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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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シビレエイ治療

 ウナギのように電気を授かった魚が電気治療の最初の例となった。ローマ帝国クラウディウスの宮廷医スクリボニウス・ラルグスは痛風の治療に大西洋産の黒いシビレエイ(Torpedo nobilana)を推奨した。<生きた黒いシビレエイは,痛みがはじまったときに脚の下に置くといい。患者は彼に洗われる湿った岸辺に立って,つま先から膝までが無感覚になるまで,そのままに留まらねばならない。これは今ある痛みを取り除き,来るべき痛みが襲うのを防ぐ……>
 百年後には有名な医師ガレノスが生きたシビレエイを頭痛の治療に用いるよう推薦した。効き目があったように思えるが,私自身としてはシビレエイの50ないし60ボルトを両耳のあいだに送り込もうとは思わない。もし治療に効果があったとしたら,痛みの信号を伝達する能力が混乱させられたためだろう。痛みの信号は規則的な一連のパルスによって伝えられ,(痛みレセプターの刺激で)パルスが頻繁になればなるほど,われわれの経験する痛みは強まる。しかし神経は1秒あたり千個かそこらのパルスしか伝えることができず,これを超えると逆説的な結果を引き起こすとみられている。すなわち信号は混乱に陥り,もしくはその通路を塞がれ,痛みの感覚は遠のく。この原理は今でも関節炎の痛みどめに応用されており,カプサイシン(生の唐がらし粉の活性成分)を幹部にほどこすことで神経を「過剰に刺激」するのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.175
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電流のデモとフランケン

 アルディーニのロンドンのショウはもっとも華々しい見世物の1つだった。わずか1時間前に絞首台からおろされたばかりの殺人犯ジョージ・フォースターの遺体に,彼が一対の電極を取り付けると,脚は蹴りあげ,一方の目が開き,殺人者の固めた握り拳は脅かすように宙に突きあげられたのだった。死体が生き返ったかのような動きに観衆はぎょっとし,一人の女性は気を失った。アルディーニを模倣したその後のデモンストレーションはさらに印象深いもので,グラスゴーでの実験では,電流を通された死体が人差指をまっすぐに突き出し,見物客を順ぐりに指さすように見えたので,観衆は取り乱してばらばらに散ってしまった。
 アルディーニの実演はメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』のインスピレーションの1つである。<恐らく死体は蘇生するだろう。ガルヴァーニ電気はこのようなことの前兆を与えてくれた>と彼女は序文で述べている。われわれは今でも「誰かをガルヴァナイズする(活気づける)」と言うが,死んだカエルの脚にガルヴァーニが火花式発電機の電流を流したとき,彼は確かにこれを行っていたのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.156

水銀による梅毒治療

 ニュートンが晩年に患った「深刻な神経障害」は,錬金術の実験のために引き起こされた慢性の水銀中毒によるものと見受けられるが,ほかに水銀の蒸気を故意に浴びる場合もあった。17世紀に一般的だった梅毒の「治療」は,患者を仕切られた小部屋に入れて頭だけを外に突き出させ,水銀の入ったお椀を火にかけた上で患者の陰部をぶらぶらさせたのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.136

