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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ジェインズ本への批判

 ジュリアン・ジェインズは,刺激的な本を書いた。「意識の起源——2つに分かれた精神の消失」(邦題『神々の沈黙——意識の誕生と文明の興亡』)と題した本のなかで,およそ3千年前まで,人間の行動と意思決定は,幻聴や幻覚に強く影響されていたと述べた。つまり,「2つに分かれた」脳によって生み出され,神の声として解釈された幻聴や幻覚が人間の行動を左右したと考えた。ジェインズによれば,大能の左右差は紀元前2000年頃からおよそ1千年にわたって起きた大災害に対する反応として生じた。この大災害には,洪水,地震,民族の大移動,戦争と殺戮,そして株の暴落が含まれる。これらの大災害のせいで,左半球において自己意識が芽生え,さらに個人の行為に対する責任感が出現した。結果として人々は神の声を待たずに,自分の行動を自分自身で決定できるようになったのだ。ジェインズによれば,このような変化は叙事詩「イーリアス」や「オデュッセイア」の文体にはっきりと見ることができる。イーリアスには自分自身に対する言及がなく,一人称の使用もほとんどない。一方,オデュッセイアでは一人称がうまく使われており,全体的に「現代的」な仕上がりになっている。脳の左右差は,ジェインズによると,言語それ自体とは何一つ関係がないそうだ。言語はこれらの重要な出来事が起こる遥か前に進化したと彼は述べた。
 ジェインズの理論はまるでナンセンスだ。この本でこれまでに紹介した人間の進化に関する事実と全く相容れない。言語に関連する脳の左右差は,少なくとも200万年も前に存在した証拠がある。さらに,脳の左右差がたった1千年で進化することなど,どう考えてもあり得ない。ただし,左半球が意図的な行為を司っているというアイデアは,長く信じられてきたものだ。マイケル・ガザニガは,35年もの分離脳患者の研究から,左半球が全般的な翻訳機能を持つと結論した。分離脳患者とは,外科手術の結果,左右の脳の連絡が絶たれた患者である。この手術はてんかんの症状を緩和するために行われる。ガザニガによれば,左半球の翻訳機能とは「われわれに自分の行動を制御している感覚」を与えるものだ。これを支持する実験結果もある。健常者の脳活動を測ったところ,形態に関する強制二肢選択課題において,2本の指のどちらを動かすかを選ぶことは左半球が司っていることが示された。これは右手,左手のどちらの手の選択についても同じだった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.274-275
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話せるのはスパンドレルのため

 喉の奥へ喉頭が落ち込んでいったことは,明瞭に聞こえる音声言語が進化の過程で選択されたことがもたらした直接の結果ではなかっただろう。むしろ,二足歩行の結果もたらされたものに違いない。脊柱は大後頭孔と呼ばれる穴を通じて頭蓋に入る。四つ足歩行の動物ではこの穴は頭蓋の後ろに付いている。一方,二足歩行をする人類では,大後頭孔は四つ足動物に比べて前についており,頭蓋が若干後ろに傾いている。結果として,脊柱の上でバランスを取ることができ,あごが小さくなった。さらに声道が長くなり,喉頭が下へ下がったのである。このような変化は,二足で立つ姿勢が進化の過程で徐々に洗練されてくるにつれ,少しずつ生じたものだと考えられる。完全に獲得されたのは,ホモ・エルガスターやホモ・エレクトゥスの時代で,およそ200万年前と推定される。この説明が正しければ,喉頭の降下は「スパンドレル」の一例だ。スパンドレルとは生物メカニズムにおいて構造の変化がもらたらす(偶然の)帰結である。構造の変化自体は音声言語と何の直接的関係もないが,偶然にも促進作用があったのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.238

