読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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それよりもはるかに不思議に思われるのは,日本人もまた,蛍光灯の青白い光を我慢していることだ。私は頻繁に東京を訪れているが,招待された個人の住宅でも,たいていの場合,天井灯には大量生産の蛍光灯が使われている。あるとき,立派な日本料理店で食事をする機会があった。私の舌には,今もその味の記憶が刻まれている。そして目もまた,忘れていない……。店の青白い光が,10年前に利用した街のコインランドリーを思い出させたからだ。日本の友人たちに心からの敬意を表しながらも,西洋人的な私の好みから言わせていただくと,東京で最も素晴らしいと感じる光は,国際的な高級ホテルの中である。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.155
さらにもう一つ,日光には,近視になるのを防ぐ効能があるという。これは聞きのがせない情報だ。というのも,モグラ並みの視力に近づいている人間が多くなっているからである。世界じゅうで,近視の人口は増え続けている。中国では,伝染病かもしれないと言われるほどだ。なにしろ国民の80~90パーセントが,遠くのものがよく見えないと訴えている。これについて,中国とオーストラリアの大学教授グループが,「自然光に十分当たっていないせいではないだろうか?」という疑問を抱いた。
そこで,広東にある小学校11校で,ある実験が行われた。毎朝の遊び時間を45分間延長したのだ。こうした方法で科学の発展に寄与できるとは,被験者となった子供たちもさぞかし喜んだことだろう。そして,結果は驚くべきものだった。雲のあるなしにかかわらず,毎日45分間多く自然光にあたることで,近視の進む確率が25パーセント減ったのだ。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.145-146
もう一つの興味深いケースは,液体洗剤だ。コルゲート・パーモリーブ[アメリカの多国籍企業]が,液体洗剤に最も適した色を選ぶための実験を行った。色だけを変えた洗剤を数種類用意し,主婦たちに数週間にわたって試してもらったのだ。もちろん主婦たちは,まったく異なる洗剤を比較していると信じ込んでいた。そして,ほぼ全員が,黄色の洗剤が脂分を最もよく落とすと答えた。だが黄には,緑ほど清涼感がないという欠点がある。また,抗菌性が最も高く,それでいて自然に最も優しい洗剤は,透明で色がない。結局,すべての長所を備えた色は存在しないことがわかった。そこで,消費者の心理的欲求に応じるため,黄と緑と透明の液体洗剤が販売されることになる。
歯磨きも同様に,色によって効用が異なるように感じられる。だから,一部の歯磨き粉は,三種類の着色料を使って「トリプル・アクション(3つの機能)」を強調している。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.122
ずっと昔から,色を使って消費者を「誘惑」してきた分野がもう一つある。マーケティングの殿堂,つまり洗剤業界だ。1950年代に,プロクター・アンド・ギャンブルは,おなじみの白い粉末洗剤に,色のついた粒を混ぜることを思いつく。そこで,粒の色を決めるために,マーケティングのスタッフが,主婦を対象とした一連の実験を行った。粒の色が黃・赤・青と異なる三種類の洗剤が用意されたが,当然,洗浄力は同じに設定されていた。しかし,主婦たちの感想は,黄は「洗いが足りない」,赤は「布地が痛む」,青は「汚れがよく落ちる」というものだった。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.121-122
包装の形については,専門家によれば,一般に男性は角張って固い形を好み,女性は丸みを帯びた形や曲線に惹かれるという。
もっとも,文化の違いによっては,体裁に多少の調整を加える必要がある。たとえばケンタッキーフライドチキン(KFC)は,日本に進出するさいに,ボール紙製の<バケット>の見直しを迫られた。日本人は<バケット>にチキンがぎゅうぎゅうに詰めこまれているのを見て,ひどく下品なうえに信用できないと感じたからだ。渡されたときに,下のほうに入っているチキンが見えないことが原因だった。そこで,KFCは日本の<お弁当>を手本にして研究し,「きれいに見せる」ことに成功した。つまり,すべてのチキンを平らに並べたのだ。おかげで,日本の<バゲット>は,販売価格がアメリカの二倍になった。しかし「こうしてよかったと思っています」と,KFCの大河原社長は,日本的な微笑みを浮かべながら断言する。アメリカのやり方に従っていたならば,ケンタッキーは日本に定着しなかっただろうと確信しているからだ。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.110-111
