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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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幸福感と貧困

 世界的に見て,人間の幸せの最大の障害といえば,何よりも貧困である。幸福度調査の結果を信じるかぎり,幸福な国はたいてい金持ちである。たとえば,世界178か国中,アメリカは23位,イギリスは41位だが,インドは128位と下位に沈んでいる。最近に国ごとの調査が行われた結果では,金持ちのほうが幸福である傾向にあって,アメリカで「非常に幸福である」と回答したのは,年収25万ドル以上の世帯では約90パーセントだったが,年収3万ドル未満の世帯ではたったの42パーセントだった。ニューヨーク・タイムズ紙が2009年にニューヨーク市民を対象に調査したところ,幸福だと回答する人が多かったのは市内でも指折りの豊かな地区で,偶然ではないが,カフェ,市民センター,劇場など,人と交流できる場所が充実していた。それほど幸福ではない人が多かったのは,建物が廃墟化し,ごみの山が放置され,失業率が市内でもっとも高いことで知られるブロンクス地区だった。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.249
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ポジティブシンキングと政治的抑圧

 ポジティブ・シンキングについては,アメリカ独特の無邪気な考え方だと思われがちだが,アメリカ独特だとはいえないし,無邪気などという可愛らしいものでもない。アメリカとは大きく異なる環境でも,ポジティブ・シンキングはさまざまな国で政治的抑圧の道具になっている。われわれは,独裁者は恐怖を用いて支配すると考えがちである—秘密警察の恐怖,拷問の恐怖,強制収容所の恐怖。だが,無慈悲きわまりない独裁政権のなかには,楽観的に考え,快活にふるまうことを国民に要求するところもある。1979年の革命によって失脚することになるイラン国王の政権下での日々を記したリュザルド・カプチンスキーの『シャーのなかのシャー[原題 Shah of Shahs]』に紹介された話で,ある翻訳家が「いまや悲哀の時代,闇夜の時代である」という扇動的な一節の含まれた詩をどうにか出版にこぎつける。その詩が検閲を通過したことで,翻訳家は「意気盛んだった」。「どんな作品も,楽観的な考えや,活気や,微笑みを誘うものでなければならないこの国で,とつぜんに『悲哀の時代』だ!驚きではないか?」

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.244-245

「実行しがたく,金がかかる」

 大衆的ポジティブ・シンキングと同じく,ポジティブ心理学も,自分の気のもちようを調整することで可能になる内面の変化だけを扱うものである。セリグマン自身,社会の変化をあからさまに拒絶し,幸福かどうかの決定に「環境」がどんな役割をするかについて,こう記している。「環境のよいところは,幸福をいっそうよいものにする場合がある点だ。悪いところは,環境を変えることは実行しがたく,金がかかる点である」。とはいえ,こういう主張—「実行しがたく,金がかかる」—は,奴隷制度の廃止から男女の給与平等まで,さまざまな改革にいわれてきたことなのだ。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.208-209

ポジティブ感情と免疫力向上?

 ポジティブな自己解釈をするもう1つの例は,スーザン・セガーストロームの場合である。彼女はケンタッキー大学の教授で,ポジティブ心理学の「聖杯」かもしれない研究によって,2002年にテンプルトン賞を受賞している。その研究とは,ポジティブな感情と免疫系との関連の可能性に関するものだ。免疫系は,がんの治療には明らかな役割をもたないが,風邪などの感染症の克服にはたしかに重要である。しかし,ポジティブな感情と免疫系とが関連しているかどうかについては別の問題だ。マーティン・セリグマンは関連していると主張し,「幸せな人」は「それほど幸せではない人よりも免疫系がよく機能する」と書いた。セガーストロームは,1998年の論文で,おもな免疫細胞レベルから判断すれば,楽観主義は免疫力の向上に関係していると報告した。だが,その3年後に発表した別の論文では,「矛盾する発見があり」,ある環境のもとでは,楽観的な人は悲観的な人よりも「免疫力が劣る」としている。
 しかし,その研究に関する彼女の談話を掲載した新聞を読んでも,彼女の結論が否定的であること,あるいは,少なくとも「肯定的だとはいえない」ことは,わからないだろう。2002年のニューヨーク・デイリーニューズ紙のインタビューで,彼女は,楽観主義の健康への有益性は「かなり大きい」とし,「たいてい楽観主義者のほうが感情をうまく調整できる」だけでなく,「楽観主義者のほとんどは病気に対する免疫反応がより強い」と語っている。私は,2007年にセガーストロームに電話インタビューをした。そのときの彼女の言い分によれば,メディアなどに圧力をかけられてネガティブな結論を封じたわけではないという。だが,受賞歴のことを話題にしたとき,彼女はこういった。「テンプルトン賞の受賞には……ヌル・リザルトでは何ももらえませんよ」

