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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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記憶したすべてに名づける

 17世紀にロックは,個々のもの,個々の石,個々の鳥,個々の木の枝などが固有の名前を持つという,不可能な言語を仮定した(そして否定した)。フネスも一度,類似の言語の発明を試みたけれども,あまりに包括的で,あまりにも曖昧だというので放棄してしまった。実際,フネスは,あらゆる森の,あらゆる木の,あらゆる葉を記憶しているばかりか,それを知覚したか想像した場合のひとつひとつを記憶していた。彼は,過去の日々のすべてを7万ほどの記憶に要約して,あとで数字によって固定しようと決心した。ふたつの考えがそれを思いとどまらせた。この作業は終わるときがないという考えと,それは無益であるという考えである。死のときを迎えても,幼年時代のすべての記憶さえ分類が終わっていないだろうと考えたのだった。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). 記憶の人,フネス 伝奇集 岩波書店 pp.158
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すべてを記憶できる人,フネス

 われわれはテーブルの上の3つのグラスをひと目で知覚する。フネスはひとつのブドウ棚の若芽,房,粒などのすべてを知覚する。彼は,1882年4月30日の夜明けの,南にただよう雲の形を知っていて,それを記憶のなかで,一度だけ見たスペインの革装の本の模様とくらべることができた。これらの記憶は単純なものではなかった。視覚的映像のひとつひとつが筋肉や熱などの感覚と結びついていた。彼はあらゆる夢を,あらゆる半醒状態を再生することができた。2度か3度,まる1日を再現してみせたこともある。1度もためらったことはないが,再現はそのつどまる1日を要した。彼はわたしにいった。世界が始まって以来,あらゆる人間が持ったものをはるかに超える記憶を,わたし1人で持っています。また,いった,わたしの眠りはあなた方の徹夜のようなものです。さらに,彼は明け方にいった,わたしの記憶は,ごみ捨て場のようなものです。黒板に描かれた円周,直角三角形,菱形などは,われわれも完全に直観できるフォルムである。イレオネの場合,若駒のなびくたてがみや,ナイフの角の柄や,絶えず変化する炎や,無数の灰のやまや,長い通夜の死人のさまざまな表情について,おなじことがいえた。彼は無数といってもよい星を空に見ることができた。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). 記憶の人,フネス 伝奇集 岩波書店 pp.155-156

古今東西すべてが収められている図書館

 五百年前,上のほうのひとつの六角形の監督者が,他の本と同じように判然としないが,しかし同じ行がほとんど2ページ続いている1冊の本を見つけた。発見した本を巡回解読係に見せると,この男は,ポルトガル語で書かれているといった。他の連中は,イディッシュ語で書かれていると教えた。1世紀たたないうちにその言語が突き止められた。それは,古典アラビア語の語形変化を有する,グアラニー語のサモイエド=リトアニア方言であった。その内容もまた解読された。それは,無限に反復されるヴァリエーションの例示を付した,結合的分析の概要であった。これらの例示のおかげで,ある天才的な司書が図書館の基本的な法則を発見した。この思想家のいうには,いかに多種多様であっても,すべての本は行間,ピリオド,コンマ,アルファベットの25字という,同じ要素からなっていた。また彼は,すべての旅行者が確認するに至ったある事実を指摘した。広大な図書館に,同じ本は2冊ない。彼はこの反論の余地のない前提から,図書館は全体的なもので,その書棚は二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ—その数はきわめて厖大であるが無限ではない—を,換言すれば,あらゆる言語で表現可能なもののいっさいを含んでいると推論した。いっさいとは,未来の詳細な歴史,熾天使らの自伝,図書館の信頼すべきカタログ,何千何万もの虚偽のカタログ,これらのカタログの虚偽性の証明,真実のカタログの虚偽性の証明,パシリデスのグノーシス派の福音書,この福音書の注解,この福音書の注解の注解,あなたの死の真実の記述,それぞれの本のあらゆる言語への翻訳,それぞれの本のあらゆる本のなかへの挿入,などである。

