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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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よく使えば

 言語の発達に関して指導的な権威であるパトリシア・クールが,おもしろい研究結果を発表している。日本人の成人と子どもが音素を聞き分ける能力を調べるため,彼女はさまざまな音のCDを作って,東京にある言語研究所を訪ねた。テストをする前に,彼女はまずCDを日本人研究者に聞かせた。「rake,rake,rake」という音がヤマハの高級スピーカーから流れ出し,パトリシアと同僚たちはいつ音が変わるのだろうと耳を澄ました。CDの音はやがて「lake,lake,lake」に移行した。しかし日本人研究者たちは全員英語が堪能だったにもかかわらず,まだ期待に満ちて耳を澄ましたままだった。lakeとrakeの音の違いがわからなかったのだ。
 この違いは脳にある。ある言語の音を聞いて育った子どもたちは,その音専用の聴覚野の回路を形成する。ワシントン大学教授であるクールの地元シアトルでは,子どもたちの脳はrとlは別の音だという経験によってできあがっている。では脳はいつ,そのようにつくられるのか?
 クールがテストした生後7ヶ月の日本人の赤ちゃんは,rとlを難なく区別した。だが10か月になると,おとなと同じで聞き分けられなかった。クールがカナダ英語を話す家庭で育った子どもを対象に同じようなテストをしたときも,同じ結果が出た。生後6ヶ月の赤ちゃんは,日常的には聞いたことのないヒンズー語の音の違いを聞き分けることができた。だが12か月になるともう聞き分けられない。6か月から12か月のあいだのどこかで,赤ちゃんの脳には「使わないとすたれる」というシナプス刈り込みのプロセスが始まるのだろうとクールは考えている。聴覚野は,日常聞くことのない音素に対する知覚力をなくす。だから思春期を過ぎてから外国語の勉強を始めた子どもは,めったにネイティブのように話せるようにはならないのだろう。
 ところで,逆もまた真なのである。よく使われる結合は強化され,神経回路の永続的な要素になる。新生児の脳では毎日,何百万もの結合がつくられている。見るもの,聞くもの,感じるもの,味,匂い,すべてが新生児の脳の回路を形成する可能性をもっている。脳の回路は文字どおり経験によってできていく。光景,音,感情,思考が皮質の神経回路に痕跡を残し,その痕跡がある場合とない場合では,未来の光景,音,感情,思考,その他のインプットや精神活動の体験が変化する。幼児の場合,毎日聞いている音素がその音に対応する聴覚野のシナプスを強化するのだろうとクールは考えている。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.125-126
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)
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新生児はすべて聞き取れる

 新生児はフランス語のu,スペイン語のn,英語のthなど,地球上のすべての言葉にある音を聞き分けることができる。ある音が内耳の蝸牛の有毛細胞を刺激すると,音は電気の波動に変わり,これが脳の聴覚野に伝わる。リレー選手がバトンを手渡すように,耳から皮質までの各ニューロンが次々に電気の波動を伝えていく。ある音が何度も繰り返されると,ヘッブがいったようにこれらの神経をつなぐシナプスの結合が強化される。結果として,thを聞くたびにこのニューロンの経路が反応し,やがてその反応が聴覚野のあるニューロンの集積を刺激して,「thという音を聞いた」という主観的な意識になる。こうしてある細胞ネットワークが,新生児がいつも耳にしている特定の言語の,特定の音に反応するようになる。
 もちろん聴覚野のスペースは限られている。ヘッブのいうプロセスによって回路ができあがれば,その回路は決まった音専用になる。いままでのところ,神経科学者はヘッブのいうプロセスが逆転したという事例を知らない。たとえばフィンランド語で育った者がフィンランド語特有の音を聞き分ける能力を失ったという事例は見つかっていない。成人の脳にも可塑性があるという認識が高まってきたので,12歳を超えたら外国語を勉強しても訛なしに話せるようにはならない,という考え方は覆されたが,特別の介入がないかぎり,聴覚野は小見合った郊外住宅の開発のようなものだ。ぎっしりと家が建っていてもう空き地はないから,新しい音にあてる余分の領域はない。


ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.124-125
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

どうすればいい?