食器の色も,味覚に大きな影響を与える。たとえば,ホットチョコレートは,白や赤のカップよりも,茶色やクリーム色のカップで飲むほうがおいしい[ピクラス・フィッツマン, 2012]。またコーヒーは,透明なカップよりも白いカップで飲んだほうが,こくがあるように思われる。なぜならコーヒーは白いカップに注いだほうが色が濃く見えるが,色が濃いほど味も濃く感じられるからだ。
同じソーダ水を,色の異なる複数個のグラスに注ぐと,清涼感の度合いがグラスによって違うように感じる。青のグラスで飲んだ場合が,いちばん渇きが癒されるように思われ,続いて緑・赤・黄の順となる[ゲガン, 2003]。
皿を選ぶときには,先に述べた同時対比の概念が,料理を引き立てることを知っておこう。ニンジンは青い皿(補色にあたる)に盛りつけると,よりおいしそうに見える。
もしも太りたくないならば,料理の色から最も離れた色の皿を使うことをおすすめする。たとえばスパゲッティ・ボロネーゼの場合,赤い皿を使うと多めに,白い皿であれば少なめに盛りつけがちになる。逆にライスならば,白い皿にはたっぷりと,濃い色の皿には控えめによそいたくなるだろう。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.103-104
2009年にヒューレット・パッカード社は,さらに踏み込んだ調査をヨーロッパで行った。
9カ国において,従業員の代表に「中立的な意見」に関するアンケート,つまり回答者にとっては,一見してまったく興味のわかない質問を行ったのだ。解答用紙は色違いで四種類(青・黒・緑・赤)作成され,その意見に関して,「賛成」「反対」あるいは「どちらでもない」を記入するようになっていた。
結果は非常に興味深いものだった!「どちらでもない」(否定でも肯定でもない)という回答は,青の用紙の47パーセントと黒の用紙の43パーセントを占め,緑の用紙の28パーセントと赤の用紙の19パーセントより格段に多かった。この傾向は,フランスではさらに強くなる。「どちらでもない」が青の用紙では63パーセント,黒の用紙では51パーセントになったのだ。
さらにこの調査からわかったのは,過激な意見と赤との関係である。赤の用紙では,賛否にかかわらず極端な意見が29パーセントを占めた。これは黒の用紙の10パーセントと比べると,3倍近いことになる。
だが,この結果で最も驚かされるのは,緑の用紙を用いた回答者の半数以上(53パーセント)が,提示された文章に賛同していることだ。黒の用紙では36パーセントにすぎない。緑は人を納得させる力が非常に強い色だと言えるだろう。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.82-83
猫やウサギやネズミや牛は,青と緑は感知するが,赤という色を知らない。つまり,雄牛は絶対に赤を識別していないということだ。それなのに,どうして闘牛士は赤いマントを振り回すのだろう?それはたんに,これから耳を切られ,尾を落とされ,命まで奪われることになる哀れな動物の血の色を目立たなくするためである。
そのほかの動物の色覚についても見ていこう。馬は,黄色と緑を正常に識別するが,青と赤を混同する。爬虫類では,カメは青と緑とオレンジを識別し,トカゲは黄色と赤と緑と青を見分けることが知られている。昆虫はどうかというと,黄色を非常によく感知する。蝿取り紙やその他の虫取り用の罠に黄色が使われているのには意味があるのだ……。また,広い海の上では,虫はあまりありがたくないお客だ。だから,一般に,船体を黄色く塗ることは禁止されている。大量の花粉があると勘違いして,虫が巣を作るのを避けるためである。そして最後につけ加えると,鳥は色覚が非常に発達しており,形や動きよりも色に応じて行動していると思われる。
結論を言えば,人間とほぼ同じ色覚と光スペクトルを持つ動物は,リスとトガリネズミ,そして一部の蝶だけとされている。ごくわずかと言ってよいだろう……。
だが,自慢するにはあたらない。人間よりも優れた色覚を持つ動物はたくさんいるのだから!その筆頭が甲殻類だ。シャコは12種類,それに続くエイも10種類の光受容体を持ち,「三色型色覚」(青・緑・赤)として公認されている人間の目を大きく引き離している。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.46-47
