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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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不正コピー容認の背景

 そして,そのときが来た。中国は以前よりも豊かになり,コンピュータは安くなった。今の流行は,機能を絞り込んで価格を250ドル程度にしたラップトップのネットブックだ。マイクロソフトはネットブック用のOSを,通常版の4分の1以下の約20ドルで提供している。不正コピーによってユーザーはマイクロソフトの製品を使っているので,新しい製品を選ぶときも必然的にマイクロソフトを選ぶようになった。数十年に及ぶ不正コピーの時代を経て,今日の中国では海賊版市場と並んで有料の市場も巨大になっている。マイクロソフトが優位を保つなか,消費者はより金持ちになり,無認可ソフトを手に入れるための面倒をがまんできなくなってきたのだ。ゲイツの戦略は,不正コピーを根絶しようときびしい措置をとるのではなく,ある程度低い水準に保つための対策をするだけだったが,それが功を奏したのだ。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.137
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iPodの意義

 iPod発売以前には,誰もポケットの中に自分の音楽コレクションすべてを持っていたいとは思わなかった。だがアップル社のエンジニアは,記憶容量が潤沢であることの経済的意味を理解していたのだ。彼らは,コスト当たりのディスクドライブ容量が増えるペースは,プロセッサよりも速いことを見てとった。巨大な音楽カタログを持ち歩きたいという需要がiPodの開発をうながしたのではない。物理学と工学がうながしたのだ。アップルのエンジニアたちは,ミードの言葉を借りれば,「テクノロジーの声を聞いた」だけだった。
 彼らは2000年に東芝がおこなった発表に注目した。「近いうちに,1.8インチのハードディスクに5ギガバイトを記憶できるようになります」。それはどのくらいの記憶容量だろうか。トランプのカードよりも小さなドライブに音楽が1000曲納められるくらいだ。そこでアップル社は単純にそのテクノロジーを製品化して発売した。すると,供給はみずからの需要をつくり出した。消費者は自分の音楽ライブラリを持ち歩くことなど考えてもみなかったが,いざそれができるとなったら,たちまちその便利さを理解した。すべての音楽を持っていれば,今日は何を聴こうかといちいち用意する必要はなくなるのだ。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 pp.121-122

トランジスタの値段の変遷

 各テクノロジーのもたらす経済効果はさらに強烈だ。容量や速度が2倍になれば,コストは半分になる。2年ごとに同じ価格のコンピュータの性能は2倍になり,同じ性能のコンピュータの価格は半分になる,ということだ。
 トランジスタを例に見てみよう。1961年には1個が10ドルだった。2年後には5ドルになった。さらに2年がたった1965年4月,ムーアが『エレクトロニクス』誌にかの予測を発表したときには,2ドル50セントに下がっていた。1968年までに1ドルまで低下した。その7年後には10セントになった。さらにその7年後には1セントになり,まだ下がりつづけている。
 今日,インテル社の最新プロセッサのチップには,20億個のトランジスタが集積されていて,300ドルしかしない。つまり,トランジスタ1個のコストは約0.000015セントだ。それは,安すぎて気にならないものだと言えよう。
 情報処理能力と記憶容量,通信帯域幅が速くなり,性能が上がり,安くなるという3重の相乗効果をオンラインは享受している。だから,私たちはユーチューブのようなサービスを無料で受けられるのだ。そこでは,量的に限度なく動画をスムーズに見ることができ,画質もどんどんよくなっている。それらは,ほんの数年前には目の飛び出るほど費用がかかることだった。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 pp.103-104