 生まれたばかりの視覚システムのニューロンが取り組む課題を考えてみよう。目標は次のような機能的回路をつくり上げることだ。網膜の桿体細胞と錐体細胞からの信号が網膜の介在ニューロンに届き,そこから網膜の神経節細胞に(これが視神経),そこから外側膝状体に達するが,ここで左目からの軸索と右目からの軸索が交差して視交叉をつくる。ここから信号は後頭部の一次視覚野の細胞に送られ,ここで左目からの信号を受け取るニューロンの束は,右目からの信号を受け取るニューロンの束とはべつべつの層をつくる。視覚信号が適切に伝えられるには,目から出た軸索が外側膝状体の正しい場所に達しなければならないし,外側膝状体から出た軸索は聴覚野や感覚野(こっちに先に達する)のシナプスでおしまいにしたいという衝動に抵抗して,はるばると一次視覚野の適切なターゲットまで伸びていかなければならない。しかも網膜で隣り合う細胞は外側膝状体でも隣り合うニューロンに届かなければいけないし,そこから視覚野の隣り合う細胞へと伸びていかなければならない。最終目的は,視覚野で隣り合う数百のニューロンの塊が,赤ちゃんの視野のある小さな部分に反応するニューロンとだけ結合することだからだ。どうすれば,こんなことができるのか?

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.121-122
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

遺伝子では足りない

 遺伝子がコンピュータのシリコン・チップの設計図のように脳のニューロンの結合を決めるというのはもっともらしく聞こえるが,数学的には不可能だ。新ミレニアムの初めに完成に近づいたヒトゲノム・プロジェクトによって,人間には約3万5千個の遺伝子があることがわかった。このうち半分が脳に関与し,神経伝達物質を合成したり受容体をつくったりしているらしい。だが,先にいったとおり,脳には億単位のニューロンがあって兆単位の結合ができている。ひとつの遺伝子がひとつの結合を担当するとすれば,黄色ナメクジの脳程度にもならないうちに遺伝子が足りなくなる。遺伝子の欠陥といってもいい。シナプスが多すぎ,遺伝子が少なすぎるのだ。わたしたちのDNAは,人間の脳の配線図をつくるほど豊富ではない。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.118
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

子供の脳の可塑性

 子どもの脳の柔軟性あるいは可塑性はほとんど奇跡だ。半球を失っても,最悪でも片側の周辺視野や細かい運動機能が損なわれるにとどまる。外科医が左半球をすべて摘出し,言語野とみられている全部を取り去っても,手術が4歳か5歳までに行われれば,子どもは話したり読んだり書いたりすることを学べる。大半の人は脳の左半球が言語をつかさどっているが,子どもの脳はパンチをかわして,言語機能をまるごと反対側の右半球に移し替えることができるらしい。だから,脳が障害を負ってもともと言語野とされる部分の機能を失ったのが2歳になる前であれば,脳の機能が再構成されて,言語野が移動する。4歳から6歳だと,本来の言語野が損なわれれば重度の学習障害が残るが,それまでに学んだ言語は維持できるのがふつうだ。
 6,7歳を過ぎると,脳の進路は決まっているので,言語野が損なわれると思い永続的な言語障害になることがある。成人が言語野である左脳シルヴィウス溝周辺に損傷を受けると,最近のことも理解することもできなくなる。学齢期前の子どもは脳の半分を失っても回復するが,同じ半球のごく小さな部分を損傷したおとなの卒中患者は言葉を失う。幼い子どもの脳は驚くほどの可塑性を有するが,柔軟だった神経は数年もすると融通の利かない頑固者になる。環境が変化しても脳は再構成を拒否するのである。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.104-105
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

説明しきれない

 OCDの治療の成果は,意識的,意志的な心が脳とはべつもので,物質つまりモノとしての脳だけでは説明しつくせないことを物語っている。初めてハードな科学が——PETで造影された代謝活動以上に「ハード」な証拠があるだろうか——「心とはほんとうに物質にすぎないのか?」と問いかける陣営に肩入れしたのだ。
 四段階療法で脳に起こる変化は,意志的,精神的な努力が脳機能を変えうること,そして,このような自発的な脳の変化——神経の可塑性——が本物であることを示す力強い証拠である。
 もう一度,いわせていただきたい。四段階療法は自主的な治療法というだけにとどまらない。同時に,自発的な神経の可塑性への道でもある。
 唯物論の還元論者からは,きっと反対の声があがるだろう。「おまえのいうのは,脳の一部がほかの部分を変えるということだ。脳が脳を変えるのであって,PETで明らかになった変化を説明するのに,心と呼ばれる非物質的な存在を持ち出す必要はない」と。
 だが,唯物論者の説明では,どうしたってここでいっている変化は説明しきれない。OCDに苦しむ人々を訓練するには,自らの意志的な行動の効力を信じる心を揺り動かさなければならない。自分の脳の回路を系統的に変えるためには何をすべきかをOCD患者に説得するには,唯物論の因果関係に立脚した説明だけでは不十分だし,効果があがらない。行動療法(四段階療法もそのひとつ)が効果をあげるためには,意志が何かを生み出すという実感を含め,患者の内的体験の活用が必要不可欠なのだ。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.97-98
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

