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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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幸福の追求

 第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンは「幸福の追求」というスローガンを掲げたが,幸福という言葉と「追求」という能動的な言葉の組み合わせは,アメリカ人から,幸せが「福」によってもたらされるという受動的要素を含んでいる面を忘れさせた第一の原因ではないかという気がする。英語のHappinessの語源はHapless(ついていない)という英語からもわかるとおり,もともとHappinessは運によるという認識が英語でも強かった。それが,ジェファーソンの有名な「幸福の追求」という新しい概念の浸透により,アメリカでは幸福が能動的なものに変わってしまい,努力さえすれば果たせないことなど何もないという楽観的思想を育んだのではないだろうか。ここからも,幸福感が歴史的,文化的風潮によって変化していくことが見て取れる。

大石繁宏 (2009). 幸せを科学する:心理学からわかったこと 新曜社 pp.14-15
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デジャヴュの多彩な呼ばれ方

 今日では既視感と呼ばれるようになった体験に,ディケンズは名前をつけなかったが,19世紀後半には20もの呼び名が考案された。フランスの文献では,「誤記憶」,「記憶錯誤」,「誤再認」という語句に現れているように,この体験は記憶の倒錯と結びつけられた。ドイツの医者や精神科医は,「知覚映像」,「二重知覚」,「二重像」という語に示されているように,とくに既視感の複製効果に関心を惹かれたようである。哲学者であり心理学者でもあるエビングハウスは,「かつてその場にいたことがあるという自覚」という語句を提唱したが,受け入れられなかった。1896年以降,科学者たちはフランス人の医師アルノーの見解に同意した。彼はパリ医学的心理学会での講演で,専門用語が説明に先行してはならない,ゆえに中立的な語句が望ましいと主張し,「既視感」という用語を提唱した。結局,この語が広く受け入れられることになったが,この静かな改革に抵抗して,「誤再認」という用語も長い間使われ続けた。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.191-192

覚醒と睡眠の連続性

 ラバージらはまた,意識の状態を「覚醒」と「睡眠」の2つに限定すべきではないと考えている。この20年間のさまざまな夢の研究が明らかにしたように,意識の状態は脳の生理的なバランスによって変化する。レム睡眠中に鮮やかな夢を生む意識状態の特徴の多くは,外界からの情報が遮断されることに加えて,脳内でセロトニンとノルエピネフリンのレベルが急に下がり,アセチルコリンが急上昇することによってもたらされる。その状態で,注意を集中する前頭葉の領域がめざめることで,明晰夢が生まれるのだろう。神経伝達物質のバランスのちょっとした変化も関係しているかもしれない。
 レム睡眠中はもっともドラマティックな意識の変化をかいま見せてくれるが,そのほかにもさまざまなときに意識の状態が移り変わる。たとえば新聞を読んでいるとき。記事の半分くらいまできて,何を読んでいたか,さっぱりわからないと気づいたら,おそらくあなたの脳の中ではノルエピネフリンとセロトニン・レベルが下がり,アセチルコリンが急増したのだろう。それによって頭がぼんやりし,白昼夢の中にさまようと,ハーバード大学の神経科学者スティックゴールドは説明する。「詰まるところ,これが正常という意識の状態はない。起きているときは,睡眠中より正常なのではない。集中しているときか,ぼんやりしているときより正常なわけでもなければ,冷静に落ち着いているときが,興奮してわれを忘れているときより正常というわけでもない。どういう意識の状態が必要かは環境によって変わる。私たちの体は環境の変化に対応するため,臨機応変に状態を変えなければならないのだ」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.258-259

