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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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実施されなかった試み

 1990年代に,英国下院のある委員会は,空港の待合所に飛行機の客室のシミュレーターを設置することを提案した。そうすれば,乗客は長々と説明を受けていた救命手段のいくつかを実際に練習する機会が得られるのだ。離陸を待つ間にむっつりとケーブルテレビのニュースを見つめる代わりに,非常口を開けたり,救命胴衣を膨らませたり,酸素マスクを付けたりすることができる。何ていい考えだろう!だがそのアイデアはひっそりと消えていった,とクランフィールド大学航空安全センターの元所長,フランク・テイラーは回想する。「英国民間航空局は,きちんとした検討をまったくせずに却下したのだ」と彼は言う。「当局は改革などということはまったく考えたくなかったようだ。人手不足なので,すぐに利益が見込めないことはやらないのである」
 同様に,アメリカの高等教育の多くが,経費削減と訴訟への恐れから,自動車教習の授業を中止した。学校はタイプライターの技能は教えるが,事故死の最大の原因から子供たちを守るためにはもはや何もしない。多くの州では,子供たちは現在,両親から運転を学んでいるが,それはとんでもない考えである。テキサス運輸研究所が2007年に行なった調査によると,両親に運転を教えられたティーンエージャーが重大な事故に巻き込まれる可能性は,プロに教えてもらった場合の2倍い上なのである。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.361-362
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特性不安と酸素マスク

 それでは酸素供給源をはぎ取ろうとするのはどんな人たちだろうか?このような行動を予測する何らかの方法はあるだろうか?モーガンは25人の消防士を研究所に招いてテストした。それぞれに呼吸装置を付けて,(トレーニング用の)トレッドミルを10分間高速で走らせた。案の定,そのうちの何人かが苦しんで突然酸素マスクをはぎ取り,空気が十分に吸えないと文句を言った——酸素マスクが正常に機能していたにもかかわらず。モーガンは,酸素マスクをはぎ取る6人の人物をあらかじめ予測していた。が,予測ははずれた。はぎ取ったのは5人だけだったのだ。とはいうものの,それはかなり見事な予測ではあった。
 どうして彼はわかったのだろう?トレッドミルに乗せる前に,モーガンは消防士たちの不安度を測定するためにありふれた心理テストをした。概して不安は2種類に分類される。1つ目は「状態不安」で,人が大事な試験や交通渋滞のようなストレスの多い状況にいかに反応するかを表わしている。もう1つは「特性不安」で,そもそも物事をストレスに満ちているとみなす一般的な傾向をさす。つまり,特性不安は,いかなる日にも存在している平常時の不安ともいうべきである。
 より大きな特性不安を抱えている人は,酸素マスクをはぎ取る可能性が高くなっていることを,モーガンは発見した。幸運なことに,スキューバ・ダイバーや消防士になっている人のほとんどには,もともと特性不安が少ない。だが全員がそういうわけではない。スキューバ・ダイバーに同じテストをすると、83パーセントの確率でだれがパニックに陥るかを予測できることがわかった。特定の人々は、肉体的なストレスを受けると、本質的に現実に少し疎くなりがちであることが判明した。彼らの脳は、状況に圧倒されて、さまざまな反応のデータベースを仕分けし——その上で不適切なものを選んでしまうのだ。そのような人々は将棋倒しや集団パニックを引き起こすことはないかもしれないが,少なくとも突発的な極度の危険に身をさらすことにはなるだろう。パニックのもっとも純粋な形である過剰反応を起こしてしまうのである。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.279-280