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.201-202

ポジティブ心理学への批判

 心理学者からも,ポジティブ心理学への批判の声が上がっている。歯に衣着せない意見を述べているのが,ボードイン・カレッジの教授のバーバラ・ヘルドだ。彼女は,黒髪を長く伸ばした人目を引く女性で,ユーモアのセンスにあふれ,『笑うのをやめて,不平不満をあげつらおう』[原題 Stop Smiling, Start Kvetching]という不敵な題名の自己啓発本の著者でもある。彼女は,2003年にポジティブ心理学国際サミットにパネリストとして招かれたとき,笑ってる顔にバツ印のついたイラストのTシャツを着てあらわれ,セリグマンとディーナーにも同じものを着るように勧めたのだ。そんな彼女がとりわけ問題だと考えている点の1つに,ポジティブ心理学が「ポジティブな妄想」を幸福と安寧を得る手段として認めていることがある。「ポジティブ心理学の務めは,楽観的になりなさい,スピリチュアルになりなさい,親切に,快活になりなさいなどと人びとに命じることではない。むしろ,こういう資質の(おそらくは現実性をそれほど犠牲にせず,健康,成功に対して)もたらす結果について論じることなのだ」。彼女のいうように,「あらゆるタイプのポジティブ心理学者は,この学問が厳密な科学であることをやっきになって宣伝している」。ならば,彼らはどうして「現実と客観」とを捨て去るようなまねをするのだろう?彼女の主張では,ポジティブ心理学者のなかには,「認識のダブルスタンダード」を採用し,客観的で,偏向のない科学をうたいながら,日常への「美観への偏向」を是認している者がいるという。


バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.193

ニューソートとジェイムズ

 長い目で見れば,クインビーのニューソートに基づく治療法をとりこんだ人物としてもっとも影響力が大きかったのは,メアリー・ベーカー・エディではなく,アメリカ人初の心理学者で,紛れもなく科学畑の人間であるウィリアム・ジェイムズである。さまざまな体の不調をかかえていた彼は,クインビーの元患者で弟子だったアネッタ・ドレッサーに頼った。おそらくドレッサーは治療に成功したのだろう。というのも,ジェイムズの有名な著書『宗教的経験の諸相』に,ニューソートに基づく治療法のことが熱っぽく語られているのだ。「目の見えない人は見えるようになり,足のなえた人は歩けるようになった。生まれつき病弱な人は健康になっている」。ニューソートの理論がめちゃめちゃであっても,ジェイムズにはどうでもよかった。とにかく,効果があったのだ。彼にいわせれば,アメリカ人が「唯一,独自に編み出した」という「系統立った人生哲学」すなわちニューソートが,哲学的議論などではなく「現実的治療」によって確立されたことで,アメリカ的プラグマティズムの素晴らしさが実証されたわけだった。ニューソートは,実践のうえで大勝利を収めていた。じっさいに病気を治していたのだ—カルヴァン主義のもたらす病気,あるいは,ジェイムズの言葉を借りれば,「地獄の責め苦を振りかざす古い神学理論」にともなう「疾病」を。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.106

コーチングと神秘的思考

 コーチングに携わる人びとは神秘的なパワーに引きつけられる。それはどうしてだろう?そう,それ以外に伝授できることがないからだ。「キャリアコーチ」の場合,履歴書の書き方や簡潔で容を得た自己アピールの仕方を教えはしても,そういうこと以外には,確固たる技能をもって提供できるものがない。「キャリアコーチ」も,槍投げの距離を伸ばしたり,コンピュータの技能を磨いたり,大人数をかかえる部署内で情報を管理したりする役には立たない。彼らにできるのは,個人の態度や考え方に働きかけることだけだ。だからこそ,自分の態度をどうにかすれば成功が保証されるなどという抽象的な考え方を拠りどころにする。成功をつかめなくとも,また,それまでと変わらず金欠状態におちいっていたり,先の見えない仕事に縛られていたりしても,それはコーチではなく本人のせいである。自分の努力が足りないのだから,もっと一生懸命にやる必要があるというわけなのだ。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.78

