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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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バレたときの対処法

 いかさまを暴かれたときの正しい対処法は,当代一の冷静沈着な霊媒,奇跡のメイプルが教えてくれる。一度彼女が闇のなかでトランペットを使って話していたときに,突然明かりがついたことがあった。メイプルもしっかりと目を閉じていたため,そのまま話しつづけた。
 メイプルが目を開けたとき,列席者(このときは1人しかいなかった)が目を丸くして彼女を見つめていた。
 「メイプル」列席者がいった。「あなたはトランペットを通じて話していましたよ」
 まばたき1つせずに,この古狸は平然とこういい放った。「わたしは霊によってコントロールされていました。霊は,エクトプラズムで咽頭を作るのではなく,わたしの身体と声帯を利用していたのです」
 どうだまいったか!
 鉄則は,見つかったと思ったら,なにも認めず,最後までずうずうしく押し通すことである。

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.80
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孤独と秘密

 霊媒はつねに大きな重圧にさらされて生きている。人をだますという仕事の性質上,彼らは社会から切り離された人格である。孤独と秘密だけが霊媒の生きる道だ。ほかの霊媒以外とは親しい友人関係を築くことはできないし,霊媒同士が本当の友人関係を築くことは,たとえあったとしてもごくまれだ。プロ同士の競争心には激しいものがあるからだ。
 霊媒が寄り集まっている唯一の理由は,おたがいの身を守るためである。

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.76

チェスターフィールド

 チェスターフィールドはまさに心霊主義者たちのディズニーランドだった。わたしが最初に参加したそのシーズンには,6万5千人もの巡礼者が文字どおり各地からつめかけた。彼らは亡くなった愛する人たちと交信するために100万ドル以上を払った。
 さらに,巡礼者たちは多種多様な交信方法のなかから自分の好きなものを選ぶことができた。トランペット交霊会,物質化現象,霊視術,自動筆記,物品引寄,心霊写真,それに絹布の上に現われる霊の姿などなど。
 木戸銭もさまざまだった。集団交霊会では,しばしば25人から100人までの列席者を相手にするが,この場合には,わたしは1人あたり最低3ドルから最高10ドルをいただいた。物質化の相場価格は25ドルだったが,とくに現われる霊の数が平均以上だと(わたしの会ではつねにそうだった),列席者たちはそれ以上払ってくれた。

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.70

ささやかな奇跡の演出

 最近テレビを見ていると,ショウビジネス界でひっぱりだこの,ある霊能者が,有名な女性ポップシンガーからなくした指輪を探してほしいと頼まれたときの話をしていた。その霊媒は彼女に,指輪は冷蔵庫の角氷のなかに氷漬けになっていると告げた——そしてどうなったか?たしかに指輪はそこにあったのだ。
 それを聞いてわたしは,自分が演じたささやかな奇跡のことをいくつか思い出した。わたしたちは,心霊パワーの出現を仕掛ける予定の,ある家族に花を届けさせるために,1人の男をやとって,なにか小さな物をくすねて持ってくるようにいいふくめた。男は高価な宗教的メダリオンをポケットに忍びこませた。あとになって,霊がそのメダリオンを持ち主に返し,もち主は心から感謝の気持ちを表した。
 もっとみごとな例で,テレビで霊能者がいっていた出来事にも近いのは,わたしたちがスパイに,花を届けているあいだに小さな物を盗んで,家の中の住人が見つけそうもない場所に隠しておくように指示したときの一件である。スパイはダイヤの夜会用指輪を盗んで,それをリビングの石の暖炉の裏にある隙間に滑りこませた。
 ほどなくして,わたしたちの忠実なファンである指輪の持ち主が,泣きだしそうな声でわたしに電話をかけてきて,自分じとってはかけがえのない物をなくしてしまったと訴えた。霊にそれを見つけだせるだろうか?
 わたしは電話ごしに波長を波動にあわせると,彼女に向かって,いま自分が受けている印象は奇妙に聞こえるかもしれないが,とにかく暖炉の上から裏をのぞいてごらんなさいといった。
 彼女は興奮して電話口に戻ってきて,彼女のすばらしい指導霊たちと,そのちっぽけな下僕であるわたしに,称賛の言葉を並べ立てた。