ボルヘス, J. L. 鼓 直(訳) (1993). バベルの図書館 伝奇集 岩波書店 pp.108-109

原因と言っても

 ほぼすべての歴史学者が,このような問題に関してたびたび言及している。カーももちろんそうである。いかに物事を理解すればよいかということに対する彼の提案については,今でも繰り返し歴史学者たちに議論されているので,我々もそれを見ておくべきであろう。カーは,事実にはもともと階級があると主張した。ロビンソン氏がタバコを買うために,見通しの悪い曲がり角のそだで道を渡ろうとして,飲酒運転の車にひき殺されたとしよう。彼の死の原因は何だったのか?カーはそこから,一般的に適用できる,注目すべき原因を探した。もしロビンソン氏がタバコをほしがらなかったら,彼は死ななかっただろう。これは正しい。したがって,彼がタバコをほしがったことが,この事故の原因である。しかしこれは一般的に適用できる原因ではない。なぜなら一般的に,タバコをほしがることが車にひかれることに結びつくのは,あまりないからである。一方,ロビンソンの死に対する別の一因となった,飲酒運転や見通しの悪い曲がり角は,一般的に適用できる。飲酒運転や見通しの悪い曲がり角の存在は,人がひき殺される可能性を増やすので,これらをこの事故の重要な原因だとみなすべきである。同様にクレオパトラの鼻やペットの猿は,国を戦争に向わせた一因ではあるかもしれないが,その一般的な原因ではありえない。カーは,ここから分かるように,歴史とはおもに一般的に適用できる原因に関するものだと考えていた。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.335-336

研究にも見られるべき乗則

 レドナーは,選んだ論文に対する統計を調べ,初めに深刻な事実を発見した。36万8110本もの論文が,一度も引用されていなかったのだ。これらの論文に含まれる学説は,学説のネットワークに目に見える反応をまったく引き起こさなかったのである。しかし,より影響を及ぼした他の論文について調べたところ,さらに興味深いことを発見した。約100回以上引用された論文において,その引用回数の分布がスケール不変的なべき乗分布に従ったのだ。それは学説のネットワークが,砂山ゲームや地殻と同様に,臨界状態へと組織化されている場合に予想される通りのものだった。もちろん,多くの回数引用された論文は,少ししか引用されなかったものより数は少ない。レドナーは,引用回数が増えるとともに,その論文の数がきわめて規則的に減少していくことを発見した。引用回数が2倍になると,そのような論文の数は約8分の1になるのだ。したがって,論文の引用回数に典型的な値はなく,ある論文が学説のネットワークに最終的に引き起こす変化にも,典型的な規模はないのである。このことは何を意味しているのだろうか?
 以前に我々は大量絶滅のところで,恐ろしく大規模な絶滅はよりありふれた目立たない絶滅に対してきわだっている,ということを見た。表面的には,これら2種類の絶滅は本質的に異なる原因,つまりそれぞれ外部からの衝撃と通常の進化の作用によって起こったかのように見える。しかしこの違いは,単なる幻想でしかないということが分かっている。我々はこれと同じことを,地震の場合にも見てきた。大地震の裏にある特別な原因をどんなに必死になって探しても,そのような特別な原因など存在しないことが,グーテンベルク=リヒター則によって示されている。レドナーの統計から考えて,これとほぼ同じことが科学自体についても当てはまるように思える。クーンにとっては,大規模な革命とともに小規模な革命も存在し,どちらも「伝統を打ち壊す」という本質的に同じ性質をもっていることに気がつくところまでが,精一杯だった。しかしレドナーのべき乗則は,科学的大変動に対するグーテンベルク=リヒター則に相当するものであり,これは,大規模な科学革命と小規模な科学革命とのあいだには深い意味で違いはないことを示唆している。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.299-301

年収もべき乗則

 なぜ,金持ちになる人と貧乏になる人がいるのだろうか?都市と同様にその理由はたくさんあり,その人の出自や教育などは必ず関係してくる。しかし,人にはそれぞれ長所や短所や能力の違いがあるにもかかわらず,そこには実は単純な傾向が成り立つ。アメリカで10億ドルの純資産をもっている人が何人いるかを集計すると,資産5億ドルの人の数はその人数の約4倍であることが分かる。さらにその4倍の人数が2億5000万ドルの資産をもっており,同様にこの傾向は続いていく。もしこの傾向が,ある1つの国のある政権下で,ある一時代のみに成り立っているとしたら,これは何らかの政策による気まぐれだとして無視してしまえばよい。しかしまったく同じ傾向は,イギリスでもアメリカでも日本でも,地球上のほぼすべての国で成り立つのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.265