コーチングのはじまり

 スポーツ選手ではなくとも「コーチング」を必要とするという概念は,1980年代に生まれた。当時の企業は,社員を集め,じっさいのスポーツコーチに講演をしてもらっていた。販売業務,管理業務を手がける社員のなかには学生時代にスポーツを経験した人が多く,講演かがグラウンドでの決定的瞬間にたとえて話を進めると,すぐに士気が上がったのだ。1980年代後半,スポーツコーチをしていた元カーレーサーのジョン・ウィットモアは,コーチングをグラウンドからオフィスにもちこんだ。目的とするところは,着席したままで達成できるものも含めた,いわゆる「パフォーマンス」の向上だった。かつて「コンサルタント」を名乗っていた人びとも「コーチ」を自称するようになって,企業のホワイトカラー労働者をはじめとする一般人に,「勝者の」態度,あるいはポジティブな態度を植えつける商売に乗り出した。彼らは,既存のスポーツ分野のコーチングからいくつもの要素をとりいれた。その1つに,勝利を収める場面,あるいは少なくとも,自分の能力をいかんなく発揮する場面を,試合の前に思い描いておくことがあった。そして現在,バーンをはじめとする面々が,自分の望みの結果を視覚化するように訴えているわけである。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.76-77

笑顔あふれる世界への引きこもり

 心のパワーがほんとうに「無限」であるならば,自分の人生からネガティブな人を追い払う必要すらないではないか。たとえば,相手の行動をポジティブにとらえることもできる。彼は私のためを思って批判するのだとか,彼女は私への好意に気づいてもらえないから不機嫌なのだとか。ネガティブな人やニュースを排除するなどして環境を変えるべきだとアドバイスするのは,われわれの願望にまったく影響を受けない「現実世界」が存在すると認識しているからこそである。この恐ろしい事実に直面しても「ポジティブな」反応をしようとするならば,自分で慎重に作りあげた,いつでも賛同され肯定される世界,晴れやかなニュースと人びとの笑顔のあふれる世界に引きこもるしかない。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.73-74

ネガティブな人とは付き合うな

 そんなわけで,ポジティブにふるまえば成功に至るという主帳は自己充足的になっている—少なくとも,ポジティブにふるまわなければ,たとえば自分の雇用者や,同じ宗派の信者にすら拒絶されるなど,はなはだしい失態につながりうるという意味において,ポジティブ・シンキングの導師は「ネガティブな」人とはつきあわないようアドバイスすることで警告を発している。にっこり笑い,愛想よくし,流れに身を任せなさい—さもないと村八分にされてしまいますよ,と。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.70

最初のポジティブ・シンキング本

 ポジティブにふるまう方法を記した最初の本は,1936年に出版され,いまだに売れつづけているデール・カーネギーの名著,『人を動かす』である。カーネギー—もともとはカーナギーといったが,実業家のアンドリュー・カーネギーにあやかって改名したようだ—は,じっさいに幸せな「気持ち」でいるかどうかはともかく,成功しているようにふるまえば,人を動かすことができるとした。「にっこり笑う気持ちになれなければ,どうすればいいだろう。2通りの方法がある。1つ,無理やり笑うこと。周囲に人がいなければ,無理やり口笛を吹いたり,鼻歌をうたったり,声を出してうたったりしてみることだ」。「無理やり」ポジティブにふるまうのもいいが,そうできるよう自分を訓練してもいい。「電話オペレーターに訓練をほどこし,関心や熱意をこめて話すよう教えこむ企業はたくさんある」。オペレーターは熱意をもっていなくともいい。ただ,声の調子に熱意をあらわせばいいのだ。『人を動かす』によれば,最大の成功は,誠実さを装えるようになることである。「人間関係に関するさまざまな法則と同じく,関心を示すときには誠実にそうするべきである」。では,誠実さを「示す」にはどうすればいいのだろう?この本には説明されていないが,俳優としての技量がある程度必要になるのは間違いない。1980年代,社会学者のアーリー・ホックシールドの有名な研究によって,客室乗務員はつねに明るい接客態度を要求されるため,ストレスを感じ,感情をすり減らしてしまうとわかった。「彼らは,自分の感情がよくわからなくなるのです」と,私がインタビューしたときに,ホックシールド自身が話している。