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.46-47

霊視の秘密

 霊媒稼業をはじめたころに,わたしは自分の霊視の内容を詳しくはっきりとしたものにして,同業の見えない力の使者たちを追い抜こうと心に決めていた。わたしは,社会保障番号から保険証書の番号,はては秘密にしている銀行の口座番号まで霊視したのだ!
 どうやってそういう情報を得ていたのか?
 簡単なことだ。わたしはスリの達人になったのである。
 ほとんどの場合には,普通のスリよりもずっと簡単だった。必要なのは,ラウールかわたしが——それはどちらが交霊会をやってるかによった——真っ暗闇のなかで,トランペットから流れる霊の声に一心不乱に耳をそばだてている最中の女性のハンドバックを盗んで,べつの部屋に持っていき,中身を片っ端から拝見することだけだった。ハンドバックはあとで同じ場所に戻され,交霊会が終わって明かりがついたときには,その女性が疑うようなことはなにもない。

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.44-45

2種類の霊媒

 ところで,私たちは真面目な心霊主義者だったのか?
 そのとおり——すくなくとも半分程度は。じきにわかったことだが,このイカサマ商売では,霊媒は2種類に分かれる。「眠っているタイプ」と「目ざめているタイプ」である。
 「眠っているタイプ」は,素直に霊を信じている人間たちで,感じのいい小柄な老婦人であることが多い(ただし,心霊主義に関わる老婦人がみんな感じがいいわけではない)。このタイプは自分が霊能者で,「霊界からの波動(ヴァイブレイション)」を感じとれると本気で思っている。このタイプは,悪意のかけらもない物腰が業界のイメージアップになるので,業界周辺をうろつくことを許されている。しかし,「眠っているタイプ」がイカサマ商売の仲間にくわえてもらえることはない。
 それに対して,「目ざめているタイプ」の霊媒は,自分たちがイカサマ師であることを知っていて,それを認めている者たちだ——すくなくとも,同業者の秘密サークルのなかでは。
 ラウールとわたしは,仕事をはじめるにあたって,自分たちを「眠っているタイプ」と「目ざめているタイプ」のあいだのどこかに位置づけるべきだった。しかし実際には,わたしたちはこの業界でいう「自分たちだけで目ざめているタイプ」だった。これはつまり,霊媒のなかには完全な偽物もいることは知っている——ただし,どれだけの数が偽物なのかは知らなかった——が,偽物は善意でやっているのであって,誰にも害をおよぼしていないと思っているという意味だ。もしそれで信仰が強まるのなら,それほど悪いものでもあるまい?

M.ラマー・キーン 皆神龍太郎(監修) 村上和久(訳) (2001). サイキック・マフィア 太田出版 pp.28

毎回あがる原因

 まとめてみましょう。「経験を積んでも,毎回あがってしまう」原因は,大きく分けて3つありました。1つは,「自分はあがっているんだ」と思い込んでしまうケース。パフォーマンスに必要な身体的な興奮を「あがり」だと誤解することが原因です。2つ目は,技術が伴わないままパフォーマンスを積み,慣れるのより先に自信を喪失してしまうケース。これは身体的な不安症状ではなく,嫌な考え(認知的不安)の高まりが原因です。3つ目は少数の否定的評価ばかりを気にする,もしくは肯定的な評価をネガティブにとらえてしまうケース。嫌な考えが「あがり」の原因になる点は2つ目のケースと同じですが,この場合は嫌な考えが身体的な症状と結びつき,さらに嫌な考えが高まるという悪循環が問題になります。

有光興記 (2010). 「あがり」は味方にできる メディアファクトリー pp.150-151

応援の効果

 ファンの応援は本当にアドバンテージなのでしょうか。
 アメリカで行なわれた面白い実験があります。大人数の観衆の前でコンピュータゲームを行い,ある条件に従ってプレイヤーと観衆に5ドルの報酬を与えるのです。
 ゲームは難易度の高い設定と低い設定の2つが用意され,プレイヤーは次の4つの条件でゲームを行いました。1つ目はプレイヤーがある基準を達成した場合に,プレイヤーと観衆の両者が報酬を得られる「支持」条件。観衆は当然,プレイヤーを応援します。2つ目はプレイヤーが基準を達成した場合,プレイヤーのみ報酬を得られる「中立」条件。観衆の応援は「支持」条件よりも減ります。3つ目はプレイヤーが基準を達成した場合はプレイヤーが,達成できなかった場合は観衆が報酬を得られる「敵対」条件。観衆のなかにはプレイヤーの足を引っ張ろうとする者が現れます。4つ目は観衆のいない場でゲームを行い,プレイヤーは基準を達成した場合に報酬を得られる「単独」条件です。
 実験の結果,ゲームの難易度が低い設定のときはいずれの条件でもプレイヤーの成績に大きな差はありませんでした。しかし,ゲームの難易度が高いときには,「支持」条件で行ったゲームの成績が最も悪くなりました。つまり,パフォーマンスの難易度が高い場合,観衆のプレイヤーに対する支持(応援)はむしろ,プレッシャーとなってパフォーマンスを低下させたのです。