もちろん,こうした特殊な例は別として,我々は赤,オレンジ,黄を暖色として,青と紫を寒色として認識している。緑は「ぬるい色」,つまり暖色でも寒色でもない色とみなされる。人間の目に見える光スペクトルの中央に位置するからだ。ただし,知っておいてほしいが,これは我々の感覚であり,物理的な観点からは間違っている。
色の温度についてのこの概念は,非常に重要である。なぜならば,脳による色の認識は,温度によって異なるからだ。我々は日頃から,ろうそくの光と電球の光と「陽の光」を区別している。いや,より正確に「晴れた日の昼間の光」と定義することも可能だ。朝の美しい色だの,冬の美しい色だのといった表現を聞くこともあるだろう。決して誇張ではなく,レモンは赤い光の中では白く見えて,緑色の光の中では茶色に見える。レモンが「レモン色」に見えるのは「白い」光の中で見たときだけなのだ……。
ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.28
この6回シリーズを書いて演じた経験から,私は創造性について重要な原則を学んだ。不安になればなるほど,創造性は失われる。遊び心がなくなって,精神の広がりがなくなる。恐怖は思考を縮こまらせ,冒険するのをためらわせ,そのせいで独創的な発想ができなくなる。しかし,コメディは斬新でなくてはならない。古いジョークは面白くないからだ。こうして私は,「コメディ書きのためのクリーズふたつの規則」に到達したのだ。
規則その1:早めにパニックを起こしておく。恐怖はエネルギーの源だ。そのエネルギーを使う時間をたっぷり確保しよう(この規則は試験にも当てはまる)。
規則その2:思考は気分に従う。不安は不安な思考を,悲しみは悲しい思考を,怒りは怒りの思考を生み出す。だから,面白いことを思いつきたければ,リラックスした陽気な気分を目指そう。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.440
なんの話だったかな。そうそう,映画の話だ。にわかには信じられないと思うが,私の両親の世代は,適当な時刻に映画館に入っていくのがふつうだった。どんな映画がかかっているかまるで気にしない。それどころか,映画が始まったばかりなのか,中ほどまで進んでいるのか,最後の追跡シーンの最中なのかすら気にしない。お菓子や煙草をお供に機嫌よく座席に腰をすえ,どんな話なのか,だれが悪役で,なぜみんなハンブルクに来ているのか解読しようとしはじめる。そして映画が終わると,辛抱強く予告編とニュース映画を観,アイスクリームを食べ,やがてまた映画が始まると,ようやくだれがだれで,なぜハンブルクに行ったのかわかってくる。そしていったいなにが起こっていたのか,やっとわかって,今度こそ大団円を楽しめるというときになって,「ああ,ここから観たんだった!」と言う――そして映画館を出ていくのである。こんな観客を相手に,いったいどんな脚本を書けばいいというのか。名高い喜劇作家ベン・トラヴァーズから聞いたのだが,1930年代には「田舎」の上流人士は例外なく,劇場の一階奥の席にだいたい20分遅れでやってきていたという(労働者階級のつまらない規則には縛られないことを見せつけるために)。それで彼はいつも,そのころに物語の簡単なあらすじを付け加えて,そんなハイソなかたがたが話についていけるようにしていたそうだ。しかし,ベンは少なくとも,そういう客がだいたいいつごろ入ってくるかはわかっていたわけだ。それに対して,「ああ,ここから観たんだった!」集団は,そもそもなぜ好んで間違った順序で映画を観ていたのか,その理由を考えたことがあっただろうか。少なくとも私の両親は考えていなかった。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.356
この演技を私はすばらしいと思ったが,それに同意する観客はごく一部だったし,トニーの演技が終わったあとには,そのごく一部以外の観客の気分をまた引き立たせるのにはしばらくかかるのが常だった。これを見れば,コメディの趣味がいかに幅広いかがよくわかる。たとえば出演者どうしでショーについて話をすると,うち20パーセントぐらいは比較的ぱっとしないと全員が思っているが,その20パーセントはどことどこかという話になるとたいてい意見が合わない。当時はこれに納得できずにいたが,何年もたってやっと,人のユーモア感覚はきわめて主観的なものだということがわかってきた。笑いには伝染性があるから,人はいっしょに笑いやすいが,同じ作品でもひとりひとりべつべつに観たときには,一般に考えられているよりはるかに感想はばらばらに分かれるものだ。私はときどき舞台から観察するのだが,観客がフィルムクリップを観ているのを観察しているだけでも,反応の幅がきわめて大きいのがわかる。またなにが受けるか受けないかも,こちらがあらかじめ思い込んでいたのとはまったく一致しないものだ。もうひとつ,当時の私が学んだ教訓に,ベーカー街クラシック劇場のマルクス兄弟祭を観たときに得たものがある。数々の玉の中にいかに多くの石が混じっているか気づいて,どんなにすぐれた喜劇役者でも,しょっちゅう滑っているという結論に達したのだ。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.261
