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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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フリン効果を説明する要因

 もし,フリン効果が,時代につれての知能の本当の向上を表しているのであれば,この上昇は間違いなく,遺伝的要因よりも環境的要因のせいであると思えるだろう。進化が集団内に大きな変化をもたらすためには,多くの世代を要する。人類の世代時間はおよそ30年なので,これほどの短期間で作用することはおそらく不可能である。時代につれての知能の向上を説明できる環境変化は多数考えられるが,たとえば以下のようなものが考えられる。

・就学年数の増加
・学校および学業における技術の進歩
・視覚的スキル訓練の増加
・栄養状態の改善
・都市化の進展
・技術職の増加

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 p.123
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フリン効果

 IQ得点の上昇という不思議な現象は,ニュージーランドの哲学者,ジェームズ・フリンにちなんで「フリン効果」と呼ばれている。フリン効果を支持する個々のデータは何年も前からそこここに存在したが,この発見の功績はフリンに帰されている。なぜなら,彼は,誰も気づかなかった幅広いパターンに気づいたからである。IQテストは定期的に新しく改変されるが,そのとき,一部の受験者には新版と旧版の両方が与えられる。フリンは,一方のIQテストがもう一方のものより30年ぶん古ければ,両方の版を同じ人が受験した場合,それぞれのIQ値の平均得点を比べると旧版のほうが10点高くなることを見つけた。言いかえると,現在のIQテストで平均点をとる人間は,1世代前の受験者と一緒に受けたら平均よりずっと高い点をとれただろうということであり,したがって,フリン効果を単にIQテストがやさしくなったせいだとすることはできない。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 p.120

自然とデザインの見分け

ラシュモア山の例を考えてみてほしい。あなたがラシュモア山のことを一度も耳にしたことがなく,4人の大統領の顔が壁面に刻まれたこの山を偶然に見つけたと仮定しよう。そうした形が偶然によって生じる可能性が極端に小さいことにもとづいて,あなたは,この構造がデザインされたものであることに微塵の疑いも抱かないだろう。しかし,今度は,宇宙人たちがその指導者をたたえるために刻んだラシュモア山の変形版を,偶然に発見したと考えてみよう。あなたはその山を見るまで,宇宙人が実際にどのような外見をしているのか,あるいは彼らが指導者の体のどの部分をモニュメントとして展示したがるかといったことについて,まったく何の手がかりももっていないとする。さらに,その宇宙人が住む惑星の自然地形がどのような形をしているかについても,何の手がかりももっていないと考えてほしい。このような3つの条件のもとで,あなたは宇宙人の自然の刻んだラシュモア山と彼らの自然地形とを,本当に確信をもって見分けることができるだろうか。人類や地球の自然の地形をまだ見たことのない宇宙人にラシュモア山の写真を見せて,同じ質問をすることもできるだろう。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.91-92

