忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ステレオタイプ

 どう見てもステレオタイプはよくて不当で,ひどいときには不倶戴天の敵にされることがあまりにも多すぎる。ステレオタイプは婦人から投票権を,アフリカ系アメリカ人から市民権を奪うことに加担した。人類の歴史を通して,くりかえし権利の付与が延期され,特権が濫用され,機会が剥奪されたが,ステレオタイプはそうした行為を保証する役割をした。いちばんよくメディアに取材されるのは,たいてい人種か国籍か性別による不当な決めつけだ。だから,ステレオタイプはいかなるときも悪いものだと多くの人に思われるのも無理はない。
 社会心理学の権威ある学術誌を何冊かめくってみれば,ステレオタイプがもっとも大きなテーマの1つになっているのがわかるだろう。人はいつどのようにステレオタイプを使うのか。また,ステレオタイプが正しいことがあるとすれば,それはどんな場合なのか。そんなことを扱う研究が多いと思うかもしれないけれど,実はそうではなくて,ほとんどの研究者はステレオタイプのプロセスの,たった1つの側面だけに焦点をあてている。つまり,他者を認識するときにステレオタイプがどのように干渉してくるかだ。ある代表的な研究によれば,被験者が8桁の数字をくりかえし言うのに気をとられている間は,そのことに気が散っていないときより,人種のステレオタイプを利用する傾向が強かったそうだ。この研究も他の研究も,人はあらゆる視点から考え抜くような時間も余裕もないときは,このようにぱっと浮かんだ決めつけに頼るものだという見方に至っている。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.194-195
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)
PR

武士は認知バイアスを避けようとしていた

 乱世を生きた武士たちの,事がらをあるがままに見る能力が尋常でなかったであろうことは,彼らの生活ぶりを示すさまざまな史料からも想像がつく。雲の動き,川の流れ一つ見るにしても,戦国武士の眼力と我々のそれとでは,犬の嗅覚と人のそれとぐらいの隔たりがあるにちがいない。しかも,そのような高い能力を身につけていながらも,なお彼らは,事実のあるがままは容易につかみ難いことを自覚し,自らを戒めつづけていた。見る力はあるにもかかわらず,その上でなお見そこなうことはある。武士たちはそのことを警戒し,だからこそより一層分別の大切さを強調したものと考えられる。
 都合の悪いことにはなるべく目をふさぎ,都合の良いことばかりを見ようとする本能は,武士たちにおいても変わることはない。せっかく事実のありのままを見抜く力を持っていても,自分から目をつぶってしまっては元も子もない。
 たとえば,臆病な大将は,敵の軍勢を見えた以上の大軍だと受けとめ,逆に強すぎる大将は過少に見積もろうとする。これらはいずれも,あるがままを自ら歪め,偽っていることにほかならない。このように,あるべき1つの判断を外にして,自分に都合のよいように事実を曲げていくあり方は,『甲陽軍艦』のみならず,およそ武士道思想において最も嫌われるマイナス価値である。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.105-106

手がかりが操作されている可能性

 他者に与える印象をどのくらい操作できるのかについては,さまざまな教えが得られる。まず,とくに印象操作しやすい状況がある。就職面接やデートなど,情報の流れをかなりコントロールできる場では,印象をうまく操作できるかもしれない。前に研究助手を面接したとき,本人は綿密に記録を残せる人間だと断言していたけれど,仕事を始めて一週間でそうじゃないことが明らかになった。でもスヌーパーが目をつける寝室やオフィスのような場所は,たいてい操作するのがずっと難しい。長い間に積もり積もった大量の情報があるからだ。それほどたくさんの情報を消すとなると大変だし,自分が持っていない特性を示す偽情報を大量につくりだすのは,もっと大変だ。そんなわけで,手がかりが操作されている可能性について考えるときには,次の3つのカテゴリーに分けてみると便利だ。

