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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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少ないほど豊か(less is more)原理

 文法の学習で問題になるのはその階層構造である。句の挿入や句全体の移動に関する規則もあれば,個々の単語の置換や屈折に関する規則もある。さらに単語内の要素に関する規則すらある。エルマンの研究は,このような問題がネットワークに成長要因を導入することにより解決できることを示唆する。初期状態での大まかな全体的分析が,徐々にどんどん細部に至るようになるからだ。発達心理学者のエリザ・ニューポートはこれを「少ないほど豊か(less is more)」原理と呼んでいる。ニューポートによれば,子どもたちが言語をたやすく学習できるのは,はじめはかなり大雑把に情報を処理しているからである。この大雑把な処理は時間とともに細部に及ぶようになる。スティーブン・ピンカーが指摘するように,子供たちがうまく学習するのは,彼らが言語の天才だからではなく,彼らの学習が散漫でうまく形づくられていないからだ。それは徐々に焦点が合っていく望遠鏡に似ている。最初はぼんやりと輪郭だけが見え,やがて詳細がくっきりと浮かび上がるのである。

マイケル・コーバリス 大久保街亜(訳) (2008).言葉は身振りから進化した:進化心理学が探る言語の起源 勁草書房 p.21
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独立系メディアと主流派メディア

 僕はそれから,独立系メディアと主流派メディア,この両者間の戦いの何たるかを理解するようになっていった。一方には力と膨大な読者。もう一方には情熱と,それから,巨大企業組織にとって不適切であるために,主流派メディアが素通りするような内容がある。
 独立系メディアの出版物とウェブサイトの多くは読者が少ないが,広告スペースを売る必要もない。独立系メディアには,報道の質を重視する筋金入りのジャーナリストが多く,主流派メディアのサラリーマン記者を威圧する者たちを苛立たせるような報道をすることに,むしろ興奮を覚える。おなじみの「謀略論」で独立系メディアを攻撃する卑劣な手口は,政府と企業が共謀してうまい汁を吸っていることがばればれの時代の大衆には通用しない。

ジェイソン・レオポルド 青木 玲(訳) (2007).ニュース・ジャンキー:コカイン中毒よりももっとひどいスクープ中毒 亜紀書房 p.317

スタイルがわかれば争いも減る

 男女のスタイルに気づかないうちは,互いに相手の性格(「あなたは自己中心的だわ」「君は非論理的だよ」)や,意図(「聞いてくれる気持ちがないのね」「僕の話の邪魔をするつもりかい」)を,悪者に仕立ててしまいがちだ。
 しかし,それがスタイルの違いとわかれば,ムダな衝突は避けられる。「あなたは私の話に興味がないのね」「私のことを心配してくれていないんでしょう」「君は僕の自由をとり上げようっていうのかい」などとののしりながら,いちばん親しいはずの人とやりあうのはこの上なく寂しい。
 そんなときに,「この人は私とは違ったスタイルで,話に耳を傾けているんだわ」「彼は彼なりの方法で,私を気づかっているのよ」「彼女は僕との間に真剣に<親和>を築こうとしてるんだな」と理解できたなら,相手を非難したり自分を責めたりすることなく,自ら姿勢を調整し,相手にも協力してもらいながら,相互理解のベースに立ったやりとりができるはずだ。
 もちろん,互いの会話スタイルが理解できたところで,意見の不一致そのものはなくせないだろう。しかし,スタイルの相違に振りまわされず,純粋に問題そのものに焦点を当てた話しあいはできるようになると思う。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.291-292

会話スタイルが異なる

 男と女が,互いに相手から話を妨害されたと感じるのは,それぞれの会話スタイルが違うからにほかならない。会話を「競合」としてとらえる男は,他人の話の聞き役に甘んじるよりは,むしろ会話を自分の思いどおりの方向——たいていは自分が主役になって話したり,ジョークを披露したり,知識を誇示したりできる方向——へと,導こうとする。しかし,そのときには,相手もまた自分と同じように,会話の主導権を守るために応戦するものと考えている。
 ところが女性は,そうした戦いを避けがちだ。ただし自分に自信がないからではない。<和合>を大切にするから,争いは敬遠しようとするだけのことである。女性は,話題を自分の思いどおりに変えることを,会話というゲームにおける1つの「手」だとは考えない。ゲームのルールを破る「反則」と見なしてしまうのだ。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.258-259