潤沢さの意味

 潤沢さを広い視点で見ると,他の国からの豊富な労働力をもたらすグローバリゼーションなど,すべてを押し流す影響力を持つものもある。今日,衣服などの生活必需品はとても安いので,使い捨てが普通だ。1900年に,もっとも基本的な男性用肌シャツは(Tシャツと布地も縫製もほぼ同じもの),アメリカで卸売価格が約1ドルだった。安くはなく,小売段階ではさらに高くなっていた。その結果,平均的アメリカ人はシャツを8枚しか持っていなかった。
 今でも,Tシャツの卸売価格は1ドルだ。しかし今日の1ドルは100年前に比べ,25分の1の価値しかないので,100年前のシャツ1枚は今のTシャツ25枚分に相当する。そのため,今では誰も古着を着る必要はなく,ホームレスの中にはシャワーや洗濯の機会よりも,タダで服を着られる機会のほうが多いので,しばらく着ると捨ててしまう者もいる。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.70

発想の転換

 シヴァーズによれば,中国の一部の医師は,担当する人たちが健康ならば報酬をもらえるという。彼らが病気になれば,それは医師の責任なので,医師は報酬をもらえない。担当する人を健康にし,それを保つことが医師の目標なので,それが報酬を決めるのだ。
 デンマークのあるスポーツジムは,会員が少なくとも週に1度来店すれば,会費が無料になるプログラムを実施している。だが1週間に1度も来店しなければ,その月の会費を全額納めなければならない。その心理効果は絶大だ。毎週通うことで,自信がつくし,ジムも好きになる。いつか忙しいときが来て,来店できない週が出てくる。そうすると会費を支払うが,そのときは自分しか責められない。行きもしないジムに会費を支払うというありがちな状況とは異なり,このジムの会員は脱会したいと思うよりも,もっとジムに通おうという気持ちを強くするのだ。

クリス・アンダーソン 高橋則明(訳) (2009). フリー:<無料>からお金を生み出す新戦略 日本放送出版協会 p.47

株式市場とは

 株式市場とは,たんに企業の所有権の断片を売ったり買ったりする場所だけではない。それは,たんに我々の貯蓄のはけ口だけではなく,また,より多くの資本を求めている企業が資金調達をする源泉だけではない。巨大企業の価値を測るための道具だけではない。また,固定された資本資産を換金可能な流動的な形態に変換する手段というだけではない。
 株式市場はこれらのすべてである。どの1つをとっても,ほかのすべての機能なくしては,その役割を果たさない。もしも市場が売手と買手を出会わせることがなかったら,株式には流動性がなく,売りまたは買いの取引はもはや容易にはその逆取引を行うことができなくなる。もしも株式の流動性がなかったら,発行企業にとっては資金調達のコストがはるかに高くなり,その結果,成長も鈍化するであろう。もし市場が企業の所有権の一部を取引する場でなかったならば,そこで取引されている株式会社の価値を測ることがなかったとすれば,発行済の株式を売買したり新規に発行される株式を取得しようとする人々はいなくなるであろう。
 もし株式市場がなかったら,企業の所有権の市場はあたかも住宅の市場のようになってしまう。住宅の売手が売りに出すのは,その家の一部だけでなく,まるごと一軒である。仲介業者が転売のために自分の資金で購入するのはきわめてまれである。売手は広告を出さなければならないし,取引相手をみつけるためにはもっと手間のかかる方法をとらなければならない。不動産業者が6%もの手数料をとるのもうなずける(株式の取引ではふつう1%以下である)。また,取引に長い価格交渉がかかるのも当然である。1つの家が売れた後でその取引価格がいくらだったかを正確に知っているのは,本人と親しい友人だけである。取引の頻度は少なく,ある取引から次の取引までには時間が空いている。不動産の取引はこのように困難で,コストが高く,頻度が少なく,そして秘密のままに行われるので,買手も売手も自分たちが合意した価格がはたして妥当な価格だったかどうかほとんどわからないし,他の誰かともっと条件のよい売買ができたはずだったかどうかもわからない。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.444-445