1 操作するのがもっとも簡単な手がかり。意図して送られている信号であり,信号を送ることがその手がかりの主な目的だ(部屋の掲示板に貼ったレインボーカラーのシンボルなど)。
2 意図的に環境に手を加えたことによる手がかり。信号を送るつもりはない(快適なスペースづくりなど)。
3 手を加えるのがもっとも難しいてがかり。行動の結果うっかり出てしまう信号(窓辺の枯れかけた観葉植物など)。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

実力を極限まで重視すると

 弱肉強食の世界に生きる動物たちが,体を大きく見せたり,鳴き声,吠え声で相手を威嚇するのとどこか通うものがあるが,実際,実力以上に自己を表現する虚勢も,武士の世界には往々にしてみられた。しかし,一方で表現から相手の実力を正確に見てとる技術,つまりだまされない技術も磨かれていった。今日でいう,情報戦のはしりであり,敵にだまされない力も,武士に要求される大切な実力の1つであった。
 いわゆる武士道の,形や威儀へのこだわりも,根本はおそらくこうしたところにある。表に出た形は,そのまま実力のほどを表示し,相手もまた表に出たものからその武士の正確な実力を測り知る。ここから,自覚ある武士にあっては,あらゆる表現がそのまま,溢れ出る威力のあらわれとして統制されていなければならないという観念が生み出されてくる。沈黙も,発言も,身だしなみ,礼儀正しさも,すべてが威の表現であると見る武士道独特の観念は,実力をいかに発動するかという,実力世界の基本中の基本命題にその根源を持つのである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.64-65

意識してやることか意識しないことか

 意識してやっていることは,無意識にやっていることよりも手を加えやすい。だからアイデンティティ・クレイムはごまかしの可能性がとても高い。保守派,リベラル派,フェミニスト,宗教の敬虔な信者に見せるにはどうすればいいかは明らかだ。政治的傾向を示すには,ロナルド・レーガンやケネディ家の誰かみたいな政治の大物をたたえればいい。「おしとやかな女性が偉業を成し遂げることはめったにない」(フェミニストのローレル・サッチャー・ウルリッチの言葉)と書かれたTシャツや,ぼくの車にも貼ってある,キリスト教徒であることを示す魚のステッカーは,明白に伝えたいメッセージを送っている。でも,行動のかすに手を加えるのは難しい。なぜなら,行動のかすは,“意図していない”行動の結果なので,意識でとらえられないのが普通だからだ。たとえば,朝あわてて出かける前に窓のブラインドを上げるとき,たとえブラインドが水平になっていなくても,意識は意図していない結果(水平になっていないブラインド)じゃなくて,作業そのもの(部屋に光を入れて仕事に出かけること)に集中しているから気にとめない。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.159-160
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

武士の実力とは

 武士の実力とは何か。
 それは,自己の持っているものすべての力である。腕力,武芸はいうにおよばず,知識,才覚,身体能力,財産,家族,肩書はじめ,容貌,性格,気質から,はては運勢まで,およそ自分に属するあらゆるものが,他を制する力として使われるならば,それこそがその人の実力である。要するに,自分のすべてを力に換算したものを,実力と呼ぶのだ。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 p.54

ほめ言葉を際限なくのみこむナルシスト

 ナルシストは魅力的な人たちだ。世間には偏執症とか,過度に感情的で人の注意を引こうとする人たちがたくさんいるけど,そういう極端なパーソナリティを持つ人たちとは違って,ナルシストは権力と責任がある地位ではいい働きをする。コロンビア大学のビジネス・スクールにいるぼくの共同研究者ダニエル・エイムズは,MBAにいる非常に能力の高い学生たちに,さまざまなパーソナリティ・テストを受けさせて,その結果を渡すようにしている。数年前,ある学生がナルシシズム・テストで最高得点をとった。たいていの人はナルシシズムをネガティブにとらえるので,学生がこの結果を見たら打ちのめされるんじゃないかとエイムズは心配した。でもそんな心配はいらなかった。ナルシシズムのレベルが高いせいで,学生はこの悩ましい情報をすぐにポジティブな意味に解釈したのだ。後にエイムズは,その学生が誰かに「ぼくはナルシシズムのテストで一番だったんだ。すべての質問に正しく答えたってことだな」と言っているのを耳にしたそうだ。
 ナルシストのもう1つの特徴は,ほめ言葉を際限なくのみこめる能力があることだ。数年前,同僚たちとぼくは,信じがたいほど才能のあるナルシストの共同研究者と会うことになった。そこで,ぼくたちが大げさに言っていることに彼が気づくまで,どれだけほめ言葉を言い続けられるかやってみよう,ということになった。さて,その面会と他に数回あった面会の間に彼が見せた反応は,ぼくたちが予想していたような疑いの念ではなく,うれしそうな謙遜だった。ぼくたちはじっさい「こんなにすばらしい意見を聞いたことは,これまで“一度たりとも”なかったんじゃないかな」なんてことまで言った。でも何を言っても,彼は真に受けていた。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 pp.154-155.
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