出アフリカは複数回あった可能性

 ホモ・サピエンスによるアフリカからの移民が何かいも行われたのはほぼ確実である。おそらくある程度連続的なものだっただろう。先に示したように,12万5千年前までには江海に沿って移民があった証拠がある。それが海に沿ってサウジアラビアへ,そしてイラクやイラン,果てにはパキスタンにまで広まった。さらに拡大は続き,パキスタンからインドの海岸線に沿って,6万7千年前には東南アジアにまで至った。移民が繰り返されるうちに,われわれの種は少なくとも6万年前までにニューギニアに,そして4万5千年前にはオーストラリアに到達した。他の移民と別れてヨーロッパにやってきた集団もあった。およそ4万年前に到達したと考えられている。この集団が最終的にはネアンデルタール人と入れ替わったのだ。また,アジアの移民たちはベーリング海峡を横切りアラスカに渡った。そしておよそ2万年前にはアメリカの西海岸に,そして1万3千年前には南アメリカに至った。また,アジアの移民の中には太平洋への冒険にこぎ出していったものもいた。そして西暦1300年頃にニュージーランドに到達した。
 しかし,最初の移民の子孫は生き残ることができなかったことを示す証拠もある。従って,世界各地に広がった現代人の祖先がアフリカから出ていったのは,初期の移民よりもずっと最近のことであろう。世界中のさまざまな地域から集められた53人の現代人についてミトコンドリアDNAの解析を行ったところ,アフリカとアフリカ以外に住む人々に共通する祖先はおよそ5万2千年前のホモ・サピエンスであることがわかった。ただし,アフリカの人々に限ればその系統を,およそ17万年前ぐらいまでさかのぼることができる。これはおよそ5万年前にアフリカから出発したホモ・サピエンスの集団があり,それが最終的には移民先で出会った先住のホミニンたちと入れ替わってしまったことを示唆する。先住のホミニンたちは,いわば絶滅が運命づけられていた。そのなかにはもっと昔に移民したヨーロッパのネアンデルタール人や東南アジアのホモ・エレクトゥス——そして初期の移民としてアフリカを出ていったホモ・サピエンスもいたであろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.228-229

手話の否定文と疑問文

 音声言語と手話言語には違いもある。手話言語では文法的な意味づけと内容の伝達が同時に行われる。手話単語の要素も時系列的ではなく同時に伝えられる。これと似たようなものだ。例えば,肯定文を否定文に書き換えることを考えてみよう。英語では「not」を文中に挿入することで否定文と文法的に定義する(もちろんこの他の変化もしばしば伴う)。例文をあげるなら,「The cow jumped over the moon(牛は月よりも高く跳ねた)」は「The cow did not jump over the moon(牛は月より高くは飛ばなかった)」になる。もしくは「I kid you(だましたんだよ)」は「I kid you not(だましていないよ)」となる。信じてほしい。アメリカの手話では先に述べたように,否定は眉を寄せながら頭を振ることで伝えられる。そうでなければ肯定だ。頭を振りながら,「go」のサインを出すのは,I am going からI am not going へ変化したことを意味する。他にも顔のジェスチャーを使って文法的な意味づけを行う方法がある。「cow-jump-moon(牛—跳ねる—月)」という手話単語の系列は,頭を前に出し肩を動かして,さらに眉をつり上げながら行えば「Did the cow jump over the moon?(牛は月の向こうに飛んでいったかい?)」という疑問文になる。頭を後ろに傾けて,眉と上唇を上げながら同じ系列「cow-jump-moon」を行えば,この部分は分のなかの関係詞節として認識される。例えば,「The cow that jumped over the moon broke a leg(月の向こうに飛んでいった牛は足を骨折した)」のような文で使われるようなものだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.199-200

音声は文脈や状況に依存する

 単語が異なると,同じと認識される音素でも物理的には異なっている。これはいわゆる「同時調音」と関連する。「bonnet」の/b/音と「bed」の/b/音が違うのは,次の音である/o/(あるいは/e/)を出すために唇と口の形がすでにでき上がっているからだ。そのせいで実際に出てくる音が変わってしまうのだ。鏡の前に立って,「bonnet」と「bed」を言うときの口の動きを注意してみて欲しい。口が違う動きをしているのが見えるだろう。/b/音の違いをほとんど聞き取れないのは,脳の素晴らしい補完能力(あるいは偽装能力?)のためである。実のところ,/b/音は,別の有声音の音素が後に続かなければ,適切に発音することなど全くできない。つまり,音素は完全に文脈や状況に依存したものだと言ってよい。特に驚くべき差が子音にある。この差は前あるいは後に付く母音によるものだ。例えば,「rob(奪う)」と「rod(棒)」という単語について考えてみよう。これらの単語を単独で発声するとき,あるいは,文末で発声するとき,最後の音素はたいてい発音されない。ただし,発音はされないが,前にある母音をほんの少しだけ変調させる。つまり,発音はされないが前後の音には確かに影響を与えるのだ。私が考えるに,この区別は話し手の口を見ていることでしかできないだろう。「rob」の時は最後に口が閉じ,「rod」の時は口が開いたままである。逆に「bog(沼地)」と「dog(犬)」のような単語は/b/と/d/の音は遥かに区別が簡単だ。まるで違ったように発音できるだろう。このように見てくると,音素には,特にいわゆる破裂音と呼ばれる/b/,/d/,/g/,/p/,/t/,/k/には,幽霊のような性質があることが分かる。ちょうど存在しているのか疑わしいという点で幽霊にそっくりだ。こんな幽霊が出てきてしまう理由は,それぞれの音素があまりにも激しく変化するためだ。何しろあまりにも変化が激しいので人間の音声言語を正確に聞き取るコンピュータが作れない位である。人間の脳はこの問題を実にエレガントに解いている。ただし,誰もその仕組みをきちんと理解できていない。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.194-195

