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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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人が集まればどこでも

 「私自身,主婦でネトゲをやっていて言うのもなんですが,あの世界には主婦がすごく多いんですね。特に平日の昼間は主婦だらけです。そして一方には,リアルでうまく人間関係を作れない若い男性も多い。主婦って基本的に世話好きでしょ?オタク系男の相談に乗ってあげたり,親切にしてあげて,慕われる主婦がいるわけです」
 若い男性ゲーマーから慕われると,それを妙に勘違いして,「わたしは誰よりいい女,なんて吹いちゃう主婦がいる」と千鶴は苦笑いする。
 主婦同士が自分の「モテ度」を競ったり,プライドの高さから互いを汚い言葉で罵ったりすることもある。あきらかに勘違いをしていると感じる主婦が,自分のことを棚に上げて別の主婦を「勘違い女」呼ばわりする様子は見苦しいの一言だというのだ。

石川結貴 (2010). ネトゲ廃女 リーダーズノート pp.58-59
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受取拒否も困難

 読者のみなさんも,もうそろそろ議員の無駄遣いの話には辟易としているであろうが,こうした手当の受け取りを拒否して国庫に返還することがなぜできないのかを,ここで説明しておく。
 私がこうした手当の拒否を最初にしたのが,実はこの委員長手当だった。これを「いらない」と言ったら,すかさず国会職員の課長がやってきて,「受け取らないと法律違反になります」と言う。
 「そんなバカな。いらんものを返すと言って何で法律違反になるのか。わけがわからん」と言う私に,課長が「これを見てください」と作ってきた書類を見せる。
 そこには,第1章でも少し触れた「公職選挙法の第199条の2」の条文が書かれていた。
 <公職にある者は,当該選挙区内にある者に対し,いかなる名義をもってするを問わず,寄付をしてはならない>
 手当の受取拒否が,なぜこの条文に違反するのかはわかりにくいが,要は,手当を国庫に返納するのいうのは国への寄附行為にあたり,しかも選挙区は国の一部であるから,国庫返納という行為には選挙区への寄付も含まれている,という理屈だ。
 「ワシの場合は,返還するのとは違うぞ。最初から受け取らんのだから,寄付にはならんだろう」 
 「それは,だめです。同じことです」
 納得できないまま,何度もこんなやり取りを繰り返していたら,最後は衆議院法制局が考えてくれた。
 「委員長手当は委員会を運営するための経費であり,委員長が不要とする場合は支給しない」
 この解釈により,私は委員長手当を受け取らずにすんだが,結局は2ヵ月で委員長をクビになった。
 ただ,それでもこの衆議院からの判断をもらったのは,後に大きな意味をもつことになる。「受け取らないと法律違反になる」と言う者たちに対して前例として提示することができるようになり,ほかの議員が同様に不要な手当や経費の受け取りを拒否する際のよりどころとなっていったのだ。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.88-90

議員宿舎問題はどこに?

 いくら国民の方を向いていても議員仲間にとことん嫌われたら,議員をやってはいけない。日本の政治とはそういう世界だ。
 気心の知れた議員仲間には,「もう意地を張るのはやめて,宿舎に入ったらどうだ?」と言う者もいるが,そんなことをしたら私の政治生命は終わってしまう。それに今では意地でやっているのではなく,下町ライフを満喫している格好だ。
 それでも,そうこうしているうちに事態が変わった。マスコミが,議員宿舎問題をまったく報じなくなっていったのだ。新聞をはじめテレビのワイドショーなど議員宿舎問題を追及していたメディアが,いつの間にかパッタリと報道をやめてしまった。移り気なマスコミの性質が原因かというと,そればかりでもない。これは裏をとった話だが,官邸あたりからマスコミ統制があった。「もういいだろう,そろそろやめてくれ」と各党やマスコミにおふれが回ったのである。
 理由は簡単だ。引っ越してくる議員たちにテレビ局がカメラやマイクを向けるので,さすがの議員たちも寄り付けなかったのだ。07年4月からの入居開始時には4割も空室がり,それを無駄と考えたのであろうが,無駄の意味を履き違えている。
 このおふれの後,多くの議員が赤坂宿舎に引っ越していった。
 当時,私にはテレビ朝日の取材が入っていたが,どういうわけかそれが1週間延期になってそのままボツ。共産党の議員たちが入居したのがその直後だったのでよく覚えている。共産党といえば,「赤旗」で志位(委員長)さんが堂々と議員宿舎への入居はいかんと言っていたのだが……。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.74-75