つまり,1960年代前半の英国は階級意識が非常に強くて,はっきり口に出されることは少なかったが,ありとあらゆる面にそれが影を落としていた(10年後に《モンティ・パイソン》を作ったときには,こんな階級制度はすたれていくいっぽうで,いずれ消えてなくなると私たちは思い込んでいた。だが実際には,いまも根強く残っていて消える気配もない。このことからわかるように,当時の私たちはなにもわかっていなかったのだ)。金銭を例にとってみよう。60年代には,金銭は……まあその,下品なものだった。少なくともその話をするのは下品なことで,人目もはばからず大金を手に入れようとするのは,粗野で美意識に反する行為だった。友人のトニー・ジェイの簡潔な言葉を借りれば,「金を持っていることは下品ではない。下品なのは,いま金を手に入れつつあることなのだ」
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.199
困難にもめげず,笑える作品を書きたいと思う若い書き手がいるなら,私からのアドバイスはこうだ――。
盗め。
面白いとわかっているアイデアを盗んで,自分が知っていてなじんでいる設定でそれを再現してみよう。オリジナルとはじゅうぶんに別ものになるはずだ。なにしろ書いているのがきみなのだから。そしてすぐれたお手本を下敷きにすることによって,やっているうちによい脚本を書く規則が少しずつわかってくる。ほかの芸術家の「影響を受ける」のがすぐれた芸術家なら,「盗んで」から盗んだことを隠すのがコメディ作家だ。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.213
ジョークを「理解」するにも,同様の知的飛躍が必要だ。ジョークを組み立てるうえでむずかしいのは,それを「理解」するのに必要な飛躍の幅を測ることだ。頭のいい聴衆に対して,噛んで含めるように過度にわかりやすくしてしまうと,あまり面白いとは思ってもらえない。しかしそれとは逆に,飛躍の幅をあまり広くしてしまうと,今度はつながりが見えなくなってまったく笑ってもらえない。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.185
アメリカの心理学者ジュディス・リッチ・ハリスは数年前,これで大いに心理学界を憤慨させてしまったのだが,子供の発達に対する両親の影響力は過大に,いっぽう仲間集団の影響は過小に評価されているのではないかと唱えた。学問的に見てこの見解が正しいのかどうかは知らないが,私の意気地なし度が低下し,私に取り憑く弱虫の大群が見る見る数を減らしていったのはまちがいないし,それが同年輩の仲間と遊んだおかげなのもまたまちがいないのである。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.105
神経・精神科医のモーリス・ニコルは,あるとき聖書の文章について校長先生に質問したことがあるそうだが,先生の答えをしばらく聞いているうちに,この人は自分でも何を言っているかわかっていないのだと気がついたという。たった10歳でそこに気がつくとは,ニコルはすごいと思う。私はといえば,それがやっと腑に落ちるまでさらに45年かかった。この世には,自分がなにを言っているかわかっている人などほとんどいないのだ。セント・ピーターズの教師の誰かひとりでも,1949年に「これは忘れないようにしなさい。人の言うことの90パーセントは完全なたわごとなんだよ」と教えてくれていたら。そうしたら,私の知的進歩はどれだけ速まったかと思わずにはいられない。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.89-90
