読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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アメリカの大学生がA以外の成績をあまり取らないのは,アメリカの大学が「成績のインフレ」(Grade Inflation)という問題を抱えているからだ。四年制の大学では42%の成績がAである。1960年代にくらべて成績の中でAの割合は3倍にも増えた。成績のインフレはトップ大学で特にひどく,例えばイェール大学では62%の成績がAかA-であるし,ハーバードの成績平均はA-である。
成績のインフレが深刻化したのは最近のことであるが,始まったのはベトナム戦争の頃にさかのぼるといわれている。大学生は徴兵を猶予されたので多くの若者が大学に進学したが,成績が悪くて退学になった者はすぐにベトナム行きとなる恐れがあった。それに同情した大学教員が学生を助けるために成績の底上げをしたことが今に至っているというわけである。
だから成績のインフレのきっかけは教員自身の親切心だが,それに拍車をかけているのが授業料の値上がりと共に大学が学生を顧客と扱いだしたことだ。お客様は当然高い支払いに見合う「商品」を要求する。それが「いい成績」というわけだ。私立大学の平均の成績が州立大学より少し高いのは,私立のほうが授業料が高いので,見返りに対する期待も大きいからだと考えられる。対照的に授業料の安い二年制のコミュニティ・カレッジでの成績のインフレはそれほど酷くはない。お金のインフレと違い成績は上限があるのでインフレが起こると一番上のAに成績が集中してしまう。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.193-194
日本の大学でもホリスティック入試に似たAO入試や自己推薦入試などが導入されている。AO入試はその理念とは裏腹に階級の再生産を促し,日本の社会をアメリカ並みの格差社会にすることに拍車をかけるかもしれない。それにAO入試の審査の不透明さは世間の大学への不信感を増してしまう恐れもある。というのも,アメリカでの大学に対しての不満はホリスティック入試に関するものが多いからである。日本はアメリカのシステムを導入することが多いが,「学力だけでなく人物を評価する」などの理念のみならず,理念の裏側にひそむさまざまな利害関係や社会的文脈も理解しなければならない。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.160
大学の授業料高騰の原因を説明するのに経済学者のウィリアム・ボーモルとウィリアム・ボーエンによる「ボーモルのコスト病」(Baumol’s Cost Disease)という理論がある。教育など,人と人との関わりが重要で専門知識の必要な職務は,製造業のように機械やオートメーションなどのテクノロジーで補えないから,生産性の割には人件費が他の職種に比べて高くなるという論理である。しかし大学はテクノロジーのかわりに非常勤講師の安い労働力で教育の生産性を保ちつつ,人件費総額が増えないようにしているのである。
増えたのは教育に直接関係しない大学職員にかかる費用である。まず言えるのは,大学の運営に関わる管理職の増加が著しい。ここ35年間での管理職数の増加率は教員数の増加率の10倍にもなる。学長,プロボスト,学部長,学科長などは昔からある役職だが,近年,職務が細分化したことが原因である。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.111
アメリカ社会は競争が激しいので,すべての人を蹴落とさないと成功できないというプレッシャーが常にある。しかしそれではただの”悪い人”になってしまい,自己嫌悪に苛まれることになる。だから絶対に自分の脅威にならない人には思いやりをかけるというわけだ。テニュア付教授はむしろTAの過労働などを気遣うが,アシスタント・プロフェッサーの,特に優秀な者に対しては酷使してもかまわないという極端な考えに陥ることもある。このような屈折した行為は,どこの社会にもみられるものとはいえ,競争社会の圧力とキリスト教的博愛倫理の板挟みになったアメリカ人にもっともあらわれやすいものである。しかし逆に考えると,優しく扱われているうちはまだ一人前と思われていないということでもある。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.90
テニュアの制度がうまく機能するにはすべての大学教授が勤勉であるという前提がないと成り立たないが,終身雇用が保証されると向上心がなくなって怠けてしまうのも人間の常である。特に授業コマ数の少ない研究大学では研究に時間を割かなければ,半ば退職人生の優雅な生活が可能になる。世間の人が大学教授はストレスが少ないと思いこんでいるのはこのような教授だけが目につきやすくなるからだ。
