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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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飛行機の墜落の要因

 現実の世界の飛行機は,映画のワンシーンのようには墜落しない。エンジンは火花を散らして爆発しない。方向舵が離陸の衝撃で突然折れることもなければ,機長がシートにどさりと身を投げ出して,「ああ,神様」と喘ぐこともない。民間のジェット旅客機は,トースターと同じくらい信頼に値する。墜落事故は多くの場合,小さなトラブルと,些細なエラー要因の蓄積の結果なのである。
 例えば墜落の典型的な原因は悪天候,しかも過酷である必要はなく,パイロットが通常よりストレスを感じる程度の天気だ。圧倒的に多いのが出発が遅れ,パイロットが焦っているとき。また,墜落事故の52パーセントが,機長が目を覚まして12時間以上経過した後,すなわち機長が疲れ,判断力も鈍っているときに発生している。さらに,墜落事故の44パーセントが機長と副操縦士が初めての顔合わせのとき,つまり,お互いに落ち着かない関係のときに置きている。
 そしてエラーが生じる。しかもひとつにとどまらない。典型的な事故の場合,人為的ミスが7つ続く。機長か副操縦士がミスをひとつ犯しても,それだけでは問題ではない。次に,どちらかがミスを重ねる。この時点ではまだ,ふたつのエラーは大きな失敗ではない。だが3つ目が加わり,さらに4つ,5つ,6つ,そして7つめのエラーが積み重なると,大惨事を招く。
 さらに言えば,これら7つの過失は,まず知識や飛行技術の問題ではない。パイロットが難しい操縦技術を求められ,それに失敗したわけではないのだ。墜落の原因となるエラーは,いつも必ずチームワークとコミュニケーションに関係がある。機長か副操縦士のどちらかが重要な点に気づくが,もう一方に伝えない。あるいは片方が間違いを犯し,もう片方がそれに気づかない。難しい状況を解決するには,複雑なステップを踏まなければならない。だが何らかの理由で,機長と副操縦士が協力せず,解決のステップが踏めない,などだ。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.206-208.
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テロは何件起きているか

 RAND-MIPTテロリズム・データベース(利用可能なデータベースの中で最も包括的なもの)によると,1968年から2007年4月のあいだに,世界全体で,1万119件の国際テロリストによる事件があった。これらのテロ攻撃によって1万4790人が死亡しており,世界全体の1年間の平均死亡者数は379人となる。あきらかに,あの9月の朝に世界が目にしたことは,それ以前あるいはそれ以後と完全に異なっていた。テロはおぞましいものであり,テロがもたらすあらゆる死は悲劇であり罪悪である。しかし,それでいてなお世界全体の1年間の死亡数379というのは,非常に小さな数である。2003年に,米国だけで,497人が事故によりベッドで窒息死し,396人が事故により感電死し,515人がプールで溺死し,347人が警察官に殺された。そして,1万6503人の米国人が犯罪者によって殺されている。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 p.379
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

IQの高さはバスケットボールにおける背の高さと同じ

 「IQ170の人がIQ70の人よりも,物事を深く考える傾向にあることは十分証明されている」
 英国の心理学者リアム・ハドソンはそのように書いている。
 「両者の開きがあまりない,例えばIQ100と130の場合でも同じことがいえる。だが,ともに高いIQを持つ場合,その関係は成り立たないらしい。IQ130とIQ180の科学者がノーベル賞を受賞する可能性は同じくらいだ」
 ハドソンが述べているのは,「IQはバスケットボールにおける身長みたいなものだ」ということだ。5フィート6インチ(約167.6cm)の人に,プロのバスケットボールチームで活躍できる現実的な見込みはあるだろうか?そうは思えない。少なくとも6フィート(約182.9cm)か6フィート1インチ(約185.4cm)は必要だし,他の条件が同じなら,同じ6フィート台でも1インチよりは2インチ,2インチよりは3インチあったほうが有利だろう。だが一定の高さを超えると,身長は大きな問題ではなくなる。6フィート8インチ(約203.2cm)の選手が2インチ低い選手より自動的に優れているわけではない(なんといっても,史上最強の選手マイケル・ジョーダンは6フィート6インチ(約198.1cm)だった)。バスケットボール選手にとって身長は十分高ければそれでよい。知性もまた同じ。知性には基準点がある。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 pp.90-91.