直観や常識は科学的な結果とズレる

 この物語の教訓の一つは,直観と“常識”はこと科学問題となるとめったに十分ではありえないということだ。ウィルソンの直観は部分的には正しかったことが判明したが,フランクリンの直観もそうだった。しかしもっと真剣な教訓も引き出せるし,そのうちの一つは今日の多くの科学論争とも密接な関係がある。それはリスクの評価にかかわる。ウィルソンは雲がどれだけの電気を含んでいるかをだれも知らないし,尖った避雷針は一挙に多くの電気を引き寄せるから危険があると論じた。この議論は,原子力から遺伝子操作作物にいたるまで,すべてにつきまとう危険についての今日的な議論に,びっくりするほどよく似ている。ロング・アイランドにあるアメリカの新しい巨大加速器——相対論的重イオン衝突器(RHIC)がブラックホールを生み出し,全地球を飲み込むかもしれないなどという主張すらあるのだ。
 新しい加速器に関係している科学者は反論を提出し,そのような破局の危険性は実質的にゼロだと述べたが,私の見るところでは,これは論点を見逃している。だれもリスクが正確にゼロだと言うことはできないし,同様にだれも装置を建設しないリスクが正確にゼロであるとは言えないのだ。未来に待ち受ける未知の破局を回避する唯一の手段が,この装置によって発見されるとしたらどうだろう?
 危険は“無視できる”と主張する科学者はうぬぼれに耽っているのだが,危険は冒すに値しないと開き直っている政治家や圧力団体のメンバーたちも同じだ。人間は進歩するには危険を冒さねばならないというのは真実だが,そのリスクの評価およびそれが冒すに値するかどうかを判断するのは,避雷針の場合のようにしばしば不可能なのだ。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 pp.121-122

科学は人間の活動

 科学は今ではもっと冷静な活動であり,このような個人攻撃が過去のものになったのは幸運だった,と考える方があるかもしれないが,それは間違いだろう。科学は今でも人間そのものの活動であり,人間的な感情は依然として大きな役割を演じている。私のもっとも大事にしている記憶の1つは,オーストラリアの研究所に著名な学者がやってきてセミナーを開いたときのものだ。研究所長は訪問者の理論に不賛成で,セミナーがはじまってから5分もすると,最前列にあった席から立ち上がり,大声で「ばかな!」と叫び,出て行ってしまった。後に残された哀れな訪問者は割り当て時間をしどろもどろでやりすごしたのだった。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.87

科学者が確証しようとするとき

 科学者が,ある理論が間違っている可能性を探すのではなく,その理論を確証しようとするとき,そこには1つしか結果はありえない。ブルームの場合もそれで,彼はニュートンの理論を“証明”したと意気揚々と結論したが,実際のところ数多くの可変な因子を計算に導入しているため,彼の実験結果はどんな理論にも適合させられただろう。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.80

Elsevierってこんな昔からあったの?

 『新科学対話』はイタリアから密輸出され,オランダの出版社ルイス・エルゼビアによって印刷されたが,この会社は今でも存在しており,私の科学論文もいくつかそこから出版されている。エルゼビアは異端審問所に助言を求めており,ガリレオの著述はイタリアでも他の国でも出版が禁止されていると知らされていたのだから,たいへんな危険を冒したのだった。しかし彼は報われた。この本はベストセラーとなり,ヨーロッパの科学界にこれまで知られていなかった法則とその実際的な応用法をもたらし,センセーションを巻き起こしたのだった。この本には物質構造の強度について論じたスケーリング法則の最初の記述が含まれているが,これらの法則は現代の建築学や工学の実地の基礎を形づくるものである。しかしガリレオは建物や骨ばかりにかかずりあっていたのではない。彼は『新科学対話』でまた,一定の速度で運動している物体は,たとえそれを押したり引いたりしなくても,運動をつづけることを証明し,アリストテレス的なアイデアを一撃で粉砕してニュートンの運動の第一法則の基礎を用意したのだった。といっても今日ですら,すべての人がその観念を理解しているわけではない。私は前に専門家の一群が重い台車で運ぶのに苦労したことを話した。同じ観念に苦労したもう1人の専門家が弾道学のエキスパート,エドワード・J・チャーチルで,1903年に有名なモウト農場殺人事件の裁判で証言したことがあった。被害者はごく近くから頭を撃たれたに違いない,とチャーチルは断定的に述べた。頭蓋骨の孔は周辺がぐちゃぐちゃになっているが,もし弾丸が離れたところから発射されたのならば,傷口はきれいな丸い孔になっていたはずだ。なぜなら銃身を離れてから大きな速度を得るまでに時間を要したであろうからだ!アリストテレスはチャーチルを知って誇らしく思っただろうが,どうやらチャーチルはガリレオについて聞いたことがなかったらしい。ボールがバットを離れた後,グラウンドをつっ切るあいだに「スピードアップ」すると語る現代のクリケット評論家もそうだ。実際,最近の調査によれば,30パーセントそこらの人は今でもガリレオの原理をしっかり把握していないのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 pp.65-66