なぜ外にでないのか

 消防署に勤務する心理学者リチャード・ギストは,何百人ものカンザスシティ市民に,家族が火災で亡くなったことを知らせる役割を負ってきた。遺族は何度も何度も,なぜ愛する家族が玄関から出なかったのか,窓から脱出しなかったのかと尋ねる。火事に巻き込まれるのがどんなものか,彼らはまったくわかっていないのだ。「わたしはしょっちゅう生存者と一緒に焼け落ちた家の中に立ち,愛する家族がどのようにして亡くなったのかを説明する。遺族は言う。『なぜただ外に出るだけのことが……?』と。そう尋ねる人たちに,火事は午前2時の出来事で,犠牲者たちは深い眠りから目を覚ましたことを説明しなければならない」。もし濃く熱い煙の中で目を覚まして立ち上がったりすると,肺が焼け焦げて即死してしまう。ベッドから転がり出て,出口へ這っていかなければならないが,どこに出口があったかを思い出すのはたやすいことではない。だからこそギストは多くの時間を割いて人々を説得する。煙探知機に電池を入れておき,反射的に脱出できるよう火災が起こる前に避難の練習をしておくように,と。わたしがこれまでに会った災害専門家たちがこぞって言っていることを,ギストも主張している。「立ち止まってじっくり考えなければならないとすると,間に合わない」

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.223-224

心的外傷と脳

 「1988年全国ベトナム復員軍人再適応研究」によると,ベトナム復員軍人の約3分の1が,戦後,心的外傷後ストレス障害を患った。これは大変な数である。彼らがほかの兵士よりひどい心的外傷を受けたと判断するのは理にかなっているだろう。彼らが傷を負ったのは,能力や人格のせいではなく,その身に恐ろしいことが起こったためなのだ。
 だがギルバートソンはそれとは違うことを発見した。脳の画像を見ると,双子の組のなかでは,海馬はほぼ同じ大きさだった。戦争による心的外傷がベトナムへ行った兄か弟の海馬の大きさを著しく変えることはなかったのだ。だが双子の組の間には大きな違いがあった。心的外傷後ストレス障害にかかった復員軍人を含む双子の組は,障害にかかっていない復員軍人を含む双子の組よりも小さな海馬を持っていた。つまり,海馬は心的外傷を受ける以前から比較的小さかったようである。特定の人たちは,ベトナムへ出発する以前から心的外傷後ストレス障害に陥る危険性が高かったのである。これらのことから,災害時に恐ろしい出来事に対処したり,災害後に心的外傷から回復するのに苦労する人たちもいるだろうと推論することができる。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.184-185

自信のある人は回復する

 答えはわたしたちが予測しているようなものではない。回復力がある人々は,必ずしもヨーガを実践している仏教徒たちではない。彼らが十二分に持っているものの1つは,自信である。恐怖に関する章で見てきたように,自信——現実的な練習や笑いからでも生じるものだが——は極度の恐怖の破滅的な影響を和らげてくれる。最近のいくつかの研究で,ありえないほどの自信にあふれている人は,災害時に目を見張るほどうまくやっていく傾向があることがわかった。心理学者はこのような人々を「自己向上者」と呼ぶが,一般の人なら彼らを傲慢と称すだろう。この種の人々は,他人の評価よりも高く自分自身を評価し,自己陶酔したはた迷惑な人間になりがちなのだ。ある意味では,現実の生活よりも危機にうまく適応できる人々なのかもしれない。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.169-170

引用者注:「自己向上者」は何を訳したものだろうか?と思い,amazon.comの「Look Inside」で検索したところ“self-enhancers”であった。self-enhancementは「自己高揚」なので「自己高揚者」のほうが「自己が膨張している」ニュアンスではないだろうか。ちなみにこの章の日本語タイトル「非常時の回復力」は“Resilience”である。日本語ではカタカナで「レジリエンス」とか「弾力性」とか。

データを調べた方が良い

 今度,何かどきりとするようなことを耳にすれば,データを調べていただきたい。絶対的な数字——あるいはまったく何の数字もないこと——には疑いを抱くべきである。たとえば,初めて親になった人たちには現在,乳児突然死症候群(SIDS)についてあふれんばかりの注意がなされる。1歳以下の乳児の原因不明の死を乳児突然死症候群という。子供の命がかかっていて,すぐにでも予防策(たとえば乳児を仰向けに寝かせること)がとれることを考えれば,それらの警告も理解できる。だが初めて親になった人たちに病院で手渡される警告入りの怖いパンフレットがリスクを客観的にとらえているのであれば,そのほうがはるかに好ましいであろう。たとえば,警告に次のような表現を付け加えることもできるはずだ。「SIDSはいまだよく解明されていない。だがその発症率は史上最低を記録している。それは,一部にはあなたがたのような両親がこのパンフレットに記載されている基本的な予防措置を講じているからである。このような症候群で亡くなるのは,1000人の乳児につき1人以下である(先天性欠損症や出生時の体重不足で死ぬ幼児の数はこの4倍である)。だから真夜中に7回も起きて乳児が呼吸しているかどうか確かめる必要はなく,記載した単純な決まりに従うだけでよい——そして眠ることに集中して下さい。そのほうが100パーセント近い確率ではるかによい親になることでしょう」