バーバラ・エーレンライク 中島由華(訳) (2010). ポジティブ病の国,アメリカ 河出書房新社 pp.65-66

組織力 vs. 身体能力

 新聞記事のなかで「組織力」と対立する概念は「身体能力」だ。新聞はそれを「アフリカ特有」のものだと,しつこいほどに書く。山本のいうように「高い身体能力」という言葉が「文明化されていない身体」という意味をもっているとすれば,ここにあるのは「身体=アフリカ=未開」と「精神=ヨーロッパ=文明」という二分法的な思考回路だ。
 この境界線を前にして,新聞は無意識のうちに,日本人を「精神=ヨーロッパ=文明」の側に置きたがっているのではないか。
 そのとき顔をのぞかせるのが,日本人論でも喧伝されてきた「日本人は持ち前の組織力でここまで国を発展させてきた」という国民の物語だ。歴史や記憶に裏打ちされているかのようにみえるこの言い方が,サッカー代表チームのプレースタイルの描写にまで影響を及ぼしている可能性がある。

森田浩之 (2007). スポーツニュースは恐い:刷り込まれる<日本人> 日本放送出版協会 pp.170

物語好きなスポーツニュース

 スポーツニュースは「物語」が大好きだ。主人公はその日に活躍した選手,つまり文字どおり「ヒーロー」である。
 しかしスポーツニュースは物語を語りはじめると,事実関係の記述がおろそかになったり,論理に飛躍がみられたりする。まさに,起こったことよりも「起こったことがどう理解されるべきか」を伝えている証拠である。裏を返せば,記事の事実関係があやしくなってきたら,それはナラティブに入ったしるしであり,社会的価値観が投影されようとしているサインとみることができる。

森田浩之 (2007). スポーツニュースは恐い:刷り込まれる<日本人> 日本放送出版協会 pp.56-57

「日本人らしく」してほしい

 日本人選手が海外でプレーすることはすっかり当たり前になったけれど,スポーツニュースは彼らに「日本人らしく」いてほしいと思っているようだ。日本人は海外に出ると苦労するぞ,やっぱり暮らすのは日本がいちばんだ,という目線はぶれることがない。
 気持ちはわからなくもない。しかし時代のキーワードは,とりあえず「グルーバル化」である。人もモノもカルチャーも軽々と国境を越え,ときにはどこかで入り交じり,無国籍,多国籍なものが生まれつづけているご時勢に「やっぱり日本がいちばん」というメンタリティーでいいのかとも思える。

森田浩之 (2007). スポーツニュースは恐い:刷り込まれる<日本人> 日本放送出版協会 pp.89-90

「ママさん選手」

 女子選手の私生活に目を光らせるスポーツニュースは,彼女たちが結婚しているかどうかに特別な関心を寄せる。女子選手が結婚すると「ミセス」「奥さま」とうれしそうに呼び,出産でもしようものなら,すぐに「ママさん選手」と呼びはじめる。
 これも女子選手だけに向けられる偏ったまなざしだ。「パパさん選手」と呼ばれる男子選手はひとりもいない。

森田浩之 (2007). スポーツニュースは恐い:刷り込まれる<日本人> 日本放送出版協会 pp.28

可能性の排除は楽なこと

 従来の考え方に閉じこもり,ほかの可能性を排除するのは,信じがたいほど楽なものです。周りには,踏みならされた道にとどまり,塗り絵の線の内側にだけ色をつけ,自分と同じ方向に歩くよう促す人たちが大勢います。これは,彼らにとってもあなたにとっても快適です。彼らにとっては自分の選択が正しかったことになり,あなたにとっては簡単に真似できる秘訣が手に入るのですから。けれども,こうしたやり方は,人をがんじがらめにします。