株主は会社の所有者か

 株主は本当に会社の所有者と言えるだろうか。そうとも言えない。会社に金を貸した人,つまり債権者こそがまず最初に会社に対して請求権を持っている。その債権者が自分の取り分を得た後に残った価値が株主の取り分となる。株主が会社の所有者と言えるのは,株主以外の誰にも会社がビタ一文借金を負っていない場合だけである。
 株主が会社の所有者とは言えなくても,会社の資産に対してコール・オプションを所有していることにはなる。会社の負債を買い取ることで,このオプションは行使される。このオプションの行使価格とはで,借入金額で,失効日は負債の償還期日である。
 負債の償還期日が到来した時,株主は会社の資産に対するコール・オプションを行使しないで,オプションを失効させ,社債権者に会社資産を譲り渡してしまうこともできる。ウォール街では,これを俗に「ババをつかませる」と言う。企業の株主が負債の返済に応じず会社を倒産させるのは,こういう場合を言う。ただし,たいていは新たな資金を借り入れて次のオプションに更新できるので,株主はそれまでのオプションを行使し,いったん負債を返済する。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.333-334

オプションの役割

 投資家にとってオプションの役割は,相場の変化に伴うポートフォリオの価値をある程度コントロールする手段を提供することにある。ある一定のコストを負担することで,オプションの購入者には利益獲得の上限がないうえに,損失の可能性だけを限定することができる。投資家は全資産を今すぐ投資するかわりに,オプションを購入しておくことで,当面の相場動向を見極める時間的な余裕を持つことができる。他方で,相場はほとんど変化しないだろうと読んでいるオプションの売り手は,プレミアムを稼ぐことができる。要するに,ヘッジしたい人々と投機したい人々の双方のニーズをオプションは満足させてくれるわけだ。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) p.306

ターレスのオプション

 タレースは星空から運勢を占う特技を持っていた。彼は,ある冬,翌年のオリーブの収穫はいつもの年よりも豊作になると予言した。彼はそれまで蓄えたわずかな金を持って,その地方でオリーブの実を絞る器械を持っている人々をひそかに訪ね歩いた。そして,わずかな前払金を絞り器の持主に払うかわりに,秋が来たら絞り器を真っ先に使わせてもらう保証を取り付けた。秋の収穫期はまだ9ヶ月も先だったので安い値段でその交渉は成立した。そもそも,翌年の収穫が豊作は不作かを誰も知る由もなかった。この話の顛末は,もう察しがつくだろう。「収穫期が来ると,いちどきに多くの絞り器に需要が殺到したので,彼は思いのままの言い値でそれを貸し出して,莫大な儲けを得たのであった。こうして,哲学者でもその気になれば富豪になることができることを」タレースは世に知らしめたが,そいう野心を持つかどうかは哲学とは別の問題だ」。
 タレースと彼の金融装置についてのアリストテレスの逸話は,現代ではオプションとして知られる仕組みとしては,歴史上の文献にみられる最古の例である。オプション契約の基本的な仕組みは,あらかじめ条件を合意して決めておき,その条件が実現したら一定の行動をとる権利を,その権利の保有者に与えるような契約である。
 オプション契約は,もしその権利保有者が行使したいと思わなければ,行使を強制するものではない。もしオリーブが豊作でなければ,タレースはそのオプションを放棄したであろう。その地域全体のオリーブ絞り器の供給の限界を超える豊作となった時だけ,タレースはそのオプションの権利を行使したに相違ない。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.304-305

強運と技能を見分けるのは難しい

 たしかに彼らの投資成果はストロング・フォームでの市場効率性に対する反例にはなりうるが,それはさほど決定的な反証というわけではない。平均は常に一部のマネジャーの平均以上の成績が含まれている。だが,彼らの優れた成績は単なる強運の結果にすぎない,ということはありうる。ちょっとみただけでは,強運と技能とは見分けにくいからである。
 例えばピーターとポールがコイン投げをして,どちらが多く裏か表か言い当てられるか競争したとしよう。その結果は,我々が抱く直観を裏切るものがある。彼らが2万回コインを投げて,当たりの累計を記録していくとしよう。このゲームの途中では相手をリードしている状態が,どちらのプレーヤーにもほぼ半分の確率であるだろうか?否,きわめて疑わしい!裏であれ表であれ,2万回のすべてで一方が相手をリードしつづけて終わる確率は,1万回対1万回の引き分けで終わる確率よりも156倍も多い。一見すると技能と一貫性であるかにみえるものも,実はたんなる偶然にすぎないことが多い。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) p.212