AがBを引き起こすと主張する学説が証拠によってしっかりと裏づけられるかどうかを判断するのに使える問い。


1. AとBの関係を探すその研究は,どれほど正確にAを定義し,計測しているか?Bをどのように定義し,計測しているか?それらの定義は合理的なものに見えるか?
2. 研究は,AとBのあいだに相関があることを示しているか?その相関はどれくらい強いか?
3. もしAとBについての研究のうち,両者のあいだの相関を示しているのは一部だけだとすれば,相関を示していない研究と比べて,どちらの研究がよりうまく組み立てられているか?どちらの研究がより大きな統計的有意性をもっているか?(一つの研究が否定的な結果を出しているというだけでは,AとBが無関係だということを意味しない----たとえば,その研究のサンプル数が非常に少なかったからかもしれない)。
4. もしいくつかの研究がAとBのあいだに強力な相関があることを示しているとして,その相関をAがBの原因であるという以外の形で説明することができるか?
5. AとBの関係を探究している研究は,Bを引き起こす可能性がある他の原因など,まぎらわしい変動要因をどう制御しているか?そうした他の原因としてどういうものがあり,それがAと比べてどれほど重要であるかを研究は調査しているか?
6. 研究は,Aが存在する状況と,Aが存在しない「対照群」とを比較しているか?もしそうしていれば,その対照群が調査対象を代表するものであることを,どうすれば確信できるか?
7. 研究は,AとBの関係が連続的なものであることを示しているか?つまりAがたくさんあればあるほど,後により多くBが見られるのか?
8. もし本当にAがBを引き起こすのであれば,ある場所ではAがよく見られるのにBが見られないことを,どう説明できるのか?(たとえば日本では,メディアで大量の暴力シーンが見られるのに,現実の暴力はアメリカに比べて非常に少ない)
9. もしAが本当にBを引き起こすのであれば,ときにAがより勢いを増していっているのにBが下火になっていくことを,どう説明できるのか?(アメリカではおそらくメディアの暴力シーンは長期的に少しずつ増大してきているはずだが,現実の暴力犯罪は,数年間にわたって,少なくとも2001年までは減少していた)
10.AとBの結びつきを研究している人物に,強いイデオロギー的な偏向があるように見えるか?
11.特定の研究者たちに資金提供をしているのは誰か?

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.14-15

web上の情報が信頼できるかのチェックリスト

 異論の多い考えを評価する上で,幅広い資料にあたるのは有益である。インターネットはそれをきわめて容易にしてくれるが,しかし同時にエセ専門家のウェブサイトにたどりついてしまうこともよくある。ウェブサイト上の情報が信頼できるかどうかをチェックする非常に役に立つ方法についての要約を,サウスウエスト州立大学図書館の司書であるジム・カパウンが作成している(彼のサイト www.ala.org/acrl/undwebev.html を参照(引用者注))。カパウンのチェックリストは,大学生がサイトの信頼性を評価する際の助けになるようにつくられたものだが,その方法はどんな人間にとっても適切なものである。どんな話題についても,本物の専門家とエセ専門家を見分ける技量を,カパウンの問いに答えることによって磨くことができる。カパウンはあらゆるサイトに対して,特定の問いを提起している。誰でも使える判定基準をいくつか示しておこう。たいていの場合,エセ専門家のサイトは次のような特徴をもつ。

(1)エセ専門家はふつう自分が主張することのすべてに確信をもっている。
(2)自分の研究を頻繁に引用する。
(3)奇妙なタイトルで強い印象を与えようとする。
(4)自分の考えが学界から抑圧を受けていると述べる。
(5)明確な政治課題をもち,金銭的な動機をもっていることさえある。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.10-11

注:現在サイトは閉鎖されている。「ジム・カパウン」は“Jim Kapoun”と綴るので,興味のある人は検索を。

可能性の判定

 異論の多いある考えに,正しい可能性があるかどうか,判定する公式はあるだろうか。いや,そんなものはないのではない。しかし,次のような点について自問してみるべきである。

・新しい考えの提唱者は,それが正しいことをどうすればわかると主張しているか?
・そのデータについて別の解釈はできないだろうか?
・その理論はどうすれば検証できるだろうか?

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.9-10

「良い遺伝子」と「悪い遺伝子」という二分法

 遺伝子を診て将来を鑑定する,という診断方法はいかなるやり方をしても“確実な鑑定”など原理的に不可能なのであるが,こうした技術の普及は一般社会にもっと深刻なイデオロギー的害毒をもたらすことになる。つまり「良い遺伝子」と「悪い遺伝子」という単純な二分法的遺伝観を世間に広め,「良い初期胚」と「悪い初期胚」を選り分けるという優生学の増長に拍車をかけることになる。「遺伝子」であれ「初期胚」であれ,一般社会の人々にとっては「胎児」ほど生々しいものではないし,言葉だけが先行した抽象的で非現実的な存在なので,その差別やら抹殺には心理的な痛みがともなわない。だから子供の未来を気にする親たちは「自分がいま,家族や世界の一員としてどういう子供なら歓迎でき,どういう子供なら抹殺してもかまわないか,という差別的な選り分け作業にたずさわっている」という重大な事実を直視せずに,じつに安易な気持ちで“胚殺し”が実行できるわけだ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.411-412