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.109

個人差が生きてくるとき

 個人の性格やリスクに対する認識が重要であるなどといった言い逃れをする前に,屋根や道路や保健医療が必要とされている。そしてその効果は幾何級数的である。タフツ大学のマシュー・カーンが行なった研究によると,大国が1人当りのGNPを2千ドルから1万4千ドルに引き上げれば,1年間に530人の天災による死者を救うことが期待できるという。しかも被災者たちにとって,金は融通のきく一種の元気回復剤である。治療することもできれば安定した生活や復旧ももたらしてくれるのだ。
 しかし1人あたりのGNPが約4万2千ドルであるアメリカのような豊かな国においては,相違は個人の特性によって生じる。実際のところ,個人の性質のほうが災害の現実よりも重要になりうるのだ。「個々の出来事で慢性的なストレスを確定するものは,結局は出来事の詳細よりも遺伝子や個性だろう」とイスラエルの心的外傷専門家であり精神科医でもあるイーラン・クッツは言っている。すべての明白な要因(性別,体重,収入など)が同じでも,人より優れている人々もいる。他人よりずっと頑健なのだ。理由は大きな謎である。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.167-168

複雑な仕掛けを好む

 しかし残念ながら世界の国々では,発展途上国においてさえも,役人が好むのはシンプルな方法よりも複雑な仕かけである沿岸の国,バングラデシュでは,1970年のサイクロンで30万人が死亡したあと,政府は複雑な警報システムを考案した。異なった10の警報レベルのうちのどれかを示す旗を掲げるボランティアが訓練された。だが地方の村民を対象にした2003年の調査で,多くの人が手旗信号を無視していることがわかった。「第一信号から第十信号までの災害信号があることは知ってるよ」と,ムハンマド・ヌラル・イスラムは,ロンドン大学に本拠を置くベンフィールド・ハザード研究センターのチームに語った。「だけど信号の意味は知らない」。しかし彼は,個人的に独自の生存システムをちゃんと持っている。「空が薄暗くなって,ハチが群れをなして動きまわり,牛に落ち着きがなくなって,風が南から吹くようになれば,どんな災害がやってくることも予測できるんだ」

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.104

起こるか,起こらないか

 普通,人間は二元的な思考をする。たとえば何かが起こるのだろうか,起こらないのだろうか。それは自分に影響を及ぼすのだろうか,及ぼさないのだろうか,などと。だから転倒による死の可能性は10万分の6だと聞けば,「わたしの身には起こらない」と決めつけて,そのリスクを棚上げしてしまう。実際には合衆国の不慮の死のなかで転倒は(車の衝突事故と中毒に次いで)3番目に多い死因であっても。これにはグラント・シールの話をすればはるかに説得力があるだろう。3歳の男の子グラントは,2007年2月に自宅で遊んでいて転倒し,花瓶にぶつかって怪我をした。そのときの怪我がもとで,よちよち歩きの幼児は死亡した。あるいはパトリック・ぜゾースキーの話はどうだろう。19歳のパトリックは,自宅付近を歩いていてグラントと同じく2月に転倒して頭を打った。彼の場合は,その場で死を宣告された。こういった死は,比較的よく起こるという事実があるにもかかわらず,ニュース記事ではたいていいつも「変わった事故」だと評される。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.101

