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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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社葬は日本独自

 注目すべきは,この慣習が日本特有のものだという点である。
 「社葬」にあたる英語を和英辞典で調べてみると,「a company-sponsored funeral」といった訳語が示されている。しかし,実際にこうした英語が使われているのかどうかを調べてみると,その実例は見つからない。これはあくまで「社葬」の内容を説明した英語の解釈であって,海外には,社葬にあたるものは存在しないのだ。
 日本の企業社会では,経営者は会社の顔としての役割を果たす。創業者ともなれば,一代で企業を大きくした功績が認められ,社会的に高い評価を得る。その点で,カリスマ的なトップの死は1つの事件であり,ときには社会全体の大きな話題となる。
 その人物が亡くなると誰が後継者となるかが大問題となる。それは企業の信頼性に関係する。十分な能力をもつ後継者があらわれなければ,企業そのものへの評価が低下し,ひいては業績にも影響が出る。
 したがって,その会社の社葬は,取引先に対して,さらには社会全体に向かって,後継者の披露の機会ともなる。後継者が喪主をつとめることも多い。立派な葬儀をあげられるかどうかによって後継者の評価も変わる。
 そうである以上,たんに葬式をあげるだけでは不十分で,亡くなった前経営者の業績を讃えつつ,死後も会社が安泰であることを示すにふさわしい葬式を営まなければならない。そこに社葬の意義がある。

島田裕巳 (2010). 葬式は,要らない 幻冬舎 pp.28-29
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超心理学者のルート

 これらは繰り返し語られるテーマである。超心理に興味を見いだした科学者は,最初かなり熱狂的にとり組むのである。科学的見地からすれば,超心理の実体はきわめて重要なのである。そして一見したところ,それはそれほどこみいったものには見えない。超心理実験の多くは,少なくとも原理的には,滑稽なほど単純なのである。だから,新参の研究者はしばしば,それまでの研究者は能力が足りなかったか,問題にしっかり向き合っていなかったのだと,ひそかに思いこむのである。しかし,2〜30年,難問をかじってみると,研究者は少し年を重ねて賢くなり,温和な意見を言うようになるのだ。超心理が本当に存在すると確信しながらも,同時に超心理現象は大いなる謎だと理解している,そう認めるようになる。
 私の感触では,この難問についてウィリアム・ジェームズが妥当な考え方をもっていた。1897年の自著で,彼は「心理学,生理学,医学の分野では,神秘主義者と科学主義者の論争が最終的に決着するときはいつも,事実については神秘主義者が正しく,理論については科学主義者が上をいく」と述べている。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 p.312

予感とパーソナリティ

 2004年には,イギリスのノーサンプトン大学の心理学者リチャード・ブラウトンが,予感実験の成績と性格検査の関連を報告した。ひとつの性格検査は,マイヤーズ=ブリッグズのMBTIで,その直観指標と外向性指標にかんして,過去のいくつかの実験では超心理の発現と相関が見られていた。もうひとつは,NEO5因子で,その開放性にかんして,超心理の発現と相関が見られていた。ブラウトンもこの3つの指標について,相関があると予想して予感実験を行なった。
 128人の協力者をえて予感実験を実施したところ,全体の予感効果については,平均的な差異は見られたものの,統計的に有意ではなかった。3つの指標については,どれもそれらが高い協力者に高い予感効果が出る傾向が見られた。そのうち,MBTIの直観指標と,NEOの開放性因子が有意になった。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 p.237

確証バイアスと科学コミュニティ

 この人間の非合理的なふるまいは,学術的に「確証バイアス」と呼ばれている。自分の信念を支持する証拠はもっともらしく,自分の信念に反する証拠は怪しく見える心理的なクセがあるのだ。投稿された論文の査読者は,つねに自分の信念に照らして判断していることが,社会心理学の調査でたびたび裏づけられている。ある仮説に同意している査読者は,その仮説に肯定的な結果を示している論文の価値を高く評価する一方,同意していない査読者は,同じ論文に誤りがあると判断する傾向がある。前者の査読者は掲載を勧めるのに,後者は掲載を拒絶するのである。最終判断は編集者にゆだねられるが,たまたまその編集者もその仮説に同意していないとすると、その論文は掲載されない可能性が大である。そうすると,その論文が扱っている証拠は,科学コミュニティにとって存在しないに等しい。この結果,科学界には,受け入れやすい考え方ばかりを表明する「いい子ぶりっ子」の上流クラブが形成される。そのため,受けいれにくい考え方は,流れ者がつどう場末の溜まり場に託される。幸運なことに,ほとんどの科学者は好奇心のかたまりであるから,その上流クラブの規則は,粘り強い働きかけがあれば変更可能だろう(年長のいい子ぶりっ子が引退したときがチャンスかもしれない)。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.151-152