有光興記 (2010). 「あがり」は味方にできる メディアファクトリー pp.99-100

4つの不安

 人と会話をしているときに浮かんでくる認知的不安は大きく分けて4つあります。1つ目は,自分の欠点を他人に知られ,その人の気分を害する(否定的な評価を受ける)ことを恐れる考えです。具体的には「変な話し方だと思われてないだろうか」「バカにされたらどうしよう」といった不安が挙げられます。
 相手に欠点が伝わってしまう感覚を「自我漏洩感」といいます。たとえば笑顔を作ろうとしたものの,かえって引きつってしまい,無理をしているのが話し相手にばれてしまったと感じたことがないでしょうか。こうした「目つきや顔つきが変で嫌われたかも」という感覚を覚える人は珍しくなく,大学生では約7割が一度は経験するといわれています。しかし,自我漏洩観は対人恐怖症の症状の1つで,症状がひどくなると人と接する場面を避けてしまうようになりますので,生活に支障を来す原因となります。
 認知的不安の2つ目は,対人場面を避けようとする考えです。不安や緊張が高まると,体はその場から逃げる準備をしようと反応します。頭のなかには「面倒だな」「早くこの場から逃れたい」といった考えが浮かんでいるのです。
 3つ目は,会話する相手の気持や評価に関する思考です。「自分のことをどう思っているんだろう」「どうすれば仲よくなれるかな」など,他人からの否定的な評価への恐れから,他人が見る自分の姿に注意が向かっているときに生じます。こうした考えは,社交不安障害など様々な精神疾患と関係していると考えられています。
 4つ目は,「会話をうまくまとめられるだろう」「相手を楽しませよう」など,会話に対する自信からくる肯定的な考えです。認知的不安という言葉のニュアンスとは少々異なる考えですが,「自動的に浮かんでくる思考」の1つとして研究されています。心理療法では,シャイな人が対人場面への不安を取り除く対処法として使用することもある思考です。他人と会うときに,肯定的な考えを繰り返し思い浮かべることで,否定的な考えが浮かぶ隙をなくすのです。

有光興記 (2010). 「あがり」は味方にできる メディアファクトリー pp.54-55

ジェイムズの意見

 ジェイムズは心霊研究についての最後の評論で,この活動に潔白さのようなものを期待するのは不公平かもしれないと述べている。人間の企てというのは,多少なりとも欺瞞が含まれているものだ。ときに曖昧な物言いをするのは——すなわち真と偽,善と悪のあいだの微妙な線上をさまようのは,人間性の一部なのだ。
 「人間の特性は,“誠実か不誠実か”の二者択一をするにはあまりに複雑で,ぴしりと一方には絞れないのである」ジェイムズはそう述べ,偉そうな顔をしている科学でさえ欺瞞と無縁ではないと指摘する。「科学者自身——講演会などでは——実験とは失敗するものだという周知の傾向にしたがうより,いんちきをするものである」
 例としてジェイムズが思い出すのは,おなじみの物理実演だった。外部にどんな力がかかろうと,重心は不動だということを示す装置を使う実演である。ところが,さる同僚がその装置を借りたところ,実演中ずっと重心がぐらついていた。そうですか,ともち主は言ったという。「実を言うと,この機械を使うときは,重心に釘を打ち込んでおいたほうがいいんです」
 装置をこっそり安定させたからといって,重力の法則がなくなるわけではない。それと同じで,職業霊媒がいかさまを行ったからといって,本物の超自然現象の可能性がなくなるわけではない。ことによると,詐術は真実を裏付けるのに役立ってさえいるかもしれない。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.472-473