もう一度やっても大都市はできるが同じではない

 このべき乗則が示唆しているのは,すでにお馴染みの通りだ。アメリカでもどこでも,都市には「典型的な」大きさというものはなく,また巨大都市の発生の裏には,特別な歴史的,地理的条件などない。都市の成長は,ここまで我々が見てきたものと同様に臨界的な過程であり,それは激しい不安定性の瀬戸際に留まっているのである。ある都市が作られるときに,その位置や産業などの理由から,その都市の発展が運命づけられているという場合もあるだろう。しかしべき乗則によれば,その都市がどれほど大きくなるかを,初めから言うことはできない。ニューヨークやメキシコシティーや東京の発展に関しては,必然的で特別なことはおそらく何もなかったのである。もし,歴史のフィルムを巻き戻してもう一度再生できたとしたら,間違いなく大都市はいくつもできるだろうが,それらは別の場所に別の名前でできるはずだ。それでも,都市におけるべき乗則の傾向は変わらないままであろう。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.262-263

都市の人口もべき乗則

 ザネットとマンルビアは,アメリカ合衆国の2400の大都市のデータを使い,人口約10万,20万,30万……の都市がそれぞれいくつあるかを,ニューヨークの900万人にまでわたって数えあげた。つまり,都市に対して,グーテンベルクとリヒターが地震について行ったのと同様の方法で取り組んだのだ。そして彼らは同様のパターンを見出した。この統計から分かったのは,各都市,たとえば人口400万のアトランタに対して,その半分の人口の都市が4つあるということだ。そのうちの1つはシンシナティーであり,そのシンシナティーの半分の人口の都市が再び4つあり,そしてさらに同じように続いていく。つまり,すべての都市や町は,様々な理由からたくさんの競合する影響の結果として発生してきたにもかかわらず,それでも全体としては1つの数学的法則に従うのである。
 人々が都市の間を自由に行き来できることを考えれば,このような著しく規則的な傾向は驚くべきものだろう。ザネットとマンルビアは,アメリカの都市に留まらず,世界中の2700の大都市や,スイスの1300の大きな自治体についても調べた。そしてどの場合にも,正確に同じべき乗則の傾向を見出した。これは,人々が集まって都市を作るときの過程における,普遍的な帰結であるようだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 p.261

映画の売り上げもべき乗則

 映画や自動車や音楽などにおける大ヒットはおそらく,同様の興味の雪崩へと還元できるだろう。1994年,『バラエティー』という業界紙は,1993年の人気の上位100本の映画による劇場総収入をデータにまとめた。これらの映画の収入を人気度の順位に対してグラフに表わしたところ,それが幅広い裾野をもつべき乗則に従うことが分かった。これは,映画のヒットを予測するのがきわめて難しいことを示唆している。1993年の人気第1位の映画は,この年の数あるヒット映画のうちの1本にすぎなかったというのに,第100位の映画の40倍も稼いだのである。なぜだろうか?我々の多くは,映画を見たいかどうかを,見に行く前から,あるいは噂を聞く前から決めてしまっている。我々は,新聞やテレビや口コミなど何らかの方法で態度を決めてしまう。人々が流行に夢中になり,他の人が興味をもっていると聞くと自分も興味をもつようになるというのは,否定しがたいことである。これは合理的な意思決定ではない。人間は互いに非合理的に影響し合うのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.237-238

株価変動もべき乗則

 1990年代に研究者たちは,世界中の株式や外国為替の市場における変動をより徹底的に調べ,どの場合にも,べき乗則と,固有の大きさをもたない激しい変動という,同様の性質が成り立つことを見出した。たとえば1998年,ボストン大学の物理学者ジーン・スタンレーは,研究者を率いて,有名なスタンダード&プアーズ社500種平均株価(S&P500)の変動を分析した。この平均株価は,ニューヨーク証券取引所の大企業500社の株価をもとにしており,市場全体を表わす1種の指標となっている。スタンレーたちは,1984年から1996年までの13年間にわたって15秒おきに記録された,450万点という驚くべき数の株価データを使って研究した。この期間の平均株価は,長期的なゆっくりとした増加傾向と,それに伴うたくさんの不規則な上昇と下落とを示していた。
 この変動をきわだたせるには,単純に長期的な傾向を無視し,さらに株価が上昇したのか下降したのかも無視してしまえばよい。こうして1分ごとの株価変化の大きさだけを表わすようにすると,問題点をもっと浮き彫りにしたグラフを作ることができる。このグラフは,ピークがたくさん並んだような形をしている。スタンレーたちはこの株価の変動を詳しく調べ,変動の大きさが2倍になると,その頻度は約16分の1になることを発見した。ここで重要なのは,べき乗則の数値ではなく,その規則的な幾何学的性質であることを思い出してほしい。この幾何学的性質は,大きな変動と小さな変動との間に質的な違いはないことを意味しているからだ。
 このべき乗則が示唆しているのは,典型的な変動などというものは存在せず,上昇下降とも大きな変化は,どんな意味においても異常なものではないということだ。突然起こる大規模な変化には何か理由が必要だという考え方は,正しくないようである。たとえそれがしばしば起こることだとしても,これは我々の直感に反する。科学者は,べき乗則に従う分布をしばしば,「太い尻尾(ファット・テール)をもっている」と表現する。べき乗則の曲線は,釣鐘型曲線に比べて裾野が急激には落ちないからだ。分布の裾野部分は,極端な出来事に対応する。何物かが系をべき乗則へと調整すると,極端な出来事はそれほど稀なことではなくなる。実際それらを「極端」だと呼ぶことさえ,間違いなのだ。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.232-234