研究実績がテニュア取得後に止まってしまうと,プロフェッサーへの昇格はもちろん無理だから退職までアソシエイト・プロフェッサーのままということになってしまう。永久にプロフェッサーになる器ではないという意味が込められて「パーマネント・アソシエイト・プロフェッサー」とか「枯れ枝(デッドウッド)」と呼ばれる。もちろん陰口でだが。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.85
別々の大学に就職して就寝しなくなったら不仲であるという思い込みがあるので,単身赴任は奇異の目でみられる。だからほとんどの場合,カップルのどちらかがテニュア教授になるという夢を諦めるしかない。このため,公募で受かった人の配偶者も一緒に雇う「配偶者雇用」を実施している大学もある。この場合,一緒についてくる配偶者は「ご相伴(にあずかる)配偶者」(Trailing Spouse)や「二番手雇用」と呼ばれる。アメリカらしく正式に結婚していないカップルにも適用され,同性愛者の結婚が法律で認められていなかった時代には,ゲイやレズビアンのカップルにも適用されていた。このため「パートナー雇用」と呼ばれることもある。
大学によっては正式に配偶者雇用の手順が定まっているところもあるが,ほとんどの場合,個別の対応をする。まず公募で受かったほうが大学に打診し,配偶者の履歴書や業績一覧を提出するが,配偶者雇用が上手くいくかどうかには,いろいろな要因が絡んでくる。まず大学側が配偶者雇用を推奨していることと,もう一人雇えるだけの財政の余裕があることが条件になる。これらがクリアできると次に配偶者の業績や能力が吟味される。大学や学科によって違うが,正規の公募の最終審査に残るレベルが最低限の基準になることが多い。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.70-71
アメリカ大学教員協会(AAUP)のレポートによると,1975年から近年にかけて安い労働力である非常勤講師の数は4倍も増えた。テニュア付とテニュア・トラックの教授の数も大学の増設に従い多少増えてはいるが,非常勤講師の増加率とはくらべものにならない。1975年にはテニュア付かテニュア・トラックの教授の割合は大学教員の45%だったが,近年では25%以下に減っている。それに対して,非常勤講師の割合が40%にもなってしまった。2009年にはアメリカで最も多くの学生が在籍する州立の四年制大学での非常勤講師の割合は64%にも達している。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.64-65
ひとつは高学歴のわりに大学教授の給料が安いことが理由だ。どの国でも高等教育機関が上手く機能するには大学に最も優秀な「ブライテスト・オブ・ザ・ブライト」(Brightest of the Bright)が残らなければならない。テニュアで終身雇用を約束するのは優秀な人材が高級に釣られて企業などに流れるのを防ぎ,大学に惹き付けておくための誘引なのである。
しかしテニュア制度が作られた一番の目的は,アカデミック・フリーダム,すなわち学問の自由を守るためである。テニュアを持っている教授はすぐさま結果を出さなくても解雇される心配がないので,何年もかかる研究にじっくり取り組むことができる。物議をかもしかねない研究を気がねなくすることもできる。例えば地球温暖化は人為的なものであるという研究結果は,第45代大統領となったドナルド・トランプのような保守派や一部の企業にとっては排気ガス規制などになりかねないので嫌がられる。私の専門の犯罪学では銃と犯罪の関係はよく研究されるトピックであるが,銃の所持が犯罪を増やすという研究結果も,銃を奨励している保守派には面白くない。
逆にリベラル派は社会行動が遺伝的な性質に影響されると仮定する研究を嫌う傾向にある。例えば父が犯罪者だとその子も犯罪を犯しやすいのは育った環境ではなく凶暴な遺伝子を受け継いだためとするような研究である。世の中で常識と思われていることを覆す研究結果も世間から大ブーイングを受けることが多い。
テニュア制度がなければ,このような研究をした時に,政府や世論からの圧力で解雇となる可能性もある。しかしテニュアは,教授をそのような心配から解放し,研究に没頭することを可能にする。結果的に社会全体の繁栄に不可欠とされる知識や科学の発展を促すことになる。テニュアは研究だけでなく大学での教育も活性化できる。テニュアがあれば学生からの評価を気にせずに難問に取り組んだり,ユニークな授業方法を試したりできる。センシティブな社会問題だからと遠慮することなく,授業で議論することもできる。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.58-59
