偏っており,きわめて少数の臨床家からの報告が解離性同一性障害の症例の大部分を占めることが示されている。たとえば,1992年のスイスの調査では,解離性同一性障害の診断の66%は,わずか0.09%の臨床家によるものであると報告されている。さらに,この調査の回答者の92%はそれまで1度も解離性同一性障害患者を受け持ったことがないと回答する一方で,3名の精神科医は20名以上の解離性同一性障害の患者を受け持ったと回答している(Modestin, 1992)。またロスら(1989)は,国際多重人格・解離研究学会(International Society for the Study of Multiple Personality and Dissociation)の会員は,解離性同一性障害の症例を1度は見たと報告するカナダ精神医学会(Canadian Psychiatric Association)の会員の10倍から11倍もこの症例を診ていると報告している。さらにマイ(Mai, 1995)は,カナダの精神科医の解離性同一性障害の診断数にはかなりの偏りがあり,解離性同一性障害の診断の大部分がごく一部の精神科医から報告されていると指摘した。これらの発見は,ごく一部の精神科医から悪魔儀式による虐待が報告されているというキンら(Quin et al., 1998)の報告に通じるものがある。そして,悪魔儀式による虐待の報告は,解離性同一性障害の診断と密接に関連している(Mulhern, 1991)。
 解離性同一性障害の症例の偏りに関する報告には,複数の解釈が存在している。たとえば,実際に解離性同一性障害の患者もしくはその疑いのある患者が,解離性同一性障害の専門家を訪ねたためであると解釈することもできる。他にも,解離性同一性障害の特徴を見つけ出し引き出すことに,臨床家が特に熟練しているのかもしれない。とはいえ,これらの報告は,ごく一部の臨床家が解離性同一性障害の診断をしたり,患者の症状を創り出したり,もしくはその両方を行なっているというスパノス(1994, 1996)の主張や社会的認知モデルの主張とも一致するのである。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.104
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

解離性同一性障害の問題

 解離性同一性障害の患者に異なる人格が共存しているかどうかという問題は,語義以上の重大な問題を含んでいる。たとえば,法的場面では,交代人格の1人が犯罪にかかわっている際の犯罪責任のあり方や,個々の交代人格に対して法的な存在として独立した権利を与えるかどうかということが問題となる。実際に,ある裁判では,証言前の宣誓をすべての人格に要求したことさえある(Slovenko, 1999)。さらに,もし解離性同一性障害の患者が真に独立して十分に発達した人格を持つならば,解離性同一性障害¥の病因のモデルに対して大きな難問が突きつけられることになる。たとえば,独自の性格特性や態度を持つ完璧な人格がどのようにして形成されるのか。また,数百の交代人格を持つ患者にとって,個々の人格がそれぞれ本当に他の人格から独立しているのか,それとも特定の人格は別の人格の単なる変異体もしくは別の人格の微妙な現われ方の違いだけなのか。このような解決すべき問題が生じてくるのである。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.94
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

MBTIの妥当性

 全体的なパーソナリティの測度として,MBTIは,よく確立された他の職業測度やパーソナリティ測度と関連が認められないと批判されてきた。検査手引きに一連の併存的妥当性データが含まれていることに対する検査開発者の努力は,賞賛に値するものであるが,4つのパーソナリティ指向が,他の測度によって査定された類似の構成概念と関係することを示す一貫した事実に乏しい。発表された研究によれば,MBTIは職業指向と職業業績の測度とほとんど対応しない(たとえばApostal & Marks, 1990; Furnham & Stringfield, 1993)。加えて,全体的なパーソナリティの測度として,MBTIは,最も一般的な人格構造の2つの科学的モデルであるアイゼンクの3因子モデルと5因子モデルのどちらにもあまり一致しない(Furnham, 1996; McCrae & Costa, 1989; Saggino & Kline, 1996; Zumbo & Taylor, 1993; しかしMacDonald et al., 1994を参照)。このようにMBTIは,現代のパーソナリティ測度として不十分と結論できる。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.56
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