警告する側に必要なこと

 ではわたしたちは現実から目をそむけたがる最悪の本能をどうやって抑制すればいいのか?何よりもまず,警告を出す側が,敬意を持って私たちを遇すべきである。警告が単に何をすべきかではなく,なぜそうすべきなのかを説明している例がめったにないのは驚くべきことである。いったんこの問題に気づけば,いたるところでそういう例を見かけるだろう。実際のところ,人々が危険度を測りまちがえるのは,第1に,わたしたちを守る任務についている人たちの,わたしたちに対する不信感が広く浸透しているからだとわたしは思う。彼らは「果ての国」のわたしたちの護衛者であるのに,わたしたちときちんと向き合っていないことがしばしばなのだ。
 たとえば,酸素マスクが飛行機の天井から落ちてきたら,どうやってそれをつけるかを客室乗務員が説明するのを聞いたことがあるだろう。「ほかの人たちを手伝う前に,ご自分のマスクをしっかりつけてください」と,警告される。だが客室乗務員はなぜそうすべきかを伝えない。急速に気圧が低下している場合にそういうことを言われるのを,想像してもらいたい。意識を失うまでに10秒から15秒しかないだろう。つまり,そういうことなのだ。そのときはじめて,自分の子供を手助けする以前に,なぜ自分のマスクをつけるべきなのかわかるかもしれない。まず自分のマスクをつけないと,「これ,何の役に立つの?」などと言う暇もなく,親子ともども意識を失うことになるだろう。たちまち警告が煩雑な法律用語のようではなく,常識的な意味合いを帯びて聞こえてくる。そうなれば動機づけになる。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.97

人間は理性的ではない

 今日では,意思決定を研究しているほとんどの人々が,人間は理性的でないということに同意している。「わたしたちはリスク測定者のようにあれこれやらない——計算をしたり,可能性を増やしたりしない。そういうのが誤りであることが証明されてきた」と,ポール・スロヴィックは述べている。彼はオレゴン大学の心理学教授であり,世界的な評価を得ているリスク研究の権威である。計算の代わりに,人間は2つの異なったシステムに頼るのだ。すなわち直観と分析である。直観システムは,無意識で,すばやく,感情的で,経験やイメージによって大きく揺れ動く。一方,分析システムは脳の本能的な衝動に対して,自己を現実に適応させるように働きかけ,論理的で,慎重で,現実的である。
 1つのシステムがもう1つのシステムより優先される場合もあり,それは状況次第である。たとえば,次の問題について考えていただきたい。

 コーヒーとドーナツは合計で1ドル10セントである。コーヒーはドーナツより1ドル高い。ドーナツの値段はいくらか?

 最初に出した答えが10セントなら,答えているのはあなたの直観システムだ。それから考え直して正しい答え(5セント)に到達したら,それはあなたの分析システムが直観を支配下に置いたのである。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.78-79

重要なのは動機づけ

 ハリケーン「カトリーナ」のあと,680人のニューオーリンズの住民を対象にした世論調査で,なぜ嵐の前に避難しなかったのかという質問がなされた。回答はさまざまだった。実際に移動手段がなかったという回答は50パーセントを少し超えた。だがそれは最大の理由ではなかった。それほどひどい嵐だとは思わなかった,という回答がもっとも多く,64パーセントにのぼったのだ。実際,「ヘンリー・J・カイザー・ファミリー財団」や「ワシントン・ポスト」紙のために行われた調査結果によれば,避難しなかった人たちの半数は,本当にそうしたいと思えば立ち去る手段を見つけることができた,と振り返っている。つまり,重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.71-72

災害で従順に

 実際に災害に直面すると、群集は概してとても物静かで従順になる。もちろん,9・11に階段にいた人たちはだれも,タワーが崩壊するとは思っていなかった。もしそのことを知っていたら,彼らがどんな行動をとったかは,知るよしもない。だが明らかにもっと悲惨な状況においてさえ,群集はいわれのないパニックに陥ることはない。たいてい,人々は一貫して整然としていて——親切である。普段よりもずっと親切になる。体重が135キロを超えているゼデーニョの同僚の1人は,車椅子に乗っていた。彼は1993年にも2001年にも,69階で働いていた。どちらのときも,彼の同僚は車椅子の男を抱えて延々と階段を降りていったのである。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.45