男女の関係における非対称性

 時代が変わり,男と女の関係においても,いろいろな面が変わった。今では,「オレは男でオマエは女。だからオレのほうが偉いんだ」などと,口に出して言う男性はまずいまい。しかし,お互いの関係の中で,どこかにそんな男性の潜在意識を感じて,不満に思っている女性がかなりいることも事実である。
 せっかくの「会話」が,いつの間にやら「講義」に変わり,男は先生よろしく一方的に講釈しまくり,女は生徒よろしくただただ忠実な聞き手にまわされる——こんな場面も,ときに見受けられる。
 ここにも,男女の関係における「非対称性」が見てとれる。もしも男と女が交互に先生と生徒を演じていくのなら,問題はない。しかし,女性は<和合>を築こうとするあまり,どれほど情報や専門知識をもっている場合でも,それを誇示するよりは控えめにふるまうことが多い。
 一方の男性は,<地位>を重視するから,それを誇示できる機会を見つけては,ここぞとばかりに主役の座を狙うのである。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.153-154

男女双方において姿勢を修正することが必要

 男女の混じった集まりで,男ばかりが発言するような状況に接すると,たくさんの女性——そしてコミュニケーションの研究家までも——が,男が会を「牛耳って」いる,男は女性が会話に参加することを妨げて自分たちの優位性を誇示している,と解釈してしまいがちだ。しかし,たとえ結果的に男性がその場の会話を独占する形になったにせよ,彼らは意図的に女性から発言のチャンスを奪いとっているわけではない。よく発言する人は,ほかの人たちにも平等に発言のチャンスが与えられていると考えているのだ。
 その意味では,男性は女性を自分と対等に見なしているといえる。つまり,「男も女も関係なく,誰でも主役になれるんだ」ということだ。そもそも女性自身の目から見ても,男性を責めるだけではなく,自分たちももっと積極的にアンバランスを解消するような姿勢をとらなくてはならないと感じることもあるはずだ。
 要するに,男女双方において姿勢を修正することが必要である。女性は,自分から会話の中に飛び込むくらいでなければダメだ。また男性も,パブリック・スピーキングに慣れていない女性たちは,公の場で男のようには気軽に発言ができないのだという事実を認識すべきだ。誰かがしゃべり終えてから,適度な間を置いて話すのが礼儀と心得る一部の女性にとって,他人の話が終わるか終わらないかのうちに,口をさしはさむといったマネはできない。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.119-120

求めるものがわからない

 男と女では,何が重要で,その重要な話題を会話の中でいつもち出すかという考え方についても,ときどき大きな差が見られる。
 同僚の女性からは,こんな話を聞かせてもらった。彼女はたまに兄の声が聞きたくなって電話をかけることがあるが,たいていはまともな「会話」にならないそうだ。まず最初に彼女から「そっちはどう?」と切り出すのだが,兄からの返事はたいがい「別に——」。彼女は子れを,「話すようなことは何もないよ」という意味に単純に受け取ってしまうので,自分から一方的に近況などをしゃべりまくって,結局はもの足りない気分で電話を切るのだという。
 けれども,男性にとって「別に——」という返事は,会話をはじめるときの決まり文句ではないだろうか。その証拠に,会話がしばらく進んだあとで,兄はボソボソと,「また女房のやつと,ひと悶着あってさ」などと話し出すそうだ。そんな「重要な」話題をもち出すのがあまりに遅く,あまりにさりげない調子なので,彼女はまともに話につきあってあげることもなく,電話を切ってしまう結果になる。兄だって,きっともの足りなさを感じているに違いない。
 男には,女の求めるものがわからず,女には「どうして男には女の求めているものがわからないのか」が,わからないのである。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.105-106

期待が異なる

 トラブル・トークにおいて,男と女の間にすれ違いが起きるのは,お互いが相手に違った種類の反応を期待しているからだ。男は相手の悩みを和らげようとするときに,その悩みの原因となっているものを攻撃する——つまり相手の抱えている問題を大したことじゃないとして撃退する——という間接的なアプローチをとりがちである。
 しかし,自分の心情に対する直接的な理解の言葉を期待する女は,そうした男の姿勢を,大したことじゃない(と男が言うような)問題で悩んでいる自分自身への攻撃としてとらえてしまいがちである。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 p.84