絶滅は進化の必然

 激烈な出来事は,概して激烈な原因を暗示しているのだろうか?あらゆる劇的な絶滅には,同様に劇的な原因があるのだろうか?我々は前の方の章で,こういった先入観が最近覆されつつあるということを,地震や森林火災を例にとって見てきた。大量絶滅に関するこの驚くほど単純な傾向から考えると,科学者たちがこれらの「きわだった」出来事を特別のものと考えてきたのは,大きな誤りだったようだ。時間軸に沿ってデータを並べ,いつ絶滅が起こり,その規模はどれほどだったのかを見てみると,大きな山がきわだって見え,何か「明らかに」特別なことが起こったと思えてしまうのも確かである。しかし同じ記録を違った形で表わせば,実際は大規模な出来事は何も特別なものでないことが分かる。べき乗則による見方をすると,大量絶滅は進化の仕組みのなかで例外的な出来事ではないことに気づく。大量絶滅は,はるかかなたから振り下ろされた神の拳の跡などではなく,進化のもっともありふれた原理にもとづく必然の産物だったのである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.188-189

絶滅の原因はありきたりなもの

 2億5000万年前のペルム紀の絶滅のときは,歴史上もっとも急激に世界的に気温が下がった。そのときには,他にもいくつか不吉なことが起こっていた。1つは,海面が著しく下がったことだ。海面が下がると,海は大陸から離れ,広大な大陸棚が地上に姿を現わす。大陸棚には膨大な量の有機物が含まれており,それが大気と化学反応を起こして大量の酸素を消費する。リーズ大学の古生物学者ポール・ウィグノールは,この化学反応によって酸素濃度が現在の半分にまで減少したと概算した。彼はこう結論づけている。
 「ペルム紀=三畳紀の大量絶滅は,窒息死の物語であったようだ」
 現段階では,どの影響がもっとも大きかったのか,あるいはそれは他の大量絶滅にも当てはまることなのかについて,完全な意見の一致には至っていない。古生物学者の中には,その時期,劇的な火山活動が起こり,大気中に膨大な塵が吐き出されたと指摘する者もいる。またある古生物学者は,大量絶滅の前に起こった世界的な旱魃の影響を指摘している。これまでに提案されてきた原因をすべて並べていくと,何ページにもわたってしまい,どの説が事実と結びつくのか分からなくなってしまうだろう。いずれにせよ,6500万年前や,2億1000万年前や,2億5000万年前に,地球に何か異常なことが起こったのはほぼ確実である。それは,気温や海面の上昇あるいは下降か,火山の爆発か,太陽からの紫外線の放射の増加か,あるいはその他のものかの,いずれかである。これらたくさんの可能性が検討されているのも当然なことである。古生物学者デイヴィッド・ラウプは,首をかしげている。「ひょっとしたら,絶滅の原因として可能性があるとされる物語の一覧表は,我々個人個人を脅かしている物事の一覧表と,単に同じものではないだろうか?」