発癌性物質は人工ではない

 環境中の発癌性化学物質のすべてが人工のものではないと理解することが,決定的に重要である。すべて人工などと言うには程遠い。一つだけ例を挙げるなら,無数の植物が,昆虫やその他の捕食者に対する防御手段として発癌性物質を生産している。そのため,食物は言うまでもなく天然の発癌性物質に満ちている。発癌物質はコーヒー豆やニンジン,セロリ,ナッツに含まれ,その他にも非常に多くの農産物に含まれている。カリフォルニア大学バークレー校のガン研究の第一人者ブルース・エイムズは「一般人が口にする植物由来の殺虫剤のうち,99.99パーセントは天然のものである」と推定しており,テストした全化学物質(合成したものと天然もの)の半数が,実験室における動物実験で多量投与した場合癌を引き起こした。したがって,環境中の汚染物質によって引き起こされると考えられる2パーセントの癌のうち,合成化学物質が原因となっているのはわずかな部分だけである可能性が非常に高い。エイムズは,1パーセントよりずっと小さいと考えている。
 主要な保健機関は,環境中の微量の化学物質が大きな危険因子でないことに同意している。きわめて重要なのは生活様式である。喫煙,飲酒,食事,肥満,運動。これらはきわめて大きな影響を及ぼす。ほとんどの推定で,すべての癌のおよそ65パーセントの原因とされている。早くも1930年代に,研究者は,貧しい地域より裕福な地域で癌の発生率が高いことを発見した。これは,生活様式の違いから生じる今日まで続いている区分けである。「総計すると癌は裕福な国で最も多い。これは,主に,喫煙や西洋の生活様式と結びついた主要の発生率が高いことによる」とWHOは『世界癌報告』の中で指摘した。ここには明らかな逆説が存在する。裕福な社会に暮らしている者はものすごく幸運だが,癌の発症をいろいろな形で促す生活様式を支えているのがまさにその裕福さである。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.341-342
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

成功とは累積するアドバンテージ

 成功とは,社会学者が好んで呼ぶ「累積するアドバンテージ」の結果である。プロのアイスホッケー選手は最初,同じ年齢の仲間よりほんのちょっとだけホッケーが上手だった。そして小さな差が好機を招き,その差が少し広がる。さらに,その有利な立場が次の好機を招く。こうして,最初の小さな差がますます大きくなり,延々と広がって,少年は本物のアウトライアーになる。だが,この少年はもともとアウトライアーだったわけではない。ほんのちょっとホッケーがうまかっただけだ。
 ホッケーの話が次に教えてくれるのは,成功者を効率よく選ぼうと私たちがつくったシステムには,じつはあまり効果がないことだ。才能を見逃さないための最善の方法は,できるだけ早期にオールスター選手を集め,英才教育を施すことだと考えがちだ。だが,チェコのサッカーチームのメンバー表をもう一度見て欲しい。7月と10〜12月生まれの選手はおらず,8月と9月生まれがひとりずつ。7月以降に生まれた選手はほとんどが,諦めるよう説得されたか,見落とされたか,解雇された。チェコでは,基本的にサッカー人口の半分の才能が浪費されている。

マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 p37.

