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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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経度のナルシシズムの利点

 一方,準臨床的なナルシシストは,ストレスを楽々と切り抜ける幸運な人々であることがしばしばである。「サイコロジー・トゥデイ」誌のライター,カール・ヴォーゲルは書いている。「経度のナルシシズムは自己やその他のトラウマから回復するのにも役立っているようだ。自分自身は不死身であるという非現実的な感覚を与え,彼らは人生において投げかけられるものになんであれ対処できると信じる。ある研究者によると,いくらかナルシシズム的であることは,大型のスポーツ車に乗っているようなものだ。おおいに楽しみ,堂々と道路の真ん中を通り,気ままにふるまい,他のドライバーを高いリスクにさらす」

バーバラ・オークレイ 酒井武志(訳) (2009). 悪の遺伝子:ヒトはいつ天使から悪魔に変わるのか イースト・プレス pp.269
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さまざまなプラセボ

 「プラセボ」は,「わたしが喜ばせよう」という意味のラテン語からきている。14世紀には,葬式で死者のために泣き,涙を流す役に雇われた泣き屋を指すことばとして使われた。1785年には『新医学辞典』に登場し,瑣末な医療行為のひとつに加えられた。
 医学文献に記録が残っているごく初期のプラセボ効果の例は,1794年のものだ。イタリアのジェルビという医者がおかしな発見をした。ある虫の分泌液を痛む歯に塗ったところ,痛みが1年間消えたのだ。ジェルビはこの虫の分泌液を使って何百人もの患者を治療し,患者の反応について詳細な記録を残した。患者の68パーセントは,ジェルビと同じように痛みが1年間消えたと報告した。ジェルビと虫の分泌液について一部始終はわからないが,この分泌液と歯痛が治ったこととになんの関係もないだろうことは想像がつく。肝心なのは,ジェルビは自分が患者を救っていると信じ,患者の大半もそう信じたことだ。
 もちろん,ジェルビの虫の分泌液が市場に出た唯一のプラセボだったわけではない。近年になるまで,ほとんどすべての薬はプラセボだった。ヒキガエルの目玉,コウモリの羽,干したキツネの肺,水銀,鉱水,コカイン,電流などは,いずれもさまざまな病気に効く薬とうたわれた。リンカーンが狙撃されてフォード劇場の向かいの民家で死にかけていたとき,主治医は「ミイラ薬」を少し傷口に塗ったと言われている。エジプトのミイラを粉にひいたものは,てんかん,膿瘍,発疹,骨折,麻痺,偏頭痛,潰瘍など多くの病気を治すと信じられていた。1908年になってもなお,「純正のエジプトのミイラ」はE・メルク社のカタログで注文できた。そして,おそらく現在もどこかで使われている。


ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.238-239

リスクはゼロにならない

 もちろん,私たち医師は「副作用が起こってもよい」と思っているわけではありません。ただ,「絶対に起こらない」などという幻想を信じていないだけなのです。交通事故だって,起こそうと思っている人など一人もいないのに,起きてしまいます。そのリスクにどう対処するかと知恵を絞った結果,シートベルトやエアバッグが付いているわけです。
 交通事故を100パーセント回避するためには,車自体をなくせばいい。医療も,リスクを100パーセント回避するためには,手術をしない,薬も使わせないのがいちばんよいわけです。でも,それでは病気は治らないし,死を待つしかなくなります。
 だから,リスクはあるけれども,病気の人に利益をもたらす可能性が高いものを薬として処方する。何度もいいますが,これが医療の発想,薬の本質です。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.162