我々は市場平均を上回れない

 この論理の展開はあまりにも心地よくないので,その長所は見失われがちである。たとえ最善の情報をもってしてもほとんどの人々は市場平均を上回れそうにない(そして最善の情報がない場合は平均よりも悪い結果になりそうである)というアイデアは,他人よりも優れた情報を持っていると信じている投資家すべてに対する侮辱に聞こえる。この憂鬱な結論のゆえに,プロの投資家たちの業界がアカデミックな理論に敵対感情を抱くようになったのである。この論理はむしろ,情報を持っている投資家たちを動かしている貪欲さ,知性,利己心などに対する賞賛である,ということに彼らは気がつこうとしなかった。もしも富を追求することに多くの投資家が熱心でなくなったら,熱心で動きの速い人々にとっては,市場に打ち勝つことがもっと容易になってしまう。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.200-201

将来予測の困難さ

 儲けにつながるトレーディング・ルールを開発しようとしたファーマの努力は決して不成功に終わったわけではないが,彼がみつけだした法則は昔のデータではうまくいったが,新しいデータでは効果がなかった。彼はその当時まだ知らなかったことだが,彼の経験したこうした無念な結果は彼だけではなく,市場平均に打ち勝とうとした多くの野心的な投資家たちが共通して体験してきたものであった。バック・テスト(過去のデータで投資戦略の有効性をテストすること)ではうまくいくようにみえることが,実際に投資家がそれを実行しようとすると不冴えな結果になることが多い。その原因は,投資環境が変貌したり,市場の反応速度が遅くなったり早くなったり,また同じ投資戦略を大勢の人々が実行するようになって得べかりし利益をお互いに奪い合ってしまうことになるからである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) p.189

サミュエルソンがハーバードを去った理由

 なぜサミュエルソンは,多くの俊才と影響力を誇った絶頂期のハーバード大学経済学部を去って,経済学の地位がまだ低かったMITに移ったのだろうか?彼が言うには,移籍したのには2つの理由があったからだという。
 1つには,「もっと高い給料をやると言われたから」である。
 しかし,もっと深い理由があった。たしかにハーバードで経済学理論の講座を持つには彼の能力が及ばないなどと思っている者はいなかったし,彼自身も決してそう思わなかったが,かといって彼が去ることになっても「[同大学にとって]修復できないほどの痛手にはならないだろう」と彼自身は感じていた。なぜだろうか?反ユダヤ主義であろうか?この問いに対するサミュエルソンの1983年の返答は,「たぶんそれが最も単純な説明であろうが,……もし単純な仮説がすべての事実を説明し切れない場合には,その仮説を信じる必要はないと思う」というものだった。第二次世界大戦前のアメリカの大学では,今日では考えられないほど反ユダヤ人の雰囲気があったが,ユダヤ人でなくても例えば「カンザス州出身である」というだけで田舎者扱いされて,当時のハーバードで終身教授の座を得られなかった優秀な学者仲間がいた,と彼は指摘している。「現実の複雑さは1つの要因では説明し切れないものだ」とサミュエルソンは移籍の理由を要約している。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) p.169