化学物質と癌

 ヒギンソンは,故意に人を欺いていることで環境保護主義者を非難しないように気をつけていた。ヒギンソンの仮説が誤解されたのは,欺いた結果というより,行き過ぎた熱意のせいだった。「世間は,癌が汚染あるいは通常の環境によるものであることを証明できればいいと強く思っている。『あらゆるものを暴露ゼロのレベルまで規制させて欲しい。そうすれば我々はもう癌にならない』と言うのは非常に簡単だろう。この考えは非常に魅力的であるため,この考えに反する大量の事実を圧倒することになる」。この「大量の事実」の中には「汚染された都市ときれいな都市のあいだのがんの発症パターンにほとんど違いがない」という知見もあったとヒギンソンは述べた。「非工業都市であるジュネーブの方がイングランド中央部の汚染された谷にあるバーミンガムより癌が多い理由を誰も説明できない」
 これは1979年のことだった。このあと「大量の事実」は着実に増え,今日,指導的立場にある癌研究者のあいだでは,環境中にある微量の合成化学物質(普通の人の血液検査で見つかるもの)が癌の主な原因ではないということで意見が一致している。「職場や地域社会,その他の環境における汚染物質への暴露は,癌による死亡の原因として比較的小さなパーセンテージを占めると考えられる」と米国癌協会は『2006年の癌の事実と数値』の中で述べている。この中で,職場関係の暴露(アルミニウム製錬所の労働者や過去の危険な労働環境下でアスベストを採掘した坑夫が該当する)は飛び抜けて最大の区分であり,すべての癌のおよそ4パーセントの原因となっている。米国癌協会の推定によると,すべての癌のうちの2パーセントだけが「人工の,および自然界に存在する」環境汚染物質(自然界に存在するラドンガスから工場の排気ガス,車の排ガスまでのあらゆるものを含む大きな区分)への暴露の結果である。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.340-341
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

好機が成功をもたらす

 「アイスホッケーの選手には,同年齢の仲間たちの間で早く生まれた者が多い」という話は,「成功」について何を教えてくれるのだろう?
 私たちは,苦もなくトップに登りつめるのは才能ある精鋭たちだと考える。だがホッケー選手の話は,そのような考えが単純すぎることを教えてくれる。もちろん,プロになる選手は,私たちよりもずっと才能に恵まれている。だが,同時に早く生まれた選手は,同じ年齢の仲間たちよりもはるかに有利なスタートを切ってもいる。それは与えられて当然なわけでも,みずから勝ち取ったわけでもない「好機」だ。そしてその好機こそが,選手たちの成功に重大な役割を果たした。


マルコム・グラッドウェル 勝間和代(訳) (2009). 天才!成功する人々の法則 講談社 p36.

分母盲目

 驚くような結果ではないが,ハーバード大学公衆衛生学部によって2002年に実施された世論調査によって判明したところでは,米国人はこのウイルスの危険性を極端に過大評価していた。「西ナイルウイルスによって病気になった人のうち,どのくらいの人が死亡すると思いますか?」この回答として次の5つが用意されていた。ほぼゼロ,10人に1人程度,4人に1人程度,半数以上,わからない。14パーセントが「ほぼゼロ」と答えた。同じく14パーセントが半数以上,18パーセントが4人に1人,45パーセントが10人に1人と答えた。
 以上に述べたような状況を「分母盲目」と呼ぼう。メディアは日常的に「X人が死亡した」と世間に伝えるが,めったに「Y人のうちの」とは言わない。「X」が分子であり,「Y」が分母である。リスクの基本的な感覚をつかむには,分子を分母で割らなくてはならない。したがって,分母が見えないということは真のリスクが見えないことを意味する。ロンドンの『タイムズ』紙のある社説が好例となる。そこでは,見ず知らずの人間によって殺される英国人の数が「8年間で3分の1増えた」ことを見出していた。これは,被害者の総数が99人から130人に増えたということであると社説の第4パラグラフで触れられている。ほとんどの人はこの数字を少なくともちょっと恐ろしいと思うだろう。この社説の筆者はそう思ったはずだ。しかし,社説で述べられていないのは,およそ6000万人の英国人がいるため,見ず知らずの人間に殺される確率が6000万分の99から6000万分の130に上がったことである。計算すれば,リスクは,ほとんど目に見えないほど小さな0.0001パーセントから,ほとんど目に見えないほど小さな0.00015パーセントに確率が上がったと明らかとなる。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 p.246
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