ふりかえってみると,私はずいぶん物静かでひとりが好きな子供だった(といっても寂しい子供ではなかったが)。母に言わせると,赤ん坊のころもぜんぜん泣かなかったそうだ――たぶん,泣くと母が来ると思ったからだろう。心理学者ハンス・アイゼンクによる,すばらしくわかりやすい内向性と外向性の説明を読んでから,私は自分が明らかに内向的だということを知った。もちろん,一方の端から他方の端まで,その程度は連続的に変化していくわけだが,両向性格と呼ばれる人々,つまり真ん中あたりに位置する人々は,両方の傾向をだいたい同じぐらいの割合で備えていることになる。これらの言葉を聞くと,戯画化された両端の人物像を思い起こすだけの人もいる。こっちの端には,口べたで痛々しいほど引っ込み思案なスウェーデン人の記録保管係がおり,あっちの端には,おしゃべりで厚かましいアメリカ中西部の車のセールスマンがいるというわけだ。そういう人たちは,俳優は外向的な性格に違いないと思い込んでいるものだが,じつはそうではない。舞台では堂々としているのに,大変な恥ずかしがり屋という演技者は少なくない。だれかのふりをすることと,自分自身であることのあいだには,なんと言っても大きな隔たりがあるのだ。
ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.77
ジャスパー・マスケリンは一家に伝わる秘密のトリックを活用して,兵士の逃亡のための道具を開発した。巧みな脱出術で一世を風靡した米国の奇術師フーディーニは,飲み込んだ鍵を自由自在に吐き出して使う技を会得していた。しかし兵士は逃亡の道具を飲み込むわけにはいかず,身につけたり,装備のなかに隠したりして,敵の目をあざむかなければならない。
ジャスパーは人前でも隠し通せるもの,あるいは最初から隠す必要がないものをデザインした。たとえば,一見ふつうのコマンドブーツ。これは靴ひものひも先金具(アグレット)や垂れ金具が,コンパスの針になっていて,ブーツの舌革(靴のひもや留め具の下にある革)に地図を,横革の下にはヤスリと弓のこを隠すことができた。また,コンパスの針一本,地図二枚,27センチの長さの弓のこの刃一枚,そして小さなヤスリを,ヘチマスポンジに防水絹を内張りして作ったサイズ調整用の中敷のなかに収めることもできた。爪ブラシまたは靴磨き用のブラシの柄のなかには,釘ぬき,ヤスリ,弓のこ,ドライバー,ペンチ,スパナ,コンパス,二枚の地図という脱出キット一式が収まった。ジャスパーが作った安全カミソリは,有能なニッパーに簡単に変えることができたし,歯ブラシは歯を磨くだけでなく,地図,コンパス,弓のこを隠すことができた。標準の靴下どめにさえ,カッター,地図,コンパスが仕込まれていた。
最も実用的だったのは,鋼鉄のチェーンソーの刃に細工をしたもので,これには0.5ミリ刻みの歯がついていた。クロムめっきで仕上げを施せば,普通の認識票(軍人が身分証明のために身につける小判型の金属),時計バンド,キーリング,幸運のお守り,そのほかどんなアクセサリーにでも見せかけることができた。兵士もおとりスパイもこれをおおっぴらに持ち歩いて,木でも鉄でも大きなのこぎりのように,切ることができた。
ジャスパーの脱出ツールは1万人のイギリス兵に支給されたが,逃亡においてどれだけ重要な役を果たしたのか,正確に測るすべはない。しかしキット一式にしろ,個別のツールにしろ,兵士やスパイが敵と接するあらゆる場面で,逃亡の一助として使われたのはたしかだ。たとえばチェーンソー。これは有名な東ケント連隊のナスバッハー軍曹の命だけでなく,鉄道の客車一輌に乗せられた彼の捕虜仲間も救った。ナスバッハー軍曹は占領下のハンガリーで私服を着ている際に捕らえられ,ぎゅうぎゅう詰めの列車に押しこまれてナチスの強制収容所に送られた。しかし,死の列車が収容所に到着する前に,ナスバッハー軍曹は持っていたチェーンソーで列車の側板を切り抜き,同じ車輌に乗っていた捕虜全員を解放したのだ。
デヴィッド・フィッシャー 金原瑞人・杉田七重(訳) (2011). スエズ運河を消せ:トリックで戦った男たち 柏書房 pp.246-247
アドルフ・ヒトラーは国家社会主義運動を始めるにあたって,ドイツ国民が超自然の力を信じやすいという特性を利用した。ナチスのシンボルである鉤十字は,それまでも世界各地で,幸運のお守りから豊穣の祈りまで,いろいろなシンボルに使われてきた。赤,白,黒の党カラーは,オカルトを基本としたマニ教の祭司の外衣に使われたものだ。ナチスのエリート兵士がつけた”SS”の文字は,謎めいたルーン文字風にデザインされており,ナチスの強制収容所の将校たちはどくろマークの記章をつけた。
こういったシンボルの多用は,ひとえに党幹部の信仰を反映したものだった。ナチス親衛隊の恐るべき隊長ハインリヒ・ヒムラーは,ナチスドイツ内で二番目に権力を持っていたが,自分は十世紀のドイツ王,ハインリヒ一世の生まれ変わりだと信じていて,就寝中に王と話ができると言い張った。彼は1937年に王の遺骨を発掘し,精霊の発出を行った後で,それをまたクウェドリンブルク聖堂の地下室に埋葬し直した。王の命日である6月2日には,毎年聖堂の地下室で真夜中の儀式を行った。
デヴィッド・フィッシャー 金原瑞人・杉田七重(訳) (2011). スエズ運河を消せ:トリックで戦った男たち 柏書房 pp.96