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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ホメオパスの副作用は

 残念ながら,ホメオパシーには思いがけない危険な副作用がありうる。それは,直接的にどれかのレメディによって引き起こされる副作用ではなく,医師の代わりにホメオパスが医療についてアドバイスを与えることによる,いわば間接的な副作用だ。
 たとえばホメオパスの多くは予防接種に対して否定的なので,ふだんからホメオパスにかかっている親では,子どもに予防接種を受けさせないことが多くなるかもしれない。その問題姓を評価するために,エクセター大学のエツァート・エルンストとカーチャ・シュミットは,イギリス国内のホメオパスについて興味深い調査を行った。2人はインターネット上の職業別広告から電子メールのアドレスを得て,168人のホメオパスに電子メールを送った。そのメールでは1歳児の母親を装い,はしか,おたふく風邪,ふうしんの予防注射(MMR)を受けさせたものかどうかと相談した。2002年のこの時点では,MMRをめぐる科学上の論争はすでに終結しており,科学的根拠は明らかにワクチン接種を支持していた。104名のホメオパスがメールに返事をくれたが,調査の監督にあたった倫理委員会は,電子メールの背景にある真の目的をホメオパスに情報として与えたうえで,調査に参加したくなければ回答を撤回する機会を与えるよう求めた。案の定,27名のホメオパスが,それと知って回答を撤回した。残る77名のうち,予防接種を受けるよう母親にアドバイスしたのはたった2名(3パーセント)だった。もちろん,調査から降りた27名のホメオパスの回答は,発表もされず評価もされていないが,彼らの回答を平均すれば,より否定的だったと考えるのは妥当だろう。ホメオパスの圧倒的多数は,予防接種を受けることは勧めないのである。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 p.241
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カイロプラクティックと脳卒中

 2本の動脈はそれぞれ,一番上の椎骨の構造に従って鋭くカーブしたのち,脳に達して酸素を供給する。ここで動脈をカーブすること自体は,まったく自然で何も問題はないのだが,首を引っ張りながら曲げるという動きが,極端に大きく,あるいは突然に引き起こされると問題が生じる。そしてそれこそが,カイロプラクターの治療に特徴的な,高速小振幅スラストのマニピュレーションによって引き起こされる動きなのだ。力がかかった結果,いわゆる椎骨解離が起こる——つまり動脈内部の血管壁が剥がれる。椎骨解離は,4通りの方法で血流に影響を及ぼす。第1に,損傷を受けた部分に血の塊ができて,動脈の流れを徐々に妨げる。第2に,やがて血の塊がその部分から剥がれて脳に運び込まれ,椎骨とは遠く離れた場所で動脈の血流を妨げる。第3に,動脈の内側の層と外側の層のあいだに血流が溜まり,そこがふくらんで血流量が減少する。第4に,損傷が原因となって,動脈が痙攣を起こすことがある。つまり血管が収縮して,血液が流れにくくなるのだ。これら4つの場合のすべてにおいて,椎骨解離は最終的に脳の一部への血流量を減らす。そして脳卒中が起こる。最悪の場合には,脳卒中によって脳が回復不能な損傷を受けたり,死に至ったりすることもある。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.227-228