デイトレーダーは何の代替物か

 努力の甲斐あって,デイトレーダーとしてコンスタントに年率20%の利益をあげられるようになったとしよう。これはプロから見てもトップ10%に入るくらいの素晴らしい成績である。
 あなたの運用資産が1000万円だとすると,20%の利益は200万円になる。1000万円というのは個人投資家の資金としてはけっして少なくはないと思うが,それでも毎日朝9時から午後3時までモニタに張りついて年収200万円。時給換算すればマクドナルドのアルバイト以下である。
 この世界一人件費の高い日本で,プロのトレーダーをも出し抜く技術(そうじゃなければ知能でも勘でも超能力でもなんでもいい)を持っていながら,なぜそこらのプータローよりビンボーな暮らしをしなければならないのだろうか。金融機関に就職すれば,あっというまに年収2000万円や3000万円はもらえるかもしれないのに。
 デイトレードにはまるのがニートの若者や主婦,リタイアしたサラリーマンだということにはちゃんとした理由がある。彼らははたらく機会を奪われているか,そもそも就職する気がない。したがって,デイトレードがどれだけ流行っても,はたらくひとの数は変わらない。
 バックパッカーがデイトレーダーになるのも同じことだ。社会からドロップアウトし,第三世界を放浪するような若者は,これまでポン引きやドラッグの売人になるくらいしか収入を得る道がなかった。しかしトレードの才能があれば,そんなことをしなくても毎日楽しく暮らしていける。これはもちろん素晴らしいことだけど,だからといってふつうのひとはこんなことはしない。だって,バカバカしいから。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.84-86

食堂に潜む危険

 「学校の食堂にはどんな危険が潜んでいるか?」とワシントンの消費者運動団体の一つ公益科学センターが出した2007年1月のプレスリリースは問いかけている。「公益科学センターによると,米国の学校の食堂の環境は,悲惨な結果を招きかねない食中毒の発生をいつでも引き起こしかねない。今日発表された報告の中で食事サービスの順位づけが行なわれている」。当然「悲惨な結果を招きかねない食中毒の発生」が「いつでも」起きる可能性があるというのは本当である。それは,いまこの瞬間にも小惑星によって学校が押しつぶされる可能性があるのが本当であるのと同じ意味で本当である。きわめて重要な質問は,どのくらいそれが起きやすいかである。その答は,プレスリリースの最後近くにほのめかされていた。「1990年から2004年のあいだに,学校関連の食事由来の病気を1万1000件以上」記録してきたと述べられている。この数字は恐ろしく感じられるかもしれないが,疾病対策センターが推定した米国全体の1年間の食中毒の件数である7600万件と比べてみて欲しい。そして,学校における食中毒が14年間に1万1000件だと,年に786件になり,生徒人口が5000万以上だとすると,生徒が学校で食中毒になる確率は約0.00157パーセントになる。このプレスリリースの正確な見出しは「学校の食堂はかなり安全」となるように思われる。しかし,こんな見出しでは,ニュース編集室で見向きもされないだろう。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.227-228
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

デイトレードが必ず儲かるという錯覚

 論理的にも,事実としても,「デイトレードがかならず儲かる」というのは明らかな誤解である。それなのになぜ新規参入者があとを絶たないかというと,その理由は簡単で,テレビや雑誌,インターネットには「成功したトレーダー」しか登場しないからである。損をして退場していったひとたちは,大きな声で自らを語らない。その結果,「すべてのトレーダーが成功している」という錯覚が生じる。
 もうひとつは,インターネット証券を中心に,デイトレーディングや短期トレーディングをそそのかす宣伝活動が組織的に行なわれているためである。
 日本のネット証券は仁義なき手数料の引き下げ競争に突入し,もはやふつうに商売をしていては利益を出せなくなってしまった。1回あたりの儲けが少ない以上,薄利多売で稼いでいくしかない。デイトレーダーの数が増えつづけることがビジネスの前提になっているのだ。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.74-75

