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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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特殊例だけ注目される

 ここで私が思い出すのは,20世紀初頭の著名な心理学者,E.L.ソーンダイクの言葉だ。動物の知性については誰もが感心するのに,動物の愚行には誰も注意を払わない。犬は毎日と言っていいほど道に迷うではないか。ソーンダイクはそう不満をもらしたあと,このように続ける。「だが,もし犬がブルックリンからヨンカーズまで(およそ40キロ弱の道のりを)無事戻ってきたとなれば,すぐに世間はその話題でもちきりになる。ただニャーニャー鳴いているだけの猫はそこらじゅうにいるのに,そのことを気にとめたり,友だちに手紙で知らせたりする人は誰もいない。でも,猫が外に出たいときの合図としてドアのノブをひっかいたりすれば,それがまるで猫の知性の象徴みたいに本が書かれたりするのだ」。
 これと同じように,けがや病気で自分をまったく治そうとせずにいる動物のことや,実際には何の効果もない「調合薬」を使う動物のことには,誰も触れようとしない。また私たちは,伝統的な生活を営む人々が使う薬の有効性を理想化したり強調したりしがちだ。その一方で,こうした昔ながらの治療法の多くが役に立たないこと,中には病気よりもひどいものがあることを忘れている。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.282
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)
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異食症について

 異食症の病理学的な説明に話を戻すと,土は天然のサプリメントのようなもので,ふだん食べ物からからは得られないミネラル分を摂取できると考えられる。妊娠している女性は,胎児に栄養分をとられて栄養不足になりやすい。そのことを考えると,お腹の大きな女性が土を食べる理由は,このあたりにあるのかもしれない。一方で,土食は単に病原体の影響を抑える手段として進化してきたとも考えられる。ここにひとつ,土食のメリットを探った大胆な研究がある。この研究では,ガラスとプラスチックでできた腸の模型と,消化液に似た液体を使って,カオリンの粘土がキニーネやタンニンといった毒素を簡単に吸収できることがわかった。
 人間以外の動物や,ケニアのルオ族のような大きな集団に土を食べる習慣があることを考えると,土食が精神的混乱の兆候だという見方には,私は疑問を抱く(ほとんどのコンゴウインコが精神的に不安定だというのなら別だが)。ルオ族の実験で,土を食べる子どもの寄生虫への再感染率が高かったという結果は,現代生活の産物なのかもしれない。かつては,遊牧生活を送ることが多かったので,食用とする土の中で寄生虫の卵が成長する前に,すみかを変えていたとも考えられるし,ある程度の寄生虫に感染するのは,土食によって症状が抑えられているかぎり許容できたとも考えられる。いずれにしても忘れないでほしいのは,私たち,そしてほかの生き物が寄生虫をもつべきでないという考え方は,現代になって生まれたものであり,自然の状態ではない。体内に寄生虫をもち,病気とともに進化してきた時代には,駆虫するという行為は考えられなかった。そして,寄生虫の卵を1,2個食べてしまう害よりも,土を食べるメリットのほうが大きかったのだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.255-256
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

人間の場合には#2・・・

 食べ物に含まれているカロテノイドなどの抗酸化物質が,病気の予防を助けてくれるのは確かだ。カロテノイドに富んだ食事をした人たちが,がんなどの病気にかかりにくくなったという研究結果はたくさんある。また,特にベータカロチンのサプリメントは,細胞性免疫の反応を助ける。特に免疫系が弱っている高齢者や,食事で十分な栄養がとれないことが多い人には,効果があるだろう。
 だが,これが美しさを増すことにつながるかというと,疑問に感じる。ましてや自分が健康であることを見かけで異性に伝えるのは,さらにありそうにないことだ。オウゴンヒワやヤケイとちがって,人間には,黄色い羽毛や赤い肉垂のような,カロテノイド由来のはっきりした形質はない。カロテノイドがしわに効くかどうかは定かでないが,進化の観点からすると、しわなどはどうでもいいことだ。しわができるのは,生殖に最も適した時期に入ってかなりたったころか,その時期を過ぎてからのことがふつうだ。特に初期の人類は,子づくりにつながる配偶相手の選択は,生涯のかなり早い時期に行われた。だから,恋人を見つけるときに「しわがない」という基準だけで選ぶのは,子づくりの能力が高い相手を選ぶことにはつながるかもしれないが,候補者の絞り込みにはあまり役立たないだろう。年齢よりも若く見せて相手をだますのが有効なのかどうかは,また別の問題だが。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.234-235
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