見ようとしない人

 ガリレオの同時代人の中には望遠鏡を通して眺めるのを拒否することであっさりこの種の潜在的な問題を避けるものもいた。その1人がピサ大学の哲学者ジュリオ・リブリ教授で,ガリレオの執拗な批判者だった。望遠鏡を通して天を眺めるように誘われた彼は,その必要はない,なぜなら真理をすでに知っているからだと答えた。リブリが数カ月後に死んだとき,ガリレオは辛辣な批評を下した。リブリは地球にいるあいだに天体を見ることはできなかったが,天に昇る途中でそれを眺めただろう,と。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 pp.59-60

世界に寄与するという視点

 ですから国際化時代の日本の社会文化系の学者にこれから求められる仕事とは,最早外国語の文献を翻訳することで日本国内を豊かにし,日本人を啓蒙するだけでなく,広く外国の人々に役立つ知識,日本人ならではの独創的な考えを世界に発信することだと私は考えるのです。この意味で文部省が外国語に翻訳された私の仕事を学問に対する私の貢献だと認めないことは,日本人学者の知的学問的貢献を,まだ国内的視野だけで評価していて,広い世界に対して寄与したかどうかの視点が欠けているからなのです。日本人学者の自然科学の分野での業績は既に国際的に目覚ましいものがありますが,社会文化系の学問の世界に対する貢献は明らかに遅れています。だから日本人の独創的な業績を世界にまず外国語の翻訳を通して広める必要があるのです。そしてこのことは日本語そのものの読める次の世代を広げることにも確実に繋がります。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.238-239

言葉こそが捨てた武器に替わる新しい兵器だ

 日本語を国際普及しようという私の提案の骨子は,これからは諸外国がすぐれた日本の文化や進んだ技術,そして日本人の考えや意見を,日本語の書籍文献を読むことで吸収できるように,日本側として援助できることは何でもやろうということに過ぎません。ですから巨額の金銭的援助を国外における日本語教育進展のために行うのは当然のこととして,日本政府が各国に置いている外交機関の主たる重要業務の中に,当該国での日本文化の普及啓蒙,日本語教育振興のための徹底した援助活動などをはっきりと加えるべきです。これはすでに英米やフランス,そして同じ敗戦国であるドイツなどでもとっくにやっていることです。何しろ日本は戦争を国際紛争解決の手段とすることは絶対にしないことを誓ったのですから,外国との対立や摩擦を解消する日本の外交とは,言葉による他に道がないからです。戦後の日本外務省にこのような「言葉こそが捨てた武器に替わる新しい兵器だ」とする言力外交が,大国日本の生きる唯一の道だという明確な認識が欠けているのは残念でたまりません。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.235-235

日本語を読める人を世界に

 私が主張する日本語の国際普及とは,その主たる目標として先進諸国に日本語の読める人,読書人口を増やそうということに過ぎません。話し言葉までは要求しないのです。これがどのような意味を持つものなのかは日本における外国語学習の歴史を考えてみれば直ぐ分かります。
 前にも述べたように日本人の外国語学習のあり方を歴史的に俯瞰して見ると,それは常に殆ど指導者階級に属する人々だけが外国語の書物を読んで理解し,それを日本語に翻訳することだったといえます。何しろ日本は国としても色々な事情で外国人との直接接触もまた相互交流も殆どなかったからです。ですから外国人と会話することなど外国語学習の主目的には含まれていませんでした。日本人は殆ど書物を読むことを通して外国の進んだ技術,新しい考えをどんどんと国内に取り入れたのです。勿論同時に優れた製品の輸入も行われたことは言うまでもありません。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 p.235

誰か日本語を世界に広めようとしたか?