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.181-182

バッタの大発生もべき乗則で

 1994年,デール・ロックウッドとジェフリー・ロックウッドの生態学者の兄弟は,この大発生について,以前にはなかったほど詳細な数学的研究を開始した。あなたはもう,彼らが発見したことに驚かないだろう。米国農務省は,アイダホ州,モンタナ州,ワイオミング州の様々な地域で半世紀以上にわたり,バッタの個体数が環境収容力と呼ばれる限界値を超えた地域の総面積を,毎年記録している。大雑把に言って,バッタの密度がこの限界値(1平方メートルあたり約八匹)を超えると,そのバッタの1年間の活動によって,その地域の植物群落の構造に永続的な被害が残ることになる。この値に達した面積の広さが,バッタの大量発生の規模を示すよい指標になる。彼らは,いくつかの地域での発生記録の統計を見て,発生規模の分布がべき乗則に当てはまることを発見した。小規模な発生はよくあるが,大規模なものは稀であった。そして重要な点が,小規模な発生と大規模な発生とでは,その原因に関して意味のある違いはなさそうだということである。べき乗則が示しているのは,一見ささいな原因が,あるときには小規模な発生しか引き起こさない一方で,ときには壊滅的な大量発生を起こすこともあり,そして発生初期の時点での地域的条件をいくら分析しても,その最終的な規模の推定はできないということである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.158-159

壊滅的な地震の理由はない

 したがって壊滅的な地震は,事実上まったく理由なしに発生する。そのような地震がなぜ起こるかなら説明できる。地殻が臨界状態に調整されており,大変動の瀬戸際に立っているからだ。しかし,なぜ1811年のニューマドリッドの地震があんなに大きかったのかを説明するには,地震の発生後になって,どの岩石がどの順番で滑ったかという物語の形で語る以外に方法はない。初めに滑った岩石がたまたま,非常に大きな見えざる手に乗っていたということだ。この見えざる手は,断層帯全体にまで届いていたことになる。巨大地震は,どんなときにでも,どんな断層帯ででも起こりうる。コロンビア大学の地震の専門家クリストファー・ショルツは,次のような独創的な言葉を記した。「地震は,起こりはじめたときには,自分がどれほど大きくなっていくか知らない。地震に分からないのなら,我々にも分からないだろう」。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 p.117

進化過程の本質は「凍結した偶然」

 ジェームズ・ワトソンとともにDNAの構造を見出したフランシス・クリックはかつて,「凍結した偶然」の発生が進化過程の本質であると指摘した。偶然発生する遺伝的変異はほとんどの場合,生物の生存能や生殖能を奪い,そのため突然変異した系統はたいてい絶滅へと進む。しかし稀に,適応性を上げるような突然変異が発生し,それが定着して集団へ広がっていくこともある。ひとたびこのようなことが起こると,その偶然の出来事はその場で凍結し,その生物種のさらなる進化は必然的に新たな出発点から始まることになる。このように,進化とは累積的なものである。あらゆる凍結した偶然は,過去に凍結した一連の偶然のうえに付け加わり,時間の流れに従って先へ進む曲がりくねった道筋を構築する。この道筋は歴史に深くかかわっており,凍結した偶然はまさに歴史の不確実さを具現化したものである。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.96

べき乗則

 地震については何が典型的なのかという我々の疑問に関して言うと,この法則にはあまり得るものはなく,そんなに意味深いものではないようだ。しかしこの曲線は,とても興味深い特別な形をしている。このグラフは,地震の回数をマグニチュードに対して表したものである。マグニチュードが1増えると,解放されるエネルギーは10倍に増える,ということを思い出してほしい。エネルギーで考えれば,グーテンベルク=リヒターの法則は,ある非常に単純な規則へと還元できる。それは,タイプAの地震がタイプBの地震の2倍のエネルギーを解放するとすれば,タイプAの地震はタイプBの4分の1の回数しか発生しない,というものである。つまり,エネルギーが2倍になると,その地震の起きる確率は4分の1になる—これがこのグラフの意味である。この単純なパターンは,非常に幅広いエネルギーの地震に通用する。
 物理学者たちはこのような関係を「べき(冪)乗則」と呼んでおり,この法則はその単純な見た目からは想像できないほど重要なものになっている。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.72

直感に反する

 この考え方によると,断層のどんな部分でも,大地震を起こしていない期間が長いほど次の地震はすぐに起きるという,一見合理的な推測にいたる。地球上のある地域では「大地震の発生が遅れている」,という話をよく聞く。この考え方は合理的で当然のものに思えるが,ところがありのままの統計データは実はまったく逆を示している。地震の間隔を統計的に詳しく調べたところ,ある地域で地震の発生しなかった期間が長いほど,近い将来にそこで地震が発生する可能性は低くなるということが見出されたのだ。ロンドンの人々は,19番のバスを1時間も待った挙げ句,1度に3台もやってきた,とよく不満を垂れる。地震もそうなのだ。地震はまとまって起きるのである。現在地震を予知する最良の方法は,一度地震が起きるのを待ち,そして直ちに,別の地震が起きるという予知を出すという方法だろう。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.67