潜在的抑制

 たとえば,パブロフの犬の学習について考えてみよう。パブロフは,犬にベルの音を聞かせてその直後に餌を与える,という手順を繰りかえして,ベルの音だけで唾液が出るように犬を条件づけた。ところが,最初ベルの音を聞かせても,餌を与えなかったならば,どうだろう。犬は,ベルの音は何も意味がないと,それを無視するようになるだろう。もしそうなってしまった後に,唾液が出る条件づけを試みると,かなり苦労するにちがいない。犬はすでにベルを「無視すること」を学んでしまっているからである。このベルの無視が潜在的抑制であり,それゆえに新しい学習がさまたげられるのである。
 潜在的抑制は,私たちの脳のなかでも重要な役割を果たしている。それは作業の同時遂行を可能にしている。たとえば私たちは,高速道路を運転しながら,同乗者とおしゃべりし,コーヒーをすするという作業を,3つ同時に注意することなく並行して行えるのである。運転をするときは何に注意を向ければよいのか(そして何に注意を向けなくてよいのか),前もってしっかり学習しておかないと,すぐに情報の洪水がおそってきてパニックになってしまう。
 健全な人間は,巧みに潜在的抑制を行っている。逆説的に聞こえるかもしれないが,脳が不必要とみなすものによって感覚意識が抑制されればされるほど,私たちはより一層安定して集中できるのである。だから,もし潜在的抑制が弱いと重大な問題が起きる。潜在的抑制は,統合失調症患者について詳しく研究されている。というのは,統合失調症の主要な症状が,まったく関係がなくても,どこでも意味ありげな関連性を知覚してしまうことだからである。潜在的抑制の低下は,無関係な情報を無視することの障害と見られるので,それによってゆがんだ関連づけを説明できる。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.90-92

教育レベルと非科学信奉

 しかし,教育程度が高まれば,超常的信奉が一様に高まるというわけではない。教育程度が高まると,宗教的な超常的信奉,たとえば,天国,地獄,悪魔,創造説などはかえって低下するのである。政治学者トム・ライスによる2003年の報告では,宗教と超心理の信奉の比較をしている。その調査は1200人の回答者を対象に行なわれ,分析結果では,教育程度があがると,宗教的な超常的信奉は低くなる一方,超心理信奉は逆に高くなったのである。この事実は2003根rんのハリス・ポールの調査でも確認された。近年の超心理信奉の増加は,教育レベルが平均的に高く,特定の支配的宗教がないスウェーデンでも見られている。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.81-82

教育レベルが上がるほど

 NSFは科学技術の現状をまとめた報告を定期的に出版している。2002年の報告書では,科学技術にかんする大衆の理解に1章をさいている。その一節では,疑似科学信奉の問題が広まりつつあると指摘されている。科学と称しているが,科学的な原理や証拠にもとづかない「科学もどき」に対する批判である。2001年に実施した世論調査で「超能力をもつ人々がいる」の信奉の程度を5段階で聞いたところ,全米の成人の60パーセントが「強くそう思う」か「そう思う」と答えたのである。ギャラップの世論調査でも,1990年,96年,2001年と,このパーセンテージは増加しており,こうした傾向は,合衆国の科学教育がみじめな状態であると判断する根拠にされている。  これは本当にみじめな状態なのだろうか。むしろ,興味深い事実を指摘しているのではないか。調査の回答者を教育レベルによって分けると,高校レベルまでの教育を受けていない人々で超能力を是認する人は46パーセントなのに対して,高校レベルい上の教育を受けている人々では62パーセントにはねあがる。新聞を毎日読むなどの情報に敏感な人々でも59パーセントが認めているのである。調査結果はなんと,超能力の信奉は教育の欠如では「説明がつかない」と示しているのだ。 ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.80-81