正常性バイアス

 なぜわたしたちは避難を先延ばしするのだろうか?否認の段階では,現実を認めようとせず不信の念を抱いている。我が身の不運を受入れるのにしばらく時間がかかる。ローリーはそれをこう表現している。「火事に遭うのは他人だけ」と。わたしたちはすべてが平穏無事だと信じがちなのだ。なぜなら,これまでほとんどいつもそうだったからである。心理学者はこの傾向を「正常性バイアス」と呼んでいる。人間の脳は,パターンを確認することによって働く。現在何が起こっているかを理解するために,未来を予測するために,過去からの情報を利用する。この戦略はたいていの場合うまくいく。しかし脳に存在していないパターンに出くわす場合も避けられない。言い換えれば,わたしたちは例外を認識するのは遅い。しかもピア・プレッシャー[仲間集団からの社会的圧力]の要因もある。だれだって不吉な前兆を経験することがあるが,たいていは事なきを得るものだ。違った行動をすると、過剰適応を受けて周囲を混乱させるリスクがある。だからわたしたちは控えめな反応をするという過ちを犯す。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 pp.40-41

知られていないこと

 2005年7月7日,テロリストがロンドンのバスや地下鉄を攻撃し,52人が死亡した。その後の調査で,ロンドンの広範囲にわたる監視カメラ網が役に立ったと大いに賞賛された。だがその科学技術が,電車に乗っていた一般市民にはいかに無用であったかということはあまり知られていない。テロ攻撃時の対応に関する公式の報告書によって,1つの「何よりも重要な,かかすべからざる教訓」がわかった。つまり,緊急事態計画は,一般市民ではなく,職員の非常時の必要性を満たすようになっていたのである。その日,乗客たちは,爆発があったことを電車の運転手に知らせる手段もなかった。脱出するのも困難だった。電車のドアは乗客が開けられるようにつくられてはいなかった。あげくの果てに,乗客たちは負傷者の手当てをするための救急箱を見つけることさえできなかった。救急用品は,車内ではなく,地下鉄の管理者のオフィスにしまってあることがわかったのだ。

アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.19

学者は成功不成功で判断すべきではない

 数年前カルテックでの私の研究室は,ジョン・シュワルツという物理学者の研究室のすぐそばにあった。当時彼はほとんど認められておらず,10年間嘲笑を受けながら,ストリング理論という疑わしい理論をほとんど独りで生かしつづけていた。この理論は,宇宙にはわれわれが見ている3次元よりもずっと多くの次元があると予言していた。ある日彼と共同研究者による技術的なブレークスルーがあり,ここでは理由を省くが,突然,その特別な次元が受け入れられるものになった。そしてそれ以来,ストリン切り論は物理学におけるもっともホットな話題になっている。
 今日ジョンは物理学の切れ者の長老の1人とみなされているが,もし彼が何年もの無名の時代のためにダメになっていたら,「世の敗北者の多くは,諦めたときに成功がどれほど間近にあるかを知らなかった人びとだ」というトマス・エジソンの言葉の証になってしまっていただろう。
 私が知るもう1人別の物理学者の場合も,ジョンの場合と非常によく似ている。彼はたまたまカリフォルニア大学バークレー校でジョンのPh.Dの指導教授だった。同世代のもっとも才能のある科学者の1人とみなされていたこの物理学者は,S-行列理論と呼ばれる研究領域のリーダーだった。ジョンのように,彼も頑固なまでに粘り強く,ほかの者が諦めたあともその理論に取り組みつづけた。ジョンとは違い,彼は成功しなかった。そして成功しないために彼は物理学者としての仕事に終止符を打った。多くの人間は彼を変人と見た。
 しかし私の考えでは,彼もジョンも——明日にでもブレークスルーが起きるといった見込みが少しもないまま——流行遅れの研究に取り組む勇気をもったすばらしい物理学者だった。物書きは本の売上げによってではなく何を書いたかで判断されるべきだが,ちょうどそれと同じで,物理学者は成功によってではなくその能力によってより正しく判断されるべきだ。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.318-319
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

意識することはできる

 過去を説明する話を考え出したり,将来に対する曖昧なストーリーに確信をもつようになったりすることは簡単だ。また,そうした努力に落とし穴があるということは,われわれはそれを企てるべきではないということを意味しない。しかし,われわれは直感的誤信に陥らないようにすることができる。われわれは,解釈も予言も,懐疑心をもって見るようになれる。われわれは出来事を予言する能力に頼るのではなく,出来事に対応する能力に,柔軟性,自信,勇気,忍耐のような人間的性質に,より多くの重要性を置くことができる。そしてこのようにすれば,われわれは,自動的な決定論的枠組みの中で判断するのを食い止めることができる。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.299-300
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