武士の定義

 武士の暫定的な定義は,3点からなる。
 まず第1に,それは戦闘を本来の業とする者である。刀を差し,鎧かぶとを常備しているという武士の見た目の特徴がこれにあたる。本来の業とするというのは,たとえば追いつめられた農民が武器を手にするのとは違うということである。武士は,普段の日常生活そのものが,根本的に戦いを原理にしている人々だということである。
 第2に,武士は,妻子家族を含めた独特の団体を形成して生活するということである。武士が武士として立っていくということは,背負うもの,守るべきもの,あるいは支え合うものとしての人間の共同が不可欠のものとしてあるということだ。一族郎党,主従関係,譜代,御家など,武士特有の人間共同のあり方は,ここを母体としている。
 そして第3に,武士は,私有の領地の維持・拡大を生活の基盤とし,かつ目的とする存在だということである。そしていうまでもなく,所領を維持・拡大する力は,第1点の武力を行使する戦闘にあるということになる。
 以上3つをまとめれば,武士とは,武力によって所領を維持・拡大し,そのことで妻子一族を養う存在ということになろう。妻子とともに食べて寝て着るという普通の人間生活を,己の武力によって支え営む者,それが武士の基本イメージである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.33-34

ナルシストの自己欺瞞

 こうした自己欺瞞はナルシストにとてもよく見られるものだけど,ある程度の自己欺瞞なら多くの人がしている。そのプロセスを理解するために,ポールハス教授は社会的に望ましい反応を役立つ2つのタイプに分けている。
 わかりやすいのは印象操作(impression management)というタイプで,これは好ましい(社会的に望ましい)印象を他者に与えるように自己を呈示しようとする意図的な試みをいう。そのために,ポジティブな特性を誇張したり,ネガティブな特性を否定したりする。
 2つめのわかりにくいタイプは,自己欺瞞的高揚(self-deceptive enhancement)と呼ばれていて,ポジティブな方向に偏りつつも正直な自己表現をする傾向だ。この特徴が強い人は,言っていることと考えていることに違いがない。自分についてすばらしいことを言っていたら,それは本当にそう信じているのだ。勘違いなのである。そういうわけなので,人が自分のことをポジティブに表現するよう指示されると,印象操作の度合いは急上昇する(印象操作は故意にすることだから)。でも自己欺瞞的高揚の度合いはほとんど変わらない(自己欺瞞的高揚は意識しないものだから)。お察しの通り,ナルシシズムの特性が高い人はたいてい自己欺瞞的高揚の度合いも強いけれど,印象操作については他の人たちと変わらない。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 p.153
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