ティチナーとジェイムズ

 ティチナーとジェイムズは長年アメリカの心理学界を引っぱってきた。どちらもドイツの偉大な実験主義者ヴィルヘルム・ヴントの指導を受け,それぞれの大学に最初の心理学研究室を設けている。
 だが,ティチナーの心理学の考え方はジェイムズのものとはまるでちがった。彼は構造主義理論の提唱者だった。水の分子が水素と酸素で出来ているのと同じように,精神は思考や感情といった構造物でできているという考え方である。ティチナーの見るところ,精神にはテレパシーという構造物も,心霊交信の中枢も,はいる余地がなかった。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.356-357

W.ジェイムズの苦言

 ウィリアム・ジェイムズはそのころ,マイヤーズのような考えのほうが,科学的心理学の専門家が提唱する意見よりも興味深い——少なくとも独創的である——と考えていた。その不満をハーヴァードの学長チャールズ・ウィリアム・エリオットへの手紙にぶちまけ,心理学は若い科学のくせに,退屈で,気がめいるほど新味のない学問分野だと酷評している。
 彼はウィスコンシン大学のジョーゼフ・ジャストロウを例にあげた。ジャストロウは心霊研究に一家言あり,すぐれた実験も行っているものの,「狭量な知性の持ち主で……不愉快なほど偏屈」だ。コーネル大学のエドワード・ティチナーは,いまのところ自分と喧嘩してはいないが,考えに独創性がないし,「オックスフォード出身にもかかわらず,科学的にも文学的にもすこぶる野蛮で,すぐに喧嘩腰に」なる。イェール大学でいちばんと言われる心理学者は浅薄だし,シカゴ大学には有望な心理学者がひとりいるものの,若すぎてこれといった業績がない。
 コロンビア大学のジェイムズ・マキーン・キャッテルについては,人間の知能テストを開発したその業績をジェイムズも認めていた。だが,心霊研究に対するキャッテルの偏狭ぶりには失望した。とりわけ,心霊研究を支持していることをキャッテルに公然と非難されたときは。キャッテルはSPRの活動を,迷信の闇におおわれて見通しのきかない泥沼にたとえていた。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.325-326

フロイトのイギリス雑誌初掲載

 このテーマについて書かれたほかの著作をじっくり読み,裏付けになりそうなものを選び出した。そしてSPRを説得し,ジークムント・フロイトが1895年に発表した論文『ヒステリー研究』を会報に掲載させた。このオーストリア人が潜在意識という考えについて論じていたからである。フロイトの研究論文がイギリスの専門誌にのったのはこれが初めてだった。
 フロイトはまさにこのころから,精神医学の先駆者として名声を確立していく。初めて“精神分析”という用語を使ったのは1896年で,ウィーンで医師として開業して10年目のことである。パリのジャン・シャルコーのもとで催眠術を学んでおり,のちに催眠状態を自由連想法のひとつと呼んでいる。
 SPRによって初めて紹介されたときは,ロンドンに衝撃をもたらすことはなかったものの,その刺激的な理論は徐々に注目を集めていた。マイヤーズは精神作用を見つめるフロイトの革新的な方法がとくに気に入っていた。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.323

ジャストロウの心霊実験

 アメリカの科学者たちもまた,心霊主義者の主張をひとつひとつ突き崩してきた。たとえば,霊感のある人間は磁気信号を検知するなみはずれた能力を力の源にしている,というよく知られた説もそのひとつである。
 調査にあたったのは,ウィスコンシン大学のジョーゼフ・ジャストロウだった。ジャストロウは簡単な実証から始めた。まずダイナモを使って大型の磁石を帯電させ,磁場を発生させる。それから,隣の部屋に座った自称霊能者に,いつ磁場が強くなり,いつ弱くなったかを言わせる。
 最初の実験では驚くほど明確な相関関係が表れ,本当に磁波を“感じ”られる被験者もいるのだろうか,とジャストロウは不安になった。
 だが,しだいに別の可能性に気づきはじめた。彼自身も,ときおりダイナモのうなりと,磁場が消える際の小さなカチッという音を耳にしたのである。そこで,ダイナモと磁石を遮音材でおおってから,何度も実験を繰り返した。ヘンリー・シジウィックばりのねばり強さを見せたのである。
 遮音した磁石と10人の霊媒を使って行なわれた1950回の実験では,すべて否定的な結果が出た。ジャストロウはこう書く。「われわれが実験したかぎりでは,磁場に対する感受性はいっさい明らかにならなかったと結論する」
 これら職業霊媒はなんら特別な才能を持っておらず,最悪の場合は嘘つきの詐欺師であり,最良の場合でも,自己欺瞞を引き起こす心の病の犠牲者である。それが彼の結論だった。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.185-186