男女の「自由」の違い

 社会学者のキャサリン・K・リースマンが,離婚者を対象として行なった調査によれば,離婚によるメリットとして,「自由」が増したことをあげている。ただし,この「自由」という言葉の意味するものが両者の間ではちょっと違っているようだ。
 女性の場合は,夫に対するさまざまな気づかい(たとえば気難しい夫への対応など)からの解放であり,男性の場合は,妻(家庭)の束縛からの解放ということになる。こうした結果からも,人間関係において,男と女がそれぞれ何を重視しているかがわかるだろう。女は夫との<和合>に心を砕き(それだけに気疲れしてしまうことがある),一方,男は束縛を受けぬ<独立>を維持しようと躍起になっているのである。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 pp.53-54

豊かな者はふつうに使おう

 そして目の前の不況から社会がよりよい方向に進むために,よりよい道筋に社会が向かうためにもう一つ大切だと僕が考えることがある。
 それは「豊かな者が,なるべくお金を使うようにする」ということだ。
 「ノブレス・オブリージュ」という言葉があるとおり,ある程度の資産を持つ者は,社会に対して義務を果たすべきである。
 とはいえ僕が言いたいのは,たとえば,豊かな個人はなるべくおいしい高級料理店で外食したり,自宅のリフォームをするといったこと。法人であれば,設備投資を行ったり,企業を買ったりするようにすることだ。
 できる範囲内でもちろん構わない。そうやって「お金を使うこと」を,社会のために心がけてはどうだろう。
 とにかく目の前の経済成長のためには支出の増加が必要である。
 厳しい状況に追い込まれて支出を切り詰めざるを得ない者が増えている状況下では,まずは余裕のある者から支出を再開することで,社会に還元していく気概を持たなくてはいけないと思う。
 これは豊かな者自身にとっても,決して悪いお金の使い方ではないはずだ。不況時のほうが,そうでないときよりも投資額は安く有利にできるのだから。同じ支出であっても,ただ“義務”としてするのではなく,自らの欲望,野望を解き放つことで支出を拡大し,それが社会への還元にもなると考えればいいのである。

鈴木貴博 (2009). 会社のデスノート:トヨタ,JAL,ヨーカ堂が,なぜ? 朝日新聞出版 pp.219-220

親和と独立

 たいていの女性は,夫や恋人に相談をもちかけるのを,とても自然なことと考えている。けれども男性は,決断を下す際,自分ひとりで決めてしまう場合が多い。女は,話しあうことに<親和>を感じ,決断もお互いの合意のもとに下されることを望んでいる。
 ところが男は,とるに足らない(と思えるような)決断を下すのに,妻や恋人を相手に長ったらしい話しあいなど不要だと考える。しかも,誰かに相談しなければ行動できないのは,ひとつの束縛であり,<独立>の危機として受け取ってしまう。女性が話しあいの口火を切るべく,「あなたはどう思う?」と水をさし向けたときにすら,決断を下してほしいと言われたものと勘違いする男性が,存外たくさんいるのではないか。
 人の世で生きていくためには,<親和>が求められる。一方,自分らしく生きていくためには,<独立>が必要だ。人と人とのコミュニケーションは,この<親和>と<独立>という相対立する2つの要素のバランスをとりながら進められる,微妙なかけ引きだといえるだろう。