人間の場合には

 健康な相手や,子どもの世話をできる相手がほしいという気持ちはとても自然なことだと思うが,私たちの仮説を人間の配偶者選択に適用するのは危険だ。ひとつには,ニワシドリやヤケイ,グッピーとはちがって,人間は性行為の後も,少なくともしばらくは男性は女性のそばにいて,子どもを養うということがある。だから,なぜメス(女性)が特定のオス(男性)をわざわざ選ぶのかという問いは,人間においては,オスがメスに精子しか与えない生物ほどは問題にならない。女性が1回だけのデートで,男性のひげの発育状態を真剣に調べて,彼がマラリアに対する抵抗力があるとか,ぜんそくのような咳をするといったことを見極める必要はない。もっと長い付き合いの中で,よい生活をしているかどうかや,冗談に笑ってくれるかどうかを,彼の健康状態とともに知ることができるのだ。また,少なくとも表面上は一夫一婦制の社会となっているので,男性も同じように女性のことを調べられる。だが,いずれの場合でも,すぐれた遺伝子をもっているというのは単なる一要素にすぎない。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.197-198
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

鳥の・・・

 鳥にペニスがないことを進化の観点からどのように説明すべきか,科学者たちはこれまでずっと頭を悩ませ続け,さまざまな仮説を提示してきたが,いまだに決定的な答えは見つかっていない。謎が解明されない一因として,そもそもペニスをもつ鳥類はごくわずかなので,その一般的なメリットを予測して検証するのが難しいことがある。とはいえ,仮説の中にも興味深いものがいくつかある。たとえば,精液を入れる場所と,消化器官から排出される排泄物が出る場所が同じということは,微生物に感染する機会を減らす意味ですばやく事を運んだほうがいいので,長い歳月のあいだに鳥のペニスは消えてしまったという説がある。この説を唱えたのは,ふたりの鳥類学者,ニュージーランドのカンタベリー大学のジム・ブリスキーとカナダのクイーンズ大学のボブ・モンゴメリーだ。だが,野鳥の性感染症についてほとんど何もわかっていない現状では,これ以上詳しく検証することは不可能だと,ふたりは述べている。ニワトリが性感染症にかかるのは確かだから,野鳥はかからないと考えるのは不自然ではあるものの,単に詳しい情報がない。私には,いくつかある仮説の中では,彼らの説がいちばん説得力がある。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.137
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

歯ブラシの細菌を殺す意義

 この過剰な清潔志向の行く末に,どんなおそろしい事態が待ち受けているのか。ひとつ考えられるのは,病院で発生するブドウ球菌のような一般的な細菌が,現在使われているほとんどすべての抗生物質への耐性を増すことだ。だが,ここまでおそろしい予測ではなくても,私たちの細菌に対する不安は,まったく事実無根である場合もある。新聞や雑誌でよく見るのが,歯ブラシが汚い微生物の繁殖の温床になっていて,特に病気の時に使った場合は再感染を防ぐためにも,こまめに歯ブラシを替えるべきだという記事だ。2週間ごとに取り替えるべきだと勧める消費者団体も多数あるし,抗菌歯ブラシの清浄器を売る業者は,現代の洗面所のことを,有害なばい菌がうようよいる「屋外便所」と呼んで,そんなところに歯ブラシを置かないようにと警告している。そのウェブサイトを見ると,歯を磨くたびに口の中に入る細菌についてのおそろしい説明がたっぷり書いてある。「細菌は歯ブラシで育つ」と,ある記事は警告している。
 でも,ちょっと考えてみてほしい。たとえば風邪にかかったとすると、悪いウイルスが口の中の細胞だけでなく、体の表面のさまざまな場所にいることは確かだ。病気に対抗するために、免疫系がウイルスを無害にする抗体を生産する。抗体はその風邪に対する記憶をもっているので、再び同じ病気にかかった場合に、同様の抗体がすぐに出動し、敵を撃破してくれる(戦争にたとえるのは嫌だと前に書いたのはわかっているが、こう表現するほうが伝えやすいので)。風邪の場合、最初の免疫反応は1週間ほどで現れる。つまり,幸いにして,歯ブラシなどから同じ病原体に再感染することはできないのだ。もし再感染できるとなると,口から出たウイルスなどの微生物が,病気の無限のサイクルをつくってしまうだろう。ほかの病気に感染したとすると,病原体は歯ブラシの助けを借りなくても,体の随所にある入口から簡単に入ってこられる。そもそも体内には無数の微生物がすんでいる。歯ブラシに付いているのはそこから出たわずかな数の細菌なのに,それらを殺す意味はあるのだろうか。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.80-81
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