DNA鑑定の問題点

 実際のところは,犯罪捜査その他の司法鑑定の目的で採取したDNA標本は,指紋と同様に,採取した環境や保存状態によって劣化や汚染をこうむることが,ままある。たとえばDNA標本が,合成洗剤を使って最近洗濯したばかりの衣類や敷物から採取された場合は,繊維にこびりついた洗剤の作用でDNAそのものが科学的な変質をこうむっていることがある。いわゆる「DNA指紋採取法」では,DNA標本から「DNA指紋」を作成する際に,制限酵素を使ってDNA標本を特定の塩基配列部位で切り刻むという手順を踏むのであるが,合成洗剤の作用で変質してしまったDNAは,制限酵素の切断部位も,変質前のDNAとは違ってくる。その結果,このDNAの持ち主の本来の「DNA指紋」とは似ても似つかぬ「DNA指紋」が出来上がってしまうのだ。しかも人体組織や血液の標本は,細菌感染によって簡単に汚染されてしまう。細菌に感染された標本を使えば,「DNA指紋」を作成する際に細菌由来のDNAまで紛れこんでしまうので,鑑定結果はとんでもないものになってしまう。
 「DNA指紋」を採取するまでの段階でこれらの問題が起こると,真犯人の本来のものとは異質のDNAを使って鑑定を進めることになるので,真犯人を挙げることは決してできない。これは誤認逮捕の原因になる。しかも「DNA指紋採取法」は,これ以外にも誤認逮捕となる問題を抱えている。それは真犯人ではない者を「真犯人」だと“誤診”してしまう問題だ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.363

フェニルケトン尿症

 アミノ酸の一種である「フェニルアラニン」は,人体を構成している多くの種類の蛋白質の成分である。「フェニルケトン尿症」は「フェニルアラニン」の代謝能力が欠けているために起こる。たいていの人は「フェニルアラニン」を「チロシン」という別のアミノ酸に転換するための酵素を体内に蓄えている。ところがこの酵素が適切に働かずに,その結果「フェニルアラニン」が(尿にまで大量に溶け出すほど)体内に過剰蓄積し,脳細胞その他の生体組織に損傷を及ぼす場合がある。それが「フェニルケトン尿症」である。
 「フェニルアラニン」の過剰蓄積による組織の損傷を防ぐには,「フェニルケトン尿症」の赤ん坊や子供の食事を注意深く制限して,うかつに各種の蛋白質を摂取しないように気をつけ,正常な代謝や成長が維持できるように「チロシン」その他のアミノ酸を補給する必要がある。この食事療法は身体の成長が止まる時期まで続けなくてはならないが,それ以降はふつうの食事をしてもかまわない。
 こうした食事療法を正しく実行すれば「フェニルケトン尿症」の子供でも健康な大人になれるのだが,最近になって予期せぬ事態が出てくるようになった。「フェニルケトン尿症」の女児は,食事療法のおかげで健康な大人に育つようになり,その結果,最近では妊娠の話も聞かれるようになった。彼女たち自身は「フェニルアラニン」の血中濃度が高くても,もう大人だから健康に重大な影響が出ることはない。しかし今度は,彼女らが身籠っている胎児に悪影響が及ぶ恐れが出てきたのだ。こうした事情で,女性患者の場合は出産が済むまで“フェニルアラニン制限食”を続けるように忠告されるようになった。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.281-282