つきあいは誰でもある

 そもそも議員が毎月支払う議員年金の掛け金は,1958年の国会議員互助年金法の施行時は2700円だった。それがどんどん上がって94年には月10万3000円になった。これを引き合いにだして,「そらみろ,国会議員だって懐を痛めているじゃないか」と居直る議員もいるが,これはペテンだ。
 実は議員年金の掛け金が上がるにつれて,歳費も上がってきたのである。58年当時の月額歳費は9万円だったが,94年時は133万2000円だ。国民のみなさんが厚生年金の掛け金が上がっても,給料は上がらずやりくりしているのとはまったく次元が違う。自分の財布を傷めないこんな年金制度は世界を見渡してもほかに例がない。
 それなのに,ある国会議員などはテレビに出演した時に,「私たちは辞めた後にもいろいろお付き合いがあって,お葬式にもちょくちょく顔を出さないといけないし,議員年金は必要なんです」と恥ずかしげもなく訴えていた。付き合いなんて誰にでもある。なんで議員だけ特別扱いして税金で面倒みないとならないのだ。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.51-52

「世襲」の問題

 そして,世界の中でも日本特有の異常な風習の極めつきが「世襲」だ。何十年も議員をやってようやくリタイアする頃になると,選挙区から支援者まで何から何までを息子や娘に譲り与え,2代,3代と議員を継ぎ,まるで「家業が議員」という形ができあがる。一族全員が何代にもわたって税金で生活しているのだ。
 もちろん,アメリカにもブッシュのような二世議員がいるが,海外の二世議員は自分自身で支援者を募り,寄付金を集めなくてはいけないから,日本の二世議員とは内容が違う。あれだけ民主主義でうるさいアメリカの国民が,「世襲だ!」などと文句を言わないのはそのためだ。
 ここでひとつお断りしておくが,私は世襲のすべてがいけないとは思っていない。何代も続いた旅館の主人を息子が世襲してもいいし,ラーメン屋の息子が店を継いでもいい。それは単に仕事を受け継いだだけだし,そこから修行もするだろうし,本人の努力がいるからだ。
 議員だって「寄付金型議員」で世襲するならばまったく問題がない。どれだけ寄付金を集められるかは本人の努力次第だ。日本の場合は議員が「職業型」であり,単なる「税金の世襲」になってしまっているから問題なのだ。これは断じてあってはならない。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.35-36

どうぞ休んでください

 しかし,そもそもなにがおかしいかというと,議員という仕事をフルタイムジョブと考えて,常勤で働く普通の勤め人並かそれ以上の高級を与えていることがおかしい。くどいようだが,議員は「パブリック・サーバント」だ。議員で儲けようなんて考える者はそもそも議員ではない。朝から晩まで働いてそれで食べていこう,一家を養っていこうという者は,公務員試験を受けて役人になるべきだろう。
 こういう話になると「議員というのは選挙でお金がかかって,大変なんですよ」といかにもお金に困っているようなことを言う者がいる。不思議なことに,議員はみんなそう言う。
 読者の皆さん,もしそんなことを言う議員がいたら,「へえ,そんなに大変だったらお辞めになったらいいのに。無理しないでいいですからお休みになってください」と言ってみてほしい。まあ,そういう議員に限って,石にかじりついてでも絶対辞めないだろうが。