絵が上手くても芸術とは呼べない

 自閉症で,しかも精神に障害を負ったスティーヴンは,サヴァンでもある。ごく幼いころから,才能ある芸術家ですら何年もかけて習得するような技量で,町や建物を描くことができた。とくに遠近画法における彼の卓越した技能は驚異的だ。1987年にBBCが彼のドキュメンタリー番組を制作したあと,彼の画集が何冊も出版された。『浮かぶ都市』に収録されてる作品は,ヴェネツィア,アムステルダム,レニングラード(現在はサンクトペテルブルグ),モスクワで描かれた。彼は,アムステルダムはヴェネツィアより美しいという。「車があるから」だそうだ。
 スティーヴンは,天性のバランス感覚で,すばやく正確に描く。彼はアムステルダムの西教会の絵を,2時間足らずで描きあげた。彼は,建物構造の輪郭線を使う必要もなく,定規なしで,消尽点(ヴァニシング・ポイント)も使わずにフリーハンドで描く。彼が絵を描くのを見た人は誰でも,「製図機械」にそっくりだと思わずにいられない。彼の動作には何のためらいもないばかりか,じっくり考えることもしない。ときおり遠くから画用紙を見て釣り合いをチェックするというようなこともなく,すべての部分が同じスピードと正確さで描かれる。描きながら鼻歌を歌ったりぶつぶついったりするので,ますます製図機械を連想させる。もし彼がときどき何かぶつぶついわなければ,見ている者は自分がグラフィック用コンピュータのプリンターのそばに座っているような気になるだろう。
 けれども彼の絵は,彼の限界をも物語っている。彼の絵に欠けているのは解釈であり,雰囲気である。建物の絵のなかには,光り輝く春の朝に描かれたものもあれば,秋の午後に描かれたものもあるのに,彼の絵にはそれが何ひとつ反映されていない。光も影も,部分的に強調された描写も,まったく見えない。建物のどちら側に陽が当たっているかも,そもそも太陽が照っているかどうかもわからない。背景もなく,雲もない。スティーヴンのスケッチブックには,夕闇のなかの荒涼とした家も,不気味な家もない。彼の絵を,姓名不詳の巨匠が描いた西教会の線描画と比べてみれば,その違いがはっきりする。この巨匠の作品は,独特の雰囲気に満ちている。スティーヴンは,縦横様々な線から構成された単なる空間を描く。もし芸術的才能というものが作品に解釈を導入する能力だとするなら,スティーヴンの絵は真の意味での芸術とは呼べないかもしれない。彼の描く建物のファサード(建物前面)は,実物の空間的構造と一致する。彼の絵はまったく形象描写的であり,具象的である。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.114-115

思春期の夢

 夢精は思春期によく起きる。性体験がなく,とくにエロティックな夢を見ていないときでも,夢精をすることがある。ラバージによると,レム睡眠のたびにペニスは自動的に勃起するので,その刺激で射精するのだろうという。もっとも,多くの場合,夢精は性的な夢を見ているときに起きる。レム睡眠中にペニスが勃起したとき,その感覚情報が脳に伝わり,脳はそれを説明するためにエロティックな筋書きをつくるのだろうと,ラバージは説明する。つまり,生理的な反応のほうが先で,脳はそれに合わせた夢を紡ぎだしているというのだ。明晰夢の場合は,その情報の流れが逆になる。夢を見ている人が意識的にセックスをもちこむため,エロティックな内容のほうが先になるのだ。通常なら脳から信号が性器に伝わって射精が起きるが,レム睡眠中は運動神経系の指令がほとんどブロックされているため,それが伝わらず射精にはいたらない。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.244-245

「すべてを記憶できる男」がもつ障害

 シェレシェフスキーの精神生活はほとんど病的だった。彼の精神状態は,私たちが眠りに落ちるときにときたま経験する意識状態に似ていたに違いない----次々に絵が思い浮かんでは連想を生じさせ,でたらめに編集された映画みたいに脈絡のないイメージが流れていく。シェレシェフスキーのことをよく知らない人は,はじめて彼にあったときのルリヤと同じように,まるで正気でないかのような,奇妙な印象を受けた。完璧な記憶力はハンディキャップでもあるのだ。シェレシェフスキーとボルヘスのフネスとの類似は,非常に暗く重苦しい。それは,驚くべき記憶力をもった実在の人間と小説の登場人物とが,ともに完璧な記憶力をもっているだけでなく,それに伴う精神的な障害も抱えているからだ。「シェレシェフスキーはよく,『人の顔が覚えられない』とこぼした。『人の顔はとても変わりやすい。人の印象は,たまたまその人に会ったときの,相手の気分や状況によって違う。人の顔はたえず変化している。ぼくを混乱させ,顔を思い出すのを困難にしているのは,顔にはいろいろ異なった表情があることだ』」。フネスも同じ問題を抱えていた。鏡に映った自分の顔を見るたびに,彼は驚いた。他の人々には同じに見えるのに,彼には違いが見えた。「フネスはいつも,腐敗や虫歯や疲労が音もなく進行していくのを見分けることができた。死や湿気の進み具合が見え,それに気づいていたのである」。この2人の人生の皮肉は,その完全無欠な記憶力ゆえに,あらゆる連続感が破壊されたことである。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.97-98