うつ病や統合失調症の病因遺伝子

 現在,医学者たちのなかに,「精神分裂病」や「躁うつ病」のような精神病にも“病因遺伝子”が存在しているはずだ,という信仰が広まっている。だがそうした「病因遺伝子」は“アルコール中毒症の原因遺伝子”と同様に,存在さえ疑わしいのである。マスコミは凝りもせず“精神分裂病の遺伝子を発見”などという報道を繰り返しているが,たとえば同一の遺伝子を備えた一卵性双生児でさえ,兄弟(または姉妹)が二人そろって「精神分裂病」を発症させる確率は30%程度にすぎない。つまり,遺伝子構成がまったく同じ二人の間でさえ,60〜70%(ということは大部分)は,一方が「精神分裂病」になってももう一方は全然発症せずにすんでいる。ありふれた“一親等”(親子関係)の家族で,親が「精神分裂病」に罹っている場合に実子にも発症する確率でも,せいぜい5%にすぎない。(もちろん,この5%の人たちは,遺伝よりも環境要因が原因で発症した可能性も考えられる。)
 行動心理学者のロバート・プロミンとおよびデニース・ダニエルは,こうした観察事実が意味する内容を,次のようにまとめている----「人間の心理面の発達は,環境の影響を受けています。環境の影響によって,同じ家族に育った子どもたちでも,別々の家庭で育った子どもたちのように,一人一人が違う個性を育んでいくのです」。これはちょっと極端な“環境決定論”にも見えるが,家系図に描かれた“精神病患者”の出現状況や遺伝学の情報だけで特定個人に“行動障害”を将来予測するのが(仮に不可能でないとしても)容易でないことは,十分に理解できるはずだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.270-271

引用者注1:2002年よりschizophreniaは精神分裂病ではなく「統合失調症」と訳されるようになっている。
引用者注2:ロバート・プロミンは行動心理学者というよりも「行動遺伝学者」と言った方がよいかもしれない。また,彼らの発言内容は,「心理的形質に対する共有環境の影響力が小さいこと」を表したものと思われるため,ここでの引用が適切であるかどうかについては疑問が残る。