教育と社会規範・市場規範

 同じ考えが教育の世界にどう応用できるか考えてみよう。わたしは最近,公教育における意欲刺激と説明責任に関する連邦委員会に参加した。社会規範と市場規範のこの側面は,今後わたしが探究したいと考えている課題のひとつである。委員会の任務は,「落ちこぼれゼロ」政策の見なおしと,生徒,教師,学校管理者,親の意欲を高める方法を見つける手助けをすることだ。
 これまでの感触では,共通試験や能力給によって教育が社会規範から市場規範へ押しやられてしまう可能性が高いように思う。すでにアメリカでは,生徒ひとりにつき,どの西洋社会より多くのお金を注ぎこんでいる。ここへきて金額をさらに増やすのは賢明だろうか。試験についても同じような検討が必要だ。すでに頻繁に試験をおこなっているのだから,これ以上増やしても教育の質が向上する見込みは少ない。
 わたしは,社会規範の領域に答えがあるのではないかと考えている。これまでの実験から学んだように,現金ではある程度のことしかできない。社会規範こそ長い目で見たときにちがいを生む力だ。教師や親や子どもの関心を試験の点数や給料や競争に向けさせるかわりに,教育の目的や任務や誇りの感覚を吹きこむほうがいいかもしれない。そのためには市場規範の道を進むわけにはいかない。しばらく前にビートルズが「キャント・バイ・ミー・ラブ(お金じゃ愛は買えない)」と高らかに歌ったが,これは学問への愛にもあてはまる。向学心はお金では買えない。ためせば消してしまうかもしれない。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.126-127

重要なのは患者が重症かどうか

 要するに,大事なのは新型インフルエンザかそうでないか,という点ではなく,患者さんが重症かどうか,です。その一点が大事なのです。たとえ新型インフルエンザであっても,比較的軽症で元気ならば,家でじっとしておいたほうがいいのです。病院に来なくてもいいでしょうし,たとえ来院しても入院する必要はないはずです。
 アメリカやオランダの新型インフルエンザガイドラインでも,全員入院,という推奨はしていません。
 日本の問題点は,病気を病原体だけで分類していることにあります。軽症でも重症でも新型インフルエンザなら入院させましょう,という考え方がその最たるものです。でも,感染症でほんとうに大事なのは病原体ではなく患者さんのほうです。患者さんが入院を必要としているかそうでないか。それはその人の体にもっている病原体ではなく,その患者さんが入院治療を必要としているか,重症かどうかが決定するのです。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.84

社会規範が市場規範に切り替わるとき

 ふたりは数年前,イスラエルの託児所で,子供の迎えに遅れてくる親に罰金を科すのが有効かどうかを調査した。そして,罰金はうまく機能しないばかりか,長期的に見ると悪影響が出ると結論づけた。なぜだろう。罰金が導入される以前,先生と親は社会的な取り決めのもと,遅刻に社会規範を当てはめていた。そのため,親たちはときどき時間に遅れると後ろめたい気持ちになり,その罪悪感から,今度は時間どおりに迎えにこようという気になった(イスラエルでは,罪の意識が人を説きふせるのに有効なようだ)。ところが,罰金を科したことで,託児所は意図せずに社会規範を市場規範に切りかえてしまった。遅刻した分をお金で支払うことになると,親たちは状況を市場規範でとらえるようになった。つまり,罰金を科されているのだから,遅刻するもしないも決めるのは自分とばかりに,親たちはちょくちょく迎えの時間に遅れるようになった。言うまでもなく,これは託児所側の思惑とは違っていた。

 しかし,ほんとうの話はここからはじまる。もっとも興味深いのは,数週間後に託児所が罰金制度を廃止してどうなったかだ。託児所は社会規範にもどった。だが,親たちも社会規範にもどっただろうか。はたして親たちの罪悪感は復活したのか。いやいや。罰金はなくなったのに,親たちの行動は変わらず,迎えの時間に遅れつづけた。むしろ,罰金がなくなってから,子供の迎えに遅刻する回数がわずかだが増えてしまった(社会規範も罰金もなくなったのだから無理もない)。
 この実験は悲しい事実を物語っている。社会規範が市場規範と衝突すると,社会規範が長いあいだどこかへ消えてしまうのだ。社会的な人間関係はそう簡単に修復できない。バラの花も一度ピークが過ぎてしまうともうもどせないように,社会規範は一度でも市場規範に負けると,まずもどってこない。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.116-117