明晰夢の科学的根拠

 明晰夢はオカルトじみたものと見られがちだが,きちんとした科学的な根拠のある現象であることは疑う余地がない。夢を見ているときに夢の世界にいることを意識するのは可能なのだ。しかも,人によっては,夢の展開を意図的に操作でき,外界に合図を送ったり,眠る前に出された課題を実行することもできる。ラバージは睡眠実験室で被験者が眠る前に課題を出すことにした。明晰夢を見ているときに呼吸のパターンを変えるというものである。この課題を選んだのは,レム睡眠中に自由に動かせるのは眼球を動かす筋肉と呼吸筋だけだからだ。ラバージは3人の被験者に,まず眼球の動きで明晰夢が始まったという合図を出してから,呼吸を早くしたり,ちょっと息を止めるよう指示した。指示された通りに呼吸のパターンを変えることができたケースは全部で9回あった。いずれも脳波計その他のモニター装置のプリントアウトで,レム睡眠中に実際に呼吸パターンが変化したことを客観的に確認できる。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.238-239

屈辱的記憶の再体験

 私たちは特別の時間尺度によって屈辱的な出来事を覚えているために,当時体験した身体的反応を,機会あるごとに再体験する。私は,老人たちが70年前に受けた侮辱に顔を赤らめるのを見たことがある。半世紀以上経っても,人はまだ激怒して震え,怒りのあまり椅子の肘を叩く。真に屈辱的な出来事を話すときは,もう一度目を覆いたくなったり,聞き手から顔を背けたくなったりする。
 屈辱的な出来事の記憶に関して,もう1つおかしなことがある。自分自身が見えるのだ。恥ずかしかったことを1つ思い出してみれば,顔を赤らめて,傷ついた感情を押し隠そうとしている自分の姿が見えるだろう。他人が笑い,哀れみに満ちた顔をしているのも見えるだろう。まるで,自分でその場面を記録したわけでもないのに,その場面の出演者の1人だったかのようなのだ。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 p.68

夢分析の落とし穴

 とはいえ,夢を読み解くことは,「ヘビが出てきたら,それはこういう意味である」などといった辞書式の定義に頼ってできる作業ではない。その定義が,フロイトの理論にもとづくものだろうと,古代中国の夢占いによるものだろうと,書店の棚に並ぶ流行の夢占い本から引っ張りだしてきたものだろうと,同じことだ。こうした単純なやり方で夢を解釈する慣行は,古代ギリシャからあった。紀元1世紀にアルテミドロスはギリシャ,イタリア,それにアジアの一部を旅して,多くの人々から夢の話を聞き集め,五巻の夢事典を編集した。これが夢解釈の最古の文献である。このアルテミドロスの時代から現代にいたるまで,夢解釈の本はすべて,夢に出てくるモチーフは何かのシンボルであり,そのシンボルは普遍的な意味をもつということを前提にしている。たとえばフロイトは夢の中で歯が抜けるのは去勢を意味すると述べているが,古代中国の夢占いでは同じモチーフが父親か母親が危ない目にあっているというお告げだとされている。
 こうしたワンパターンの解釈には共通の落とし穴がある。それを夢研究者のホールは次のように指摘する。「アルテミドロスは,チーズを食べる夢を見ると得をすると書いている。たまたまそういうケースがあったとも,夢を見る人の状況やどんな文脈でチーズを食べるかによるとも書いていない。チーズを食べる夢は一義的,普遍的に,時代を超えて常に1つの意味しかもたないとされる。このようにシンボルとそれが意味する事柄をイコールで結ぶ説明が,夢占い本の人気につながっているそこには例外もなければ,条件も付かず,判断したり区別したりする必要がない。お手軽な夢占い本があれば,だれでも簡単に夢を読み解き,未来を占えるというわけだ」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.201-202