麻酔薬

 麻酔による天才のなんとはかないことか。ガーニーは前にも同じ体験をしていた。だからもう一度できるのではないかと思った ——自分の体質を考えれば。彼はときおり激しい神経痛に悩まされていた。鋭い痛みがずきずきと顔面の神経を走るのである。鎮痛のためにクロロホルムを,とくにひどいときはアヘンチンキを,すなわちアヘンとアルコールを混ぜた薬を用いるようになっていた。
 それはなんら隠すべきことがらではなかった。自己投薬は当時の流行だった。医者に処方された薬を,教養人や金持ちがみずから投薬するのである。ウィリアム・ジェイムズも神経痛の治療にクロロホルムを用いており,笑気ガスの吸入にともなう束の間の高揚感について論文を発表したこともある。フレデリック・マイヤーズとリチャード・ホジソンは大麻を試したことがあったが,マイヤーズは眠り込んでしまっただけで,ホジソンはめまいがして,手に負えなくなるのが気に入らなかった。「ぼくの身体は大麻を吸うようにはできていない」
 アヘンチンキは痛みやストレス,憂鬱,月経痛などに広く処方されていた。ヨーロッパの医療研究者はコカインを治療薬として試していた。1884年には,若いオーストリア人精神科医のジークムント・フロイトが,『コカについて』という研究論文を発表して高く評価されていたが,その一部は,彼自身がコカインを興奮剤・抗鬱剤として用いた経験に基づいていた。
 麻酔薬による悟りは,ジェイムズが残念そうに書くように,結局いつもただの錯覚だった——たとえ覚えていたとしても。ジェイムズは一度,笑気ガスの影響下で考えたことを逐一メモしてみた。翌朝見てみると,何ページにもわたって,神,昼,夜,祈りといった単語だけが,くり返し殴り書きしてあった。「正気の読者には意味のないたわごとだが,書いている瞬間は,無限の合理性の炎の中で融合しているのだ」

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.167-168

サイコメトリーの語源

 サイコメトリーという言葉は,1842年にギリシャ語のpsche(魂)とmetron (測定)からつくられた造語である。だが,その概念自体は,はるか昔からさまざまな文化のなかで民話として育まれてきた。何世代にもわたる幽霊話も,元をたどれば,建物は殺人の記憶をとどめられる,恐怖は長年その場所に宿る,と信じられていることからくる。
 たいていの学者は,サイコメトリーなど迷信と同じで議論に値しないと見なしてきた。ところが30年ほど前,ボストンの地質学者が,多少の心霊能力があるという妻とその友人数人を,サイコメトリーの実験にかけてみることにした。実験の方法はきわめて単純で,彼がもっともよく知っているものを使った。岩石を紙に包んでおいて,その中身について話すよう求めたのである。
 ハワイのキラウエア火山の溶岩のかけらは,こんな反応を引き出した。「火の海が崖からなだれ落ちているように見える」氷河擦痕のある石灰岩の小石はこうである。「わたしはどんどん流されていて,上にもまわりにも何かある。きっと水だ。わたしは氷漬けになっている」
 批判者らが指摘するように,実験に用いられた岩石は,被験者が紙の上からさわってみたときに推察できたかもしれない。それに,たとえサイコメトリーというものがあるとしても,無生物がどのようにして人間と交信できるのかは,誰も説明できなかった。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.163-164

