忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

両親同伴

 また大学の入学式や卒業式における両親同伴は,今や普通の光景になりつつある。有名大学になると,自学の講堂などで収容しきれないため,やむを得ず学外のホールや会館などの大規模収容施設を借りて行うケースもある。こうした状況が,大都市圏の有名大学で年々増えている。ついこの4月にも,私の知人が「娘の晴れ姿を大学で見たいと思っていたのに,入学式を大学から離れたコンサートホールでやったので,ちょっと残念だった」と苦笑いしていたことを思い出す。でもその父親はこうも言っていた。「娘の大学にはもう何ども足を運んでいるので,見たことがないわけじゃないし,今後もまた出かける機会もあるだろうから」。
 今日はこれが普通の感覚に近いのかもしれない。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.156-157
PR

愛情の過剰摂取

 親が出しゃばれば子どもが引っ込む——これが世の中の道理だと思うのだが,どうなんだろうか。親の心子知らず,とは昔から言われることだが,最近はそんなことに構わず,親がどんどん積極的になっている。今の親世代といえば,とにかく親の干渉から逃れたくて,進学・就職・結婚といった節目で,親からの自立(独立?)を画策した世代のはずだ。その世代が,自分たちの子どもの世話を必死に焼き続けているというのは,どうも合点がいかない感じがする。
 親が子のことを心配するのは当然である。しかし,何かにつけて愛情を注ぐと,受ける側はそれが当然になってしまう。愛情の過剰摂取は,自分で努力する気持ちを弱体化させる危険をはらんでいる。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.148-149

親ができることは

 今は親世代の時代とは違う。新卒就職で失敗したら逃げ道がない時代ではまったくないのだ。仮につまずいても,第二新卒という手もあれば,中途採用という道だってある。決して易しくはないが,やり直す道は多数あるということだ。そうした面では,親目線から見た今の就活は,羨ましい限りかもしれない。確かに昨今の景気は厳しいが,それは昔も同じである。景気を言い訳にする前に,自分の希望ばかりを並べる前に,まずはやってみたらどうだと言いたい親も多いのではないだろうか。
 もし,自分なりにとことん考えて,それでも前に進めないというのなら,それは,前に進む勇気が足りないだけかもしれない。または,他の選択肢を考えてみるだけの視野がないのかもしれない。または,ダメなら就職しなくてフリーターでもいいかという甘えがどこかにあるのかもしれない。いずれにせよ,これは自分の問題でしかないのだ。親ができることがあるとすれば,就活の資金を援助してやること……くらいなのかもしれない。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.130-131

学生は一部の企業しか知らない

 学生が知っている企業というのは,残念ながらほんの一握りの超大企業・有名企業・人気企業でしかない。そこに多数の学生が,就職したいと押しかけてくる。その結果,なかなか内定がもらえず,今年の就活は相当に厳しいと口にしている……としたら,どうだろう。もうちょっと視野を広げ,いろんな会社を見てみてはどうかとアドバイスしたくならないだろうか。それこそ世の中には,星の数ほど会社はあるのだ。
 もちろん超大手を「諦めろ」「挑戦するだけムダだ」なんて言うつもりなど毛頭ない。凹んで,疲れて,落ち込むくらいなら,世の中にある無数の企業に目を向け,自分にベストマッチの会社・仕事を探すことに力を注ぐことが大事だということを,忘れないでほしいと思うだけである。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.78

第二新卒の意義

 第二新卒は,ある面,新卒採用失敗者のセーフティネット的な役割を果たしていると見ることができる。今の時代,一度失敗したら立ち直れない時代ではない。失敗の理由を明らかにし,それがわかったことを武器にすることができるのだ。
 もし読者の中に,新卒として就活に失敗した方や,その親御さんがいらっしゃるなら,悲観せずにすぐ就活を開始することをオススメする。第二新卒は,離職してからブランク期間が長いと,鮮度が落ちるからだ。企業側は,働いていないブランク期間の長い若者を嫌う。そのブランク期間に,意欲の弱さ,社会適応力の弱さを感じるからだ。自分の若さは,何者にも代え難い武器であると認識し,大事にしてもらいたい。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.70