初期の記憶と自己意識の関係

 生後何年間かを覆っていたヴェールに関する最新の説明は,その原因を子どもの自己意識の足りなさに求める。「私」とか「自分」がないかぎり,経験が個人的な思い出として貯蔵されることはないというのである。心理学者マーク・ハウとメアリー・カリッジは,幼児は自分自身に関する大量の洞察を別個の「私」としてまず蓄積し,その後それを自伝的記憶のようなものに発展させることができると考える。「私」のない記憶は,主人公のいない自伝と同じで,考えられない。自己意識が子どもに現れはじめる最初の徴候は,1歳の誕生日以降にならないと観察されない。ごく低年齢の子どもも,鏡に映った自分の映像に反応する。それに向かって手を伸ばし,にこにこして,意味のない音声を発する。1歳の誕生日が近づくにつれて,鏡の性質をなんとなく理解し,鏡のなかに見える物体を振り返って見はじめる。しかし,鏡に映っているのが自分であることを理解するのは,生後18ヵ月ころになってからだ。そのころになってはじめて,知らないうちに鼻の頭に口紅を塗られたりすると,鏡のなかの自分の鼻に驚いて,手を伸ばすようになる。鏡に映った自分を一度も見たことのなかったベドウィン族の子どもを対象にしたテストも,鏡の経験はなんら違わないことを実証している。子どもが写真のなかの自分を指差しできるのは,やはり18ヵ月またはそれ以降である。子どもの発達が,たとえば精神障害や自閉症によって遅れると,必然的に自己意識も遅れる。子どもは,実年齢に関係なく,18ヵ月の精神レベルに達すると,「私」としての自分自身を理解するようになるのだ。
 自己意識が芽生えたことを示すもう1つの兆候は「ぼく・わたし」とか「ぼくを・わたしを」という語を使うことである。これらは子どもが身につける最初の代名詞であり,その後何ヵ月か経って「きみ・あなた」が出てくる。だが,これらの語の正しい用法は複雑である。「あそこ」だった場所が,そこに歩いていくと「ここ」に変わるのと同様に,「わたし」と「あなた」は話し手の観点によって変わり続ける。同じ2歳の子どもでも,その子が何かいうときには「わたし」だったものが,誰かがその子に何かいうときには「あなた」になる。「わたし」という人が世の中に大勢いるということも,同じように混乱のもとだ。これら代名詞を正しく使うには,自分と他人との違いがわかることが前提である。大多数の子どもは2歳近くなるまでにこの問題を解決し,以後はどんな場合でも「わたし」と「あなた」と「わたしを」の区別ができるようになる。
 1人の人間の経験を記憶に結びつける「わたし」がある場合にのみ,自伝的記憶は展開される。この記録は,一度開かれると,作者であり主人公である者の参加をどんどん受け入れる。ハウとカリッジの仮説とネルソンの仮説の共通点は,変化するのは記憶そのものではなく,記憶が並べられ,貯蔵される方法だという点である。どちらが先かという問題,すなわち自己認識が自伝的記憶を引き出すのか,その逆かという問題はそれほど重要ではない。それは明確な出発点のないプロセスであり,一方向に進むものではなく,どちらの方向が優勢かさえ決められない。確かなことは,多くの自伝的作品において,いちばん古い記憶はその人のアイデンティティ獲得と関係していることである。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.44-45.

思考は一貫性を作り出す

 夢に現れるこのような七変化は昔から科学者の興味をそそってきた。19世紀末のベルギーの心理学者ジョセフ・デルブッフはこうした変化について分析を試みた。それによると,私たちは他人に夢の話をするときにネコが女性に変わったとは言わない。「私はネコと遊んでいた。気がつくと,相手はネコではなく,若い女性だった」というふうに話す。このことから,私たちはまずネコの夢を見て,その後でそれとは別に女性の夢を見る。そして,思い出すときに2つをつなげてネコが女性に変身した話にするのだと,デルブッフは推測した。「デルブッフが明らかにしたように,夢の一貫性のなさは,夢だけに特有のものではない。起きているときの思考も実は夢と同じように混沌としている。ただ,覚醒時の思考は論理的に結びつけられた知覚を伴うために,一貫性があるように見えるだけだ」と,スイス・ジュネーブ大学の生理学・臨床神経科学部の夢研究者ソフィー・シュワーツは説明している。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.199-200