清潔な方がアレルギーが多い

 ドイツの医療研究者,エリカ・フォン・ムティウス博士は1989年,ベルリンの壁が崩壊したすぐ後に,東西ドイツでぜんそくとアレルギーの発症率を比較する調査をした。調査前の博士の仮説は,環境汚染がひどく,生活水準が低く,医療サービスが悪い東ドイツのほうが,比較的清潔な西ドイツよりもアレルギーの発症率が高いだろうというものだった。だが,ここまで読んでくれた方なら予想できるだろうが,調査結果は仮説と逆だった。東ドイツの子どもたちのほうが,アレルギーやぜんそくにずっとなりにくいことがわかったのだ。
 博士は,同じような現象に気づいたほかの数人の科学者とともに,この結果を説明するための「衛生仮説」を発表した。衛生仮説によれば,ぜんそくやアレルギーは,清潔すぎる環境から生まれるという。こうした環境では,幼児期に通常受けるはずの刺激を免疫系が受けないので,本物の病原体にはふつうに反応し,花粉のような無害の物質は無視する能力が低くなってしまう。つまり,細菌やウイルスなどの微生物に日常的に触れることで,適切な防御反応が発達して,無害なほこりの粒子が体内に入るたびに免疫系が過剰反応しないようになるわけだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.58
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

古代の人がスニッカーズを食べないのはそれがなかったから

 そして3つ目の結論は,次のようなものだ。ありし日の姿と現代の生活に不一致があるからと言って,太古の食の本能にしたがったり,狩猟採集民の遺伝子には古代の知恵が詰まっていると信じたりするのがいいというわけではない。古代の食生活がベストだと考える人々は,体の声に耳を澄ませば,正しい食べ物を適量食べるように告げられていて,その食べ物はフライドポテトやスニッカーズではないとわかるという。
 だが実際には,その逆が本当なのかもしれない。そもそもなぜこんな食生活になってしまったかというと,人間は本来,栄養価の高いものを好むからだ。それらは,進化の歴史の中では手に入りにくかった。私たちの祖先は,熟したフルーツや蜂蜜といった糖分を含む食料を探すことで,良質なエネルギー源を確保し,熟していないフルーツに含まれる植物毒素を避けてきた。石器人が食べた栄養をどうしてもほしいということなら,別に食べてもかまわない。ただし,もし石器時代にキャンディバーやソフトドリンクがあったら,当時の人々も好んで飲み食いしただろうという考えを受け入れられればの話だ。これまで,私たちがいちばん食べたい食べ物が,体にいちばんよい食べ物であったことは一度もなかった。これは,体と食生活が一致しなくなってしまったからではなく,単にキャンディバーのようなお菓子が,過去のほとんどの時代に存在していなかったからだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.46-47
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