ミルクが先か紅茶が先か

 20世紀のイギリスで,臨床試験の利用に先駆的な役割を果たしたサー・ロン・フィッシャーが,臨床試験の簡便さとその威力を見せつける例としてよく持ちだしたのが,次のような思い出話だった。ケンブリッジ大学にいた当時,彼は理想的なお茶の淹れ方はいかにあるべきかという論争に巻き込まれた。ひとりの女性が,ミルクをあらかじめカップに入れておき,そこにお茶を注ぐべきであって,お茶にミルクを注げば味が落ちてしまうと言い張ったが,同じテーブルにいた科学者たちは,そんなことで味に違いは生じないと言った。そこでフィッシャーはすぐにひとつの試験を提案した——お茶にミルクを注いだときと,ミルクにお茶を注いだときとで,味をくらべてみようではないかと。
 さっそく,お茶にミルクを注いだものと,ミルクにお茶を注いだものが数カップずつ用意されて,その女性にどっちがどっちか当ててもらうことになった。ミルクティーは完全に秘密裏に用意され,見た目もまったく同じだった。ところがその女性は,お茶にミルクを注いだものと,ミルクにお茶を注いだものとを,正しく判別したのだ。こうして,味はたしかに違うということ——この女性が正しく,科学者たちは間違っていたことが示された。実際,この2つの作り方でミルクティーの味が変わるのには,立派な科学的根拠がある。お茶にミルクを注ぐと味が落ちるのだが,それはミルクの温度が急激に上がりすぎて,ミルクに含まれるタンパク質が変質してしまうからだ(変質したタンパク質は酸味を帯びる)。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.194-195

ホメオパシーへのマスコミの役割

 さらに一般の人びとは,ホメオパシーを不当なほど好意的に扱うニュース番組に乗せられてしまう。近年,もっともあからさまにホメオパシーに好意的だった報道のひとつに,ブリストル・ホメオパシー病院で行われ,2005年に結果が発表された研究に取材したテレビ番組がある。ブリストル・ホメオパシー病院は,6500人の患者に対し,6年間にわたって追跡調査を行った結果として。慢性病をもつ人の70パーセントは,ホメオパシーによる治療を受けたのち,健康状態が改善したと言っていると述べた。この番組を見た一般の人びとにしてみれば,これは驚くほど肯定的な結果だろう。しかしこの研究では対照群が用いられていないため,ホメオパシーの治療を受けなくても改善したかどうかは知りようがなかった。症状が改善したという患者が70パーセントにのぼるというが,その数字の背景には,自然治癒したケースや,インタビュアーの期待に応えたいという患者側の心理や,プラセボ効果や,その患者が受けていたかもしれないホメオパシー以外の治療の効果など,さまざまな要因があったことだろう。ブリストル・ホメオパシー病院の研究にはあまり意味がないと指摘する批判的な人も多かった。たとえばサイエンス・ライターのティマンドラ・ハークネスはこう述べた。「それはちょうど,チーズだけを食べさせれば子どもの身長が伸びるという仮説を立て,子どもたち全員にチーズばかり食べさせて,1年後に身長を測ってこう言うようなものだ。『ほらごらん!全員の身長が伸びたではないか,チーズが効く証拠だ!』」

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 p.183-184

動物へのホメオパシー薬の効果

 人間に対するホメオパシーの臨床試験を見ていくに先だち,動物に対するホメオパシーの効果を調べたランダム化プラセボ対照対象比較試験がいくつかあるので,まずそれを見ておくことにしよう。動物については大規模な研究がいくつか行われているが,結論をまとめると,ホメオパシーは動物にはまったく効果がない。たとえば2003年には,スウェーデンの国立獣医学研究所で,仔牛の下痢の治療に関して,《ポドフィルム》というホメオパシー・レメディに対する二重盲検化臨床試験が行なわれたが,ホメオパシーの有効性を支持する科学的根拠は得られなかった。もっと最近では,ケンブリッジ大学の研究グループが,雌牛の乳房炎の治療に関して,250頭の雌牛に対しホメオパシーの二重盲検化プラセボ対照比較試験を行った。乳房炎が改善したかどうかを客観的に調べるために,乳に含まれる白血球が数えられたが,結論を言えば,ホメオパシーにはプラセボ以上の効果はないことが示された。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 p.170