3つ組数字課題

 確証バイアスについての初期の研究の1つにおいて,心理学者のピーター・ワッソンは被験者に3つの数からなる数列----2,4,6----を示し,被験者にその数列が一定の規則に従っていると話し,その規則が何か見つけ出すように求めた。規則を見つけ出すために,別の数を3つ書いて,規則に従って並んでいるか尋ねることができた。規則を見つけ出したら,そう言って欲しい,そうすれば,正解かどうか調べますと担当者が指示を出した。
 規則が「2ずつ増える偶数」であることは非常に明白だと思えるだろう。あなたが被験者だとしたら,何を尋ねるだろうか?最初はこう聞いてみよう。「8,10,12はどうですか?規則に従いますか?」。そして,「はい,従います」と言われる。
 これを聞いて,疑わしく思えてくる。あまりに易しすぎる。そこで,もう1組の数を試してみることにする。「14,16,18は規則に従いますか?」。「従います」
 この時点で,規則は2ずつ増える偶数だと叫びたくなるが,どこかにひっかけがあるはずだ。そこで,さらに3つの数「20,22,24」について尋ねることにする。またまた,規則に従っている!
 ほとんどの人が上記の通りのパターンに従う。こうじゃないかと思うたびに正しいと言われるため,正しい証拠が積み上がっていくように思われる。当然,最初の考えが正しいと完全に確信するようになる。すべての証拠を見るがいい!そういうわけで答がわかったと告げる。答は「2ずつ増える偶数」だ。
 すると,間違っていると言われる。それが規則ではありません。実は,正解は「昇順に並んだあらゆる数」だったのだ。
 なぜ間違えたのか?規則が「2ずつ増える偶数」でないことを見つけ出すのは非常に簡単だ。規則が2ずつ増える偶数であることを反証すればいいだけだ。たとえば,「5,7,9」が規則に従うかどうか尋ねることもできる。答が「はい,規則に従います」だとすると,即座に仮説の反証となるだろう。しかし,ほとんどの人は反証しようとせず,逆のことをする。つまり,規則に合う例を探すことによって規則を確認しようとする。それは役に立たない戦略である。どれだけ多くの例が積み上がったとしても,正しいことを証明することはできない。確認にならないのだ。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.169-170
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

(注:Peter Cathcart Wasonは「ウェイソン」と表記されることが多い)

ギャンブルの控除率

 株式投資がコイン投げのようなギャンブルだとすると,論理的には,トレーディングで長期にわたって利益を出しつづけることはだれにもできない。これは短期の株式売買すべてについていえることだが,偶然のゲームを一定の回数以上つづけると,かならず手数料のぶんだけ損をしてしまうのだ。
 たとえば競馬は,控除率25%というきわめて割の悪いギャンブルである。1万円で馬券を買うと7500円から賭け事が始まるわけで,これだけ手数料率が高いと,戦績や血統の分析でわずかに勝率を高めることができたとしても,とうてい利益を出すまでには至らない。「競馬必勝法」は,この世には存在しないのである。
 それよりもっと分の悪いギャンブルが宝くじで,こちらは掛け金の半分以上が日本宝くじ協会の収益になる。当然,宝くじを購入したひとのほぼ全員が,一生,損をしたまま終わる。「宝くじは無知な人間に課せられた第二の税金」といわれる由縁だ。
 「そんなこといったって,宝くじを当てて億万長者になったひとがいるじゃないか」との反論があるだろう。これは事実であるが,それでもこの議論の正しさは変わらない。宝くじの当せん確率はきわめて小さく,また一生に購入できる回数も限られているので,どれほど熱心なファンでも統計的に十分な回数を賭けることはできない。もしも一等当せん者が不死の生命を持ち,その後も宝くじを買いつづけたならば,彼は確実に掛け金の半分を失うことになるだろう。「小さなお金で大きな夢がかなう」という倍率のマジックによって,数字の苦手なひとたちを幻惑しているのである。
 競馬や宝くじのような“悪質”なギャンブルに比べて,デイトレードははるかに勝率が高い。株式売買手数料はいまや投資金額の0.1〜0.01%まで下がり,株式投資はすべてのゲームのなかでもっとも有利なギャンブルのひとつになった(実際には利益に対して課税されるため,それが追加コストとなって利回りは引き下げられる。ちなみに上場株式の譲渡所得に対する現在の税率は10%)。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.66-68

ホットハンド。あると思う?