地震の前兆現象は信頼できない

 地球物理学者は1世紀以上にわたって,これと同じような,大地震の直前に起こる特別な状況を示す徴候を探しつづけてきた。大地震の少し前に必ず起こる特定可能な出来事があれば,それを地震の前兆として使えるかもしれない。考え方としては,地震は「自分がパンチを繰り出すことを前もって電報で知らせていて」,我々が必要なのはその電報をいかに読むかを知ることだ,というものである。この理にかなった方法には1つだけ問題点がある。それは,まだ誰も信頼できる前兆を発見できていないことだ。研究者のなかには,大地震の直前に地中を進む奇妙な電流をとらえたり,地下水位の突然の変化に気づいたりした者もいる。あるいは,イヌやウシが奇妙な行動をとるのを見つけたり,首をかしげるような天気の変化を目撃したり,不思議な光を見て驚いたりした者もいる。これらの出来事が起こった可能性は,どれも大きい。しかしこうした現象が,すべての,あるいはほんとすべての大地震の前に起こってくれなければ,信頼できる前兆現象とは言えない。ゲラーの1997年の総説には700以上の論文が引用されており,その多くで何らかの前兆現象が特定されたという主張がなされている。しかしゲラーは残念ながら,その1つたりとも信頼できるものはないと結論づけている。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 pp.49-50

カオスとバタフライ効果

 科学者でない人々は,バタフライ効果を,カオスという概念を端的に表したものととらえているようだ。しかしバタフライ効果としてよく知られている話は,残念ながら少々誤解を招くものである。風船の中の分子の運動がカオス的だったとしても,なかで特に変わったことは起きないはずだ。あなたは,中で嵐が巻き起こっている風船を見たことがあるだろうか?風船の中の蝶がいくら羽ばたいても,それが影響を及ぼすことはない。カオスだけでは,なぜ蝶が嵐を起こしうるのかを説明できないのだ。確かにカオスは,なぜ小さな原因が未来の詳細(各分子の位置)を変化させるのかを説明することはできる。しかし,なぜ小さな原因が最終的に大激変につながりうるのかを説明するには,何か別のものが必要なのだ。カオスは,単純な予測不可能性についてなら説明できるが,「激変性」について説明することはできない。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 p.34

後知恵バイアスです

 我々は,人類の歴史の移り変わりをどれだけ把握できるのか,そして未来の概略をどれだけ予想できるのか。これらの問題を考えるうえでも心に留めておかなければならないのは,ヨーロッパの歴史上,1914年までの100年間は穏やかな平和の日々であり,当時の歴史学者にとって戦争勃発は青天の霹靂であったということだ。アメリカの歴史学者クラレンス・アルヴォルドは,第一次世界大戦の後に次のように書いている。「地獄の申し子たちが,我が物顔に世界を蹂躙し,世界を修羅場に変えた。我ら世代が計画し作り上げてきた歴史という見事な創造物が,粉々に崩れ去った。我々歴史家がこれまで歴史から読み解いてきたものは,誤りだった。残酷なまでの誤りだったのだ」。アルヴォルドを含む歴史学者は,自分たちは過去の歴史における論理的パターンをすでに見つけたと考え,現代の人類の歴史は合理的な方向へ徐々に進んでいるはずだと信じていた。しかし未来は,悪意をもった驚くべき力の掌の上に身を預けており,その力はひそかに想像を絶する破局を準備していたのだ。世界史のうえで第一次世界大戦は,予測できなかった大激変の典型例である。この戦争は,「歴史上もっとも有名な迷い道」が引き金となって起こったものであり,そんなめったにない出来事など二度と起こりはしないと,楽観的に考える人もいるかもしれない。今日,多くの歴史学者は後知恵を頼りに,20世紀に起こった世界大戦はもっと大きな力が原因となったものであり,今でははっきりと将来を見通せるようになったと考えている。しかし,アルフォルドたちも1世紀前,これとほぼ同じ自信を抱いていた。しかも現在,彼らより聡明な者は,我々のなかには本職の歴史学者も含めてほとんどいないと思われる。

マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 pp.11-12

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