最初の自伝的記憶の特徴

 この手の記憶の混乱はいちばん古い記憶にはよくあることで,その点でいえば,そのあとの記憶についても同様である。だが聞いた話と回想との混乱は,自伝的記憶の形成に必要だとネルソンが主張する,ある一要因に光を当てている。いちばん古い思い出と,しだいに減少する幼児期健忘は,言語能力の発達と合致する。語彙は急速に増大する。子どもは文法的なつながりを理解し,それを使うようになる。過去形の動詞はすでに起きたことを表すということを学ぶ。過去の出来事を話す能力には反復と同じ効果がある。つまり出来事を思い出す機会が増える。また,それはつねに他人に話すという形をとるとはかぎらない。ネルソンは「クリブ・トーク」,すなわち,よちよち歩きの幼児が眠りに入る前に発する無意味な声の研究で,彼らは自分の経験を自分に話して聞かせたがることに気がついた。言語の発達とともに,一部は発達の結果として,ほかの抽象能力の成熟も助けられる。子どもは経験をカテゴリー別に並べ,特定の出来事ではなく,似たような経験に関する記憶を形成していく。
 このような自伝的記憶の発達には二面性がある。多くの思い出と特定の出来事は決まった型にはめ込まれるようになる。3歳の誕生日に生まれてはじめて動物園に連れて行かれた幼児は,しばらくのあいだその記憶を鮮やかに保つだろう。だが数カ月後,今度は祖父母と動物園に行き,さらにずっとあとになって3度目に学校の遠足で行ったとすると,別々の時期に行ったという記憶が「動物園に行く」という一般的な印象に統合されてしまう。このように,より抽象的な体系は記憶を消し去る効果がある。この点で,幼児期の自伝的記憶はそれ以降の自伝的記憶とまったく同じように作用する。たとえばブルターニュ地方での休暇が,小さな港,湾,崖の散歩道,縞柄のセーターなどからなる一般的な印象に,いつのまにか変わっていく。だが一方,同様のプロセスは正反対なことを思い起こさせもする。貯蔵されるのはむしろ逸脱したもの,例外的なもの,驚かされるものである。この説明の重要な点は,私たちのいちばん古い記憶は,反復と決まった型が背景になければならないが,これは3歳以前には起こらないということである。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.40-41

夢はトラウマを軽減する

 ハートマンによれば,夢は感情を視覚的な形式で「なんらかの文脈に置く」役目を果たす。竜巻や大波は圧倒的な恐怖感のメタファーとして,よく出てくるモチーフだ。ハートマンの被験者のうち,火災にあった数人は,当初は火事の夢を見たが,その後大波に襲われたり,ギャングに追われる夢を見るようになったという。
 トラウマが徐々に解消していく過程で(夢を見ている間に行われる感情処理が,解消に大きく貢献する),夢は変化していくが,その変化には決まったパターンが見られる。初めのうちは,トラウマをもたらした出来事が鮮明かつドラマティックに再現されるが,その際少なくとも1つ,大きな要素が変えられ,現実にはなかったことが挿入される。その後かなり早い段階で,トラウマを構成する要素とそれと感情的に関連がありそうな他の情報や自伝的記憶を結びつける夢を見はじめる。多くの場合は,実際に受けたトラウマに関連して,無力感や罪の意識など共通の感情を伴う,さまざまなトラウマ体験の夢を見る。他の人が亡くなったり,傷ついたのに,自分だけが助かった場合,罪の意識が現れた夢を必ずと言っていいほど見る。たとえば家が火災にあい,兄が焼死して自分だけが助かったというある男性は,「ほとんど毎晩のように兄に傷つけられるか,事故にあって自分だけが傷つき,兄が無傷で助かる夢を見る」と話している。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.178-179