デボラ・タネン 田丸美寿々(訳) (2003). わかりあえる理由・わかりあえない理由:男と女が傷つけあわないための口のきき方8章 講談社 p.37-38

高付加価値高価格のサービスに走りがち

 日本の国内線と比較して,アメリカの国内線のファーストクラスのサービスはずっと簡素である。エコノミークラスとの違いはサンドイットが出るか出ないかの差ぐらい。ドリンクのサービスは好きなビバレッジ(飲み物)が1つ選べるという意味ではエコノミークラスとの差はない。一応念のために言っておくと,座席は広いけどね。
 機内サービスという面で見れば,アメリカの航空会社のサービスには日本人富裕層は顔をしかめるかもしれない。日本国内ではキャビンアテンダントがうやうやしく飲み終わった紙コップを磨きこまれたしなやかな指先でやさしくつまみながら下げてくれる。ところがアメリカの機内では,
 「はーい,ゴミー。ゴミは投げてねー(ちょっと大げさな訳だけど,本当にこんな感じだ)」
 とキャビンアテンダントがゴミ袋を広げながら通路を往復する。プラスチックコップをゴミ袋に投げるのは,ここでは客の仕事なのだ。
 それでいてアメリカの国内線の方が圧倒的に機内サービスが悪いのかというと,そうではないところが面白い。
 アメリカの国内線では限られた人数のキャビンアテンダントがサービスしながら,飲み物のチョイスはエコノミークラスでも日本よりもはるかに多い。ノンアルコールの飲み物でもコーラ,ダイエットコーラ,スプライト,ダイエットスプライト,ジンジャエール,オレンジジュース,アップルジュース,アイスレモンティ,トニックウォーターそして水の中から好きなものを選べる。
 ところが日本の航空会社のサービスでは,見た目のキャビンアテンダントの人数は多いわりには,1人ひとりのサービスに時間がかかって,なかなか僕のところまでサービスが回ってこない。ようやく順番が来たと思ったら,ひところは飲み物の選択肢がお茶かコーヒーかスープの3種類しかないなんて時期もあった。
 よく言えば日本人が提供するサービスはとても丁寧だ。だが悪く言えば日本人が提供するサービスは生産性が悪い。
 だから日本人はどうしても生産性の悪さをカバーするために,高付加価値高価格のサービスを提供するほうに走ってしまいがちになる。
 そして問題は,小さなプレイヤーならばそれでも生き残れる道があるのだが,巨大な企業になってしまうと,その方向は市場を縮める死の方向に一致してしまうのだ。

鈴木貴博 (2009). 会社のデスノート:トヨタ,JAL,ヨーカ堂が,なぜ? 朝日新聞出版 pp.176-177

2分割と3分割

 たとえば,分類の方法に,二分割と三分割がある。
 この2つの分類法,似ているようだが,その質はまったく違う。似て非なるものなのである。
 試みに,いまもっている本でも,CDでも,二分割,三分割を試みるとよい。二分割する方法はすぐに思いつくが,三分割となると突然むずかしくなる。
 たとえば,本の二分割なら,「男性作家と女性作家」「日本の作家と海外の作家」「物語と評論」などと,いくらでも考えつく。しかし,3つに分けようとすると一気に困難になる。なぜなら,分類法というのは恣意的なものだからである。いくらでも分割する方法はある。それを見つけられるかどうかだ。
 これはいい思考訓練になるのではないだろうか。

久我勝利 (2007).知の分類史:常識としての博物学 中央公論新社 pp.219-220

分類の表現方法

 分類は,図解を併用すると能率があがる。
 まず,もっとも基本的なのは「ツリー図(樹状図)」である。ツリー図では,その体系が一目でわかるのが長所だ。
 ウィンドウズのフォルダーもツリー型になっているように,これは分類の基礎である。
 百科全書では,ツリー図によって,人間知識の新しい体系が示されていた。
 複雑な体系をもつ学問分野でも,全体のツリー図を作成することによって,理解しやすくなるはずだ。
 なお,ツリー図の一種に系統樹がある。これは線で結ぶことによって,モノとモノとの系統をあらわす。最初に用いたのは,動物学者のラマルクであるといわれる。
 分類は表(マトリックス)にして見せることもできる。多次元で解析するときに便利な方法だ。たとえば,りんごを色と甘みというように2つの基準で分類したいときなどに,威力を発揮する。
 また,元素の周期表のように,規則性があるものを表現するのにも,表による分類法は大いに役立つ。
 また,縦軸と横軸をとり,座標にして分類の結果を見せることもできる。x軸とy軸が直角に交わっている座標は,発案者の名前をとって,「デカルト座標」と呼ばれている。
 一群の対象が,どのような傾向をもっているか,一目でわかるのが便利だ。これなら分布状況まで一目でわかる。たとえば,購買客の買い物の傾向を,値段の高い安い,量の多い少ないなどで分類してみることができる。
 ほかに,ベン図という表し方がある。これは円を使って,モノゴトとモノゴトの関係をあらわす方法である。数学の集合論で使われる方法だ。
 Aという集団とBという集団がどのように関係しているか,全面的な関係か,部分的な関係か,内包関係にあるのか外包関係にあるのか,すぐわかる。