「武士道」と「士道」

 武士道とは,第一義に戦闘者の思想である。したがってそれは,新渡戸をはじめとする明治武士道の説く「高貴な」忠心愛国道徳とは,途方もなく異質なものである。
 とはいえ,武士道が全く道徳と相いれない暴力的思想であるわけではない。武士道ももちろん,ある種の道徳を含み持っている。だがそれは,一般人の道徳とは大きく異なる道徳である。平和の民にはおよそ想像を超えた異様な道徳。それが,武士道の道徳なのである。
 武士道の道徳というと,多くの人が,忠孝,仁義といった儒教的徳目を思いうかべることだろう。忠孝仁義は,江戸時代の武士たちの世界で盛んに唱えられ,明治武士道もまた,忠義・忠孝を核心的概念として鼓吹している。武士道といえば忠孝仁義というのもまた,今日の通り相場になっているように見える。
 しかしながら,武士の道徳を儒教的概念体系で説明するようになったのは,長い武士の歴史の中の後ろ半分,徳川太平の世になってのことである。太平の世は,もはや殺伐たる戦闘者を必要としない。平和の秩序の中で,武士たちは,新たに,為政者として天下を統治することを求められるようになる。戦闘者(武士)から,為政者(士大夫)への転身が要請されたのである。
 為政者としての武士のあるべきあり方を説くために用いられたのが,儒教的な概念体系である。徳川体制の秩序は,儒教的道徳の実現(人倫の道)と重ねて説明され,統治を担う武士は,道を実現する士大夫に相当するものとみなされる。戦国乱世の戦闘者の思想「武士道」に対して,太平の世が新たに生み出した武士の思想。それが,儒教的な「士道」なのである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.20-21.

後知恵バイアス

 さらに人は常識のせいで,研究結果はすでに知っていることを確かめただけだ,とつい思いこんでしまう。ぼくはこの前発表をしたとき,こういう“後知恵バイアス”を目の当たりにした。たいていぼくは話をする前に,寝室研究でどんなことが明らかにされたか,予想してみるように聴衆に頼む。すると,これがなかなかできない。寝室では,住人の外見の魅力についてはわかりやすいが,神経質であることは見抜きづらいと予想できる人なんて,ほとんどいない。でもこの発表のときだけは,聴衆に予想してもらわずに結果を話すという失敗をおかした。すると,いつもなら,ほう,とか,へえ,という反応があるのに,みんな意外でもなんでもないような顔をしていた。聞いた事実が理にかなっているとしても,だからといってもともと明らかだったとは言えない,ということを,ぼくはまたしても学んだ。

サム・ゴズリング 篠森ゆりこ(訳) (2008). スヌープ!:あの人の心ののぞき方 講談社 p.7
(Gosling, S. D. (2008). Snoop: What Your Stuff Says About You. New York: Basic Books.)

武士道概念を混乱させている原因

 「武士道」という言葉を聞いて,今日多くの人が思い浮かべるのは,新渡戸稲造の著書『武士道』(原題は“Bushido, the Soul of Japan”)であろう。学問的な研究者を除く一般の人々----とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家,政治家といった人たち----の持つ武士道イメージは,その大きな部分を新渡戸の著書に依っているように思われる。そして実はそのことこそが,今日における武士道概念の混乱を招いている,最も大きな原因の1つなのである。
 新渡戸『武士道』が,武士道概念を混乱させているとは,どういうことか。それは一言でいえば,新渡戸の語る武士道精神なるものが,武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.10-11

すべての人間に好機を与えられる社会を

 よりよい世界を築くためにわれわれに求められることは,成功者を決める幸運や気まぐれな優位点,タイミングのいい誕生日や歴史の幸せな偶然の代わりに,すべての人間に好機を与える社会を築くことだ。1年の後半生まれの子どもを対象とする第2期アイスホッケーリーグがカナダにあったら,現在の2倍のスター選手が生まれていただろう。そのようにして花開いた才能を,あらゆる分野や職業で掛け算してみればいい。世界は,いまよりもずっと豊かだったのかもしれない。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.304

「今」生きているというのはいかに運が良いか

 もちろん人類の先行きに不安の影はある。たとえば,肥満は多くの研究者が考えていたように有害であることが判明しており,豊かな国で肥満率が上昇し続けたら,そのことによって進展が大きく損なわれる可能性がある。しかし,このような潜在的な問題は相対的にとらえる必要がある。「十分食べられないことを心配するのをやめて,はじめて食べすぎを心配し始めることができる。そして,人類の歴史の大部分,我々は十分食べられないことを心配していた」とフォーゲルは皮肉たっぷりに述べている。どのような難題に直面するにしても,先進国に暮らしている者は,これまで生きてきた人間の中で最も安全で,最も裕福な人間であることが,議論の余地なく本当であるのに変わりはない。依然として死を免れることはできないし,死ぬ原因になる多くのことが存在する。ときには心配するべきである。ときには恐がりさえするべきである。しかし,「今」生きていられていかに非常に運がいいかを常に思い出すべきである。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.443-444
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