「昔の生活」って・・・

 うわべだけ見ると,この太古の食生活を勧めるダイエット法は,人間が進化してきた環境と現在の環境に不一致があると主張するダーウィン医学の賛成派に支持されそうな気がする。S・ボイド・イートンとスタンリー・イートンによると,石器時代から受け継がれた人間の遺伝子は今,「宇宙時代の暮らしの現実と戦っている」という。この結果,現代の人間は,糖尿病や動脈血栓,肥満といった,文明の発達にともなって出てきた「ぜいたく病」に苦しむようになった。だが,細かく見ていくと,ダーウィン支持者は全員が全員同じというわけではない。彼らでさえも,細部をおろそかにすれば,思いもよらない落とし穴にはまるのだ。人間が今とは異なる環境で進化してきたからといって,単純に過去のやり方にしたがえば現代病にかからなくなるというわけではない。
 私がまず疑問に思うのは,この「石器時代」とはいつのことなのか,そして,遊牧民のような狩猟採集生活から,農業中心の定住生活に移行したことが,病気とどのように関係しているのかということだ。石器時代というと,学術的には250万年前からおよそ1万年前の旧石器時代のことを指すが,この期間はあまりにも長く,人間の生活もそのときそのときでちがっている。ライオンなどの肉食動物が食べ残した腐肉を食べる生活から,自発的に狩りや野生植物を採集する生活に移行したのは,おそらく約5万5000年前のことだ。農業や畜産は1万年ほど前,世界の何ヵ所かでほぼ同時期に始まったと考えられている。
 となると,私たちの遺伝子はどれくらい前にできたのか。進化は,場合によっては数世代という短い期間に起こることもあるが,全般的に人間の遺伝子は,農業の出現以降,それほど変わっていないと言っていいだろう。だからといって,現代人が石器時代(あるいは旧石器時代)の遺伝子をもっていると,単純に言うことはできない。私たちの遺伝子のほとんどは,実際にはそれよりもずっと古く,多くは,ショウジョウバエやイソギンチャクのような似ても似つかない生き物と共通のものだ。人間とチンパンジーの遺伝子は98%同じだとよく言われるが,このことは状況によってはあまり意味をもたない。人間は狩猟採集民として過ごした期間のほうが,農民やコンピュータアナリストとして過ごした期間よりもはるかに長いのは確かだが,こうした相対的な時間がどれほど重要なのかは,よくわからないからだ。つまり,旧石器時代のあった更新世に生まれた遺伝子にばかり注目するのは,やや自分勝手な見方だということだ。「魚の時代」と呼ばれる3億5000万年前のデボン紀には,脊椎動物の祖先である魚が他の魚の体液を吸って生きていたが,そうした時代にも目を向けたほうがいい。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.42-43
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

解熱剤は必要か

 子どもが熱を出したときに解熱剤を与えるということをよくやるが,これについてはどうなのだろうか。治療方法は,少しづつではあるが変わってきている。子どもの熱が上がり始めると,たいていの親や医師は不必要にあわててしまうが,医師の中にはこうした「熱恐怖症」に対して警告している人もいる。WHO(世界保健機構)の広報誌に載ったある論文では,子どもへの解熱剤の投与に関する多数の研究を調べていた。その結果は驚くべきもので,解熱剤を飲んでも飲まなくても,病状やそれの続く日数,子ども自身の気分にちがいはないことがわかった。ある研究では,よく効く薬と偽薬(プラセボ)のどちらを子どもに与えたか親に告げないという実験が行われた(親には事前に実験の了承を得ている)。病気が治った後,子どもが飲んだ薬がどちらだったかを親が当てる。結果は,正解者が5割ほどと,偶然当たったといわれても納得できる正答率だ。治療を受けている子どもは,活動量と覚醒度がやや高かったが,重視するほどのものではない。論文の著者は,これが研究の結論というわけではないが,とても興味深い結果だとしている。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.36-37
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

理想化された虚構

 病気に嫌悪感を抱くのは,まちがっているわけではない。私たちの祖先は,病気を引き起こす寄生者に対して,深い恐怖を私たちにしみ込ませてきたからだ。だが一方で,寄生者は何千もの世代にわたって私たちとうまく共存してきてもいる。だから,体にダニや寄生虫がいるからといって,その生き物が異常で不自然だと考えるのは正しくない。生き物というものは,もともと傷があり,寄生虫をもち,何かにかまれたり刺されたりするものだ。破れた葉っぱがついた茎は,内臓に障害のある動物やつやのない羽毛のように,無傷のものよりもずっと自然な姿なのだ。傷のない動物や人などというのは,エッフェル塔の下に旅行者がひとりだけ立っている広告のように,理想化された虚構のものでしかない。こうした姿は,人の頭の中だけにあるもので,現実に存在するものではない。寄生虫が引き起こす病気は,私たちは本来どうあるべきで,どう暮らすべきかを示してくれる必要不可欠なものなのだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.18
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