ホメオパシーの希釈の理不尽さ

 たとえばホメオパシーでは,30Cはごく普通の希釈だが,これははじめの母液が100倍に希釈されるプロセスが,30回繰り返されるということだ。つまり母液は,1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000倍に希釈される。この程度のゼロが並ぶぐらいは大したことはないと思われるかもしれないが,問題は,1グラムの母液にはたかだか1,000,000,000,000,000,000,000,000個ほどの分子しか含まれていないということだ。ゼロの数からわかるように,希釈の程度は,母液中に含まれる分子数よりも著しく大きい。これほど薄まった溶液には,もはや十分な数の分子は含まれていない。極端に希釈された溶液には,はじめの母液に含まれていた分子は1個も含まれていないと考えられるのだ。実際,30Cレメディに有効成分の分子が1個含まれている確率は,10億分の1の10億分の1の10億分の1の10億分の1である。換言すれば,30Cホメオパシー・レメディは,ほぼ確実にただの水だということになる。前ページには,これを模式的に示した。このことからもわかるように,ハーブ療法の薬剤と,ホメオパシー・レメディとはまったく別のものである。ハーブ療法の薬剤には,ある程度の有効成分が必ず含まれているのに対し,ホメオパシーのレメディには,有効成分と言えるものは何も含まれていないと考えてよい。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 p.131

中身のない治療法

 プラセボ効果に大きく頼った治療法は,早い話が中身はなく,メスマーの磁化水やパーキンスのトラクターに通じる。鍼は,患者が信じなければ効果がないので,もしも最新の研究結果が広く知れわたるようになれば,鍼を信じる気持ちがなくなり,プラセボ効果がほとんど消えてしまう患者も出てくるだろう。そうなっては困るから,鍼がまとっている神秘的な雰囲気が消えないよう,そしてその威力が失われないよう,みんなで共謀して事実に口をつぐみ,患者がこれからも鍼の効果を得られるようにすべきだ,と主張する人もいるかもしれない。一方,患者に間違った考えをもたせておくことは根本的に誤りであり,プラセボ治療を行うことは倫理にもとると考える人もいるだろう。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.119-120

発表バイアス

 発表バイアスとはどういうものかを説明するに先だち,それは必ずしも故意に詐欺を働いたということではないという点を力説しておかなければならない。なぜなら,ある結果を出さなければと,知らず知らずのうちにプレッシャーを受けているせいで発表バイアスがかかるような状況は,容易に想像できるからだ。鍼の臨床試験で,鍼には効果があるという肯定的な結果を出した中国人研究者がいるとしよう。鍼は中国にとって大きな威信の源だから,その研究者は胸を張って,すぐさまその結果を専門誌に発表するだろう。その研究のおかげで昇進するかもしれない。ところがその1年後に別の臨床試験を行ったところ,今度は,鍼には効果がないという,その研究者にとっては明らかに残念な結果になった。重要なのは,この第2の研究結果は,さまざまな理由から,発表されずに終わる可能性があるということだ。その研究者は,すぐに結果を発表しなければとまでは思わないかもしれない。また,その臨床試験は失敗だったのだと自分に言い聞かせようとするかもしれないし,こんな結果を出しては,同僚たちをがっかりさせてしまうと思うかもしれない。理由はどうであれ,最終的にその研究者は,第1の臨床試験で得られた肯定的な結果だけを発表し,第2の臨床試験で得られた否定的な結果は引き出しにしまい込んでしまう。これが発表バイアスだ。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 p.100

ランダム化プラセボ対照二重盲検試験

 1 対照群と治療群とが比較されること。
 2 どちらの群にも,十分に多くの患者が含まれること。
 3 群への割り振りは,ランダムに行われること。
 4 対照群には偽薬を与えること。
 5 対照群と治療群とを同じ条件下に置くこと。
 6 患者には,自分がどちらの群に属しているかわからないようにすること(患者に目隠しをする)。
 7 医師が患者に施す治療が,本物か偽物か,医師も知らないようにすること(医師に目隠しをする)。

 以上の条件をすべて満たすものは,ランダム化プラセボ対照二重盲検試験と呼ばれ,医療に関して考えられるかぎりもっとも信頼できる臨床試験とみなされている。今日多くの国々で新しい治療法の認可に責任をもつ組織は,この方法で行われた研究結果にもとづいて判断を下すのが普通だ。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.92-93