ワクチンはシートベルトのようなもの

 ワクチンとは,シートベルトのようなものです。シートベルトがなくても事故を起こさない人もいるでしょう。事故に遭ったときに,シートベルトがあっても命を落とす人はいます。しかし,総じてみるとシートベルトのおかげで命が助かったという人のほうが多いのです。備えあれば憂いなし,それがシートベルトです。インフルエンザワクチンも,シートベルトと同じです。打たなくても病気にならない人はいるでしょう。打ってもインフルエンザになる人もいるかもしれません。でも,総じてみれば,ワクチンを打ったほうが得をする可能性が高いのです。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.68

無報酬の力

 こうなることは当然予想すべきだったのかもしれない。人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば,数年前,全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ,1時間あたり30ドル程度の低価格で,困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし,その後,全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると,圧倒的多数の弁護士が引き受けると答えた。
 どういうことだろう。0ドルのほうが30ドルより魅力的だなどということがありうるだろうか。じつは,お金の話が出たとき,弁護士たちは市場規範を適用したため,市場での収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが,お金の話抜きで頼まれると,社会規範を適用し,進んで自分の時間を割く気になった。30ドルもらってするボランティアと考えてもよかったはずなのに,なぜ30ドルでは承知しなかったのだろう。考えのなかにいったん市場規範がはいりこむと,社会規範が消えてしまうからだ。
 コロンビア大学の経済学教授ナフク・シヘルマンは身をもってこれを体験した。日本で剣道を学んでいたとき,シヘルマンの先生は生徒たちから稽古代を集めなかった。それでは申し訳ないと,ある日生徒たちは,先生の時間と労力に対して謝礼を支払いたいと申しでた。先生は竹刀を置くと,自分の稽古代は高すぎてあなたたちでは払えないだろうと穏やかに答えたそうだ。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.109-110

誰が日本脳炎を罹患させたのか

 たとえば,2005年,厚労省は日本脳炎ワクチンを事実上禁止にしました。前年にワクチンの副作用と見られるADEM(急性散在性脳脊髄膜炎)を起こした中学生1人が寝たきりになってしまったためです。その後,十数年ぶりに就学前の子どもが日本脳炎に罹ったことがわかりました。ほとんどニュースにもならなかったのですが,これを誰の責任と考えればいいのでしょうか。これも,「予防接種の副作用が起きるくらいなら,病気になってしまえ」という発想です。なぜ,リスクと利益の情報公開を徹底し,現場に判断させないのでしょうか。このような支配指向,コントロール指向も日本の官僚の特徴です。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.58-59

無料!を利用せよ

 もしあなたが商売をしていて,この点を理解しているなら,たいしたことができる。お客をおおぜい集めたい?何かを無料!にしよう。商品をもっと売りたい?買い物の一部を無料!にしよう。
 同じように,無料!を利用して社会政策を推進することもできる。人々に電気自動車を運転させたい?登録や車検の手数料を安くするのではなく,手数料をなくしてしまって,無料!をつくりだそう。あるいは,公衆衛生に関心があるなら,重い病気への進行を防ぐ方法として早期発見に重点をおくことだ。人々に適正な行動----定期的な結腸鏡検査や,マンモグラフィー,コレステロールのチェック,糖尿病のチェックなど----をさせたい?自己負担金をさげて検査費用を安くするのではなく,重要な検査は無料!にしよう。
 思うに,ほとんどの政策参謀は,無料!が手持ちのエースだということに気づいていない。まして,その切り札をどう使うかなど考えてもいない。予算削減が叫ばれる昨今,何かを無料!にするのはたしかに直観に反している。しかし,ちょっと立ちどまって考えると,無料!は絶大な力を持ちうるし,それを利用するのはとても意味があるものに思える。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.100-101