不思議だ,という解釈

 「謎とは解らないこと,不思議とは誤った解釈。解らないことを解らないと云うのは良いのです。しかし不思議だと云ってしまった途端——それは解釈になってしまう。その人が知らないだけで当たり前の出来ごとであるかもしれないと云うのに,不思議だ不思議だと当たり前のように云うのは,解釈の押し付けに他なりません」

京極夏彦 (2009). 邪魅の雫 講談社 p.1147

この世には不思議なことなど何もないのだ

 「非合理的だからあり得ない,不自然だから間違っている——そんなことはないんだよ。世の中は矛盾や不具合で満ち満ちている。普通なら信じられないような事態でも,起きる可能性があれば平気で起きる。起きる確率が異様に低い出来事でも,偶然起きないとは云い切れない。それでいて,起こり得ないことは何がなんだって絶対に起きない。どんなにありそうなことでも起きないものは起きない。何となく空でも飛びそうな男が居たとしたって,人間は絶対に宙には浮かない。だからこそ」
 この世には不思議なことなど何もないのだと,中禅寺は云った。
 「どうであれ,きちんと検証しようとする姿勢は大切だ。でもね,例えば何か怪しい,不自然だと疑ってみるのは良いことだが,だから完全に潔白だとか思い込んでしまうことは危険だよ。判らないものは判らないとするのが常に正しいのだからね」

京極夏彦 (2009). 邪魅の雫 講談社 p.576

詭弁

 「それって其処に何が見えるかは,見る者次第と云うこと?善悪はそれを用いる者の心次第と云うこと?」
 「それこそ詭弁だよ。犯罪,人道,科学,それらの相は皆別だと云っている。それぞれの相が世界や社会や世間と別の関わり方をしている。だから科学に善悪を持ち込むことは間違いだ。況て,明るい暗いなどと云う漠然とした判断基準は個人的なもの,精精世間が共有する幻想じゃないか。例えば敗戦濃厚な国の人人にとって,原子爆弾は明るい未来明るい科学と云うことになるだろ?」
 「それこそ詭弁じゃない」
 「そうじゃないさ。何と云っても,国が滅びかけていて,自分も家族も殺されそうだと云うその時に,形勢逆転の可能性を与えてくれる切り札になり得る兵器が出来たとしたら——それをして明るい未来と夢想すること自体を間違っているとは云えないだろう。法律違反でも条約違反でもないなら,糾弾も出来ないだろうね。しかし,所詮原子爆弾は大量殺戮兵器でしかないんだ,そんなものは人道的に認められない,あるべきでない,作るべきでないと云う考え方は至極尤もな正論だろう。核兵器を必要とする社会と云うのは,矢張り間違っているんだよ。でも——だ。だからと云って,核分裂を物理的な力に転用すると云う発明自体は貶められるものじゃないだろうし,理論そのものは誰にも否定出来まい」

京極夏彦 (2009). 邪魅の雫 講談社 pp.544-545

読書の達人?

 「読書に上手いも下手もないよ。読む意志を持って読んだなら,読んだ者は必ず感想を持つだろう。その感想の価値は皆等しく尊いものなのだ。書評家だから読むのが巧みだとか,評論家だから読み方が間違っていないとか,そんなことは絶対にない」
 「ないんですか?」
 「ないね。まあ,読書の達人だとか小説の権威だとか,そう云うことを宣うお方は,大概は偉ぶっているだけの小者か賢ぶっているだけの無能なんだよ。手当たり次第読み散らかして適当に悪く云えば,なんとなく偉そうで賢そうに見えるだろ。そんなもんでも書きようで一応は見識足るからね。大勢の中には賛同してしまう者だって少なからず居る。云ったもん勝ちだね。そうなると過大評価されて,馬鹿は益々いい気になる。また,考えなしの出版会社が持ち上げたりもするんだよ。でお,そんなものは字さえ読めれば猿にだって出来るような仕事だからね。少しでも弁えた人間はそんな厚顔無恥なことは口が裂けても云わない」

