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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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法令遵守=思考停止

 法令が身近なところに存在するようになれば,法令に対する姿勢を,手元に置いて使いこなすという方向に転換していかなければなりません。しかし,明治以来日本人が百数十年以上も続けてきた法令に対する「遵守」の姿勢はなかなか変わりません。法令を目にすると,ただただ拝む,ひれ伏す,そのまま守るという姿勢のために,法令を「遵守」することが自己目的化し,なぜそれを守らなければならないのかを考えることをやめてしまうという「思考停止」をもたらしているのです。
 要するに,日本の社会が法令に対してとってきた単純な「遵守」という姿勢は,法令が社会の周辺部分にしか存在しておらず,社会内の問題解決は法令以外の手段で行われていたからこそ,それなりにバランスがとれていたのです。中途半端に社会のアメリカ化が行われたために,法令が社会の中心部にどんどん入り込んできて,どうしても関わり合いを持たざるを得ない存在になってきたのに,法令に対する姿勢が変わっていないために,それを使いこなすことができず,何も考えないまま法令に押しつぶされそうになるという「法令遵守」の弊害が生じてしまっているのです。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.191
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やってみるとそのまま…

 結局のところ,多くの人が「とりあえず裁判員裁判を始めてみて,ダメならやめればよい」という諦めに近い考え方で,流れに身を任せています。
 それは,かつての太平洋戦争開戦時の日本の状況に似ているように私には見えます。当時,客観状況がわかっている人で,日本が超大国アメリカと戦争をして勝てると考える人間はほとんどいなかったでしょう。しかし,開戦前の日本では,それを口にするのははばかられました。そして,日本はアメリカとの戦争に突入。その後,戦局が悪化しても,大本営はそのことを国民にまったく知らせようとはせず,泥沼の敗戦に突き進んでいきました。
 裁判員制度も,一度導入されたら,おそらく同じことが起きるでしょう。これほど,国じゅうで大騒ぎをして導入した制度を根本から見直すことは容易にはできません。それがあり得るとすれば,冤罪や,真犯人が罪を免れる「誤判」が相次いで表面化した場合ですが,裁判の誤りが動かぬ証拠によって客観的に明らかになることは稀です。また,現場の実務が混乱していても,一旦導入してしまった以上,内部から「制度自体に問題がある」とはなかなか言えるものではありません。
 そして重要なことは,裁判員には,裁判員裁判の経過などについて一生守秘義務が課されるということです。裁判員裁判がどのように行われ,どのようにして結論が出されたかを裁判員自身が明らかにすることは禁止され,違反に対しては罰則が設けられています。結局,裁判員裁判の内実が裁判員経験者の口から明らかにされることはなく,司法関係者も内実を暴露できないまま,歪んだ裁判員制度の歴史が積み重ねられ,日本の刑事司法の根幹を蝕んでいくことになりかねません。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.89-91

利益至上主義?

 村上ファンド事件判決の中で印象的なのが,「ファンドなのだから,安ければ買うし,高ければ売るのは当たり前」との村上被告の言葉に対して,「このような徹底した利益至上主義には慄然せざるを得ない」と述べている点です。自己責任によって株式取引をする投資家にとって唯一の判断基準は,「会社の実体に照らして高いか安いか」です。「安ければ買い,高ければ売る」ということ自体は何一つ責められるべきことではないはずです。この判示は,日本の裁判官の感覚が,経済分野の問題について必要とされる最低限の常識から完全にズレていることを示しています。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.67-68

潔癖症の社会

 諸外国の多くでは,当局は,健康被害の危険があると判断したときに初めて回収指示を出し,基準値を超えただけで即回収はしない方針をとっています。マスコミの報道も,そういう考え方を前提にしています。それと比較すると,国際基準とかけ離れた厳しい基準を定め,その基準を上回っただけで公表を求められ,大規模な商品回収という事態に発展し,そして自主回収を行った企業もマスコミから激しいバッシングを受けるという日本の現状は異常としか言いようがありません。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.40