ピアジェの偽記憶

 この件に関していえば,いちばん古い記憶が信頼できないというのは周知の事実である。スイスの発達心理学者ジャン・ピアジェは,思い出すたびにどきどきするいちばん古い記憶として,2歳のときの経験を挙げている。「私は乳母が押す乳母車に乗って,シャンゼリゼ通りを歩いていた。すると男が私をさらおうとした。私は乳母車に紐で固定されていた。乳母は勇敢にも私と人さらいのあいだに割り込もうとして,あちこちに傷を負った。私はそのときの彼女の顔の傷をいまでもぼんやりと思い浮かべることができる。そのうち群衆が集まり,短い上着と白い警棒の巡査がやってきて,男はあわてて逃げた。私はいまでもそのときの情景をすべて覚えており,それが地下鉄の駅の近くだったことも覚えている」。ジャンが15歳のころ,両親のもとに当時の乳母から手紙がきた。自分は悔い改めて救世軍に入ったので,過去の罪を告白したいと書いてあった。あのとき彼女は人さらいの話をでっち上げ,わざと顔に傷をつけたのだった。乳母は,勇敢に赤ん坊を守ったお礼にもらった腕時計を送り返してきた。ジャンは,子どものころに乳母から聞いた話を,心のなかで記憶に変えたのであろう。ピアジェ自身の言葉を借りれば,それは「記憶の記憶,だが嘘の記憶」になったのだ。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.39-40.

夢は感情を調整する

 60人の健康な成人とうつ病と診断された70人の夢を比較した1998年の調査にもとづいて,カートライトは次のように述べる。ほとんどの場合,その夜の最初のレム睡眠で見る夢がもっとも強くネガティブな感情を帯び,2回目,3回目と回を重ねるごとに,夢は感情的によりポジティブになり,遠い過去までさかのぼった自伝的な記憶の断片が入り交じるようになる。他の研究チームの調査でも,子供の頃の記憶が夢に出てくるのは,寝入ってからかなり時間が経ち,体温がいちばん低くなるときだという結果が出ている。
 「恋愛問題でも何でもいいけれど,何か悩みごとをかかえたまま眠る。すると,脳はその情報をとりあげ,同じような感情を伴う記憶のネットワークからそれに合う経験を探して,その上に新しい情報を重ねます。レム睡眠の回が重なるにつれ,夢の筋書きはより複雑になり,今の現実からますますかけ離れた,より古いイメージが入り交じったものになります」と,カートライトは言う。「たとえば上司とそりが合わないという悩みを扱った夢に小学校の1年生のときの教師がひょっこり出てきたりする。眠ってから時間が経つにつれて,夢はしだいに楽しいものになります。最後のレム睡眠までに,あなたの脳が長期記憶の中から解決策を見つければ,つまり,今の感情と似たような感情を抱いたけれど,結果的には物事がうまくいった経験を見つけだせば,朝目がさめたときには気分がよくなっているでしょう」

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 p.166

最初の記憶は痛い

 モスクワの教育学者ブロンスキーの研究は,精神分析による記憶喪失の説明に対して直接反応したもので,その研究結果はほとんど精神分析とは反対だった。ブロンスキーは学生たちからいちばん古い記憶を190集め,それとは別に,12歳前後の子どもからいちばん古い記憶を83集めた。子どものほうが,20歳から30歳の学生より,いちばん古い記憶の時期が早かった。3歳以前の出来事は10歳までにすべて消えたらしく,3歳から4歳の出来事は次の10年間に消えたようだった。ブロンスキーをとくに驚かせたのは,脅威を感じるような状況を思い出す率が高かったことである。もっとも強力な「記憶補助要素」は,ブロンスキーによれば,恐怖とかショックだった。最初の記憶の約4分の3は恐ろしい体験と密接に関係していた。たとえば,置いてきぼりを食った,人ごみの市場で母親とはぐれた,森のなかで道に迷った,いきなり大きな犬に出くわした,急に嵐が起こったときに1人で留守番をしていた,などだ。次に強力な記憶補助要素は痛みで,ベッドから落ちた,扁桃腺を切った,やけどした,犬に噛まれた,などだった(ちなみに,これまでの研究で挙げられている事故をみると,それがいつの時代の研究であるかがわかる。19世紀には,子どもは乳母の腕から落ちている。半世紀経つと,ブランコから落ち,最近ではジャングルジムからの転落が記憶されている。未来の研究者はこれを20世紀後半の典型的な家庭内事故と考えるに違いない)。ブロンスキーはいちばん古い思い出を手がかりに,子どもは恐怖,ショック,痛みの原因となる状況をいちばんよく覚えていることを示した。多くの成人は,犬や嵐に対する自分たちの恐怖の原因はいちばん古い記憶にあると考えていた。つまり,幼いときに経験した強いショックが,あまり強くはないが慢性的な不安に形を変えたというわけだ。
 ブロンスキーによれば,こうした発見はフロイトの記憶喪失の概念とは真っ向から対立し,むしろ,人間の記憶は自己保存を助けるという進化論を裏づける。将来,痛く,危険で,警戒を要する状況を回避するために,それらを覚えておかねばならないのだ。だから,それらを無意識のなかに押し込めて記憶喪失の闇のなかに紛れ込ませることはありえない。それどころか,それらは記憶されているいちばん古い映像のなかにしばしば現れているし,その映像には象徴的なところはほとんどない。つまり,いま犬が恐いことと,4歳のときに飛びかかってきた犬の回想とを結びつけるのに,精神分析的説明など不要なのだ。最初の思い出はたいてい不愉快きわまりないもので,とても隠蔽記憶とは考えられない。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.35-36