奴隷制度と高血圧説とその批判

 最近,チャールズ・R・ドルー大学(ロサンジェルス)高血圧症研究センターに所属する2人の研究者----トーマス・ウィルソンとクラレンス・グリム----が,『高血圧』(Hypertention)という学術専門誌に「奴隷制度と現代の黒人たちに見られる血圧の較差の生物史----ひとつの仮説」と題する興味ぶかい論文を発表した。これは「アフリカ系アメリカ人」が生粋の「アフリカ人」や「ヨーロッパ系アメリカ人」よりも高血圧症に罹りやすい“理由”を遺伝学的に説明した珍奇な“理論”だ。この説によれば,そもそもアフリカから奴隷としてアメリカ大陸に輸送された人たちの中に「塩類を体内に蓄積させる特殊な体質」の人々が混ざっていたという。つまりこの「特殊体質」を発現させる“遺伝子”を備えた者たちが奴隷たちのなかに含まれていた。彼らは“奴隷船”に押しこまれてアフリカから何か月もかけて米国に送りこまれた。船の中は炎熱地獄。それに船酔いによる嘔吐や,感染症とか栄養失調による下痢で,水分の喪失は著しい。水分とともに体内の塩分やミネラルなども容赦なく奪われてしまう。こうした過酷な環境の中で,奴隷たちは衰弱し次々と死んでいった。米国に“荷揚げ”されたのちも,売られた先の奴隷農場で酷使され,使い捨てにされたのだった。こうした過酷な環境では「塩を体内に溜めこんでおける特異体質」の奴隷のほうが,そうした能力をもたない“正常”な者たちよりも有利であったにちがいない。つまり“奴隷の境遇”という過酷な環境が「淘汰圧」として働き,「塩を体内に溜めこむ傾向」を遺伝的に備えた奴隷の子孫たちが,より多く生き残った。しかし塩っからい食事を存分にとることができ,反面,汗をかくような労働をする機会が減った現在では,こうした“奴隷の子孫”であるアメリカの黒人たちが「塩を溜めこむ特異体質」をもてあまして,高血圧症やこれに関連した各種の病気で苦しむようになった……。ウィルソンとグリムの遺伝学風“おとぎばなし”の骨子は,おおむねこのようなシナリオだった。
 これはイカガワしい理論だと言わざるをえない。ウィルソンとグリムは,高血圧症などの罹患率が「アフリカ現地人」と「アフリカ系アメリカ人」で顕著に違っている実態を説明するために進化論をもちだしてきた。つまり奴隷船輸送と奴隷労働によって“淘汰”が進み,その結果として「アフリカ現地人」から派生した亜種が「アフリカ系アメリカ人」だという解釈である。しかし仮りに「淘汰圧」が働いたとしても,奴隷制度がじまったのは始まったのはほんの300年前ぐらいのものである。“病気”として広範かつ顕著に認められるような遺伝的形質が定着するには,それよりはるかに長い歴史の中で,代々にわたって「淘汰圧」を受け続けていなければ理屈に合わない。形質人類学者のファティマー・ジャクソンは,ウィルソンとグリムが珍説を唱えたのと同じ号に「塩分・高血圧症・ヒトの遺伝的変異性についての進化論的考察」と題する論文を載せ,アメリカで行なわれた奴隷制はさまざまなストレスを通じて奴隷集団を“淘汰”したばかりでなく人種間結婚によってそれまで地理的に隔離されていた人口集団どうしの“交雑”を促すことになったのだから,「アフリカ系アメリカ人」集団の遺伝的多様性を広げることに貢献したのであって(高血圧症に罹りやすい形質ばかりが残っていくような)遺伝的画一化が起きたとは考えにくい,と主張して批判的な論陣を張った。これらを総合して考えると,米国で黒人の高血圧症の罹患率が白人よりも高い現実は,次のように解釈するのが理にかなっているだろう。----つまり依然として続いている人種差別主義とそれによって生じた社会経済的な逆境が,黒人に慢性的なストレスを与えて血圧を上げる心理的な原因を作っており,しかも現代アメリカに特徴的な塩っからいジャンクフードを日常的に食べているせいで,結果的に高血圧症やそれに関連する病気の罹患率を押し上げている,と。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.221-223

これも自己責任論か

 現代では「貧しいのは遺伝的に劣っているからだ」という“理論”はもはや受け入れられない。それなのにコシュランドは,「貧しいのは精神病のせいだ」という説をはばかることなく公言している。彼の理屈は,経済的困窮に苦しんだりホームレス生活をするはめになった人たちの問題の元凶を,まことしやかな医学用語を使って“本人の病気”のせいにしたり,本人のみに責任転嫁する“論理構造”をとっている。前者の態度を「医学万能主義(medicalization)」----または「医学的理由づけ」----といい,後者を「個人責任万能主義(individualization)」----または「医学的理由づけ」----という。本人の“生物学的体質”を諸悪の根源とみる態度は,昨今の人類遺伝学者たちが“社会問題”を“遺伝子のしわざ”とする傾向と同じものだ。だがこうした責任転嫁のしかたは,私たちにはすでにお馴染みの,ありふれた論法なのである。たとえば,発癌物質や空気汚染を放置しているせいで癌や肺疾患が蔓延し,タバコや酒を規制しないからタバコ関連疾患やアルコール中毒がはびこる。つまり社会的・環境的な不備が原因で特定の病気が蔓延していることは否定しようがないのに,医学者や政治家はそうした現実から目をそむけて,別の“元凶”探しに躍起になっているではないか。
 もちろん誰だって,自分や,自分の愛する人の健康を気づかって暮らしているわけだから,その意味で「健康」を「本人」の----つまり「個人」の----問題と考えるのは,ある程度は妥当であろう。けれども私たちの「健康」状態は,体内の“生物学的異常”によってばかり起こるものではない。生活環境や労働環境の“不備”で起こることも,また確実なのだ。劣悪な環境のなかで病気に罹る人がいる一方で,罹らない人もいるという事実を考えれば,患者本人の“罹病性”(特定疾患への遺伝的な罹りやすさ)が一定の役割を果たしている可能性は否定できない。だがそうした“遺伝的体質”は修正できないにしても,環境を改善して病気になる危険性を減らすのは政策的に可能なことである。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.176-177