河村たかし (2008). この国は議員にいくら使うのか:高給優遇,特権多数にして「非常勤」の不思議 角川SSコミュニケーションズ pp.30

就労しても出生率は低下しない

 女性就労と出生率の話もまったく同じような構造で,「若い女性が働いている県の方が出生率は高い」という事実を,理由はともかく事実として認めないと,日本経済が死んでしまいます。よく誤解されるのですが,「出生率を上げるために女性就労を促進しろ」と言っているのではないですよ。「内需を拡大するために女性就労を促進しましょう。少なくともその副作用で出生率が下がるということはないですよ」と言っているのです。
 そうはいっても皆様腑に落ちていただかないと仕方ないので,「なぜ若い女性の働く都道府県の方が合計特殊出生率が高い」という相関関係が観察できるのか,理由を推測してお話しします。あくまでも推測でして,証明はできませんが,どれかによって少しでも多くの人が「腑に落ちた」という思いになっていただければ幸いです。
 推測できる理由の第1は,いまどきダブルインカムでないと,子供を3人持つということはなかなか難しいからということです。普通の家庭の収支バランスを考えれば,皆さん簡単にご実感できることではないでしょうか。なぜ子供3人という話が出るのか。人口水準を維持するには2.1程度の出生率が必要ですが,3人以上産んでくださる人が相当数いない限りは当然出生率は2を超えません。ということで,たまたま子供を生むのに特に向いた体質・性格を持った人がいた場合には,経済的な制約にからめとられることなく3人以上産み育てていただける社会構造にしておく方が望ましく,そのためにはダブルインカムのご家庭を増やすことが近道なわけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.233-234

女性を活用せよ

 私は,「外国人労働者は必然だ」と主張する議論を読むたびにいつも思うのです。あなたの目の前に,教育水準が高くて,就職経験が豊富で,能力も高い日本人女性がこれだけいるのに,どうして彼女らを使おうとせずに,先に外国人を連れてこいという発想になるのか。日本人女性が働くだけで,家計所得が増えて,税収が増えて,年金も安定する。そもそも女の人が自分で稼いでお金を持っていただいたほうが,モノも売れるのです。車だって洋服だって日経新聞だって,働く女性が増えれば今以上に売れることは確実です。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.226

政府だけの責任ではない

 であればこそ,です。今世紀前半の日本の企業社会の最大の問題は,自分の周りの環境破壊ではなく内需の崩壊なのですから,エコと同じくらいの,いやそれ以上の関心を持って若者の給与を上げることが企業の目標になっていなくてはおかしい。本当は「エコ」に向けるのと同等,いやそれ以上の関心を,若い世代の給与水準の向上に向けなくてはおかしいのです。「人件費を削ってその分を配当しています」と自慢する企業が存在すること自体が,「環境関連のコストを削ってその分配当しています」と自慢する企業と同じくらい,後々考えれば青臭い,恥ずかしいことなのです。
 そもそも内需縮小は,地球環境問題よりもはるかに重要な足元の問題ですよ。世界的な海面上昇への対処という問題なら,米国や中国に明らかにより多くやるべきことがある。なのに,そういう地球環境問題にはあれほどの関心と対処への賛意を見せる日本人が,どうして若い世代の所得の増大に関心が持てないのか。世界的な需要不足が今の地球経済の大きな問題であるわけですが,こちらはどうみても購買力旺盛な米国や中国のせいではなくて,内需の飽和している日本により大きな責任があると世界中が思っています(今般の経済危機は米国のせいだという人があるかもしれませんが,米国の経済崩壊は,内需不足に苦しむ日本企業が米国人に借金を重ねさせて製品を売りつけ続けた結果であるということも事実です)。これに対処するのって,政府だけの責任なのでしょうか。私は政府よりも企業の方にずっと大きな責任と対処能力が,両方しっかりあると思っているのですが。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.211-212

生産性向上とは

 マイケル・ポーターという有名な経営学者が来日したときに,官庁関係の講演会で話をしました。そこで彼は,生産性向上の成功例として,カリフォルニアワインを挙げたのです。評価の低かった米国産ワインですが,人手をかけ品質を向上させることで,ものによってはフランス産と同等以上のブランドを得ることに成功し,値上げができた。そのことが付加価値額を増やし,これにかかるヒトでの増加をも打ち消して生産性を高めたというわけです。
 私はそのときの講演録を読んだことがあるのですが,質疑応答のところをみると日本側の偉い人からずいぶんとんちんかんな質問が出ていました。その方を含めた聴衆の多くが生産性や付加価値の定義を確認しておらず,「生産性というのは技術革新で人手がかからないようにすることによってのみ,つまり労働力を減らすことによってのみ向上するものだ」と信じ込んでいたために,そもそもハイテクとは程遠いワイン産業が生産性向上の典型例として出てきたことがなぜなのか,理解できていなかった。「人手をかけブランドを上げることでマージンを増やし,付加価値額を増やして生産性を上げた」というポーターの説明が伝わらなかったのです。ポーターにしてみれば,聴衆の中の偉い人までもが生産性の定義を誤解しているとはまさか思わないので,これまた何を聞かれたのかもわからずにトンチンカンな答えを返していました。国内だけに存在する「空気」に染まってモノを考えていると,国外にまったく通用しなくなってしまうという現象が,典型的に露呈した場でした。
 こほどさように,日本では生産性向上といえば人員削減のことであると皆が信じ込んでいます。ところがお気づきでしょうか。生産年齢人口の減少に応じて機会化や効率化を進め,分母である労働者の数を減らしていくと,分子である付加価値もどうしてもある程度は減っていってしまうということを。付加価値の少なからぬ部分は人件費だからです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.150-151