睡眠は学習に必要

 スミスをはじめ多くの研究者たちの着実な研究の積み重ねで,さまざまな睡眠段階での夢と認知プロセスと学習との関係がわかってきた。眠りに落ちてまもなく,私たちは第2段階の浅い眠りに入る。音楽家やスポーツ選手,ダンサーが新しい技術を練習して1日か2日後によく経験するパフォーマンスの向上には,この段階がかかわっているようだ。2002年にハーバード大学のマシュー・ウォーカーらが発表した研究では,運動技能が20%向上するかどうかは,おもに朝目がさめる2時間前の最後の第2段階の眠りにかかっていることがわかった。「新しいスポーツなり楽曲なりを習得するとき,練習効果を最大にするには,少なくとも初日の晩は,起きる前の第2段階の睡眠をとりそこねないよう,たっぷり睡眠をとることです」と,スミスは言う。
 第2段階の睡眠に続いて,レム睡眠に先立つより深い睡眠段階,徐波睡眠に入る一晩の睡眠時間の前半では,叙波睡眠が多く,全体の8割を占める。後半では,レム睡眠の割合が大幅に増え,第2段階の睡眠と交互に現れる。叙波睡眠は,歴史の試験に必要な暗記など,意味記憶のからむ学習に重要な役割を果たす。これとは対照的に,夢を多く見るレム睡眠は,新しい行動戦略の学習も含めたハウツーのカテゴリー,手続き学習に不可欠だ。実験では,被験者にそうした課題の訓練を受けさせた直後にレム睡眠が増えることが確認されただけでなく,とりわけ訓練の初日に,レム睡眠を奪うと,パフォーマンスが低下することも立証された。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.152-153

クラスに囲い込むことの問題

 学校のクラスに朝から夕方まで囲い込むことは,酷い「友だち」に悩む者に対して,次の二者択一を迫ることを意味する。この苦しさは,友を選択できる自由な人間には理解しがたい苦しさである。
 すなわち,ひとつめの選択肢は,過剰接触的対人世界にきずながまったく存在しない状態で数年間,毎日朝から夕方まで過ごす,というものだ。迫害してくる「友だち」とつきあうのをやめる。そして,数年間,朝から夕方まで,人間がベタベタ密集した狭い空間で,人との関係がまったく遮断された状態で生きる。声,表情,身振り,その他,さまざまなコミュニケーションが過密に共振し接触する狭い空間で,ひとりだけ,朝から夕方まで,石のように感覚遮断をしてうずくまっている状態を,少なくとも1年,長ければ数年間続けるのだ。これは,心理学の感覚遮断実験と同じぐらいの耐え難い状態だ。
 もうひとつの選択肢は,ひどいことをする「友だち」に,魂の深いところからの精神的な売春とでもいうべき屈従をして,「仲良く」してもらえるように自分の「こころ」を変える,というものだ。つまり,過酷な集団生活を生き延びるために,自己が自己として生きることをあきらめ,魂を「友だち」に売り渡す。そして,残酷で薄情な「友だち」のきずなにしがみつく。
 大部分の生徒は,後者を選ぶしかない。
 学校に限らず,人間にとって閉鎖的な生活空間が残酷なのは,このような二者択一を強いるからだ。
 また,しかとや悪口(ぐらいのこと!)で自殺する生徒がいるのは,このような生活空間で生きているからだ。市民的な空間で自由に友を選択して生きている人にとっては痛くもかゆくもないしかとや悪口が,狭い空間で心理的な距離をとる自由を奪われ,集団生活のなかで自分を見失った人には,地獄に突き落とされるような苦しみになる。