 二つ目の理由は日本人の無知と卑屈な自己卑下の伝統にあります。これまで歴史上誰か一人でも日本語を世界に広めるべきなどと主張し,その実現に力を尽くした人がいたでしょうか。私はいないと思います。日本人は自分たちが外国語を学んで国際対応をすること以外に,生きてゆく道がないと勝手に思い込んでいるなんともおめでたい国民なのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 p.232

人称という範疇が存在しない

 こうして見ると日本語では人称という範疇が存在しない理由がよく分かります。日本人はできる限り,話の相手との心理的対立を避けたいのです。ですから一見二人称のように使われる<あなた,おまえ,そちら>などは皆相手のいる場所を言うことで相手を間接的暗示的に指すだけです。しかもこれらの疑似代名詞さえも出来るだけ使わずに済まそうとして,<旦那,社長,奥さん>などや相手の職業名を使うのです。このようなわけで日本語には西洋の言語に見られるような二人称代名詞は存在しないのです。強いて人称代名詞という用語を用いるならば,日本語では<私>や<俺>も含めて全てが三人称だと言うしかありません。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.211-212

日本で議論が進展しない理由

 また日本語では対話や議論が対立的になりにくいもう一つの理由は,自称詞と対称詞が多くの場合話し手と相手の間の上下関係を構造的に取り込んでいるからだと思います。父親と議論するような場合,相手を「お父さん」と呼ぶことは,そのことで自分を息子つまり相手の目下と自己規定してしまうわけですから,初めから立場が弱いわけです。あるアメリカの論文で,父親をどう呼ぶかの調査の対象となったある青年が,自分は父親と議論するときは,絶対に Father と呼びかけることはせず,一貫して you を使うことにしていると答えていますが,日本語では言語上これが出来ないのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 p.182

日本語は劣っている?

 しかしどういうものか日本語にたいする日本人の態度には,未だに日本語は西洋の言語に比べて近代的な社会の運営には適さない,不便で遅れた言語だという考えが強く見られます。扱いの面倒な漢字や仮名をやめて表記を国際性のある簡単なローマ字に変えるべきだとか,英語を第二公用語として採用すべきだといった提案などが跡を絶たないのも,意識無意識のうちに日本語を西洋の言語と比べて違うところを気にしているからなのです。
 しかしこの「劣っているとされる日本語」を日本人が使いながら,あっという間に西洋の学問技術そして経済に追いつき,ところによっては追い抜いてしまったという事実,また日本は今でも世界で最も識字率の高い教育の普及した国であるといった明白な事実があるにも拘らず,それでもなお日本語は能率が悪い,漢字は教育の妨げになると言い立てる人々は,何のことはない,日本が全ての点で西洋と同じでないことに引け目を感じ,そのことが気になって夜も眠れなかった明治大正時代の西洋中毒,西洋心酔病からまだ抜け出られない人々なのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.173-174

多くの文化が流入している

 私は外国で日本文化について講演をする際に,息抜きに,なぜ日本の家庭の台所が,アメリカやフランスの家庭のように綺麗に片付いていることが少ないのかの話題によく触れました。その理由の大きなものとしてまず伝統的な日本の飲食関係の道具類の複雑多様なことが挙げられます。お茶一つとっても番茶,煎茶,玉露で茶碗を初めとする道具類がそれぞれ違います。お皿や器も食べ物の種類,大きさ,形や色の違いに応じて色々と取り揃えてありますし,これらは季節によっても変化します。これだけでも欧米のすっきりと画一で規格化された食器のセットと比べると大変に複雑ですが,そこに西洋式の食器がティーセットをはじめとして色々と加わっている家が普通です。日本人は少し前までは全てを箸だけで食べていたのに,今ではナイフ,フォーク,スプーンのような,ものを食べるためのいろいろな道具類も引き出しをぎっしりと埋めています。しかもしのうえ家によっては,更に中華料理の道具一式まで揃えてあるといった具合ですから,日本の台所は様々な異なった食文化が併存し,それらの複合状態に置かれているのです。これではなかなかすっきりとは片付かないのも道理です。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.155-156