音声言語は音の錯覚だらけ

 実際の使用において,同じと認識される音素でも物理的にはさまざまな違いがある。決して単一の音ではない。まずはじめに,個人個人で声が違う。だから厳密に言えば,私達は全員が異なった音素で言葉を発している。さらに,同一人物が発する音素ですら,文脈に依存した違いがある。例えば,物理的な音のパターンからすると,「fish」の/f/音と「coffee」の/f/音は同じではない。「bonnet」の/b/音と「bed」の/b/音もやはり違う。そういわれてもピンとこないかもしれないが,物理的に測定すると確かに違う。つまり,私たちには物理的には異なる音素でも,同じものとして聞いてしまう傾向があるのだ。実は,音響スペクトログラフという装置が発明されるまで誰もそんなことは知らなかった。この装置は,時間経過に従って,測定した音の周波数帯域を視覚的に出力するものだ。つまり,音に含まれる情報を正確に視覚情報として理解できる。この装置の出力を見てみると,多くの音素が,たとえ私たちにはっきり聞こえたとしても,音響スペクトログラフに記録すらされていないことが明らかになった。また,同じと考えられていた音素が周波数的には全く違うこともあった。技術的には,発話される実際の音は「単音(phones)」と呼ばれる。これが,音響スペクトログラフで記録されるものだ。一方,音素(phonemes)は単音の抽象的カテゴリーである。極めて抽象的なものと言ってよい。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.194

手話言語の発達過程

 子供が手話を獲得する過程からも,手話の自然さがとてもよく分かる。赤ん坊の頃から手話にふれると,音声言語だけに接している子よりも,速く,しかもたやすく言葉を学ぶと言われている。事実,手話を学んだ子供が何か手話で話すようになるのは,口話を学んだ子供が単語を声に出すよりも1,2ヵ月早い。ただし,さらに詳細に分析すると,初期の手話単語は完全な単語と呼べるものではない。多少の違いがあるのだ。また,口語を喋る子も,はじめは話すよりも,ずっと頻繁にジェスチャーをするものだ。一方,二語文を話すようになると,口語を話す子供は発声を重視するように切り替わり,手話の子供は手話単語を組み合わせて使うようになる。この時点から,言語発達の過程は,音声言語でも手話言語でも基本的に全く同じになる。
 手話を使う聾の両親に育てられた聾児には,「手話」でバブバブと喃語を言う段階がある。手や指を繰り返して動かす動作がこれにあたる。ちょうど,話し言葉を聞かされる健常な赤ちゃんが,「が,が,が」といった声を発するようなものだ。喃語は,「音声言語」に先立つ重要なものと一般に考えられている。しかし,この目をみはるべき結果は,喃語が,音声言語と手話のどちらにおいても「言語」の先駆けとして重要であることをはっきりと示している。また,手話に接したことのない健常児でも,喃語のようなジェスチャーをすることがある。これはジェスチャーが声を発することと同じくらい幼児期に重要であることを示唆している。その後に学ぶ言語が音声言語か手話かに関わらず,名前のある物体や行為の同定における参照の基礎となるのは初期のジェスチャーなのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.184-185