人間は類推によって新たな考えを体系化する

 努力のあとは休息でバランスを取るべきだという考えは,もちろん,勉学や仕事に対するアジア人の考え方とは正反対だ。だがそうは言っても,アジア人の世界観を形づくったのは水田である。珠江デルタでは,農業従事者は二期作,ときに三期作を行う。水田はわずかな期間しか休ませない。それどころか,ここが稲作の特異な点だが,灌漑用水がふんだんに栄養分を運ぶため,稲作を行えば行うほど水田は肥沃になる。
 だが,欧米ではその反対だ。小麦やとうもろこし畑は数年に一度休ませなければ,土地が痩せてしまう。冬はいつでも土地がか空っぽだ。春の種播きと秋の収穫期に重労働をしたあとは,いつも必ず,夏と冬にのんびりした日々が続く。そして,それこそが,アメリカの教育改革者が若者の知力の育成に当てはめた論理だった。人間は類推によって新たな考えを体系化する。知っていることから知らないことを考え出す。教育改革者が知っていたのは,農業従事者の季節のリズムだった。知力も耕されなければならない。だがやりすぎは禁物であり,疲れさせてはならない。それなら消耗を防ぐ方法は?長い夏休み,それは独特でいかにもアメリカ的な遺産である。そしてその遺産こそが,今日の生徒の学習パターンに重大な影響を与えてきた。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.288-289

サリン事件の評価

 1994年6月27日に,オウム真理教の信者たちが,改造冷凍トラックを運転して松本の住宅街に入った。トラック内でコンピューター制御の装置を作動させる。液体サリンを過熱して蒸気にし,送風機で空気中に吹き飛ばすものだった。風の状態は完璧で,致死性の蒸気の雲は,暑い夜に開け放たれた窓へとゆっくりと運ばれていった。8人が死亡し,140人以上が重傷を負った。
 1995年3月20日,オウム真理教は別の方法を試みた。ビジネス・スーツを着て,傘を持った5人の信者が,混雑することで悪名の高い東京の地下鉄網の中心部で5台の別々の電車に乗り込んだ。彼らはサリンがいっぱい入ったプラスティック製の袋を全部で11袋持っていた。袋を床に置き,傘を突き刺して袋に穴を開け,電車から逃走した。11袋のうち3袋が破れなかった。残りの8袋からは4キログラムのサリンがこぼれた。サリンは周囲に広がり,蒸発した。12人が死亡した。5人が致命傷を負ったが生き延びた。37人が重症と診断され,984人に軽い症状が出た。
 当局は日本中のオウム真理教の施設の捜索を行ない,発見したものに驚いた。この凶悪な作戦の規模にもかかわらず,大量虐殺手段を獲得するための多くの活動にもかかわらず,何度も繰り返された攻撃にもかかわらず,日本の警察はオウム真理教の施設で何が起きていたかをまったく知らなかった。これ以上ひどいシナリオを想像することは難しい。すなわち,大量虐殺への非常に強い願望を持った狂信的カルトが,大量の資金と,国際的コネクション,優れた装置と実験室,最高レベルの大学で教育を受けた科学者,作戦を追求するための数年間のほぼ完全な自由を有していたのである。それでいて,化学兵器あるいは生物兵器を用いたオウム真理教の17件の攻撃によって,ティモシー・マクベイが肥料と自動車レース用の燃料で作ったたった1個の爆弾を爆発させたときにオクラホマ・シティで死亡した168人より,はるかに少ない数の人間しか死亡していないのである。
 「オウム真理教の事件が示唆しているのは,いかに直感あるいは一般的な考えに反するとしても,化学兵器や生物兵器を効果的に兵器化し散布する試みにおいて,どの非国家主体も技術上の重大な困難さに直面することである」とギルモア委員会は結論を下した。こういった試みの失敗を決定づけているのは,宗教的熱狂によって強められる陰謀組織内部の環境であるとギルモア委員会は指摘している。「オウム真理教の科学者は,社会的,物理的に隔離され,被害妄想が進む指導者に支配されていたため,現実から遊離し,健全な判断ができなくなった」
 大規模な破壊を夢見るテロリストにとって,これは希望を失わせる結果である。アルカイダやほかのイスラム原理主義者のテロリストは,オウム真理教が持っていた有利な点をほとんど持っていない。そもそも科学者を抱えておらず(アルカイダは教育を受けた優秀な人間の勧誘に努めてきたが,一貫して失敗してきた),このことがオウム真理教の技術的要素の本の一部すら見せていない主な理由である。共有しているただ1つの要素は,オウム真理教の取り組みを駄目にした促成栽培的な環境である。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.340-341
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