「隠蔽」の意味の拡大

 「隠蔽」というのは,「物事を隠すこと」を意味する言葉です。本来の意味は,何らかの情報が明らかにならないよう,何らかの工作,つまり「隠蔽工作」をするという意味です。ところが,最近の企業不祥事などで使われる「隠蔽」という言葉は,もっと広い意味です。要するに,「企業等が何らかの事実を把握し,公表しなければいけないのに公表しなかった」という,単なる「非公表」という不作為も,「隠蔽」という言葉で非難されるのが,最近の風潮です。

郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.32-33

公益と社益

 ルール作りの話をすると,すぐに「これも闘いの一部だ。自分に有利なルールを作ろう」という人がいるのは,以前にお話ししたとおりです。
 そこで,「ちょっと待ってください。それで勝てるとは限らないし,長い目で見ると大敗する危険性だってあります」と説明すると,今度は「じゃあ,ルール作りだけは公益が主体ですね」になってしまいます。
 私を含め,さまざまな現場におられる方は,そう簡単には割り切れないはずです。公益,つまり社会全体のためにはどのスタンスが良いのか,そのルールなら,わが社にとって成長の糧になる制約になり得るのか,そして,社益を考えると,結局そのルールはわが社に有利なのか,といった要素が頭の中で凄まじい渦を巻く方が自然です。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.185-186

警句

 “自分”のことばかり考えて発言するな
 “業界”のことを優先しすぎるな
 “産業界”の利益ばかり考えるな
 “国益”ばかり目標にするな

 個人としてか,企業を代表してか,業界を代表してか,そして一国を代表してなのか,自分がどんな立場で参画するかで“私”は変わってきます。
 ただし,ことルール作りに関しては,どんな場合であれ“私”を含む全体の利益,つまり,公益を念頭においての参画が必要です。
 さらに言えば,公益と社益が一致してこそ,企業の存在意義もあるわけで,社会全体はどうなろうと,わが社だけは利益を上げるべきだと考える企業に存在意義はありません。結局は自然に淘汰されてしまうのもそんな会社です。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.181-182

全体で繁栄する

 もっと大切な欧州人の気づきは,“喧嘩をしすぎて全体を壊してしまってはどうにもならない”といういわば「人類の英知」ともいうべきものでした。これは戦争という愚をくり返した反省を基礎にした知見でしょう。
 シェア争いで,各メーカーが出血大サービスに走りすぎたあげく,製品の値崩れを起こしお客様に呆られてしまうとか,新興のメーカーに市場をそっくり持っていかれてしまうとか,競合企業が共倒れしてしまうとか,そんなことが日本ではたまにあるのですが,“ケンカ上等”を歴史的規模でやってきた欧州にはまずない現象です。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.92-93

専門の能力

 あるとき,私は日本の自動車ディーラーを見学した米国のビジネスパーソンから,こんな質問を受けたことがあります。
 「優秀なセールスマンは将来どうなるんだい?」
 私はあまり深く考えずに「将来の店長候補だよ」と答えました。
 すると,彼から「そんなバカな話があるか,セールスパーソンの能力と店長の能力はまったく別のものだろう。なんでマネジメントの経験のない社員を店長にするんだ」と反論されてしまいました。
 確かに自動車を売る能力と,ディーラーを経営する能力は別のものです。エンジニアなら分野がはっきりしていて,エンジンの設計屋が内装のデザイナーになることはありません。
 しかし,日本で「文系」と言われる社員は「総合職」という定義の不明確な分類で一括されているので,能力の分類がはなはだ曖昧。この例の場合は販売と経営という技術が混同されています。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.57-58

プリンシプルが苦手

 日本の企業や政府,個人の態度が,原則探しの得意な欧米人から,ときに「わかりにくい」とされるのは,日本人は是々非々や対症療法的な行動が多く,プリンシプルが見出しにくいことに原因があるようです。
 日本の書店に行って,ビジネス書コーナーをながめてみると「誰々の経営」みたいな事例書はたくさん並んでいますが,「何とか理論」といった原則を述べる理論書が意外と少ないことに気がつきませんか。
 変化の大きい現代では,対症療法的なビジネス書が受け入れられやすいし,事例書の方が読み物としては面白いということもありますが,ひょっとすると,事例から原則を抜き出すという帰納的な考え方は,私たちの苦手な分野なのかもしれません。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.36-37