会社と我が子は別

 どんな企業でも,様々な形態の非正規社員が存在するようになっている現在,フリーターに対してネガティブな声が多いことは事実であるが,多くの企業が彼らを積極的に活用しているのも事実である。彼らの労働力なくして,現在の企業活動は成り立たないというのが実態に近いのかもしれない。
 本書を手にしている就活学生の親世代であれば,こうした実勢は実感を伴って理解いただけることと思う。リストラの危機,実力主義の導入などは,決して新聞やテレビの中の話だけではすまされない。現実の職場ではフリーターの若者と共に働きつつ,家庭に帰れば我が子の就活を見守るその心中を推察すれば,複雑な思いもあるだろう。職場で接するフリーターたちは,我が子とそう違わない世代の,同じ若者である。彼らが安価な労働力を提供してくれるお陰で,企業は回っている。しかしながら,我が子のこととなると,話は別である。彼らの姿に未来の我が子をダブらせるわけにはいかないのだ。親心とはそうしたものである。とはいえ,現実は容赦ない。だから,気をもむのである。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス pp.63-64

地元大学へ進学する理由

 遠くの大学に進学して,生活費のためにバイトするくらいなら,親元から通って,バイトして稼いだ分は全学小遣いに回した方がいいじゃん……という考え方をするのが今の子どもたちの主流である。親世代にとっても,少しでも上位の学校へという欲もありながら,その後の就職も考えると,子どもを地元においておきたいという本音がある。また下宿して仕送りに苦労するくらいなら,私立であっても地元で通ってもらった方が経済的にも楽だという計算も成り立つ。地元大学への進学者増加は,親子の利害が一致した結果ともいえるのだ。

中村昭典 (2009). 親子就活:親の悩み,子どものホンネ アスキー・メディアワークス p.28

ステロイド推進派vs.否定派

 しばらく前から,日本の皮膚の学界ではアトピー性皮膚炎の治療にステロイドを用いることを認める「ステロイド派」と,ステロイドには副作用があるとして,その使用を認めない「アンチステロイド派」の争いが凄まじい様相を呈しています。主流派ステロイド容認派です。事の発端は「アンチステロイド派」の中に金儲け目的のインチキ療法が少なからず存在したことのようです。ストレイドが危険であると主張し,そのかわりに自前の治療法を売り込む。その中にはかえって肌荒れを引き起こす療法もありました。これはいけないことであり,患者の苦しみは十分理解できます。私はそういうインチキの被害を受けたことはありませんが,それにつけこむ輩は許せません。もっとも最近はタクロリムスという免疫反応を抑える薬もアトピー性皮膚炎に使われるようになり,争いは鎮まってはきています。
 ただ,以上を前提に言いますが,それでも代替療法の中には個人的に効果があるな,と認識できたものも確かにあったのです。これは私個人についてのみ特異的に起きたことかもしれません。一方,これも私の経験ですが,ステロイド外用剤の連用にそれほど神経質になる必要はないと思っています。ただし,ステロイド剤は炎症を抑える薬剤であって,今だ正体不明のアトピー性皮膚炎そのものの治療薬ではないことを申し添えておきます。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 pp.155-156

代替医療を贔屓する理由

 昨今の大病院の医者は何かにつけ「検査」を行い,患者そのものをろくに診もしません。私自身,それでひどい目にあったことがあります。結果として単なる坐骨神経痛だったのが,近所の大学付属病院の整形外科に行ったら,いきなりCTスキャンから始めて心臓カテーテルで足の血管造影までやらかし,数万円の検査料を取られ,結果は「よくわからない,治療する気もない」。複雑怪奇な検査の結果としてはあまりにあっさりと匙を投げられました。やむなく知り合いの神経生理の教授に紹介されたカイロプラクティックに出向いてみると,その先生は私の背中をじっと観察して,「あなたの背骨は曲がっています。それで神経が圧迫されて坐骨神経痛になっているのです。曲がっている反対側にストレッチしなさい」と言われ,実行したら数年来の痛みがケロリと治りました。ひたすら「観察する」ということは,病気を治す技術者である医師の務めでしょう。こうした事情も,私が東洋医学,あるいは代替医療を贔屓にする理由の1つです。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 p.109