 ランダムさに関する誤解が執拗であることがある。エーモス・トヴェルスキーとトーマス・ギロヴィッチ,ロベルト・ヴァローネがバスケットボールの「ホット・ハンド」を分析したのは有名な話である。「ホット・ハンド」とは,2本か3本か4本のシュートを決めたばかりの選手は「ホット・ハンド」になっているため,外したばかりのときに比べて,次のシュートを決めることになりやすいという考えである。彼らは,厳密な統計的分析を用いて「ホット・ハンド」が神話であることを証明した。しかし,骨を折ったにもかかわらず,米国中のバスケットボールのコーチとファンによって馬鹿にされた。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 p.150
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

デイトレードはライフスタイル

 デイトレードは,たんにトレーディングの手法のことではない。技術的にいえば,彼らのやっていることはむかしながらの株式トレーダーとなにも変わらない。
 私が出会った若者は,物価の安いバリ島に長期滞在しながら(月3000ドルは現地では大金だ),時差を利用してトレーディングの時間を夕方にずらし,昼間はビーチでサーフィンに興じ,夜はナイトクラブに踊りにいくという気楽な生活をつづけていた。これがヨーロッパの旅行者のひとつの理想で,いつしかアジアの安宿街にはトレーダーなのかバックパッカーなのかわからない若者たちが屯するようになった。
 彼らにとってデイトレードはライフスタイルであり,もうひとつの自由の可能性なのだ。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 p.66

平均への回帰の認識ミス

 統計的概念は数よりさらに影響力が弱そうだ。カーネマンはかつて,イスラエルの飛行指導員が個人的体験に基づき,批判は成績を上げ,賞賛は成績を下げると結論を下していることを見出した。どのようにしてこのおかしな結論にたどり着いたのだろう?訓練生が特に良い着地をしたとき,彼は賞賛した。すると,次の着地はたいてい前ほど良くなかった。しかし,訓練生が特に悪い着地をしたときに批判すると,次の着地は良くなった。そういう訳で,批判は役に立つが賞賛は役に立たないと結論を下したのだ。理解力に優れ,教育も受けているこの男性が考慮していなかったことは「平均への回帰」であるとカーネマンは述べている。つまり,通常でない結果が生じると,その次は統計上の平均により近い結果になりやすいということである。したがって,特に良い着地の次は前ほど良くない着地になりやすく,特に悪い着地は次には改善されることになりやすい。批判と賞賛はこの変化と無関係である。これはまさに数の問題である。しかし,私たちは平均への回帰に関する直感を持ち合わせていないので,この種の間違いに気づくには大変な精神的努力を要する。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 p.147
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

株式投資はギャンブルである

 ギャンブルがうさんくさく見えるのは,偶然によって勝負が決まるからじゃない。そこにイカサマがからんで,おうおうにして一部のひとだけが得をするようになっているからだ。日本の株式市場だって,はっきりいって,これまでずいぶんいかがわしいことが行われてきた。
 だから大事なのは,すべての参加者に公正で公平な投資機会が与えられる開かれた市場をつくることだ。そうなれば,株式投資についてのみんなの見方はずいぶん変わるだろう。なんといってもそれは,社会の富を増やし,みんなを幸福にするとてつもないちからを持っているのだから。
 ところが金融業界のひとたちは,「投資家教育」とかいう名目で,「株はギャンブルじゃありません」キャンペーンを大々的に展開している。そうすると,この理屈を自己正当化に使うひとが出てくる。
 私はギャンブルには手を出さない。
 株はギャンブルじゃない。
 だから株にはまっている自分はぜんぜん悪くない。
 とか。そして困ったことに,真面目なひとほどこの罠から抜け出せなくなってしまう。このままでは,「投資家教育」をすればするほど哀れな犠牲者が増える一方だ。
 こうした悲劇をすこしでも減らすために,まずはいちばん大事な原則を覚えておこう。
 株式投資はギャンブルである。
 でもそれは,たんなる賭け事ではない。素人でも大きな果実を手にすることができる,世界でもっとも魅力的なギャンブルなのだ。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.21-22.