脳波研究はじまりのエピソード

 昔,ドイツの片田舎にハンスという内気な少年がいた。父は医者だったが,医学よりも祖父が書いた詩を愛し,夜空の星に魅せられていた。高校を卒業すると町に出て,天文学者を目指して大学に通った。しかし,都会暮らしは肌にあわず,すぐに退学して騎兵隊に志願する。平和な時代だったので,1年間の兵役では,のどかな自然のなかで馬乗りを楽しめるはずだった。
 ところがある朝,乗馬訓練中にハンスの馬が突然暴れだした。ハンスは,宙に放りあげられ道に打ちつけられるやいなや,馬に引かれた鋼鉄の大砲がハンスに向かって突進してきた。もうダメだ,とハンスは息をのんだ。しかし奇跡的に,すんでのところで馬たちがなんとか押しとどまった。ハンスは肝をひやしたが,大きな怪我もなく命拾いした。
 ちょうどそのころ,遠く離れた実家ではハンスの姉が訳もなく不吉な気持ちにとらわれた。ハンスに何か悪いことが起きたというのだ。彼女があまりに心配するので,父親がハンスに電報を打つことにした。
 その夜,ハンスはその電報を受けとる。父親から電報がきたのは初めてなので,けげんに思ったが,自分のことを気遣った姉の気持ちを知って,その日に抱いた恐怖感がなんらかの方法で姉まで届いたのだと,彼は確信した。だいぶ後になってハンスは,「これは死の危険に直面して自発的に起きるテレパシーの事例である。死を予期した私がその思いを送ると,仲のよかった姉がそれを受け取ったのだ。」(1940年の自伝)と記している。
 この体験によって,ハンスの興味は宇宙の奥底から人間精神の奥底へと大転換する。兵役を終えるとすぐに大学で医学の勉強を始めたのだった。彼の言う「精神エネルギー」が,どのように姉へとメッセージを伝えたか,それを追究していこうと決心したのである。
 大学での長年の努力により,ついに彼は脳波の記録法を開発する。後にアルファ波と呼ばれる種類の脳波は,ハンスの苗字をとって「ベルガーリズム」として親しまれた。心の主観的状態と脳波の関連性は,彼が最初に見つけたのである。彼はまた初期の情熱を失うことなく,200人以上の被験者にわたって,催眠状態におけるテレパシーの実験を繰りかえした。結局ハンスは,若いころのテレパシー体験をうまく説明できなかったが,現代の神経科学の基礎を築いたのである。脳波から断層撮像法に至るまでの現代の脳メカニズム研究は,ハンスの研究に端を発しているのだ。

ディーン・ラディン 竹内薫(監修) 石川幹人(訳) (2007). 量子の宇宙でからみあう心たち:超能力研究最前線 徳間書店 pp.58-60

短いが重要な歴史

 90年代は,それまで専門家や研究者の間で発展したインターネットが商用化され,すべての人のために世界へ広がったときです。象徴的には,92年にコンピュータネットワークの商用化が始まり,95年にマイクロソフトのウィンドウズ95がインターネット機能を無料で組み込んだことでしょう。80年代にはUNIXが大学や専門家をインターネットにつなぎ,90年代には,ウィンドウズがすべてのコンピュータ利用者をインターネットにつなぎ,そしてすべての人が使える環境になりました。
 2000年代に入ってからの10年は,携帯電話をはじめとする電波を使ったデバイスが発展し,インターネットにはコンピュータだけではなく,他の機器がつながってくるという現実がやってきました。自動車などのセンサーも含め,移動時と空間が無線技術によってサポートされるようになったことで,インターネットは「誰でもどこでも,なんでもつながる」という氏名を果たし始め,環境,健康,教育,経済などすべての分野のすべての人のための,本当の社会のインフラとしての役割が期待されるようになりました。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.204