確率論的に決まる

 さて,「益あり」という判断で手術がなされ,抗がん剤が投与されるのですが,つねに結果が見積もりどおりに出るかどうかは定かではありません。恩恵と損の見きわめは確率論的に行なわれます。得をする確率が高く,損をする確率が低い,という計算がなされた患者さんでも,時に損のほうが強く出ることがあります。薬の副作用に苦しんだり,手術の合併症に苦痛を受ける患者さんが出る可能性は,ある一定の割合で存在します。われわれは確率的予測精度を高めて,損をする人をできるだけ減らそうとしますが,本質的に確率的な見積もりに依存している以上,リスクをゼロにすることは不可能です。医療行為そのものがある人には有害なのですから,これは「少なくすることは」可能であっても「ゼロにはできない」のです。これが医療事故です。
 医療事故をゼロにする方法は1つだけです。それは,医療行為を受けることそのものを拒否することです。けれど,それが問題の根本的な解決ではないことは明らかです。
 ときどき,テレビなどで「こんな副作用のある薬を医者が処方するなんて,けしからん」と息巻いている識者の方がおいでですが,見当違いなコメントです。薬には副作用はつきものですし,しかも的確な処方であっても,患者との相性などで副作用の発生を予見できない場合があるからです。
 なかなかこの“相対的”という大人の考え方が日本人は苦手のようです。薬は善,医者は善と決めたらまっしぐらで,少しでも瑕疵が見つかると相手を全否定する。薬は悪,医者は悪,となってしまいます。そういう極端な,いってみれば子どもじみたところがあります。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.45-46.

無料!の影響

 実際に無料!が行動にどう影響するかを示す話を紹介しよう。数年前,アマゾン(amazon.com)は一定額以上の注文をすると無料配送になるサービスをはじめた。たとえば,16ドル95セントの本を1冊買うと,3ドル95セントの配送料がかかる。ところが,もう1冊本を買って31ドル90セントだと,配送料が無料!になる。
 人によっては(わたし自身の経験談でもあるのだが),2冊めはべつに欲しい本ではないのに,無料!配送があまりに魅力的で,これを得たいがために追加の本の代金を払うのをいとわない。アマゾン側はこのサービスをはじめたことにとても満足したが,ただ1か所,フランスだけは売り上げがまったく伸びなかった。フランスの消費者は,ほかの国の人たちより合理的なのだろうか?それはない。そうではなく,フランスの消費者はよそとはちがう取り決めに反応していたことがわかった。
 こういうことだ。フランス支社は,一定額以上の注文で配送料を無料!にするのではなく,1フランにしたのだ。たった1フラン----20円程度だ。無料!と大してちがわないように思えるが,これが大ちがいだった。現に,アマゾンがフランスの販売促進に無料配送を加えたところ,ほかの国と同じように売り上げが劇的に伸びた。つまり,配送料1フラン----破格の値段だ----はフランス人にほとんど無視されたが,無料!配送は熱狂的な反響を呼んだわけだ。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.95-96.

風邪に抗生剤を出す理由

 風邪をひいて病院やクリニックに行くと,よく抗生剤(抗生物質,抗菌薬ともいう)が処方されます。ところが,抗生剤は細菌に対して効果があっても,ウイルスには効きません。つまり,風邪の原因に対しては効果がないわけで,だから抗生剤は風邪には効かないのです。
 多くの医者はもちろんそのことを知っています。それでも医者が抗生剤を風邪の患者に出すのはなぜでしょうか。
 それは「患者さんが欲しがるから」です。
 多くの患者さんが「抗生剤は貰えませんか」と言います。「風邪に効く薬はないんですよ」と説明すると不満げな顔をし,「別の病院で貰いますから,いいです」と帰ってしまう人もいます。せっかく体調が悪いのをおしてがんばって病院にやってきて,長い間待って「効く薬はありません」では,がっかりです。せめて抗生剤でも出してもらわなければ苦労した甲斐がない,と思うのも無理のないことかもしれません。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.36-37