健康と病気の境界

 「健康」と「病気」の間には絶対的な境界などない。つまりこの2つは連続した状態である。心身の“調子”は,“とても快調”な「健康」から,その正反対の“とても不調な”「病気」までの,さまざまな状態をとる。この間の連続線の,どこまでが「健康」でどこからが「病気」かとか,どれほど「病気」が進んだら“病気直しの専門家”に助けを求めるかとか,“病気直しの専門家”とはどのような種類の実践を行なっている人々を指すか----呪術医から大学病院の専門医までさまざま----などは,結局,それぞれの社会が依拠している文化や,医療にかかる経済的負担の大きさによって,さまざまに変わりうる。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.170

遺伝子差別の根底にあるもの

 “遺伝子差別”の根底にあるのは,「ああいう連中は生まれてくるべきではない」という社会通念である。「ああいう連中」が何を指しているかは,それぞれの文化や社会によって異なるだろう。差別とはそういうものなのだから……。「奴隷解放の父」として名高い第16代米国大統領エイブラハム・リンカーンは「マルファン症候群」だったと考えられている。「マルファン症候群」は,手足が異常に長くなり眼球の水晶体や大動脈などに異常が認められる“優性”形質の遺伝病である。遺伝学者たちはもっか,「マルファン症候群」の発症を“予言”できる出生前検査の開発にいそしんでいる。歴史に“もしも”は禁物だが,もしも19世紀の初めにも現代のような“障害児の発生予防”に社会全体が熱狂し,科学的“予言”が大流行していたなら,リンカーンは生まれていなかったかもしれない。リンカーンを生むことのなかった米国に,今日のような社会的進歩があったかどうかは,まことに疑わしい。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.99

遺伝子検査を推し進めているもの

 遺伝子検査を推し進めているのは,障害者の“発生予防”を善しとする差別的な人間観に他ならない。だが“発生予防”の発想がどれほど有効か,まずそこから考え直す必要がある。「心身障害」すなわち心身の生理的機能不全をこうむった人たちの多くが経験する「障害」というのは,よくよく考えれば心身の機能不全状態そのものよりも,むしろそうした“生理学的少数派”が“多数派”である一般「健常」者の世界で生きていくうえで,社会的障壁に妨げられて生活に現れる“差し障り”と“被害”に他ならないことがわかる。たとえ優れた能力をもっていても,「女性」であるとか「社会的少数派」に属しているというだけで,たいていの人たちが社会的多数派や支配的職能階層から差別的に排除されてきた。(特に女性差別は人種にかかわりなく行なわれてきたのである。)それとまったく同じ“仕組み”で,遺伝的であれ生後のものであれ,心身に生理的機能不全をこうむり「心身障害」のレッテルを貼られた人たちは,多くの学校や職場で門前払いをされてきたのが現実なのだ。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.93-94