創造性について

 創造性については,あるエピソードを思い出します。私は日本とアメリカの両方で野外教育の指導者になるトレーニングを受けました。野外教育の体制は日本では昭和の初めから確立していました。トレーニングの骨子はそのころにアメリカから学び確立したものだと思います。そのテキストに,「10人の子供がいて9人が野球をやりたがり,1人が山で絵を描きたがっている。あなたはどうしますか?」という設問がありました。答えは「1人を説得して野球をやらせる」でした。何年か後にニューヨークでアメリカ向けのトレーニングを受けた際のテキストに全く同じ設問を発見しました。予想どおり原本はアメリカにあったというわけです。しかし,その答えは次のようなものでした。「9人に勝手に野球をやらせて,大切な1人の子と山に行きなさい」。このように,日本では独自の発想を後押ししない風潮があり,創造性の芽が育ちにくい背景がありましたが,最近ではその状況も変わってきています。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.188

ケーブルはどこを回っている?

 日本からのインターネットのケーブルは,太平洋からアメリカを経由してヨーロッパに回っており,日本海側にはつながっていませんでした。本来,日本海側からもヨーロッパにつながり,北半球をとりまく「ネックレス」ができていれば,どこか一箇所で何かトラブルが起きても,太平洋経由か日本海経由かどちらかは通信できるので,これは非常に重要です。
 南半球やアジアの国々についても同様のことがいえます。アジアのケーブルには,日本からシンガポールを経由してインドに行きインドから中東に行って,スエズ運河でヨーロッパに行く南回りの回線,およびアフリカに行く回線が物理的にはあります。これが日本を中心に見たときのアジアの生命線となっています。さらに,シンガポールから南下して,インドネシアを通ってオーストラリアに降りていくケーブルも,オセアニア地域,南半球にとっての命綱です。それから,太平洋を経由するケーブルに北回りと南回りがあり,これで日本は世界の中心になるわけです。
 このインフラを保ち,インターネットで有効に利用できることが基盤としての信頼性を作ることに他なりません。しかし,日本のインターネットのヨーロッパや中東アフリカ,インドとのトラフィックは,アメリカを回っているのが現状です。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.155

だから〇〇は

 不正な使用によって何か悪いことが起きたりすると、それはインターネットが広まったから起こったのだという考えに偏る傾向があります。そうすると問題はインターネットにあることになり、極端な話が、「だからインターネットを使わない」という結論となりうるわけです。これでは元になっている本質的な問題は解決されません。
 大切なことは、人類がこれまで問題を解決してきた方法と経験を生かすことです。本来私たちが責任を担っていること、たとえば子供の教育に対して責任を持つということ、あるいは人を傷つけるような犯罪行為はいけないということは、人間の社会の中でコンセンサスのあることです。ただしそれぞれの問題にどのように対応すべきかは違っていて,個々の問題の本質を理解しないと解決できないということを,私たちは知っているはずなのです。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.122

意識されないくらい当然の

 クラウドコンピューティングにおける分散処理の技術には,データやコンピュータがどこにあるのかといった物理的な情報を利用する側に意識させず,隠蔽していく中で,単純で抽象化されたサービスを提供するという使命があります。抽象化して透明にすること——これが分散処理の永遠の美学であることはすでに述べましたが,科学としてのその重要性は,透明に近い抽象化により直感的に利用できるようになっていれば,情報技術は人間の創造性を尊重し,人間の活動を自然に支援することができるという点にあります。つまり,人間がやりたいことに専念できる環境を構築できるのです。そのためには,ネットワーク越しであることが意識されないくらいの,高速で,快適で,安心なインターネットが地球全体になければいけないのです。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.103

周波数帯のおさらい

 短波(HF)は,3〜30メガヘルツの周波数のことで,お財布ケータイなどで使われています。微電力で使うと財布の中に入れておいてもちゃんと使えますが,大きな電力だと遠くに飛ぶ性質があります。したがって,短波ラジオなどとの混信に気をつける必要があります。
 次に,超短波(VHF)は,30〜300メガヘルツを示します。現在はFMラジオやアナログの地上波テレビ放送に使われています。2011年にアナログテレビ放送が終了すると,その「跡地」として新しいサービスでの利用を考えるのもこの周波数です。
 その次は極超短波(UHF)で,300〜3000メガヘルツ(3ギガヘルツ)です。デジタル通信で一番重宝されているのがこの周波数帯です。ほとんどの携帯電話,地上デジタルテレビ放送,無線LANなどがこの周波数を使います。世界で激しく伝播オークションが行われるのもこの周波数です。インターネット関連の技術が現在一番使いやすい周波数で,デジタル技術として普及も大きいため,利用コストは低く,権利価格が高くなっています。つまり地上の無線ビジネスとしては最も価値が高い周波数で,電波割り当ての政策的な議論の焦点はここにあるといっていいでしょう。
 マイクロ波(SHF)は,3〜30ギガヘルツのことで,一部の無線LANでも使っていますが,衛星通信など直進性を生かした利用が進んでいます。30ギガヘルツ以上のミリ波と呼ばれる周波数も,その直進性を生かした,障害物がない場合の通信のための周波数として期待されています。たとえば,高速道路で前後に走る自動車の間の通信,「車車間通信」などは,新しい技術が開発されれば,交通の安全管理にたいへん大きな貢献ができる分野として研究開発が進んでいます。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 pp.58-60