手話に疑問を抱く人びと

 けれどもその頃(実は今でも同じだが),聾者の教育に手話を使うことに疑問を抱く人もいた。また,手話教育施設をなくし,「口話」学校に通うようにすべきだというひともいた(今でもいる)。この「口話主義」への動きは19世紀頃に活発で,特にアレクザンダー・グレアム・ベルのような有名人からの影響が大きかった。何しろベルは電話という人の声を増幅する発明をしたのだから,口話を重視するのは当たり前だ。1880年にミラノで開催された国際聾教育者会議で問題はさらに深刻になった。会議の席で,口話主義を推し進めることが投票の結果認められた。そして,手話は公的に禁じられたのだった。このような流れは1970年代まで続いた。結果として多くのひとが長い間ひどい被害にあったのだった。1972年にアメリカで行われた調査,およびその数年後イギリスで行われた調査で,聾者は,中学校卒業時に平均して9才程度の読解能力しか獲得できていないことが明らかになった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.177

聾者への教育の歴史

 1750年になるまで,99.9%の聾者は,文字を読むことや教育を受けることに希望を抱くことすら許されなかった.18世紀の終わり頃,フランスで手話が正統な言語であると認知されはじめるまで,この認識に変化はなかった。変化が起きたのはド・レペー師の影響が大きい。彼は神の言葉を奪われた聾唖者の魂を,聖書と公教要理を使って救おうと決意した人物だった。ド・レペー師はパリの路地裏にいる聾者が互いに出し合うジェスチャー・サインの巧みな動きにたいへん感心した。そして,コンディヤックの仮説を再び提唱したのだった。「あなたがた学者はあらゆる言語に共通する普遍言語を探し求め,見つからないため絶望しています。しかし,それはここにあるのです。まさにあなたの目の前にあります。そう,それこそが貧しい聾者がおこなっている模倣なのです。それお知らなかったため,あなたは模倣を馬鹿にしていたでしょう。しかし,聾者の模倣こそがすべての言語に対する鍵を与えてくれるものです」。これを聞いたら,拍手をせずにはいられない。やがてド・レペー師は1755年に聾者のための学校を設立した。そして,聾の生徒たちが自然に使っている手話を組み合わせて手話の文法を作り,学校で読書を教えるようになった。そう,聾教育がはじまったのだ。この施設は公的な支援を受けた最初の聾学校となり,1791年に国立パリ聾唖学校となった。
 この素晴らしい試みが広がるには少し時間がかかった。1816年に,この学校の生徒であったローラン・クレークはアメリカに渡った。彼の知性と博識に対し,アメリカの人たちはすぐに好感を持った。そして1817年にハートフォードでトーマス・ギャローデットとともにアメリカ聾教育施設を設立した。この施設が現代へ連なる手話教育の伝統を創り上げることになった。彼らはアメリカ手話の開発も行った。アメリカ手話はクレークによってフランスから紹介されたものとアメリカで現地の聾者が使っていたものを組み合わせたものだった。1864年にアメリカ議会はコロンビア盲聾唖教育施設を国立聾唖大学に格上げする議案を通過させた。そしてその後,初代校長であるエドワード・ギャローデットの名を取りギャローデット大学(Gallaudet College)と名付けられた。ちなみにエドワードはトーマス・ギャローデットの息子である。さらにその後ギャローデット(総合)大学(Gallaudet University)へ変更された。現在でも,聾者のためだけに教養教育を行う世界で唯一の大学である。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.175-177

発声とジェスチャーの干渉

 指示的ジェスチャーには発声の先駆けになったことを示す側面がある。ジェスチャーと発声を同時に行うとき,例えば二重課題で,画面に出てきたシンボルの名前を言うことと,そのシンボルに対応した手の形をつくることを同時に行うとき,発声とジェスチャーが干渉し合うことがある。ただし干渉の程度は等しくないようだ。ジェスチャーのせいで発声はわずかに遅くなるが,ジェスチャーが発声の課題のせいで遅くなることはない。また,説明のためのジェスチャーは関連する発声に先立って行われ,後になることはない。また,ジェスチャーは単語検索を促進することも知られている。これらの現象はジェスチャーがコミュニケーションの体系の中にしっかりと確立されていることを示す。おそらく進化の過程に原因を見つけることができるだろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.167-168