ティナ・シーリング 高遠裕子(訳) (2010). 20歳のときに知っておきたかったこと:スタンフォード大学 集中講義 阪急コミュニケーションズ pp.206

期待以上のことをするという決意

 光り輝くとは,いつでも期待以上のことをすると決意することです。裏返せば,期待される最低限のことしかしないのは,その機会を自分で台無しにしていることになります。学校の訓示みたいだと思われるかもしれませんが,これは真実です。逃した機会を足し合わせると,大赤字になります。おなじ100ドルを,利回りが5パーセントと105パーセントの商品に投資した場合の違いを想像してみて下さい。時を追うごとに,その差は大きくなります。これが人生に起きていることなのです。自分が投資したことは,自分に返ってきます。そして,日々,その結果が蓄積されているのです。

ティナ・シーリング 高遠裕子(訳) (2010). 20歳のときに知っておきたかったこと:スタンフォード大学 集中講義 阪急コミュニケーションズ pp.192

キャリアは振り返ると筋が通っている

 後からみると,ほとんどの出来事や発見は,焦点が合ったように明確になります。自分のキャリアは,フロントガラスではなくバックミラーで見ると辻褄が合っている,とランディ・コミサーは言っています。この見方は,たいていの人にあてはまります。自分のキャリア・パスは,振り返ってみると,ちゃんと筋道が通っているのです。でも,将来の道はぼやけていて,不確実なことの連続です。視界が開けないとイライラしてきます。それでも,大きなチャンスが巡ってくる確率を上げるように行動することはできるのです。

ティナ・シーリング 高遠裕子(訳) (2010). 20歳のときに知っておきたかったこと:スタンフォード大学 集中講義 阪急コミュニケーションズ pp.131

能力と市場と仕事

 情熱を傾けられるものがあり,能力もあるけれど,それを活かす市場がない,という場合があるかもしれません。たとえば絵がうまくて描くのが好きだとか,サーフィンのボードづくりが好きで波乗りが得意だとしても,こうした才能を活かす市場は小さいのが実情です。自分が夢中になれることを仕事にしようとすると,欲求不満に陥るのは目に見えています。仕事にするのではなく,すばらしい趣味だと考えた方が賢明でしょう。
 逆に、能力があり,それを活かせる市場が大きいのであれば,その分野で仕事を探すべきだと言えます。たとえば,実績のある会計士なら,財務諸表を作成できる人間のポジションはつねにあります。世の中のほとんどの人は,こうして生活しています。自分のスキルを使える仕事があるけれど,早く家に帰って,自分が好きなこと——趣味に没頭したいと思っています。週末や休暇を指折り数えて待っています。あるいは引退の日を待っているかもしれません。

ティナ・シーリング 高遠裕子(訳) (2010). 20歳のときに知っておきたかったこと:スタンフォード大学 集中講義 阪急コミュニケーションズ pp.120-121

リスクを選んで取る

 何か新しいことに挑戦しようとするなら,積極的にリスクを取る姿勢が必要です。ただし,リスクは取るか取らないかの二者択一ではありません。心地いいリスクもあれば,不愉快なリスクもあるはずです。自分にとって心地よいものは,危険性を割り引いてリスクだとすら感じないのに,不愉快なものは必要以上に警戒する可能性もあります。たとえば,スキーで斜面を急滑降するとかスカイダイビングが好きな人は,こうした活動をリスクが高いとは思いません。もしそうだとすれば,身体的に大きなリスクを取っているという事実が見えていないのです。わたしのように身体的なリスクを取りたくない人間は,スキーに行っても山小屋でホットチョコレートを飲み,飛行機に乗れば座席ベルトをしっかり締めて座っています。逆に,大勢の前でスピーチをするといった社会的なリスクを取るのが平気な人もいます。わたしはそのタイプで,リスクだとは思っていません。でも,嬉々としてスカイダイビングに興じても,パーティで乾杯の音頭をとるなどもってのほか,という人もいるのです。

ティナ・シーリング 高遠裕子(訳) (2010). 20歳のときに知っておきたかったこと:スタンフォード大学 集中講義 阪急コミュニケーションズ pp.114

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