MBTIについて

 マイヤーズ・ブリッグズのタイプ指標(MBTI; Myers & McCaulley, 1985)は,ユングのパーソナリティ理論に基づく自己記述式テストである。ユングの理論であるパーソナリティの類型は,パーソナリティ機能の包括的評価で表わされ,4つの基本的パーソナリティを推測する。それらは,対極の連続体構成概念としてMBTIで操作的に定義され,外向—内向(自己の外側を志向するか,内側を志向するか),感覚—直観(知覚による情報に依存するか直観に依存するか),思考—感情(論理的な分析に基づいて判断を下す傾向にあるか,個人的価値に基づいて判断を下す傾向にあるか),判断—知覚(外界とかかわるとき,思考—感情プロセスを使用する志向を有しているか,感覚—直観プロセスを使用する志向を有しているか)から成り立つ。受検者は,これらの4つの次元で得られた得点に基づいて,設定されたカットオフスコアによって得られる16の異なるパーソナリティ類型のどれかのカテゴリーに割り当てられる(たとえば,外向—感覚—思考—判断)。これらの16のカテゴリー使用は,賛否両論を引き起こしてきた。なぜならこれらカテゴリーは,ユング理論ともMBTIから収集されたデータとも一致しないからである(Barbuto, 1997; Garden, 1991; Girelli & Stake, 1993; Pittenger, 1993)。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.54
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

ロールシャッハ検査の増分妥当性は

 ロールシャッハの支持者は,しばしば,ロールシャッハの妥当性を評価する最適な方法は,増分妥当性を調査することであると示唆してきた(たとえばWidiger & Schilling, 1980)。しかしガーブ(1984)は,人口統計や自己記述的パーソナリティデータにロールシャッハデータを追加することは,必ずしもパーソナリティ査定の正確さを高めるものではないと結論づけた。これら研究のいずれも包括システムを使った展望には含まれていないことに注目すべきである。ロールシャッハと自己記述的測定との間の収束的妥当性についての限定的な事実が与えられたので,MMPIのような測定から得られる以上にロールシャッハが重要な臨床データを加える機会を提供すると論じるロールシャッハ支持者もいる(たとえばWeiner, 1993)。しかしこれまでの事実はこの主張を支持していない。アーチャーとゴードン(Archer & Gordon, 1988)は,うつ病と統合失調症の包括システム指標が,MMPIデータに加えられたとき,診断効果をより高める役を果たさなかったことを見出した。同じように,アーチャーとクリシュナマーシー(Archer & Krishnamurthy, 1997)は,うつ病と行為障害の診断において,ロールシャッハ指標がMMPI-A指標の正確性をさらに高めることはなかったと報告した。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.42
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

ロールシャッハ検査の妥当性

 ロールシャッハはパーソナリティと心理機能の検査とみなされているので,同じものを測定する他の測度との間に有意な相関がみられるべきである。しかし興味深いことに,このことは当てはまらない。メタ分析データでは,他の投映法の測度との間に実質的に何の関係もない(重みづけ平均rは.03; Hiller et al., 1999)。ありとあらゆる心理機能の自己記述式の測定を考慮するならば,いくらかよい結果が出るであろう(重みづけ平均rは.28)。同じ構成概念を査定すると称されるロールシャッハスコアと自己記述式指標の間に弱い相関しかないことを指摘する何百という研究がある。ロールシャッハ支持者のなかには,そのような関係性を期待すべきだということを否定するものがいる(たとえばGanellen, 1996; Viglione, 1996, 1999)。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.41
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