ファラデーの心霊実験

 ファラデーは19世紀のすぐれた科学者の典型だった。1808年以来,つねにロンドンの王立研究所で科学を革新しつづけてきた。化学の分野では,塩素を液化してみせ,物質は気体から液体へと変化することを実証した。エンジン燃料の重要成分となるベンゼンの分離にも成功している。これらの業績に加え,1831年には,ダイナモと名づけた発電機と,電動モーターの原型を発明している。さらに簡単な電池を設計し,変圧器を作る実験もした。彼がいなければ,工業はこれほど急速には発展しなかっただろう。
 ファラデーの《タイムズ》紙への投書は,終えたばかりの実験に関するものだったが,それは発明とはなんの関係もない実験,テーブル・トーキングの実験だった。
 この実験用に,ファラデーは2枚の板を用意し,そのあいだにガラスのローラーをいくつか置いて,全体をゴムバンドでとめた。あいだにローラーがあるので,上の板を押すと,下の板の上でするすると動く。上の板に取りつけた器具が,どんな小さな動きも記録する仕組みになっていた。
 そのあとファラデーは参加者をテーブルのまわりに座らせ,上の板のふちに指をのせてもらった。参加者らが自分は身じろぎひとつしなかったと言い張ったにもかかわらず,板は動いていた。だが,そこに神秘はない。霊の力など働いていないのだ。。ファラデーはそう言い切った。
 器具が何度も記録していたとおり,板に触れている人々がそれを押して,ローラーの転がる方向に動かしていたのだ。この実験は,テーブル・トーキングの参加者がみずからの動きに気づいていない場合がよくあることを示していた。ファラデーの言うように,板は無意識の筋肉の震えに反応したのであり,「参加者が不注意に機械的圧力を加えたにすぎな」かった。

デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.39-40

とりつかれた時代

 “霊媒”という用語が普通の言葉になった。“敏感者”という言葉もそうだった。これは幽界,境界領域,霊界,第七天など,死者たちが甦りの機会を待ってさまよう霧の王国からのメッセージに異常に敏感な者のことである。
 プロの霊媒や占い師が新聞に広告を出し,表にかかげ,自宅の客間に客を誘った。《ゾイスト》,《ライト》,《バナー・オブ・ライト》といった,増大する心霊術信奉者のために創刊された新聞には,毎日のように新たな定期購読の申し込みがあった。
 ことに1850年代のアメリカは,何かにとりつかれたようだった。心霊主義新聞の主張によれば,少なくとも二百万の健全な市民が信奉者であり,その数はヨーロッパの1.5倍にのぼるはずだった。その多くが,みずからも死者と話したことがあると信じていた。もちろん,誰もがフォックス姉妹のように,壁の奥から霊を呼び出す才能を持っていたわけではない。だが,新たに大流行している“テーブル傾斜”なら,たいていの人びとが行なえた。
 何人かが集まって1本脚のテーブルを囲んで座り,手をふちのあたりにかまえて,指先がぎりぎり表面に触れるくらいにし,テーブルが質問に答えてガタガタと動くのを見守り,物体を動かす霊の力に思念を集中するのだ。


デボラ・ブラム 鈴木 恵(訳) (2010). 幽霊を捕まえようとした科学者たち 文藝春秋 pp.37-38

自己成就的予言の効果

 おそらく,もっともたちの悪い問題は,こうしたステレオタイプが自己成就的な性格をもつことだろう。もし黒人たちが,教育面で成功しても雇用主がそれを無視することを見て取れば,彼らは(まったく合理的に)ほかの面に努力を向けようと決断するだろうから,黒人の教育水準はさらに下がる。するとやがて,雇用主たちの暗黙の想定(黒人は白人より知的な資質が劣る)は永続的に厳しい現実として反映されてしまうことになる。
 スポーツとなると,人種的偏見の方向が逆転する。そこでは主流の偏見が黒人に有利に働き,白人を排除するようになる。白人は(とくに強さやスピードが関係するスポーツでは)天性がないという偏見のせいで見すごされがちになる。いっぽう,黒人は天性の才があると思われるのでスポーツにはげむようあと押しを受け,さらに練習をしてもっと成績を挙げ,結果としてもとの思いこみを自己成就させることになる。

マシュー・サイド 山形浩生・守岡桜(訳) (2010). 非才!:あなたの子どもを勝者にする成功の科学 柏書房 pp.305-306

機会不平等のせいでは

 では,スポーツにおけるアフリカ系アメリカ人の成功はどう説明すればいいのだろうか。なぜあんなに良い成績を挙げるのだろう。それも短距離にかぎらずほかのスポーツでも?
 ひょっとすると重要な点として指摘すべきなのは,プロスポーツの世界では不釣り合いに多いアフリカ系アメリカ人が,経済的な力をもつ地位では不釣り合いに少ないという点かもしれない。これは,アフリカ系アメリカ人のスポーツにおける成功は遺伝の結果ではなく,機会の不平等のせいかもしれないと示唆している。黒人がプロスポーツに流れるのは,ほかの経済生活では参入障壁があるからだ,ということだ。

マシュー・サイド 山形浩生・守岡桜(訳) (2010). 非才!:あなたの子どもを勝者にする成功の科学 柏書房 pp.

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