内藤朝雄 (2009). いじめの構造:なぜ人が怪物になるのか 講談社 pp.178-179

大麻の「麻」と麻薬の「麻」は違う

 ところで,
 「大麻の『麻』は麻薬の『麻』である。だから大麻は麻薬なのだ」
 という意見をよく耳にするが,それは大きな誤りである。大麻の『麻』は,家の中で麻を裂いて,こすって,干す様子を,速しという形で表しており,『麻』は「磨く」「摩る」という意味にも通じていく。一方の麻薬の「麻」は,本来はやまいだれに林と書く「痲れる(しびれる)」という文字で表していた。その後「痲藥」という漢字が,1949年から定められた当用漢字表に従って「麻薬」と表記されるようになったのである。

長吉秀夫 (2009). 大麻入門 幻冬舎 p.143

テトリスが夢の中に現れる

 脳がどんな記憶をいつ,どのようにして呼びさますか,その手がかりを得るために,スティックゴールドは入眠時に的を絞り,幻覚の内容を操作できるかどうか実験してみようと考えた。被験者に山登りや急流下りをさせて怪我でもされたら,訴訟沙汰になりかねないので,もっと安全な非日常的活動をさせることにした。その実験で,スティックゴールド自身も驚くような結果が得られた。
 最初の実験では,コンピューターの画面上を落下するブロックを積み重ねるテトリスというゲームを被験者にさせることにした。27人の被験者が3日間にわたって1日7時間このゲームをした。うち10人は任天堂のゲーム機ですでにこのゲームを経験済みだったが,残りの人たちは初めてだった。スティックゴールドは初めてのグループに記憶障害の患者を5人入れた。ゲームのイメージが夢に現れるかどうか見てみようと思ったのだ。記憶障害の患者は新しい経験を覚えられないので,おそらく彼らの夢にはテトリスが現れないだろうと予想していた。
 最初の2晩は,眠りに就いて数分後に被験者を起こして聞くと,6割以上が少なくとも1回はテトリスのイメージが浮かんだと答えた。初日ではなく,2日目に浮かんだケースのほうが多かった。「テトリスを入眠時幻覚でとりあげるかどうか,脳が判断するには少し時間がかかる,あるいはテトリスをもう少しやってみる必要がある----言ってみれば,そんな感じだった」と,スティックゴールドは報告している。
 驚いたのは,記憶障害の患者も入眠時にテトリスのイメージを見たと語ったことだ。起きているときは,彼らはテトリスをやったことを覚えておらず,毎日ゲームを始める前にあらためてやり方を説明しなければならなかった。「まったく予想外の結果だった。入眠時には,もっぱらエピソード記憶が夢の材料になると考えていたからだ」
 記憶障害患者の入眠時幻覚にテトリスのイメージが現れたということは,エピソード記憶,つまり名前,時,場所などと結びついた意識的に想起できる詳しい情報が,入眠時の夢の材料ではないことを意味する。記憶障害の患者も保持できるタイプの記憶,すなわち新皮質のより高次なレベルで生まれる手続き記憶と意味記憶が材料になっているということだ。新皮質は,ある経験から感覚情報をまずとりこみ,既存のエピソード記憶と結びつける。それまで新皮質が提供するイメージや記憶は,レム睡眠中や入眠後かなり時間がたってからのノンレム睡眠で見る,より幻想的な夢の材料になっていると考えられていた。しかし,入眠時にはその日の現実の出来事がはっきりした形で再現されることから,夢のイメージはすべて新皮質からもたらされると,スティックゴールドは結論づけた。夢のイメージは,新皮質が最近の出来事の断片と以前の記憶を結びつけようとするときに生じるというのだ。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 pp.142-144

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