自然で伝統的で全体論的

 人びとが代替医療に心惹かれるきっかけは,多くの代替医療の基礎となっている3つの中心原理であることが多い。代替医療は「自然(ナチュラル)」で,「伝統的(トラディショナル)」で,「全体論(ホリスティック)」な医療へのアプローチだといわれる。代替医療を擁護する人たちは,代替医療を選択する大きな理由としてこれら3つの中心原理を繰り返し挙げるが,実は良くできたマーケティング戦略にすぎないことが容易に示される。代替医療の3つの中心原理は,誰もが陥りやすい罠なのだ。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.285

最年少の論文掲載者

 実は,人間のエネルギー場なるものは作り話にすぎないということを示す証拠ならたくさんある。1996年にはコロラド在住のエミリー・ローザという科学者が,セラピューティック・タッチを調べるために,21名のヒーラーの能力を検証してみることにした。彼女が行った実験は,1枚のスクリーンに2つの穴を開けておき,ヒーラーに両手を入れてもらうという簡単なものだった。そうしておいて,ローザはコインを投げて左右を決め,ヒーラーの右または左の手のすぐ近くに自分の手を置いた。ヒーラーは,エミリー・ローザのエネルギー場を感じ取り,ローザの手がどちら側にあるかを答えなければならない。21人のヒーラーに対して,合計280回の試行が行われた。当初ヒーラーたちは,科学者の手がどちら側にあるかを感じることに自信をもっていた。偶然だけでも50パーセントの正答率になるはずだが,実際にやってみると,セラピューティック・タッチのヒーラーたちの正答率はたった44パーセントだった。この実験で示されたのは,エネルギー場はおそらくヒーラーたちの空想のなかにしか存在しないということだ。
 この実験を行ったとき,エミリーはわずか9歳の少女だった。もともとエミリーが通っている学校の「サイエンス・フェスティバル」のために計画された実験だったが,彼女はその2年後に,看護師である母親の助けを借りながら結果を論文にまとめ,名望ある『米国医学会誌』に発表した。エミリーはこれをもって,査読の手続きを踏む医学専門誌に研究論文を発表した,(本書の著者たちの知るかぎり)最年少の人物となった。当然,「セラピューティック・タッチを精査する」と題したエミリーの論文におもしろくない思いをした人たちもいた。この治療法の原理を打ち立てたドロレス・クリーガーは,「実験の計画および方法論に問題がある」としてエミリーの研究を批判した。しかし,実験はごくシンプルだし,彼女が引き出した結論はほとんど間違いようもないほど明快だ。さらに言えば,彼女の得た結論を覆すような実験を考えついた者は,今に至るまでひとりもいない。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.284

プラセボ効果が大きくなる時

 プラセボ効果は,条件付け説と期待説のどちらか一方,またはその両方と結びついているのかもしれない。あるいは,未知の重要なメカニズムが存在する可能性もあるし,既知のメカニズムではあっても,十分に解明されていないものがあるかもしれない。科学者たちは,プラセボ効果の科学的基礎はまだ解明していないが,ヘイガースの初期の仕事にもとづいて,プラセボ効果をできるだけ大きくするにはどうすればよいかは突き止めた。たとえば,患者に薬を投与するときは,錠剤よりも注射のほうがプラセボ効果は大きく,患者が薬を飲むときには,一錠よりも二錠のほうがプラセボ効果が大きい。さらに驚いたことに,不安を和らげるためには,錠剤が緑色のときにプラセボ効果は最大になり,抑鬱を改善するためには,錠剤が黄色いときに最大になる。また,錠剤をもらう相手は,白衣を着た医師のときにプラセボ効果は最大になり,Tシャツを着た医師からもらうとこの効果は小さくなり,看護師からもらえばいっそう小さくなる。大きな錠剤は小さな錠剤よりもプラセボ効果が大きい——ただし,非常に小さい錠剤はそのかぎりではない。また,予想されるように,高級感のある箱に入った錠剤のほうが,質素な箱に入った錠剤よりもプラセボ効果が大きいことがわかっている。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.87-88