儲かるトレーディングとは

 儲かるトレーディングとは市場の不完全性によって成立する。そうした不完全性が蔓延しうるのは,他の投資家たちがすウィンガーよりも情報を受け取るのが遅かったり,情報から誤った結論を引き出したり,または決断を実行に移すのが遅かったりする場合があるからである。事実の認知や理解がゆっくりと起きることが,混沌ではなくトレンドを生み出す原因である。
 単に広範囲に分散投資したポートフォリオを買持ちにしたままでおくよりも,プロたちはアクティブに投資することによって成功を収めることができると主張している。なぜならば,彼らはノイズからトレンドを峻別でき,新しい情報をアマチュアよりもよく解読することができるからだという。それに,彼らは機転のきくブローカーやアナリストに常に耳を傾けているフル・タイムのプレーヤーであるから。プロたちは他の人々に先駆けて行動を起こして打ち負かすことができる自信を持っている。
 アレクサンダーはこの見解を,将来の価格変化を予想するにはコインを投げるのが最善の方法である,と主張する学者たちの見解と対比する。期待収益がゼロであるということは,価格はランダムに動くであろうということを意味している。しかし,そうした価格は予測不可能である。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.160-161

テクニカル分析は……?

 ロバーツが三尊型天井というのは,第30週目あたりで475を天井[ヘッド]とし,その右側と左側により低い2つの天井[ショルダーズ]があることを意味している。ここではひ弱なショルダーではあるが,このような形状はテクニシャンにとってこのうえない材料である。テクニシャンたちの信じるところによれば,この図で第37週目に「株価」が455を切って下がりはじめたように,この形状の襟足に当たるところを切って株価が下がりはじめると相場は軟化することになっている。逆三尊型のパターンの場合では,株価が襟足を越えて上がりはじめると相場は好調に向かうというわけだ。有名なテクニシャンのウィリアム・シャインマンが最近次のように述べている。「ダウ・ジョーンズ平均株価は逆三尊形状の襟足に当たる2650〜2675の範囲をなかなか突き抜けないが……それでも相場がこの水準を乗り越えていくための機は熟していると我々は考えている」。
 ロバーツが示したのは,テクニカル分析で使われる古典的なパターンのほとんどすべては,「正確なルーレット盤や乱数表を使った人工的な」偶然によっても生み出されうるということである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.149-150

分散投資の意義

 ではシャープが言う「根底にある基本的要因」とはいったい何であろうか?個別の銘柄の値動きは株式市場全体の動きに対して最も直接的に反応するという点は疑いがない。典型的な銘柄の価格変動のうちおよそ3分の1は,株価指数——すなわち「最も重要なたった1つの影響力」——の動きをたんに反映したものである。価格変動のうちそれ以外の部分は,自動車産業とか公益事業とかその銘柄の帰属しているグループ内のほかの銘柄の影響によるものと,その銘柄に固有のものとに,だいたい半分に分かれる。十数銘柄ほどを集めてポートフォリオを組むだけで,こうしたほかの影響力は消え去ってしまう。こうして分散投資の力は銘柄ごとの個別の属性を消滅させるので,ポートフォリオの価格変動の90%以上は株価指数によって説明されるのである。
 この論理が単純だからといって,その深遠な重要性を見失ってはならない。もし投資家がいかなる銘柄を購入しようとしても,株式一般を保有することに伴うリスクを取ることからは逃れられない。たった1つの銘柄を買う場合でさえ,その銘柄に投資することと同時に株価指数にも投資していることになるのである。ウォール街の人々が好んで引合いに出す格言に,警察の車が売春宿に来ると警官は不細工な女と一緒に美女の女もしょっぴいていってしまう,というのがある。株式相場が下落する時,一緒になって下落しないのはほんのわずかな銘柄だけである。相場が上昇する時もまたしかりである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.122-123