ルールとプリンシプル

 ルール————行動が準拠すべき,または準拠することを要求されるプリンシプル
 プリンシプル————理性や行動の基礎となる,基本的な真理・法律

 つまり,ルールもプリンシプルの1つではありますが,プリンシプルの方がより根源的で,どんな場合にも変わらない真理性を含んでいるのです。
 ルールは「行動に関する規定」,プリンシプルは「行動に関する原則」とか「自分の流儀」と訳したら良いでしょうか。そうであれば,ルールが変わることに大きな問題はありませんが,プリンシプルがコロコロと変わるようでは問題です。
 もう1つ,オックスフォード辞典の“ルール”の定義に「準拠すべき,または準拠することを要求される」という言葉があるように,ルールは考え方の違う人や組織の間に適用されることが想定されているようで,参加した人は守るという“他律的な指向”が強いものです。罰則がある場合もあります。
 これに対し,プリンシプルは,考え方の近い人や組織の中で自然にできていくもので,当事者だけに適用されるという自律的な要素が強く,第三者がこれに従うと賞賛はされますが,当事者も含め,それを守らないからといって罰則はないし,本来,非難できるものでもありません。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.31-32

日本人の美学は

 私たち日本人は,ルールを守ることを行動の美学の1つとして考えるとお話しましたが,ルールを作ることになると,ほとんど意見がありません。あるとすれば,政治家や官僚など,ルールづくりに直接関わる人だけでしょう。
 それは大方の日本人にとって,“ルールは他の誰かが作るもの”であり,立ち居ふるまいの美しさや行動の美学は,“作られたルールの下で最善の努力をすること”にあるからです。

青木高夫 (2009). ずるい!?:なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディズカヴァー・トゥエンティワン pp.28

見ただけで分かるわけではない

 脳構造に基づいて個人の特徴や認知症などの予測がある程度できると言ってきたので,脳を見ただけで何もかもわかってしまうのではないかという不安や期待をかき立てたかもしれない。しかし,そのような予測がどの程度正確なのかということには常に注意を払う必要がある。というのは,新しい研究ではかろうじて統計的な傾向が見られたにすぎない状況も多々あるし,なんらかの特殊な実験状況のみで成立する発見の場合も多いからだ。それは,科学者が仮説を検証したり原理的な可能性を検証する段階では十分だが,現実世界に応用できるレベルまで来ているかどうかを検討するには,予測の精度が問題となる。
 科学ニュースなどで新しい脳科学の発見が一般向けに簡略化される過程では,「なにかができる」という可能性の面ばかりが強調されてしまい,実際の予測の精度や具体的な状況は表からは見えにくい。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.37-38

個人差を見ることで

 個人差を無視した人間一般の脳の研究では,脳に関する知見は増えても,個別の状況の判断は間接的にしかおこなうことができない。一方,認知能力の個人差の原因を脳科学として探ることで,現実世界の問題に脳科学が応用できる大きな可能性が見えてくる。たとえば,記憶のメカニズムを調べるには被験者集団の平均から探ることは有効だが,記憶力の良さの秘密を解明するにはそれは適していない。現実に記憶力を向上させるという目標に向けて脳科学の知見を応用しようとした場合,記憶力が良い人は何が違うのかを直接調べることのほうが,実際にどうしたら記憶力が良くなるかなどの対策を考える上で有効である。
 個人差に基づいた研究のもう1つの魅力は,我々人間にとって素朴な疑問である「自分の脳は他人の脳とどう違い,どのような特徴があるのか」という問いに答えることができるということだ。このような個人差の脳基盤を理解することで,個人の能力や将来の行動のパターンを脳構造から予測することが可能になると考えられる。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.33-34