正当化の証拠

 正当化の証拠はたくさんあるが,もっとも印象深いもの----きっともっとも変わったもの----は神経科学者マイケル・ガッザニガによるいわゆる分離脳の患者を用いた一連の実験である。通常は,左右の脳半球はつながっていて,指示を出し合って連絡を取っているが,強度の癲癇の治療の一つでは両者を分断する。分離脳の患者の体は驚くほど健全に機能するが,2つの脳半球が異なる種類の情報を扱うため,それぞれの脳半球は,他方の脳半球が気づいていないことを知ることができるということに科学者が気づいた。この影響は,どちらか一方の目だけに文書による指示を見せる実験で人為的に誘発することができる。ガッザニガは,ある実験で,この手法を用いて分離脳の患者の右脳に立ち上がって歩くように指示した。次に,ガッザニガは,なぜ歩いているのかとその男に口頭で尋ねた。このような「理由」を尋ねる質問は左脳が扱う。そして,このときの左脳は本当の答が何であるかまったくわからなかったにもかかわらず,その男はソーダ水を取りに行こうとしていたと即答した。状況を変えた実験でも常に同じ結果が得られた。つまり,左脳は何が起きているかわからないと認める代わりに,素早く巧妙に説明をでっち上げた。そして,答を口にした本人は,すべて本当だと思っていた。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.106-107
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

(注:M.S.Gazannigaは通常,「ガザニガ」と表記することが多い)

株式運用のプロって

 だったら,「株式運用のプロ」っていったいなんだ?
 それを知るには,プロのいないゲームを考えてみればいい。たとえば,コイン投げのプロというのは原理的に存在しない。コインが表か裏かは偶然によって決まり,その確率は(イカサマでなければ)五分五分だからだ。宝くじのプロがいない理由も同じで,当せん番号は偶然によって決まるのだから,1等の出る売り場とか,当たりやすい数字の組み合わせなどはすべて迷信である(あやしげな宝くじ必勝法を売りつける「プロ」ならいる)。
 コイン投げや宝くじにかぎらず,ルーレットやサイコロなど,勝敗が偶然によって決まるゲームにプロはいない。それに対して囲碁や将棋では,プロとアマチュアのあいだに乗り越えがたい力量の差が生じる。そこでは強い者ほど勝率が高く,偶然の要素はわずかしかはたらかない。これはスポーツ競技も同じで,だからこそひとびとは「奇跡」を求めて熱狂するのだ。
 ここで,株式投資の本質がある。
 20代無職の男性が「金融のプロ」を天文学的なレベルで上回る成績をあげたということは,株がプロの競技ではなく,コイン投げやサイコロにちかい偶然のゲーム,すなわちギャンブルであることを,反論の余地がないほど完璧に証明しているのだ。

橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.17-18.

記憶は生物のプロセス

 ほとんどの人が,記憶はイメージを記録し,将来取り出せるように蓄えておけるカメラのようなものだと考えている。確かに,ときどきそのカメラは撮りそこねる。それに,ときどき古い写真を見つけるのに苦労する。しかし,それらを別にすれば,記憶は,直接的で信頼性が高く現実を反映する写真が詰まっている。
 残念ながら,これは真実に近いとさえ言えない。記憶は生物のプロセスと言った方がよい。記憶は日常的に薄れたり,消滅したり,変形したりする。しかも,ときに劇的である。もっとも強固な記憶は----注意が釘づけとなり,感情が噴出しているときに作られる記憶----さえ変化の対象になる。記憶の研究者がよく行なう実験の一つは,9月11日のテロ攻撃のような重大ニュースと関連づけられる。学生は,非常に印象的な出来事の直後数日のうちにその出来事をどのように聞いたか,つまり,どこにいたか,何をしていたか,ニュースの出所は何かなどを書くように求められる。数年後,同じ学生がこの課題を再度行なうように求められ,2つの答が比較される。それらは決まったように一致することはない。たいてい違いは小さいが,ときおり,全体状況と関係者が異なっていることがある。そういう回答をした学生が,最初の自分が書いたものを見せられ,記憶の変化を指摘されると,たいてい,現在の記憶が正確であり,以前の説明は間違っていると主張する。これは,明らかに不合理であっても,無意識が自らに語りかけることに従ってしまう傾向を示すもう一つの例である。


ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.82-83.
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)

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