役員報酬を高くした規制

 この話の皮肉なところは,1992年に,アメリカの証券規制当局が各企業に経営幹部の報酬と役得をこと細かに開示するようはじめて義務づけたことだ。報酬が公開されれば,理事会も幹部に法外な給料や手当を出しづらくなるだろうとの狙いがあった。これまでどんな規制も法律も株主の圧力も抑えられなかった幹部の給与増加がこれで止まるのではと期待された。たしかに増加を喰いとめる必要があった。1976年,平均的な最高経営責任者の給与は,平均的な従業員の36倍だった。それが1993年には,131倍にもなっていたのだ。
 ところがどうだろう。幹部の報酬が一般に公表されるようになると,マスコミが定期的に最高経営責任者の報酬ランキング特集を組むようになった。公になったことで幹部の報酬が抑えられるどころか,アメリカの最高経営責任者たちは自分の収入をよその最高経営責任者の収入と比べるようになり,その結果,幹部の報酬はうなぎのぼりに上昇した。この傾向を助長したのは報酬コンサルティング会社で(投資家のウォーレン・バフェットに,“少しあげて,もう少しあげて,よしそこだ”という辛辣なあだ名をつけられた),顧客である最高経営責任者たちに,法外な給与を要求するよう助言した。そしてどうなったか。いまや,平均的な最高経営責任者の給与は,平均的な従業員の369倍,報酬を開示する以前の3倍の額になっている。


ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.43-44.

矛盾が人を惹き付ける

 皮肉なことであるが,ロールシャッハテストが矛盾する結果を生じる傾向があることは,心理学者の間でこのテストがもてはやされている理由の1つなのかもしれない。イェール大学のJ・R・ウィッテンボーン(Wittenborn, J. R.)とシーモア・サラソン(Sarason, S.)が半世紀前に述べたように,ロールシャッハテストがもつ自己矛盾によって,このテストは何でも明らかにすることができる検査であるようにみえることがある。どのようなクライエントであっても,ロールシャッハ・スコアの中には何かぴったりするものが必ずある。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.274-275
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

すべてが相対的

 これはどういうわけだろう。まずは,基本的なことを押さえておこう。大半の人は,自分の求めているものが何かわからずにいて,状況とからめて見たときにはじめてそれがなんなのかを知る。たとえば,自分がどんな競技用自転車を欲しいのか,ツール・ド・フランスの優勝者があるモデルに乗ってギアを切りかえている姿を見てはじめてわかる。自分がどんなスピーカーを欲しいのか,いまもっているものより音のいいスピーカーを聞いてはじめてわかる。自分がどんな生き方をしたいのかさえ,親戚なり友人なりの生き方がまさに自分のとるべき道だと思えてはじめてわかる。すべてが相対的,そこが肝心だ。わたしたちは,暗闇のなかで飛行機を着陸させるパイロットと同じで,車輪を接地できる場所まで誘導してくれる滑走路の両側の明かりが必要なのだ。


ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.25-26.

人気があるから意味がある?

 今日では,エクスナーの共著者であるアーヴィング・ウェイナー(Weiner, I.)がいまだにロールシャッハテストの人気こそがその有効性の証拠であると指摘している。「アメリカでは,メンタルヘルスの専門家がパーソナリティを査定するのに,ミネソタ多面人格検査(MMPI)を除けば,ロールシャッハ・インク図版検査がもっとも多く用いられている。ロールシャッハテストが現在まで生き続け成功をおさめてきたのは,さまざまに異なる文化の多くの心理学者が,クライエントを援助するのに役立つと考えたからである」。
 ここでウェイナーは2つの論理的誤りをおかしていると考えられる。第1に彼は,今述べたばかりの広く受け入れられていることに基づく論証の誤りに陥っている。第2に,ある信念や技法が長い間生き続けたという理由でそれが正しいと考える,論理学者が「古くから続いていることによる論証(ad antiquitem)」とよぶエラーをおかしている。星占いや手相占いのような多くの方法は何世紀も昔から広く行なわれ続けているが,それらには妥当性はまったくない。ロールシャッハテストが広く行なわれているとウェイナーが言ったことはその通りである。私たちが言いたいのは,ロールシャッハテストは,臨床家たちの間で広く用いられていることからではなく,科学的証拠に基づいて評価されるべきだということである。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.257-258
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