指の長さの比率と男性性

 胎児のときに性ホルモンであるアンドロゲンを浴びた人ほど,薬指が長くなることが知られている。一方,アンドロゲンを胎児のときに浴びた人ほど,成長の過程でアンドロゲンのひとつであるテストステロンに影響を受けやすく,「男らしい脳」が育つ。「男らしい脳」といっても曖昧だが,広く考えられているのは空間的な認知能力やリスクを進んでとる傾向などである。この発生学上の理由で生じる相関関係から,人差し指と薬指の比率すなわち(人差し指の長さ)÷(薬指の長さ)は2D:4Dと呼ばれ,個人の脳の「男らしさ」と対応していると考えられている。
 ジョン・コーツたちがおこなった最近の研究では,ロンドンのシティ(金融街)で働く先物取引の高頻度トレーダーの2D:4Dを測り,それが取引により得た利益と相関関係があるかを調べた。そして,驚くべきことに,個人のトレーダーとしての実力が指の長さの比率と見事に相関することを見つけ出した。
 たったこれだけのことで個人のトレーダーとしての資質がわかってしまう。このことは,極度の「男脳」を持つことがトレーダーとしての仕事に適していそうだということを示唆している。これが一時のリスクを進んでとる性格の反映にすぎないのであれば,ハイリスクをとった人間が,そのときの市場の状況にうまく後押しされて,偶然大きな利益を上げていただけだという可能性も考えられる。そうであれば,一時的に大きな利益を上げていたとしても長期的にこのような業界で生き延びることは難しい。しかし,実際には人差し指の短い「男脳」のほうが,トレーダーとして長く仕事を続けることもデータによって示された。
 このことから,2D:4Dとトレーダーとしての成功は,単に「男脳」がリスクを進んでとらせるというだけでなく,それ以外の利点もあると考えられる。この研究をおこなったコーツたちは次のように解釈している。2D:4Dが指標となるトレーダーに適した資質というのは,単にリスクをとるという性格だけではなく,常に高いレベルの注意力を維持し,すばやくチャンスに反応するという能力なのではないか。ただし彼らの研究は高度なトレーダーを対象としたもので,一般的なトレーダーすべてに当てはまるとは限らない。投資銀行では顧客とのコミュニケーション能力や,長期的な計画能力など複数の能力が必要となるため単純に2D:4Dですべてがわかるというものではないからである。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.22-24

特性不安と脳機能

 また,個人の性格の違いによって脳の反応の仕方が異なる例も知られている。これまで述べてきたような質問紙による方法で,個人の「不安度」を測ることができる。そのためには,個人の持つ性格としての「特性不安」を測るためにスピルバーガーが作成したSTAIという検査が頻繁に用いられる。特性不安の高い人は,脅威となり得る刺激に非常に敏感である。これは,前頭前野背側外側部(DLPFC)が入力刺激を十分に制御することができていないからではないかと考えられている。この仮説を支持するべく,ソニャ・ビショップの研究は,特性不安の高い人ではDLPFCの活動が脅威刺激に限らず弱まっていることを示した。この発見により,不安を感じやすい性格の人は,課題に応じて関連した対象へ適切に注意を向けるという制御機構に問題を抱えていると思われる。
 この研究はまた,個人の特徴が局所的な脳活動の強さに反映されている例として重要である。一般にfMRIの解析では,個人差というものはノイズにすぎないとして扱われがちだ。それは,fMRI解析が人間一般についての脳活動の平均的パターンを見つけ出すという目的のもとでおこなわれている解析だからである。複雑な社会における脳活動を今後さらに調べていくと,個人の性格や能力の違いで脳活動のパターンも大きく異なってくるような状況は次々に出てくるだろう。そのようなときに,この例のように性格特徴検査などを解析の一部として組み込むことで,脳の各部位のより詳細な理解を得ることができるようになるだろう。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.20-21