団塊世代の成長と共に

 戦後復興の中で,たまたま数の多い団塊世代が生まれた。彼らが加齢していくのに伴い,そのライフステージに応じてさまざまなものが売れ,そして売れなくなっていく。この単純なストーリーで説明できてしまう,そして予測できてしまうものごとがいかに多いことか。少なくとも「景気循環なるものが永劫回帰のごとく繰り返す」というマクロ経済学の基本形に比べますと,はるかに見事に,「戦後日本」という「国際経済競争市場の特殊解」の消長の理由を説明できます。バブルの発生がなぜ首都圏と大阪圏だけに集中していたのかも,団塊の世代の進学・就職の流れと照らし合わせてみれば完璧に納得してしまう。なぜ当時スキーやテニス合宿,電子ゲームが流行り,その後大きく市場が縮小したのかも,団塊ジュニアが学生だった当時と今を比べればハイティーンの数が4割近くも減っている,ということで説明できる。電子ゲームの市場再拡大は,高齢者にも売れる史上初のゲームである任天堂Wiiの登場まで待たねばならなかったのです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.126-127

出生率ではなく

 「少子化」といえば「出生率の低下」だと思っている人が非常に多いのですが,そうではなくて文字通り子供の減少,つまりは「出生者数の減少」こそが少子化です。そして「出生率の低下」というのは,少子化が起きる2つの原因の1つにすぎません。もう1つの原因が親の数の減少,正確には出産適齢期の女性の数の減少です。こっちは出生率とは違って後でいじることができません。20−40年前の出生者数がそのまま遅れて反映されますから。ちなみに最近の日本で起きているのも,正にこの「親の数の減少」による「出生者数の減少」でして,少々出生率が上がったくらいでは改善は生じません。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.122-123

やはり「絶対数」を見よ

 このように「高齢化」というのは「高齢者の絶対数の激増」のことなのですが,そうではなく高齢化=「高齢化率」の上昇である,というわけのわからない抽象化が世の中では普通に行われています。そもそも高齢者は増えるのか減るのかさえ理解していない人もいますよ。「高齢化率」が上がるのは「少子化」のせいだ(つまり子供の減少で総人口が減っているからだ)と決め付けて,子供さえ増やせば高齢化に対処できると勘違いしている人が。「高齢化率」はどうでもいいから「高齢者の絶対数」が増えていることこそ問題だという,当たり前の認識ができないと,現実への対処は始まりません。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.110-111

「空気」だけが存在

 本来そんなことがあってはならないのです。私が言おうと言うまいとこれは,客観的な,疑いようのない事実だ。行政関係者でも学識経験者でも,いやそれ以上に産業人であれば,日本や首都圏の生産年齢人口をチェックしていない方がおかしいのです。経済的に極めて重要な指標なのですから。でも実に驚くべきことに私の見聞の範囲では,これを自分で確認しておられる人にはほとんど会ったことがない。そして,「地域間格差は拡大の一途だ」だの,「高齢化は地方を蝕む病だ」だの根拠のない「空気」だけが世の中に蔓延しています。なに寝言を言っているのか。高齢者の激増,子供の減少,いずれも首都圏の真ん真ん中で起きている,首都圏住民自身の問題なのです。
 これは首都圏が少し前の過疎地と同じような人口動態に突入したということです。だから,三越と伊勢丹が統合する。車の売れ行きが落ちる。「識者」やマスコミはそれを「嗜好の変化」だという。これだけ年齢構造が変われば,それは嗜好も変化しますよ。昔と今,同じように無作為抽出でアンケート調査をすれば,サンプルの中の現役世代が減って,高齢者が増えているわけで,「これから車を買います」「スーツを買います」という人が減っいて,「もうそろそろ車はいいです」「もうスーツは要りません」という人が増えているのは当然です。逆になぜ首都圏の病院がこうも混んでいるのか,なぜ救急車のたらい回しといった事件が首都圏で増えているのか,こうした現場の実態も,首都圏での高齢者の激増という数字と明確に一致します。現場の事実や数字と一致しないのは,「首都圏は若い」「地方はともかく若者が流入する首都圏は大丈夫だ」という「空気」だけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.100-101