妥当性について

 妥当性は,検査が測定する目的のものを測定するかどうかという問題を扱う。標準化され信頼性のある検査は,必ずしも妥当性のあるデータをもたらすわけではない。妥当性とは,検査がその目的に関連のある行動のタイプを抽出すること(内容妥当性),査定する現象に関係する理論的仮説に一致するデータを提供すること(併存妥当性と予測妥当性),他の心理学的現象による影響の混交をほとんど受けない現象の測定を提供すること(判別妥当性)を保証する。応用的状況では,加算的形式の妥当性が考慮されるべきである。すなわちそれは増分妥当性であり,検査からのデータが他のデータから収集される情報以上にわたしたちの知識を増やす程度のことである(Sechrest, 1963)。検査が妥当であるか否かということを云々するのは通常であるが,実際の妥当性ははるかに複雑である。多くの心理検査は大きな構成体をなし,個々の側面を判定するための下位尺度から構成されている。このような状況では,下位尺度のそれぞれの妥当性が確立されなければならないのであり,検査自体の妥当性が云々されるのは,誤りである。さらに,検査は特定のグループのなかで特定の目的のために妥当するように(たとえば,特定の年齢や性別)つくられており,妥当性は常にある変数内で設定されるので,検査や下位尺度の全体的妥当性は存在しない。最後に,検査は多面的な目的で使われるであろうが,それぞれの目的に関する妥当性は,経験的に確立されなければならない。たとえば,心理的苦悩に関する自己記述式検査が診断確定の妥当な指標であるとしても,それが同時に法定で,意思決定能力や児童保護権の申立てを審査する目的で,使われることを支持するわけではない。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.34-35
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

バーナム効果

 このような現象は,サーカスの興行師バーナム(Barnum, P. T.)にちなんで,バーナム効果といわれている(Meehl, 1956)。彼は,かつて「私はすべての人々を引き付けるちょっとしたものを示すように努めている」と言ったといわれる人物である。このようにして,たとえ検査結果がクライエントに関する情報を何も提供していないとしても,クライエントは検査結果が正しいと感じてしまう。つまり,検査結果がバーナムのような内容(ポリアンナ原理に関連している)であったとしても,検査結果が正しいと信じてしまいがちなのである。そして「私に当てはまっています」とクライエントが述べることによって,この症例の概念化や検査結果またその両方に関して妥当性を確認しようとする臨床家は,誤った方向へ導かれてしまうことになるだろう。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.27
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

臨床家のヒューリスティック

 ヒューリスティックのなかで,臨床家が経験から学ぶことを困難にしている原因に最も関連が深いものは,利用可能性ヒューリスティックである。利用可能性ヒューリスティックは判断の誤りにおける記憶の役割を説明してくれる。臨床家が情報を思い出したり誤って思い出したりするために,臨床家が経験から学ぶうえで問題が発生することがある。ケースやクライエントについてすべて詳細に記憶しておくことが困難であったり,不可能ですらあるとすれば,臨床家は,しばしばそれぞれのケースについて選別された情報だけを思い出すことになる。しかしながら,そのようにして思い出された情報は,そのケースを適切に説明するものではないかもしれないし,またそのケースの主要な特徴とは無関係のものかもしれない。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.25-26
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

確証バイアス

 確証バイアスは過信へとつながることがあり,さらに過信が翻って確証バイアスへの信頼性を増加させることがある。オスカンプ(Oskamp, 1965)は,過信と確証方略の複合的な影響に焦点を当てた研究を行なった。オスカンプは,集積データの増加と性格判断の妥当性と判断の正確さに対する確信度の関係について検討した。興味深いことに,臨床家の性格判断に対する確信度は,病歴についての情報が追加されていくに従って高まった。しかし確信度が高まっても,妥当性は概ね同レベルのままであった。つまり,オスカンプの結果は,臨床家が過信により当初の仮説に確証的な情報を重視し,その仮説と一致しない情報については無視したり再解釈したりするということを示している。おそらく,確証的な仮説検証方略と過信の結びつきは,臨床家が患者の有益な情報に注意を払うことを妨げ,不正確な診断が下される一因となっているのだろう。

S.O.リリエンフェルド,S.J.リン,J.M.ロー 厳島行雄・横田正夫・齋藤雅英(訳) (2007). 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房 pp.23
(Lilienfeld, S. O., Lynn, S. J., & Lohr, J. M. (Eds.) (2003). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology. New York: The Guilford Press.)