訴訟社会

 訴える資格のあるなしにかかわらず,訴訟を起こすことが一財産手に入れる手っ取り早い方法だという考え方は,アメリカ人特有の不思議な認識と結びついている。つまり,何が起ころうと悪いのは他人だという認識である。だからたとえば,1日80本の煙草を50年間吸い続け,結局肺癌にかかったとしても,悪いのは自分以外のみんなということになる。そこで煙草の製造会社だけでなく,卸し問屋,小売店,煙草を小売店に納入した運送会社などにいたるまでを訴えるわけだ。アメリカの司法制度の一番の問題点は,原告に対し,訴因にほとんど関係ない人や会社を被告として訴えるのを許している点である。
 司法制度がそんなふうに機能している(というより,正確に言えば,機能していない)せいで,企業や団体にとっては,ことを訴訟にまで持ち込まれるよりも,法廷の外で示談で済ませたほうが安上がりなことも多い。知り合いの女性の話だが,雨の日にデパートに行って滑って転んだところ,驚いたことに,訴訟を起こさないと約束する書式にサインしてくれれば,2千5百ドルの和解金を支払うと,ほぼ即刻その場で提案されたそうだ。彼女は嬉々としてサインした。


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 p.264

ロールシャッハを学ぶ院生に伝えるべきこと

 包括システムの最近の問題を軽視したり,言い訳したりして,その訓練をし続けている大学院課程は,次のような多くの語られないメッセージを学生たちに伝えていることを銘記すべきである。

・未出版の,公共の吟味にかけることができない研究を参照することによって,科学的議論を強化してもよい。
・データに重大な誤りがある場合,それを他の科学者が吟味できないように隠してもよい。
・よく研究されていないうつ病尺度を臨床現場で使用する目的で売り込んでもよい。またこの尺度が多数の追試研究で支持されなかったとしても,それが妥当であると主張してもよい。
・検査スコアが独立の研究チームの追試によって支持されなくても,それを法廷に持ち込んでもよい。
・あるテスト基準が毎日多くの患者に対して用いられていても,その基準に問題があることを公表することを何年間も差し控えてもよい。

 次の世代の臨床心理学者のために,よりよい職業的および科学的営みのモデルが示されるべきであるという私たちの提言が,極端にすぎるとみられることがなければよいのだが。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.252
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

こんな質問をする政府って

 外国生まれの配偶者や家族をアメリカの合法的な市民として登録するのがいかに大変なことか,ここでくどくどと述べるつもりはない。スペースもないし,いずれにしても,ひどく退屈な話になるからだ。おまけに涙,涙なくしては語れず,さらにはそのほとんどをでっちあげていると思われるのが関の山だ。
 こんな話をしたら,きっと失笑を買うに違いないが,我が家の知人で非常に学識高いイギリス人の学者が,娘がこう質問されるのを聞いて思わず口をあんぐりさせてしまったそうだ。「違法なギャンブルなどの,非合法の商取引に関わったことはありますか?」「今まで共産党や全体主義の団体の一員であったり,どんな形であれその活動に関わったりしたことはありますか?」私が一番気に入っているのは,「アメリカで一夫多妻性を実践するつもりはありますか?」だ。言っておかなければならないが,知人の娘は5歳である。
 そう,もう私は涙にかきくれている。
 たとえ相手が5歳の幼女でなくとも,そんな質問をする政府はどこか深刻に間違っている。


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.251

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