ふつう言葉を提示されると,それを解釈して現実の事実に当てはめて,その言葉が合っているかどうかを判断する。たとえば,もしあなたが誰かに「となりの部屋の中に金塊がある」と言われたら,その部屋の戸を開けて,部屋の中に黄金の山があるかどうか調べるであろう。そして,金塊があれば「その部屋の中に金塊がある」は正しいのであり,金塊がなければ,「その部屋の中に金塊がある」は間違っているのである。
このように,ふつうは言葉より事実のほうが優先される。言葉を事実に合わせるのである。しかしメタファーは逆である。事実より言葉のほうが優先され,事実を言葉に合わせるのである。つまり,メタファーは必ずしも字句どおりに解釈されない。
たとえば,「彼は社長の犬だ」を字句どおりに解釈すれば,この文は間違っていることになる(「彼」が社長のオスの飼い犬を指していれば別だが)。また「彼女の気持ちは,私に伝わって来なかった」も同様であり,この文を字句どおりに解釈すればこの文も間違っていることになる。このように,メタファーを字句どおりに解釈すれば,メタファーはほとんど間違っていることになってしまう。そうすればわれわれの会話が成立しないので,実質的には不可能である。
われわれは「彼は社長の犬だ」と言われたとき,そう言った相手の顔を見て,何を言おうとしているか判断する。つまり,このようなメタファーの意味は,音になった部分だけで解釈されず,音以外の顔の表情等で決まってくる。
月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.87-88
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