予言的な出生前検査

 遺伝が原因で起きる疾患や障害は,現実には比較的少ない。そのなかで“医学的手段によって発生が予言できる”ものとなると,さらにぐっと少なくなる。私たちや,胎内の子供たちが出逢う危険の大部分は,実際には“生物学的原因”とは到底言えないものである。たとえば都会に住んでいれば交通事故や犯罪に遭ったり発癌物質や毒物に曝される危険性はきわめて高い。都会住まいで,子供に自転車遊びを許しておけば,それによって子供の命が危機に曝される可能性は格段に高くなる。“自分の家系に特別な疾病遺伝子が受け継がれている”などという事実を知ろうが知るまいが,都会住まいの人間はこうした“異常な危険性”を無自覚に引き受けているわけだし,出生前検査で発見できる遺伝病の類いよりも発生率や損害は大きいわけである。さらに,出生前検査で“異常”が発見できる病気であっても,検査でわかるのは「問題が生じる可能性が高い」という“雰囲気”だけにすぎず,「生まれてくる子供の障害が軽微ですむか重度になるか」という大事な点は予測がつかないのが現実だ。
 にもかかわらず,米国の富裕層の女性たちの間では,“予言的”な検査が通常の出生前医療サービスの一部になっている。じつをいうと,そうした検査は製薬会社・病院・開業医のお決まりの収入源になっているのだ。さらに,医者は“医療過誤”で患者から訴訟を起こされるのが怖いので,職業的な予防線を(患者に対して)張るために,特に必要がない場合でも患者に検査を勧めるのが習いになっている。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.91-92

アメリカの断種不妊化法制

 1931年までに「精神異常者」や「精神薄弱者」の“根絶”を主な目的として,米国ではおよそ30州が“断種不妊化”法制を持つほどになっていた。ところが“根絶”すべき「精神異常」なり「精神薄弱」がいったい何を指すかについては定義が曖昧で,米国に住み始めたばかりで英語がわからず,その結果,むろん英語で実施される知能検査の成績が低く出てしまう移民たちなども,「精神薄弱」と判定されて断種を強いられるというありさまだった。しかも,いわゆる「性倒錯者」「麻薬常習者」「大酒飲み」「てんかん患者」あるいはそれ以外の“病気”や“退化的変質(デジェネレイト)”と診断された人々にまで断種不妊化法制が適用されるという,法の乱用が頻繁に起きた。こうした法律を制定した州でも,施行にいたらなかった場合が多い。だが1935年1月までに全米で断種不妊化手術を受けた人々の数は2万人にも及んでいた。しかもその大部分はカリフォルニア州で実施されたのである。カリフォルニア州の“断種不妊化”法制は1979年にようやく撤廃されたが,驚くなかれ全米にはこの悪弊を相変わらず続けている州があちこちにあるのだ。医師で弁護士でもあるフィリップ・レイリー氏によれば,1985年の時点で「全米の少なくとも19の州が知恵遅れの人々への断種不妊化を許可する法律をいまだに運用している。それらの州とは,アーカンソー,コロラド,コネチカット,デラウェア,ジョージア,アイダホ,ケンタッキー,メイン,ミネソタ,ミシシッピ,モンタナ,ノースカロライナ,オクラホマ,オレゴン,サウスカロライナ,ユタ,ヴァーモント,ヴァージニアおよびウェストヴァージニアの各州である」。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.77-78

ナチスと優生学

 かつての優生学は,ナチス・ドイツが広範囲の人々を大規模に抹殺する“不適者絶滅事業”を実施するにいたって絶頂に達したが,こうしたナチスの蛮行とて,出発点は英国や米国の優生学者が行なっていたことと,なんら変わりがなかった。つまり,「心身障害」という“診断名(レッテル)”を貼られた人々が子孫を残さぬよう,政府が強制的な処置を実施したのである。その強制策は,最初は「断種不妊化手術」にとどまっていたが,そのうちに「慈悲殺」(安楽死)へと発展していった。処分すべき対象も,「心身障害者」だけではすまなくなり,ユダヤ人,同性愛者,ロマ人(ジプシー),東欧占領地のスラブ人,さらにそれ以外のさまざまな「劣等人種」と,際限なく拡張されていった。
 ナチス政府は,自分たちの“事業”が気まぐれや思いつきではないことを力説するために,「淘汰と根絶」という言葉を好んで使った。絶滅政策が“科学的”に計画・施行されていることを彼らは誇りにしていたし,いわゆる「死の収容所」でさえ,「淘汰」という進化論的な学術用語をふりまわして「皆殺し」を実行していたのである。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.71.