訳によって意味が変化する

 ところで日本でよく引用されるフランスの哲学者パスカルの言葉に「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったならば,世界のあらゆる様相は違ったものになっていただろう」<Le nez de Cleopatre: s’il eut ete plus court, toute la face de la terre aurait change.>というのがあります。この発言の解釈は色々あるようですが,私が今ここで指摘したいことは,多くの人がこの原文のフランス語を「クレオパトラの鼻がもう少し低かったならば」と訳しているのは誤訳ではないかということです。フランス語では plus court つまり<もっと短かったら>となっているのに,日本人は日本語で<鼻が短い>とは絶対に言わないため,フランス語としてはあり得ない<低かったら>に変えてしまったのです。その結果として鼻が高いことを何よりもよしとする日本文化特有の立場から,<クレオパトラは鼻の高い美人であった>,そこでもし鼻が低かったならば,つまり<余り美人でなかったら>,アントニウスが恋におちることにはならなかったかもしれない,そこで世界の顔は違ったものになった,つまりローマとエジプトの力関係が変わった可能性があったと言うわけです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.129-130

言葉が認識を制限する

 さて蝶と蛾は学問上はどちらも鱗翅類という近似同類の昆虫として纏められています。そして蝶と蛾の間には学問的な区別をたてる明確な根拠がないので,両者を大まかに一つのものと見なす文化(言語)があっても,また反対に出現するのが夜か昼かの違いなどを主な理由として,この2つを別の種類の虫だとして区別する言語があってもおかしくないわけです。
 ただ重要なことは日本人のようにこの2つを区別するタイプの言語を母語に持った人々は,両者を同じものと見る言語があるなど夢にも考えたことがないということで,この事実を知らされたときはまさか,そんな馬鹿なことがあるかといった驚きと不審の感情を隠せないのが普通です。人並みの昆虫少年で大人になった後も虫に興味を失うことのなかった私も,長い間蝶と蛾は別のものと思って疑うことはありませんでした。人間は何時何処でも自分の母語が区別し名を与えている世界だけが,正しいものと思うように出来ているので,この母語の絶大な制約から解放されることはなかなか簡単にはできないのです。ですから外国語を学ぶことによって,その気になれば様々な異文化衝突を経験する機会に出会えるはずですが,実際はなかなかそうはならないのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.95-96

半分は音,半分は映像

 実はこのように音節の変化多様性が極めて乏しいため,日本語では言葉が長たらしくなるという弱点をかなりの程度まで補っているのが視覚に訴える文字なのです。このことは起源が外国語である漢字の場合に更にはきりしてきます。日本語の中の漢字の音にはキンやコウといった二音節のものが多いのですが,キンの音を持つ漢字は日常使われるもので約25,コウとなると驚くなかれ約90もあるのです。ですからこれらの漢字を含む言葉には,耳で聞いただけではどうにも区別の仕様のない同音語が沢山あるのは当然なのです。しかし文字で書かれたものを見れば殆どの場合疑問は解消します。コウギョウと聞いただけでは何を指すのか分からなくても,字を見ればそれが前にいったように工業,鉱業,興業,功業,興行のどれかが瞬時に決定されるからです。このように現代の日本語では音は言葉の半分でしかなく,残り半分はそれを表す文字の映像なのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 pp.54-55

日本語は映像を使う

 いま私たち日本人はある言葉を聞いたとき,殆ど無意識にその言葉がどのような字で書かれているのかを思い浮かべるのです。同音語の場合はなおさらで,音が等しいいくつかの漢字を思いだして,目下の話の内容に一番合致する漢字を正解として選んで,話を理解しています。ということはどこにも実際には書かれていない文字の,頭の中に記憶された映像を見ているのです。このことが私の言う日本語は話の理解を音声だけに頼るラジオではなくて,音声に文字の映像が加わって伝達が行われるテレビだということの意味なのです。

鈴木孝夫 (2009). 日本語教のすすめ 新潮社 p.44

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