理解出来ているができない

 だが,OCD[強迫性障害]の場合はそうではない。患者に「わたしの手は汚くはない」と自分に言い聞かせるようにと教えても,患者はそんなことはとっくに知っている。OCDの問題は,手がきれいなのに気づいていないことではない。汚れているという強迫観念がしつこく襲ってきて,ついに根負けして手を洗う,繰り返し洗い続けるしかなくなることが問題なのである。認知の歪みは病気の本質的な部分ではない。患者は今日,戸棚の缶詰を教えなくても今夜母親が恐ろしい事故で死にはしないとわかっている。問題は,わかっていてもそうは感じられないことなのだ。
 認知療法だけではOCDの患者のニーズに応えられないと思ったので,わたしはほかの方法を探した。どんなに激しい強迫観念や衝動も,じつは脳の回路の不調の表れにすぎないのだから,OCDの不快な症状に感情的に反応しないほうがいいと患者に教えれば,治療に役立つのではないか。患者が強迫観念に距離を置けるようになれば,感情的に反応することも,強迫観念を額面どおり受け取ることも少なくなるだろう。そうすれば強迫行為の衝動に圧倒されなくなって,頭では理解してることを実感できるだろう。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.81
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

唯物論=科学

 哲学者の世界はともかく科学の世界では,19世紀に科学的唯物論が高まってデカルト流の二元論ははるか彼方に置き去りにされたように見える。唯物論は知的流行として一世を風靡しただけではない。事実上,科学と同義語になった。生物学から宇宙論の分野まで,科学は科学以前の文化で自然現象にあてはめられてきた非物質的な説明を駆逐したとされる。かつて嵐を呼んだ不思議な力は,気圧と温度の組み合わせにすぎなくなった。電気的現象の背後にひそむゴーストは,粒子の運動であることが明らかになった。唯物論的見方によれば,心とは神経の電気化学的作用以上のものではない。コリン・マッギンは言っている。「これは,自然のプロセスが意識のプロセスを引き起こすからではない。自然のプロセスが意識のプロセスそのものだからである。意識のプロセスは自然のプロセスの一面にすぎないからではなく,むしろ意識には神経の相互作用以外のものがないからである」

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.39-40
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

唯物論の問題

 神経の活動と心の体験を同一視しない方がよさそうだと感じとっていただくためには,オーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンが考えた思考実験をしていただくのがいい。
 まず,色覚異常の神経科学者が色覚の研究をすると想像しよう(ジャクソンはこの神経科学者にメアリと名づけた)。彼女は650ナノメートルの波長の光が被験者の目に入ったときに何が起こるかを細かく調べる。視床の外側膝状体から視放線を通って一次視覚野に入る視覚神経の回路を丹念に跡づけ,次に側頭葉の視覚連合野の関連領域の活動を注意深く記録する。被験者はその結果を報告する。「赤が見えます!」—なるほど,大変けっこう。メアリはその刺激,つまりある波長の光を把握し,この刺激が活性化した脳の回路をていねいに追跡する。
 さて,色覚異常の神経科学者メアリは,赤い色の感じについてほんとうに深く知ったといえるだろうか?たしかにインプットはわかったし,ニューロンの相互作用についても知った。だが調べて知った「赤い色」の知識とでは,劇的かつ質的な違いがあるのではないか?
 知覚の生理的メカニズムを理解するのと知覚を意識的に体験するのとはまったく違うことだと,長々と説明する必要はないだろう。ここでは,意識的な体験とはあることの認識,あることへの関心とかかわり,中枢神経システムの知覚機構から検討のために提示される何かである,としておこう。この意識的な体験,赤の色覚という精神状態がどんなものかは,関連のニューロンの活動をつきとめただけでは表現しきれないし,まして完全な説明にはならない。神経科学者は痛みやうつ,不安と関連するニューロンをつきとめている。だがそれだけでは,そのニューロンの活動のうえにある精神的な体験を十分に説明できていない。ニューロンの状態は精神の状態ではない。心の存在は(これまでわかっているかぎりでは)物質的な脳に依存するが,しかし心は脳ではない。哲学者のコリン・マッギンは言った。「唯物論の問題は,いくら足し合わせても心になりえないものから心を組み立てようとすることだ」