ジェスチャーが先行する

 初期のホモ・サピエンスも少しはしゃべっていただろう。しかし,この200万年間の言語の発達は,音声よりも,むしろおおむね手を使ったジェスチャーにおけるものだったと私は考える。それを支持する証拠もある。まずはじめに,先述のようにわれわれ霊長類の祖先は意図的に音声シグナルを生み出すことにあまり適した体の構造をしていなかった。むしろ,手や腕が意図的な運動にはずっと向いていたのである。第2に音声コミュニケーションは音のせいで敵に見つかる危険性があるが,手を使ったジェスチャーでは音がしない。現存する狩猟採集民族のクン・サン族は,獲物を探しているとき,鳥の鳴き声をつかてコミュニケーションをする。その後,再び音のしないシグナルを交換しながら,,気づいていない獲物に近づいていくのである。第3にコミュニケーションの多くは位置を指し示すことに関わっている。例えば,敵や獲物がどこに潜んでいるかを示すときに使われる。位置情報は指さしや視線を向けることで的確に,しかも素早く伝達することができる。喉から出てくるノイズはこれより劣る。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.164

人間は仲間を容赦なく殺す動物である

 ビンガムはタダ乗りを防止するコストは,離れたところから殺傷したり怪我を負わせたりする手段を持つことで大幅に軽減されると論じた。だが,私にはこれが決定的な要因であるとはあまり思えない。だが,私にはこれが決定的な要因であるとはあまり思えない。ビンガム自身も言うように,コストがメンバーの間で共有されるなら,1人あたりの損失は大幅に減少するからである。10頭のライオンが1匹のタダ乗りライオンをやっつけるにはたしいたコストはかからないだろう。人間でも同様だ。重を持った0人の男が,1人の裏切り者を始末するのはそれほど難しくない。1人ずつで見れば返り討ちにあうリスクは決して大きくない。そうとはいえ,協力関係の維持を考えるとき,単に離れたところからでも殺傷できるという理由で,銃を持った人間はライオンより勝っていると言えるだろうか?
 その可能性は確かにある。1つの可能性として,協力関係がより高度な武器の発明につながったことが考えられる。実際,ホミニンの進化の大部分は武器づくりの競争と言うこともできる。われわれの武器は,単純に石を投げるところからはじまった。やがて槍,そして弓と矢を使うようになった。さらに,銃,爆薬,核兵器へと進歩(この表現が正しいなら)した。また,ビンガムは人間が伝統的な敵より,むしろ協力関係にある仲間を容赦なく殺すことを示す統計を引用した。この統計は驚くべきものだった。20世紀には,少なくとも1億7千万人,最大の見積もりでは3億6千万人が自国の政府によって殺害された。このような残酷な時代が終わってくれたことはありがたい。一方,20世紀の大戦における死亡者数はたった4200万人なのだ。カンボジアではクメール・ルージュの時代である1975年から1979年に,人口のおよそ3分の1が殺された。これは大規模な協力関係を維持するコストの極端な例だろう。だが,カート・ヴォネガットの言葉にあるように,そういうものなのだ(So it goes)。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.158-159

人間が急ぐ理由

 サバンナにいる他の種が,捕食者から逃れるためにできることは感覚を研ぎすますことだけだ。鋭い感覚で敵を察知し,すばやい足で逃げるのである。またほとんどの捕食者は空腹の時だけ狩りをする。狩りも物理的あるいは身体的な手がかりに依存している。それを使って獲物にねらいをつけ,追い詰めるのだ。対照的に,ホミニンは生存のために認知的方略を進化させた。他の種が身体を使うなら,人間は頭を使うというわけだ。ホミニンの狩りでは前もって獲物の活動を予測し,危険を最小にとどめ,攻撃が成功する可能性を最大に高めようとする。トム・サダンドーフは「お腹がいっぱいになったライオンはシマウマにとってまるで怖くはないが,腹一杯の人間はおそらく相当に恐ろしいものだろう」と述べている。おそらく,このために人間には時間がないのであろう。悲しくなってしまうくらい,われわれは時間に追われている。なにせお腹が減っていなくとも,食べ物を探し求めてしまうのだから。いくら忙しくとも,たっぷり時間を使ってスーパーマーケットで買い物をしてしまうのも同じ理由だ。他の動物はもっと優雅に(あるいはダラダラと)時間を使っているように見える。そう,ネコなんかはうらやましい限りだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.154-155