数学は能力ではなく態度である

 私たちは往々にして,「数学が得意なこと」を生まれつきの才能だとみなす。“その能力”があるかないか。だがショーンフェルドにとって,数学は能力ではなく態度である。試みることを厭わなければ,数学が得意になる。ショーンフェルドはまさに,そのことを学生に教えようとしている。成功とは,粘り強さ,辛抱強さ,勤勉を厭わない意思の結果であり,それらがあれば,たいていの人が30秒で投げ出すことに22分もかけて取り組める。たくさんのレニーをクラスに投入し,数学の世界を探検する場所と時間を与えれば,大きな成果が望めるだろう。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.279

オウム真理教と大量破壊兵器

 ビン・ラディンがこの教訓を学んだ最初の人間ではなかった。世界の関心が凶悪なイスラム原理主義者に向いているため忘れられやすいが,テロの世界で大量破壊兵器を手に入れ,用いた最初の狂信者は,日本のカルトであるオウム真理教に属していた。オウム真理教は,麻原彰晃に導かれて,大量の死傷者を出すテロ攻撃を起こし,それをきっかけにハルマゲドンを引き起こしたいという考えに取りつかれていた。最盛期に約6万人の信者を抱えていたその資産は恐ろしく大きなものだった。少なくとも現金で数億ドル持っており,ことによるとその額は10億ドルに達していたかもしれなかった。そして,このカルトは高度な技術を持った信者を抱えていた。オウム真理教は日本の最高レベルの大学で生物学と化学,物理学,工学の分野の大学院生を積極的に勧誘し,彼らにお金で買える最高級の装置と設備を提供した。1人の科学者は,単に,オウム真理教の実験室が自分の大学の実験室よりずっと優れていたというだけの理由で入会したのだとのちに告白した。一時期,オウム真理教は,生物兵器の研究をする科学者を20人抱えていた。ほかに80人が化学兵器を研究していた。
 ギルモア委員会によると,オウム真理教は核兵器も手に入れようとしており,オーストラリアの辺境にある50万エーカーの羊の大牧場を購入することまでしていた。これは,ウランを採掘して日本に輸送し,「科学者がレーザー濃縮技術を用いて輸送したウランを核兵器製造に適した品位の核物質に変える」という計画に基づくものだった。既成の兵器も非常に熱心に購入しており,ロシアで大量の小火器を購入した。そして,「戦車やジェット戦闘機,地対地ロケット弾発射機,さらには戦術核兵器までもの先端兵器の購入に関心を示していたことが知られている」。
 オウム真理教はどんな機会も見逃さなかった。エボラ出血熱が1992年10月に中央アフリカで発生したとき,麻原彰晃は40人の自分の弟子を率いて人道的使命という名目でこの地域を訪れた。現在,当局は,日本で量産するためにエボラウイルスのサンプルを集めようとしていたと考えている。だが失敗した。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.385-387.
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