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.32-33
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

唯物論の勝利

 何しろ現在の神経科学者のほとんどは,種々の脳神経の集まりの活動と,一般的にいえばある精神状態との関連さえわかれば,精神活動がどこから生じるかという問題が解決する,と頭から思い込んでいる。うつ状態が前頭皮質と扁桃体を結びつける回路の活動に関係していることが跡づけられれば,それで説明完了というわけだ。記憶の形成と海馬の電気化学的活動とが関連づけられれば,記憶についてはわかったことになる。たしかに,まだなすべきことはたくさんあるだろう。だが最大の謎—心という言葉が表す壮大な現象が,ほんとうに脳だけで説明できるのか—は,まっとうな科学的研究の対象ではない,と大半の研究者が考えている。これこそ唯物論の勝利というしかない。

ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.27
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)

信じない者は

 サイキックを信じない者は,信念とは無縁のむなしい生き方をしているわけでもない。僕は友人と語り合い,笑い合うときの温かい幸福感を信じている。自分の力で何かを解決したときの満足感を信じている。人は自分の未来も,人類の未来も変えられると信じている。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.386

サブリミナルなメッセージ

 霊的な直感とみなされるものの場合も,やはり脳が裏で糸を操っているにすぎないことが研究でわかっている。いわゆる直感とは,精神が第六感で得た情報ではなく,脳がすでに知っていたのに僕たちに教えなかった情報だ。その情報が公開されるのは,僕たちではなく,脳が公開すべきタイミングだと判断したときだけ。人はそうしたほうがいいと感じられるから,予感や直感がするからといって決断を下すことがよくあるが,それは第六感の働きではない。脳が僕たちには意識されないサブリミナルなメッセージを受け取っているのだ。
 ポーカーをしているときがいい例だろう。プレイヤーはちょっとした表情やしぐさで手の内を教えてしまうことがある。ちょっぴりとろい僕たちはそれに気づかないが,脳はしっかり気づく。けれど,脳は気づいたことを教える代わりに胃の中がざわざわするような感覚を起こすだけ。その感覚のおかげで相手の手の内を正しく読み解くと,俺の直感力ってすごい,俺はサイキックに違いないなどと本人は考える。だが実際には,鋭敏なのは脳のほうだ。僕たち人間は鋭敏であることを好まない。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.381

誰が成功する?

 とどまるところを知らないリチャード・ワイズマンは数年前に行った実験で,ある独立系アナリストと,ある金融業界専門の占星術師(名前を明かせば,あのクリスティーン・スキナーだ)と,驚くなかれ,ティアという4歳の女の子に株式投資で資金を増やしてほしいと依頼した。アナリストは経験とスキルを駆使し,クリスティーン・スキナーは星のお告げを読み解き,ちっちゃなティアは好き勝手に銘柄を選んだ。
 大勝利を収めたのはティアだった。3人は5000ポンドの資金を1年にわたって運用したが,ポートフォリオを黒字にしたのはティアだけ。ティアの収益率は5.8%に上ったが,惑星の運行に頼って投資したクリスティーンの収益率はマイナス6.2%,アナリストに至っては情けないことにマイナス46.2%だった。ティアの運用成績はFTSE100種総合株価指数さえも上回った。同指数は実験が行われた1年間に16%下落している。
 この事実を頭に叩き込んで再びヴァイスの本を読みはじめた僕は,衝撃的な1文に出会う。「迷信的行為は時間と労力と金の無駄であり,不確実性に対して効果のない反応を長引かせる」

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.356-357

占星術の学術研究

 デンマークのオルフス大学心理学部のペーテル・ハルトマン研究員らは2006年,専門誌『パーソナリティ・アンド・インディヴィジュアル・ディファレンシズ』で,占星術と個性の関連を調査した非常に大規模な研究の結果を発表した。それによると,いわゆる太陽星座と本人の性格の間には,まったくといっていいほど関係がない。
 オーストラリアでは,元占星術師のジェフリー・ディーンが占星術の科学的妥当性を調べるため,誕生日が同じで生まれた時刻も最大20分しか違わない2000人以上もの人々を追跡調査した。数十年にわたり,配偶者の有無やIQや気質など100項目に及ぶ点を調べた研究の結果は2003年に専門誌『意識研究ジャーナル』で公表された。ディーンが下した結論によれば,誕生日が個人の性格や生き方に影響を与えることはなく,占星術師なら予言するはずの共通点が存在する証拠もなかったという。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.336