水辺での進化と脳の大きさ

 脳サイズの増大は水辺での暮らしとも関連するかもしれない。脳の発達には複合脂肪酸の一種,ドコサヘキサエン酸が必要である。DHAと呼ばれているものだ。この脂肪酸は発達の過程において体内で合成される。しかし,人間の赤ちゃんは自分の体内だけではこの物質の十分な量を合成できない。この不足を補うには脂肪酸を外から,つまり食べたり飲んだりして摂取する必要がある。DHAは地上の食物だけでは不足する。地上生物の食物連鎖に沢山は含まれていないからだ。しかし,面白いことに貝や魚など海の生物に多分に含まれている。子供の頃,もしお母さんに「魚は頭に良い」と言われたなら,それはまさにその通りで,お母さんは正しかった。ただし,今頃になって食べはじめてももう遅い。DHAは大人の脳を大きくはしないのだ。二百万から三百万年前に海辺で生活していたホミニンたちはDHAがふんだんに含まれている食料を採っていたに違いない。これが進化の過程でわれわれの脳を大きくした原因だったのだろう。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.150

水中進化説について

 二足歩行が水中の歩行,および泳ぐことによって起こった適応だというアイデアは,私にはなかなか良いものに思える。体毛がない,皮下脂肪が厚い,体長の割りに足が長い,鼻が下を向いているなど,他の霊長類にない人間の解剖学的特徴も水中環境で生きていたというアイデアに合致するようだ。これらの特徴は地面の上だけで生きていたというアイデアにはあまり一致しない。一方で,二足歩行はさまざまな災いも呼んできた。静脈瘤,痔,腰痛,そして膝や背骨の痛みである。たぶん,昔のように砂浜のそばで生活した方が,私達はよっぽど幸せになれるだろう。
 だが,すべての証拠が水中説を支持しているわけではない。アウストラロピテクス・アファレンシスは3つの場所で発見された。3つの場所はそれぞれ異なる地域に属する。タンザニアのラエトリ,エチオピアのハダー,チャドのバー・エル・ガザルである。最後の2つは湖や川の近くだが,ラエトリは水源の近くではないようだ。このように初期ホミニンが非常に広い範囲で見つかっていることを考えると,私たちはまるで落ち着きがなく,よく移動したようだ。しかも,変化に富んだ環境をさまざまに行き来できるくらい多才だったと考えられる。そして200万年前頃になると,たくさんのホミニンがアフリカを出て,さらにバラエティーに富んだ環境に暮らすようになった。さまざまな状況に適応できる能力は,祖先から引き継いだ本当に素晴らしい財産である。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.124-125

手の動きと発声

 極めて発達した手や腕のコントロール,そして正確な三次元視覚を身につけたことで,霊長類は世界とのコミュニケーションに生得的な基盤を手に入れた。手と腕の動きは大脳皮質の高次中枢でコントロールされるのに対し,発声は(完全にではないが)もっと初期の皮質下の領域でコントロールされる。これは手の動きが「意図的」であることを意味する。いわば,その場で柔軟にプログラム可能で,新奇な状況に対応できるようになっているのだ。一方,発声は大部分決まった状況に結びついている。前章で見たように,チンパンジーでさえ適切な感情状態になければ音声を発することはできず,逆に感情的に生じた音声を抑制することもできなかった。ちょうど人間が笑うことや泣くことをしばしば抑制できないのとよく似ている。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.75-76

サルの言語獲得の重要な結論

 サルに言葉を教える挑戦もすでに50年続いてきた。専門家の間では結論がどうなるかまだまだ意見が分かれている。おそらくびっくりするぐらい意見は不一致だ。しかしながら,今のところ重要な結論を2つ述べることができる。1つめは,サルに声を出して話させようとしても無駄だということだ。カンジは言葉を聞いて理解することに驚くほど長けていたが,声を出して話すことはできなかった。彼の叫び声と話し言葉に似ているところはまるでない。また,彼の声はジェスチャーやレギングラムによるコミュニケーションにおいて感情を込めるために使われるおまけのようなものだった。
 2つ目は,少なくとも大型類人猿は,視覚的な手段を使えばとてもうまくコミュニケーションができることだ。彼らはジェスチャーをやって見せることも理解することもできる。ジェスチャーには顔の表情も含まれる。また,彼らは人工的なシンボルを使い,シンボルを指差すなどの操作をすることによって,対話者とコミュニケーションができる。このように視覚的にコミュニケーションを行うことは間違いなく意図的なものであり,単に感情状態に依存しているわけではない。実際,ジェーン・グドールが紹介したチンパンジーが食べ物に関する叫び声を抑制しようとした例は,意図でコントロールできない叫び声とそれを抑制しようと口を手でふさぐという意図的なジェスチャーが別であることをうまく表している。彼らは口で嘘をつくことはできないが,手で人の目をあざむくことはできるのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.63-64