勤勉さと生活スタイル

 歴史的に見て,欧米の農業は“機械”本位で発達してきた。欧米では能率をあげたいか収穫量を増やしたいなら,さらに性能のいい機具を導入し,機械に仕事をさせる。脱穀機,結束機(干し草を俵にする),コンバイン(刈り取り脱穀機),トラクター。そして,さらに土地を開墾して面積を増やす。機械を使えば,これまでと同じ労力でより多くの畑が耕せるからだ。
 だが,日本や中国の農業従事者は機械を買うお金がなかった。いずれにせよ,簡単に水田に変えられる余分な土地もなかった。だから稲作農家はより頭を働かせ,より時間をうまく使い,より良い選択を行うことで米の収量を増やした。人類学者のフランチェスカ・ブレイが言うように,稲作は“技術本位”である。もっとせっせと雑草を抜き,もっと肥料のやり方に習熟し,もっと頻繁に水量を見て回り,もっと粘土盤を均平にならし,もっと畝を隅々まで活用すれば,より多くの収穫が望める。驚くこともないが,歴史上,米を育ててきた者は常に,他のどんな穀物を育てた者よりも勤勉に働いてきた。
 そう聞くと,少々奇異に思われるかもしれない。なぜなら,「近代以前の人々は誰もが休む暇もなく働いてきた」と,たいていの人は考えるからだ。だが,そうではない。例えば,人間はみんな狩猟採集民の子孫だが,多くの狩猟採集民は,どう見てもかなりのんびりした生活を送っていた。カラハリ砂漠に暮らすボツワナのサン族(いわゆる,ブッシュマン)は,いまでも狩猟採集の生活様式を守る最後の種族のひとつだ。彼らは,豊富なフルーツやベリー類,根菜,木の実を食べて生きている。特にモンゴンゴは驚くほど多く採れ,栄養価が高く,地面に敷き詰められるほど落ちている。彼らは何も栽培しない。栽培(準備,種播き,除草,収穫,貯蔵)には時間がかかる。家畜も飼わない。
 男はたまに狩猟に行くが,それは主に気晴らしのためだ。男も女も週に12〜19時間しか働かず,残りは踊ったり,娯楽を楽しんだり,親戚や友人を訪ねたりして過ごす。彼らは年に最大1000時間しか働かない(「農業はやらないのか」と訊かれたとき,サン族の男は怪訝な顔つきで答えた。「モンゴンゴがたくさんあるのに,なぜ栽培する必要がある?」)。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.264-266

大量破壊兵器を有するのは難しいこと

 兵器をどこかから手に入れるのは難しいとしても,自分で作るという手が残っている。多くの報道によって,まるでインターネットで手に入る製法と何本かの試験管さえ手に入れば大量破壊兵器を自分で製造できるとでもいうような印象を与えられている。幸いなことに「大量の死傷者と大量破壊を実際にもたらす兵器を開発しようとするテロリストが直面する障害は,一般に想像されているより膨大である」とギルモア委員会が書いている。「この報告書では,比較的少人数を負傷させるか,実際に殺すことのできる生物兵器か化学兵器をテロリストが製造し,散布することができないと主張しているのではない。……ことによると,何百人というかなり多い数の死傷者をもたらすことさえあるかもしれない。大事な点は,何千人どころか何万人も殺せる大量の死傷者を出す兵器を実際に製造するには,目的に合った科学や技術の分野の高度な大学教育や,かなり大きな財源,入手可能だが非常に複雑な装置や設備,兵器に確実に効力を発揮させるための厳密な検証,効果的な散布手段の開発と運用を必要とするということである」。これらの要求は非常に大きなものであるため,「少なくとも今のところ,既存のテロリスト組織の大多数だけでなく,多くの既成の国家にとっても手が届かないように思われる」。同じ年に出版された議会図書館の報告も同様の結論を出している。「大量破壊兵器は,新聞や雑誌において一般に述べられているより製造または入手するのがかなり難しく,おそらく,今日依然としてほとんどのテロリスト集団の手の届かないところにあると思われる」


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.384-385
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]