占星術の位置づけ

 ベーコンは占星術にも関心を向けるようになり,この手の「学問」の「手順」はところどころ鋭い洞察に基づいているが,調査対象である自然効果を再現する戦略に欠けると語った。簡単に言えば「根拠がない限り,こんなナンセンスは信じるな」ということだ。ベーコンが批判に乗り出して以来,占星術は支配層の寵愛を失いはじめた。「占星術は過去のものになったんです」レベッカのこの言葉が事態を適切に説明している。 
 かつて占星術は宮廷で大きな役割を果たしていた。エリザベス1世は占星術師のジョン・ディーを重用し,結婚相手のバース・チャートを調べさせた——結果は全員「失格」だった——し,ヨーロッパ大陸の王や女王も政治にあたってお抱えの占星術師に助言を求めた。だが1670年までに,イギリスでは占星術師が政治的声明を出して教会や国政に影響を与えることが禁じられた。
 それでも,占星術の意義を裏付ける証拠は存在しないとベーコンが暴いたにもかかわらず,庶民の間では占星術の人気はすたれなかった。18世紀や19世紀には,占星術をもとに1年間の日々の運勢や天気予報を記した生活歴(アルマナック)がばか売れした。現代では,占星術はエリート主義的な教会ではなく民間信仰に基づくニューエイジ的宗教といった位置づけになっている。ベーコンが死去してから,かれこれ400年近く。そろそろ,占星術の力は本物か否か,科学的に証明されてもいいはずだ。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.333-334

事実はどこに

 事実を確認したかった僕は,疑いを抱いた多くの人と同じことを思いつく。情報の専門機関,ヴァージニア州ラングレーにあるCIA本部に聞いてみよう。CIA広報部のマリーは,ケネス・A・クレス博士が執筆した内部資料(僕がすでに目を通したあれだ)の存在を指摘した後,マクモニーグルは米軍から勲功賞を授与されているのだから群に話を聞くべきだと言う。
 世界最高の情報機関に見放された僕は軍にあたってみることにする。国防総省のウェイン・V・ホール広報官にメールを送り,マクモニーグルの勲功賞の感状について問い合わせをする。
 回答はこうだった。「お答えできるのは以下の点のみです。ジョゼフ・W・マクモニーグル二級准尉は20年間の勤務の後,1984年8月31日に退役しております。当該者の主張に関して言えば,極めて一般的な事態ですが,当人の記録に感状の写しは存在しません」
 でも,僕はこの目で感状の内容を読んだ。どこで読んだのかも言える。マクモニーグルの自伝の中だ。勲功賞という大変な栄誉を,当の米軍に知らせずに超能力スパイに与えるなんておかしくないか。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.308-309

彼は誰なのか

 まずは,ジョー・マクモニーグルとはどんな男かを理解しなくてはならない。彼は何者なのか。本物の遠隔透視能力者で,未来を予知することもできるのか。僕は本人に電話をかけてみる。彼は今,ヴァージニア州でインテュイティブ・インテリジェンス・アプリケーションという会社を経営し,自身の遠隔透視能力を使って鉱床の位置を特定したり,株式市場に関する情報を教えたりするサービスを提供している。
 「我々は今も遠隔視の驚異にさらされている」ロシアのスパイがアメリカの機密情報を盗むリスクがあると考えているかという質問に,ジョーはそう答える。「ロシアが遠隔透視能力者を活用していることは紛れもない事実だ。私は彼らの活動拠点を訪れて,彼らと話をしたことがある」
 それなら,それほどの秘密ってわけじゃないんだ。僕は心の中でつぶやく。アメリカで最強の遠隔透視能力者が,ロシア人のライバルの活動をチェックしにくることを許すくらいなんだから。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.303-304