衝動性と脳構造

 「衝動性」も個人の行動を特徴づける特性の1つだが,これも脳の構造と相関関係があることが示されている。「衝動性」というのは,簡単にいうと「前もって結果を考えずに,行動を起こしてしまう性格」のことである。衝動性の高い人は意思決定が速いが,そのかわり前もっての計画性がない傾向が認められる。また,注意欠陥・多動性障害(ADHD)とも関係が深いと考えられている。個人の衝動性は,バラット衝動性スケール(BIS)という質問紙に自己評価で答えてもらうことで測ることができるが,BISの得点が高い人ほど眼窩前頭皮質の灰白質が局所的に少ないことがVBM解析によりわかった。眼窩前頭皮質は,行動の抑制時に活動することがそれ以前のfMRIの研究で知られていたが,この部位の灰白質の量が個人の衝動を抑える力と相関しているというのは納得がいく。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.20

社会報酬依存とVBM

 ある人が他人との交流を求める性格かどうか,その度合いが脳の構造にどれほど反映されているかをVBM解析を用いて調べた研究がある。社交性を測る指標はいくつかあるが,これをおこなったマエル・レブレトンらの実験では,クロニンジャーが考案した社会報酬依存性という社交性の指標とそれに対応する脳部位を探索した。この社交性の指標が高い人ほど,両側の下側頭葉と,腹側線条体,眼窩前頭皮質,被殻そして淡蒼球が大きいという相関関係が見つかった。つまり主に脳内の報酬と関わる部位が発達していることがわかったのである。社交的な人は人との交流を通じてより強く心理的な喜びを得ているのかもしれない。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.19-20

VBM解析

 脳の構造の個人差を検出する手法として三次元形態解析のひとつであるVBMという解析方法が用いられる。VBM解析では,脳の構造MRI画像から神経細胞が集中している灰白質をコンピュータ上で分離し,灰白質画像をもとに局所的な灰白質の量を計算する。このような解析により,一見どれも同じように見える個々人の脳の構造MRI画像から,灰白質の微細な量の違いを検出することができる。また,個人の局所的灰白質の量を平均的な脳と比較して,どの部位が多くどの部位が少ないかを視覚化することができる。
 当然ながら,脳の灰白質の局所量は,性別や年齢などに依存した関係がある。一般的に,男性の方が体も頭部も女性より大きいため,脳の容量も相対的に大きな傾向にある。カトリオーナ・グッドたちの論文では,頭蓋骨内の容量のファクターを差し引いた場合,男性と女性の間で局所的に発達している部位のパターンが異なることを明らかにした。この研究では男性では扁桃体,海馬,嗅内皮質,嗅周皮質が大きく,女性では右の中側頭回,眼窩前頭皮質側部,左の海馬傍皮質,右のヘッシェル回,下前頭回両側,右の側頭平面,右の下頭頂小葉,右の帯状皮質,左の上側頭溝が大きい。このような性別に依存した脳構造のパターンから脳を見て男か女かを予測することも可能だ。

金井良太 (2010). 個性のわかる脳科学 岩波書店 pp.10-11

「ワカチコ」の語源

 タイトルについて話し合っていたとき,スタッフが「『仮面舞踏会』ってどうだろう?」と言い,「おぉ,いい!」となった。
 曲のアレンジは当初,アントニオ猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」のような雰囲気だったが,踊るためにイントロに何かほしいと思っていたら,ニシキが「トゥナイヤイヤイヤイティア〜」と歌い始めて,また「おぉ,いい!」となったわけである。僕らはサザンの桑田佳祐さんが大好きであり,その擬音語の影響もあった。
 ちなみに2曲目の「デカメロン伝説」のイントロの「ワカチコ,ワカチコ」は,黒人音楽のドゥーワップ(スキャット)のコーラスのバックで使われているのをニシキがピックアップしたのだ。僕らの大好きなジェームス・ブラウンやマイケル・ジャクソンらの曲からの影響だった。最近,お笑い芸人さんが「ワカチコ」をネタにしている。意味を聞かれるが,いまとなれば説明しづらい。

東山紀之 (2010). カワサキ・キッド 朝日新聞出版 pp.121-122

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