音を模倣する生物

 鳥類とは対照的に,人間と海中のほ乳類を除き,ほぼすべての哺乳類は音の模倣ができない。その見込すらないと言っていいだろう。テレンス・ディーコンはボストン水族館に行ったときの出来事について語っている。彼は「おい,おい,おい,さっさと出てけよ!」という大声を聞いて驚いた。それはフーバーという名の話すオットセイだった(残念だがもう亡くなった)。他のオットセイが人の声を真似しないことを考えると,フーバーはかなり変わったオットセイだったのだろう。イルカもまたたいへん真似が上手で,ほかのイルカの鳴き声をあっという間に覚えて真似てしまう。さらに人間の声を真似るのもとても上手いらしい。イルカはとても社会的な動物で,鳴き声の模倣をどうやらグループ内のイルカを見分けたり,親類かどうかを確認するために使っているようである。逆に,霊長類は基本的に視覚的な動物で,顔の知覚的認知に大変優れている。それに特化した機能を持っていると言ってよい。この能力があるからこそ空港で,それこそ何百もの顔の中から友達を見つけることができるのだ。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.42

オウムのアレックス

 模倣を越えた能力を持つオウムが少なくとも1羽はいる。アレックスと名付けられたこのオウムはイレーネ・ペパーバーグが育てたものだ。アレックスは100を超える事物や行為を表す単語を使用でき,簡単な命令文を話すこともできる。さらに場所や形,彼が見たものの数について答えることもできる。これはアレックスが単語を複雑なかたちでつなぎ合わせる能力があることを示している。アレックスは確かにすごい。しかし,彼が発する音声に文法あるいはそれに類するものは一切含まれていなかった。再帰,時制,句の挿入など,真の言語に存在するあらゆる生成性がなかった。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.41-42

クレオール化

 文法に生まれつきのメカニズムが関与しているという主張は「クレオール化」と呼ばれる現象にも基づいている。植民地の拡大が続いた帝国主義時代,ヨーロッパの商人や入植者たちは,先住民族と「ピジン語」と呼ばれる間に合わせの言葉でコミュニケーションを取った。ピジンには実質的に文法がないといってよい。時制もないし,a や the といった冠詞もない。しかし,商売上のやりとりのような簡単な情報の伝達には十分に役に立つのである。ピジン語を複雑にすることもできる。しかし,複雑さの質が統語を使用した言語とは違っている。ピジン語の複雑さは,単語の連合による単純増加型のものである。ソロモン諸島のピジン語で,チャールズ皇太子は「ミサスクインのピキニーニ(pikinini belong Missus Kwin)」であり,ダイアナ妃は「ミサスクインのピキニーニのメリ(Meri belong pikinini belong Missus Kwin)」であった。少なくとも彼女の離婚まではそうだった。離婚後,彼女の肩書きはさらに格上になった。「このメラヘリはミサスクインのピキニーニのメリがおしまいになったもの(this fella Meri be Meri belong pikinini belong Missus Kwin bim go finish)」。
 ハワイで行われた研究から,ピジン語が世代を経るとさらに洗練されることが分かった。この洗練されたピジン語を「クレオール語」と呼ぶ。ピジン語と違い,クレオール語ではきちんとした文法がある。クレオールの文法は赤ちゃんの脳から生まれてくるのである。クレオール語の文法の誕生に必要なことは,赤ちゃんをピジン語に触れさせることだけだ。なんと,両親の助けがいっさいなくとも子供たちは文法を勝手に創り上げてしまうのだ。これには子供たちの脳に組み込まれた本能的な文法機構が関与していると思われる。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 pp.24-25

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