久我勝利 (2007).知の分類史:常識としての博物学 中央公論新社 pp.218-219

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ラマルクの業績

 ラマルクの名は,広くは進化論の「用不用説」によって知られている。「キリンの首が長いのは,高い木の葉を食べるためにとだんだん長くなって子孫に伝えられてきた」というたとえで知られた説だ。「獲得形質の遺伝」とも呼ばれる。
 もっとも,この説は今日ではダーウィン進化論と比較されて,間違った説であると教えられる。しかし,ラマルクがダーウィンに先がけて進化論的なアイデアをもっていたことは忘れないでいたほうがいいだろう。
 ラマルクは,1744年,フランス,ピカルディのバザンタンで,11人兄弟の末子として生まれた。
 成長すると,父の意向で教職課程についたのだが,父の死をきっかけにフランス軍に入った。22歳のとき,病を得て退役したラマルクはわずかな恩給だけしかもらえず,金融業を手伝ったり,医学の修行をしていた。そのうちに,軍にいたときに地中海の豊かな自然のなかで興味を抱いた植物学を思いだし,本格的に植物研究にのめりこんでいった。やがて,植物学の縁で,かのジャン・ジャック・ルソーと知り合い,交遊を続けた。屋根裏部屋の生活をしながら植物学に打ち込み,10年後,『仏蘭西植物誌』を上梓した。
 このころには,ラマルクはビュフォンと知り合っていた。ビュフォンの子息の家庭教師を頼まれたりしている。そして,ついに王立動植物園の教授に就任した。しかし,時あたかもフランス革命が勃発し,ラマルクは職をおわれそうになったりもする。やがて,ラマルクは植物学ではなく動物学の担当となる。かくして,ラマルクは動物学に熱中し,『無脊椎動物分類誌』『無脊椎動物誌』などを発表する。そして1809年,不朽の名著『動物哲学』の刊行にいたるのである。
 今日,生物学でよく使われる「系統樹」をはじめて考案したのもラマルクであった。
 だが,『動物哲学』刊行後10年にしてラマルクは失明し,最後は次女ただ一人の世話を受けながら,貧窮のうちに世を去った。

久我勝利 (2007).知の分類史:常識としての博物学 中央公論新社 pp.61-62

「正義だから」は最後の手段

 法というのは,正義によって支えられるものです。裁判所は,それを国家権力によって実現するものです。しかし,正義を国家権力によってエンフォースするのは,本当は最後の手段であるべきです。しかも,これにはコストもかかるし,実効性(ほんとうに守ってもらえるかどうか)の点でも問題が残ります。一番コストが安く実効性があるのは,相手が真に納得して自発的に正義の実現に協力してくれる場合でしょう。裁判所や労働委員会で和解が重視されるのは,こうした理由からです。
 正義を「正義だから」という理由で押し通すのは,かえって正義の真の実現には遠回りとなるのです。相手の言い分も良く聞いて,両者の間に共感を得られるようになったら,意外に話はスムーズに行くかもしれません。

大内伸哉 (2008).どこまでやったらクビになるか:サラリーマンのための労働法入門 新潮社 p.172

それは本当の優しさか

 フレグルが言うように,もしトキソプラズマに感染した女性に「思いやり」があり,男性に規則を守らない傾向があるとすると、「やさしさ」というのは,人間の性格のひとつだとつねに言えるのだろうか。もしかしたら,病気の症状の一種にもなり得るのだろうか。トキソプラズマにしろ何にしろ,ある人が長年抱えてきた病気を治した結果,その人の性格が変わったとしたら,果たして元の性格はその人自身のものだったと言えるのか。やさしさや無謀さなどの性格が生活環境から影響を受けるのを否定する人はいないが,ある女性が寄生者からも影響を受けているとしたらどうだろう。その女性は,寄生者なしで同じくらいやさしいほかの女性よりも,本当はやさしくないのだろうか。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.347
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