優生学者の関心事

 ハックスレー博士は,たった一人で極論を叫んでいたのではない。20世紀の前半には大西洋をはさんだ両大陸で----つまり英国と大陸ヨーロッパ諸国だけでなく米国でも----「優生学会」が次々と結成され,各地で「優生学博覧会」が盛んに開催された。こうした「博覧会」は,一般大衆に“遺伝的欠陥の恐ろしさ”を教えこむとともに,上流階級には「子づくりに励まなければ“子だくさんの貧乏人”階級に圧倒されて,やがて上流階級は消滅の憂き目に遭う」という“階級的自殺”の危機感を植えつけるために実施されたのである。
 ヨーロッパの優生学者にとって,最大の関心事は“上流階級の防衛”であった。が,米国の優生学者の最大の関心事は“白色人種の防衛”であった。たとえば,米国工兵隊の隊長で知能指数検査の声高な推進者だったルイス・ターマンは,1924年に教育関係の雑誌に寄せた随想の中で,そうした人種的不安をはっきりとこう語っていた----
 「私たちの社会で,最も才能あふれた子供たちを生み出している家系は,繁殖力が決定的に衰えつつあるように見えます。(中略)現在の出生率がこのまま続いていけば,ハーヴァード大学の卒業生1000人が生み出す子孫は200年後にはわずか56人に減っているのに対し,南イタリアから入りこんできた移民1000人は10万人にも増えている勘定になるのです。」


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.67

優生学の支援

 第二次世界大戦まで,英国や米国では有名な生物学者や社会科学者の大多数が,優生学を支援したり,積極的に支援しないまでも,異議を唱えることなく優生学の隆盛を黙認していた。1941年といえば,すでにドイツではナチス政府が優生学の教えにもとづいて障害者・精神病者・異民族の絶滅政策を本格的に実施していた時期である。ところがこの年に,近未来の遺伝管理者会の危険性を警告した『素晴らしき新世界』(1932年)を著した作家オルダス・ハックスレーの兄で,英国の有名な生物学者であるジュリアン・ハックスレーが,「優生学の死活的重要性」と題する論文を,一般向けの評論雑誌に発表しているのである。この論文は,次のように,優生学を手放しで礼賛する宣言で始まっている----「優生学は,多くの革新的な思想がこれまで歩んできたのとまったく同じ王道を,歩みつつある。優生学は,もはや“一時的な酔狂”とは見なされなくなった。いまや優生学は真面目に考察すべき学問に育っている。優生学が緊急に実施すべき政策課題と見なされるようになる日が,遠からず訪れるはずである」。この論文の終わり近くで,彼は堂々とこう宣言していた----「精神的欠陥者たちが子供を持てないような政策を実施することこそ」社会の務めである,と……。彼は「精神的欠陥者」を次のように“定義”した----「自活すなわち他者の援助なしの生活ができないほどに,ひどい精神薄弱をこうむった人間」。この“定義”からうかがい知れるように,ハックスレー博士のような人物でさえ,「優生学」を語るだんになると遺伝学的形質と経済学的功利性をぶざまに混同していたわけである。しかしこうした理論的混乱は,「優生学」の分野ではありふれたことだった。
 そんなハックスレーでも,さすがに「人種の“退化的変質(デジェネレーション)”は劣等人種との結婚によって生じるのだから,劣等人種に結婚禁止を課したり,断種不妊化手術をほどこして施設に収容しておくべきだ」とまでは提言できなかった。だが彼は「精神的欠陥」を,まるで学問的に立証された“事実”のような口ぶりで,遺伝的結果だと断言していたのである。なるほど,生活環境が満ち足りた中流および上流階級の子供に「精神遅滞」が現れたとなれば,たいていは遺伝病を疑っても無理のないことであろう。しかし貧困階級の場合には,遺伝的原因を疑う以前に,子供の精神発達の足を引っぱる数多の環境要因----栄養不足,妊婦の過酷な生活,鉛中毒,学校教育制度の不備など----をまず疑うのが,合理的な筋道というものだ。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.65-66

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