実数を見よ!

 「都市と地方の格差」と言っている人にお聞きしたい。あなたの言う「都市」ってどこのことですか?そもそも「地方」にも福岡とか元気な「都市」はあったわけで,「都市」と「地方」を対立概念にしている時点で言葉の選択を間違っていますが(本当はせめて「大都市圏」と「地方圏」と言うべきでしょう),それはともかく大阪は,あなたの言う「都市」なのか「地方」なのか。人口1700万人の京阪神地区,G8で3番目の巨大都市地域を「地方」だと言うのですか。ちなみに一番が人口3千万人以上の首都圏,2番目が1900万人程度のニューヨークですが。
 でもその大阪の個人所得やモノ消費の動向は,実はどの田舎の都道府県よりも苦しい推移をたどっているのです。05年に個人所得の低下率が47都道府県で一番大きかったのも大阪府でした。「いやあ,大阪は大都市の中の例外だよ」と言う人は,何を根拠にそう片付けるのでしょう。「何が原則で何が例外なのか」,どの程度までが「例外だ」で片付けていい範囲なのか,ということを日頃から詰めて考えておらず,先入観に反する事例を勝手に例外と決めつけているだけではないですか?

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.81-82

どこが都市でどこが地方?

 「都市と地方の格差」と言っている人にお聞きしたい。あなたの言う「都市」ってどこのことですか?そもそも「地方」にも福岡とか元気な「都市」はあったわけで,「都市」と「地方」を対立概念にしている時点で言葉の選択を間違っていますが(本当はせめて「大都市圏」と「地方圏」と言うべきでしょう),それはともかく大阪は,あなたの言う「都市」なのか「地方」なのか。人口1700万人の京阪神地区,G8で3番目の巨大都市地域を「地方」だと言うのですか。ちなみに一番が人口3千万人以上の首都圏,2番目が1900万人程度のニューヨークですが。
 でもその大阪の個人所得やモノ消費の動向は,実はどの田舎の都道府県よりも苦しい推移をたどっているのです。05年に個人所得の低下率が47都道府県で一番大きかったのも大阪府でした。「いやあ,大阪は大都市の中の例外だよ」と言う人は,何を根拠にそう片付けるのでしょう。「何が原則で何が例外なのか」,どの程度までが「例外だ」で片付けていい範囲なのか,ということを日頃から詰めて考えておらず,先入観に反する事例を勝手に例外と決めつけているだけではないですか?

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.81-82

KY=「空気しか読まない」

 ちなみにここでご紹介した小売販売額や課税対象所得額,あるいはこの先で使う国勢調査のような,確固たる全数調査の数字は,現場で見える真実と必ず一致しますし,お互いの傾向に矛盾が出ません。一致しないのは,得体の知れない世の空気だけです。こういう空気というのは,数字を読まない(SY),現場を見ない(GM),空気しか読まない(KY)人たちが,確認もしていない嘘をお互いに言い合って拡大再生産しているものです。本当に問題なKYというのは,「空気読めない」ではなくて,この「空気しか読まない」なのです。先ほどお話しした,日本は中国に対して貿易赤字だと確認もしないで決め付けている向きなども,このKY・SY・GMの典型ですね。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.69-70