まず,「高齢化社会を控えているので新たな財源が必要」というプロパガンダについて。
これを聞いて,国民は渋々ながら納得したようです。確かに日本は高齢化社会に突入する。そのためには,お金もたくさん必要なのだろうと,お人好しな日本人は思ってしまいます。
しかし,消費税導入後の国家予算を検討すれば,消費税が高齢化社会のために使われていないということは明白なのです。
消費税の導入で,新たに10兆円の財源となりました。
しかし,ほぼ同時期に行われた大企業や高額所得者の減税で,その10兆円分は消し飛んでしまったのです。
そして,消費税が導入されたあと,高齢者福祉が充実したようなことはなく,社会保険料はたびたび引き上げられ,さらに新たに介護保険料まで取られるようになってしまいました。
大村大次郎 (2015). 元国勢調査官が明かす 金を取る技術 光文社 pp.174-175
消費税導入のプロパガンダは,大まかに言って2つの論旨がありました。
一つは,少子高齢化問題です。
日本はこれから少子高齢化を迎えるので,財源が足りない,だから増税が必要なのです,ということを長期間にわたって訴え続けたのです。
もう一つは,「日本は諸外国に比べて間接税が低い」ということです。
諸外国はもっと高い間接税を払っています。だから,日本はもっと間接税を上げるべきです,ということを何度も何度も繰り返し,喧伝したのです。
その喧伝が功を奏し,国民はだんだん消費税について許容するようになっていきました。
大村大次郎 (2015). 元国勢調査官が明かす 金を取る技術 光文社 pp.173-174
そもそもサラリーマンの現在の税金(源泉徴収制度)というのは,戦争中のどさくさにまぎれてつくられたものなんです。
信じられないかもしれませんが,戦前はサラリーマンに税金が課せられていなかったのです。サラリーマンの給料に課税されるようになったのは,戦時中のことです。
それまでは,会社が税金を払っているので,その従業員であるサラリーマンは税金を払わなくていいということになっていたのです。
実際,会社ではその利益から税金を払っているわけだから,その社員にも税金を課せば,二重取りのようなことになりますからね。
でも,戦局が悪化し,軍費が不足したために,苦肉の策として戦時特別税としてサラリーマンから税金を取るようにしたのです。
しかも,その徴税方法は,会社に命じて天引きさせる,という「源泉徴収」の制度が取り入れられました。この源泉徴収制度は,同時期にナチスドイツで始められ,効率がいいということで日本もそれを取り入れたのです。
戦時中の特別税ですから,本来ならば,戦争が終われば廃止されていいはずでした。しかし,終戦後,極度の税収不足が続いたので,サラリーマンの特別課税はそのまま継続されたのです。
このように,本来,臨時的な税金であったサラリーマンの税金ですが,戦後の混乱が終わり日本経済が落ち着いたころには,国の税収の柱となっていました。そして,今さら廃止できない,ということになったのです。
またバブル崩壊以降は,税収不足になれば,サラリーマンの税金を上げるというパターンが続けられ,40%以上もの高負担率となったのです。
戦前の所得税の税率というのは,戦局が悪化する前までは8%でした。戦前,所得税を払っていたのは,かなりの金持ちです。金持ちですら8%の税金でよく,中間層以下には所得税は課せられていなかったのです。
大村大次郎 (2015). 元国勢調査官が明かす 金を取る技術 光文社 pp.158-159
名目的には,日本の国民の税金と社会保険料の負担率は約40%なので,スウェーデンやイギリス,ドイツなどよりは低くなっています。
でも日本の場合は,中間層以下に負担が非常に多くかかるようなシステムになっています。だいたい収入の半分は,何らかの形で税金もしくは税金もどきで取られてしまっているのです。
また日本の場合,消費税も食料品などの軽減制度がないので,低所得者ほど負担率が大きくなるようになっています。
詳しくは後ほど述べますが,消費税というのは消費したときにかかる税金なので,収入に対する消費の割合が高い人ほど,税負担が高くなります。たとえば,収入の全部を消費に使ってしまう低所得者は,収入に対する消費税の負担割合は,ほぼ8%になってしまいます。しかし,収入の半分を貯蓄に回せる高所得者の場合は,収入に対する消費税の負担割合は4%になります。
低所得者の負担している消費税8%を加味すれば,彼らの税負担率は50%を超えるでしょう。
低所得者層の負担率は,日本が世界で一番高いのです。