私たちが手に入れた社会基盤

 アナログ時代の縦割り社会では,分野ごとに機能する仕組によって社会は成り立ってきました。これに対して,医療,教育,環境問題など,人が関わるすべてのことをデジタルコミュニケーションの中で共通に考えていく基盤を私たちは手にしました。
 少子化社会の中で,デジタルコミュニケーションが教育に対してどのような役割を果たせるか。高齢化社会には,ポータブルデバイスは人の健康に対する大事な使命を持つのではないか。デジタルコミュニケーションの基盤であるインターネットは,さまざまな課題の共通の基盤として貢献しなければなりません。共通の基盤となれば,コストを軽減することができます。問題の解決にコンピュータやデジタル情報の流通が貢献し,そのためにインターネットの基盤が展開する。インターネットとは一見無関係なさまざまな課題に,インターネットによって取り組む可能性が広がってきています。

村井 純 (2010). インターネット新世代 岩波書店 p.47

確率と確定する現実

 氷河,星雲,ハリケーン,人間社会,生物種,有性生殖の個体や細胞の1つひとつはすべてユニークな(唯一無二の)存在である。どれもがさまざまな要素によって成り立っており,さまざまな要素の影響下にあるからである。これに対して,物理学者の研究対象である素粒子や同位体や,化学者の研究対象である分子は,種類が同じであればどれも特性は同じである。しかし,生物学者や歴史学者は,統計的な傾向しか引き出せない。私は常に高い確率で,自分が働くカリフォルニア大学メディカルセンターでこれから生まれる1000人の赤ちゃんのうち,480人以上520人以下が男児であると予測できる。しかし,私は,自分の2人の子どもが男児であることを予測できなかった。同様に,歴史学者は,人口が充分あって密度の稠密な,余剰食糧の蓄積が可能な部族社会(トライブ)は,そうでない部族社会よりも,首長社会(チーフダム)に発展する可能性が高いということはいえる。しかし,異なる地域には異なる人びとが存在しているので,メキシコの高地やグアテマラやペルーやマダガスカルで首長社会が誕生することはあっても,ニューギニアやガダルカナルで誕生することはなかった。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 pp.324-325

個人の影響力はワイルドカード

 個人の特質もまた,文化的特質と同じように,歴史のワイルドカードである。歴史は,このワイルドカードがあるために,環境的要因やほかの一般的な要因だけで説明できない部分を秘めているのである。しかし,偉人理論のもっとも熱心な賛同者でも,少数の偉人の業績という見地から人類史を特徴づける大きなパターンを解明するのはむずかしい。したがって,個人の特質の歴史への影響を通じて本書の課題を考えるのはあまり当を得ていない。おそらく,アレキサンダー大王は,すでに文字を持ち,食料生産をおこない,鉄で武装していた西ユーラシアの歴史の流れを少しは変えたかもしれない。しかし,オーストラリアが依然として文字や金属器を持たない狩猟採集民の大陸だった時代に,西ユーラシアにすでに文字や食料生産や鉄を持つ国家が存在したという事実は,アレキサンダー大王の業績とはなんの関係もないことである。いずれにせよ,現実の歴史に,個人がどのくらいの影響力をあたえうるかという疑問に対する答えはまだ出ていない。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 pp.320-321