日本=「近所の宝石屋」

 習い性と申しましょうか,日本人は自分のことを,「ご近所のブルーカラー」「派遣労働者」だと思い込んでいます。「賃料の安い仕事が得意だったのに,それを周辺の新興国に奪われてジリ貧になっている」と,勝手に自虐の世界にはまり,被害妄想に陥っている。ところが実際は日本は「ご近所の宝石屋」なのです。宝石屋なので,逆にご近所にお金がないと売上が増えません。ご近所が豊かになればなるほど,自分もどんどん儲かる仕組みです。事実この数年,ジリ貧のアメリカ相手の儲けはもう伸びていませんが,ご近所の中・台・韓が成長したおかげで,高い製品もよく売れてたいへん儲けさせていただいた。資源高で潤ったロシアからすら,貿易黒字をいただいているのです。これで他の世界中の途上国もお金持ちになったら,日本はさらにさらに儲かるわけです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.45-46

中国はお得意様

 厳しい国際競争にさらされているこの国なのに,日本はどの国から儲けてどの国に貢いでいるかを確認している人は非常に少ないのです。たとえばとても多くの方が,日中貿易は日本の赤字だと決め付けています。ところが08年の日中の貿易収支は,日本が2.6兆円の黒字でした。07年も日本が2.7兆円の黒字で,不況になってもほとんど変わっていません。ちなみに08年の対米貿易黒字は6.3兆円でしたから,中国もアメリカの4割程度の規模で日本の黒字に貢献しているのです。
 一言注釈すると,この数字は対中国と対香港の合計です。三角貿易とはこのことなのでしょうか,日本の対中輸出は香港経由が多いのに,中国は日本に直接輸出しています。香港を忘れて日本と中国の数字だけ見ると,日本の方が赤字に見えますが,日本の対中赤字よりも対香港の黒字の方がずっと多いのでご注意ください。
 ちなみに02年以前は日本の対中貿易黒字はまだ数千億円程度でした。ところが今世紀の中国の経済成長に伴って,日本が中国から稼ぐ黒字は2兆円を超えるところまでぐんぐん伸びてきたわけです。あいにく世界同時不況で中国経済も打撃を受けましたので,09年の日本の対中貿易黒字は1兆円第ニ落ち込みそうですが,おれは中国経済が不況になったからであって,日本の競争力が落ちたからではありません。彼らが成長軌道に戻る今後は,当面また日本の対中黒字も増えます。
 困ったことに「自虐史観」ならぬ「自虐経済観」とでも申しましょうか,最近国内では,「中国の繁栄は日本の敗北だ」と数字もチェックせずに思い込んで被害妄想になって,声高に「中国は早晩ダメになるぞ」とか,逆に「中国のおかげで日本が没落する」とか騒ぐ向きがあります。「自虐史観を許さない」と威張っているネット右翼の連中が,先頭を切ってそうだったりするので困ります。でも違います。現実には中国が繁栄すればするほど,日本製品が売れて日本が儲かるのです。中国経済がクラッシュすれば,お得意さんを失う日本経済にはそれこそ100年に一度の大打撃です。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.39-41

弱く思わせるメリット

 それはともかく,「日本の国際競争力が落ちている」というこの誤解には,いい面もあります。日本人が勝手に自信喪失して謙虚に振る舞うもので,世界のほとんどのお受験エリートも,日本同様に絶対額ではなく対前年同期比と総合指数だけをチェックしているような方々ですから,日本の製造業がそんなに強力なままであるとは気づきません。86年の円高不況の頃,「日本は脅威だ」と騒ぐアメリカの上院議員が,日本車をぶったたいて壊してパフォーマンスしていましたけれども,今では誰もそんな下品なことはやらないです。彼らも今は,「日本は終わった,今は中国が敵だ」と思い込んでいるわけです。08年の日本の輸出は円高不況の頃の2倍以上に増えていたというのに。
 傲慢になることは避けなければなりませんが,日本の国際競争力を論じるすべての人は,ムードに乗って良い悪いを騒ぐのはやめ,客観的で議論の余地のない絶対数,すなわち輸出額,輸入額,貿易収支の額を冷静に眺め,そこから構造を把握するようにしていただきたい。学者ではなくても誰でもできることですし,むしろ学者などに頼らずに,関係者1人1人が自分で数字を確認すべきなのです。

藻谷浩介 (2010). デフレの正体:経済は「人口の波」で動く 角川書店 pp.34-35

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