しかも,スウェーデンをはじめヨーロッパ諸国の方が,日本よりもはるかに社会保障が充実しています。高い税金でもそれなりの見返りがあるということです。
ところが日本の場合は,社会保障に使われる税金の割合は先進国の中でも下から数えた方が早いのです。
だから普通のサラリーマンにとって,実質的な税金,社会保険料負担率は,日本は世界一高いと言えるのです。
大村大次郎 (2015). 元国勢調査官が明かす 金を取る技術 光文社 pp.144-145
「住所地がないから生活保護の申請を受理しない」というようなことをする国は,先進国の中では日本だけです。
欧米では,ホームレスの支援をするとき,もっともオーソドックスな方法は,国籍をとらせることです。
国籍さえ取れば,国の保護を受けられるからです。つまり,欧米のホームレスのほとんどは,自国の国籍を持たない,不法移民,不法滞在者なのです。
正真正銘の自国民に,生活保護を与えない先進国は日本だけなのです。
大村大次郎 (2015). 元国勢調査官が明かす 金を取る技術 光文社 pp.123
平時ならば,頼まれてもいないことをするのは差し出がましいのではないか?押し付けがましいのではないか?という気持ちが先に立つものと思う。だが本当に追い込まれた人間は,助けての声が出なくなる。そして,「してほしいことある?」と聞かずに一方的にやってくれることが,ようやく助けての声を絞り出すためのプロセスになる。
何より,暖かくありがたいのだ。
鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.221
実は人間とは,動物とは,視聴覚嗅覚をはじめとしてとてつもなく高度なセンサーの塊だが,そこで感知するほとんどの情報を「無視」することで,活動が可能になっているとされる。このことを僕はロボットや人工知能の世界で言う「フレーム問題」という言葉で学んだが,この聞きなれぬ言葉を極めて簡略化すれば,人は最も直接的で発達したセンサーである「目」に入る情報ですら,そのほとんどを無視していて,この無視の機能を再現しない限り「人工知能制御のロボットは歩くこともできなくなる」というものだ。
鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.96-97
病院内でのヒエラルキーにも納得がいかない。医療従事者である療法士は医師よりもはるかに低い給与水準で働いている。確かに僕の脳梗塞についても脳外科医たちは再発を防ぐためにベストを尽くしてくれてはいるが,悪く言えば「再発・悪化さえしなければOK」と感じているようにも思える。僕がなにを不自由に感じていて苦しんでいるのかを知るのは,そのために指導し僕のQOL向上を常に考えてくれているのは,ほかでもないリハビリの先生たちなのだ。
鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.83
イジメをする側の心理を肯定する気は絶対にないし,これがいじめの主因であると断定するのも大きな間違いだが,身体能力でもコミュニケーションスキルでも,発達がアンバランスな子どもが集団の中から排斥されがちというのは,認めざるを得ない事実だ。そんな子ども時代を引きずって成人後も社会にうまくなじめないという例もまた,それこそ掃いて捨てるほどあるだろう。
だが前述したように,先天的な障害でなくとも,子どもの発達は環境要因によって大きくバラツキができるものなのだ。ならばこそ,不登校児童に,保健室通学児童に,虐待やネグレクト環境下で発達の遅れてしまった子どもに,リハビリスタッフの専門性はとてつもないポテンシャルを秘めているように思えてならない。
鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.78
「鈴木くんさあ,リハビリっつうのはさ。あの,なんつうかな?そうそう,あ~れ,駄菓子屋のくじ引きなんだよね。駄菓子屋にあんだろ?壁に引っかかってるくじの束から引っこ抜いてくやつ。あ~れなんだよね。あれ,これかな?これじゃねーならこっちかな?って感じで,あちこち手当り次第に力入れてみて,指動かそうとしてるのに足動いたり顔が引きつったりすんでしょ?そんで駄目でも片っ端から試して,そんでも全部外れくじで,その挙げ句に『ようやく動いたあああ!!』っていうのが,アタリくじ。で,いっぺん当たったら,そのアタリくじを何度も引いて,場所を覚えちゃって,一発でアタリ引けるようになるっつうのが,リハビリなワケ。分がる?」
それそれ!めっちゃ分かります。だって俺,昨日そのアタリくじ引きましたよ!織田信長って書いてありました。今日はどこにあったか忘れちゃったけど,また探せば見つかりますよね。
鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.54