無意味な議論

 最初の議論に戻りましょう。脳とは何でしょう。機能的に考えた場合の脳です。ある種の認識や判断や行動命令には,脳は必ずしも必要ではない。情報処理や恒常性維持(外部環境の変化に対し身体の中の状態を一定に保つこと)は,身体のあちこちの器官で,脳とは独自にやっています。それどころか,脳の機能と考えられてきた意識を正常に維持するには,骨や筋肉やそして皮膚が必要なのです。頭蓋骨の中の豆腐のような器官と,風呂でごしごしこすられる器官とで,どちらが上位か,どちらが重要か,どちらが「こころ」をつくっているか,そういう議論が無意味に思えてこないでしょうか。
 あえて言えば,絶え間なく変化する環境の中で生きている存在にとって,その境界たる皮膚の方が,生命維持のみを考えた場合,脳より上位と言うことも可能かもしれません。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 pp.101-102

光を感じる皮膚

 さて,皮膚は紫外線を感じますが,それより長い波長の目に見える光(可視光)の影響は受けない,と考えられてきました。ところが最近,その常識をくつがえす発見があったのです。
 皮膚の角層バリアをセロハンテープを貼ってはがすことで壊します。ここに光の三原色である赤,緑,青のLEDの光をあててみたのです。すると赤い光を当てるとバリアの回復が速くなる。緑は変化なし。青だとバリアの回復が遅れたのです。その後の研究で,培養した皮膚,つまり神経も血管もない皮膚でも同じ結果が得られました。つまり皮膚は可視光の三原色のそれぞれに異なる応答を示している。一歩踏み込んだ表現をすれば,色を識別しているのです。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 pp.41-42

律儀に法律を守った結果

 アメリカでは断種法を制定して30年の間に,実際に避妊手術を施されたのは2万件程度だった。しかし,ドイツでは,断種法が制定されて,わずか3年で10万件を超えたのである。
 またナチスは,断種法だけでなく,安楽死という方法で,精神病者などを抹殺していった。
 「回復不能な患者に特別な慈悲で死を与える」
 このようなスローガンのもと,T4作戦と呼ばれた安楽死政策は極秘に進められていった。これは主に精神障害者を対象としたものだったが,次第に適用範囲が広げられ,病弱者,老衰者,身体障害者などにも適用された。
 「回復不能かどうか」という判断は,担当医が作成したカルテをもとにして,親衛隊の医師数名が決断を下した。少なくとも6,7万人がこの政策で犠牲になったといわれている。
 親衛隊は,安楽死の事実を隠し遺族には死亡通知だけをしていた。しかし患者を強制収容所に引き取る際の手荒な行動が人目をひき,また強制収容所に連れて行かれたものの死亡があまりに多いことから,遺族の間から不審の声があがった。司法当局も事実解明に乗り出す動きを見せたために,ナチスはT4作戦を中断した。
 しかし戦争が激しくなるとともに,秘密裏に再開され,適用範囲は精神障害本人のみならずその子供にも及び,ナチス崩壊までに27万人の障害者たちが犠牲になったという。

武田知弘 (2006).ナチスの発明 彩図社 pp.205-206

断種法・移民制限法・優生保護法

 当初の優生学は人間という種の歴史的な研究が主なテーマだったが,次第に社会的弱者を迫害する思想にエスカレートしていく。「弱いものは滅びるのが自然の掟」と解釈されるようになっていったのである。そして,世界中で精神障害者,てんかん患者,知的障害者などへの産児制限,断種などが検討され始めたのだ。
 たとえば世界で初めて断種法を制定したのは,アメリカである。1907年インディアナ州で制定されたのをかわきりに,1923年までに全米32州で制定されている。このときの断種法は,ほとんどが精神病患者を対象にしたものだったが,カリフォルニア州などの一部の州では梅毒患者や性犯罪者も対象にしていたという。
 「明らかな社会不適合者に子供を作らせないことは,社会にとって善である」
 1927年,アメリカの連邦最高裁はそういう判断を下した。また1921年に制定された移民制限の法律も,優生学に基づいたものだった。「白人の純血を守るため」というのがその理由である。
 日本でも1931年に「らい予防法」が制定され,ハンセン病患者を収容所に隔離して断種手術や胎児の殺害などを行なってきた(1943年にハンセン病の薬が開発されたにも関わらず,この法律は1996年になるまで廃止されなかった。半世紀以上ハンセン病患者は隔離され続けてきたのである)。また戦後の昭和23年には,優生保護法が作られ,精神薄弱,精神病者などを対象とした妊娠中絶や断種手術が行なわれてきた。
 以上のように断種法は,決してナチスの専売特許ではなかった。ただ1つ言えることは,ナチスの場合,その実行が徹底していたのである。