ダウ・ジョーンズ平均株価が使われた理由

 では,なぜ,そうした統計的な短所にもかかわらず,ダウ・ジョーンズ平均株価が市場を最もよく代表するものとして親しまれてきたのだろうか。あの1987年10月19日の大暴落の日にダウ・ジョーンズ工業平均が500ポイントも下落したのは誰もが記憶しているであろう。では,その日S&P500指数が何ポイント下落したか覚えている人は,果たしてどのくらいいるであろう。もっとも,その当時の混乱のなかで,それを気にとめるだけの余裕があった人がいての話であるが。
 この謎の答えは,ひとえに計算能力にある。1960年代になって高速演算が比較的安価で可能となるまでは,コールズやスタンダード・アンド・プアーズ方式で毎分毎分インデックスを算出することは不可能であったからである。何百銘柄もの直近の株価をそれぞれの発行済株式数に掛算をするという面倒くさい計算をしなければならないため,その当時まではインデックスは毎月1回しか発表されていなかった。これに対して,ダウ・ジョーンズ平均株価は,少数の株価を足し算して,あらかじめわかっている分母で割ればよいというだけのことなので,誰でもそのへんの紙に書けば1分足らずで計算できる。今日ではスタンダード・アンド・プアーズのデータは昔に比べれば広く使われるようにはなったが,これまでの株式市場の歴史を通してダウ・ジョーンズの数字が唯一タイムリーに入手できるものであった,というのが真相である。習慣はなかなか変わらないものである。

ピーター・L・バーンスタイン 青山護・山口勝業 (2006).証券投資の思想革命(普及版) pp.56-57

クモの糸の特性

 絹の強さが高度の抗張力をもつ鋼線に匹敵すると言う話は,たいてい誰でも聞いたことがあるだろう。それはそれで本当だが,クモの網の絹糸の何たるかについて誤解を招くおそれがある。高抗張力の鋼線は,壊れるまでの伸展性が1パーセント以下,ということは非常に硬い。吊り橋のケーブルにこれが利用される理由はそこにある—SUV車に乗って橋を渡るときに安定した走りが得られるのは,その剛性のおかげだ。オニグモの枠糸や縦糸の絹の強度,つまりある一定の断面が支えられる最大荷重は鋼線に匹敵するかもしれないが,機能を失うまでの枠糸の最大伸長は実質27パーセントで,縦糸では40パーセントにもなる。この素材で吊った吊り橋を渡るとすると,虚栄心ではなく冒険心でSUVを買い求めて,弾むような乗り心地を楽しまなければならない。「弾むような」と言ったのは,この絹糸に弾力性があるからだ。SUVが橋を降りて重力が取り除かれると,想像上の絹糸のサスペンションは元の長さに戻る。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 pp.203-204
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

動物の建築は創発的な特性

 もう1つ別の結論も非常に重要である。私たちは,シロアリが廊下をつくる意図を持っていたとか,あるいは働きアリが廊下という何らかの概念を持っていたとか主張する必要はない。廊下は局部的な刺激に対して各個体の集団が示す「創発的(エマージェント)な特性」だ。意外に見えるかもしれないが,そんなわけでもない。読者がこの本を持っている手というものを考えてみよう。あなたが胎児で,手が単純なひれのようなものだったころに,それを構成していた細胞は将来手をつくることを「理解」していただろうか。全部の細胞に何らかの先天的な規則が具わっていて,何か多少とも局所的な刺激,鋳型,勾配などに反応する。それぞれの細胞は分裂,移動,文化,あるいは死ぬことによって反応し,そうやって手が出現(創発)してくる。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.140
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

リーダーシップのない組織

 社会性昆虫の巣づくりにおける組織系統の実態がわかってきた。それは私たちのものとは全く違い,リーダーシップが存在しない。「責任者」と言える個体とか個体群はいないのだ。階層的な構造や管理部門もない。完成しなければならない一連の活動があれば,コロニーの他のメンバーあるいは巣自体から受けた非常に単純な合図を通して活動を始めたり停止したりする。ここで問題になるのは,そのような労働力がどうやって構造物を造ることができるのかということだ。

マイク・ハンセル 長野敬・赤松眞紀(訳) (2009). 建築する動物たち:ビーバーの水上邸宅からシロアリの超高層ビルまで 青土社 p.134
(Hansell, M. (2007). Built by Animals: The Natural History of Animal Architecture. Oxford: Oxford University Press.)

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