偶然は因果よりも基本的概念

 人事における決定権は,いくつかの理由で,ラプラスがほのめかした予測可能性の要件を満たしていない。第1に,われわれが知るかぎり,社会は物理学のように明確な基本的法則に支配されてはいない。逆に,人間の行動は予測不可能であるだけでなく,カーネマンとトヴァスキーが繰り返し示したように,(自身の最善の利益に反する行動をとるという意味で)不合理である。第2に,たとえわれわれが人事の法則を発見したとしても,ケトレーが試みたように,世の中の状況を正確に知ったりコントロールしたりすることは不可能である。ローレンツ同様,われわれは予測するのに必要な正確なデータを手にすることができない。そして第3に,人事はこのうえなく複雑だから,たとえわれわれがその法則を理解しデータを手にしていたとしても,必要な計算を行えるかどうか,疑わしい。だから決定論は,人間の経験に対してはお粗末なモデルである。ノーベル物理学賞を受賞したマックス・ボルンが書いているように,「偶然は因果よりも,より基本的な概念である」のだ。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.288-289
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

ランダムであるということ

 ある連続的な事象を想像してみよう。その事象は四半期ごとの収益でもよいし,インターネット・デートサービスが提示した一群の吉日と凶日でもよい。いずれの場合も,その連続が長ければ長いほど,あるいは,目にする連続的事象が多ければ多いほど,パターンが見えてくる確率は大きくなる。その結果,一連のよい四半期,悪い四半期,あるいは吉日,凶日は,まったく「原因」を必要としない。
 その要点をはっきり例示したのが数学者,ジョージ・スペンサー=ブラウンだった。彼は0と1がランダムに10の100万7乗(10^1000007)個並んだ数列には,0が連続して100万個並んでいる箇所が,少なくとも個別に10箇所は存在するはずだと書いた。ある科学的な目的のために乱数を使おうとしていたら,その種の一連の数に出くわした哀れな人間を想像してみよう。彼のコンピュータのソフトは,0を連続的に5個,その後10個,その後20個,1000個,10000個,10万個,50万個,生成した。彼がそのソフトを返品し,金を返してもらうことは,はたして不当か?また,新しく買った乱数表の本をぱらぱらめくると,出てくる数字は「0」ばかり。科学者はそれに対してどう反応するだろうか?スペンサー=ブラウンが示した要点は,プロセスがランダムであることと,ランダムに見えるプロセスを生成することとは違う,ということだった。
 実際アップル社は,音楽プレーヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリングの方法で,その問題にぶつかった。というのは,真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出すが,同じ歌が同じアーティストによって繰り返し演奏されるのを聴いたiPodユーザーが,シャッフルはランダムではないと思ったからだ。そこで「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と,アップル社の創業者スティーヴ・ジョブスは言った。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.258-259
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

グルコサミンの効能って

 そのようなパターンが意味をもっている場合もあるし,もっていない場合もある。が,そのいずれであれ,われわれのパターン認識は非常に説得力をもっていると同時にきわめて主観的であるという事実は,深刻な意味を有している。それは一種の相対性を,つまり,ファラデーが見いだしたように,リアリティは見る目の中にあるという,1つの状況を意味している。
 たとえば2006年の『ザ・ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌は,変形性膝関節症の患者についての1250万ドルの研究結果を載せた。その研究は,グルコサミンとコンドロイチンという栄養補給サプリメントの組み合わせによる関節炎の痛み軽減効果は,プラシーボ[偽薬]と変わらないことを明らかにした。しかしある高名な医者は,そのサプリメントが効果的であるという自身の思いをなかなか捨て去ることができず,あるラジオ番組でその研究結果を分析し,つぎのように言って,その治療法が効果をあげる可能性があることをふたたび主張した。「私の妻のかかりつけのお医者さんの1人がネコを飼ってて,その女医さん,このネコ,グルコサミンとコンドロイチンの硫酸塩を少量飲まないと朝起きられないと言ってますよ」。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 p.257
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

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