売れれば文句を言う人も読む

 プロの小説家になれば,自分の作品が評価されることになる。実は最重要の評価指標とは,「どれだけ売れたか」であるけれど,個人による批評が文章で示されるケースも無数に存在している。たとえば,最近はネット書店に素人の書評や採点が表示されている。作家も読者も,人によっては気になる数値かもしれないが,売れる本と評価値はむしろ反比例していることをご存知だろうか。
 僕は自著に対してデータを集計したことがある。すると,売れている本ほど,読者の採点が低くなる傾向があることに気づいた。理屈は簡単である。採点が低いからよく売れるのではなく,よく売れる本ほど,その作品に合わない人へも本が行き渡るから,低い評価を受ける結果になる。逆に,もの凄くマイナで部数の少ない本は,コアなファンだけが買うので評価が高い。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.138-139

自分の弱いところを攻める

 ところで,人間というのは,自分が弱い部位を,相手に向かった時も攻める傾向がある。自分が言われたら腹が立つ言葉を,相手を攻撃するときに使う。その言葉にダメージを与える効果があると感じているからだ。したがって,悪口を言ったり,苛めたりする人間は,自分が悪口を言われたり,苛められたりすることを極度に恐れている。苛める方も,苛められて傷つく方も,この点で共通している。苛められても気にしない人は,人を苛めない。悪口を言わない人間は,悪口を言われても腹が立たないのである。こういう人間の「傾向」というのも,「リアル」な世界を創り上げる基本になるものであり,すべてが現実の観察から導かれる。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.87

最初に叶うことばかり

 作家になる,というイメージは,「自著が書店に並ぶ」「他人が自分の作品を読んでくれる」「印税がもらえる」「ファンレターが届く」など,いろいろあるだろう。これらは,最初の1冊が出るとすぐに実現することばかりである。案外,作家志望の人というのは,「書きたいものが沢山あってしかたがない」というよりは,前記のような憧れの未来像を抱いている場合が多い。「とにかく書きたい衝動が抑えられない」というような人間ならば,本が出ようが,ファンレターが来ようが,無関係なはずだ。どんどん次の作品を書き続けるだろう。書いていれば,しばらくは必ず本になる。書いていれば,スランプに襲われることもない。一方,「作品を書きたい」よりも「作家になりたい」という思いが強い人は,作家になったあと,創作の原動力が弱まることは確実である。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.65-66

本を読むほど暇ではない

 僕は,この業界のことをよく知らなかった。知らないからこそ,一般大衆がどう意識しているかが素直に見えていた。たとえば,その頃には「分厚い小説が売れる」という神話が出版界にあった。分厚いものをみんなが読みたがっている,と編集者は口にしていた。小説が大好きな人ばかりの小さなサークルではその通りだったかもしれない。だが,考えてもみてほしい。世の中には沢山面白いことがあって,普通の人たちはそんなに暇を持て余しているわけではない。小説も読みたいけれど,ドラマも見たいし,美味しいものも食べにいきたい。ショッピングがしたいし,友達と話もしたい。豊かな社会になっても,時間は1日24時間で変わらない。勤務時間は高度成長期に比べれば少なくなったかもしれないが,娯楽の選択肢は爆発的に増えている。僕の経験や,学生たちの話によれば,中学や高校のときには,ある程度本を読んだ。勉強もしなければならないが,本は読めた。それが,大学に入ると新しいことに時間を取られる。また,本が好きな人間でも,就職をするともう通勤電車の中でしか本を読んでいる時間はない。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.50

科学は人間的な過程

 科学は抽象的な知識ではなく,人間による自然の理解である。また,心理に仕える者による自然の探求という理想化されたものではなく,希望やプライド,欲望といった通常の人間の感情や,さらには科学者の特性だと讃えられているさまざまな美徳によって支配されている人間的な過程である。

ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド 牧野賢治(訳) (2006). 背信の科学者たち:論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか 講談社 pp.312

様々な形態がある

 科学者の多くが研究に執心するのは研究が好きなのであって,出世のはしごを登り,科学のスターの座を目指すためではない。科学には単一の社会的組織が存在するのではなく,むしろ理想的で平等な仲間社会から,縦型に組織された論文生産工場まで幅広くさまざまの組織が存在している。一般化するにはまだ不十分ではあるが,明らかな1つのパターンとして捉えることができるのは,欺瞞はそのほとんどがアルサブティやバートのような一匹狼か,あるいはまた,論文生産工場におけるスタッフたちによるものだということである。

ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド 牧野賢治(訳) (2006). 背信の科学者たち:論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか 講談社 pp.299

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