武田知弘 (2006).ナチスの発明 彩図社 pp.203-204

親衛隊に入る条件

 ナチス親衛隊になるためには,入隊時に,血統,家庭環境,学歴など厳密に審査された。結婚も勝手には許されず,婚約者の健康診断,父母の経歴,近親者の精神病歴などの提出義務があった。
 また容姿も重要な条件となった。ドイツ民族を代表するような目鼻立ち,立派な体格が必要だったのだ。身長は最低170センチ以上とされたため2メートル近い身長の隊員が多く,ナチス幹部が親衛隊と会うときはいつも厚底のブーツを履いていたという。

武田知弘 (2006).ナチスの発明 彩図社 p.200

1939年の呪われた船

 ナチスのユダヤ人迫害政策は,世界各国の非難を浴びたが,だからといって世界各国が進んでユダヤ人に救済の手を差し伸べたかというと決してそうではなかった。世界恐慌でたくさんの失業者を抱えていた欧米諸国は,ユダヤ人移住の制限を行なっており,一部の国ではユダヤ人流入に対する激しいデモも起こっていた。
 1938年7月にはフランスで,ドイツにいるユダヤ人救済に関する会議が開かれた。ドイツのユダヤ人は,ドイツを離れようにも,受入国がなかなか見つからなかったのだ。そこでアメリカが音頭をとって,32ヵ国の代表を集め,この問題の解決策を講じようとしたのである。
 しかしこの会議は失敗に終わった。ナチスが移住先の国から1人当たり250ドルの支払いを求めるなど厳しい条件をつけていたこともあるが,各国ともこれ以上移民を受け入れることには慎重だったのだ。
 1939年の5月にはドイツの定期船「セントルイス」に乗り,裕福なユダヤ人が受け入れ国を探してハンブルグを出発した。大西洋を渡ったが,キューバとアメリカに下船を拒否され,ふたたびヨーロッパに戻ってきた。5週間も洋上をさまよったあげく,ようやくベルギーのアントワープで下船することができた。結果的にイギリス,ベルギー,フランス,オランダで何人かの難民が受け入れられたが,マスコミはこの船を「のろわれた船」と呼んだ。

武田知弘 (2006).ナチスの発明 彩図社 pp.167-168

能力が備わっていることと使えることは別

 これらのポイントから,書き言葉が発明される何千年も前から,人間にはそれを使いこなす能力が備わっていたことがはっきりと分かる。また,現在でもまだまだ読み書きができない人がたくさんいることも指摘しておくべきだろう。書くことに必要とされる生物学的な前提条件には手先の器用さ,空間感覚,そして言語それ自体が含まれる——音声言語も,言語音に対応付けられた所持システムの前提条件であっただろう。音声言語に必要とされる生物学的条件も,自律的な音声言語が発明される前から,やはりわれわれに備わっていた。私の分析が正しければ,書字の進化は言語の進化におけるもう1つの特徴も共有しているだろう。つまり書字もやはり慣習化したのだ。アイコン的な,おおよそ絵画的な表現から抽象的な図へと進化を遂げたのである。ちょうど言語自体がアイコン的ジェスチャーから抽象的な音声言語へ進化したのと同じである。先に見たように,あらゆるコミュニケーションシステムの進化においてアイコン的表現は抽象的になる。これはおそらく自然なことなのだろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.344

音声言語によるメリットは手が空くこと

 従って,音声言語が進化したのは,手の模倣的表現の自由度が上がったためではない。むしろ何か別の活動に手を使えるようになったためであろう。チャールズ・ダーウィンはあらゆることを考えていたようだ。「われわれは指をまるで精巧な機械のように使うことができる。訓練を積んだ人なら,講演で話される内容を手話に翻訳して聾の人に伝えることができる。素早く話されるすべての単語を伝えることが可能だ。その一方で,手を使えないと,つまりは別のことで手を使っていると,かなり深刻な不便が生ずる」とダーウィンは述べた。赤ん坊を抱いていたり,運転していたり,買い物袋をぶら下げていたりして手を別のことで使っていると,手を使ったコミュニケーションは困難になる。当たり前である。だが,そんなときでも話すことはできる。なお,この問題に対する手話話者の工夫は驚くべきものだ。しかし,言語に存在するさらに大切な利点は,手を使った作業で使われるテクニックを,誰かに説明することと関わるのだろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.329-330