トキソプラズマと性格

 だが,もしかしたら人間におけるトキソプラズマの影響は実際にはあり,寄生虫に感染したカダヤシの泳ぐ速さがほんの少しだけ遅くなるように,見た目にはほとんどわからないだけなのかもしれない。チェコの首都プラハにあるカレル大学のヤロスラフ・フレグルは,トキソプラズマへの感染の痕跡が認められる人と認められない人との性格のちがいを研究している。まず,大学の学生と職員の中から男女合わせた338人に,標準的な性格テストを実施した。その結果,女性にはトキソプラズマの影響は認められなかったが,感染した男性の場合には,性格が控え目で,他者を信頼しにくく,規則を守らない傾向があった。ちがいは小さいが,はっきりしている。この結果を検証するために,サンプルの規模を大きくして同じ調査をしたところ,男性では同様の結果が得られた。また女性の場合は,トキソプラズマの痕跡が認められる人には,社交的で人を信用しやすく,自分に自身をもつ傾向が認められた。
 フレグルは,実験の対象をもう少し広げ,軍の徴集兵857人に同じ性格テストを実施した。今回は男性だけだが,感染者には新しい物事に関心をもたない傾向が認められ,他者を信頼しにくいという前回の結果と合致する結果が得られた。また意外なことに,知能指数が若干低い傾向もあった。フレグルらは,男女の反応の速さも調べた。これには,コンピュータ画面に黒っぽい四角が現れたときにキーを押すという,一般的なテスト法を用いた。その結果,感染者は反応時間がやや長かった。これは,ネズミにおけるトキソプラズマの影響と一致しているように見える。反応時間が遅くなると,ネズミは捕食されやすくなると考えられるからだ。
 人間の場合,反応時間は別の面で重要なのかもしれない。フレグルらは,交通事故との関係も探ってみた。交通事故に関与したプラハ市民146人と,事故現場と同じ地域にすむ446人を比較したところ,事故に関与した人たちに,トキソプラズマの痕跡が多く認められたのだ。車にはねられた歩行者であるかドライバーであるかに,ちがいはなかった。なお,信号待ちしているときに追突されたドライバーなど,事故にまったく影響をおよぼしていない人たちは,分析から除外してある。事故にあうリスクは,感染の痕跡が新しい人のほうが,痕跡が古い人よりも高かった。フレグルは何も触れていないが,この結果だけを見ると,トキソプラズマへの感染を事故の言い訳にして反則切符を逃れようとする人が,そのうち出てきそうだ。特に,チェコ国民よりも訴訟好きの人々がすむどこかの国では,あり得るかもしれない。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.345-346
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

それは寄生虫の影響

 もちろん寄生者には,宿主の行動を都合のいいように操作する以外にも,宿主に対して影響をおよぼす手段がある。病気にかかった動物が,動きが鈍くなって捕食者に捕まりやすくなった場合は,自然淘汰の結果,病原体が宿主の走るスピードを変えるようになったとは,必ずしも言えない。宿主の行動の変化の中には,単に病気の症状の一部というものもあるからだ。寄生者が宿主の行動に与える影響を研究するほとんどの科学者は,本当の適応(寄生者の遺伝子に有利になるような進化で生じた変化)と,ドーキンスが呼ぶところの「つまらない副産物」とを見分けることが重要だとしている。
 たとえば,風邪をひいて頭がぼうっとしているからといって,クロスワードパズルを解きにくくなるのは,風邪のウイルスが感染を広げるための「策略」ではない。もちろん,その可能性はないわけではない。風邪をひいてパズルが解けずに悩んだ人が「ヨコのカギの8」の答えを相談しに隣の家に行って風邪をうつすかもしれないし,鉛筆を置く回数が多くなり,その鉛筆を通してほかの人がウイルスに感染して,風邪が広まることだってないわけではない。それを証明できれば,風邪の策略であることを示せるだろう。だが,こうしたシナリオは,日常生活における進化の役割を熱心に信じている人でさえも,ひどいこじつけだと思うだろう。頭がぼうっとするのは,体のほかの部分に対する風邪の影響で生まれた副産物だと考えるのが自然だ。これと同様に,宿主が食料を探すのは寄生者のためにもなるが,宿主自身のためにもなるから,通常,寄生者側の操作であるとはみなされない。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.324-325
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

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