結果もそれぞれに

 このように,自然の障壁がさほどなく,地域の地理的結びつきが強かったことは中国に有利にはたらいた。中国北部・中国南部・沿岸地方・内陸部は,それぞれ異なる作物や家畜をもたらし,異なる技術や文化を誕生させ,やがて統一される中国社会に貢献した。アワの栽培や青銅技術は中国北部を起源としている。中国の文字も北部で誕生した。米の栽培や鋳鉄技術は中国南部を起源としている。私は本書の考察を通じて,自然環境の障壁の少ない場所では技術が伝播しやすかった点を強調してきた。しかし,中国では,地域の地理的結びつきが強かったことが逆に作用し,1人の支配者の決定が全国の技術革新の流れを再三再四止めてしまうようなことが起こった。これとは逆に,分裂状態にあったヨーロッパでは,何十,何百といった小国家が誕生し,それぞれに独自の技術を競い合った。1つの小国家に受け容れられなかった技術も別の小国家に受け容れられた。ヨーロッパの小国家は,他の小国家に征服されたり経済的に取り残されるのを避けるために,他の小国家が受け容れた技術を受け容れざるをえなかった。ヨーロッパでは,自然の障壁が政治的統一をさまたげた。しかしそれは,技術やアイデアの伝播を妨げるほど大きな障壁ではなかった。中国には全土に影響力を行使できる支配者が存在したが,そのような支配者がヨーロッパに存在したことはなかった。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 pp.312-314

原因はさまざまに

 正確にいうならば,ヨーロッパに何百人もいた王侯の1人をコロンブスが5回目にして説得できたのは,ヨーロッパが政治的に統一されていなかったおかげである。やがて,アメリカを植民地化しはじめたスペインに流れ込む富を見て,6つの国がアメリカを植民地化しはじめる。これらの国々がスペインに追随したことは,大砲の威力を目にしたヨーロッパ諸国が競って大砲を使いはじめたことを思い起こさせる。電灯や印刷技術,小火器をはじめとするさまざまな新技術をヨーロッパ諸国が競って取り入れたことにも似ている。これらの新技術は,当初は何らかの理由で受け容れられなかった。ところが,いったんある地域で使われ始めるや,その後はヨーロッパ全土へと広がっていったのだ。
 このように,ヨーロッパと中国はきわだった対照を見せている。中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかった。たとえば,水力紡績機の開発も禁じて,14世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている。世界の先端を行っていた時計技術を事実上葬り去っている。中国は15世紀末以降,あらゆる機械や技術から手を引いてしまったのだ。政治的な統一の悪しき影響は,1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。現代中国においても,ほんの一握りの指導者の決定によって国じゅうの学校が5年間も閉鎖されたのである。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 pp.309-310

些細な原因から

 この些細とも思える地理的な植生のちがいは,とてつもなく大きな影響を現代政治におよぼしている。たとえば,南アフリカの白人は,喜望峰周辺に居住していたコイサン族を素早く虐殺したり,疫病を感染させたり,追い立てたりしているので,バンツー族よりも先に喜望峰周辺を占有したと主張でき,したがって喜望峰周辺を支配する優先権があると主張できた。しかしコイサン族に優先権がある土地だからといって,白人が略奪を差し控えることはなかったのだから,彼らの主張を真に受ける必要はない。それよりもっと重要なことは,1652年にやってきたオランダ人が,高い人口密度を誇り,鉄で武装した農耕民のバンツー族ではなく,低い人口密度の牧畜民のコイサン族を相手にするだけで入植できてしまった,ということである。というのも,この白人たちが東に拡散し,1702年にフィッシュ川のたもとで農耕民のコーサ族と遭遇してから以降は,両者のあいだで激戦が繰り返されるようになったからである。そのときすでに,ヨーロッパ人は喜望峰周辺の安全な基地から援軍を繰り出せるようになっていたが,コーサ族を征服するには,175年の歳月と9つの戦争を必要とした——平均すると,ヨーロッパ人は1年に1マイル(約1.6キロ)以下のペースでしか前進しなかったことになる。もしも,1652年に数隻の船で最初にやってきたオランダ人たちがコーサ族に直面して,激しい抵抗に遭遇していたら,はたして喜望峰周辺に入植することができただろうか。

ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰(訳) (2000). 銃・病原菌・鉄 下巻 草思社 p.190

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