京極夏彦 (2009). 邪魅の雫 講談社 p.253

フリー世代

 今日,ブロードバンド環境で育った若者が,デジタルのものはすべてタダであるべきだと考えやすいのは本当だ(実際にほとんどがそうだからだろう)。彼らを「フリー世代」と呼ぼう。
 この集団——はまた,情報は無限であり,すぐに手に入ると考えている(彼らはグーグル世代とも呼ばれている)。彼らはコンテンツや他の娯楽にお金を払うことをますます敬遠するようになっている。なぜなら,無料の選択肢がたくさんあるからだ。万引きしようとは思わないが,ファイル交換サイトから音楽を不正にダウンロードすることについては何もためらわない。アトム経済とビット経済の違いを直観的に理解していて,アトム経済ではお金を払うべき本物のコストがかかるが,ビット経済はコストがかからないことをわかっている。その観点から言えば,万引きは窃盗だが,ファイル交換は被害者のいない犯罪なのだ。
 彼らは,フリーが無料だけにとどまらず,自由でもあることを求める。登録システムによる制限や著作権管理スキーム,自分たちが手に入れられないコンテンツに抵抗する。彼らの質問は「いくら?」ではなく,「なぜ払わなければならない?」だ。と言っても彼らは傲慢なわけでも権利を主張しているわけでもない。フリーの世界で育った彼らの経験から出た言葉だ。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 pp.305-306

革新者は浪費の方法を考える

 これはムダを受け入れるための教訓だ。カーヴァー・ミードはトランジスタをムダにすることを説き,アラン・ケイがそれに応えて視覚的に楽しいGUIをつくり,それによってコンピュータが使いやすいものになった。それと同じで今日の革新者とは,新たに潤沢になったものに着目して,それをどのように浪費すればいいかを考えつく人なのだ。うまく浪費する方法を。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.253

無用で交換可能な市場

 要するに,私たちが報酬なしでも喜んですることは,給料のための仕事以上に私たちを幸せにしてくれる。私たちは食べていかなければならないが,マズローの言うとおりで,生きるとはそれだけではない。創造的かつ評価される方法で貢献する機会は,マズローがすべての願望の中で最上位に置いた自己実現にほかならず,それが仕事でかなえられることは少ない。ウェブの急成長は,疑いなく無償労働によってもたらされた。人々は創造的になり,何かに貢献をし,影響力を持ち,何かの達人であると認められ,そのことで幸せを感じる。こうした非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて,社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていた。ウェブがそれらのツールを提供すると,突然に無料で交換される市場が生まれたのである。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.251

アマチュアの制作への動機づけ

 アマチュアの創作意欲を動機づけるのは,お金でなければなんなのだろうか。贈与経済を動かしているのは寛大な心だ,と多くの人は思っているが,ハイドが南太平洋の島の住人を観察したところ,彼らは強い利他主義者でもなかった。つまり,アダム・スミスは正しかった。啓発された利己主義こそ,人間のもっとも強い力なのだ。人々が無償で何かをするのはほとんどの場合,自分の中に理由があるからだ。それは楽しいからであり,何かを言いたいから,注目を集めたいから,自分の考えを広めたいからであり,ほかにも無数の個人的理由がある。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.250

情報の段階構造

 今や<欲求段階説>としてよく知られるマズローの答えはこうだ。「すぐに別(高次)の欲求が現れ,生理的空腹に代わってその肉体を支配する」。マズローの5つの段階の一番下には,食べ物や水などの生理的欲求がある。その上は安全の欲求で,三段目は愛と所属の欲求,四段目が承認の欲求で,最上段が自己実現の欲求である。自己実現とは,創造性などの意義あるものを追求することだ。
 同様の段階構造が情報にも当てはまる。ひとたび基本的な知識や娯楽への欲求が満たされると,私たちは自分の求めている知識や娯楽についてより正確に把握できるようになり,その過程で自分自身のことや自分を動かしているものについてもっと学ぶことになる。それが最後に私たちの多くを,受け身の消費者から,創作に対する精神的報酬を求める能動的な作り手へと変えていく。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.239

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