パブロフの業績

 プラセボ効果はときに劇的なものになるため,科学者たちは,実際どういうメカニズムで患者の健康に影響が出るのかを明らかにしようと努めてきた。一説によれば,プラセボ効果は,イワン・パブロフにちなんで「パブロフ反応」と呼ばれる無意識の《条件付け》と関係があるという。パブロフは1890年代に,犬はエサを見てよだれを垂らすだけでなく,いつもエサをくれる人を見ただけでもよだれを垂らすことに気づいた。そこで彼は,エサを見てよだれを垂らすのは自然な反応(無条件の反応)だが,エサをくれる人を見ただけでよだれを垂らすのは,不自然な反応(条件づけられた反応)であり,犬がエサをくれる人物と,エサがもらえることとを結びつけなければ起こらないと考えた。そしてパブロフは,犬にエサを与える前にベルを鳴らすなどすれば,条件付けられた反応を引き起こせるという仮説を立てた。実際にやってみると,条件付けられた犬は,ベルを鳴らしただけでよだれを垂らすようになったのだ。これがいかに重要な発見だったかは,パブロフがこの仕事により,1904年のノーベル医学・生理学賞を受賞したことからもわかるだろう。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.85

引用者注:パブロフが条件づけの研究でノーベル賞を受賞したというのは誤りである。パブロフは「消化腺」の研究でノーベル賞を受賞しており,条件づけの研究の多くは受賞後に行われたはず。

冷たくて難しくて威嚇的

 しかし,医療の主流派の外部にいる人たちは,《科学的根拠にもとづく医療》というアプローチを,冷たくて難しげで威嚇的だと感じるようだ。もしもあなたが多少ともそう感じているなら,《臨床試験》と《科学的根拠にもとづく医療》が登場する以前の世界が,どのようなものだったかを思い出してみよう。医師たちは,何百万という人びとの血を流させることでどれほどの害をなしているかに——ジョージ・ワシントンをはじめ多くの患者を死に至らしめていることに——気づいてすらいなかった。しかし医師たちは愚かだったわけでも,邪悪だったわけでもない。彼らには,臨床試験が盛んに行われるようになって得られた知識がなかっただけなのだ。
 たとえばベンジャミン・ラッシュを思い出そう。ラッシュは精力的に瀉血を行い,ワシントンが死んだまさにその日に,名誉毀損の裁判に勝訴した人物だ。彼は聡明で,高い教育を受け,思いやりもあった。依存症は治療すべき病気であることを明らかにし,アルコール依存症になれば飲酒をやめられなくなることにも気づいた。また,女性の権利のために声を上げ,奴隷制廃絶のために戦い,死刑反対の運動をした。だが,知性があり,立派な人柄だというだけでは,何百人という患者を失血死させ,学生たちに瀉血を奨励するのをやめることはでいなかったのだ。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.41-42

原因と結果の取り違え

 壊血病の問題を解決するには,水夫の食事内容を変えるのが一番簡単だったはずだが,当時,科学者たちはまだビタミンCを発見していなかったので,壊血病を予防するには加工していない果物を食べることが大事だとは知らなかった。その代わりに医師たちは,さまざまな治療法を提案した。もちろん,瀉血は定石とされていたし,水銀剤,塩水,酢,硫酸,塩酸,モーゼル・ワインなどを使う方法が試みられた。そのほかにも,患者を首まで砂に埋めるという治療法があったが,太平洋のまんなかでは,その手も使えなかった一番ひねった治療法は,重労働を課すというものだろう。なぜなら医師たちの見るところ,壊血病はなまけ者がかかる病気だったからだ。もちろん医師たちは,原因と結果を取り違えていた——水夫をなまけ者にしたのは壊血病であって,なまけ者だから壊血病にかかりやすいわけではなかったのだから。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.29-30