脳の左右差があるかないか

 だが,ここで私が区別しておきたいことは左半球と右半球の情報処理の差ではない。むしろ,左右差がある脳と左右差がない脳の区別こそが重要なのだ。私が考えるに,大能の左右差は,重要なコントロールを要する行為に関係するものだ。おそらく,階層的な処理過程の構築に関わるもので,例えば,言語や道具づくり,心の理論などに関連する可能性がある。大脳の左右差がないひとたちは迷信やオカルト的な思考を信じやすい。だがその一方で,創造的で空間能力に長けているのかもしれない。これらの両極端な性質のバランスがC対立遺伝子とD対立遺伝子が存在することによって維持されているのだろう。このバランスは個人レベルでの選択によって保たれているだけでなく,社会全体としての選択も維持に関わっている可能性もある。いわば信仰と理性の葛藤である。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.305-306

脳の左右差が少ないこととオカルト信奉

 これまで多くの研究者が,大脳半球の左右差が小さくなると魔術的な考え,いわゆる「オカルト的妄想」を信じやすくなることを指摘している。オカルト的妄想とは,透視のような超感覚的知覚,念力,あるいは宇宙からの侵略者など,常識や常識的な物理法則と一致しない現象を信じることを指す。このような信念は統合失調症のような精神疾患で見られる。統合失調症の患者はどこかの組織が彼らの心におかしな考えを植え付けようとしているという妄想を持つ。そのために,超感覚的な手段,あるいは秘密の科学技術が用いられていると彼らは主張する。しかもそれを極めて強く確信しているのだ。
 両利きの人は統合失調型の性格特性を高く示すと報告されてきた。また,統合失調症の患者自身,両利きの人が多い,あるいは利き手があいまいな場合が多いとする報告もある。ティモシー・クロウはさらに「統合失調症はホモ・サピエンスが言語のために払った代償だ」とまで述べている。オカルト的妄想は大脳半球左右差と関連しているようだ。単語判断課題の結果からこれが支持されている。この課題では左と右の視野に瞬間的に単語が提示された。人間の脳は奇妙なつくりをしていて,左の視野の情報は脳の右側に送られ,右の視野にあるものは脳の左側に送られる。従って,多くの人では単語が右の視野に提示されたとき,左の視野のときより成績がよくなる。これは単語が脳の左側,すなわち言語を優位に処理する脳に送られるからである。逆に左の視野に単語が提示されたとき成績は悪くなる。これは右の脳には限られた言語能力しかないからである。実験の結果によれば,超感覚的知覚を強く信じている人は単語の判断において,予測された右視野の(脳の左半球の)優位が観察されなかった。また,オカルト的妄想の強さを質問紙で測ったところ,その評定値が高い人も同様に右視野(左半球)優位が観察されなかった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.300-301

利き手と認知的スキル

 利き手と読み能力,あるいはその他の認知スキルとの関連について,もっともインパクトのある研究結果は,イギリスにおいて1万2770人もの大集団検査を全国レベルで行ったものだ。利き手は,非常に強い左利きから,非常に強い右利きまでの連続量として測定された。さらに言語能力,非言語能力,読みの理解,数学能力が検査され,利き手得点との関連を調べた。これらの検査の成績はすべて,利き手得点がちょうど中程度のところで,目立って低くなっていた。つまり,左利きと右利きの成績はおおむね似たようなものだったが,両利きの成績が悪くなっていたのである。この現象に背後にクロウらは「半球非決定性」が存在すると主張している。彼らによれば,成績が下降した両利きのところが,半球非決定が起こっているポイントだとされる。半球非決定というアイデアから,CC遺伝子型において知的障害が生ずる可能性が示唆される。しかも,クロウらの研究はその障害が言語能力に限らないことを示した。ただしこのリスクは非常に小さい。CC遺伝子型の人々でも偶然の影響により利き手が一貫するようになることが多いからだ。単に左利きと,右利きを比べた研究ではこの効果が観察されていないことも,リスクが小さいことを示している。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.299

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]