コールドリーディングのやり方

 「やり方は2つだ」彼は言い,僕の超能力が期待に背いたときのためのライフラインとして,コールド・リーディングを伝授してくれる。「多くの人に当てはまるようなごく一般的なことを言うか,ものすごく具体的なことを言うか。大正解を1つ言えば,霊視相手はそれまでの的外れな発言を全部忘れて,奇跡が起きたと思い込む。いちばんいいのは2つのやり方を組み合わせることだね」
 ありがたいことに,彼は具体的な例も教えてくれる。「例えば,廊下で寝ている犬が見えると言ってみる。反応がないなら,犬の写真が見えると言って,それでもだめなら,写真が見える,家族の写真が見えると言う。そのうちどれかが命中するよ」
 ある霊能者が実際に使った,こんな手もあるという。デレンが数年前に撮影したその霊能者は,ある若い女性に死んだ父親のメッセージを伝えていた。彼はこう言った。「お父さまが亡くなったのはそれほど昔ではないですね——数年前ではないかと感じますが,そのとおりですか?(女性が否定する。)ええ,現実にはそうですが,あなたが最近のことのように感じると言い続けていると,お父さまは私に告げています。ずっと前だったことはわかっていますが,あなたは最近のことのように感じているんです」
 霊能者は外れから当たりへスムーズに移行してみせた。なんて賢い。そして女性も,彼はよく当たる霊能者だと考えたのだ。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.293-294

コールドリーディング

 とくに興味をそそられるのはコールド・リーディングについての記述だ。リチャード・ワイズマン教授は否定的だったが,デレン・ブラウンはコールド・リーディングの力を信じて活用しまくる。著書には,ある番組で「フォアの実験」を再現したときのことが書いてある。1948年に,心理学者のバートラム・フォアが学生を対象に実施した実験に倣い,デレンは20代の若者5人からなる3つのグループ——それぞれイギリス,アメリカ,スペイン出身の若者で構成されている——を相手に「霊視」による性格分析を行った。各グループのうち1人は超能力に対して懐疑的で,残りの4人はどちらかと言えば肯定的だった。デレンは彼らに誕生日を尋ね,手の輪郭を描いたスケッチと身につけるものなどの所有物を渡すよう頼み,その後できわめて詳細な分析結果を書いた紙を渡した。
 デレンの「霊視」結果を読んだ後,若者たちはその正確さを100点満点で採点する。彼らのなかで最も懐疑的な意見を持つ若者は40点をつけたが,ある女性はあまりに正確な内容にショックを受け,自分の日記を盗み読みしたとデレンを非難した。個人的すぎる情報が書かれていたため,カメラの前で話すことを拒否した者も2人いた。残りの若者も驚いた。曖昧なことしか書かれていないだろうと予想していたのに,中身はとても具体的で個人的だった。大半が90点台の評価を下し,なかには99点をつけた女性もいた。
 採点が終わった後,デレンは結果を書いた紙を回収し,混ぜ合わせてからもう一度配り,どれが誰の結果かわかるかと聞いた。そのとき,若者たちはだまされていたことに気づいた。15枚の紙には,まったく同じ文章が書いてあったのだ。人は誰でも,とりわけアイデンティティが確立していない20代には,同じ悩みや不安を持つ。そうした仮定に基づいて作成された文章だった。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.290-291

科学的であること

 僕は,2004年12月のスマトラ島沖地震の際に起きた出来事について質問する。あのとき,迫りくる津波を事前に察知して野生動物とともに高台へ避難した先住民族がいたが,報告を受けた科学者はその理由をなかなか説明できなかった。この出来事は人間に第六感があることを証明してはいないだろうか。そう尋ねながら,僕は否定の言葉を浴びせられるのを覚悟する。
 「ぜひその件について証拠を調べてみたい。興味深い話かもしれない。もしそれが事実なら,さらに調査を重ねて本当の理由を特定しなければならない」
 ドーキンスの度量の大きさは驚きだ。彼は厳密なやり方で科学的研究が行われることだけを求めている。この考えには,誰も異論を唱えることはできないだろう。
 「津波が迫ったとき,野生動物は丘をめざすという証拠,第六感の確たる証拠を発見した者は名声を手にするだろう。素晴らしいことだと思う」ドーキンスは言う。
 僕の耳は確かか?あのリチャード・ドーキンスが,超能力の証拠が見つかったら素晴らしいと言った。これはものすごいスクープだ。
 いずれにしても,自分なりの実験が終わった今,僕は証拠を評価しなければならない。実験前に立てた仮説はこうだった。ドーキンスは理性的にあらざるものはすべて退け,心霊主義的な意見はどんなものも即座に叩きつぶす。だが実験の結果は,その仮説を支持していない。ドーキンスは予想よりずっとオープンな心の持ち主で,どうみても威嚇的でも攻撃的でもない。彼がサイキックに望んでいるのは,その能力の証拠を示すことだけ。彼らにそれができれば,目に見えない力を信じることは理性的だと公言することが許される。彼らの特殊な能力は人生のガイドとして役立ちうると主張することも許される。証拠さえあれば,ドーキンスは必ずや「改宗」するだろう。

ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.235-236

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