経験が邪魔をする

 過去の災害経験が,個人やコミュニティに,新たなる災害への免疫をもたらすという事実は,これまで多くの人々によって,繰り返し指摘されてきたところである。
 だが,この種の免疫は,心理学の言葉を使うと「般化」しないのである。免疫効果が災害因の枠を越えて拡大しない。
 たとえば,洪水に対して被災経験がある場合についてみると,洪水の被災経験のある人は,新たな洪水に対しては,ある程度の自信をもって切り抜けられるとしても,津波や地震に対してはその経験は役に立たないし,自信ももてない。かえって,被災経験がアダとなって害を及ぼす場合さえある。
 また,洪水の被害に繰り返し遭う場合のように,過去に経験したのと同じ災害因に出会う場合でも,災害の規模やその発生のしかたが過去と著しく異なる場合には,せっかく獲得した免疫もほとんど役に立たない。
 これは,私がある放送局のディレクターから聞いた話だが,
 「2000年の8月の愛知県の岡崎の豪雨では,不幸にして3人の死亡者が出た。その中の1人は,キッチンの流しの上で難を逃れようとしたが,水が天井まで達したために,犠牲となってしまった」
 という。
 この人は,2000年の東海豪雨のときにも,同じように流し台の上に避難したそうである。この時には,水は首のあたりにまで達したが,それ以上,水位は上がらなかったそうで,そのときの成功経験が災いしたのではないかという。そのようなことも,現実にはあるのだ。

広瀬弘忠 (2009). どんな災害も免れる処方箋:疑似体験「知的ワクチン」の効能 pp.143-144

知的ワクチン

 マス・メディアが与える知識では不十分である。学校教育の中で行われる防災知識教育も十分ではない。知的ワクチンの中に含まれなければならない最も重要な要素は,危険と結びつく感情や情動を換気するしくみである。特に,危険に対する「恐れ」を生み出すワクチンを作り,これを積極的に利用することが求められる。

広瀬弘忠 (2009). どんな災害も免れる処方箋:疑似体験「知的ワクチン」の効能 pp.127-128

押しで始まる津波もある

 地震のあとに,突然,津波がやってくる場合がある。前述の日本海中部地震による津波は,その場合だったのである。引きで始まる津波と,押しで始まる津波の発生率は,50対50と同じ割合である。同じ地震が起こした津波でも,場所によって引きで始まる場合と押しで始まる場合とがある。たとえば,インド洋大津波では,震源の東側では引きで始まり,西側では押しで始まった。

広瀬弘忠 (2009). どんな災害も免れる処方箋:疑似体験「知的ワクチン」の効能 pp.70

それは本当に問題なのか?

 少子化は,本当に解決すべき「問題」なのでしょうか?確かに,世の中が住みよくなって,その結果,少子化が解消すれば素晴らしいことだと思います。ただ,子どもが減って大変だから子どもをつくれというのは,もっともではありますが,他に方法はないのでしょうか。
 少子化で生じる問題は,少子化を解消しなければ解決できないというわけではありません。少子化が進むなら,別の方法で埋め合わせることを考えてもよいのではないでしょうか。

 私たちは,まるで初めから問題が決まっているような気分になっていますが,ここでちょっと立ち止まって,「この問題は,本当に問題なのか?」ということを疑ってみてもよいのでは,と思います。

 問題を考えるときの最大の罠は,問題にすべきでないことを問題にしてしまうこと,そして,問題にすべきことを問題にしないことにあるのです。

神永正博 (2010). 未来思考:10年先を読む「統計力」 朝日新聞出版 pp.272-273

非正規雇用のリスク加算

 私見ですが,非正規雇用が増えていること自体が問題なのではなく,「非正規雇用者の待遇が,リスクの割によくないこと」が問題なのではないでしょうか。
 報道をみていると,まるで「非正規雇用者の増加=悪」であるかのように,枕詞化してしまっています。しかし,非正規雇用者が皆,悲惨な生活を送っている,というのは事実に反していますし,そもそも,非正規雇用の方が好都合な人もいるはずです。むしろ,雇用のシステムが旧式で,現状に適応しきれていないことを問題にすべきなのではないかと思います。

神永正博 (2010). 未来思考:10年先を読む「統計力」 朝日新聞出版 pp.192-193

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